「考えること」を考える

ある哲学者が「考えさせない時代に抗して-哲学な日々」という本を書いています。確かに、便利になって、お任せ社会になって、ややもすれば、観客になって舞台を見ているだけになりがちです。考えさせない時代になっているのかもしれません。
  不安だらけの世の中ですが、しっかり考えれば、面白く世界を見渡すことができるかもしれないのに、思考を停止させてお任せ定食だけを食べているのでは、もったいない気がします。そこで、生物界、人間界のことを含めて自分なりの考えを書いてみました。
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No.280 「生物多様性をどう理解する」(2022.2.22)

 50年以上前のこと。物理学の先生が、「永遠の真実と言えるものはエントロピーの法則だけだ」とおっしゃった。エントロピーとは「熱力学で物質の状態を表す量の一種」という説明がある。エントロピーの法則とは、この状態の変化に規則性があるということだ。難しい説明は省いて(この法則を拡大解釈して)、私は、「温度や圧力は高い状態から低い状態に変化するのであり、その逆ではない」、「集まっているものはばらけて拡散していくのであり、その逆ではない」という理解をしている。ある状態が一方向に変化していく過程でこそ、化学変化や生物の生存を可能とする作用が起きる。

   「生物多様性」について考えてみた。生物多様性とは、動植物や微生物が多様な姿で存在している事実をさす言葉である。なぜ、生物に多様性があるのかというと、地球という場所が多種多様な環境を提供しているからである。地球上には、深海から高山や火山、土中や生物体内、温度・気圧・酸やアルカリなど物質や性質の異なる世界がある。生物はそれぞれの場所にあるエネルギー(熱や栄養成分)をエントロピーの法則に従い利用している。生物が生まれ、進化し、高等動植物から微生物までが助け合ったり、利用しあったり、棲み分けたりしている結果である。太陽光の届かない深海の熱水噴出孔の周辺で貝やエビが育つのは、湧き出す熱水のミネラル、硫化水素などを利用してプランクトンが育つからだ。
   最近「野ネズミとドングリ」(島田卓哉著・東大出版会2022年1月初版)を読んだ。人に飼育されているネズミは、ドングリに含まれるタンニンを食べると消化阻害や消化管の潰瘍や壊死を起こす。いきなり食べさせると体重が激減し数日で死亡する。しかし、森に棲むアカネズミは、ドングリを大量に食べているのに死なない。調べてみると、唾液の中に特殊なたんぱく質を持っていてタンニンと結合して無毒化して排泄していることが分かった。しかもこの特殊なタンパク質は、少しずつ時間をかけてドングリを食べる(馴化する)ことで分泌量が増えるのだ。更に、野生のアカネズミは、タンニンを分解する細菌(タンナーゼ産生腸内細菌)を腸内に棲まわせていて、ドングリを食べればこの細菌も増えるという仕組みが備わっている。ドングリは太陽エネルギーの賜物であり栄養価は高い。太陽エネルギーの状態がドングリの栄養成分に変わり、野ネズミがそれを食べることで、野ネズミの生存(腸内細菌の生存も)を可能とする力を提供する。野ネズミの糞は、森の中の他の微生物や虫の食べ物として消費され、森の再生にも役立つ。太陽から供給される熱や光のエネルギーは、多種多様な生物のおかげで、無駄なく消費されることになる。

   「生物多様性にはどんな意味があるのか」と聞く人がいる。私は、「地球が提供する多様な生き方を知らせる意味がある」と答える。「生物多様性はどんな価値があるのか」と聞く人がいる。私は、「地球と同じ価値がある」と答える。そして「人間にとっては人間と同じ価値がある。ネズミにとってはネズミと同じ価値がある」と答える。人間の世界を広げたければ生物多様性を自然のままに受け入れなければならない。ネズミも毒蛇もウイルスも計り知れない価値がある。生物多様性は存在するべきものであり、偏見にとらわれがちで物欲の強い人間の視点で評価したり、扱ったりしてはならない。 (先頭に戻る)

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No.279 「歴史を身近に感じる方法」(2022.2.7)

 40年ほど前、同じ職場にいた先輩のSさんが笑いながらこんなことを話してくれた。
   「自分の爺さんから聞いた話だが、爺さんが若いころに上野の山でいくさ(戦争)があるというので、千葉の方から旧幕府軍(
彰義隊)に加勢しようと駆けつけたところ、戦争は既に終っていて、官軍の追及が厳しいのでほうほうのていで逃げ戻ったとさ」。
   私は、「おじいさんが逃げられ良かったですね。殺されていれば、Sさんも生まれてはいなかったでしょうから」といった会話をした。私は地方出身者なので、「さすがに東京には、明治維新のことを見聞きしている人たちがいるのだなあ」と感心したものだ。

   歴史では、何年に何が起きたといった知識よりも、現在との関わりが大切だと考えている。「近現代史」という分野がある。「近代」は、辞書によれば、「一般には封建制社会の後の資本主義社会をいう」とあるので、日本では明治以降をさす。しかし「現代」がいつからをいうのかの説明はない。戦後生まれの私には、「現代」というのは、1945年の敗戦後以降というイメージだ。歴史家によっては、第一次大戦後以降を現代と捉える見方があることを知った(⇒「明日のための現代史」伊勢弘志著)。
   「現代」をいつからとするかは人によって異なるのだろう。今の若い人たちは、日本が朝鮮を植民地とし中国と戦争をし、米英と戦ったことさえも遠い昔話のように感じているかもしれない。

   自分の祖父母以前の過去の世代については、どこから来てどんな生活をしていたのか分からない人が多いのではないか。確実に分かっているのは、どの時代にも自分につながる祖先がいたことだけだ。過去のいつの時代でも自分の祖先がいた事実と歴史の出来事とを関係づけて考えてみると、その出来事が身近に考えられるようになる。関係づけるとは、例えば私の祖先に関ケ原の戦いに参加した人がいたと仮定してみるのだ。 関ケ原の戦いは西暦1600年に起きた。東西両軍でほぼ20万人が参加したとされている。当時の日本の人口は1200万人程度(多くみても2000万人)だといわれている(推計値)。なので、人口の半分(1000万人)が男性で、戦に出たのは男性だけだったとすれば、当時の男の50人に1人(1000万人÷20万)が参加したことになる。
   他方、私の祖先は、両親は2人、祖父母は4人、その前の親は8人というように数えることができる。今から約400年前の先祖にあたる人の世代は、世代交代が25年ごとだと仮定して、400年前は16代前に当たる(400÷25=16)。血族結婚が全くなかったとすれば、関ケ原の戦いがあった当時には、2の16乗(=65,536人)のご先祖様がいた。実際には血縁者間での結婚はあっただろうから、1600年当時の祖先の人数は、この数字の100分の1程度として、650人(男性はその半分として325)ほどはいたのではないか。そうすると、私の先祖(私に限らず多くの日本人の祖先)には、6~7人(325÷50=6.5)が関ケ原の戦争に参加していたことになる。先祖同士が敵と味方で戦ったかもしれない。普段は百姓をしながら戦争の時だけ駆り出される下っ端だったとしても、関ケ原の戦いに参戦したのはほぼ確実と言っても良い。
   私の家には家系図はないが、数百人の先祖の子孫が江戸時代を生き抜き、自分にまで繋がつていると思うと愉快である。歴史に名を残さなかった人々を含めて誰もが自分に関わりがある大切な存在だと思えてくる。このように発想すると歴史の出来事が随分と身近に感じられる。 (先頭に戻る)

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No.278 「オミクロン以後の感染症対策」(2022.1.26)

 新型コロナは、感染力が特に強いオミクロン株の出現のせいで、私の住む市では1日の感染者数が400人を超えるほどになった。感染の始まり以降、最多である。オミクロン株は、若い人も感染しやすいらしく、10代や10歳未満の感染者が多数でている。近所の中学校では1月18日から学級閉鎖をしていて、体育館を市民に使用させなくなった。千葉県には、1月21日から2月13日までまん延防止重点措置が出されていて、高齢の感染者も少しずつ増えている。

   オミクロン株は、感染者数の激増にもかかわらす、重傷者や死者を増やす能力は小さいようだ。しかし、感染者と濃厚に接触した人(介護士や保育士、医療従事者など)が仕事が出来なくなることで、労働力不足が顕在化してきた。そのためか隔離日数を短縮するなどの配慮が強調されるようになった。検査体制が追いついていないので、悪くすれば、更に感染者数が増え労働力不足がひどくなる恐れもある。欧米では、ワクチンパスポートに反対する人などが、マスクをせずにデモをしている姿がテレビに映っていた。3回目のワクチン接種を前倒しして欲しいという自治体が多い日本とは対照的である。科学的な思考ではなく、政治的な思惑・宗教的な信念で感染症対策を考える人たちもいるので、問題の解決は容易ではない。
   ところで、変異株の呼び方については、WHOは、地名で呼ぶのではなくギリシャ文字を使うと決めている(
記事)。差別や偏見を生まないようにするためとのことだ。これまで猛威をふるっていたデルタ(δ)の後に、突然オミクロン(ο)が出てきたような気がしていたが、中南米で猛威をふるい、ワクチンの効果が効きにくいラムダ(λ)、ミュー(μ)などの株もある(記事)。ウイルスは比較的短期間に一定の割合で変異株が発生し、その中で更に生存に適した株(致死率が高いものも含まれる)が出てくる。だから現在のオミクロン株が重症化率が低いからという理由で感染者数が増加するのを放置していれば、再び強力な毒性をもった変異株が現れないとも限らない。

   日本では、予算の有効利用だとして基礎研究への投資を減らし、医療体制(病院や保健所の役割)を軽視してきた結果、国産ワクチンを作ることができなかった。実は、特許出願数もかっては2位だった日本は3位になり、科学論文(量や質)のランキングも日本は大きく低下している(⇒データ1データ2)。科学技術立国を国是としてきた日本にとっては深刻な状態だ。知り合いの理系教授が「大学院の博士課程に進む日本人の学生が減っている」と嘆いていた。効率化だとして研究者の就職先を減らし身分を不安定にしてきたことが原因らしい。感染症にかかわる開発研究だけでなく、基礎科学を含む科学技術への研究投資は、何としても増やして欲しい。
   試験研究や画期的な技術開発は短期間でできることではない。ウイルスや感染症の研究が進み、確実に症状を抑える飲み薬の開発ができるまで、あるいは感染症が人間生活に影響を及ぼさなくなるまで(5~10年間)は、この2年間に経験したような混乱は続く。それまでは、ワクチン接種のほか、マスク使用や手洗いの励行など、健康は自分で守るという姿勢で生活するよりほかはない。 (先頭に戻る)

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No.277 「持続可能な人類の目標と自分」(2022.1.15)

 「正月気分」という言葉がある。めでたいような、うれしいような期待をともなった(浮かれた)気分をさすが、近年の私は全くそうした感じがしない。もちろん年賀状をもらえば嬉しいし、年の初めに人に会えば新年の挨拶もするが、どこかで覚めた感じがある。こうした気分になるのは、体力が衰えてきたためでもあるが、自分も含めた世界が抱える問題を考えて、一休さんではないが「めでたくもあり、めでたくもなし」だ。

   世界が抱える問題とは、新型コロナの感染拡大であったり、地球温暖化であったり、集団間や国家間の争いであったりする。問題の原因がどの国にもあり、影響がどの国にも及ぶ以上、その解決のための共通目標が掲げられるのは良いことである。2015年の国連総会は、そのために持続可能な開発目標を定めた(⇒
SDGs)。 世界を変革するとして掲げられた目標(2030年までの期間を対象としたSDGs)は、戦争・紛争の原因となる貧困や差別、経済問題を取り上げ、ジェンダー平等や弱い立場の人々の人権に焦点を当てている。だれひとり取り残さないという考え方を基本にした、これまでにはない地球全体・人類全体の視野に立った画期的なものだ。
   SDGsには、17の目標(関連する169のターゲット)が掲げられていて、例えば、「1 貧困をなくそう」は、「あらゆる場所で、あらゆる形態の貧困に終止符を打つ」ことをめざしている(⇒2030アジェンダpdf)。「13 気候変動に具体的な対策を」は、「気候変動とその影響に立ち向かうための緊急対策を取る」ことを掲げている。重大被害が起きる前に温暖化ガス規制ができるかどうかが課題である。問題は重層的であって、1つの目標の達成には他の目標が掲げる問題も解決されなければならない。
   国連は、SDGsを単なる標語や気休めに終わらせないために、毎年その目標の達成状況を評価する報告も出している(2021報告)。例えば、目標「1 貧困をなくそう」については、2021報告では「新型コロナウイルス感染症により、極度の貧困がこの数十年で初めて増加」という見出しで、「2020年には、新たに1億1,900万人~1億2,400万人が極度の貧困へと追いやられた」、「世界の貧困率は2030年には7%にとどまる見込みで貧困撲滅の目標に届かない」と警告している。
   目標は掲げられても、妨害する事象がでてきて目標達成からは遠ざかることがある。現在のミャンマーやアフガニスタンの様子、米中露など大国の駆け引き(日本もそれに関わっている)を見聞きすれば落胆する。逆に考えれば、その分、SDGsの目標の重要さや大きさを意識させてくれるとも言える。

   日本でも世界でも、住む場所はおろか食べものさえない人々がいる。暴力に無理やり従わさせられている人々がいる。仕事がなくまともな生活ができない人々がいる。政権側の暴力を受けるジャーナリストなどもいる。女性だとの理由で教育を受けられない地域もある。人間社会のことだけではない。野生動植物の絶滅も進行している。問題があまりもに大きく深刻なので、自分には関わりはないと思いたいが、おそらく関わりがあるのだ。だから、新しい年を迎えても、「おめでとう」と素直に言えないのではないか。私は年初の目標を、自分の健康確保とともに、「おめでとうと言える状況に少しでも近づける」とした。 (先頭に戻る)

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No.276 「台湾有事が招く日本の悲惨」(2021.12.30)

 12月27日に岸信夫防衛大臣が中国の魏国防相とテレビ会議で2時間協議したとの報道があった(12/28記事)。岸氏は、「中国との間で懸念があるからこそ、率直な意思疎通が必要だ」として、「偶発的衝突回避に向け、防衛当局間の専用回線(いわゆるホットライン)を来年開設することにした」と説明した。つまりは日中間で戦争になる恐れが高まっているということだ。今の中国は、日本にとっては第一の貿易相手国であり、互いに欠かせないパートナーになっている。不幸な歴史はあったが、つながりは深く、近年では中国人の観光客が大勢日本に来てくれていた。それが、なぜこのような状態にまで至ったのか。なぜ日本が中国と武力衝突する事態があり得るのか。

   6年前(2015年9月)の安倍内閣で「安全保障関連法」が成立した。与党は、集団的自衛権があるとして、自衛隊が米国と一緒になって他国と戦うことができるようにした。従来の内閣では集団的自衛権は無いとしていた憲法解釈を、安倍内閣は、内閣法制局長官を交代させ、解釈を変えて強行採決をした。国会で参考人の憲法学者全員が、「安保法制は憲法違反」と説明したにもかかわらず制定を強行したのは、米国からの強力な要請があったからだ。当時はイラクやアフガニスタンの米軍に燃料補給などの支援をするためとしていた(その後のイラクやアフガニスタンをみれば米国の軍事・外交は間違っていたとしか言いようがない)。この法制は、台湾有事に際した自衛隊の活動にも当然に適用される。
   12月26日にNHKの番組「台湾海峡で何が?米中“新冷戦”と日本」を見た。中国は台湾との統一を目指す方針を堅持しており、この1年ほど毎日のように中国軍は台湾周辺で訓練をしている。これに対抗し、台湾は米国の支援で軍事訓練を行っている。日本の自衛隊も洋上での燃料補給など米軍の支援活動を強めている。軍事演習が更にエスカレートすれば何が起きるか、誰にも分からない。
   いずれの国が戦争を仕掛けるかは分からないが、最初の相手からの一撃で降伏するのでなければ反撃が繰り返される。その場合、自衛隊の艦船による米艦への補給活動は、参戦していると判断されて攻撃を受けることになる。沖縄や岩国の米軍基地からミサイルが発射されれば、敵基地攻撃能力を持つ中国軍から日本への反撃は当然予想される。紛争が始まったとき、中国にある日本企業はどうなるのか、在住の日本人はどうなるのか、ミサイルや核兵器が飛び交うようになれば、人々は逃げる場所があるのか、どういう状態になったら米中は停戦するのか。

   私は、安保法制の審議の際に、友人30人ほどから安保法制に反対する署名を集め国会に提出した。米国は経済的・文化的には日本にとって大切な国ではあるが、事実上の軍事同盟となる安保法制は日本人を危険にさらすと思ったからだ。今は、安保法制違憲訴訟の会から裁判の状況を知らせてもらっている。
   「米軍に守ってもらう」という人もいるが、トランプ大統領の出現でアメリカファーストは米国民の意思であることが分かった。「守って欲しければ死ぬほどの金を出せ」、「生活を犠牲にしてでも米軍に協力せよ」と言われても従うしかなくなる。今の日本はそんな道を歩んでいる。米国だって余裕がなくなれば、中国と取引をすることだってあり得る。人が良いだけでは泣きを見るのが国際社会だ。第一次大戦と第二次大戦で何千万人が死ぬようなことになったのは、大量破壊兵器の出現と軍事同盟によって芋づる式に参戦国が増えていったからだ。核兵器を持つ国が、それを使わずに敗北することはあり得ない。NHKの番組では「始まったら、勝者がいない戦争になる」と言っていたのが胸に刺さった。 (先頭に戻る)

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No.275 「水ぬれ事故の損害補償」(2021.12.25)

 今年の夏の盛り、8月6日金曜日の午後、洗面所の天井の火災報知器から水が漏れているのを見つけた。床がぬれていたので気づいたのだ。数秒間に1滴づつ、ポタリと落ちていた。あわててバケツを置いた。集合住宅は上の階も同じ構造だ。洗面台や浴室、洗濯機の置き場だから何かの拍子に水が溢れ出る可能性は高い。急いで上の階に知らせ、住宅管理会社にも連絡をした。しかしこの日は何の対策もできなかった。上の階の床板をはがさなければ水の出所が分からなかったからだ。
   私の部屋の天井と上の階の床のコンクリートとの間には、換気用のファンが設置されている。その点検口からは、コンクリートと天井を支える木の枠組み、そして火災報知器の電気配線が見えた。驚いたことに、コンクリートから滲みだした水滴はあちこちにあった。電気配線に水滴がかかれば漏電するかもしれないので緊張した。火災報知器以外の場所から溢れ出た水は、タオルなどの収納庫と隣接するトイレの壁を伝わって、一部は床にまで達した。
   8月7日の午後に管理会社が手配した業者が、上の階の床の一部をはがして調べた結果、外部給湯器からのパイプラインの接続部で水漏れが見つかったとのことだった。建物は建築後35年を経過しているので、錆やひび割れなどで劣化が起きても不思議はない。上の階での漏水は応急措置で止まったが、既に相当量の水がたまっていたらしく、我が家での水滴の滴りは8日の午前中まで続いた。トイレの壁紙や収納庫の濡れた部分はすっかり変色してしまった。バケツには、半分ほど茶色い水が溜まった。数日間は、扇風機の風を点検口から送り込み乾燥に務めた。幸い洗面所の天井が変形したり、壁紙が変色したりするまでには至らなかった。

   その後、私は、管理会社から被害の説明文書と復旧工事の見積り書を受け取って、火災保険会社に保険金の支払いを申請をし、10月末には保険金(約100万円)を受領することができた。変色して汚れた部分の復旧工事は来年になる。請求額は査定で減額されるのかと思っていたが、請求額どおりの金額が出た。
   私に支払われた保険金の財源は、これまでの私の掛け金と、漏水に責任を負う上の階の住人(加入している火災保険会社)から受け取る金額だ。私が上の階の住人と損害賠償の協議をする必要はない。保険金の受領に当たり、上の階の住人への請求権を放棄する(火災保険会社に譲渡する)旨の念書を提出した。自分が損をしたのか得をしたのかは分からないが、修復費用が満額受け取れたので、特に不満はない。私の部屋で漏水が起きて階下の住人に迷惑をかけることだってあるのだから、たまたまこのような事態になった上の階の住人には同情している。
   就職したころ(約50年前)に、当時有名だった
サミュエルソンの「経済学」を読んだら、火災保険や生命保険に入るべきかどうかを論じる章があった。詳細は忘れたが、いろいろな場合を想定して計算すれば保険には入って方が有利であるという結論だった。こんなことを覚えているのは、私の母親が「就職したら生命保険や火災保険には入っておいた方がええよ。何が起きるか分からんし、自分が注意していても他人に迷惑をかけることもあるからね」と言っていたためだ。そして、保険会社には、大勢の人から莫大な掛け金を集めながら、保険金を満額支払うことは少ない・・・ずるい会社という印象があった。だからノーベル賞を取った著名な経済学者がどんなことを書いているのか気になっていたのだ。
   事故が起きればその損失は、自分か誰かが被らなければならなくなる。保険はそのときの助け合いの仕組みだから、それぞれの必要度に応じて保険を利用すれば良いだけだ。ただし、保険金を規定通り払わない事例も報じられているので、利用者は面倒がらずによく調べて請求することが必要だ。 (先頭に戻る)

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No.274 「こんなはずじゃなかった戦争」(2021.12.8)

 12月8日の今日は、日米開戦から80年目の日になる。当時の日本国民は米英などの経済制裁を受けて不満がたまっていた。だから真珠湾攻撃を好意的に受け止めた人が多かったようだ。「戦争開始をどう思ったの」という小学生の私の質問に、母や祖母は「アメリカと戦争を始めたと聞いて気持ちが良かった」と語っていた。初めの勝利に喜んでいた人も、ついには「こんなはずじゃなかった」ということになった。母は、「昭和20年始め頃からは、夜間に遠くの工場(工廠)が燃えて空が赤くなるのを見たり、警報があると防空壕から顔を出して空を見上げていた」などと語っていた。幸い家の近くに爆弾は落ちなかった。
   日本が負けることはないと信じて始めた戦争が、沖縄地上戦、都市を焼き尽くす焼夷弾、原子爆弾投下などの恐ろしい事態まで招くとは、誰も予想しなかったに違いない。多くの人は、「国(政府や帝国陸海軍)がうまくやってくれる」と信じていただろう。何しろ日清戦争以来、日本は負けることはなかったのだから。陸海軍幹部達は、最後は天皇が何とかしてくれると思い、「世論がやれと言うからやったのだ」と開き直った。
   こうした無責任体質は、大きな組織には生じがちだし、私たちの心にも潜んでいる。だから、主権者の地位を与えられた国民こそが、自分の問題として戦争の悲劇とそれに至った過程を知り、政府による新たな戦争準備の動きを警戒しなければならない。ルーズベルトが米国民に向けた日本への敵意を煽る「
リメンバー・パールハーバー」という言葉も、日本人は、自らを反省する言葉としてこれを記憶しておかなければならない。最初の「悲劇」は「悲劇」と言えても、2度目の「悲劇」は「喜劇」でしかない。

   ところで、悲劇と言えば、先月末(25日)地元の演劇鑑賞会で、劇団「東演」の「マクベス」を見た。この物語りは、スコットランド王ダンカンの臣下の武将マクベスの話で、シェイクスピアの四大悲劇の一つとされている。マクベスは、親友のバンコーとともに反乱軍を鎮圧した帰りに、3人の魔女から「やがてあなたは王になる」などの予言を聞く。その予言どおりに事態が進んでいることに気が付き、自分が王になると信じ始めたマクベスの心は変わっていく。マクベス夫人から、「あなたは王になれる。ダンカンを殺す勇気を持ちなさい」と励まされ、信頼してくれた王ダンカンを自らの手で殺す。更に疑心暗鬼から、無二の親友バンコーを殺し屋に殺させ、ダンカンの臣下のマグダフを襲いその妻子を殺す。最後はマクベスはマクダフの軍に殺される。
   私は魔女の言葉に惹き付けられた。魔女は予言とあわせて、「正義は不正義。不正義は正義」、「きれいは汚い。汚いはきれい。」などの謎めいた言葉を残している。この謎の言葉は、私には悲劇が生じるときの法則のように思われるのだ。うまく行くと思って始まったのに、条件が重なり野望が膨らむと、自分を取り立ててくれた国王や無二の親友を殺し、その結果、夫人が精神を病むなどして悲劇が続いて行く。
   先の大戦(大東亜戦争)で言えば、日中戦争の膠着を打開するために太平洋戦争を始めたのは、当時の日本人の尺度からすれば「正義」だったに違いないが、世界の価値観からすれば「不正義」だった。世論(言論界、新聞論調、政治家)は、「政府は弱腰だ。今なら勝てる。米英と戦え」などと煽りそそのかした。まるでマクベス夫人の励ましだ。
   裕福な子供時代を過ごしたシェイクスピアは、家(父親が大商人で市長だった)が没落して苦労した人だ。だからこそ冷静な人間観察に裏打ちされた素晴らしい作品を作ることができたのだとも言われている。不幸な経験でも、そこから何かを学べば幸福に繋がるかもしれない。IT社会と言われている現代は、更に便利になる予感はあるが、脆弱で危険な面もある。現代に魔女が現れたら、「不幸は幸福、幸福は不幸」、「便利は不便、不便は便利」と言うだろう。 (先頭に戻る)

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No.273 「夜明けの後が一番寒い」(2021.11.29)

 今年の秋は、デンドロビウム(恋のしずく)と月下美人とを、直射日光があたる室外(ベランダ)で育てた。これらは比較的寒さに強い。それでも10℃以下になると寒害が出る恐れがあるので、11月になってからは気温に気をつけている。晴れた夜は地表の温度がどんどん下がっていく放射冷却という現象がある。そこで、戸外の気温は、いったい何時頃が一番低くなるのだろうと気になった。

   最高最低温度計では最低温度は測れるが、その時刻が分からない。深夜から明け方まで自分で連続して温度を測ることは容易ではない。そう思っていたら、最近はデータロガーという器具が売られていると知った。温度などを測定して時系列で自動的に記録するものだ。1分間隔で温度と湿度とを記録できるデータロガーを、ネット(モノタロウ)で注文して入手した(藤田電機 税込み14,190円)。11月17日にパソコンにソフトをインストールした。温度測定器は、測定したい場所に置いておくだけでよい。USBでパソコンにつなげばデータをパソコンに取り込むことができる。グラフも自動的に作成される。
   下の図が最近数日間の測定結果をグラフに表したものだ。赤が気温、青の破線が湿度。ニュースで11月29日の東京の最低気温は4℃台で、この秋の最低を記録したと言っていた。私のデータロガーの温度測定器は、ベランダに置いてあり、真上は上の階のベランダになっているので放射冷却の効果は小さい。この日午前7時15分に温度7.1℃、湿度46%となっている。この温度が最低温度だった。ベランダに面する室内の温度は19℃程度だったので室内とは10℃以上の差があること、気象庁の発表よりも我が家のベランダの温度は少し高くなることが分かった。

   冒頭の「一日で一番低い気温は何時ころか」という疑問に対する答えは次のとおりだ。11月25日は午前6時50分に9.2℃、11月26日は午前7時13分に10.4℃、11月27日は午前7時19分に10.1℃、11月28日は6時12分から6時39分に7.8℃、11月29日は図のとおり午前7時15分に7.1℃を最低気温として測定している。測定精度は±0.3℃なので、数値自体はその誤差を含むが、傾向は把握できた。この時期、東京の日の出時刻は午前6時25~30分なので、この数日間の結果では、日の出前後(どちらかと言えば日の出の少し後の時間帯)が最も低い気温になるようだ。太陽の上端が東の空にでても、直ちに暖かくなるのではない。明け方に南風でも吹けば別だが、無風状態で放射冷却の効果だけを考えれば、日の出から20~50分ほど過ぎた頃が一番寒いという結果を得た。
   子供の頃にNHKドラマ「星ひかる」で、「夜明けの前は一番暗い ♪」という歌詞の歌を聞いた。この歌は、苦しい人々に希望を与えるもの(元は英国の諺)ではあるが、太陽の光が地球の裏側に回り込むことを考えれば、実際は間違いだ。他方、気温については、私のデータロガーの測定結果からは、「夜明けの後が一番寒い ♪」ということになる。 (先頭に戻る)

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No.272 「だましのテクニック」(2021.11.22)

 詐欺については、No.9「オレオレ詐欺にあうこと」でも書いたが、依然として被害は減らない(記事)。これは、詐欺を行う側が新しい騙し方を次々と考え出すのに対して、被害者の側は無防備に他人を信じてしまうことが多いためだ。人には、金銭的な欲望、功名心や名誉欲、人を助けたい善意、厄介を避けたい気分など、いろいろな心情がある。詐欺を仕掛ける側もこの心情を利用している。私の知人が数年前に、息子さんを装った詐欺師に現金を取られた。話を信じて100万円ほどの現金を持って東京駅まで行き、携帯電話の指示に従って人通りのない路地に入り、面識のない人に金を渡してしまったとのことだった。
   詐欺師のつくる物語には、コロナ対策や企業の内情、国際情勢などが巧みに織り交ぜられる。しかも、女性を含めて数人がかりで、役所や企業の担当者、弁護士、警察官などの役割分担をしながら親切に話しかけてくる。家族構成などの情報を事前に得ていて、もっともらしい話をするので、聞かないわけにはいかなくなる。そして、考えたり調べたりする時間を与えない。

   私はパソコンで4つのメールアドレスを使い分けている。家族共通のアドレスと個人用のアドレス、所属する生物学会のアドレス、同窓会のアドレスだ。そのうちの同窓会用のアドレスには、数年前から詐欺メールが入ってきている。こうなった原因は、同窓会のホームページに短期間だが同窓会用のアドレスを掲載したからである。強力な検索機能で世界中のホームページ上のメールアドレスを収集して、販売している組織があるらしい。当初は中国語のメールなどが毎日数十件来ていた。アドレスを変更して数は減ったが、今も怪しいメールは毎日10件ほどある。迷惑フォルダに入れ削除するのは、実に面倒だ。
   リーム・ハシミ(女性)からのメールは、「自分はアラブ首長国連邦のドバイ万博(EXPO2020)のマネジャーで、外国企業からの資金を受け取る立場にある。ファンド(4700万ユーロ)を扱っているが、自国では制限があるので海外で投資したい。パートナーになってくれれば、30%を渡したい」という内容だ。アマゾンを名乗るメールは、「あなたの会員資格を調べたら有効なクレジットカードの情報がアカウントに登録されていないので、再度登録をして下さい」という内容だ。メルカリ、ヨドバシ、JCB、イオンカードの名前でも同様のメールが来ている。ETCサービスからは、「高速料金の支払いで異常が見つかった。その道路名、料金所名を記載するので、そこで実際に使用している場合は、異常ではないのでこのメールを無視してください。自分で使用していない場合は、リンクをクリックしてキャンセルしてください。」と書かれている。

   これらのメールが、詐欺目的だと判断できるのは、いずれも私が使っていないクレジットカード会社からのものだし、内容に全く心当たりがないからだ。そもそも登録もしていないアドレスにメールが来ること自体が怪しい。しかし、カード会社の例で言えば、自分が日常的にそのカードを使っていて、思い当たる事柄がメールで送られてきたら、慌ててクリックする人が出てくることはありそうだ。便利な技術は、詐欺師にも便利である。技術はますます洗練されてきて、素人では見分けがつかなくなってくる。被害者になるのを避けるには、そこから完全に離れているか、始めから疑って調べるしかない。金銭を詐取する話だけではない。学術論文や政治家などの発言についても同じことが言える。 (先頭に戻る)

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No.271 「衆院選挙の結果どう思った?」(2021.11.18)

 10月31日に総選挙が行われた。不人気だった菅首相に代わって岸田内閣になったので、「自民党はそれほど議席を減らさないかもしれないが、自民党が減らす議席は立憲に行くだろう」と思っていた。結果は予想に反して立憲の議席が減った(NHK記事)。維新が自民党への批判の受け皿になったようだ。立憲、共産などの4党合意と候補者一本化は、それほどの効果はなかった。しかし、小選挙区制度では、似た政策の野党の候補者が一本化できなければ、自民と公明とで一本化している与党候補に勝つことはまず不可能だ。候補者の一本化方針は間違っていないと思う。

   立憲の枝野氏が代表を辞任して、11月30日に代表選挙が行われることになった。11月18日午後の時点で4人の候補(泉健太、逢坂誠二、西村智奈美、小川淳也)が出ている。小川氏は夕方のテレビで「自民・公明が嫌がる強い党にしたい」と発言していた。毎日新聞(11/18)によれば、他の3人は「わが党が背負う負のイメージを転換しなければならない(泉)」、「1対1の構図は非常に大事。特定の政党を排除したり連携したりすることでは実現しない(逢坂)、「参院選は自前で1対1の構図を作らなければならない(西村)」などと発言している。立憲の小選挙区当選者57名のうちの相当数は共産党支持者の票を得て当選している。そうした党内事情を背景に、「参院選1人区での野党候補一本化が必要」という点では3人とも一致している。大震災後の対応や都民ファーストとの統合をめぐって落としたイメージは、時間をかけて解消していくしかない。
   新聞では、「野党候補の一本化は失敗だった」という論調や、「立憲と共産との協力には期待しない」、「基本理念の異なる党の選挙協力は無責任」などの意見が見られたが、4党合意した共通政策の内容を見れば、そうした論調や意見は多くはないと考えている。私の居住する千葉県では、野党候補一本化がうまく行った選挙区も、そうでない選挙区もある。候補者の品格や日頃の活動にもよる。従来の立憲と共産の合計投票数を大きく上回る得票で立憲が勝利した選挙区が複数あった。

   それにしても、甘利氏、石原氏、小沢氏、辻本氏など与野党を問わず、大物と言われる議員が小選挙区で敗北したことは、すなおに納得できた。議員を長く続けていれば影響力は大きくなるが、反面、独善的になって民心が離れることはよくあるからだ。
   共産党が議席を減らしたのは、小選挙区で候補者を出さず選挙活動が停滞した影響があるが、それだけではなく、今日では共産主義や社会主義(いわゆるマルクス主義)への期待がほとんど消えているからだと思った。北朝鮮のミサイル発射や中国の香港情勢が伝えられる中で「共産主義」は悪いイメージで語られることが多い。共産党はいっそ党名を変えてはどうかと思う。政治学に詳しい友人に話したら、「民主主義とは詰まるところ平等を目指すことであり、この言葉で説明するならば、共産主義社会とは、資本主義が高度に発達して生産力が高まり、民主主義が徹底された後に来る個人の自由な生き方を可能とする社会だ」と説明してくれた。それならば、民主主義の徹底と個人の自由という価値観を足して、党名を「民主自由党」とするのが分かり易いのではないか。
   自民党には情に厚く信念を持った人が少なくない。しかし党としては国民の多数が願っている選択的夫婦別姓の採用も決められない政党である(選挙中の記者会見では他党は全て選択的夫婦別姓に賛成だった)。サクラを見る会での安倍首相による地元後援者の接待や河井夫妻の選挙買収事件などを見ると、民主的とはとても言えない。議員数が増えた維新も含めて野党議員には、しっかりと国政を監視し、国民多数の願いの実現を阻む者と戦って欲しい。 (先頭に戻る)

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No.270 「核兵器の先制不使用と日本」(2021.11.3)

 広島県に在住の I さんから、ダニエル・エルズバーグの「世界滅亡マシン 核戦争計画者の告白」(岩波書店2020年6月25日発行)を紹介された。エルズバーグ(1931年生)は、ハーバードで経済学・ゲーム理論を研究し、核戦争計画の作成に携わり、国防総省(ペンタゴン)とホワイトハウスで仕事をした人だ。ニクソン大統領のときに、ベトナム戦争に関する機密情報(ペンタゴン・ペーパーズ)の作成に携わり、ニューヨークタイムズなどにリークした罪で訴えられた。終身刑になる可能性があったが、裁判の途中で、大統領側が著者に対する令状なしの盗聴などをしていたことが暴露され、大統領側が敗北した(ニクソンは、ウォーターゲート事件で辞任し、翌1975年ベトナム戦争が終結する)。この本は、後に公開された文書も基になっていて、朝鮮戦争、キューバ・ミサイル危機やベルリン、金門島、レバノン、スエズなどでの核兵器の使われ方を知ることができる。

   10月31日は衆議院議員選挙の投票日だった。朝刊の選挙記事の片隅にワシントン共同記事が掲載されていた(PDF)。それは「バイデン大統領が就任前に、核保有の目的を核攻撃抑止と報復に限るべきだとの考えを示したことに対して、先制不使用政策では核の抑止力が低下するとして、その考えを断念するように日本や英国などがバイデン政権に働きかけている」というニュースだった。2016年にも日本などの同盟国がオバマ政権に働きかけて、断念させたという説明もある。自民党内には、敵基地攻撃能力を持つべきとする議論があるので、ニュースには驚きはしないが、先制使用を容認することは、日米の側が核戦争を仕掛ける可能性を示唆している。日本国民の多数は、そのようなことを願っているのだろうか。
   ロシアや中国は既に多くの核兵器を持っているが、中国は1964年に最初の核実験を行ったときに、自ら先制不使用を宣言している。ソ連は、1991年10月にゴルバチョフが先制不使用を表明し、米国にも加わるように提案したが、ブッシュ政権は拒否してきた。エルズバーグによれば、米国の核戦略の基本は、「ロシアなどから最初に核攻撃された場合に核で報復できるようにすることではなく、相手が核保有国であろうと、なかろうと、通常兵器だけで米国が攻撃された場合でも、米国が先に核兵器を使用できるようにしておくこと」なのだ(9-10頁)。広島、長崎に投下したときのようにだ。この核戦略があるため、米国の大統領は核の先制不使用を宣言できないし、宣言したことは一度もない。

   敵対する2ヵ国(例えば米国と北朝鮮)が、この核戦略(核による戦争抑止論)に従うとすれば、米国は核兵器を手放せないが、北朝鮮も、核兵器を持たざるを得なくなる。しかも、山中に隠したり、潜水艦に核ミサイルを搭載しておいて、米国から攻撃された後にでも核兵器で報復できる余力を持ち続けなければならない。そこまで大量の核兵器を持つことで、米国に北朝鮮を攻撃することをためらわせる(抑止力が働く)と考えられるからだ。北朝鮮は、米国と同じ核戦略を取ろうとしているように思われる。ここに、人類を何度も絶滅させるほどの大量の核兵器を持つに至る理由がある。
   メディアは、北朝鮮が核実験やミサイルを飛ばす、敢えてリスクを冒す政策を瀬戸際外交と呼んでいる。この言葉が初めて使われたのは朝鮮戦争のときだった。米国は「休戦協定を結ばなければ核兵器を使う」と中国を脅した。休戦が合意されたときに大統領アイゼンハワーと国務長官ダレスが、自画自賛して使った言葉だったということだ(349-350頁、ダレスの発言)。その後、中国は核兵器開発を急ぐことになる。エルズバーグの本を読んで、瀬戸際外交とは、北朝鮮だけでなく、日本を含めた核の傘の国と核保有国が今も採用している政策だと知った。この本で核兵器を考える目が開かせられた気がした。 (先頭に戻る)

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No.269 「野党は常に正しいという仮説」(2021.10.14)

 自民党の総裁選挙では、党員票が一番多かった河野太郎氏は、決戦投票で安倍・麻生氏に従う議員票を多く獲得した岸田文雄氏に敗れた(NHK9/29)。一般党員の意見がその党内の民意だとすれば、自民党は全く民意を無視する政党になってしまっている。党内にしてこの状況なので、国民の希望は推して知るべしだ。例えば、選択的夫婦別姓(内閣府)も、原発再稼働への反対(毎日新聞)も、核兵器禁止条約の批准(西日本新聞)も、更には女系天皇の容認(共同通信)についても、今の自民党は、世論の多数派とは逆の立場をとっている。10月13日朝刊に掲載された自民党の選挙公約には、国民の多数派の意見は全く入っていない(逆に、一部の既得権を持つ人たちの意見を入れて、カーボンニュートラル実現に不可欠として原発の再稼働を掲げている)。

   自民党が、国民の声を聞かない政党になってしまったのは、小選挙区制度が原因である。党をコントロールする力のある個人・グループだけが人事や金を握るので、運営が独裁的になった。今は安倍・麻生氏に逆らう議員は徹底的に干されるという怖い状況になっている。
   自民党が野党だった10年前はどうかといえば、今よりは国会審議には熱心だったし、与党(民主党)に対しても、「議事録を残せ」とか「情報は公開せよ」などと主張し、「自分たちは国民の声を謙虚に聞かねばならなかった」と反省もしていた。他方、民主党は政権運営に慣れておらず、役人の使い方もうまくなかったのに加えて、大震災の復興対策と福島原発事故の不手際もあり、一期だけで敗北してしまった。多数の政党が争う中での小選挙区制度は、民意が反映されにくい制度だ(5党が争えば21%の獲得票しかない人でも当選し、8割近くの民意は無視される)。しかし、この制度だったからこそ民主党が政権に就けたことも考えると、政治に民意を反映させられる道はあるに違いない。
   与党には巨大な権力が与えられるが、利害が相反する要望にも応える振りをしなければ票を失う。不祥事があれば隠蔽しても、どこかでボロは出る。そして長期政権は必ず腐敗していく。逆に野党には、しがらみも利権も少ないので、素直に民意を聞くことができる(民意を汲み取れば票が増えて政権に就くことも可能となる)。「民主主義国家では民意を政治に反映させることが正しい」とするならば、議員にとって野党であることこそ、与党になる資格も可能性もあるということだ。この考え方から、おおよそ「野党は常に民意を反映した正しい主張をするという仮説」が成り立つ。この仮説が社会の常識(通説や定説)になるには、試されて検証されなければならない。

   今年、友人と、与党のコロナ対策など安倍・菅政権のやり方について不満を述べあった。友人からは「野党もダメだから」、「似たような主張でどこの党が良いのかわからない」という意見がでた。確かに、野党もダメかもしれない。だが、国民の希望を叶えようとしない与党をそのままにしておけば、与党は国民を更になめてかかるようになる。公職選挙法違反をしたり、あからさまな利益誘導をしたり、感染拡大の中で多額の税金を使うGotoトラベルなどの愚策もやりたい放題になる。それらが嫌ならば、野党に投票するしかない。もし野党が与党になって、それまでの主張を投げ捨ててダメな政策をしたのなら、また、野党に投票して政権を変えるしかない。代議制下の国民主権ということは、そうした行為の繰り返し以外の何ものでもない。小選挙区制度の下でも、政権を交代させることで健全な議員が育てられる。
   「民主主義国の野党は常に正しい主張をするという仮説」は、その過程で検証されることになる。検証するのは、国民の一人一人である。先月9月8日に、立憲民主党、日本共産党、社会民主党、れいわ新選組の4野党の共通政策が市民団体の支えで作成された(⇒記事6項目の共通政策)。核兵器禁止条約の批准をめざす、原発のない脱炭素社会を追求する、選択的夫婦別姓制度を成立させるなど、国民多数の希望事項が共有されている。それぞれの過去を負う政党だが、候補者を一本化できさえすれば、国民の多数派の願いはかなり実現できる。一本化できなければ今の政治が続く。4野党の関係者は大局を見て更に努力をしていただきたい。あとは国民が判断する。 (先頭に戻る)

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No.268 「下弦の月の見分け方」(2021.9.30)

 9月29日の朝8時のラジオで、気象予報士が、「いま下弦の月が見えています。月は午前11時過ぎに西の空に沈むのが見られます」と言っていた。上弦の月と下弦の月の見分け方の説明もあった。それによれば、西の空に月が沈むときに、まっすぐな弦(つる)の部分が下にあるのが下弦の月ということだ。そこで西の上空にカメラを向けて撮ったものが下の写真である。写真では少し傾いているが、確かに下弦の月だ。背景が青いのは、既に太陽がしっかりと出ていて青空になっているためだ。
   
ネットの解説を見ると、「上弦の月は、昼頃に東の空に昇り、夕方頃に南中、そして真夜中に西の空から沈んでいきます。一方、下弦の月は、真夜中に東の空に昇り、明け方頃に南中、そして昼頃に西の空から沈んでいきます。」と書かれている。月が半分だけ光っている状態(半月)は、朝夕にときどき見ていたのだが、ぼんやり見ていただけで、自分にはその意味が分かっていなかったことに気が付いた。下弦の月は真夜中に東の空に昇り昼に西に沈むので夕方は見えないのだ。逆に上弦の月は朝はまだ地平線の下で見えない。これまで朝の出勤時に見ていた半月は下弦の月だったのだ。そして夕方に見ていた半月は上弦の月だったのだ。

   普段見慣れていても、そして言葉は知っていても、その中身を正しく知らないことは、多々ある。昔の人は夜の月や星を良く見ていたから、しっかり観察して、それにふさわしい名前をつけている。私を含めて現代人は、自然を観察する力が衰えているように思う。退職してから生物地理学の本を読むようになり、野鳥や身近なところに棲む哺乳類や昆虫について、自分がほとんど知らなかったことに気が付いた。人間社会はもちろん、植物界、動物界には、面白いこと、不思議なこと、悲しいことや嬉しいこと、はっと気が付くこと、ワクワクすることがある。

   ところで、上弦と下弦の違いもそうだが、右と左、前と後、表と裏、縦と横、行と列、貸方と借方、プラスとマイナス、強いと弱い、勝ち負け、進化と後退(能力消失)など、ときどき逆に理解したり、どっちがどっちだったか分からなくなることがある。私もそうだったが、子供に漢字を書かせると、右と左を間違える子供が少なからずいる。方向は逆でも性質や機能が似ているので間違えやすい。そして間違いとされている見方が正しいと感じられることもある。上下左右などが間違えられる理由は、宇宙空間では上も下も右も左もないことが影響しているのかも知れない。上と下、右と左などは絶対的な位置ではなく、人がそう決めている(定義している)だけだ。上下左右のような相対的な位置関係には、人の思考方法が組み込まれているせいか、人を惑わせる力、あるいは魅力と言っても良い何かがあるように思う。 (先頭に戻る)

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No.267 「自衛隊も米軍も、日本にはいらない!」(2021.9.18)

8月末にアフガニスタンから米軍が撤退した。米軍が支えたガニ大統領は真っ先に逃げた。米国が250兆円もの戦費と2000名を超す米兵の死者との引き換えに得たものは、アフガニスタン人の恨みと不信だけとなった(記事9/2)。2001年の同時テロへの報復で米国がタリバン政権に攻撃を仕掛けた後、小泉首相はブッシュ(子)大統領の期待に応え、後方支援の自衛隊を派遣し、米軍の一員となった(2003記事)。
   毎日新聞8月の時論フォーラムで藤原辰史さんは、アフガニスタンの現地で用水路を開いた中村哲医師の言葉を引用して、「大国に演出された物語には乗るな」と書いている(8/26記事)。
   その物語とは、「生命財産を守る」とか、「民主主義を普及させる」、「国益」などという話だ。残念なことに、軍隊は、医療支援や農業振興などの生命財産を守る機能はほとんど持っていない。戦車や爆撃機では破壊と殺戮が行われるだけだ。資源や利権を奪うという国益なら国際社会で認められるはずもない。
   中村哲さんは、米軍の空爆・誤射が頻繁に繰り返されることで肉親を失った人たちが、タリバンに加わるの見てきた。用水路の工事を手伝うタリバンもいたという。中村さんは、2008年国会のテロ対策の審議で参考人として呼ばれ、「自衛隊の派遣は百害あって一利なし」という意見を述べている。
   先の大戦で日本人は、帝国陸海軍が日本人の生命・財産を守らなかったことを経験した。現在のミャンマーの軍隊は、ミャンマー市民の生命財産を奪っている。世界最強の米軍でも、アフガニスタン人の生活を守れなかったどころか、撤退後も恨みを買っている(例9/18)・・・それが軍隊の宿命なのか。

   「コスタリカに学ぶ会」で時折話を聞く花岡しげるさんが、「自衛隊も米軍も、日本にはいらない!」(花伝社 1500円+税))と題する本を出版された。東大法学部を出て大手銀行に勤め、カリフォルニア大学バークレー校で学ばれた人だ。エリートは体制を肯定する人が多いのかと思っていたが、花岡さんは、この本で思い切った提案をされている。日米安保条約を廃棄して米軍に撤退してもらい、自衛隊を災害救助即応隊(Japan International Rescue Organization: ジャイロ)に変える提案である。敗戦以後の米国に従属した歴史(自衛隊はGHQの命令で作られた組織)と、現在の国民の意識(武力行使ではなく、災害救援活動で自衛隊が国民の信頼を得ている現実、災害大国日本の現実)が踏まえられている。ジャイロは、要請に応じ大地震が起きた海外にも救助に向かう。国境警備は軽武装の海上保安庁などと一体で行う。防衛省を廃止して防災平和省を作り、ジャイロ実現へのロードマップまで構想されている。
   北朝鮮がミサイルを飛ばすたびに、「日米同盟の一層の強化」(日米軍事同盟の強化)を首相が言い続けている現状では、この提案は空想に過ぎないと一蹴されるかもしれない。しかし、米軍であろうと北朝鮮軍であろうと、肥大化し続ける軍隊は、いずれは国民生活を犠牲にすることは分かっている。軍需企業など利権を持つ人達を除けば、大多数の国民の本音は軍事費を減らし、負担を軽くしたいのだ(9/13記事)。米国大統領(トランプもバイデンも)は、それが票になると気づいたからアフガニスタンから撤退したと言える。

   この本は、購入してじっくりと読まれることをお勧めするが、花岡さんのホームページがあるので、先ずは次をクリックしてご覧下さい(⇒ 非武装中立を目指す美しい日本HP)。
   コスタリカは、軍隊を持たず永世中立を宣言している国だ。敗戦後の日本国でも、永世中立国であるスイスの存在を知って「日本は東洋のスイスたれ」という運動があったこともある。スイス連邦の市民はこれまでに軍隊廃止の国民投票を2回行っている(⇒随想No.256)。永世中立国になることで敵国を作らず、自国の軍隊の廃止をめざすことで世界に軍縮を呼び掛ける外交ができる。武力を誇示し合う今日こそ、こうした考え方がとても大事になってきている。 (先頭に戻る)

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No.266 「無症状でウイルス排出する自然界」(2021.9.9)

新型コロナウイルスで一番厄介なことは、ウイルスに感染(PCR検査で陽性)していても、症状が無い人がいて、咳も出ていないのに口の中から大量のウイルスをまき散らし、周囲を感染させることだ。こんな状況は以前には聞いたことが無かった。だから、「症状がないのに感染したと言えるのか」、「だったら自分は既に感染しているかも」などと言う人もいた。新型コロナが広がり始めた昨年2月頃は、感染症の研究者ですら、「夏になればインフルエンザと同じように収まるだろう」など、随分と楽観的な発言をしていたので、その程度にしか人類は自然界のことが分かっていないのだと感じていた。

   最近、
「鳥の渡り生態学」(樋口広芳編東大出版会)を読んで、次の記述が目に留まった。
   ヒトに感染するインフルエンザのA型(AIV)は、哺乳類や鳥類にも幅広く感染する人畜共通感染症である。そのAIVの中の病原性が強い高病原性鳥インフルエンザ(HPAI)のウイルスの変異株をカモ類に接種したところ、「HPAI-H5N1株はホシハジロで発症率が高く、HPAI-H5N8A株は、マガモ、コガモ、ヒドリガモ、ホシハジロのどの種も発症しなかったが、ヒドリガモは、ウイルスの排出量がもっとも多く、HPAI-H5N8ウイルスの重要なキャリアになっている可能性が示された⇒(2018論文)」。
   カモの種類の中には、高病原性鳥インフルエンザに感染していても何の症状(食欲減退・神経症などの病的状態と死亡)もないのに、ウイルスを排出して他の鳥(大型の水鳥、鶏、猛禽類)を感染させて死に至らしめるものがある。こうした現象は、カモ類とウイルスとの関係に限らず自然界では当たり前に見られることなのだろう。ヒトの場合は、不快な症状が出て初めて医師の診断を受けるのだから、意識されてこなかっただけかもしれない。
  
   「鳥の渡り生態学」には、衛星用送信機、ジオロケーター、レーダーなどの機器の発達があり、野鳥観察への市民参加も加わって、鳥の渡り研究が飛躍的に進展してきたことが紹介されている。多くの渡り鳥の渡りのコースが分かって、絶滅の恐れが強まっている種や渡り鳥に重要な中継地の存在も少しずつ明らかになってきた。渡り鳥が運ぶ鳥インフルエンザは養鶏業に大きな影響を及ぼす。日本でも野性鳥類の疫学調査が継続してなされている。そうした情報は環境省などサイトで見ることができる(⇒環境省の調査県の防疫措置の例)。新型コロナウイルスの場合、宿主はコウモリだとも言われているが、はっきりはしていない。医学、獣医学、動物生態学などの研究者の連携も始まっているようだ(参考1参考2)。新型コロナを切っ掛けに、医療や研究体制の問題点が人々に知れ渡ってきたように思う。医療体制の充実とともに、感染症研究や野生生物保護の対策がしっかりと進められることを切に願っている。 (先頭に戻る)

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No.265 「取返しのつかないことの回避法」(2021.8.28)

解剖学者の養老孟司さんが、「自分が医者にならなかったのは、ちょっとしたことで患者が簡単に死ぬのが怖かったからだ」とテレビで話していた。「判断の誤りや未熟な技術で患者を死なせることがあるが、その死は心に重くのしかかる。自分は何人の死者まで耐えられるだろうかと考えたとき、臨床医になるのを諦めた」ともおっしゃっていた。 確かに、そういう気持ちが起きることは想像できる。人が死ぬのを見聞きするのは嫌だが、自分がそれにかかわることはもっと苦痛だろう。
   普通の市民には、人間を撃てと命令されても撃ちたくないという心理が働く。だから、兵士の訓練では、平然と人を殺すことができるように、日ごろからわざと残虐な行為をさせることがある。先の戦争で日本軍は、訓練と称して、理由なく部下を殴ったり、理不尽なイジメを行ったりした。そうした残虐さを勇気があると称賛する異常な時代でもあった。

   8月18日に地元の市民ホールで、劇団民藝の演劇
「夏・南方のローマンス」という作品を観た。コロナの感染が、市内で100人を超えるようになっていたので、参加者は半分以下(前後左右の席は空席状態)だったが、劇自体は迫力があり面白かった。劇のタイトルは、木下順二作の「神と人とのあいだ」の第二部からとられている(第一部はA級戦犯の裁判の話)。第二部の主要場面は、南方の島で島民66人を虐殺した日本軍守備隊を裁くBC級の犯罪の軍事法廷だ。虐殺を命じた参謀中佐はうまく立ち回ってほぼ無罪になり、島民との通訳として島民をかばう役割をした上等兵は絞首刑になる。ローマンスとあるのは、上等兵の妻と上等兵を慕っていた女漫才師とが、生き残った戦友から事件の真相を聞き出して、真相を伝えていく筋立てになっているからだ。

   木下順二については、「夕鶴」が有名で、美しいが悲しい劇の作者として記憶していた。「神と人とのあいだ」のような戦争責任を問う作品があることは知らなかった。劇団民藝のパンフレットによれば、1974年の作品の初出の際に、木下は「戦争責任の問題はもう終わったのか」という一文で「問題意識を深めようとしない日本人の精神のもろさ」について触れている。新劇の良心ともいわれた木下順二は、2006年に92歳で亡くなっている(記事)。
   私自身は、戦争を引き起こした「精神のもろさ」は、現代の会社組織にも役所にも、地域社会にも政治やスポーツ・教育界などにもあると感じている。面倒なことや嫌なことにかかわりたくないばかりに、議論を避けて引きずられていく「なあなあ」の態度である。こうした態度が生活の知恵としてうまく機能することは否定しない。しかし生死にかかわる問題、事実と違う重大な嘘については、「ダメなものはダメ」、「本当はこうだ」と理由をあげて言い続ける必要がある。独善や見て見ぬふりは逆効果である。取り返しがつかないことを避けるには、冒頭の養老孟司さんのように最初からそのような場に身を置かないでいるか、「夕鶴」の鶴女房のように優しい気持ちは持っていても、自分にも他人にも「なあなあ」を許さない毅然と態度でいることが必要だと思う(「精神のもろさ」は私にもあるので、いずれにしても容易ではないのだが)。        (先頭に戻る)

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No.264 「患者は薬の効果をどう評価する」(2021.8.22)

70歳を過ぎれば立派な老人だ。骨や血管、細胞の機能が衰え、組織がもろくなったり縮んだりする。それを補うためいろいろな薬のお世話になることが多い。私の場合は、緑内障用の点眼薬(ミケルナ配合点眼薬)を1日に1回さすことになっている。これは、緑内障の進行に影響する高眼圧を下げる効果があるとされている。2か月に1回眼科医で眼圧を計測して眼圧が十分に低くなっていることを確認できるので、薬の効果があることが素人でも理解できる。
   それから、網膜が薄くなって障害が出る恐れがあると診断されて、網膜の保護に役立つ血流を良くする飲み薬(カルナクリン錠50)を1日2回飲んでいる。この薬は、網脈絡膜の循環障害の改善に効果があるとされている。1日3回投与が標準だが、私には2回の処方なので、私の網膜の状態はそれほど深刻なものではないのかもしれない。血管拡張作用があるため、脳出血直後などの患者には使えないという禁忌がある。
   更に、腰椎すべり症と診断された6月から、足のしびれをとるために、整形外科で処方された飲み薬(リマプロストアルファデクス5μg錠剤)を1日3回飲んでいる。説明書には、効果として「後天性の腰部脊柱管狭窄症に伴う自覚症状(下肢疼痛、下肢しびれ)および歩行能力の改善」と書かれている。私の症状にピッタリだとは思うが、目に見えて改善している実感はない。薬の説明には、「腰部脊柱管狭窄症に対しては、症状の経過観察を行い、漫然と継続投与しないこと。」という注意事項が書かれている。医師は「強い薬ではないので、しばらく使って下さい」と助言してくれた。

   コロナワクチン接種の申込みの際に、「いつも飲んでいる薬」の欄に、上記2種の薬を記載した。ワクチン接種で何かの影響がでるのかと少し心配ではあったが、記載を見ても医師は何も言わなかった。
   薬剤の効能などの基本情報は、医薬品の添付文書や学術的資料(インタビューフォーム)などの説明書にある。ここにはめったに起きない副作用なども詳しく書かれている。余り神経質になるのもどうかと思われるが、患者としては、治療中に異常が起きたときに適切な対処ができるように、あるいは、長期にわたって使い続けるような場合の影響もあり得ることを考えて、説明書の内容もある程度は知っておくべきだと思う。
    患者としての素人が勝手な判断をすることは危険が大きすぎるが、医師だって完全ではない。医師の側が、自分が出した処方を薬剤師にチェックしてもらうことを期待しているという調査結果もある(資料pdf)。だから、治療の基本は「患者は、医師や薬剤師など専門家の話を良く聞き、疑問があれば問い合わせて、納得した上で決める」という考えが大事だろう。    (先頭に戻る)

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No.263 「戦争の惨禍を伝える言葉」(2021.8.17)

 今年も昨年と同じ内容の文章を書くことになった(No.228No.186)。
   コロナウイルスの感染拡大で都に緊急事態宣言が出された中で、76回目の終戦の日を迎えた。政府主催の全国戦没者追悼式をテレビで見てがっかりした。菅首相の式辞は、安倍前首相と全く同じ内容だったからだ(全文) 。安倍政権をそのまま引き継ぐ条件で首相になったのだから驚くことではないのだが、310万人(軍人と軍属230万人、民間人80万人)もの犠牲者の追悼にあたって、同胞の死を悲しく思う気持ちも、戦争を引き起こした日本政府としての反省も表明されなかった。

   アジア諸国への加害責任や謝罪の言葉もないのだから、「戦争の惨禍を繰り返さない」と言っても、侵略されたアジア諸国民が信じてくれるとも思えない。菅首相の式辞で目立つのは、戦没者を表現する「み霊」(みたま)という言葉だ。「み霊の御前にあって」、「み霊安かれと」、「み霊に平安を」と「み霊」は3回も使われている。そして、戦没者に対して「改めて、衷心より敬意と感謝の念をささげます。」と述べている。
   天皇陛下がおことば(全文)で、「かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにします」、「過去を顧み、深い反省の上にたって」と述べていることとは対照的だ。首相の式辞は、まるで、大宰府に追いやられ死んだ菅原道真の霊魂の祟りを恐れた貴族が、道真を北野天満宮に祭ったように、ひたすら「祟らないでくれ」と哀願しているかのようだ。広島の原爆式典でも文章を読み飛ばしたほどだから、責任感が薄い人なのかもしれない(記事)。
   8月には、先の戦争にかかわる激戦地、原爆、空襲、大陸や太平洋の諸島での日本人の行動が、新たに発見された文書や当事者の証言でドキュメンタリーとして放映される。そこには、20代前後の兵士の不安、遺族の悲しみ、飢餓や被爆で苦しんだ実態が描かれている。90歳を過ぎた人たちが涙をしながら、あるいは、苦悩に満ちた表情で語るのを見ると、胸が締め付けられる気がする。

   菅首相は、なぜ「敬意と感謝の念をささげます」と言ったのか。靖国神社は、もともと明治政府が政権側の兵士で死者になった人と遺族を慰める神社である。戦争に動員して死に追いやった人の遺族から政府が恨まれないための装置だった。首相の式辞は、靖国神社の前で捧げる言葉のようである。「帝国のために兵士となってくれたことに敬意を表する。死んでくれたことに感謝する」と言っているように思われる。戦後76年たっても、政治家の一部には、まだ、大東亜戦争を肯定している人たちがいるようで、とても不愉快になる。
   今日の新聞には「惨禍の記憶 継承誓う」との見出しがあった(毎日8/17)。戦後生まれの私たちは、戦争の惨禍を記憶して伝えていかなければならないが、政府のトップが、過去の惨禍の事実を忘れ、その原因を見ようとせず、人の死を悲しむことさえないのなら、再び戦争の惨禍は遠慮なくやってくると覚悟しておかなければならない。    (先頭に戻る)

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No.262 「猛暑・パンデミック・オリパラ」(2021.7.29)

このところ日本列島は真夏日(30℃以上)や猛暑日(35℃以上)が続いている。7月28日に台風8号が太平洋側から東北地方に上陸した。以前の台風は日本に近づくときには西から進んできていたが、近年は、直接関東地方に上陸するなど進路が変わってきた。海水温が高くなって蒸散量が増え、降る雨の量は半端ない。地球温暖化という言葉は穏やかな表現だが、実際は気候の激変である。温暖化を促す炭酸ガスの排出量が減り始めるのは、うまくいっても10年以上先になるので、思いやられる。
   一昨年末の中国発の新型コロナウイルスは、またたくうちにパンデミックとなった。世界全体では、これまでに2億人ほどが感染し、400万人がコロナが原因で死亡している。ワクチン接種回数は7月になって世界で20億回を超えた。しかし、
世界人口は78億人(2020年推計)ともいわれているので、人類の大半が感染してしまうか、ワクチン接種をすませるかするまでには、少なくも数年は覚悟しておかなければならないだろう。新型コロナは分からないことが多い。当初は「風邪のようなもの」、「夏になれば収まる」などという見方もあったが、現実は予想とは全く違っていた。

   そんな中で、7月23日にオリンピック開会式があり、原則として無観客で各種の競技が始まった。しかし、真夏日や猛暑の中での開催、パンデミック下での開催は割り切れない感じがする。オリンピック憲章(2020年版)のうち、オリンピックの理念(オリンピズム)の原則とIOCの使命と役割には次のような記述がある。
   (原則2)オリンピズムは、人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会の推進を目指すために、人類の調和のとれた発展にスポーツを役立てることである。
   (原則4)スポーツをすることは人権の1 つである。すべての個人はいかなる種類の差別も受けることなく、オリンピック精神に基づき、スポーツをする機会を与えられなければならない。
   (IOCの役割8)男女平等の原則を実践するため、あらゆるレベルと組織において、スポーツにおける女性の地位向上を促進し支援する。
   (IOCの役割11)スポーツと選手を政治的または商業的に不適切に利用することに反対する。

   一部の競技を除けば、日本での真夏のスポーツ大会の開催は適していない。この時期に敢えて開催するのはアメリカ大手メディアの放映権を巡る商業主義が背景にある(⇒BBC記事7/29)。オリンピック憲章とIOCの行動は一致していないことが良くわかる。スポーツ自体は楽しく、健康にも役立つし、感動も与えてくれる。選手たちには悔いのないよう活躍して欲しいとは思うが、猛暑の中、パンデミックの中でのオリンピック開催が妥当だとは、とても思われない。これは、IOCや国民の健康に責任を持つ開催地の政府や都市が考える問題だ。コロナデルタ株の拡大で感染者数が急増している(7/29の東京都は過去最高の3865人)ことを考えると、中止又は延期の措置がとれなかったものか。10年後の開催でも良かったのにと思う。

   世界のアスリートを1か所集めて競技をするのは良いことであるが、「スポーツをすることは人権」というオリンピックの基本理念からすれば、身近なところでスポーツができるようにすることがもっと大事である。体育館やスポーツ公園などを充実させてほしい。私の家の近所には小さな公園が数か所あるが、全て「ボール投げ、サッカーなどは禁止」という掲示が出ていて、子供らがスポーツをする人権に配慮されているようには思われない(金を出してジムに行くことは誰にでもできることではない)。学校の体育館などが市民に開放されているが、場所が限られている上に、今はコロナで使用禁止状態が続いている。 (先頭に戻る)

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No.261 「ワクチンを巡る数字の誤用」(2021.7.22)

先日、Oさんからメールが転送されてきた。内容は「鳥取県でワクチン接種後の死者は1名増えて6名となった」というニュースだった(7/19山陰放送)。元の発信者のWさんは、「鳥取県では、コロナ感染者の方が2名に対して、ワクチン接種後に亡くなられた方は6名」(ワクチン死者6人>コロナ死者2人)と書いていた。Oさんは、ワクチンは有害という根拠としてこのメールを転送したようだ(ちなみに「>」は中学校で習う数学記号で「大なり」と読みます)。しかし、6名と2名の死者数の比較で、ワクチンの危険性を語るには、あまりにも乱暴であり、統計数字の誤用でもある。私は昨日Oさんらに以下の考えを伝えた。

   鳥取県のコロナ感染者数(陽性者数)と感染者のうちの死者数は、7月20日現在でそれぞれ598人と2人である。だから、感染して死者になった人の比率は、2÷598×100=0.33(%)である。
   他方、鳥取県のワクチン接種状況は、7月18日までに1回目接種者が215,348人、2回目接種者が146,939人であった。新聞には何回目の接種によって死亡したのかは記載されていないので、2回に分けて考えてみると、2回目の接種の死者の比率は、6÷146,939×100=0.0041(%)、1回目の接種の死者の比率は6÷215,348×100=0.0027(%)となる。
   感染者の死亡者数2人とワクチン後の死亡者数6人を、感染やワクチンのリスクとして比較するのは間違いである。それぞれの分母になる数字が異なるからである。比較すべき数字は、前述の、0.33(コロナによる死亡率)と、0.0041又は0.0027(ワクチンによる死亡率)でなければならない(計算:0.33÷0.0041=80.4、 0.33÷0.0027=122.2)。
   この数字は、コロナ感染による死亡リスクが、ワクチンによる死亡リスクと比べて、80倍~120倍高いことを意味している。山陰放送の記事には、「ワクチン接種後の死亡がワクチン接種と関係があるのかどうかは不明」と書かれている。仮に6名全員の死亡がワクチン接種と関係していたとしても、鳥取県におけるコロナ感染による死亡リスクは、ワクチン接種による死亡リスクよりも遥かに大きいと分かる。

   不安を煽る情報は流布しやすい。7月21日の毎日新聞記事によれば、アメリカでワクチン接種を拒んでいるのは白人の保守層(トランプ支持者が多い)というイメージが強いが、実際に接種率が低いのは、これまで医療の機会が乏しかった黒人やヒスパニック(中南米系)ということだ。「ワクチンを打てば数年後には体に変異が起きる」、「政府は黒人やヒスパニックを殺そうとしている」などというデマが広まっているらしい。背景には、黒人やヒスパニック系の人々の医療や政府への根深い不信がある(記事7/21)。
   日本でも血液製剤をめぐる厚生省の隠蔽事件などによって、ワクチン接種に不信感を持つ人が少なからずいる。政府やメディアはもちろん、私たちも、科学や医学に基づいた理解と対応が求められている。 (先頭に戻る)

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No.260 「コロナワクチンを接種した」(2021.7.11)

新型コロナ感染症の対策は、ウイルスに接触しないことである。だから、マスクをして他人との距離を保つこと、手洗いとうがいが基本の対策である。そして、自分の体を健康に保ち、免疫力を高めて、ウイルスに接触しても症状が軽くてすむようにすることだ。
   感染者といっても、PCR検査で陽性になったというだけだ。熱がある、喉が痛い、呼吸が苦しい、味覚がないなどの症状が出ない人もいる。自覚症状が無い人がウイルスを撒き散らす点が恐ろしい。7月10日までに日本では、81万6千人の感染者数に対して、死者数は1万4千9百人(1.8%)となった。
   感染者の中では、高齢になるほど死者の比率が大きい。ワクチン接種が始まる前の今年4月19日時点の年代別死亡率(
NHKデータ)を見ると、40代0.1%、50代0.4%、60代1.7%、70代5.2%、80代11.1%などとなっている。若い人に比べて高齢者の死亡率が高いというのは、コロナに限らず、癌、老衰、交通事故などに見られるが、コロナ感染が無ければ、高齢者の死亡するリスクが減るのは確かだろう。
   一般的にワクチンは、感染を抑え症状を軽くする効果がある。私も子供のときは結核予防のBCGワクチン、日本脳炎のワクチン注射を打った記憶がある。今でも、毎年インフルエンザのワクチンを打つ。新型コロナワクチンの接種は、医療関係者に次いで高齢者に優先して始まった。コロナの感染が続いており、感染力が強い株の増える状況では、ワクチン接種は、特に高齢者にとって意味がある。

   私が打ったファイザー製のワクチンは、従来のワクチンとは違ったm-RNAを利用した初めてのものである。パンデミックの中で緊急認可された薬品なので、安全性について心配があるのは当然である。海外での接種状況や医療関係者の接種結果によって、感染予防効果は90%程度であり、痛みや発熱などの副反応のほか、アナフィラキシー、心筋炎などが起きることが分かってきた。厚労省専門家会合では、ワクチン接種との関係は不明だが、接種後に死亡例(454件)も報告されている(7/7資料ファイザー死亡事例モデルナ死亡事例)。副反応が強く出るのは高齢者ではなく若い人に多いこともわかってきた。。
   以上のような情報を得た上で、私は、6月16日に1回目、7月7日に2回目の接種をした。副反応としては、注射をした腕の腫れと痛みが2日ほど出た。他に鼻の下に熱の吹きでの兆候が見られた。梅雨時で除湿エアコンをかけていて通常の風邪になりかけだったのかもしれない。ワクチン接種とは関係がないかもしれないが、時系列的には接種後に起きたことである。 5月末に出た腰椎すべり症の症状が、もしもワクチン接種の直後に出れば、ワクチンとの因果関係を疑いたくなるのは人情だろう。
   ワクチン接種の是非を自分で判断することは難しいと思った。効果があると言われても、10万人に1人の死亡がわが身に起きるかもしれないと思えば、多少は心配になる。また、新聞・テレビの報道、厚生労働省の報道、専門家の解説は多いが、ネット上には、怪しげな情報もあふれている。それらの中には「大手メディアが書かない真実」などとまことしやかな解説もある。「m-RNAワクチンは、体内に残りつづけ、2年後には接種を受けた人全員が死ぬ」、「ワクチン接種でかえって感染したときに症状が重くなる」などという怖い話もある。オカルト話やトランプを支持したQアノン情報のようだが、医師の中にもそうした話を拡散している人がいる。ワクチン調達担当大臣の河野太郎氏が自分のサイト「ごまめの歯ぎしり」で、デマの流布を批判していた(太郎サイトコビナビ)。政治家の話は、割り引いて見ることにしているが、このところ、ワクチンを怖がらせるだけのデタラメ情報を沢山見たので、河野太郎の書いていることは良く分かる。 (先頭に戻る)

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No.259 「キネマの神様と評論家について」(2021.6.30)

6月9日に地元で劇団「青年劇場」による「キネマの神様」を見た。右足のしびれと痛みは残っていたが、2ヶ月に一度の楽しみなので、マスクをして、バスに乗ったり、休み休み歩いたりして演劇会場の市民ホールに出向いた。座席は6割ほどが埋まっていた。この作品は、原田マハさんの小説「キネマの神様」を下敷きにしている。今年の8月には山田洋次監督による同名の映画として公開が予定されている(記事)。
   映画を愛する人達が、あることが切っ掛けで、観客の激減が続く地元の「名画座」の維持存続に挑む話だといえば、ある程度想像がつくかもしれない。失業、引きこもり、ネットオタク、エンタメ総合複合施設の出店などの話が、現代の世相を反映させている。登場人物の個性や生き方は魅力の一つだが、私にとってこの物語りの面白さは、映画作品の批評に関わる者(評論家)の姿勢や意見の対立(文化や人生観の違い)だと思った。話題になる映画には、実際に私が過去に見たものも含まれている。だから評論をする人のせりふ(発言)には、「そのとおり」と賛成することもあるし、「違うだろう」と反撥したくなることもある。
   演劇会場には、原作の文庫本(文春文庫)が販売されていたので、購入(680円+税)した。芝居では描ききれなかった登場人物の背景などが知れて、面白く読めた。

   ところで「評論」とは、物事の単なる説明や紹介ではなく、「価値・善悪・優劣などを批評し論じる」ことである。芝居や映画では「評論家」によって多少の意見の違いが出てくる場合もあるが、価値観が大きく異なる人が意見を闘わせるようなまともな「評論」は、難しいだろうと想像している。特に出版社や映画会社などが、自社の作った作品についての「評論」を出しても、宣伝の一種と見なされるのがおちだし、作品をけなすだけの評論では、売上げが減る恐れが出てくる。だから、本来「評論」は、作品や作者とは全く利害関係の無い人達が、遠慮なく意見をぶつけ合う場合に限ったジャンルではないかと思う。「キネマの神様」の場合は、匿名の外国人(後に有名な映画評論家と分かるが)と映画が大好きな素人の日本の爺さんとの率直な「映画評論」の掛け合いになっているからこそ、「評論」の面白さが直に感じられるのだ。対立するものの見方を含むものだからこそ、「評論」は面白いとも言える。

   書籍にせよ、映画や演劇にせよ、見た人が楽しかったり、感動したり、有益だと判断するならば、それは売上げや入場者数に反映されるので、その数字自体が作品の評価になっているのではないかと思う(感想を述べるだけで万人が評論家になれるという考え方)。また、「評論」という仕事は、一家言(その分野の知識)のあるような読者や鑑賞者にとっては、余計なお世話ということにもなる(専門家は誰しもその分野の評論家という考え方)。更には、入門者向けの紹介記事や単なる説明ならば、「評論」という名には値しないとも言える(紹介や説明で十分という考え方)。
   このように考えると、「評論」という行為や職業としての「評論家」が成り立つというのは、ちょっと不思議である。世の中には本当の「評論家」などはおらす、例えば、作家、大学教授、タレント、スポーツ経験者などが、「評論らしきこと」(その殆どは単なる紹介や説明)をしているだけなのかもしれない。もちろん、「評論らしきこと」であっても、自分の知識や視野を広げてくれたり、楽しくなったりすることもあるので、無視はできない。

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No.258 「日の出とともに鳥はさえずる」(2021.6.18)

腰椎すべり症によって、当初は仰向けでは寝られない痛みが続いていたが、膝の裏側に枕状にしたふとんを差し込んで足を浅く持ち上げるようにすれば、仰向けでも何とか寝られる状態になってきた。それでも、時間が経つと右足から太ももにかけて不快感が生じて、午前3時前後には目が覚めてしまう。
   そこで気がついたのは、午前4時を過ぎると、やたらと鳥の鳴き声(さえずり)が激しく聞こえることだった。「ピーピー、ピーヨピーヨ」という声に混じって「キッ、キッ」という声もあり、複数の個体が呼応しているようにも聞こえる。このところ暑い日もあって網戸にしているので、鳴き声は余計に大きい。
   昼間、家の周辺で見かける鳥は、カラス、ハト、ツバメ、スズメ、メジロ、ヒヨドリ、オナガなどだ。私の部屋の前は農家の裏庭になっていてケヤキ、クスノキ、椿などが数本あるので、その辺りで鳴いているのだろう。暗闇で姿は見えないが、声の主はヒヨドリのようだ。

   この時期の日の出は、例えば東京の6月18日は午前4時25分であるが、この数日、鳥のさえずりが初めに聞こえたのは午前4時3分~5分の間だった。殆ど同じ時間だ。東の空が少し明るくなってくる時刻だから、鳥が日の出を意識していることは間違いないだろう。
   
日本野鳥の会の会誌に、仙台市の寺山さんが12種の鳥(カラス、ヒヨドリ、スズメ、トビ、キジ、コジュケイ、ハクセキレイなど)について1年間調べた結果によれば、「これらの鳥が鳴き始める時刻は、全体的に日の出の時刻にほぼ一致しているが、6~7月ごろは早めに鳴き始め、9月ごろは遅めに鳴き始めた」、「トビは天候によっても鳴き始める時刻に有意差あり」などと要約されている(論文1991pdf)。
   6~7月は、野鳥の求愛、産卵、子育ての時期だから、縄張りを主張したり、雌へのアピールが必要だ。雛への給餌はもとても忙しいから、日の出などは待っていられない・・・という事情があると推測できる。

   灯を使うようになる前の人間は、鳥と同じように夜明けとともに起き、陽が沈むと寝るという生活をしていたのだろう。今の私は、朝7時過ぎに起きて、夜11時過ぎに寝るという生活をしている。電気も使うし、長く起きていれば食べものもたくさん食べる。パソコンに向かう時間が長ければ姿勢も悪くなり、目も悪くなり、腰痛にもなる。こうした生活の結果、腰椎すべり症になってしまったのだと考えれば、お天道様が私に夜明け前の鳥のさえずりを聞かせて、「野鳥のような生活もあるんだよ」と教えているのではと、自省の気持ちが湧いてくる。 (先頭に戻る)

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No.257 「痛みには勝てないけれど」(2021.6.5)

しばらく随想を書いていなかった。2週間前から右足が痛くて書く気力が失せてしまったためだ。
  初めは右足が重く感じていたが、翌日には伸ばすと痛くなり、更に翌日には、歩くたびに、右の腰からもも、足の裏まで痛くなってしまった。悪いのは仰向けになると背中から右足が引っ張られたように痛くて眠れないことだ。横向きで寝ているが痛みで何度も目が覚める。こんなことは初めてだ。
   腰痛や五十肩でお世話になったことのある整骨院に行って、マッサージや痛み止めの鍼をうってもらった。数日して激しい痛みは治まってきたが、夜寝られない状態は続く。整形外科でエックス線写真を撮ってもらった結果、
腰椎すべり症と言われた。脊椎管狭窄症に近いが、背骨全体ではなく腰椎の一部がずれていて神経を圧迫するというのだ。痛みが出ても少し休むと、しばらくは痛みが治まって歩けるようになる特徴(間歇性跛行)がある。消炎鎮痛剤(ロキソプロフェン)と胃薬(デプレノン)、血流を良くする薬(リマプロストアルファデクス)を1週間分処方してもらった。痛みが取れれば良いが、それでも改善されないときは更に検査をする必要があると言われた。

   おそるおそる動くので余計に痛みを感じる。上半身は痛くはないが、腕を上げると右足の先が痛くなるので、神経が繋がっていることを実感する。痛みがあると随想を書く気力は失せる。退屈なので、朝井まかての小説を2冊読んだ。
   1冊は「先生のお庭番」だ。これは、シーボルトが日本の植物をオランダに運ぶために出島に作った植物園の園丁(えんてい)の話。園丁は熊吉(コマキ)という15歳の若者だ。熊吉がシーボルト先生の指示で植物を集め、育てて木箱に入れてオランダ船に乗せる話だ。船はバタビア経由でオランダに7ヵ月かけて着く。海上では水やりができず潮をかぶる。船倉は光もわずかだ。始めは全て枯れるが、熊吉は何年もかかって、透明な油紙で覆うなどの工夫をして、数十種の生育中の植物を送ることができた。もちろん有名なシーボルトと妻(オタクサ)の関係やシーボルト事件の経緯なども書かれていて、歴史小説として面白く読むことができた。人間関係や感情表現など男性の作家とは違う視点を感じる。
   もう1冊は「雲上・雲下(うんじょう・うんげ)」。竜宮城の亀や九尾のキツネの子供、山姥、湖に棲む竜、かさこ地蔵、羽衣伝説などが関わりをもって語られるファンタジーである。目先の利益におぼれる現代人の生き方の批判の話にもなっているし、物語りを作る作家自身の昔話への思い入れが感じられる。昔話に出てくる「わらじ」や「地蔵」、「田螺」などに接することの無くなった現代人が、昔話を引き継いでいけるのかなどと、頷きながら読み終えた。

   それにしても、この腰椎すべり症は、直ぐには完治しないそうだ。整骨院の柔道整復師は、「老人にはよくある症状なので気長に直しましょう」と、にこやかに話しかけてくれる。来週からは、予防に役立つ体の動かし方(体操)を教えてくれることになった。長いことかかって悪化してきたものだから、急に良くなるものではないと頭では分かっている。「時間をかけて植物を育てるように筋肉を鍛えることが必要だ」と自分に言い聞かせている。 (先頭に戻る)

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No.256 「永世中立国スイス連邦の憲法」(2021.5.20)

スイス(スイス連邦)は、アルプスの風光明媚な観光地との印象が強いが、永世中立国として有名である。日本は、大東亜戦争終結の交渉をスイスを通して行い、スイスが世界大戦に加わらなかったことを知って、「日本は東洋のスイスたれ」という声が起きた(小学5年の私の担任からも聞いた)。
   スイスが永世中立国になった理由は、過去に同じ地域の者同士が傭兵になり、欧州各地で殺し合う悲劇があったからだ。30年戦争後にスイスは神聖ローマ帝国から独立(1648年ウエストファリア条約)、フランスの従属国となり、ナポレオン没落後1815年のウイーン会議で永世中立国として認められた(
歴史)。
   スイスは幾つかの自治体(カントンと呼ばれる小国)からなり、公用語はフランス語、ドイツ語、イタリア語、ロマンシュ語が採用されている。主な宗教は、カトリックとプロテスタントである。第一次世界大戦にも第二次世界大戦にも加わらなかったのは、永世中立国のプライドだろう(ナチスの政策に惹かれた若者も多かったようだ)。現在、国連には加盟しているが、EUには加盟していない。

   スイス連邦は、永世中立国であることを憲法で定めているわけではない。1999年に改訂された憲法の前文では端的に国民の決意を表現している。
   前文 「全能の神の名において!スイス国民とカントンは、被創造物に対する責任を自覚し、世界と連帯し、世界に開かれた中で自由と民主主義、独立と平和を強化するために、連邦を革新することに努力し、共同の成果と将来世代に対する責任を自覚し、自らの自由を用いる者のみが自由であることを、国民の強さは弱者の福祉によって測られることを確信して、以下の憲法を制定する。」(新解説世界憲法集第5版p261)。(別の翻訳例⇒南山大学小林武先生の試訳

   前文では、「世界と連帯し」、「世界に開かれた」などの言葉が中立政策を暗示している。自由、民主、独立と平和など、どの国にも共通する価値観が掲げられているが、後半部分は印象的だ。スイスので政治制度の特徴は、国民イニシアチブと呼ばれる直接民主主義である。18ヶ月以内に10万人の署名を集めれば、憲法改正案が国民投票に付されることになる(憲法138・139条)。議会や政府が提案する憲法改正案を国民がブレーキをかけるレファレンダム制度(国民投票)とは異なり、国民の自由意志を尊重する積極性を持っている。末尾の「国民の強さを弱者の福祉の程度で評価する」と言う考え方は、世界の大国が、GDPなどの経済力や軍事力の大きさを国力(国民の強さ)と考えているのとは全く逆である。平等や福祉に最大の価値を置くことを信念としていて、他国の憲法前文には見られないものであり、感動的でさえある。
   もちろん、永世中立国のスイスであっても、憲法の示す理想と社会の理想には、少なからぬギャップがある。徴兵制によるスイス軍は、第二次大戦下では、ナチスに追われ逃げ込んできた連合軍(4万2千人)の武装解除を行ったりしたが、徴兵制自体は国民にとって負担でもある。スイス連邦の軍隊の基本は、徴兵される一般市民によって構成される民兵組織である(憲法第58条)。専門家の軍人(常備軍)はおよそ4,000人である(日本の自衛隊員は約24万人)。成立には至らなかったが、これまでに軍隊廃止の憲法改正案の国民投票が2回行われている。冷戦の終わった1989年には2つのカントンで賛成が過半数を占めた。2013年には2回目の軍隊廃止の改正案が国民投票にかけられた(73%の反対で否決)。私は、こうした動きを、国民の自由意志によって軍隊を廃止できる可能性を示すものとして注目している。 (先頭に戻る)

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No.255 「人々の選択:憲法の理想と現実」(2021.5.10)

5月3日は憲法記念日だ。毎日新聞が4月18日に行った世論調査によれば、改憲賛成は48%(男58%・女32%)、改憲反対は31%(男29%、女35%)となった(記事)。他紙では数字は異なるものの(朝日読売)、改憲に賛成の人が増えている。こんな中で、5月7日憲法改正の投票手続きを定めた国民投票法の改定案が、共産党を除く与野党の賛成で衆議院の憲法審査会で成立した。今回の改正では、駅や商業施設などで共通投票所を設けることが決まったが、懸案だったCM規制については盛り込まれなかった。立憲は、「CM規制ができるまでは国民投票はあってはならない」としているが、自民・公明は、「改憲の議論や発議は可能となった」と判断している(5/7記事)。改憲へ向かうアクセルとブレーキは、今や、国民の理解力と判断力にかかっている。

   世論調査で数字に相当の開きがあるのは、新聞社の政治姿勢の違いを反映しているためと思われる。朝日新聞が改憲に慎重であるのに対し、読売は改憲を願っている(朝日社説読売社説)。その姿勢が質問に反映し回答を誘導することもある(読売は「改憲議論は当然だ」と主張している)。また、毎日新聞の世論調査の回答では、男女の改憲姿勢にかなりの開きがある。焦点が自衛隊にかかわることなので、暴力や戦争に対する男女の見方が反映しているのだろう。女性は、暴力の被害者になり易く、男性は、女性に比べて腕力を誇る気分が強い。私の経験では、男性は物事を単純に割り切ることが多く、女性は同時にいろいろなことを考える特徴があるように思う。家族の役割は変化してきてはいるが、男性が外で働き、出産・育児を担うのが女性という現実の反映かも知れない。
   私は、憲法は、これを改正しなければ法律が機能せず、国民の生活が困るほどの重要課題が生じたときには、改正するべきだと思っている。しかし自衛隊については、最高裁が自衛隊を違憲であると判断していない以上、敢えて自衛隊を憲法に書き込む必要はないと考える。その理由は、そもそも憲法は、理想を描いているものだからだ。理想と現実には、ギャップがあるのは当然なのだ。政治家・裁判官・公務員には、現実を理想に近づける義務があるが、理想を投げ捨てることは許されていない。理想を捨てた国の将来にどんなことが起きるかは、誰も予想できない(過去には、軍費負担増大、軍人エリート化、自由や文化抑圧、反乱・クーデター、福祉や平和産業の後退)。

   最近、「世界憲法集第5版(三省堂2020年9月15日発行)」を買った。主要国の憲法の解説と最新の憲法条文が書かれている。 アメリカ合衆国は世界最大の軍事大国だが、憲法の精神は、常備軍を信用していないことを知った。アメリカにおいても、憲法と現実には大きなギャップがあるのだ。それだからこそ憲法に価値があるとも言える(国民が決断すれば、いつでも常備軍を廃止することができる)。合衆国憲法修正条項(第2条)では、「規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、人民が武器を保有しまた携帯する権利は、これを侵してはならない。」とされている。また、合衆国憲法(1788年)の基になったバージニア権利の章典の13条には「平時における常備軍は、自由にとって危険なものとして避けなければならない。いかなる場合においても軍隊は、文民の権力に厳格に服従し、その統制を受けなければならない。」と書かれている。アメリカの独立は、市民が英国国王との戦いで勝ち得たものだ。現在も有効な世界最古の成文憲法(合衆国憲法)には、歴史と教訓が反映されている。
   現代でも、軍隊がその国の国民を攻撃することはある。シリアの国民は、自国の政府軍から攻撃され難民となった。ミャンマー国民は、自分たちが選んだ政権を国軍のクーデターで倒され、抗議するデモの市民は軍側の発砲で多数が死んでいる。日本国民が軍隊(現在の自衛隊は軍ではない)を持つとなれば、こうしたことまで考えて判断することが求められる。 (先頭に戻る)

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No.254 「うかつの代償に支払った時間と苦労」(2021.4.30)

私の市では、小中学校の体育館を夜間に市民に解放している。私は近くの中学校体育館を使用するスポーツ団体(バレーボール、バスケットボールなどのチーム)の連絡・調整役(会長)を引き受けている。3月に団体からの使用登録の申請書をまとめて市の教育委員会に提出し、4月に教育委員会から出される登録許可通知を各団体に配布することと、団体間の使用日を調整するのが主な仕事である。今年は16団体が使用登録の申請をした。今年の作業は順調に進み、4月初めに中学校経由で教育委員会から登録通知が届いた。そこで登録通知を他の資料とともに団体に送付した・・・はずだったが、送付の翌日、1団体から「封筒の宛先と登録通知の宛先が違っています」という連絡が入った。

   送付した時の作業を思い出してみた。封筒の宛先と中身の登録通知を同じ順番にそろえたので、順番に封筒に入れれば問題が起きないはずだったが、宛先を確認をした記憶がない。間違いはないものと信じ込んで封をしてしまったようだ。
   急いで16団体の代表者にメールと電話の両方で、送った登録通知の宛先を確認してくれるよう要請したら、どの団体も封筒の宛先と中身とが一致していなかった。順番がずれてしまっていたのだ。お詫びを述べ、登録通知の返送を快く承知をしてもらったが、返送には郵送代がいる。自分の間違いが原因で、相手に金と手間をかけさせることに忸怩(じくじ)たる思いがした。連絡が取れない人もいてもどかしかった。

   16団体のうち、1団体は宛先の代表者に登録通知を手渡ししてもらうことができた。15団体の登録通知は2週間かかって回収した。連絡がとれなかった最後の1団体に登録通知を投函できたのは4月24日(最初の送付から2週間以上のち)だった。最初に宛先を確認して封筒に入れれば何事もなかったのに、どういうわけか、そのことがすっぽりと抜けていた。事務作業における確認の重要性は知っていたはずなのに、老化のせいか、魔がさしたのか。この“うかつ”が、交通事故でなかったことがせめてもの救いだと思った。
   今となってみれば、文書の回収から再送付の過程で、16団体の代表からそれぞれ思いやりのある言葉(いたわりの言葉など)を聞けたのは、ありがたい経験となった。スポーツ団体の会員は、市内に居住するか働いている人達である。昨年度は、新型コロナの感染者が市内でも毎日のように出て、体育館は1年間使用できなかった。今も状況は改善されないが、直ぐには無理だとしても、今年は少しは体育館でスポーツを楽しんで欲しいと願うばかりだ。
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No.253 「自助とは民主主義のことでは?」(2021.4.24)

昨年10月国会での所信表明演説では、菅総理は「私が目指す社会像は、「自助・共助・公助」そして「絆」です。自分でできることは、まず、自分でやってみる。そして、家族、地域で互いに助け合う。その上で、政府がセーフティネットでお守りする。」と述べた。公助を担当する政権トップが、国民に「まず、自助」と説いたのはあまり歓迎されなかった(記事20201027)が、私は、「自助」自体には重要な意味があると思う。
   重要な意味とは、個人の問題にせよ、地域の問題にせよ、更には国の問題にせよ、「自助努力」なしには全く解決されないと思うからだ。世間には解雇され収入が無くなった人、詐欺師に騙された人、性犯罪の被害者、匿名ネットで誹謗中傷され苦しむ人などがいる。また、地域には、過疎化で医療や買い物が不便な場所があるし、漁民の反対を無視して放射性物質を含む汚染水を海洋投棄する計画、県民が反対の意志を示した辺野古基地建設など、公助どころか国策が原因の問題(政権による地方自治の妨害)もある。

   これら個人や地域の問題は、誰が解決するのかと言えば、先ずは、当事者が努力しなければならない。「努力する」とは、苦しいことを我慢することではない。問題の生じる原因を調べ、問題解決のために何ができるかを考えることである。理不尽なことには「変だ」・「嫌だ」と発言することだ。問題解決のための制度があればそれを利用し、不十分な制度ならば改善を人々に訴えることだ。生活が困窮すれば生活保護を申請すること、自己の権利が奪われたときには裁判に訴えることも必要だ。つまりは不条理と闘うことだ。誰かが黙って助けてくれることはない(同情した振りで近づいてくるのは詐欺師ぐらいだ)。
   誰かのために、組織のために、日本のためになどと言って我慢を強いる空気は根強い。「わきまえよ」、「周りの空気を読め」云々。現実は、「周りの空気を読ま」ずに頑張る人が世の中を良くしている。

   4月21日に「改正プロバイダー法」が全会一致により可決、成立した(記事)。この法律は、インターネット上で匿名の投稿者が他人を誹謗中傷することを抑制する狙いをもつ。性犯罪に会った女性被害者が、女性の側に落ち度があったかのように中傷されたり、ネット上で犯罪者扱いされ、うつ病になったり仕事ができなくなったりした事例は少なからずある(例1例2)。この法律で、誹謗中傷をした匿名投稿者を特定し易くなるのだ。これまでネットでの被害者が抗議したり裁判に訴えてきた努力が、世論を動かし法改正に繋がったのだ。 匿名でなければ出せない情報もあるとは思うが、匿名を隠れ蓑にすれば、他人を誹謗中傷し易いし、「正義」と称してうっぷん晴らしをすることもできる。内容や規模によっては、名誉棄損や業務妨害などの犯罪になるし、損害賠償に応じなければならなくなる。
   「自助」とは自分が頑張ることである。我慢することや諦めることではない。これはとても勇気がいるし、知識も行動力も試される。だが条理を尽くして説明すれば、必ず理解してくれる人はいる。論語の「徳は孤ならず必ず隣あり」だ。改正プロバイダー法のように制度の改善に繋がることもある。菅総理の理解とは違うものの見方だが、個人の尊厳を最も大切にする日本国憲法の下で、「地方自治は民主主義の学校」と教わった私の記憶からすれば、「自助」は民主主義の原点のような気がしている。 (先頭に戻る)

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No.252 「新型コロナとワクチン接種」(2021.4.15)

新型コロナ感染症(COVID19)のワクチン(ファイザー製)は、2月から医療従事者に接種され始め、4月からは高齢者に接種が開始された。ワクチンには期待しているので、その効果と副反応には強い関心がある。イギリスなどワクチン接種が進んでいる国では感染者数が減少しているデータが示された。効果は確実なようだ(⇒ 英国データ英国コロナ国別ワクチン接種率)。
   ワクチンは、発熱や痛みなど副反応を伴うことがあるし、希に(何万人かに1人の割合)アナフィラキシーを起こし危険だとも言われている。しかし、PCR検査で陽性になった人の死亡率が高齢者ほど高い(データ)ことを考慮すると、新型コロナの感染者数が増大している状況下では、特に高齢者ほどワクチン接種は必要だと思われる(一般にどんな病気でも高齢者ほど死亡率が高い(データ)から、ワクチンによる発症・重症化・死亡を抑える効果は高齢者ほど大きいとも言える。ただしアナフラキシーを起こす持病のある人は注意が必要である)。
   新型コロナウイルスの姿は段々と分かってきたが、不明な点もある。そこで、ネット上では、新型コロナについての確かな情報と、怪し気な情報とが飛び交っている。例えば、新型コロナウイルス(RNAウイルス)は頻繁に変異するのでPCR検査は役に立たないとか、単離はできていないのでこれが新型コロナウイルスだ言えるものはないとか、更にはパンデミックは幻想であるとか(ネタ)、心ある医師達がワクチン接種は危険だから反対しているとか(indeep)といった奇妙な情報がある。これらの情報は、いずれも「大手メディアが書かない真実」などとまことしやかな見出しがついている。作者は、トランプ支持の応援団Qアノンだったり、超自然を愛するオカルト作家だったり、異常な考え方をする元大学教授だったりする。トランプがバイデンに負けたのは、ありもしない新型コロナのパンデミックを民主党が振りまいたせいだと陰謀説を主張する人もいる。読みものとしては面白いものもある。しかし怖くて面白いオカルト(超常現象)や陰謀論を信じて行動する人が出てくると笑うどころではなくなる(Newsweek)。

   怪し気な情報は事実と嘘とを混在させているのが特徴であり、出所が不明であることが多いが、不安を煽る情報は人の興味を引き、拡散されやすい。熊本地震のときに「ライオンが逃げだした」とのデマ情報がツイッターに投稿され、大勢が驚いた(2016記事)。この犯人は特定され逮捕されたが、細工された画像が精巧にできていると、専門家でもすぐには見抜けない。外国の情報や医学に関する情報は内容が専門的になるので、惑わされる人は多いと思う。
   新型コロナウイルスやワクチンについて疑問が生じたときには、私は、国立感染症研究所感染症学会日本ウイルス学会日本RNA学会厚生労働省の新型コロナサイト日本医師会ジョンズホプキンズ感染データのホームページの記事やデータを参考にしている。専門過ぎて理解できない論文もあるが、一般人に向けた解説もある。そこには何らかの根拠が示されていて、少なくとも不安を解消する答えが見つかる。日本でもワクチン接種が進めば、日本人への効果や副反応などの例も分かってくるので、しばらくは目が離せない。
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No.251 「法の下の平等と同性婚の扱い」(2021.3.30)

日本国憲法の最も大切な条文は、個人の尊重(憲法第13条)であると憲法学者の樋口陽一教授が書かれていた。個人の尊重とは、「生命、自由、幸福追求の権利は、公共の福祉に反しない限り、最大の尊重をされるべきもの」という考えである。同性婚は、個人の幸福追求のために必要な人達もいるのだから、この条文によって認められるべきだと思っていたが、3月17日の札幌地裁の判決は違っていた。武部知子裁判長は、法の下の平等(憲法第14条)を根拠にして、「同性の2人に対して婚姻届を受理しないことは、立法府の裁量を超えており、(配偶者控除や相続税などを認めない点での)差別的な取り扱いは合理的根拠を欠く」と判決した(3/18記事)。憲法第14条は、国民は法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において差別されないと定めている。
   判決要旨を読んで、知ったことが2つある。判決では、婚姻とは、「当事者とその家族の身分関係を形成し、種々の権利義務を伴う法的地位が与えられ、複合的な法的効果を生じさせる行為」であるという。法律の視点では、共同生活を行う人々の権利義務の関係で結婚をとらえていることだ。通俗的に思われている「性生活を楽しむため」とか、「子供を産み育てる目的」とかといった視点ではない(子供を産むことは結婚生活の要件ではない)。
   もう一つは、同性愛への人々の理解が進んだという背景を考慮している点だ。現在の民法などの規定ができた戦後(1947年当時)は、同性愛は精神疾患とされていた。判決では、医学的な理解を含めて「現在では当時の知見は完全に否定されており、同性愛という性的指向は、自らの意志にかかわらず決定される個人の性質で、性別、人種と同様のものと言える」、「同性愛者が、異性愛者と同様に婚姻の本質を伴う共同生活を営んでいる場合、民法の規定が一切の法的保護を否定している趣旨であるとまでするのは相当ではない」としている。私には新鮮な考え方に思われた。

   同性愛者は少数派だから、「自分は同性愛者である」とは発言しづらいだろうと思う。異性愛者からは、「気持ち悪い人だ」と思われたり、あからさまな差別もあるだろうと想像している。当事者の承諾もなく上司に同性愛者であると公表されて自殺した人がいたとの報道がされている。男女平等社会の実現を掲げながらも女性への差別は依然として根強くあるが、同性愛者への差別はそれより遙かに大きいという印象だ。今回、原告側は、「主張が全面的に認められたわけではなく、法整備を促したいとして控訴する方針だ」とのことなので、今後、この裁判は続いていく。
   毎日新聞の社説では、今回の判決を、「人権を尊重した画期的判断」としているが、制度の実現には、人が自分と異なる性的指向を持つ人にどこまで寛容になれるかにかかっている。フランス革命や独立戦争を通じて確立した平等を目指す潮流が、封建時代から近現代を作り上げてきた。その力が、人種差別や女性差別、障害者差別を止めさせる原動力になっていることを考えれば、先進国(現在は28ヶ国・地域)が認めている同性婚は、必ず日本でも認められると思っている。他方、自分の利益には賢くても、他人のささやかな幸福追求に理解を示す人は多いとは言えない。記者に聞かれて加藤官房長官は「婚姻に関する民法の規定が憲法に反するとは考えていない」と述べ、差別の解消や人権擁護に対する鈍感さを表明した。「個人の尊重」という日本国憲法が示す理想は、私たちの心の中の古い家族制度の価値観(個人を集団の一部と見なす考え)などと対立する。裁判の行方をしっかり見ていく必要がある。
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No.250 「同調圧力もいろいろ」(2021.3.16)

自分の意見が他人の意見と一致しているかどうかは気になる。自分の意見に他の人が賛成してくれれば嬉しいが、逆に、自分の意見が受け入れられない時は寂しい。
   先日、集合住宅管理組合の臨時総会が行われ、私はその両方の気持ちを味わった。インターホンの更新が議題で、理事会は、「3月末までに契約すれば、新しい製品を旧製品と同じ金額にまで値引きする」という提案をした。事務を委託している管理会社自身が事業者になる契約であり、金額も大きい(1戸当たり30万円弱)。私は、「今使っているインターホンは何の不具合もないから、急いで更新する必要はない。2~3年後に定例の総会で提案してはどうか」という意見を述べた。
   3月に契約の決定を取りたいという管理会社の気持ちが総会の案内文にも現れていて、「円滑な議事進行のため、質問時間を制限させていただく場合があります」と書いてあった。私は総会の冒頭、「1戸当たりの負担が大きいのに、質問を制限して採決するようなやり方は止めて欲しい」と言った。隣の人も「この住宅では過去に発言を制限したことはない。制限はやりすぎだ」と発言してくれた。管理会社の説明員は「申し訳ない。発言を制限する意図はありません」と言ってこの部分は削除となった。管理会社は、理事長に案内文の意味を説明をしていなかったようだ。
   しかし、コロナ感染を恐れてか、理事会メンバー以外の参加は6名しかおらず、委任状や議決権行使書により、事前に提案への賛成多数が取り付けられていた。「理事会で議論して提案してくれたのだから」とか「いずれ更新しなければならないのなら早くした方が良い」という意見が出て、採決の結果、提案は賛成多数で承認された。

   私は、パートナーとも相談して意見を述べたのだが、少し後味の悪さが残った。小さな集合住宅で時々顔も合わせる相手に対して、自分の真意を伝えられたかと思ったからだ。相手への敬意が伝わらなければ納得を得ることは少ない。
   腕力の有りそうな男が、腕をまくって「そうだろ!みんな」と言った時に、「いや、そうではありません。」と言うのは勇気が要る。森喜朗さんが、「女性が会議に参加すると時間がかかる」という発言をした時に、その場で、「会長、それは差別発言ですよ」と言えた人は誰もいなかった。相手に自分の考えを認めさせようとすることを「同調圧力」と言うならば、大抵の言葉は同調圧力である。「一緒にラーメンを食べに行こう」という言葉も同調圧力である。しかし、発言時間を制限したり、仲間はずれにしたり、腕力・武力で脅かしたり、報酬や地位を約束するなどして何かに同調させようとするならば、人々の考えや意見は確実に歪められる。

   総務省の役人が、菅首相の長男が勤める「東北新社」やNTTから接待を受けていたことが明るみに出て批判されている。会社側がどんな内容の同調圧力をかけていたのかとても気になる。
   ミャンマーでは、今年2月1日に国軍がクーデターを起こし、与党幹部とアウンサン・スーチー国家顧問を拘束した。その後クーデターに抗議する人々に向かって銃撃する事態に至っている。今日の新聞は死者は100人を越したと報道している(
3/16)。軍隊が国民や政治家を銃剣で服従させようとするやり方は、対話も協議もなく、「同調圧力」とも言えない暴力行為だが、そうしたことは大日本帝国が行ってきた。中国の天安門事件でも行われたことなので、今後悲惨な結果が予想されて恐ろしくなる。 (先頭に戻る)

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No.249 「生きていた!タヌキさん」(2021.3.5)

先月25日昼どきのことだ。部屋でぼんやりしていたら、住宅の外にいたパートナーからケータイで、「今タヌキが来ているよ、裏庭を見下ろしてごらん」と言われた。廊下にでると、昨年春に見たのと似たタヌキが見えた(下写真の中と右。左は昨年4月(随想211))。そのタヌキは、疥癬のために毛が抜けて皮膚が丸見えだったので、おそらく昨年と同じタヌキだろう。私の住む地域は起伏のある丘陵地だが、都心に出るのが便利なので急速に宅地化されている。藪に覆われた斜面を削り、コンクリートで固めて住宅を作るので、タヌキが棲める場所は殆ど失われている。昨年タヌキを見たとき、もう2度と現れないだろうと思っていたので、驚きもしたが、ほっともした。
   この日、パートナーが集合住宅の玄関で幼児が叫ぶような声(ギャーとワーッの混じったような声)を聞いている。その5分ほど後に裏庭にタヌキが見えたので私に連絡をしてくれたのだった。タヌキは後ろ足の片方を少し引きずっていた。集合住宅の前は道路になっているから、車か何かに当たったのかもしれない。私が見たときにも、しゃがみ込んでワーッという鳴き声を出していた。脚で皮膚を掻いたり、庭の植え込みあたりをうろついたりしていたが、やがて側溝からごみ集積小屋の後ろに姿を消した(写真右)。

   東京農工大の先生が、大学の府中キャンパス(2ヘクタールほどの森林がある)に棲むタヌキにGPSを着けて行動を調査したところ、1日(主に夜間)に2~3キロメートルの範囲を行ったり来たりしており、道路を渡ってキャンパスから300メートルほど離れた市街地にも現れていたとの報告をされていた(増田隆一編「日本の食肉類」・斎藤昌幸/金子弥生)。タヌキは雑食性で昆虫、ミミズ、木の実などを食べるほか、市街地では犬猫の餌、食品ゴミを使って命をつないでいるようだ。生活の場が道路で分断されるので交通事故に遭うことが多い。全国で毎年20万頭程が交通事故て死んでいる(ロードキルと呼ばれる)とのことだ。
   この日私が見たタヌキは、一体どこを拠点にして生きているのだろう。昼間は藪や下草の多い場所(地下の穴)に隠れて休んでいることが多いと言われているが、私の住宅の周辺には大きな緑地や森林はない。
   タヌキが、片足を引きずるようにしていたことや、ワーッという悲鳴のような声が思い出されて、今でも気の毒になってくる。昼間、人の目につく場所に出てきたのは冬場で餌がないからだろうか。タヌキのために集合住宅の庭に餌を置くことはできないので、ただただ「生きていてくれ」と祈るしかない。雌か雄かは分からないが、仲間がいるようには思われない。このあたりのタヌキは絶滅するしかないのだと思うと、本当にやるせない気持ちになる。 (先頭に戻る)

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No.248 「ワクチンの効果どうみるか」(2021.2.24)

世界中で新型コロナのワクチン接種が始まったので、その効果や副作用について話題になることが多い。効果があって重大な副作用がないならば、私も受けたいと思っている。ワクチン接種は強制ではないので自分で情報を集めて判断するしかない。政府や権威のある人が推奨した(あるいは否定した)からといって鵜呑みにはできない。副作用が出ても自己責任だし、ワクチンを受けないで重症化しても自己責任である。医療従事者が最初に接種することになっているので、日本人へのワクチンの効果や影響がやがて明らかになるだろう。幸か不幸かワクチンの配布が遅れているから、あわてないで判断することができる。

   2月21日の新聞にイスラエルでのワクチン効果の記事があった(
毎日)。イスラエルは昨年12月19日からファイザーのワクチン(BNT162b2)の接種を開始している。この記事はイスラエル最大の病院(シェバメディカルセンター)がワクチンの効果を確かめた調査報告で、英国医学誌LANCETに2月18日に公表されたものだ(Text)。要旨は次のとおり。
   1) 昨年12月19日から今年1月24日までの期間に医療従事者(過去に新型コロナに感染した人を除き、ワクチンを受けた人と受けなかった人あわせて9109人)を対象に調査したところ、ウイルス(SARS-CoV-2)に感染した者は170人であった。感染したかどうかはPCR検査により判断している。
   2) 上記の170人のうち、ワクチンを受けなかった人の感染者数は89人で、ワクチンを受けた人(7214人)の感染者数は81人であった。ワクチンを受けた後に感染した81人のうち、1回目のワクチン接種から14日目までの感染者数は55人、15日~28日までの感染者数は26人であった。
   3) 170人の感染者のうち、症状がでて新型コロナ感染症(COVID-19)と確定した有症状者数は99人であった。99人のうちワクチンを受けなかった人は60人、ワクチンを受けた人は39人だった。更に39人のうち、28人は1回目のワクチン接種から14日目までに症状が出た人で、11人は1回目のワクチン接種から15日~28日までに症状が出た人であった。
   4) 以上から、ワクチンを受けていない人と比べて、ワクチンを接種した人は、接種から1~14日経過後の感染率が30%減少、症状が出る比率が47%(95%信頼区間は17~66)減少した。また、接種から15~28日経過後の感染率が75%減少、症状が出る比率が85%(95%信頼区間は71~92)減少したと結論づけている(接種1回でも発症を85%程度減らせる効果があるということ)。

   この調査は医療従事者の協力・報告に基づき行われ、PCR検査で感染(陽性)となった者には症状の追跡調査がされている。また、感染率と発症率の計算では、ワクチン接種を受けていない日数(1回目の接種からの日数)が勘案されている。接種を1回受けた7214人のうち6037人は2回目の接種(1回目から21日・22日後の接種が多い)をしていた。1回接種後で感染した人は78人、2回接種後で感染した人は3人いた。臨床検査のような詳細な調査ではないが、メーカーの発表ではなく医療現場の調査として参考になると思った。
   ワクチンや薬剤の効果は、イスラエル国の人と日本人とでは違う可能性もあるので、日本でもしっかりした調査がなされることを期待している。 (先頭に戻る)

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No.247 「不言実行と有言不実行」(2021.2.13)

小学生のときM先生から「不言実行」という言葉を習った。先生は、「善いことだと思ったら黙って実行しなさい。ゴミが散らかっていたら、人に言わないで自分でそれをゴミ箱に入れる。困った友達がいれば、黙って助けてあげなさい。でも、善い行いも自慢することは恥ずかしいことだよ」と教えてくれた。この言葉を聞いたとき、私は「不言実行は何てかっこいいんだ」と思った。人を助けても、そのことを恩着せがましく言うならば、助けられた人は嫌な気持ちになるだろうとも思った。これに近い言葉は論語の「訥言敏行(トツゲンビンコウ)」(君子は良く考えて軽々しく発言せず、するべきことはしっかり行う)だという説もあるので、先生の説明はそれとは少し違うが、60年ほど前に聞いた言葉だ。
   今では、「不言実行」よりも「有言実行」という言葉を良く聞く。実行することは共通だが、「有言」は、自分の考えを述べることで目標が明確になる。自分を理解してもらい、援助を受けることさえ可能になる。民主主義社会では、実行することと同じ程度に言葉(有言)が大切だ。スポーツ選手で堂々と「自分は金メダルを目指している」と言う人もいる。より積極的な生き方を選んでいるようで、好ましく感じている。

   東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長の「女性蔑視発言」が内外に知られ、辞任を表明するに至った。本人は、自分の発言がこれほどの問題になるとは想像もしていなかったようで、2月12日の退任時も「多少意図的な報道があり、女性蔑視ということになった」と発言している。メディアのせいで自分が「女性蔑視をする男」にされたと言いたいようだ。
   つまりは、森喜朗さんは残念なことに、ことさら女性蔑視をしているつもりがないのに、女性蔑視(差別)の発言をする人だと言える。議員や役員の女性比率を高めることが課題になっている中で、森会長は「女性の数を増やしていく場合には、発言の時間をある程度、規制をしておかないと、なかなか終わらない」とも発言しているので、本音の発言だったのだろう。森喜朗さんのような人は、特に高齢者には多いように思う。私の中にも森会長のように思考する部分があることは認めざるをえないし、女性の中にさえ、「女性は男性よりも能力が劣っている」と公言する人もいる。森喜朗さんだけの問題ではない。
   だが、現状を嘆く必要はない。これから世界が注目する中で、組織委員会の会長人事と組織改革(意識改革)を行わざるを得ないのだ。コロナ感染の中でオリンピック・パラリンピックが実現できるかは不明だが、森会長の発言が反面教師として、組織委員会とスポーツ界の改革に役立つならば、更には社会の差別の解消に進むならば、森会長の退任も全く無駄ではないことになる。今年は総選挙もあるので、人々の意識の変化が日本の改革に繋がることを期待したい。

   ある調査によれば、「有言実行と不言実行。どちらがかっこいいと思いますか」の回答で、半数以上の人が「有言実行派」であった。(2014年調査。ネット上の調査で成人500人の重複回答)
   ・ 不言実行 ・・・220人(44%)   ・ 有言実行 ・・・330人(66%)
   日本では「男女平等」・「女性参画」・「女性活躍」を掲げていながら、議会、企業、大学、団体の中で、いろいろな理屈をつけて女性参画を阻むことがまかり通っている(例1例2)。それはとても「かっこ悪いこと」だと思う。「有言不実行」の典型である。善い言葉を掲げて(差別を無くす振りをしながら)、実際には逆の行動をとるのは、詐欺師の行為そのものである。 (先頭に戻る)

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No.246 「法律の強制力について」(2021.2.4)

新型コロナ感染が始まって以来、2度目の緊急事態宣言が今年1月8日に出された。この宣言は当初2月7日を期限としていたが、2月になっても感染者数の水準が高く医療が逼迫しているため、一昨日、10都府県を対象に更に1ヶ月延長することが決まった。新型コロナウイルス対策の根拠となる特別措置法と感染症法は、法律の効果を高めるためとして改定がされた(2/3成立)。与党は入院拒否者に対する刑事罰(懲役刑も)を検討していたが、専門家や世論の反対が強かったため、行政罰(過料)に留めたと報じられている。
   強い罰則を設ければ強い効き目があるかといえばそうではない。罰則を避けるためにPCR検査を受けないということも起きるので、逆に感染を拡大させる恐れもあるのだ。警察官が捜査するようになれば、無用なトラブルも発生する。私は、国会での参考人(学者)の「意図してウイルスを撒き散らす行為であれば、傷害罪や暴行罪、医療活動を邪魔する場合には偽計業務妨害などで十分対処可能」という説明も聞いていたので、刑事罰の取り下げは当然のことだと思った。

   1月24日にオンラインで「日本学術会議会員の任命拒否問題」についての勉強会に参加した。菅首相が学術会議から推薦された6名の学者を、理由を告げないで任命拒否した事件である。昨年10月の学術会議総会では首相に対し、6人の速やかな任命と任命拒否の理由を求める要望書を決議している。この勉強会で私は、講師の大山弁護士に次の質問をした。
   ― 任命拒否の理由について首相が仮に、「これらの6人は気にいらない人達だから」とか「与党が進めた安保法制に反対した人達への見せしめだ」という露骨な回答をしたとして、首相に法律的な問題(義務違反として任命拒否の撤回を強制されること)は生じるのか。―
   大山弁護士の答えは、「任命拒否自体は学術会議法と憲法23条(学問の自由)に違反すると考えている。任命拒否の理由を首相が回答すれば拒否が許されることにはならないが、司法手段として任命拒否を撤回させるところまで行けるかどうかは難しい」ということだった。
   そもそも、法律上は、日本学術会議という機関は政府から独立した組織であり(だから政府に耳の痛い提言もできる)、総理大臣による任命制にしたとき(中曽根内閣)でさえ、任命拒否することは考えていないのだ。学術会議の意向を無視してまで首相が任命拒否することは想定されていないから、拒否する理由の適・不適を判断することはできないという意味だと理解した。むろん、首相が任命拒否の理由をそのように答えることは考えられない。どんな理由を挙げるにせよ、国民から強い反発を招くことは必至だからだ。多くの国民は、反対党を認めない中国のような国に日本をしたいわけではなく、与党と野党とが互いに補いあい、憲法の掲げる理想に向かって暮らしやすい政治を実現して欲しいと思っている。

   改定された感染症法では、入院拒否患者に対しては、行政罰の過料(50万円)がかけられことになった。それが「法律の実効性を高めるために必要だ」と主張するのであれば、私は、「学術会議の独立性を確保する」ためには、任命を拒否した首相にも行政罰を課すことができるように法律改正をして欲しいとさえ思う。現在の日本学術会議がベストであるとは思っていないが、この機関を改革することと今回の任命拒否を正当化することとは全く別のことだからである。
   日本学術会議は、1月28日の幹事会で、菅首相が任命拒否した会員候補6人について、4月の総会までに任命することを菅首相に求める声明を全会一致で決定したとのことである(記事1記事2)。菅内閣の不支持率は、このところ支持率を大きく上回るようになっている。菅内閣には国民の声を真面目に受け止めて欲しいが、結局は法律の問題ではなく、国民が政権の強引なやり方を許すかどうかにかかっているとも言える。コロナ感染症を減らせるかどうかも、罰則を課すことではなく、生活を支援して感染症に対する国民の理解を促すことにかかっている。 (先頭に戻る)

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No.245 「人類の未来 核兵器のない世界」(2021.1.23)

新型コロナ(COVID19)に感染力が強い変異株が生まれ、国内でも広がってきているようだ。危険なウイルスだが、ウイルスそのものは人類の進化にとって重要で有益な役割もしてきたという。
   昨日(1月22日)は
核兵器禁止条約が発効した日だ(資料)。バチカン、オーストリア、ニュージーランド、タイ、ベトナム、コスタリカなどの国が批准しており、現在もチリやインドネシアなどが批准手続きを進めているという(資料1資料2)。今後は核兵器を持つ国や核の傘の下の人々は肩身が狭くなるだろうと思っている。核兵器は、核爆弾を飛行機で運ぶ方式から、ミサイルに搭載したり、潜水艦から発射する技術が開発されてきた。小型の核爆弾も開発されているらしい。ウイルスとは違って、こんな核兵器の進化は人類に利益をもたらすはずもない。

   核保有を正当化する理屈は、「核兵器には戦争を抑止する効果がある」ということだ(核抑止論)。この理屈を拡大すれば、戦争を起こさないためには、どの国でも核兵器を持つことが望ましいことになるが、核保有国はそうは考えていないようだ。一口に言えば、自国がもつ核兵器は正しいが、他国が持つ核兵器は悪いという身勝手な(虫のいい)説明である。欧米はイランが核兵器開発を進めないように核合意を結んだ(その後トランプ政権は核合意から離脱して制裁強化)、核兵器開発を続ける北朝鮮には経済制裁を課している。「自分たちも核兵器を廃止するので、あなたの国も核兵器開発はしないでくれ」と言っているわけではない。論理が破綻していても、核兵器保有国(米露中英仏・印パ・イスラエル)は世界の強国・大国だから、経済力や軍事力を背景に、小さな国を黙らせてきたが、今やそれは通じなくなったということだ。核兵器禁止条約は、核兵器による脅かしも禁止しているので、核保有国には疎ましい条約だろう。

   核兵器禁止条約が発効したことの意味はとてつもなく大きい。被爆者団体や個人、広島市、長崎市は、核兵器反対の取り組を70年に渡って取り組んできた。ICANなどの世界の団体の活動の賜物でもあるが、人類の価値観として「核兵器そのものが悪」という立場にようやく立てたのだ。
   残念なことは、世界で唯一の被爆国である日本政府が、この条約に背を向けていることだ。昨日の国会答弁でも、菅総理大臣は、野党の質問に答えて「署名はしない」と言いきっていた。日本政府は、核保有国と核を保有しない国との「橋渡しをする」という説明をしているが、具体的にどうするかを聞かれても、何も答えていない(締約国会議のオブザーバー参加も表明していないのに、どうやって橋渡しをするというのか(毎日1/23))。米国が核兵器禁止条約を批准しないように同盟国に圧力をかけていることが報道されしている(2020.10.22日)ので、菅総理大臣にもしっかり圧力がかけられているだろう思っている。
   米国は文化的にも経済的にも日本にとって重要な国ではあるが、「日米同盟(日米安保条約のことらしい)の強化」などといつまで言い続けなければならないのか。このままではアメリカとともに沈む日本になってしまいそうで、とても心配である。多くの国民は核兵器禁止条約を好意的に評価している(1/23記事)。政府が核兵器禁止に消極的なのは、アメリカへの遠慮もあるが、有権者の顔色(選挙での票の行方)をうかがっているところもあるので、国民がしっかりと意思表示をすることが大切だと思っている。 (先頭に戻る)

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No.244 「パソコンは壊れていく」(2021.1.9)

昨年のクリスマスの日(12/25)の夜のことだ。友人からのクリスマスの挨拶にお礼のメールを出そうとしたところ、突然文字が打てなくなった。パソコンの電源は入っているが、キーボードのどこを押しても全く反応しない。とても焦った。年賀状を書かなければならないし、同窓会や所属している団体の会計事務もこのパソコンを使って処理していたからだ。復活できなければ大変困る。5年前に購入したパソコンだが、内臓カメラが故障していたほかは問題がなかった。ときどきデータをUSBメモリに保存してきたつもりだったので調べたら、この1年間USBメモリには全く保存しなかったことが分かった。自分の記憶の曖昧さにはがっかりした。
   翌朝、マスクをしてパソコンを持ってコジマ電気に行き、パソコンに詳しい店員に相談をした。地元でも新型コロナの感染者数が急速に増大中だったので行きたくはなかったが仕方がない。

   店員からは、「パソコンを修理に出すと数万円はかかる。キーボードだけが壊れているならば外付けキーボードを使えるかもしれないが、検査料が2千円とキーボード代が3千円前後がかかる。どうしますか」と説明された。検査を依頼すると、キーボードは完全に使えないことが確認できた。また、店にある外付けキーボードを使ってパソコンを操作できるかどうかを調べてもらったら、幸いなことに外付けキーボードは使えそうなことが分かった。そこで外付けキーボード(エレコム社製で税込み3,160円のもの)を購入した。
   パソコンで仕事をする場合には、データや画像を常に保存(バックアップ)しておくことが常識である。誤った操作で削除してしまうことがあるし、故障でデータが取り出せなくなることもあるからだ。コンピュータウイルスに攻撃されることもある。そこでバックアップ用にと外付けのメモリーも購入した。これはSSDと呼ばれるものでハードデスクと違い駆動部分がなく、転送速度は約4倍だ。エレコム社の500GBで税込み7,310円(同じ容量のハードデスクより割高)だった。
   実際にうまく行くか不安だったので、店のサービスコーナーで店員の話を聞きながら、持参のパソコンからSSDへの転送作業を行った。50GBほどのデータを1時間ほどかかって転送できた。「やれやれ助かった。これからはしっかりとバックアップするぞ」という気持ちになって帰宅した。

   このNo.244の随想は外付けキーボードで入力した。年末年始に多い会計事務も無事行うことができた。むろんデータの保存・バックアップも行った。しかし問題はここで終わるわけではない。今のパソコンはいつかは使えなくなる。ホームページの作成も、メール送受信もできなくなることを覚悟して、その準備をしておかなければならない。パソコンの故障などありふれたことだろうが、体力や気力が衰えてきた今の自分のとっては高いハードルだと感じる。今回のキーボードの故障は、今後の準備のためには良い経験・予防薬となった。 (先頭に戻る)

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No.243 「2020年という年」(2020.12.30)

恒例の日本漢字能力検定協会の今年の漢字は「密」が選ばれた(記事)。新型コロナ対策で、「三密を避けろ」などと呼びかけられてきたせいだ。ワクチンが普及していないときの感染症予防策は、マスクをして人との距離をとり続けることだけだ。ところが、人間社会は祭りや集会など、会話や会食で成り立っている部分が多い。密を否定することは、人間のさが(性)を否定することでもあるのがつらいところだ。

   政府のGoToトラベル事業は、感染症対策としてはもちろん、経済政策としても「愚策」としか言いようがないと思っている。数千億円の税金を使って人の移動を促すこの事業は、7月から始まったが、秋になりウイルスが活発になる時期に本格的に人の移動を促した。それとともに感染者が増え始めた。「GoToトラベルが感染を拡大したエビデンスはない」という政府の説明もあったが、感染経路の分からない感染者が半分を超えている実態があるのに、何を寝言を言っているのかと思った。案の定、年末には一日の感染者数が過去最大になってしまった。観光客の減少で困っているホテルや旅館を助けるには、雇用調整助成の継続や経常費の無利子・長期の融資などの対策をしっかりやれば良いのに、それをせず、大勢の人に一度に旅行をさせるような事業は、どう考えても感染を拡大させているとしか思われない。経済政策にならないどころか、医療従事者などを疲弊させ医療活動をできなくさせている。

   いつでも政権政党にはスキャンダルがつきものだ。安倍首相から1億5千万円(元は政党助成金らしい)をもらった河井案里被告の選挙違反事件の捜査の途中で、元農林大臣が収賄容疑が浮上した(12/26記事)。桜を見る会のスキャンダルについては、安倍首相は野党からの追及に100回以上も「自分の後援会が支出していたことはない」などと答弁していたが、参加者に800万円を超える金が支出されていたことが東京地検の調査で明らかになった。安倍元首相自身も東京地検で事情聴取された(12/22NHK)。
   金を配った河井案里被告には懲役が求刑されている(12/15記事)。しかし、同じく金を配った安倍晋三氏は罪に問われないようだ。これについて、NHKで元検事の弁護士が、「法は議員を罰する建て付けにはなっていない」と解説していた。会計帳簿の備え付けと記載を義務づけているのは公職選挙法と政治資金規正法である。出納責任者(政治資金規正法では会計責任者)は、会計帳簿を備え、全ての支出を記載することになっていて罰則もあるが、不適切な会計処理については、議員が「全く知らなかった」といえば、罪にはならない仕掛けになっているらしい。施策については、マスクの配布のように、一時の思いつきや個人の感覚で決めたりするが、選挙活動や後援会活動については、国会議員は、自らに罰則が及ばないように用心深く法律の枠組み(建て付け)を決めているということかと理解した。
   以前の会計責任者でその後も実質的な会計責任者だった安倍氏の公設秘書は、12月24日に政治資金規正法(不記載)で略式起訴され、即日で罰金100万円を支払った(12/24記事)。東京地検が安倍晋三氏を不起訴にした後で、記者や野党議員から「どう責任をとるのか」と問われ、安倍氏は「道義的責任は痛感している。しっかり議員活動を続けることで責任を果たしていきたい」という趣旨を答えていた。安倍氏は、首相のとき不祥事がある度に「責任は私にある」と何度も言っていたことを考えると、その「責任」とは、「自分に権利や義務がある」という意味であり、「失敗や損失の責めを負う」という意味での責任ではないことが分かる。とてもがっかりした。 (先頭に戻る)

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No.242 「感染拡大と政治家の姿勢」(2020.12.22)

もう年末になってしまった。新型コロナ(COVID19)の話題で1年が過ぎた。このところ寒さと乾燥が加わり、連日感染者数が過去最多となり、死者も増加している。欧州では感染力が一段と強いウイルスが現れてクリスマスを祝うどころでは無くなってしまった。日本ではGOTOトラベルの政策が感染拡大を助けた。菅内閣の支持率は急速に下がり不支持が支持を上回るほどになった。医療従事者がへとへとになっているのに、専門家の意見を軽視するこの内閣の姿勢が見えてきた。

   今年は世界の政治経済に大きな影響を及ぼすアメリカの大統領選挙があった。投票率は67%。
選挙結果を見ると、獲得票数はバイデンの8127万票に対して、トランプは7422万票だった。過去最多の投票者数で、調査によれば初めて投票した人の64%がバイデンに、32%がトランプに投票したと見られる。新型コロナへの対策は選挙争点の一つだった。12月21日時点のアメリカの感染者数は1784万人、死者は32万人で、アメリカファーストはここでも実現されている。トランプ陣営の集会でマスクを着用せず大声で気勢を上げる人々を見たから、「さもありなん」と感じていた。経済規模が世界一で、科学技術は最先端を走っているアメリカだが、国民全体の科学技術に関する知識や意識は決して高いとは思われない。
   アメリカのメディアが行った世論調査によれば、相対的な傾向としてではあるが、トランプ支持者には白人、高齢者、男性が多いのに対して、バイデン支持者は非白人、若者、女性の比率が高い。白人の中ではバイデン支持は41%だが、トランプ支持は58%だ。白人の年齢別の数字を見ると、若い世代ではその差は小さいが、どの年齢層でもトランプ支持者数がバイデン支持者数を相当に上回っている。人種差別の解消に不熱心なトランプの意識は白人全体に共有されているように見える(⇒調査結果)。アメリカの白人人口比率が低下しつつあること(25年後には50%を割る予測(記事))と併せて考えると、支持傾向の根底には白人の焦りがあるように思う。
   ネット社会は手軽に情報が得られるけれど、危うい社会でもある。Qアノンと言われるグループ・個人がバイデンを誹謗する偽の証拠を捏造して拡散したが、その一つ一つを調べ、事実を確認してデマの拡散を防いだグループの活動も報道されていた。アメリカの政治家の姿勢や人々の意識は、これからの日本を考える上で大変参考になりそうだ。

   日本でもこの10年ほど、政権中枢の政治家が、自らの活躍を印象づけるため、官僚・科学者・専門家の考えをことさら軽視する傾向が見られるようになった。政治家のトランプ化とも呼べる現象だ。菅首相による学術会議の会員任命拒否とその理由説明拒否は、その一例だ。新型コロナの感染対策にしても、医師会など医療現場や自治体の長の提案を軽視して、検査体制・医療体制を十分整えず、逆に感染拡大リスクのあるGOTOトラベルの継続などに拘ったことが報道されている。大型予算の政府案が組まれたが、科学的思考や合理的な判断を欠いたままで、本当に国民の命と暮らしが守れるのかとても不安になる。例年以上に落ち着かない年の暮れとなった。 (先頭に戻る)

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No.241 「男女平等を巡る与党内の動揺」(2020.12.10)

40年程前のある朝、自民党本部で行われた朝食会でのこと、東京都選出の鯨岡兵輔議員が声を張り上げていた。「この期に及んでどうして環境影響評価(アセスメント)法案に反対するんだ。このままでは選挙に負けるぞ」。福島選出の渡辺恒三議員は反論した。「若輩ながら言わせていただくが、火力発電所などの誘致にアセスメント法は邪魔だ。田舎にも雇用の場が必用だ。金も時間もかかるアセスメント義務化は時期が早い」・・・。この年アセスメント法案は成案を得られず、その後、メディアの言い方を借りれば「骨抜き」されて国会に提出されたが廃案となった(現在の環境影響評価法は1997年に成立したもの)。
   当時の世論調査では、環境アセスメントの必要性は国民の大半に支持されていた。煤煙や汚染水の垂れ流しで漁業被害や健康被害が続出したり、自然環境が消失したりすることに人々が腹をたてていたからだ。できたばかりの環境庁への期待は大きかったが、通産省・建設省などは政治家を巻き込んで激しく抵抗した。たまたま私は仕事上、上記議員の激しいやりとりを聞く場面に居合わせた。そして議員達の率直な物言いには感動すら覚えた。

   国民の希望と政権の行動とは、しばしば対立する。政権を支持する人達の利害と一般国民の利害が違うためなのはもちろんだが、世界のすう勢になっていることでもそれについていけない人(敢えてついていかない人)がいるからだ。第二次世界大戦以後の世界のすう勢とは、一言で言えば「平等」を目指してきたことだと思っている。植民地支配からの脱出、女性参政権の付与、公民権運動による人種差別の反対など。しかし、平等を達成することは容易ではない。経済格差の拡大で、豊かさを享受できる人々(個人・男女・地域・民族・政府)とそうでない人々との格差がより深刻になっているし、皆が平等になることで優越感が失われ、既得権が侵されると感じる人達(政治家を含む)の抵抗があるからだ。
   日本でも欧米諸国よりは遅れたが、男女の賃金格差の解消や女性の管理職の拡大が叫ばれてきた。家庭内の役割分担でも若い人達の意識は変化してきた。男女平等参画社会を目指す方向は当たり前のことになってきたが、与党の中では男女平等を巡って対立や動揺も起きている。12月9日の毎日新聞は、自民党の中で「選択的夫婦別姓」の議論が紛糾して、結論が先送りになったと報道している(記事12/9テレ朝12/10)。選択的夫婦別姓を支持する側では「国際社会において夫婦の同氏を法律で義務付けている国は日本だけだ」という記述を提案したが、反対派(保守派?)は「日本は日本だ。欧米とは違っても堂々としていれば良い」などと言っている。また、「多様な考え方に対応できるようにすることは国民政党の役割だ」とする意見に対して、反対派は「結論が先走りしている」などと噛みついたとのことだ。選択的夫婦別姓に反対しているのは頑迷な男性議員かと思えば、片山さつき高市早苗などの著名な女性議員もいる。

   他方、国民の意見は、内閣府の平成29年の世論調査では、「夫婦別姓は認めない(法改正を認めない)」は29.3%、「夫婦がそれぞれの旧姓を名乗れるように法改正を認める」は42.5%、「婚姻前の姓を変えた人が通称として旧姓を名乗ることができるよう法改正を認める」は、24.4%などとなっている(併せて選択的夫婦別姓に賛同する割合は70%近い)。国民の意識は、選択的夫婦別姓に反対する一部保守的議員とは逆になっているのだ。若い世代(40歳未満層)では、事実上夫婦別姓を認める比率は80%を超えている。
   自民党が、戦前回帰の偏狭な保守主義の人達の集まりではなく、国民政党だと胸を張りたいならば、世論を尊重し、野党とも合意して選択的夫婦別姓を可能とするよう法案を提出すべきだと思っている。国内外で女性が活躍する時代である。前述の渡辺恒三氏は民主党に移って今年の8月亡くなった。護憲派と呼ばれた鯨岡兵輔氏は17年ほど前に亡くなっている。彼らが生きていれば一致して、「このままでは若い人達が政治から離れてい行く。自民党は選挙に負けるぞ」と警告するのではないか思う。 (先頭に戻る)

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No.240 「コロナ拡大で悩む演劇鑑賞会」(2020.12.1)

先日(11月29日)、誘われて地元演劇鑑賞会の会合に出た。来年の方針を決めるための意見聴取が目的だった。最大のテーマは今後の会費額だ。今年はコロナ(COVID19)のせいで、観劇会を中止したり、開催しても席数を減らしたりしたした。多数が集まることへの恐れから会員が激減(約3000人が1900人台に)したことが問題だ。現行の会費は月額2千円。1年間に6の劇団を呼ぶ(6例会)ので、1例会につき4千円払う勘定だ。国立劇場などでは通常8千円ほどはするから、かなり割安だが、この金額は会員数の多さで決まる。会員数が少なくなれば、演劇鑑賞会自体が解散に追い込まれることもある。当演劇鑑賞会では、国からの持続化給付金2百万円と県の中小企業支援基金30万円を受けているとのことだった。

   会合は120名ほどが大きなホールに集まって行われた。入り口で体温を測り、アルコールで手指を消毒して全員マスクをつけている。座席も間隔を空けているが、それでも心配になるほど発言は活発だった。次のような意見が聞かれた。
   「劇団を支えたい気持ちはあるが、毎月出せるのは2千5百円までだ」、「印刷費や人件費など運営費を節約して何とか月額2千円を維持できないか」、「開催中止のために5カ月間は会費を半額(千円)にしたのは英断だった。劇団を守るためと言っても会員を犠牲にはできない」、「今期途中で退会した人は支払うだけ支払って損をしたという印象がある。復帰する場合には会費の免除などができないか」、「9月の例会『砂塵のニケ』を開催できたのは良かった」、「11月の例会の『シャボン玉』では、空いている場所があったが隣接した席もあった。密接していると不安になるので弾力的に配置して欲しい」、「コロナが来る前から会員数は減少傾向にあった。法人や若い人に声をかけるなどが必要なのでは」、「会費の集め方はネットを利用するなどして負担や不安にならないようにして欲しい」、「今年は3例会となった。感染状況によっては年6回の例会は困難ではないか」、「最初に中止した4月の例会『きらめく星座』では、こまつ座と痛み分けとして経費の半額を支払った。7月例会『東海道四谷怪談』では前進座からの要請で上演料を前払いしたが2年後開催の前払いと相殺することとなっている。無駄な支出にはなっていない」など。

   緊急事態宣言以降、劇団、オーケストラ、ライブハウス(ミニシアター)、スポーツ施設などで、俳優や職員などが収入を絶たれ、「もう続けられない」などと嘆いている様子がテレビで紹介されていたのは覚えている。それらの番組を見たとき「大変だなあ」とは思ったが、どこか他人事という気持ちがしていた。今回、演劇を自分の生活の一部のように感じている人達がいることが分かった。演劇は俳優がいれば成り立つものではなく、生きるための気合いやアイデアやものの見方を劇団や演劇から得て、楽しんだり生活の張りにしたりしている人達で成り立つのだろう。
   私は3年ほど前に演劇鑑賞会に入会した。20ほどの芝居を見たことになる。頭が鑑賞モードになってきたせいか、会合での発言者の一人ひとりが俳優のように感じられ、演劇の一場面を見ているような気持ちになった。興味深いことだ。
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No.239 「自然環境が未来を育てる」(2020.11.21)

最近悔しいことがあった。集合住宅の裏庭に植えておいたイワヒバ(写真下左)が無くなったのだ。どうやら業者による庭の手入れの際に雑草と間違われて抜き去られたらしい。サツキの株間に植えておいたのが誤解を招いたのか。イワヒバは日本庭園や盆栽で使われることが多いし、買えば2千円ほどもする。造園業に携わる人なら知っているだろうと思っていたが甘かった。若い作業員にはイワヒバ(シダ)のような目立たない植物の知識は無かったのかもしれない。雑草だと思われたのだろう。水田や森林、小川、草原にはいろいろな動植物がいるが、そうした場所で子供時代に遊ぶ機会がなければ、生き物への愛着が湧かず、面白さや不思議さに気がつかないかもしれない。

   日本でアナグマ研究の第一人者である金子弥生さん(東京農工大准教授)の「里山に暮らすアナグマたち」(2020年11月10日発行)を読んだ。この本には、彼女が野生動物(主に中型の食肉目動物)の研究を始めた切っ掛けから、アナグマの国内(東京都日ノ出町、茨城県水戸周辺、赤坂御苑など)での研究活動、海外(英国オックスフォード大学、中国、韓国など)での研究活動のほか、大学での教育研究活動が書かれている。この種の本としては珍しく縦書きであり、小説を読むような感じで読める。
   野生動物研究分野には、生き物を観察するフィールド部門とDNAや成分分析などのラボ部門があるが、金子さんは、日本では珍しい女性のフィールドワーカーである。捕獲した動物に麻酔をかけ、発信機(テレメーター)を着けて、昼夜を問わず、森や林や町中を走り回ってデータを集める。巣穴・ため糞・採食場所に近づいたときに自動的に記録をするトレースレコーダーを共同開発したりもした。
   金子さんは、アナグマの穴のサイズや温度の調査、糞の分析を行い、雌雄別・親子別の行動、食べ物の種類、他の集団との関係、生存状況などを調べた。糞の分析では、食べものの種類(主にミミズだが季節によって変わる)だけでなく、臭い物質によるコミュニケーションの可能性も調べている。この本は、研究成果の紹介だけでなく、フィールドワーカーの先輩達の紹介、議論の楽しさやアイデアが出る背景、海外留学の留意点(英語力やつきあい方)などが書かれている。金子さんの精力的な活動の動機や行動力の源は、本来の動物好きと子供時代に里山(埼玉県所沢市)に住んだ経験(飼い犬と森を歩く、鳥など野生の観察)と高校時代に水泳で鍛えた体力に負うところが大きかったと本人が書いている。この本は、フィールドワーカーを目指す若者達への有益な助言であり、女性研究者への応援歌になっている。

   道路や住宅開発による緑地の分断で生き物の生息場所が減っている。アライグマなどの外来生物が各地に住み着くようにもなり、野生動物の保護が重要課題になっている。都会の子供の周りには、遊園地や小さな公園はあるが、イタチやアナグマ、タヌキなど野生の動物が見えない。小川が消えてフナ、ドジョウ、メダカなどを見る機会も減っている。身近な場所から自然(野生)が消えることで、自然に無関心な大人が増えていかないか心配である。そうなれば更に自然が失われ、人間の生活もガサガサしたものになる。
   イワヒバは、植えたものだと分かるように名前を書いて周囲に知らせておけば良かったと反省している。野生や自然に関心を持ってもらうことは、その大切さに気づいた自分の役割でもあると思うからだ(下の右の写真は、今年4月に私の集合住宅に現れたタヌキ)。 (先頭に戻る)

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No.238 「米国の民意をどう感じた?」(2020.11.11)

超大国アメリカ合衆国の大統領選が終わった。11月3日は投票日だったが結果が未決の州もある。7日にバイデン(副大統領候補は女性カマラ・ハリス)が勝利宣言をした。現職トランプ大統領は敗北を認めず「選挙に不正があった」として法廷闘争を継続すると報道されている(11/10)。
   私は、温暖化対策やコロナ対策は人類にとって最重要課題だと思ってきたので、バイデンの勝利を歓迎しているが、得票数の差はわずか(7700万票対7200万票)だ。民主党候補の支持者は増えたが、トランプ支持者も増えたことには驚きを感じる。日本ではあまり報道されないがトランプには魅力もあるのだろう。
   日本を支配している(支えている)アメリカの大統領だから日本人も無関心ではいられない。毎日新聞の11月8日の世論調査では、「日本にとって好ましい大統領は」との問いに、「トランプ」が29%、「バイデン」が42%、「どちらとも言えない」が27%という結果だった。支持政党別では、立憲民主、共産、公明、無党派層では「バイデン」が多かったが、自民党支持層は「トランプ」の方が多かったとの記事がでている。

   どうして日米間で、トランプ、バイデンの評価が違うのかについて考えてみた。
   米国の大手メディアには、トランプ大統領に批判的な報道が多い。トランプの科学軽視、人種差別の容認、国際社会と非協調(独善)の姿勢がメディア関係者に嫌われているのだ。日本人は日本国憲法の下で国連や国際協調の考え方に慣れてきた。米国の巨大企業は世界市場(グローバリズム)を視野に入れているせいか、人種差別には批判的で環境問題への意識も高い。日本には、そうした米国のメディアや企業のフィルター経てアメリカの情報が届けられているのだろう。
   4年前の大統領選では、トランプは、ヒラリー・クリントンを「金持ち層」の代表者として攻撃した(ヒラリーは、銃規制には消極的で、外交・防衛政策では共和党に近く、軍需産業からの献金が多いと言われる)。ヒラリーは女性有権者の支持が伸びず、選挙はトランプが勝利した。
   今回トランプは、バイデンを「金持ちの代表」とは呼ばず、「左派の候補」だと批判した。バイデンが予備選で争った民主社会主義者のバーニー・サンダース議員の支援を受けているためだ。しかし中道穏健で日和見的なバイデンには、この批判はさほど効果がなかった。
   多くのアメリカ人は、金持ち(資本家階級)も嫌いだが、社会主義も嫌いという感覚をもっているようだ。トランプは、そうした米国民の感情に訴えて選挙を戦い、有権者の半分ほどのアメリカ人には好感をもって受け入れられた。NHKの大統領選挙ドキュメンタリーでは、有権者の中に「彼(トランプ)が金持ちだということは知っているが、俺たちの気持ちを分かっている唯一の候補者だ」、「彼はアフガニスタンからの米軍の撤退も決めた。戦争は嫌いな男だ。任期中には戦争を仕掛けていない」、「民主党は工場を海外に移転させ俺たちの仕事を減らしたが、トランプは仕事を復活させてくれようとした」などの発言が聞こえた。

   アメリカの民意が分かれていて、銃を持って集会に参加する人々を見ると空恐ろしい感じがする。スポーツの試合を楽しむように政治に参加している人達かと思っていたが、人種差別意識や人権(例えば妊娠中絶を認めるか否かなど)を巡る価値観や宗教感覚の深刻な違いが露わになってきた。今朝のテレビでは、今回の選挙を経て、夫婦間親子間で、支持候補の違いによる対立から喧嘩や離婚がかって無いほど増えていると報じている(女性や若者はバイデン、高齢者はトランプ支持の傾向がある)。
   民主党は、資本家・企業家・人権重視派・環境活動家・民主社会主義者など多様な人達によって支えられている。共和党の妨害もあるので政策が進まないかもしれない。トランプは独裁的に振る舞ったけれども自分の選挙公約を実現しようとした点では民主主義的に見える。米国民の意識は、国際社会に(日本には特に強く)影響する。これからのバイデン大統領の4年間が問われることになる。大統領選挙で掘り起こされた人々の意識が、冷静な議論によってまとまっていくのか、それともますます危機的な事態(暴力)まで行くのか、とても気になる。 (先頭に戻る)

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No.237 「ちょっと使える無料アプリ」(2020.11.1)

植物愛好家としては、園芸種よりも野生の種の方が気になる。今日では、市街地には花屋の店頭も含めて外来植物はとても増えているが、在来の種では絶滅しかかっているものもある。先月国営ひたち海浜公園に行って、海岸近くの砂浜を歩いていたら、写真(下)の植物に出合った。4年前の10月にも同じ公園で見たことがあるが、名前は分からないままだった(2016年10月26日)。
   先日、友人のWさんから「グーグルレンズというアプリを使うと、ネット上の類似の写真と比較できるので検索に便利だ」と聞いたので、下の写真を送って調べてもらった。Wさんのグーグルレンズが初めに選んだのは、リナリアブルガリス(トードフラックス)という植物だった。これは日本では園芸種だが、英国では野生で見られるそうで、白い花弁の中央が黄色で写真の花ととても良く似ている。しかし葉の形やつき方が違っているし、そもそも日本の海岸辺りに生えているとは思われない。
   再度検索してもらった結果、生育場所も一致していることから(主に千葉県以北の太平洋沿岸)ウンラン(海蘭)だと判明した。学名はリナリアジャポニカという。名前からして日本固有の種のようだ。英国のリナリアも同じ属であり、砂地を好む。祖先は同じだったのかもしれない。形が似ているのでラン(蘭)の字があてられているが、ラン科(Orchid)ではなく、ゴマノハグサ科の植物だ。砂浜の減少のため、ウンランは地域によって絶滅が危惧されている(論文)。
   グーグルレンズは、ネット上にある画像の色や形を比較することで、統計的に可能性の高いものの候補をあげてくれる。この無料アプリはスマホなどで使用可能だ(⇒グーグルレンズのサイト)。スマホを持たない私は、分からない植物に遭遇したら、Wさんに調べてもらうという道が開けたと密かに喜んでいる。

   以下に、最近知った無料アプリで今後も使いたいと思うものを記載する。
   その一つは、Yさんが教えてくれたグーグルフォームだ(⇒グーグルフォームのサイト)。これは、アンケートのような質問の様式(フォーム)をネット上に置いておき、その回答をエクセルの集計表に変換するソフトだ。ホームページなどに埋め込まれた様式に記入、送信してもらえば、手元にそのデータがエクセルの表として作成される。実際に使ってみたら大幅に手間が省けた。
   また、Mさんが教えてくれた「調整さん」というアプリは便利そうだ(⇒調整さんのサイト)。会議や飲み会を持つ場合に、想定される日程を選んで予定表にしておき、参加予定者に都合の良い日(○印)、条件付きの日(△)、都合の悪い日(×印))を付けてもらうものだ。参加予定者が記入しさえすれば、簡単に日程を決めることができる。10名ほどのオンライン会議を毎月行っているので使ってみたい。
   会議を行うときには、その内容(テーマや進め方)は一番大事だが、それ以前にちょっとした準備作業が欠かせない。例えばテーマに関わる資料を作成する、参加予定者の意向を聞き日程を調整するなどだ。こんな作業でも頭も時間も使うし、人と連絡がとれずにイライラもする。だからそんなときに役立つアプリができることは大いに歓迎だ。無料だといっても、アプリを提供する企業は、それと引き替えに個人情報を集めたり、広告宣伝を入れたり、ゲームソフトを売るなどをしたりしている。便利なものは遠慮無く使いたいが、一番の問題は、物忘れ力が高まっていて、アプリに慣れるのに時間がかかることだ。 (先頭に戻る)

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No.236 「不正直で人間を続けられるか」(2020.10.23)

前回の随想で、「正直」は生きるための手段(策)ではなく、目的ではないかという考え方を書いた。今回は友人からもらったコメントと自分の思いをまとめてみた。
   私の考え方については、友人達からの直接の答えは無かったものの、「嘘を言うのが政治家のプロ。正直者は損をする。世の習い」、「私個人にとっては損得抜きに何でも正直に話し合える友人こそ人生の宝物」、「正直の背後には信頼・信じるという言葉がある」などのコメントをいただいた。また、Oさんから「アンが正直であるのは誰に対してなのかを考えてみてはどうか」という助言ももらった。
   アンが牧師さんに「正直というのは策じゃないでしょ」と言ったとき、アンは、自分自身に正直であることを意識していた。だから学校をさぼることができたのだ。自分自身に嘘をつき続けるならば、大抵の人は自分を見失い、心の病になってしまうだろう。
   アンは、自分には嘘をつかなかったが、義母のマリラを安心させようと学校に行ったふりをし、その嘘がマリラの気持ちを傷つけたことを知った。アンはマリラに自分の事情を説明しようとしたが、マリラは嘘を言われたことに腹を立てて会話ができなくなってしまう。言葉だけでは正直になる(信頼を取り戻す)ことはできない。その後のドラマでは、アンの行動が切っ掛けとなって信頼が醸成されていく様子が描かれている。アンの家での手伝い方、あるいは近所に火事が起きたときのアンの行動、アンを嫌っていた友達へのアンの思いやりを見て、マリラはアンを見直すことになる。正直や信頼は、言動が伴わなければ成り立たないものだろう。Gさんのコメントに、「相手の言葉だけではなく、全存在を見極め受け入れることが出来れば、正直な信頼関係が出来るのではないでしょうか」とあった。全く同感である。

   アンの発した問いかけ「正直は策じゃないでしょ」を、友人達のコメントと併せて考えてみると、人生の目的というと大げさな感じはするが、「楽しさ」とか「生き甲斐」とかと同じレベルに、「人間関係における正直さ」があるのではないだろうか。正直さがあってこそ、信頼や損得抜きの関係が生まれるからだ。この意味で「正直は最善の策(手段)」ではなく、もっと大切な価値を持つものだ。「正直は人生の質や内容(つまりは目的)である」と言う考え方は十分成り立つと思う。
   ところで、詐欺師やある種の人(一部の政治家など)は平気で嘘をつく。彼らにとっては「正直も嘘も方便(策)」なのだ。彼らは、騙されやすい人達を利用はするけれど、その人達と友人になりたいなどとは思っていない(仲間同士では正直者らしく振る舞っているのかもしれない)。金品を奪う、あるいは支持票をもらう手段として「正直なそぶり」をしているのだ。なかなか詐欺が無くならないのは、多くの人が「正直は最善の策」、「嘘も方便」、「沈黙は金」という言葉を信じているからではないのかと思う。正直であるとは、自分をさらけ出すことでもなければ、感情のまま行動することでもない。自分の本心が理解されるように積極的に説明し行動することなのだ。だから時には口論になる。自分で調べて理解し、自分を変える(反省する)行為まで含んでいる。正直であることこそ、人生の質を決定している。そのように考えないと、「正直も方便・嘘も方便」などを信条にしているずる賢い詐欺師や政治家に、大切な何かを奪われてしまうのではないかと思う。ずる賢い人達にも、「正直になれ!」と求め続けなければ、世の中は良くならない。
   「アンという名の少女」のアンと牧師さんのやりとりは、原作者の
モンゴメリーが書いているのか、それともカナダの放送局(CBC)のディレクターの考えなのかは知らないが、哲学的な意味でも考えさせられた場面だった。 (先頭に戻る)

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No.235 「正直は最善の策の“正直”とは」(2020.10.15)

 日曜日夜のNHK連続ドラマ「アンという名の少女」を見ている。日本では村岡花子訳の「赤毛のアン」が有名だが、これはカナダの公共放送(CBC)の作成した作品で、新しい視点が入っているようだ。 前回(10/11)は、小学校でいじめられ不登校になったアンが、義母のマリラから学校に行けと言われて、実際は1人遊びをしていたことがばれ、マリラから頼まれた牧師さんに説教される場面があった。
   牧師:「神がお怒りでいらっしゃるぞ。アン、覚えておきなさい。正直は最善の策だ」
   アン:「でも正直というのは策じゃないでしょ」
   牧師:「今何といった。君の考えはどうでもよろしい」
   アンは、「事実を省略するのも嘘なのですか」と更に考えを述べ、マリラが「このとおり反省していません」と言って、「自分は反省している」と主張するアンとマリラの口論となる。
   牧師は止めに入って、「そこまでだ。冷静になることを覚えなさい。無理に学校に行かせる必要はありません。うちに置いて家事を教え込むといいでしょう。結婚するまで」、「教育など受けさせなくても良い。女の子は良き妻になるように育てるべきだ」と断言する。

   この後でマリラはアンに「牧師さんの言ったことは時代おくれだ」と告げることことになるのだが、私には、牧師とアンとの「正直」についてのやり取りは含蓄のあるものに思われた。「正直」は、それ自体に価値があるのか(目的なのか)、それとも方策(policy・手段・方法・処世術)なのかということである。また、「正直」とは、いったいどんな状態・行動を意味するのかということである。
   牧師さんのように方策と考えれば、「正直は最善の策」は、とても分かり易い。嘘をつくとあれこれ取り繕わなければならず、嘘がばれれば信頼されなくなる。嘘をつくよりも本当のことを言った方がうんとマシだという意味だ。「正直は一生の宝」という言い方もあるが、この考えに近いように思う。
   これに対して、「正直」であること自体が普遍的な価値を持つと考えれば、更に考えを発展させられるように思う。「正直」とは、単に嘘をつかないだけでなく、根拠をあげて説明できる能力や水準と考えるのだ。虚偽の発言や情報の隠蔽、データ・記録の改ざんは、不正直の極みだが、それによって例え多数の人を喜ばせたとしても、真実や事実から遠ざかることになる。嘘やごまかしは一つの方策(嘘も方便)であるが、そこに本質的な価値はないと考える立場だ。「アンという名の少女」のアンは、正直であること自体に価値を見出していた。だから、牧師に「正直は方策なのか」と問うたのだ。これは、太っている人に「デブだ」という言うのが正直だと主張しているのではない。むしろ、批判すべきときには事実や証拠に基づいて批判するべき(それこそが正直)であって、理由なく、感情の赴くまま他人が嫌がることを言うようなこととは全く意味が違うのだ。アンに「正直というのは策じゃないでしょ」と言わせたこのドラマに拍手したい。
   学術(科学や技術)は正直でなければ成り立たない。他方、政治は「正直」であるよりも、宗教的な情熱や正義感に訴えることで有権者に支持されることが重要となる。だから、時として、フェイクニュースが流れたり(意図的に流したり)、重要な情報を隠蔽したりすることが平気で行われる。フェイクニュースが横行する中で11月3日のアメリカ大統領選の投票日を迎える。政治の世界でも、「正直」が人類共通の価値観になって欲しいと強く思っている。 (先頭に戻る)

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No.234 「学術会議への総理介入の危うさ」(2020.10.6)

 安倍内閣の政策を引き継ぐとして菅義偉(すがよしひで)氏が自民党総裁に選ばれ、9月16日に新内閣が発足した。世論の菅内閣への支持率は高かったので、しっかりコロナ対策をやってくれるのかと思っていたところ、学術会議が推薦した会員候補の6人を首相の判断で拒否したとの報道がされたので驚いた。
   6人のうちの1人は東大の加藤陽子教授だ。日本の近現代史、特に軍事と外交分野の専門家である。以前に弁護士会館で行われたシンポジウムの講演を聴き、高校生向けの著書「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」を読んだことがある。若い人に実際に起きた戦争について考えてもらう良い企画だとの印象が残っている。研究の実績があって学術会議から推薦され、犯罪の容疑や不祥事もない加藤教授がなぜ拒否されなければならなかったのか全く分からない。

   そもそも、学術会議は政権とは独立した学術の立場で政府に提言するための機関である。学術会議は内閣総理大臣の所轄(第1条)であるが、独立して科学についての重要事項を審議する役割(第3条)があり、政府に勧告する権限(第5条)が与えられている⇒条文:日本学術会議法(pdf)。 学術会議が会員の候補者を選考し(第17条)、その推薦に基づいて会員を内閣総理大臣が任命する(7条)こととなっている。条文を素直に読めば、学術会議が推薦しているのに総理大臣が任命しないことがいかに異常か分かる。会員に不適当な行為(犯罪など)があったときには、総理大臣は会員を退職させる権限をもつが、その時でさえ日本学術会議の申し出に基づいて行わなければならない(第26条)。会員は学会などの会合に出た場合には2万円の謝金が出るとのことだが、実質はボランティア的な活動になっているようだ(10億円の予算のうち、半分ほどは政府の事務局職員の給与)。
   私が購読している新聞は、任命拒否された6人は人文・社会科学の専門家で、安倍政権の時の法案(安保法制、共謀罪創設)に反対の立場を表明していたことを挙げ、総理の判断を「学術会議への看過できない政治介入だ」とする社説を掲げている(毎日10/3)。私は、毎日の社説に全く賛成である。独立機関の人事に対する政治介入が許されるならば、学長や大学教授などは、科学的思考を曲げて政権におもねる人達ばかりになってしまう。学術会議は、任命拒否された6名の任命を総理に要請したというが、当然のことだろう。それができなければ学術会議の役割は殆ど意味がなくなってしまう。学者までも総理の意向を忖度するようになれば、それは独裁国家だ。独裁国家の国民に明るい未来があるとは思われない。

   加藤陽子教授は、「官邸は時間もあったのに、新組織直前になっての任命拒否したのは、多くの分科会を抱え国際会議の予定もある学術会議の活動妨害だ」、「学問の自由という観点のみならず、学術会議の担うべき任務について首相官邸が軽んじた点も問題」と発言した(10/2記事)。菅首相は10月5日の官邸での内閣記者会でのインタビューで、「政府提出法案に対する立場と任命拒否は無関係」、「学問の自由とは無関係」、「6人の人事にはコメントを控える」と述べた。学術会議への挑戦である。任命拒否の理由を説明しないこと自体が、学者・研究者を不安に陥れ、菅政権に逆らえなくする無言の圧力となるからだ。
   「学問の自由」と言えば、1935年(昭和10年)軍人出身の議員が憲法学者美濃部達吉の天皇機関説を国会で批判し、美濃部を貴族院議員から辞任させ、著書を発禁処分とするに至った事件を思い起こさせる。加藤陽子氏を含む執筆者による「詳説日本史研究 改定版(2008年)」によれば、「この事件は明治憲法における立憲主義の理念がほぼ全面的に否定されたことを意味する」と解説されている。独裁や軍国主義が嫌いな私としては、今回の菅総理の決断にはとても危機感を感じている。 (先頭に戻る)

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No.233 「コチョウラン ピンク色が緑色に」(2020.9.23)

 「不思議」とは、自分の知識では説明がつかないという意味である。最近、その不思議を感じたので紹介する。実際に起きていることなので、何かそうなる理屈(必然性)はあるに違いない。
   まず、下の写真を見ていただきたい。左側は今年の5月12日に撮ったコチョウラン“Lucy”だ。右側の写真は今日9月23日に撮った同じ株である。5月には6輪の花がついていたが、8月までに4輪は萎れて枯れたので取り去った。先端の2輪もいずれ枯れると思っていたら、薄いピンクが白く変わり、更に白い花弁に薄い緑色の斑(まだら)が見えるようになった。緑の斑の面積は少しづつ拡大している。

   コチョウランが2~3カ月咲き続けることは珍しいことではない。花弁は柔らかなゴムシートのような厚みがあり、細胞が何層にもなっていて丈夫で長く咲き続けられる。。
   ピンク色が白くなるのは、色素のアントシアンの量が減ってきたのだろう。植物の色素は紫外線から身を守るためと言われていて、色素の増減によって葉や花の色が変わる。秋になると落葉樹が紅葉するのは、
葉緑素(クロロフィル)が光合成をする役割を終えて減少し、隠れていた黄色や赤の色素が出てくるためと説明されている。だが、白い花弁が緑色になるのはなぜなのか。
   緑の斑は病気にかかったためとは見えない。白い花弁の細胞の中に突然に葉緑素が生じたとしか見えない。ネット上のQ&Aを見てみたら、コチョウランで白い花弁が緑に変わる例があると分かった(答え1答え2)。なぜそうなるのかは説明されていないが、ネットの答えには、緑色になるのは先祖帰りであるとか、日照が少ない場所では緑色は強くなる傾向があるとか、アマビリスなど野生種に近いと緑色が出易いとか、緑色になると長持ちするなどと書かれている。

   この“Lucy”は、4カ月以上咲き続けている。葉の枚数が10枚以上あり花茎が太いので、2輪程度の花を長期間維持するに十分なエネルギーを持っていたのだろう。夏の暑さを避けるため窓から離れた部屋の中ほどに置いていたので、日照は少ない。白いコチョウランのアマビリスインドネシアを象徴する花になっている丈夫なランだ。そういえば、この系統の白の大輪のコチョウランの花弁を傷つけたときに、その傷の周囲が薄い緑色になったことがある。かさぶたが傷を覆う感じで、緑色はそれ以上広がらなかった。傷や日照不足という刺激が葉緑素を復活させたのだろうか。
   水やりなどをしながら植物の観察を続けていると、ちょっとした変化に気がつくことがある。毎日のわずかな変化は気づきにくいが、保存していた写真と比較することで、「おやっ!」と思うことがある。「不思議だなあ」と思えることを見つけたときには、それを人に話したくなる。そして何か得をしたような気分にもなる。 (先頭に戻る)

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No.232 「『共産党宣言』の現代的価値」(2020.9.16)

 先週、岩波文庫の「共産党宣言」(本体520円)を買って読んでみた。大内兵衛と向坂逸郎の訳だ。2018年10月15日第102刷発行となっており、日本の多くの人に読まれているようだ。「宣言」が、1848年1月に発表されたとき、マルクスは30歳・エンゲルスは28歳の気鋭の若者だった。岩波文庫では、「宣言」にカール・マルクスとフリードリッヒ・エンゲルスの署名の序文が付されている。最初の序文は、1872年のドイツ語版のもので、2人の署名がある。次の序文は1883年のドイツ語版で、F・エンゲルスだけの署名になっている(この年にマルクスは死去した)。「共産党宣言」をどのように読めば良いのかは著者が序文で語っている。1872年(発表から25年後)の序文ではおよそ次のように書かれている。

   1 最近25年間に事情はおおいに変化したが、それでもこの「宣言」の中に述べられている一般的諸原則は、だいたいにおいて、今日もなお完全な正しさを失っていない。個々の点はところどころ直さなくてはならないだろう。
   2 最近25年間における大工業のはかり知れない進歩や、それとともに前進する労働者階級の党組織や二月革命のあいだ政権を握ったパリ・コンミューンの実践的諸経験を考えれば、この綱領は、今日ではところどころ時代遅れになっている。
   3 社会主義に関する新しい文献がないので不十分である。反対党に対する共産主義者の立場の記述は、こまかい点では今日ではすでに時代遅れとなっている。
   以上のような断りを入れた上で、「この『宣言』は歴史的文書であって、われわれはもはやそれに変改を加える権利をもっていない」とした。

   「宣言」の第一章には有名な次の一文がある。
   「今日までのあらゆる社会の歴史は、階級闘争の歴史である。」
   この記述については、1888年の英語版の序文でエンゲルスは、「私の考えによれば、ダーウインの学説が自然科学の基礎になったと同様に、歴史科学の基礎となる使命をもつ」と高く評価している。だが、ダーウインの進化論と同じような科学的なものの見方と言えるのかは疑問がわく。
   例えば、アメリカやアフリカ大陸の原住民、オーストラリアのアボリジニの歴史が、階級闘争の歴史だったのかというとその証拠はない。フランス革命や1848年の二月革命については「社会の歴史は、階級闘争の歴史である」と言えるが、明治維新については、資本家階級が封建君主(幕藩体制)を打ち倒したとはとても言えない(薩長などの雄藩と幕府による主導権争いだったと理解している)。「宣言」の核心部分「あらゆる歴史は階級闘争の歴史」の考え方にも、今日では、時代遅れの部分(18~19世紀のヨーロッパ中心の世界観)を感じる。

   そこで「宣言」の現代的価値を考えてみることにした。ヒントは、マルクスとエンゲルスが序文で言う「25年の間に多少の時代遅れの部分がある」という箇所だ。「宣言」の内容が、25年毎に1割が時代遅れになる(9割は正しい)と仮定すると、「宣言」の作成時期から今日までで175年(25年×7)なので、今日では、0.9の7乗=0.43程度(約4割)は、時代遅れではない部分(正しい部分)であるということになる。
   一定の速度で歴史が進んで行くわけではないので、計算を適用するのは無謀という批判はあるだろう。めざましい科学技術の進展や人々の政治意識によって「宣言」が補強されたり、逆に、人類の未来社会を考える上では、新たな状況(地球温暖化、核兵器の出現)も考慮する必要が出てくる。だから、「宣言」の現代社会にも通用する部分は、控えめに計算結果の半分の2割程というのが私の直感だ。数年で無意味になる書籍、100年たてば存在さえ忘れられる書籍ばかりの中で、175年経っても2割の正しい内容を含むのならば、立派な古典として読む価値がある。現代資本主義の改良・発展(その先に社会主義があるのかもしれない)を考えるヒントがある。「宣言」には、例えば、「労働者革命の第一歩は民主主義を闘いとることである」、「もっとも進歩した国では、強度の累進税、都市と農村の対立の解消、すべての児童の公共的無償教育・・などが適用される」といった、現代にも通じる政治のあり方や貧困対策のアイデアが書かれている。
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No.231 「演劇・見える物語りの世界」(2020.9.10)

 昨日は、5ヶ月ぶりに地元の演劇鑑賞会の例会「砂塵のニケ」(劇団青年座)に参加した。本来はこの間に、「きらめく星座」(こまつ座)、「罠」(俳優座)、「東海道四谷怪談」(劇団前進座)が上演される予定だった。これらを見られなかったのは残念だが、もっと残念なのは、演劇鑑賞会の会員がかなり減ってしまったことだ。コロナの感染が進行する限り観客数が元に戻ることは難しい。上演の機会は減り、収入減で劇団が維持できなくなる恐れもある。
   会場の市の施設(約1000名の席)は、前後と左右隣りは空席にして使うので座席数は500名になる。会場では、入り口を増やして過密を避けるように並び、アルコールで手指の消毒をして、非接触での体温測定をし、更に感染が起きた場合の連絡先のカードの提出をした後に、座席の指定券をもらった。準備をしてくれた会員は大変だったろう。劇団員は例会前にPCR検査をして陰性を確認したとのことだ。

   
「砂塵のニケ」の物語りは、シングルマザーの母(緒川美沙子)とその娘(緒川理沙)の葛藤と和解の話だ。複雑な話ではないが、母親が娘の出生の秘密を娘に(むろん観客にも)隠したまま話が進むので、観客には「何が起きているんだ」という疑問が湧く。その疑問に答えるかのように、緒川美沙子の過去を知る人達の話や若い頃の美沙子が現れて人間関係が演じられる。
   企業トップ(オーナー?)の母は、いつも娘に押しつけがましくふるまっている。その母との関係が悪くて悩んでいたある日、緒川理沙(絵画修復技術者)は、知り合いの画商からルーブル美術館で仕事をする機会が与えられた。その作業中に修復対象の画家の絵の下にサモトラキ島とニケを描いた絵を発見する。 芝居の最後の場面で母と娘二人はサモトラキ島で対決する。美沙子が自分の弱さと過去の事実を語り、理沙は幼児期の過去を思いだして、全てが明かされるという筋立てになっている(上演2時間30分)。

   「ニケ」というのは、ルーブル美術館に展示されているニケ像(ギリシャの勝利の女神の像)だ(スニーカーやスポーツウエアのナイキの名前も同じ)。それは同時に、美沙子が昔ある男に名乗っていた名前でもある。「砂塵のニケ」は砂ぼこりにまみれたニケだが、悩みと苦労ばかりの若い時代の美沙子でもあるし、現代の理沙を表してもいるようにも思われる。物語りでは、怒りや苦しさを乗り越え理解し合える境地にたどり着くことができたのだから、勝利の女神が微笑んだというところか。
   「砂塵のニケ」では、戦争や災害というような悲惨な背景は語られていない。語られているのは、人間(女性)の自立の話でもあり、男女の恋の話でもあり、親子の愛情や友情の話である。ミステリーの謎解きとしても楽しめるが、親子喧嘩のような日常生活のことだからこそ、理解でき感動できることもある。コロナ感染の進行で、これからは今までの日常とは違った世界になるとも言われている。変わる日常もあるが、変わらない日常もあるだろう。この芝居で変えてはならない日常に気づかされた。 演劇終了後は、通常ならば行われる花束贈呈や劇団員との交流会は行われなかったが、私は満足して帰宅した。 (先頭に戻る)

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No.230 「領土問題と平和条約のゆくえ」(2020.9.3)

 8月28日(金)に安倍首相が突然引退を表明したと思っていたら、31日(月)には菅官房長官が有力な派閥から支持を受けて当選確実との報道がなされていた。安倍政治をそのまま引き継ぐには最適な人物だが、私の安倍政権の印象は、モリカケ問題、桜を見る会、河井杏里氏らへの1億5千万円送付と、安保法制(戦争法)の強行採決だ。
   安倍首相はプーチン大統領と何度も親しく会っているので、私は北方領土返還交渉については多少の期待をしていた(
No.42)。しかし、今そのメドは全く立っていないどころか、今年7月のロシアの憲法改正の内容を見れば、領土返還は不可能になったと感じる(7/4News)。この課題は安倍政権だけの責任ではない。歴代の政権が先送りして戦後75年も経ったことを考えれば、そしてロシアの事情も考えれば、もう過去の課題になってしまったのかもしれない。それでも、日露平和条約が締結できて、経済・文化交流が活発になるのなら双方にとって有益だと思っている。

   そもそも、領土問題は歴史認識や国民感情が関わるので、紛争の種になりがちだ。大きな紛争が生じれば人命を含む甚大な損害が双方にでる。危険な火薬庫になるのだ。それならば、こうした問題は遠ざけておくのも一つの解決方法である。この意味で、尖閣諸島について、日中国交正常化交渉のときに田中首相と周恩来首相とが帰属問題を棚上げしたのは正しい判断だったと言える(丹羽宇一郎著)。その後の日本は経済成長を続け、中国も飛躍的に発展した。安倍首相が「北方4島は日本の固有の領土」と言わなくなったのも、そうした考えがあるのかも知れない(2019毎日)。維新の議員が「(取り返すには)戦争やるしかない」(2019News)などと発言したことに比べれば大人の対応だろう。
   クリミア戦争も領土を巡る争いだった。この戦争で英仏トルコに破れたロシア帝国は財政破綻を避けるため、1867年にロシア領アラスカを720万ドルで米国に売却した。米国の国務長官は、寒いだけで何の役にも立たない土地を購入したとして批判を受けた(アラスカの歴史)。だが米国は、この地にオットセイ猟(オットセイは高級な毛皮)を行う国営企業を作り、その後の40年間でオットセイ218万頭を捕獲し、国営企業に976万ドルの税金を納めさせ、買収費用を回収してしまったといわれている。購入後、アラスカには金鉱や油田も発見され、航路の中継地にもなり、冷戦時代は軍事上の重要地にもなった。しかし、オットセイは、繁殖場所(島や岩礁)は多少の保護はされたが、海上では無制限に猟獲されたため激減することになった。

   国土・領土の価値は、その場所がもたらす全てのものの価値だ。経済的価値や軍事的価値だけではない。周辺の水域、上空、地下にも及ぶ立地と自然が持つ環境面・文化面の価値がある。土地の使い方にもよるが、統治する国にだけでなく、生態系の広がりから人類全体、生物全体にも利益をもたらすものだ。
   外交交渉は、自国の要望も、相手国の要望も満足されなくては成立しない。北方領土返還交渉は、施政権の返還や経済対策だけでなく、北方4島とその周辺の海域の環境保全や、野生生物の保護という視点も入れて取り組んで欲しい。そして、日露平和条約の締結を通して、日露が永遠に戦争をせず、相互理解を深め、助け合える関係が生まれれば、島の価値以上の価値を両国に、あるいは世界にもたらしたと評価されるのではないだろうか。 (先頭に戻る)

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No.229 「鯨やアザラシは海を豊かにする」(2020.8.24)

 8月下旬を迎えたが、猛暑はなお続いている。海水温の上昇で棲息する魚なども変わってきている。近年サンマの水揚げは減っているが、今年の秋は更に減ると予想されている(7/31予報)。それほど遠くない昔、北海道や東北の沿岸にニシンやハタハタが押し寄せていたが、今は夢物語だ。サンマは高級魚になってしまうかもしれない。少なくなった魚を中国漁船も出てきて漁をするのは悩みだが、そもそも漁獲量が減ったのは採り過ぎ(乱獲)が原因だし、環境汚染も一因だ。地球温暖化も含めて、全ては人間の自己責任とも言えるが、昔のような豊かな海を取り戻すことができるのだろうか。

   世界には、三大漁場と言われる場所がある。日本の周辺海域はその一つだ。暖流と寒流がぶつかり、大きな河川からの栄養源(窒素、リン、鉄など)の供給があるので植物プランクトンが大発生する。それを食べる動物プランクトンと更にそれを食べる魚が集まるという大きな生態系ができている。上流に森がある河川には栄養が豊富だ。落ち葉が分解されてできるフルボ酸鉄などは、植物プランクトンの発生に欠かせない。植林で海を豊かにした例は襟裳岬気仙沼にある。目には見えないが、海と森とは深い関わりがある。
   海の豊かさを取り戻す秘訣は植林の他にもある。「日本の鰭脚類(ききゃくるい)」(服部薫編 東大出版会)で引用されている「The Whale Pump」という論文を読んだ(⇒2010 Joe Romanら)。ここで分かったことは、鯨やアザラシなどが、河川にも劣らぬほどの大きな役割をしていることだった。

   鯨類や鰭脚類(アザラシ、アシカ・オットセイ・トド、セイウチなど)は哺乳類だが、潜水能力がとても高い。多くは水面下500~1000メートルの深海で餌をとる。深海で食べた餌は、光の当たる浅い海域で糞(窒素、リンなど)として排泄されて植物プランクトンを育てる。「The Whale Pump」の論文は、米国メイン湾(北西大西洋の米国とカナダの国境近くの湾)に注ぐ河川から供給される量を超える窒素成分が、この湾に棲む海生哺乳類によって深海からもたらされる現象を説明している。栄養分が深海から垂直に持ちあげられる現象は、「鯨ポンプ:the whale pump」と呼ばれている。メイン湾には、ミンククジラ、ナガスクジラ、ネズミイルカ、ゼニガタアザラシなどが数千から数万頭いる(季節としては春から夏に増える)。この調査は、鯨類などの糞を採取し、その中の窒素(アンモニア、アンモニウム、全有機窒素)の量を量って行われた。窒素やリン、鉄などの栄養成分も含む大量の糞は水面を漂いながらゆっくりと溶けていく(動画)。鯨類や鰭脚類が今より多かった時代であれば、鯨ポンプの効果は、河川からの栄養成分の供給量の数倍に当たると推計されている(魚の量もそれだけ多く豊かだったという意味)。
   米国メイン湾での調査事例から考えれば、ベーリング海、オホーツク海、太平洋の三陸沖など日本周辺でも、鯨やオットセイ、アザラシが棲息しているのだから、同様なことが言えるだろう。かつて余るほどの海の幸をもたらした要因の一つは、この海域に住む鯨や鰭脚類の行動だったのだ。彼らは海を深く耕してくれていた。人間はそのことに気がつかないまま、毛皮や肉のために、あるいはトド(海のギャングなどと呼ばれていた)が漁網を破るからという理由で、鯨類や鰭脚類を何万頭も殺してきた(日本アシカは絶滅した)。

   鯨類などは海を豊かにするだけではない。植物プランクトンは大気中の炭酸ガスを固定して最終的に生物の体内に炭素を留める。また鯨類などの死骸は海底で炭素を取り込んだまま長く維持される。鯨など大型の海洋生物の保護は温暖化対策にも役立つと言うことになる。
   知らなかったとは言え、私たちは「福の神」だった鯨類や鰭脚類を、単なる「毛皮や肉の商品」や「貧乏神」と間違えてきたのかもしれない。海洋生態系における彼らの重要な役割を無視してきたようだ。手頃な値段でサンマなどを食べたい消費者の一人としては、海の生き物に関心を持たずにはおられない。哺乳類を含めた海洋生物の研究の進展を願っている。 (先頭に戻る)

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No.228 「敗戦後75年を迎えた日」(2020.8.15)

 今日の全国紙第一面の隅には厚生労働省の政府公報がでている。そこには「8月15日は、戦没者を追悼し、平和を祈念する日です。正午から1分間の黙とうをお願いします。」と書かれている。私も、テレビを見ながら黙とうをした。8月15日の意味は、75年前のこの日の正午に天皇がポツダム宣言の受諾(日本の敗北)をラジオ放送で国民に明らかにしたことである。
   ポツダム宣言は米英中ソによる共同宣言だ(⇒
本文(国会図書館))。日本の主権を本州・北海道など4島に限定すること、軍隊の武装解除と戦争犯罪人を処罰すること、日本国政府が言論の自由や基本的人権を尊重すること、連合国の日本占領と責任ある政府樹立後の占領軍の撤退など、宣言受け入れ後の道を定めている。天皇による終戦の詔書(⇒国立公文書館)によって宣言の受諾は国民に告げられたが、その意味を国民が知ったのはしばらく後である。私の母はラジオを聞いておらず、聞いた人からの「戦争は負けたらしい」という言葉で、朝から空襲警報がなかったわけを知ったと、私に語ってくれた。

   今年の戦没者追悼式でも、天皇のお言葉には、「深い悲しみ」、「過去を顧み、深い反省の上に立って」などの言葉があったが、国民の代表である首相式辞には、「御霊(みたま)やすかれ」の言葉は2回あるが、「悲しみ」も「反省」も述べていない。政府が国民を戦地に赴かせ、飢餓や病気、空襲で悲惨な死を招いたことへの反省は読み取れない。むしろ犠牲者になった人達から恨まれたり、祟(たた)られたりするのを恐れているが故に、「御霊やすかれ」の言葉を繰り返し、死者に「敬意と感謝」を捧げている(先の戦争を肯定している)ように感じる。

   戦後75年間、日本政府が直接戦争することはなかったが、朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラク戦争では政府も民間企業も米軍に多大な協力をしてきた(朝鮮戦争で日本人が米軍指揮下で戦った⇒(2019NHK))。ポツダム宣言では、まともな政府ができれば占領軍は撤退するのが約束だったのに、今でも米軍は国内に残っている。日米安全保障条約によって米軍に守ってもらっているという見方はあるが、日本上空では民間の航空機よりも米軍機の飛行が優先されている(日米地位協定)。沖縄米軍基地で駐留兵のコロナ感染者が多発していても、米軍は日本政府にも沖縄県にも詳細な情報を与えていない(8/13News)。
   日本人は米軍に守ってもらっているのか。ポツダム宣言12条(平和的傾向ヲ有シ且責任アル政府カ樹立セラルルニ於テハ聯合国ノ占領軍ハ直ニ日本国ヨリ撤収セラルヘシ)に照らせば、実は、日本には平和を目指す責任ある政府ができてないから占領が続けられている(敗戦が続いている)ということか。
   戦争をするかしないかは国民の支持があって決められるものだ。「戦争の惨禍を二度と繰り返さない」という首相の言を信じていれば安心ということにはならない。戦後75年の意味は、実際に戦地に行った人が90歳以上でごくわずかになったという事実である。物心がついて被爆や空襲にあった人でも80歳を超える。日本が戦争を絶対にしないためには、これからは悲惨な戦争を直接経験していない人が、歴史を見聞きして自分の決意を語っていかなければならない時代になったと思った。 (先頭に戻る)

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No.227 「背中をさする効果」(2020.8.8)

 梅雨が明けて暑い毎日が続いている。新型コロナの感染者数は収まるどころか、逆に急速に増えている。検査数に対する陽性者の比率も高まって、感染経路が不明な人が増えているから、実際はその数倍の人が感染しているのだろう。識者が言うように、PCR検査数がまだ少なすぎて感染状況が把握できていないという問題の現れでもある。
   感染者が元気で歩き回ったり、仕事をしたりしているのだから、感染すれば重症化の恐れがある高齢者の私は、人との接触には強い不安を覚える。それでも昨日は、人間ドックの検査を受けに近所のクリニックに行った。今週の火曜日に問い合わせて金曜日に予約できたのは、病院をためらう人が増えているからだ。私は秋になったら更に感染者数が増えると予想しているので、早いほうがリスクは少ないと決断した。保険の適用外だが、市から13,000円の助成が出る。本人負担は29,900円だった。

   人間ドックの検査項目は主なものだけで11項目ある。検査が終わるまでに午前中いっぱいかかった(血液検査などの結果は1ヶ月後に報告書が自宅に届く)。胸部エックス線、腹部超音波検査などの後で、最後に胃カメラ検査(
上部消化管内視鏡検査)を行った。バリウムを飲むエックス線検査もあるが、後が大変だし、何かが見つかった場合には胃カメラで確認することになる。だから初めから胃カメラを選んだ。このクリニックの医師は内視鏡外科学会の技術認定医なので安心感もあった。
   胃カメラの優れたところは、食道から胃、十二指腸までを10分くらいの間に観察でき(患者=検査される側も見ることができる)、医師が多少の処置をすることも可能なことだ。患者にとって嫌なところは、カメラを飲むのがつらいことだ。そのために内視鏡を挿入する前に麻酔薬を飲むのだが、直径1センチメートルほどのケーブル状の固いカメラなので、飲み込むまでの時間(5分ほど)が吐き気の時間となる。今回も吐き気は止まらず、口にはめたマウスピースからだらだらと胃液(?)が出て来る。ティシュペーパーでぬぐい取り続けた。若い看護師が何度も背中をさすってくれた。カメラが胃に到達すると吐き気は軽くなった。

   医師はカメラを操作しながら画像の解説をしてくれる。「ここは消化管の壁が動いています。向こう側に心臓があるためです」、「胃の壁が白っぽいです。壁が薄くなっているのです。長年使っているからやむを得ないですね」、「この胃のくびれのところは、癌が発生し易い場所ですが、きれいです」、「この赤いのはカメラで強く吸引したためです」など。私は上目使いでモニター画面を見続けた。食道から胃への入り口、胃と十二指腸との境が見えた。カメラがそこを通過するときは緊張したが痛くも何も感じなかった。空気を送って胃を風船のように膨らませて襞(ひだ)の間を広げたときは、腹が張った感じがした。波長の違う光を当てて異常の有無を調べたし、カメラの先端の向きを180度変えて、胃の中の隅々も問題はないことを確認した。 まるで自分がミクロ人間になって上部消化管の中を探検しているようで、モニター画面を見ているときは、むしろ楽しく感じた(癌が見つかればこんな気持ちにはなれないとは思うのだが)。
   医師も看護師も丁寧な言葉使いと対応で気を遣ってくれているのが分かる。検査が終わってから、「背中をさすってもらったことで苦痛が随分和らぎました」などと感謝の気持ちを伝えた。帰宅して、「背中をさするとどうして楽になるのか」を調べた。「さすることで吐くのが容易になる。吐くと楽になるので、さすることも楽に感じるのではないか」とか、「人とのふれあいなど心理的なものではないか」という答えが見つかった。分かったような分からない答えだ。私は看護師に背中をさすってもらった効果をとても強く感じたので、皮膚が内臓や神経系を刺激する仕組み(病気や怪我で弱った子猫を親猫が繰り返し舐めることで生じる刺激や化学物質による緩和作用のような)があるのではないかと想像している。 (先頭に戻る)

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No.226 「グローバル視点の日本史へ」(2020.8.2)

 6月と7月に放映されたNHKスペシャル「戦国 激動の世界と日本」は、戦国時代をこれまでとは異なった視点で描いていて、感心した(NHKPR)。ポルトガル・スペインの大航海時代から、オランダの独立、イギリスの世界制覇という世界の動きの中で、これらの国の日本への影響(銃とキリスト教)は良く知られているが、オランダのアジア進出と欧州に与えた日本からの重大な影響はこれまで語られてこなかったからだ。
   番組では、オランダは、スペイン領だったインドネシアの要塞を攻撃するために、大阪城陥落の後に仕事にあぶれた武士を(家康の許可を得て)傭兵として使ったことを紹介している(オランダの文書には日本人傭兵の名前も残っている)。また、家康が、堅固な大阪城を攻撃するためにオランダの最新鋭の大砲を購入したことを紹介している(化学分析の結果、原料に日本の銅が使われたと判明)。さらに南蛮貿易や朱印船貿易で日本から割安で輸入した大量の銀(世界の銀産出量の1/3)を用いてオランダがスペインからの独立戦争(1568~1609)や三十年戦争(1618~1648)を戦ったことも説明している。スペインのハプスブルグ家に支配されていたオランダは、1648年のウエストファリア条約でスペインからの独立が正式に認められた。

   新しい資料の発掘で歴史学は見直され進歩する。海外の記録が日本史の空白を埋めてくれることがある。この意味では、日本の歴史も検証され続けなければならない。大日本帝国政府は、国民には知って欲しくないことを隠しただろうし、政府自身も知らなかった外国の対日政策やそれを左右した政治経済事情が明らかにされれば、日本の将来を考える上では大変参考になると思う。
   私は明治大学の近現代史研究会の講義を受講してきた。今年の6月末に、この2年間の講義内容をまとめた本「明日のための近代史」が発行された(著者は明治大学文学部講師の伊勢弘志さん(史学博士) 芙蓉書房出版 2200円+税 写真↓)。この本では、年代を追って記述するという方法はとっていない。「なせ開国に至ったのか」、「岩倉使節団はヨーロッパの誰から何を学んだのか」、「何を気にして東アジア戦略をどのように決めたのか」などが、日本の事情だけでなく、なぜ外国がそのような行動をとったのかなど関係国の政治・経済・社会情勢まで掘り下げて解説されているので、事件とその背景が地球を俯瞰するように理解できる(伊勢弘志さんは、日本陸軍や石原莞爾を深く調べた研究者)。
   高校では日本史と世界史は別々に教えられている。ばらばらな知識という印象から私は強い関心を持たなかった。しかし人類史として考えれば日本史も世界史も共通部分が多いし、辺境の地にあった日本で中国王朝を通じて世界と繋がりを持ってきた。鎖国時代でさえ徳川幕府は世界を見続けてきた。だからグローバルな視点で日本史を読み直すことができれば、違った日本の姿が見えてくるだろう。2022年度から高校の「世界史」と「日本史」を統合し、近現代を中心にした「歴史総合」(提言内容)が実施されるらしい。ならばその授業は伊勢さんの講義のような面白いものになればいいなあと思う。 (先頭に戻る)

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No.225 「ボリシェヴィキとニノチカ」(2020.7.27)

 NHKの番組プレミアムシネマで「ニノチカ」を見た。1939年に公開されたハリウッド映画だ。ソビエト共産党(ボリシェヴィキ)の党員ニノチカとパリに住む貴族(レオン伯爵)の恋の物語である(解説1解説2)。
   物語の時代背景は第一大戦後、ソビエト政権ではレーニンが死去しスターリンの時代である(1925~1930頃か)。映画にはヒトラーの存在も垣間見える。ソ連貿易省の役人3人がロシア帝国時代の貴族の所有物だった宝石類をパリに売りに来るところから始まる。ソ連の食糧事情改善のためトラクターを購入する資金を得るのが目的だ。ロシアから亡命していた大公妃の妨害もあって、宝石商との交渉はうまく行かず、3人の上司であるニノチカ(グレタ・ガルボ:スエーデン生まれの女優)が派遣されてくる。ニノチカは、旅先にもレーニンの肖像画を持ってくるほどの熱心な共産党員で、「自分は革命を担う小さな歯車だ」として、いつも人民ためを考え、仕事でも聡明さを示す女性だ。
   体制の違う世界に住む二人のラブコメディーであるが、スターリン体制の批判もしている。3人の役人は「レーニンが生きていればなあ」、(高級ホテルのスイートルームに泊まれば)「シベリア送りになるぞ」などの会話をしているし、赤の広場でスターリンの肖像を掲げて行進する人々やアパート内で治安当局の監視を恐れる様子も映されている。同時に、ニノチカに強く惹かれたレオン(メルビン・ダグラス)が資本論を読み始めたり、召使にやらせていた仕事を自分で始めるなど貴族らしからぬ生活を始める様子も描いている。映画は、レオンの愛を知ったニノチカに「ソ連には理想があり、ここ(パリ)には暖かい気候がある」と語らせている。社会主義思想やソ連を悪とみなした映画とは見えない。白黒映画だが、私には面白く、後味の良い映画だった。

   この映画を見た当時のアメリカ人は、ボリシェヴィキの目指す社会主義をどのように見ていたのか。1939年当時は世界恐慌の影響が続いていた時代でもある。大量の失業を経験していたから資本主義を全面的肯定していたとは思われない。 第一次世界大戦で、英仏とロシア帝国は共同してドイツ(オーストリア・ハンガリー帝国との連合)と戦った。大戦の途中でロシア帝国で革命が起きた。ボリシェヴィキの指導者レーニンは、即時平和を呼びかけ、ロシア軍の引き上げを行い、ロシア帝国の権益を放棄し、無賠償・無併合を訴えた。アメリカは途中から、英国を救うために参戦する。大統領ウイルソンは、利権を重視する英仏とは一線を画し、レーニンの「平和についての布告」の内容(民族自決権)を一部取り入れた「14ヵ条の平和原則」を発表している。ロシアとアメリカの考え方が一致する部分もあったころの話だ。 この映画では、レーニンはスターリンよりも好意的に描かれているようだ。ニノチカがレオンを好ましく思う時に、レーニンの肖像が微笑む場面が楽しい。 監督は、ユダヤ系ドイツ人のエルンスト・ルビッチ(ナチスからドイツ市民権を剥奪され米国に移住した人)。アカデミー作品賞、主演女優賞(グレタ・ガルボ)。
   ちなみに、1939年(昭和14年)の日本は、ヒトラー・ムッソリーニと日独伊三国防共協定(1937年)を結び、盧溝橋事件(1937年7月)を起こし、日中戦争を始めてから1年を経過したころである。アメリカは日本を警戒し、日米関係は悪化の一途をたどりつつあった。2年後の1941年(昭和16年12月8日)には真珠湾攻撃で太平洋戦争が始まる。 (先頭に戻る)

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No.224 「ソ連邦崩壊について考えてみた」(2020.7.22)

 人生でとても驚いた歴史事件の一つは、ソビエト連邦(ソビエト社会主義共和国連邦)の崩壊だ。私が生まれたときから東西冷戦があった。米ソは核兵器開発、人工衛星開発でしのぎを削ってきた。日本では、日ソ不可侵条約を破ったことやシベリア抑留の話からソ連を嫌悪する人達がいる反面、「社会主義国」であり、労働者を大事にする国だと聞いて共感を寄せる人も少なくなかった。アメリカと対等に渡り合える国ならばずっと続くと思っていたのに、あれよあれよという間に解体され、1991年12月26日ソ連は消滅した(独立国家共同体に移行)。ソ連が優れた制度の国だったら存続できたはずだが、一体何が起こっていたのか。

   2017年11月に全面改定された「詳説世界史研究」(18名の歴史学者が執筆)では、最新研究成果も取り入れてソ連の解体の背景を記述している。要約すれば次の5点になる。
   1つは、経済財政の破綻。軍拡競争の重い負担である。ソ連はGDPの1/6~1/4を軍事支出に振り向けていた。アフガン侵攻中にソ連経済を支えた原油価格の値下がり大きい(サウジアラビアに原油を増産させた米国による経済制裁)。
   2つ目は、政策判断の誤り。ゴルバチョフ以前のソ連の指導部(ブレジネフら)は高齢者ばかりだった。1979年末にアフガニスタンに侵攻させたが泥沼化した(1980年のモスクワオリンピックを西側諸国がボイコット)。1985年に共産党書記長に54歳で就任したゴルバチョフは、1988にアフガニスタンから軍を撤退させたが遅きに失した。
   3つ目は、1986年のチェルノブイリ原発のメルトダウン。政府の技術的・財政的支援は全く不十分だった。
   4つ目は、東欧諸国の離反。1989年1月のハンガリーでの一党独裁の否定、6月のポーランドの複数政党制導入で「連帯」の勝利。12月のベルリンの壁の解放とチェコのビロード革命、ルーマニアの独裁者チャウシェスクの処刑などが続いた(以前だったらソ連軍の侵攻で抑えていたところだ)。
   5つ目は、ペレストロイカ(立て直し)、グラスノスチ(情報公開)、複数政党制導入などのゴルバチョフの改革で、国民は「社会主義」にも疑問を持つようになった。ソ連邦15か国中最大のロシア共和国で、元共産党幹部で急進改革派のエリツィンが大統領になったことは大きい。改革に抵抗する党・政府の保守派はゴルバチョフを軟禁してクーデターを起こしたが、エリツィンらモスクワ市民の抵抗でクーデターは失敗した。

   ソ連の解体は、財政破綻とアフガニスタン侵攻などの失敗で政治が信頼されなくなったところに、民主主義的な改革とナショナリズムの動きが進み、従来の社会主義イデオロギーが空洞化した結果といえる。資本主義の矛盾を克服する方法として社会主義を目指したはず(従って民主主義が貫かれなければならなかったはず)だったのが、実際の運用としては、異論の排除、住民への監視、違反者の厳罰などが幅を聞かせていた(ソ連崩壊後の史料公開によって、市場原理をとりいれたネップ政策の下でもそうした抑圧が行われていたことが明らかにされている)。
   だから、当時のソビエト連邦は「資本主義を克服した社会主義国家」になっていたのかと問われれば、違うと言わざるを得ない。ただしゴルバチョフはあくまでも社会主義の理想を信じていたと言われているので、「社会主義を目指した政府主導の資本主義」だったと言えるかもしれない。現在の中国や社会主義に期待する人々にとっては、教訓になる歴史だと思う。 (先頭に戻る)

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No.223 「資本主義をどう理解するか」(2020.7.13)

 現代社会を歴史用語で一口に表現すれば、資本主義社会だ。高校の参考書(世界史研究詳説:山川出版)には、「資本主義」とは、資本家である経営者が多数の非熟練労働者を雇い、利益の獲得と資本の拡大を目指すシステムだと書かれている。資本主義は、18世紀の蒸気機関と機械の発明で生産過程が大いに改良された結果生まれた。それまでの家内工業では実現できない大量の製品や大規模なサービスが提供できる。新技術の開発や大規模な工場建設などには巨額の資金が必要になるが、現代では株式会社制度と株式市場(金融市場)で資金調達が容易に行われる。大規模生産で価格の安い商品を多種類生みだすことで、資本主義は豊かさをもたらしてくれた。
   だが、資本主義が豊かさをもたらしたと言っても、万人が幸せになれるかどうかは別問題だ。資本主義とは、基本的には資本家が労働者を雇った賃金以上に働かせることで利益を得る(搾取する)仕組みだからだ。ブラック企業のように低賃金で過酷な働かせ方をすれば、労働者は体を壊したり、結婚も子育てもできない悲惨な事態になる。企業の側が経営に失敗すれば倒産し消滅する。逆に、画期的な製品を開発して大衆に支持されれば莫大な利益を手にすることもできる。低賃金で働く大勢の人々がいる一方で、莫大な富を手にするごく少数の人達がいる。それが私たちの目の前で起きていることだ。
   初期の資本主義は、女性、子供も含めた労働者を酷使した。極めて暴力的であり、いずれ労働者による革命で終焉するという予測(あるいは終焉させたいという希望)があった。現実がそうならなかったのは、政府が、労働運動の進展に応じて福祉制度、労働法制、企業の規制などに務めた結果である。

   資本主義以前の社会は、「封建社会」と呼ばれる。18世紀後半の資本主義の成立と、フランス革命、アメリカの独立革命などとは深い関わりを持っている(
説明)。資本家(商工業者)は税を納めているのに、王侯貴族の前では差別扱いを受けて屈辱を味わっていた。だから知識と財力を持った資本家達は、自由と平等にあこがれて、封建社会を打ち破る市民革命の担い手にもなれた。今の資本主義にも自由と平等という考え方が組み込まれているように思う。例えば、第二次大戦後にGATT(自由で無差別な国際貿易の促進を目指した国際経済協定)を作ったことや、経済のグローバル化の推進はその延長上にある。
   封建時代は1000年くらい続いて、資本主義にとって代わられた。グローバルな資本主義の時代になっても、封建的な考えや自国中心主義は根強く残っている。だから資本主義を愛する新しい資本家や経営者は、自由と平等を妨げるものと戦わざるをえない。例えば、女性に歓迎される商品開発のためには女性差別をしない経営者に代えていかなければならない。人種やマイノリティへの差別を許す企業は、消費者から嫌悪されるし有能な人材を確保できない(記事)。技術と資本がある人的集団(企業)でも温暖化や資源問題・環境などの問題に関心を持たなければ、ビジネスチャンスを失う。所得格差の解消のためにアメリカの著名な資産家が超富裕層に特別な課税をするよう訴える動きがある(記事)。抵抗も大きいので実現には何十年あるいは百年以上もかかるだろうが、こうした活動が人々の支持を得ていけば(その可能性は大きい)、資本主義は行き詰ることなく何百年も続くに違いない。

   「資本主義」については誤解もあるので付け加えたい。例えば共産党が独裁している中国(中華人民共和国)は、資本主義ではなく、社会主義(あるいは共産主義)ではないかという誤解だ。鄧小平の改革開放路線の下で、日米欧との経済的繋がりを深めて工業化を進めて世界の工場とも言われるまでになってきた。中国の企業だって、労働者を搾取し利潤を上げること(利益の獲得と資本の拡大)を重視していることは、日本の企業と同じである。だから、今の中国は資本主義社会としか言いようがない。 (先頭に戻る)

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No.222 「かぐや姫は大盗人なの?」(2020.7.5)

 ことわざ(諺)は、世間を理解する上で参考になる。人々がどのような価値観や心情で物事を見るかが分かるからである。ものの見方は1つではないから、「君子危うきに近寄らず」と「虎穴に入らずんば虎子を得ず」といった真逆の諺もあり得る(事例)。また、言いたいことは同じでも程度が違う諺もある。「盗人にも三分の理」、「盗人にも五分の理」などである。物を盗むことは悪いこと(不道徳または違法)ではあるが、それなりの止むを得ない理由があるという意味だ。「良く聞いて情状酌量してやろう」という文脈で使われることもあるが、「こじつければ何だって理由はつくのだから真面目に聞く必要はない」という突き放した場面でも使われる(辞書1辞書2)。その辺りの心の揺れが、「三分」になったり、「五分」になったりしている。

   「盗人にも三分の理」を聞いて思い出すのは、昔読んだビクトルユーゴーの「レミゼラブル」だ。主人公のジャンバルジャンは、飢餓状態にある姉の娘のために1本のパンを盗んで逮捕される。脱獄を重ね、結果として刑務所で19年間すごす羽目になった。パンを盗むのも脱獄も違法ではあるが、読者はジャンバルジャンの行為を心情として理解できる。映画や芝居として何度も上演されているのは、ジャンバルジャンの生き方や彼に影響を与えたミリエル司教の行動に共感するからだろう。この物語には、フランス革命の成果である所有権、生存権、幸福追求権を重視する考え方(現代に通じる思想)が反映されている。
   「盗人にも五分の理」については、盗人の言い分を50%も認めるのは認め過ぎだという印象を持っていたが、最近では、「五分の理」でも「八分の理」でもあり得ると思うようになった。それは、何を盗んだのか、相手はどんな人か、盗んだ動機は何か、その後どうなったのかなどの事情を知らなければ、うかつには判断できないと思うようになったからだ。「ぬすっと」は、他人の所有物を盗みとる者に対して言うときもあれば、人をののしって言うときもある。悪口を言うとしても、その是非を吟味することが必要だ。

   竹取物語という超有名なベストセラーがある。美しく成長したかぐや姫に五人の貴公子と帝が求婚する話だ。かぐや姫は、結婚をあきらめさせるために貴公子に難題をだす。大納言大伴の御行(おおとものみゆき)には、「竜の首にある五色に光る玉を取ってきていただきたい」と翁を通じて伝えた。そこで大納言は、家来に「竜の玉を取って来い」と命じ、妻を追いだしてかぐや姫を迎える準備をする。家来は皆逃げてしまったので、自分で船に乗って出かけるが嵐に会う。嵐にもまれる船の上で竜を殺さないと誓い、命を救ってくれと祈願して都に帰ってくる。戻って来た家来に、竜を捕らえなかったことを褒めて褒美を与え、「かぐや姫という大盗人のやつがおれを殺そうとした。かぐや姫の家の近所にも近づくな」と命じた(原文)。
   かぐや姫との結婚が叶わない大伴の御行が、腹いせにかぐや姫を大盗人呼ばわりしたくなる気持ちは理解できる。しかし、彼の行いは、物語のできた平安時代初期の道徳に照らしても褒められたものではない。大伴の御行に離縁された妻は御行の結末を聞いて腹をよじらせて笑った(腹を切りて笑い給う)と書かれている。かぐや姫を大盗人だと呼ぶのだとしたら、この話では、盗人には「十分(100%)以上の理」があると言っても差し支えないと思った。 (先頭に戻る)

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No.221 「小さな団体の自治と役員選び」(2020.6.29)

 一昨日は、私の住む集合住宅の総会だった。私は管理組合の理事だったので進行役を担当した。総会では次年度の役員を決める。役員は、理事長、副理事長、理事、幹事の4名だ。総戸数が30戸余りの小さな集合住宅だから、管理会社の常駐員はいない。理事長は管理会社から報告を受けたり、物事の決定や指示をしたりしなければならない。法律上も管理組合の責任者である。私も過去に2回担当したが、負担を感じることもあった。それで「理事長には絶対になりたくない」という人もいる。
   役員は毎年交代することになっていて、一応順番は決めてあるが、引っ越しなどで順番を変えなければならないときもある。今年の総会の前に次期役員の候補に意向を聞いたとき、全員から理事長になることを拒否されてしまった。高齢でときどき入院が必要な人、部屋を他人に貸していて今は集合住宅に住んでない人、前回に理事長をやっており事情によりどうしてもできない人など、話を聞けばそれぞれもっともな理由である。当初の話し合いは物別れとなったが、後日何とか決着した。
   大規模な集合住宅だと、理事が20~30名の規模になる。考え方や事情の異なる人達が多人数で話し合うので、意志決定は容易ではない。数百戸が居住する集合住宅の理事を経験した私の友人が、「議論にとても時間がかかる」、「もう2度とやりたくない」と言っていたのは、実感がこもっていた。

   こうした役員選びの困難は時々起きる。その都度、相談して解決するよりしかたがないことなのだと思う。町会やPTAの役員選びでも同様の問題はある。以前のことだが、やくざ(反社会的団体)の男が成り手がなかったPTA会長になって、他の役員に教室でポルノ映画を見せていたと報道された。修繕費など多額の金を扱う大きな集合住宅では、業者と関わりをもつグループが理事長など執行部を長年続けた結果、接待や不正な会計が起きたことも聞いた。地方自治は民主主義の原点だと学んだが、それより小さな団体(集合住宅、企業)でも実は同じである。面倒だからと誰かに全てを委せてしまえば、そのことから起きる問題は、自分を含め、その構成員である会員に降りかかってくる。何の報酬もない集合住宅の役員であっても関係者に与える影響の大きさは、議会と何ら変わらない。

   ところで、国会議員は無報酬ではなく、1人2千万円以上の歳費が支払われる(
資料1資料2)。他国の議員の水準からみても特に高額だと言われている。国政という大きな仕事を志す人達が、金を目当てにしているとは思いたくないが、昨年の参議院選挙で、広島選挙区の河井案里候補は、夫の河井克行議員(前法務大臣)と一緒に、地元の県会議員などに2千万円を超す金を配ったと報道されている(6月18日に二人は逮捕された。6/28)。この人達は、議員になって一体何をしたかったのだろう。自民党本部が河井議員らに1億5千万円渡した(政党助成金が原資であれば元は税金だ)とも報道されている。こんなことをするために政党助成金を作ったのだろうか。同じ選挙区の自民党の現職(溝手顕正さん:落選)には、自民党本部から1千5百万円しか渡されなかったという。不公平な扱いは党内で問題にならなかったのだろうか。 (先頭に戻る)

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No.220 「ウェブカメラ購入の顛末」(2020.6.22)

 そのカメラを買ったのは、5月14日だった。切っ掛けは、5月初めにFさんからスカイプで会話をしようと誘われたことだ。5年前に買ったパソコンに内蔵されているカメラは壊れていたので、外付けのウェブカメラが必要になったのだ。最寄りの電気店(量販店)に問い合わせたら、テレワークで使う人が増えたせいか売り切れが続いていた。5月14日に再度問い合わせたら、「ウェアラブルカメラならあります」と言われた。このカメラはアスリート用で、4Kの解像度があり、水中でも使用できるものだった。ウェブカメラとしても使用可能との説明だったので、少し値段が高かったが購入した(記録用のマイクロSDを含めて税込み1万388円)。
   購入して直ぐに後悔した。画像はとてもきれいなのだが、うまく機能しない。パソコン操作の途中で画像が切れてしまうことが頻繁に起きるのだ。カメラの使用方法は同梱されていない。うまく接続できたときの条件を記録しておき、次回にその条件でやっても画像がでないこともある。5月29日に、電気店に自分のパソコンと一緒にカメラを持参して原因を調べてもらった。
   店員の技術者は丁寧に対応してくれた。USBコードの接触不良かもしれないので、店にある同じタイプのUSBコードで接続したら、カメラは機能した(リアルタイムの画像がパソコン画面に映った)。カメラが問題なのか、私のパソコンが問題なのかを確かめることも必要だ。店員は店で陳列しているパソコンにカメラを繋げて試してくれた。画像を映すことができたので、カメラには問題はないように思われた。そこで「たぶん接続コードが不良品だったのでしょう」と、そのUSBコードと交換してくれた。

   翌日、新しいUSBコードを使って、Fさんとスカイプで交信してみたところ、画像が出たり消えたりする状態が再び現れた。これではだめだと直ぐに電気店に行った。幸い前日と同じ技術者の店員が「どうでしたか」と声をかけてくれた。事情を説明すると、「同じウェアラブルカメラと交換することもできますが、ちょうどウェブカメラが入荷したので、それを使ってみますか」と言ってくれた。店員は、「今もウェブカメラは品薄なのです。需要が大きいので本社が中国でかき集めてこの店に送ってくれたものです。2種の製品がありますが、私はいずれも扱ったことがありません。こちらのカメラはメーカーも販売業者の名前も全く聞いたことがありません。もう1種は、販売業者の名前は聞いたことがあります」と説明してくれた。私は、店員が販売業者の名前を知っているというカメラを購入することにした(税込み4370円 画像)。ウェアラブルカメラの代金との差額は返却してくれた。
   店員は、「不良品はたまにあります。購入されたウェアラブルカメラは、たまたま不良品だったんでしょう」と事も無げに言った。ネット販売では初期不良品の交換期間は8日間などとなっている()。また、購入後1週間程度で判明した製品の不備だけを初期不良品としている事業者もいるとのことだ。今回のウェアラブルカメラは私が店頭で見て買ったものだ。購入してから2週間経っている。機能しない原因が私の側にあるという議論になったとき、どうやって反論したら良いのか。「全額の返還は無理かもしれない」と危惧していたので、店の対応にはほっとし、嬉しくも感じた。店員の親切な対応には好感がもてた。新しく購入したウェブカメラは、現在まで故障もなく使用できている。 (先頭に戻る)

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No.219 「国債について考えてみた」(2020.6.14)

 4月の補正予算で新型コロナ対策として急遽1世帯あたり2枚のマスク、1人あたり10万円が支給されることになったのは驚きだった。既に自作のマスクを使っていた人もいたし、金にあまり不自由をしていない人も大勢いたからだ。6月14日現在私の集合住宅にはマスク(アベノマスクと揶揄されている)は届いていない(追記:6月15日夕方届いた)。マスクは量販店に出回っている。巨額の補正予算を組めという声は野党からも出ていたのは確かだが、全世帯向けのマスクは233億円、10万円給付には13兆円の経費がいる。むろん税収が増えたわけではなく、借金でまかなったのだ。 今年度の当初予算(2020年度)をみると、税収は64兆円で、不足分は公債(国債)だ。歳入・歳出の規模は103兆円で、これに4月の補正予算26兆円と、6月12日に成立した第2次補正32兆円が加わると、160兆円を超える空前の規模となる。2019年度末までの政府の借金残高は1114兆円(9割は国債)だった。2020年度で一挙に100兆円の借金の上積みが予定される。

   政府が発行する国債については、日銀がこれを市場から無制限で買い付ける仕組みができている(年間80兆円という限度があったが、今年の4月に限度が撤廃された)。政府は税収を考えなくても、大型の予算編成ができることになった。西村経済再生大臣は、「今は財政再建などを考えるときではない」と記者に答えていた。私は、「じゃあ、いつ考えるの?」と思った。他方、経済の専門家からは、「政府は財政規律を軽視している」、「無制限に借金を重ねれば財政への信用が失われ、物価が急騰する恐れがある」、「事実上、禁じ手の財政ファイナンス(中央銀行による政府赤字の補てん)だ」などの批判が聞かれる。10万円給付を喜んでばかりいられない。どう考えるべきなのか。

   そもそも、財政は所得の再配分であり、困窮者の救済のために何らかの手当てをするのは必要なことだ。感染防止のための休業補償や雇用維持の経費、病院の施設の充実や経費の補てん費は、こうした考え方だ。しかし、アメリカではコロナ関連の300兆円を超える緊急経済対策とゼロ金利政策で市中に出回った資金が株価の引き上げに回っているという報道もある(NHK6/13)。日本の国会では、急ぐ必要がない事業やコロナ対策に名前を借りただけの事業も入っていないか、十分なチェックはされたのだろうか。
   国の借金のリスクの一つは、国家財政の破綻だ。EUからの借金で苦労したギリシャの例を思い浮かべれば、それは避けたい。現在では与党も野党も、国の借金の貸し手(投資家)が国内である限り、借金をいくらしても問題はないと思っているようだ。例えば、日本の家庭(家計調査)には1900兆円の金融資産が蓄えられており、日本国債を保有する9割は国内投資家(1割は外国人)とのことなので、極端に言えば、まだ数百兆円の借金ができる余地があるということでもある。しかしその額まで国債を市場から買う(市場に金がだぶつく)ことになれば、戦時国債が戦後紙くずとなったようなハイパーインフレが起こるに違いない。
   政府は「景気回復なくして財政再建はない」と言う。景気を確実に良くする投資ならば、いくらでも借金可能という考え方もできる。そうであれば私は、今こそ教育や研究開発への投資、使用頻度の高い公共施設の整備などは借金してでもやっておくべきと思う。消費税率の引き下げも景気回復には効果がある。しかし、そのほかに確実に景気が良くなる事業が本当にあるのかは誰にも分からない。新型コロナで外国人観光客の来日は見込めなくなったから、大型カジノリゾート事業への投資は確実に財政のお荷物になるだろう。パンデミック後の世界経済がどうなるかは専門家でも予測できない。大盤振る舞いをしたがる政治家は与野党を問わない。借金のつけを払うのは孫子を含めた納税者なので警戒が必要だ。 (先頭に戻る)

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No.218 「同じ人間どうしじゃないか」(2020.6.7)

 NHKテレビ番組「駅・空港・街角ピアノ」は15分ほどの番組だ。構内や広場の一角に置いてあるピアノを、旅行客や通行人に開放して演奏しているところを録画・編集している。最近、アムステルダム中央駅とロンドンのセント・パンクラス駅で撮影されたものを見た。もちろん新型コロナが感染する前の録画ではあるが、重要なメッセージを含んでいるような気がした。
   高校生も勤め人も老人もホームレスもピアノを弾いている。外国人旅行者もいる。番組として放送されるのは、しっかりした演奏と演奏者のコメントがついたものなので、演奏者の音楽に対する思いが伝わってくる。ロンドン駅では、若者が替え歌でEUに残って欲しい心情を「同じ人間じゃないか」などと歌いながら表現していた。アムステルダムでは、帰宅途中の音楽院の学生が、「音楽をシェア出来るのはうれしい。だって社会はみんなで一緒につくるものでしょ」と言っていた。ピアノに合わせて歌う人、踊る人も映っている。見ていて、この世界は「そんなに捨てたもんじゃない」という気分になった。

   言葉、宗教、人種が違っていても、人は基本的なことは互いに分かり合うことができる。国際都市アムステルダムやロンドンには、いろいろな人々が集まっている。駅ピアノの演奏者の誰もが言うことは、「音楽は世界の人々の共通語」ということだ。もちろん音楽だけでなく、映画や文学なども同じだ。世界中の人が、外国の映画や文学作品を鑑賞し楽しむことができるのは、私たちが同じ感情をもつ人間だからだ。私たち個人は程度の差はあっても、悲しみや喜びなどで同じ感性・感情を持っている。人道主義(ヒューマニズム)とも呼ぶ感覚である。
   だが、個人から離れた、国家や企業、政党、宗教団体などの組織となると少し様子が異なる。個人レベルの感情・心情よりも、組織の原理や集団の利害が重視されるからだ。トランプ大統領は、黒人が警官に殺されたことに抗議する市民のデモを軍隊を使って取り締まる方針を述べて、米国内からも世界からも顰蹙(ひんしゅく)を買っている。アメリカと対抗する中国政府は、人種差別への抗議デモを盛んに報道しているが、香港市民の民主化要求のデモや、天安門事件の追悼集会などは一切報じていない。両国政府の態度は良く似ている。

   6月5日、日本では北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの父親の滋さんが亡くなった(6/6記事)。娘さんが行方不明になってから奥さんとともに探し続けてこられ、拉致が判明してからは、拉致被害者家族会の中心となって活動をしてこられた人だ。この間43年。横田さん達の「政府は帰還を急いで欲しい。自分たちにはもう時間が残されていない」という叫びを政治家や私達は、どのように聞いてきたのだろうか。
   拉致事件は、北朝鮮政府による明かな犯罪であるが、拉致された家族の帰還交渉は、相手を非難していれば済む話ではない。核実験やミサイル開発をする北朝鮮に「制裁圧力を最大限にかける」と声高に言うだけでは、拉致被害者家族会の悲しみの切実さは相手国に伝わらないどころか、逆効果になることは分かり切ったことだ。2002年当時の小泉首相の指示による周到な根回しで帰還にこぎつけたような方法はとれなかったものか(説明)。アメリカの場合は、大統領経験者が北朝鮮に出向いて連れ戻したり、トランプ大統領が書簡を送るなどして、通常の外交とは切り離して、人道的な処置として帰還を実現させている。
   トランプ大統領や文在寅大統領に拉致被害者の帰還への協力を要請した後、安倍首相は「今後は、私自ら金正恩委員長に会う」などと発言されていたと記憶しているが、そのような行動はついにされなかった。政治的な思惑が優先され、拉致家族を思いやる人道的な視点での取り組みが欠けていたのではと思えて仕方がない。国交のない相手国である。この問題は役所が下から積み上げて解決できる話ではない。北朝鮮政府も日本政府もトップの考え方(高度に政治的な判断)で全てが決まる。新型コロナ対策など帰還交渉を先送りする理由はいくらでもあるが、この件では時間が残されていない。だからこそ私たちは、「帰還を必ず実現する」という首相の決断と行動を痛切に願っている。 (先頭に戻る)

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No.217 「ドクダミ 花びらか葉っぱか」(2020.5.31)

 緊急事態宣言の解除が5月25日になされたが、再び新規感染者数が増加する兆しがみられ、感染経路が分からないケースが多い。深刻さは今までと変わらないので気軽には外出できない。
   自粛している分だけ気晴らしが必要になる。私の場合は晴れた夕方には近所を歩くことだ。今の季節は道路の傍や塀の陰などで、
ドクダミの花を見かける。敷き詰められた緑の葉の間からバランス良く花が分散している様子は、アラベスク模様を感じさせる(下の左の写真)。花は白く小さく地味ではあるが、よく見るとかわいらしい。・・・とここまで書いたところで、この白い部分は花ではないと言わなければならなくなった(植物生理学会Q&A)。白い部分は、総苞片(そうほうへん)というのだそうだ。ドクダミには花弁はない。「ほう」は、雌しべ・雄しべを守る鞘(さや)の役割をしている。葉っぱのようなものだ。

   ドクダミという名前には「毒」がつくので嫌な感じを持つ人が多いが、語源は毒を矯(た)める・止めるという意味らしい。毒の成分がないどころか薬効を持っている(資料12)。臭いが強く、日陰や湿気の多い場所でも育つ(説明)。地下茎でしぶとく繁茂することも好かれない理由だろう。しかし近年では、健康志向でドクダミ茶が売られたり、花の爽やかさ・丈夫さが見直されて生け花でも使われたりしていると聞いた。
   先日ラジオで、「ドクダミの花は4枚の総苞片が普通だが希に5枚のものもあり、5枚の花が見つかるとラッキーだ」という話がされていた(4つ葉のクローバが幸せを呼ぶという感じに似ている)。そこで、ドクダミの花を注目していたところ、昨日、5枚の総苞片を持つドクダミを見つけた(下の中の写真)。
   ついでに、八重の花びらのようになったドクダミを紹介する(下の右の写真)。地下茎をもらってベランダで鉢に入れて育てているものだ。八重のドクダミは野生でもあるが販売されてもいる(八重)。八重の部分は総苞片なのか、それとも花弁と言った方が適切なのか、疑問が残った。

   植物学では「ほう」と「がく」と「花弁」とは別のものとされている(⇒模式図)。しかし、「ほう」、「がく」、「花弁」が同じ役割をすることもある。葉緑素が抜け白くなったり着色したりして昆虫を集める役割だ。ヒトがドクダミの総苞片を花びらのように見てしまうのは無理はない。アジサイで花弁のように見えるのは「がく」だという。がくの真ん中に豆粒くらいの花がある。カトレアの花弁に見える部分も半分は「がく」だ(⇒No.45)。
   ドクダミの白い部分は花びら(花弁)といっても良いのではないか。過去を振り返れば、葉の一部が、花の部分(雌しべ・雄しべ、花弁、がく、ほう)に進化した。だから、過去には葉っぱであっても、今では花の一部になりつつあるもの(ドクダミの総苞片やアジサイのがく)が含まれている。どこで線を引くかはとても難しい。というよりも、どのように決めても、その定義からはみ出るものがいる。現時点では素人の常識(ドクダミは花が白い)は、専門家の非常識(白い部分は花ではない)ではあろうが、研究が進んで専門家の理論や定義が変わることも往々にしてある。 言いたいのは「花の部分の名称など、枝葉末節だから無視せよ」ということではない。疑問を突き詰めることで科学の世界が広がって行くのだと理解している。 (先頭に戻る)

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No.216 「リーマン・ショック超える危機」(2020.5.24)

 私の経済についての知識は、「ものの価格は需要・供給の関係で決まる」ことくらいだ。だからここで私が書くことは、私が知っている程度だから誰もが知っていることかもしれない。
   今、多くのエコノミストが、2020年の経済予測について「世界経済は大幅なマイナス成長。リーマン・ショックを超える収益減。昭和大恐慌と比較した方が良い」などと書いている(
資料1資料2資料3)。
   リーマン・ショック(英語の表記:the 2008 financial crisis)というのは、2007年~2008年にアメリカの投資銀行の経営破綻(誤った設計によるローンの焦げ付き)に端を発した大規模な金融危機である。日本では、2008年9月には12,000円台だった日経平均株価が6,000円台に下がるなどの影響があった。当初の影響は、直接アメリカに投資していた一部企業に限られていたが、その後のアメリカ経済の落ち込みで輸出中心の日本経済は不況になっていった。ただし、私の生活実感としては、当時の日本経済はバブル崩壊後で低迷していたため、地価の値下がりで住宅が入手し易くなっていた時期と記憶している。また、人の移動やイベントが中止されたわけではないため、雇用や観光など地域経済への影響は今よりも小さかった。身近な人が不況で苦しんだという話は聞かなかった。
   これに対して、現在の経済危機は、リーマン・ショック時よりも明らかに深刻である。日本中で営業ができないことによる消費の減少と就業機会の減少、困窮者の増加、倒産の増大が報道されている。海外市場も同様な状況のため、貿易や観光客の落ち込みは数年間は続きそうだ。来年のオリンピック・パラリンピックもできそうにはない。だからエコノミストが「リーマン・ショックを超える」と書いている意味はよく理解できる。
   ただし、この深刻さは株価の水準では分からない。 日経平均株価は、昨年末に23,000円前後だったものが、一時16,000円台に落ち、現在は20,000円前後だから1~2割下がってはいるが、リーマン・ショック時の5割までのひどさはない。現在は日銀異次元金融緩和)や国民年金基金が巨額の株式などを保有し運用できるようになり、株価が大きく下がったときには買い支えできる仕組みができている。つまり、実体経済の深刻さが株価では見えにくくなっているのだ。加えて、日本株式の買い手の半分以上は、アメリカやアラブの金持ち達であるらしい。この人達のファンドは、消費や雇用の改善よりも、高い株価水準で得られる利益に関心があるので、ますま株価は企業の実態と乖離していくことになる。

   リーマン・ショックを超える水準として表現される「昭和恐慌」とは、1929年の世界恐慌のことだ。この大不況は需要と供給のアンバランス(国民の消費購買力がないのに生産は過剰)が招いたとされる。数年間続き第二次世界大戦の原因にもなった。3年間で世界全体のGDPが15%減少し、多くの国ではその悪影響は第二次世界大戦後まで続いたと言われている。 現時点での推計だが、2020年の欧米のGDPは大幅に減少することが確実で、大恐慌以来のことと報道されている(米国は4-6月見込み年率40%減EUは年間で7.7%減)。だから、今の経済状況と比較するべきは、リーマン・ショックではなく、世界恐慌だろう。病気にならなくても、失業で生活が困窮したり、自殺が起きるようになっては、感染症対策は意味をなさない。だから政府がどんな経済対策が打ち出さすのかをしっかり監視したい。
   ところで、昨年秋に消費税10%が導入される前には、総理大臣は「リーマン・ショック級の不景気になれば、消費税を10%にするのは止める」などと説明していた。だから消費税の引き上げのマイナス効果を知っているのだろう。だが、「新型コロナの影響がリーマン・ショック時を超える状態だ」とエコノミストが言い始めているのに、政府は、消費税の引き下げに手をつけようとしないのはどういうわけだ。もしかして、日経平均株価の水準を重視していて、「まだまだ、リーマンショックの水準には達しない」と甘く見ているのかもしれない。先日、日銀総裁と財務大臣との会議のニュースをみたが、具体的なことが何も発表されなかったので、その懸念を強くした。日本経済の景気対策としては、10万円をばらまくことも良いかもしれないが、消費税を8%に戻すか、更に引き下げて5%水準に戻すことがもっと有効なのではないかと思う。 (先頭に戻る)

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No.215 「大東亜戦争を招いた人々の気分」(2020.5.12)

 悪夢のような大東亜戦争がなぜ起きたのか、日本人がなぜそれを選択したのかは、近現代史の大きなテーマである。大東亜戦争というのは、大日本帝国政府が日中戦争と太平洋戦争とを合わせてつけた名称だ。私の母は「大東亜戦争」と言っていたが、外では殆どこの呼び方を聞かなかった。アジア民族を欧米から開放するという気恥ずかしくなる標語さえ掲げていたのに、実際はその逆だったと戦後の人々が知ったからだろうか。
   明治大学の近現代史研究会に参加したり、関連する本を読んだりして知ったことの中から、戦争を進めることに寄与した人々の気分を3つにまとめてみた。
   1つ目は、明治になって世界経済に組み込まれた日本では、昭和初期の世界恐慌の打撃や不作もあって、特に貧困から抜け出したい強い願望があったことである。2つ目は、江戸時代からつづいている意識でもあるが、封建的な家族制度や忠義を重んじるサムライ的感覚(自己犠牲やあだ討ちを尊ぶような感覚)が強く残っていたことだ。3つ目は、日清戦争以降、戦争を重ねる中で生じた明るく楽観的な戦争観である。この3つの気分を持った国民が帝国陸海軍を支持したことで戦時体制が準備されてきたと思う。明治以降徐々に育ってきた気分であり、最初からあったものではない。そして帝国陸海軍も初めから、日本人の生活を台無しにしようとして大戦争を始めたわけではない。そこでは議会や政党政治、普通選挙制度を通じて、大衆迎合(ポピュリズム)が働いたと考えられる。言いたいことは次のようなことだ。

   1つ目の貧困から抜け出したい気分は、2月23日のNHKBS1スペシャル「
全貌 二・二六事件~最高機密文書で迫る~」でも描かれている。1936年(昭和11年)2月26日、政府要人を襲撃した陸軍青年将校らは、集まった市民を前に「農村の疲弊を見よ。自分たちは貧困の解決のために立ち上がった」などと演説している。市民は声を上げて青年将校らを激励した。鎮圧され首謀者が処刑されて事件は終わったけれど、人々の気分はその後の陸軍の行動に影響を与えた。農村の貧困は土地制度(約半分が小作地)の問題でもある。満州国への開拓農民の移住はその対策だった。GHQが農地改革を日本政府に行わせたのは、侵略戦争の原因の一つが農村の貧困にあると見抜いていたからである。日本人の願望が帝国陸海軍によってではなく、米軍統治によって達成されたことは歴史の皮肉と言える。
   2つ目は、現代にまで残るサムライ精神の崇拝だ。和魂洋才とは言われたが、和魂の中身が貧弱過ぎた。合理的・科学的な考え方は一部に留まり、多くの人々は家父長的な生活感覚(お上には逆らわない・仲間はずれを恐れる・地位を重んじる・女性を低く見る)を大事にしていた。士農工商の身分は解消されても、国民国家になったためにサムライ精神がより強まったと言えるかも知れない。しかし、サムライはある意味、幕府や藩を支える役人であり、責任をとる立場ではない。秀才ぞろいの帝国陸海軍の幹部が国民の命を守ることよりも自己保身に終始したことは、多くの記録が物語っている。不利な戦況報告は天皇にさえ隠蔽し、昭和天皇が下剋上と呼んだような近代国家には似合わないサムライ精神である。国民の多くはメディアで美化されたサムライ精神に酔った。
   3つ目は、明治維新後の数々の戦争(日清、朝鮮出兵、日露、第一次大戦など)で、日本は戦勝国として台湾、朝鮮半島、マリアナ諸島、満州などで領土を広げ、賠償金で製鉄所を作ったり、権益を確保したりした。何万人もの戦死者は出たが、本土への攻撃はなく、戦争のおかげで豊かになったと思っていた人は多かっただろう。幕末以来欧米列強に脅かされてきた日本人にとっては無理もない気持ちとも言える。しかし第一次大戦のヨーロッパの戦禍は一般市民も含めた死者が1800万人にも達し、不戦が欧米の潮流になってきたのに対して、日本では逆に、戦争に期待する時代遅れの気分が残っていた。1933年の国際連盟脱退を歓迎する大衆はその現れだ。

   戦後は過去のものとも言われるが、貧困は今も存在して、中産階級が没落し経済的格差が拡大し続けている。今でも企業や組織に忠実なサムライ意識をもてはやす気分が残っている。悲惨な戦争体験者がわずかになって、「戦争も悪いことばかりではなかった」という声が囁かれ出している。
   だから私は言いたい。日本人の意識が、これらの3つの気分(生活の貧困を腕力で解決したくなる意識、偏狭な伝統的精神、戦争に何か期待する危うさ)の重なりの中に留まるのは避けなければならない。ウイルス感染症の専門家が三密を避けろと言っているのに似ている考え方だ。 (先頭に戻る)

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No.214 「世界が変わる・ヒトが変わる」(2020.5.6)

 AI(ロボット)やネット社会を支える技術は進歩している。コロナ感染を切っ掛けとして、これらの技術革新が一段と進むことは想像できる。私も、友人とZoomとSkypeを使う機会があった。残念なことに私のパソコンのカメラは故障していたので、音声は伝えられたが、自分の顔写真は送れなかった。参加者の顔や背景はリアルタイムの動画で見られ、あたかも対面して話をしているような感覚を受けた。そこでWebカメラを買いたいと電気店に問い合わせたところ、「売り切れが続いており、入荷のメドは立っていません」と言う回答だった(残念!)。

   世界中のコロナ感染拡大で、今後の世界は一挙に変わると言われている。どのように変わるかについては、第2次大戦後の経済のグローバル化が、各国のポピュリズム、民族主義、宗教的世界観に置き換わるという見方がある。中産階級が没落して貧富の格差が一層拡大するとも言われている。この変化は、これまでにも見られたものだが、それが加速されるというのだ。ヨーロッパの平和の統合をめざすEUでさえ存続が危ぶまれるという。トランプ大統領は低所得層の白人に力強く訴える。「あんた達は悪くない。悪いのは中国であり、民主党であり、イスラムや不法移民である。力強いアメリカを復活させよう。それができるのは私だけだ」。大統領自身がウイルスへの危機感を持たず、対策が遅れたことから、アメリカの新型コロナの感染者数(5/5現在118万)、死亡者数(同6万8千人)は世界一位となっている。人々は、どこまでトランプ大統領についていくのだろう。米中貿易戦争の再燃はグローバル化とは逆の動きだ。今年秋のアメリカの大統領選挙は、世界史の転換点になるのかも知れない。
   日本の場合も、中国や東南アジアからのサプライチェーンがとぎれて国内生産も停滞だ。コストは高くなるが、安定した生産の保障と考えれば、国内生産への回帰が始まるとも予想できる。うまく行かなければ、物不足によって一挙にインフレ状態になるかもしれない。あるいは失業者の増大で購買力が減り、金融緩和で全体としては金がだぶついているのにデフレが解消されないかもしれない。休業補償や個人給付のために何兆円、何十兆円が支出されるが、その費用はいずれ大幅な税金の引き上げで賄うしかない(そうなれば景気回復は更に遠のく)。影響は長期化し、1929年の世界恐慌以上と予測する経済学者もいる。政府は5月4日に緊急事態宣言を5月末まで延長することを決めた。感染は長期間続くとも言われ、対策の手をゆるめれば再び感染者が急増する。経済社会の危機的状況は始まったばかりという声もある。

   ウイルスは経済社会に影響を与えるだけではない。生物学の観点からすれば、ウイルスは生身の体を変えていく。個体では免疫能力の獲得である。ヒトの遺伝子の差異によりウイルスへの抵抗力に違いがあれば、抵抗性を持たないヒトの遺伝子は消え、生き延びたヒトの遺伝子が引き継がれて行く。世代を超えてヒト(人類)の遺伝子が変化していくのだ。ウイルス病に対する抵抗性だけではない。驚くことにウイルスの一部がヒトの細胞の中で共存することもある。哺乳類の先祖は、レトロウイルスの遺伝子の一部を組み込んで胎盤を形成する遺伝子として利用してきたのだ(
解説1解説2解説3)。こんなことまで聞くと、ウイルスのヒトに与える影響は底知れないと分かる。恐ろしくもあるが、偉大でもある。
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No.213 「個人レベルでは何をする?」(2020.4.29)

 今日は「昭和の日」。大型連休の始まりだ。感染防止のためには人との接触を避けるべきと言われているので、大型連休を楽しみにしてきた人達(勤労者)は気の毒だ。マスクや手洗いのような感染防止策だけでは息が詰まる。親しい人達とつながりが感じられず、安らぎが得られないからだ。前回紹介したアメリカの国際政治学者イアン・ブレマーは、NHKキャスター道傳愛子さんの「不安を解消するために、個人レベルではどんなことをすればよいか」という問いに、「犬を飼いなさい。一緒にいると気が落ち着く。毎朝瞑想するのも良い」などと答えていた。著名な学者の答えとしては拍子抜けで物足りない気がしたが、それは私の偏見なのだろう。著名な人は、日常生活も、普通の人とは違った発想や行動をすると思うのは自分の思い込みだ。学者やタレントは、メディアに顔を出したり著作が大勢に読まれているから著名なのだ。難解なことや独善的なことを言っていたのでは、大勢の人に理解され共感されることはない。

   休業や休校が続いている人へのラジオのインタビューでは、「私は録画でためこんでいた映画を見る」、「日頃読んでいない本を読む」、「外食しなくて済むように家で料理を作りたい」などという答えがあった。感染がおさまるか、ワクチンや新薬などの治療体制が整えば、営業再開も可能だし、授業も直ぐに再開できる。オリンピックを目指した練習も力いっぱいできる。だから今は、その時のために健康を維持し、心の安定を保ったり、何かの技能を身につけたりするという考えは理にかなっている。心を慰めるという意味では、動物を飼ったり、植物を育てたりすることは良いことだと思う。他人との交流という点では、面と向かって話ができなくても、電話やインターネットが使えるし、手紙やはがきで近況を知らせ合う昔からのやり方もある。経済的な損失補てんは政治の役割だと思うが、個人レベルでやれることは多い。
   私の場合は退職してから何年も経つので生活に大きな変化はないが、地元でのイベントがなくなった分だけ外出が減り、家にいる時間が増えた。それで最近は刑事コロンボや名作映画をみたり、音楽のCDを聞いたりする機会が増えている。先週は、タヌキの絵ハガキを書いて縁者に送ったら、相手から「きれいに描けたね」という返事があった。今日はテレビで知った方法でナポリタンを作った。玉ねぎ、ソーセージを刻んで、トマトケチャップで味付けをし、スパゲッテイを一緒に茹でるだけの簡単なものだ。パートナーは、「まあまあの味だね」という感想だった。

   目標やそれに向かって努力はすることは素晴らしいことではあるが、その結果が成功となるとは限らない。今回の新型コロナウイルス(COVID-19、国立感染研ではSARS-CoV-2と表現している)は不明な点が多い。武漢で発生したウイルスには既に変異が起きている。現在の日本で拡大しているウイルスは、ダイヤモンドプリンセスの時の武漢起源のウイルスが終息した後に、ヨーロッパで変異がおきて、ヨーロッパ・北米経由で入ってきたものになっているとの報告がされている(国立感染研4/27PDF)。
   現在の感染状況を第2波とみた場合、第3波、第4波の感染拡大は避けられないとも言われている。目に見えない新手の敵を前にしていると考えるならば、その敵から逃げることが最も大事だ。確実な治療法がなく感染者が不明な現時点では、個人レベルの対策として不要不急の外出を避けることは最善の選択となる。パンデミックが収まってオリンピック・パラリンピックを開催されることは歓迎だけれど、世界での感染がおさまらない状態で開催を強行することは最悪の選択になるのではと、今から危惧している。 (先頭に戻る)

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No.212 「コロナ禍の後はどんな世界に?」(2020.4.22)

 新型コロナウイルスのパンデミックで、現代の社会がいかに脆(もろ)いか思い知らされている。
   感染機会をなくすために、自宅で仕事をするテレワークが推奨され、スポーツ・文化イベントの停止、休校や図書館などの閉館と閉園、工場での操業削減、飲食業の制限などの処置がとられている。これらは必然的に収入の大幅減や解雇、消費の減少、教育機会の減少などの苦痛を伴う。命を守る最後の砦の病院では、人員不足、資材不足で医師・看護師などの医療従事者に感染が相次いでいる。
   これから先どうなっていくのか。人類社会が、このパンデミックを機会に大きく変わることは間違いないだろう。世界の景気後退は誰の目にも明らかだ。マスクをすることを嫌っていた欧米でも、誰もがマスクをするようになった。ハグや握手をするなどの習慣まで変わるのではないだろうか。楽観的に予想するならば、ネット会議などで自宅で仕事ができることが証明されてしまえば、上司の目を気にして残業をするようなことは減るのではないか。スポーツや文化活動を楽しむ日常の大切さを感じることができるならば、元の世界に戻ることはそれほど困難ではないかも知れない。

   しかし、現代は、個人や国が相互に強い依存関係を持っているが故に、個人の思いつきや願望による行動だけでは、ウイルスの感染拡大を押さえ切れない。その結果、世界のあちこちに悪影響が出てくることになる。例えば、国連食糧計画(WFP)は、物流の停滞、収入減少による購買力の低下で、今年は食糧を手に入れられない人が倍増し、2億6500万人になると予測している(
4/22記事)。だから、今後生じてくる影響と対策を考えることが必要になる。
   4月11日にNHKETV特集「緊急対談パンデミックが変える世界」を見た。アメリカの国際政治学者イアン・ブレマー、イスラエルの歴史学者ユバル・ノア・ハラリ、フランスの経済学者で思想家のジャック・アタリの3氏へのインタビューだ。 3氏に共通していたのは、残念なことに、市場経済と民主主義が壊され、ポピュリズムや独裁体制がより大きな力を持つという予測だった。ワクチンや治療薬が開発され普及するまでは、有無を言わせず人々を分断・隔離することが感染防止策になる。独裁的手法と重なる部分があるのだ。
   ブレマーは、「アメリカファースト主義のアメリカはこの世界的問題の解決に何の役割も果たしていない。米中貿易摩擦で中国との相互依存関係が弱まり一層悪化する。国内の格差は更に拡大する。感染終息後には、中国の影響力が増すのに対しアメリカの地位は低下する」との見方を述べていた。
   ハラリは、ハンガリーのオルバン政権がコロナ対策に乗じて独裁制を強めていることや、ネタニヤフ首相がイスラエル議会選挙で与党が敗北したのにコロナ対策を口実として議会を閉鎖しようとしたことを例に挙げた。「市民が十分な知識と行動力を持って選択できるかどうかが鍵を握る」と言っている。ハラリは、ネタニヤフ首相の息子から「専門分野では世界で有名かもしれないが、政治のことは何も分かっていない。あなたは嘘つきだ。愛国者ではない」と批判されていて、この報道からもイスラエルの深刻さが伝わってくる。
   アタリは、1918年のスペイン風邪の流行時に、第2波でも多くの被害がでたことなどを引用して、「今は市場と民主主義の崩壊する危機にある。人類全体がパンデミックと闘うときには、他者のために生きるという利他主義(Altruism=合理的な利己主義)の考え方がなければ、自分は守れない。人類は1つだからだ」と言っていた。

   感染対策が、ある程度効果を上げてきたときに、経済活動をどうやって元に戻して行くかが課題となる。最近のニュース映像で、トランプ政権の支持者が早期の営業再開を求めて、マスクもなしで密集してデモをしていた。他方、ニューヨーク州知事などは、感染率を調査して、その結果で再開を考えるとして慎重な姿勢を示していた。
   政治的な意見や宗教的な情熱の相違で、ウイルスに感染するかどうかが決まるわけではない。だから、ハラリが言うように、ウイルス対策が成功するか否かは、多数の人々が科学を最も信頼できるものとしてそれに従うかどうかにかかっている。民主主義を大切にしようとするならば、強力な権限を持つトップの誰かに未来を委ねるのではなく、地道で困難を伴うとしても、国民に根拠のある正確な情報や事実を知らせ、自覚した行動をしてもらえるようにすることがとても大事なことだと思った。 (先頭に戻る)

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No.211 「ヒトの苦難とタヌキの苦難」(2020.4.11)

 4月7日にようやく、特別措置法(3/13改正成立)による新型コロナウイルスの緊急事態宣言がなされた。都知事、東京都医師会などから、早く出して欲しいと要請していたものだ。現在の対策は、PCR検査の少なさ、マスクや消毒用アルコールの備蓄不足、医療体制の不備(重傷者用ベッドや器機の不足など)など、後手後手の感じがぬぐえない。今週は緊急事態宣言の対象地域に含まれていない愛知県や京都府の知事が自県を対象地域に含めるよう要請したのに、政府側がためらっている様子が報道されている。首相は「躊躇なく」という言葉を頻繁に使うが、感染症拡大防止の行動は積極的には見えない。景気対策として自民党内でも要望がある消費税の一時停止は否定している。「躊躇なく」という言葉を多用したり、全世帯に2枚のマスク配布などを決めたりしたのは、その施策の弱点をカムフラージュするためなのか。
   他方で、自民党内では、改憲による緊急事態条項の追加(緊急時の国会議員の任期延長、政府への権限集中、私権の制限を目的)の検討を始めるという(毎日4/11)。この時期にこの議論とは! 自民党は現行憲法の法体系ではうまくいかないことを証明するために、都道府県知事の対策が失敗するのを期待しているのではないかと不安になる。政府以上にコロナに危機感をもっている小池百合子都知事は「知事の権限は代表取締役社長かと思っていたら、天の声が聞こえてきて、中間管理職になっている感じです」と国への不満を述べたとのことだ(記事4/10)。

   ところで、4月10日に珍しいものを見た。私の住む集合住宅の裏庭でタヌキが日向ぼっこしていたのだ。1年半前にNo.139「マンションにたぬき?」を書いたときには確認できなかったが、今回は写真を撮ることができた(下写真)。この生き物の毛は薄くなっていて、ふさふさしていない。皮膚病になって毛が抜けているようなのだ。ハクビシンに特徴の顔の真ん中の白い縦の模様がない。タヌキに特徴の目の周りの白い毛の模様があり、鼻先は黒い団子だ。 私は、気づかれないように、3階の廊下から裏庭を見下ろす位置でカメラを構えたが気づかれてしまった(タヌキは私を見上げて目が合った)。
   夜出歩くのが普通のタヌキだ。いつもはどこにいるのか。裏庭は集合住宅と隣接する民家との間の塀に囲まれた細長い場所だ。植え込みはあるが、猫よりも大きなタヌキが隠れるには狭すぎる。庭の端の側溝を通って出入りしているようだ。周辺は住宅地である。どこで餌を手に入れているのだろうか。コンクリートの側溝では、土の洞穴のような快適さはないだろう。だから疥癬ダニなどにやられてしまったのかしらん。隣家の飼い犬が鳴くことがあると、吠えられているのかとタヌキが気の毒になってしまう。餌をやるわけにもいかないから、マンション管理組合の理事会は「見かけても放置して下さい」と居住者に知らせている。

   人の良さそうな振りをしていても、実際はずる賢い人を「狸」と呼ぶことがある。新型コロナ対策をしっかり進めると言いながら、実際には逆のことをしているとしたら、今の政府は悪い狸だ。医師や感染症学者、実働部隊である保健所や病院の活動がし易いように、政府は、地方自治体の活動を支えることに徹して欲しい。主導権をとる必要はない。先ずは新型コロナの感染を終息させることができなければ、その後のオリンピック開催も経済の復活再生もあり得ない。政府は、都道府県知事などが対策を講じやすいように、専門家からの情報を提供しながら自治体の長に協力すべきであって、逆ではない。住民に近いところにいるのは、政府(総理大臣)ではなく住民が選んだ自治体の長だ。     (先頭に戻る)

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No.210 「ぼくの契約相手は国民です!」(2020.4.5)

 3月26日の週刊文春を読んだ。安倍昭恵夫人が関与する森友学園への国有地払い下げ事件で自殺した近畿財務局の赤木俊夫さんの遺書に関する記事だ。これを書いた相澤冬樹さんは、NHKで森友事件を取材中に記者職を解かれた人である。
   国の行政府の長である内閣総理大臣は、数十万人を擁する組織のトップであり、与党が絶対多数を占めていれば怖いものなしだ。各省庁の幹部人事に官邸が関与しているから、総理の意向が各省庁を通じて伝わることになる。トップの意向がその組織の末端まで届くことは近代国家としては当然とも言えるが、文書改竄や不祥事を隠蔽することがトップの意向だとすれば、全く違う姿が見えてくる。

   赤木さんは、国有地売却事務にはかかわっていない(だから背任行為をしたわけではない)。前任者らが作成した契約書の根拠となった文書の改竄を命じられたのだ。国有地の大幅値引き売却は筋の悪い案件だったから、近畿財務局長や前任の売却担当者らは当初は反対していたが、本省から言われて売却に踏み切った。そして後で追及されないために、安倍昭恵夫人、有力政治家、森友学園との面談記録などを作成していた。もちろん売却を指導・決断したのは本省である。赤木さんがこの事務にかかわった当時の本省の最高指揮官が佐川宣寿理財局長である。 国会で追及された安倍首相が「私や妻が関係していることになれば、間違いなく総理大臣も国会議員もやめる」と発言したことが、佐川局長にその決意をさせたことは容易に想像できる。面談記録に昭恵夫人の名前が記載されていたのでは、安倍首相が辞めざるを得なくなる。それで佐川局長は「交渉記録はない、契約締結後は資料は廃棄した」と答弁した。会計検査院への説明でも、本省職員が同席して同様の説明がなされた。
   赤木さんは、高校卒業後に民営化された国鉄を経て、近畿財務局に移った。立命館法学部夜間コースに行くために京都財務事務所にも移動した経歴をもつ。「ぼくの契約相手は国民です」というのが口癖だったというから、公務員の意味を良く理解されていたのだろう。遺書を読むと、佐川局長からの文書改竄や資料廃棄の指示(理財局の課長補佐を通じてなされた)が彼に与えた衝撃の大きさが分かる。

   記事では、赤木さんが亡くなった翌日、赤木さんの上司の部長が自宅を訪れ「遺書があるならば見せて欲しい」と赤木さんの奥さんに求めたとのことだ(奥さんは見せることを拒否した)。財務省は遺書までも隠蔽したかったのだろうか。かつては省庁の中の省庁だと言われた財務省である。首相が文書の改竄を指示するとも思われないが、官邸を見て仕事をしている官僚に対してはその必要もない。佐川理財局長には、「僕の契約相手は国民です」と言っていた赤木さんとは違い、仕事への誇りや国民を大事にする意識はなかったようだ。
   公務の仕事は、法令を根拠とし、事実やデータに基づいて最善の判断をし実行することである。そのためには文書や記録がとても大切である。国民の財産を管理している財務局が、国有地の売買契約にかかわる記録の改竄を命じるのでは、まともな仕事はできない。近畿財務局は屈辱を感じ、それを命じる本省側には、背徳・違法行為がある。だから赤木さんの痛みは大変なものだったろうと理解できる。どのような人生・行き方を選ぶかは様々であるが、佐川宣寿さんは東京大学を出て財務省に入り、国税庁長官にはなったけれど、何の悔いもないのだろうか。今は再就職もせず、財務省OBなどの集まりにもでていないという(4/1記事)。赤木さんの自死にかかわる民事訴訟が始まる。佐川さんは、こんどこそ真実を語っていただきたい(3/29記事文春オンライン4/9)。 (先頭に戻る)

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No.209 「陽性か陰性か新型コロナの検査」(2020.3.28)

 このところ都内の新型コロナ(COVID-19)の感染者数が急増している。日本では握手をしたりハグやキスをしたりする習慣(濃厚接触)が少なく、マスクをする人が多いので、欧米に比べて急増は免れてきたが、ついに感染経路が分からない感染者が半数を超えるようになってきた。一般の人はマスクもアルコールも入手できない状況が続いている。
   新型コロナウイルスか否かを見極めるには、現時点では、PCR検査しかないとのことだ。PCR検査では、少量のウイルスを含むサンプルを喉や鼻の粘膜から採取して、そのウイルスのRNAの一部を増幅して可視化して判定する。極微量の世界なので、意図せずに別のDNAやRNAが混じること(コンタミネーション)があるので、結果が不正確になる場合もある。元の論文は見ていないが、情報によれば感度(正解率)は70%程だともいう(
参考)。
   検査の元締めになっている国立感染症研究所では、感染者の扱いサンプルの採取・輸送検査方法など、一連の作業マニュアルを、最新情報に基づいて更新し公表している。マニュアルによれば、検査の対象である患者から採取したサンプルと一緒に、あらかじめ陽性と分かっている基準試料、陰性と分かっている基準試料を同時に使用する。陽性の基準試料と同じ位置にバンドが出ていて、それが陰性の基準試料にはないバンドだとすれば検査結果は陽性だと分かる。感染力の高いウイルスだから、防護服を着ての作業であるし、技術の習得には訓練が必要で常に慎重さを要する。高額な機械や施設と人材・労力が必要な検査なので、直ぐに、PCR検査を増やすことはできないことは想像できる。これは「止むを得ない」と現状を肯定しているのではない。こうした事態に備えてこなかった行政機関のやり方が問題だと思うのだ。速やかに改善して欲しいが、今は、新型コロナ対策のために土日もなく現場で奮闘している医療関係者や研究者に感謝するしかない。

   ところで、感度が70%(100人の陽性者を検査して70人が陽性と判断できる水準)は、どう考えたらよいのか。何回検査してもその都度70%なのだから、信頼できないのではないかという疑問が生じるが、どうだろう。 生体内での感染の状態は陽性か陰性しかない。検査した結果として、擬陽性、擬陰性がでるだけである。そうだとすれば、検査を繰り返すことで統計的に信頼性を確認できるのだ。1回の検査で陽性検出する割合が70%だとすれば、同じ検体で2回続けて陽性になる確率は、0.7×0.7=0.49(49%)である。逆に2回続けて陰性になる確率は、0.3×0.3=0.09(9%)である。陽性である可能性は、陰性である可能性に比べて、0.49/0.09=5.4倍になる。3回続けて陽性の結果が得られれば、陰性であるよりも12.7倍も陽性である度合いが増す。
   全く100%正しい検査はあり得ないが、私は、繰り返し行うことで、より真実に近づくことが可能だと考えている。現時点では、肺炎の症状がある人や熱が続いた人などに対して重点的にPCR検査を行い、陽性になった場合は(陰性の場合も同様)、繰り返し検査を行って結果を確定させているらしい。検査方法の改善が図られつつあり、抗体反応を利用したキットの開発も進められているようなので期待したい。
   ところで、乗員・乗客3700名のクルーズ船(ダイヤモンドプリンセス)で大勢の患者が予想されたのに、全員にPCR検査を実施しなかったのは、「実施しなかったのではなく、実施できる体制ができていなかった」ことを物語っている。「検査は簡単にできるのだが、陽性になった人が病院に押しかけるようになっては、病院がパンクするので行わないのだ。検査は必要ない」、「検査の感度は高くないから無駄」というもっともらしい説明もあった。これでは、検査の意味を誤解させてしまう。陽性でも殆ど症状がない人には、「人にうつさないように自宅にいてくれ」と説得する材料になるのだから、検査は感染拡大を防ぐ重要な指標・手段になる。 (先頭に戻る)

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No.208 「コロナと原発で見た横並び主義」(2020.3.18)

 首相の要請による3月2日からの臨時の全国一斉休校が続く中で、一部の自治体は授業を再開した(3/16NHK)。浜松市は、3月12日に再開を告知し16日から18日まで授業を行うこととした。19日から春休みなので再開といっても3日間だが、学年末の大切な時期。先生にも生徒にも有益な再開だと思った。
   インタビューで浜松市の職員が、「感染防止の考慮はしているが、単独で再開することに批判もあることを考え、静岡市と歩調をとって再開にこぎつけた」と説明していたのを聞いた。思わず「あるあるだよなあ」とつぶやいてしまった。個人や組織が、その仲間や同種の組織と違う行動をするのは勇気と説得力がいる。横並びの行動は肯定されやすいが、独自の行動は独自だというだけで批判を受けやすい。

   3月15日のNHKスペシャル「メルトダウンZERO 原発事故は防げなかったのか」を見た。これは福島原発事故に至る過程を、聴き取りと記録で検証した番組だ。原発事故が起きる前の数年間を調べている。
   原発は立地と施設の改善に最新の研究成果を使うことになっている。関連する最新研究成果として、この時期には、①2007年に「地震の発生確率に関する研究」(巨大津波が発生する可能性があることを説明)、②2008年に「貞観津波(869年)の堆積物の調査とシュミレーション報告」(東大地震研佐竹pdf)があった。これらの研究結果を福島原発にあてはめれば、東電の試算では、①については、15.7メートル(建屋内部まで浸水する高さ)の津波が、②については、8メートル以上(外の非常用海水ポンプが浸水する高さ)の津波が襲うことが示されている。
   実際の福島原発の防潮堤は6メートルほどだったから、①、②のいずれを採用するにしても、直ぐにでも何らかの改善を行う必要があった(例えば地下に置いた非常用発電機を高台に上げる、非常用海水ポンプの位置の変更)。担当者はそれが分かっていたにもかかわらず、会社としてそれができなかったのは何故だろう。この番組の中で、NHKは横並びを大事にする考えや仲間意識(なれあい)があったことを指摘している。例えば、東北電力の担当者が貞観津波の研究に着目した報告書を作成している段階で、東京電力の担当者は東北電力に「貞観津波を参考レベルに格下げする」よう要望していた(東電の幹部は、部下からの報告さえも無視して判断を先送りした)。また、経済産業省の原子力安全保安院(現在は解体されている)は、貞観津波について専門家の意見を聞いていたにもかかわらず、その対策のための期限を切った報告を東電に求めていなかった。
   事故後のインタビューでは、言い訳や悔恨が目立つが、一部には独自で新研究に基づいて改善していた人達もいる。だが、その人達も改善したことを外部には伝えていない(公表すれば、「おまえのところだけいい格好をして」などと非難されることを恐れたかららしい)。
   このドキュメンタリーには、横並び主義による安心感、仲間には正しいと思うことでも強くは言えない弱さ、巨大津波など大変なことは先送りしたいという正常性バイアスなど人間の欠点を記録しているように思われた。 企業では社長の責任は最も大きいが、全ての責任をトップがとれるわけではない。社長の周辺の幹部、中間管理職レベル、担当者レベルでそれぞれ弱さを自覚し、その弱さを克服しようとしなければ、人の生命・健康を守ることなど到底できない。厳しい局面に出会ったとき、又は近い将来に重大な事故が予想されるときに、なれ合いや横並びを優先するか、科学技術研究を信じるか、命や健康を大事にするのか、それとも金銭上の利益を優先するのか、番組を見る人にその問いをつきつけている。 (先頭に戻る)

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No.207 「コロナ疲れの中で思うこと」(2020.3.10)

 3月2日にNHKの「逆転人生」を見た。似顔絵捜査を始めた鑑識官の戸島氏の話だ。戸島氏は妻の死を切っかけにタイに渡り、タイ語を学びながら、タイ警察に科学捜査のやり方を伝え、多くの実績を上げた人だ。刑事の物語では、鑑識が主人公になる場面は少ないが、実際の事件では鑑識捜査官が、被害状況、指紋や足跡の確保、髪の毛、遺留品の採取など、公判維持のために必要な証拠を集める。そこは科学的思考を優先する世界だ。鑑識の仕事が終わらなければ他の刑事は現場に立入ることはできない。NHKのドキュメンタリーを見て、新型コロナ感染対策も現代の犯罪捜査と同じように、思い付きではなく科学的根拠に基づくやり方で進めて欲しいと思った。
   新型コロナウイルス(COVID-19)対策として、私の住む市では学校の閉鎖とともに、公民館、スポーツ施設、図書館の使用が中止されている。日頃は学校の体育館を市民に開放しているのだが、3月いっぱいは使用中止となった。公民館の毎月1回のシネマ鑑賞会も延期になった(吉永小百合主演の「北の桜守」の予定だったので残念!)。
   季節の写真を送ってくれているNさんから、「コロナ疲れ」という言葉を聞いた。人込みに行くときには気を使う。帰宅してからもウイルスを持込まないかと気になる。イベント中止で行き場所がなくなり、気持ちも沈んでくる。マスクが入手できない状態が続いているのに、ネットでの高値販売などの話は不愉快になる。「コロナ疲れ」という表現は「全くそうだなあ」と感じる。直近の世論調査では、新型コロナへの不安や苛立ちからか、オリンピック・パラリンピックの開催もできなくなると感じている人は多い(世論3/9)。

   昨日は白内障手術の後の定期検査で眼科に行った。待合室のテレビで国会中継をやっていた。立憲の蓮舫議員が、韓国・中国から日本への旅行者に2週間の待機を義務付けたことの科学的根拠を聞き、新型コロナ対策連絡会議などの議事録の提出を求めていた(3/9記事)。
   隣りに座っていたおばさん2人が、「この人(蓮舫)は政府に反対ばかりして、どうかしているよね」、「コロナ対策なんだから協力すればいいのに」などという会話を始めたのには驚いた。蓮舫議員の質問はコロナ対策を科学的にやって欲しいということだから、おばさん達にも有益なことだと思われるのに、奇妙だった。 こんな会話が出たのは、蓮舫議員が嫌いだからか、安倍首相の支持者だからか、それとも新型コロナ感染への不安といら立ち(コロナ疲れ)からだろうか。
   危機に直面しても、現状を肯定しがちな心理(正常性バイアス)が働いて正しい判断ができないことがある。日本は、台湾や韓国に比べて、SARSなどの感染時の教訓が行政に生かされていなかったようだ。国会での議論を聞いて、医療用マスク、消毒のアルコール、防護服などの備蓄ができておらず、感染症研究体制・防護体制が弱体化し(予算や人員が削減され)ていることを知った。がっかりさせられた。今は、専門家の意見を踏まえた科学的な感染防止対策と併せて、失業対策など経済対策をしっかりやってもらうしかないが、この危機的な状況で生まれる犠牲や不安を忘れないことが必要だ。 (先頭に戻る)

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No.206 「春の洋ランの水やり」(2020.3.2)

 四季は毎年巡ってくるのだから、理屈を言えばいつが始まりとは言えないのだが、春には一年の始まりのイメージがある。地面から草の芽が出て、枝から花芽や葉の芽が膨らみ始める。動物も暖かくなれば、冬眠していたクマやヤマネが目覚めて活動が始まる。
   気象庁などは3月を春の始まりとしている(
説明)。歴史(ローマの暦)では2月が1年の終わりの月とする考え方がある。今年は閏年で2月は29日だったが、通常年は28日までだ。これは、ローマの暦を反映したものだそうだ。私は見ていないが、チコちゃんでも放映されたようなのでご存じの人も多いと思う(解説)。
   3月になった。私の部屋では、3月頃からコチョウラン、カトレア、デンドロビウムなどが咲き始める。部屋の中に居ても春の訪れを感じる楽しい時期だ。洋ランでも花茎(いくつかの花が着く軸)が形成されるためには、ある程度の寒さが必要である。コチョウランの花茎は11月ころから2ヶ月ほどかけて伸びて来る。株の大きさにもよるが、現在の花茎は、大きな株では50㎝ほどに伸び、蕾も膨らみ始めている。

   洋ランの栽培で難しいのは、水やり方法だと言われている。冬季は気温が低いので、水を与えすぎると根を傷めて株が枯れてしまうことがある。外気温が、数度以下になるときは、特に気をつけなければならない。しかし、花茎の伸張と蕾が膨らむためには、ある程度の水分の補給がなければならない。以前に、カトレアの蕾がつき始めたときに、冬だから水を控えた方が良いと思って水をやらないでいたら、蕾がしぼんで枯死してしまったことがあった。ガイドブックでは、冬場の水やりは2週間に1回程度となっているが、密閉度の高い集合住宅の部屋(私の部屋は夜間でも15℃以上はある)では、鉢の状態(大きさや材質)を見ながら1週間に1回程度水を与えている。
   ところで、一口に洋ランと言っても、種類によって水を欲しがるものと乾燥に強いものがある。例えば、私の持つ洋ランの種類の中ではパフィオペディラムは水が必要である。そのことを知らずにコチョウランと同じように水を与えないでいたら、コチョウランの花は咲いたのに、パフィオペディラムは株が小さくなったり枯れたりしてしまった。コチョウランに比べればカトレアは、もっと水を必要とするようだ。こうした知識は、ここ数年の栽培経験から得たものだ。手元のガイドブックを見ると「コチョウランは高温多湿を好むと思われがちですが、じつは乾燥に強い洋ランです。水やりの基本は、水は鉢の中がしっかり乾くまで与えないことです」と書いてある。しっかり乾かす理由は、「根の周りに空気を入り込ませて発根を促進するためと、乾湿の差をつけることで病原菌の発生を抑えるため」とのこと。何年も前からこの説明は目にしていたはずだが、情けないことに、私は失敗の経験を経て、ようやくこのガイドの記述を意識するようになった。 (先頭に戻る)

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No.205 「政治で解決か、科学で解決か」(2020.2.28)

 昨夜、地元の人達と防犯パトロールをしたとき、一人がこんなことを言った。「昼間に10名ほどのおばさん達がJR駅前に集まり、『コロナウイルスに打ち勝つために一緒に頑張りましょう』と叫んでいるのを見た。宗教団体のようであり、誰もマスクをつけていなかったので驚いた」。別の一人が、「それって韓国テグ市で感染源となった新興宗教団体(新天地イエス)を思い出させるね」(2/25記事)と言っていた。イエスの再来とされる教祖を仰ぐこのカルト教団は、コロナウイルス(COVID-19)の感染を隠蔽しながら布教活動を続けていたようだ。不安や悲しみを祈りによって癒すことはあるとしても、現代人の多くは、政治や科学の力で解決すべきことを信仰で解決しようとは思わないだろう。
   2月初めからずっと疑問視されてきたことだが、クルーズ船では乗員・乗客にPCR検査をせずに、部屋に待機させただけで2週間程を過ごさせた。PCR検査とは遺伝子の特定部位を検出するもので新型コロナウイルスの判定には欠かせない。その結果、下船後に感染が分かった人もでてきて、2月28日時点ではクルーズ船乗船者だけでも感染者は700名を超え(日本全体では900名を超え)、死者もでている(死者は日本全体で10名)。どういう訳か検査はなかなか進められなかった。武漢や中国に滞在経験がない人でも感染していて、感染経路がつかめなくなっている。昨日になって、ようやく加藤厚生労働大臣は、「来週にもPCR検査に保険を適用し検査をできるようにする」と発表した。感染実態を把握しないで、「風邪症状で熱があっても4日間は自宅に留まれ」というだけでは、日本全体がクルーズ船のようになってしまう気がする。

   メディアは、連日コロナウイルスを報じている。感染者数は更に増えて、今週は世界中で株価が連日値下がりだ。政府は、野党や医師会から「対策が後手に回っている」、「医師がPCR検査を求めても検査が断られ続けている」などと批判されてきた。感染者がいると分かった自治体(北海道、市川市など)では一斉休校の措置が取られ始めた。遅れをとったと考えたのか、昨日は首相が突如、全国全ての小中学校、高校、特別支援学校に対して3月2日から春休みまで休校にすることを要請した。しかし首相のこの要請には、全国一斉は唐突過ぎるとの批判も出ている。現時点で感染者が判明していない自治体もある。休校の必要があるとしても、働く親が子どものために仕事を休まなければならなくなることや収入が減少する人が出てくること、自治体としても子どもを持つ看護師の確保が難しくなるなどの課題があるのだ。

   日本には多くの医療検査機関があり、PCR装置は沢山あるというのに、検査に消極的だった理由は何だろうか。一挙に感染者数の増加が明るみに出ればオリンピック・パラリンピックの開催に影響することや、民間の検査機関は技術が劣るという偏見や、そもそも1回のPCRで確実には判定できないから無駄な検査になるなどということを言う人もいる。そんな理由なら、1回の検査ではなく複数回の検査をすればよいだけのことだ。別の思惑があるのだろうか。まさかとは思うが、国民に不安を煽り混乱状態を作り出して憲法に緊急事態条項(政府が国会の承認を得なくても国民の権利を制限できる条項)の追加が必要だという世論を作るためとか、あるいは、高齢者の死亡が激増すれば年金支出と医療費支出が大幅に抑制できるという期待があるのかなど。バカバカしいようだが、以前にそう発言していた政府職員もいたので全く否定もできない。野党は、2020年度予算にコロナ対策費を含んでいないことや、予備費中心のコロナ対策予算が153億円しかないこと(海外と比べ余りに少ない)を指摘していたが、予算案は本日衆議院を通過した。
   新型ウイルス対策としては、治療のための薬剤・ワクチンの開発が特に重要であるが、直ちにできるというものでもない。持てる力を出すには、先ずは新型コロナのPCR検査を行って感染状況を把握することである。インフルエンザなど類似の病気と区別した上で感染者を隔離し、症状が重篤化する前に病院で手当てをすることである。重症になって人工心肺に繋がれてから感染していたことが分かっても遅すぎる。安心できる医療の提供という科学技術に基づいた対策をおろそかにしては、休校の要請や休業のための助成・融資などの対策もうまくは行かない。 (先頭に戻る)

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No.204 「事実の確認こそ新聞の役割だ」(2020.2.21)

 新型コロナウイルスの感染拡大が続いている。今日のNHKニュースでは、クルーズ船ダイヤモンド・プリンセスから下船しチャーター機で帰国したオーストラリア人2名から陽性者がでたと報道された。約3000人の乗客から600人を超す感染者(うち死者2名)を出しているのだから感染力はあなどれない。加藤厚労大臣は、オーストラリアでの陽性の検出は驚くことではないと言っていた。検査をして感染がないとして下船させたはずなのだから違和感を感じるコメントだ。感染症の専門家による批判もあったので、クルーズ船内での対策は改善されたとは思うが、一段落したら専門家による詳しい調査研究でクルーズ船での問題点を洗い出して欲しいものだ。
   国会では、与野党が新型コロナウイルス対策について議論を続けているが、その間に安倍首相の「桜を見る会」についても質疑が行われていた。2月17日には、桜の前夜祭が行われたANAインターコンチネンタルホテル東京(東京都港区)から野党が得た回答と、安倍首相の答弁内容とが異なっていることが争点になった。ホテル側が野党に対して「明細書を主催者に発行しないケースはない」と回答したのに対して、首相は、「ホテルに確認したところ、野党への回答は一般論であり、個別の案件については、営業の秘密に関わるため、回答に含まれていないとのことだった」と答弁した。
   この国会での質疑応答に関して、2月18日の毎日新聞の夕刊は、同ホテルを取材した結果、ホテル側からメールで、「(首相には)例外があったとはお答えしていない。私共が『個別の案件については、営業の秘密に関わるため回答に含まれていない』と申し上げた事実はない。」と回答があったと書いている。ホテルの回答は、首相が嘘をついたと言っているに等しい内容だ。この記事は
大場伸也記者の名前で書かれていた。

   政治分野の報道については、安倍政権の支持者からも野党支持者からもメディアへの批判を聞くことが多い。「○○新聞は信用できない。偏っている」などとして、新聞を読まない人もいる。私は、日頃「マスゴミ」などと新聞を批判している人に、手元の新聞を示してどの記事のどこが問題かを聞いたことがあったが、答えはなかった。おそらく、その人にとっては記事の真偽が問題なのではなく、その人の政治信条と記事内容が合わないから嫌悪しているのではと思った次第である。
   新聞の役割は何だろうか。昔は、新しい動きをいち早く報道してくれるものが新聞であったが、ネット時代になった今では、新しさや迅速性は、もはや新聞の重要な役割ではない。即時性と画像でインパクトをもつテレビやインターネットとは違う。新聞はその記録が残るので見直すことができるし、じっくりと考えることにも役立つ。新聞への一番の期待は、役所や団体の広報や娯楽記事を掲載することではない。記者自身が調査をして、事実を確認し、多くの人の疑問に答える記事を提供してくれることである。争点になっているテーマでは、現場に行ったり専門家に取材をしたりして、事実かどうかを確認してくれることだ。そうした立場で記事を書くことは、時には嫌がらせや取材拒否に会うこともある。だから、事前の勉強とともに、勇気を持つことが必要だ。「ペンは剣よりも強し」と言われるが、記者の名前を付した記事は、新聞社の真面目さと記者の自信の証明である。
   活字離れの傾向やインターネットの普及で、残念ながら、全国紙はいずれの社も読者が減少傾向にある(発行部数ランキング)。新聞の将来が危ぶまれる時代ならばこそ余計に、新聞には名探偵のような記者の勇気のある活動に期待したい。首相の答弁の矛盾を指摘したホテルのように、民間企業だからこそできることはある。 (先頭に戻る)

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No.203 「命と健康を守るための安全保障」(2020.2.13)

 前回の随想で「未だ名前もついていない新型のウイルス病」と書いたが、2月11日に、世界保健機関(WHO)は、この病名を「COVID-19」と名づけたとのことだ。CORONA VIRUS DISEASEの頭文字と発生した2019年との組み合わせだ。病気の名前に地名を入れると、その土地に対する誤解や差別を生む恐れもあるし、過去にはスペイン風邪などと発生地とは関係のない名付け方もあったので、コビッド19とは読みにくいが名付け方としては妥当だと思う。
   世界中でこの新型ウイルスの感染者が増え続けている。日本ではクルーズ船の中での感染が広がってきて(というか、検査をしていないので感染が分からなかっただけだ)、ついに重傷患者が出て、検疫官も感染した。検査が遅れているのは、PCRによる遺伝子レベルの検査態勢ができていないからである。隔離する施設(病院など)の確保が十分ではないことと、ウイルス病の扱いに慣れた職員が少ないために、クルーズ船の乗員・乗客の検査をする方針を決断ができなかったのだと推測している。検査機器はあっても、技術・技能をもった職員が不在では検査はできない。人件費や施設整備費には相当な予算が必要となる。

   SARSや鳥インフルエンザなど致死率の高いウイルスの変異で、人から人への感染が始まる恐れがあることは、以前から言われていることだ。新型ウイルス対策に必要な医学研究、公衆衛生、発生した場合の検査態勢、感染者の隔離病室の確保、医師や検査技術者の育成などを進めなければならない。予算がないのであれば、政府は自衛隊の武器や航空機の購入の先送りも必要だ。それこそが国民の生命を守ることだ。今回の新型ウイルスの出現は、そのための教訓として欲しい。自衛隊(防衛省)予算は、毎年増額を続けている。安倍内閣はイージスアショアやF35戦闘機100機を購入することをトランプ大統領に約束したが、それが安全保障のためというならば、致死率が高く、感染力の高い病気への対策は、より緊急で切実な安全保障政策だろう。
   国民の多くは、自衛隊の災害救援活動などに感謝している。自衛隊員も国民を救援することに誇りを持っていると思う。そうであるならば、自衛隊員が行う軍事訓練の割合を減らして、医学的知識・技術を身につけてもらい、感染症対策などの最悪の事態に対応できるようにすべきではないだろうか。海外へ派遣する場合でも、医療支援や水・食糧の供給など命を守る役割を果たして欲しい。今や日本と中国の経済・社会的な関係は後戻りはできないほど緊密になっている。新型ウイルス対策で延期になるかもしれないが、習近平主席の国賓としての来日が予定されている。その機会に未来志向、平和志向で話し合ってもらいたいと思う。日本と中国が連携することで、東アジアの人々の命は守られるものと信じている。
   ここまで書き進めたところで、都内のタクシー運転手、和歌山県の外科医師、千葉の男性が新型ウイルスに感染したこと、神奈川県で新型ウイルスによる死者も出たとのニュースが入ってきた。日本で本格的な感染拡大が始まったかと危惧される。行政府の長である首相が野党にヤジを飛ばして憂さ晴らしをしているようなことでは困る。国会議員は感染症をはじめとする病気などから国民の命をどのようにして守っていくのか真剣に勉強し、政府をしっかり監視・指導しなければならない。 (先頭に戻る)

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No.202 「新型ウイルス病への対策」(2020.2.5)

 友人のKさんの話だ。Kさんは、1月中旬から仕事で中国東北部に出張したが、会社からの「至急帰国せよ」との指示で1月末に日本に戻った。新型コロナウイルスによる感染者は東北部の都市でも出ていて、死者もあった。滞在中のKさんは終始マスクをつけて生活していたが、コンビニなどではマスクが売り切れだった。「大連空港の人込みは不安だった。いまのところ体調に変化はなく、できるだけ出歩かないようにしている。」と話してくれた。
   日本では、1月下旬に武漢からの旅行者に接触した日本人からウイルスが検出され、武漢からの飛行機での帰国者が検査・隔離された。一昨日あたりから大型クルーズ船の乗客は下船できず、検疫検査で、感染者が見つかったことなどが報道されている。専門家の予想では、「症状が出る前でも感染力が強いので封じ込めは困難。致死率はSARSほどは高くなく、今のところ治療法はない。感染が分かったら患者は免疫ができるまで安静にしている以外に方法はない」とのことだ。日本での感染がこれから急拡大すると予想されるので、持病などを持っている人や老人はできるだけ出歩かないようにする必要がある。

   人間の密集とその行動範囲の広がりのせいだが、それにしても、未だ名前もついていない新型のウイルス病が、短期間で急激に拡大したものだ。コウモリの保有するコロナウイルスとほぼ同じゲノム(染色体)をもっているとされ、武漢でコウモリを食べる人が媒介したのだろうと言われている。ウイルスとは、細菌よりもうんと小さいという程度の知識しかないが、ある教科書には、「数だけで判断するならば、もっとも繁栄・成功した生物はウイルスである。その数は10の31乗」とのことだ。その数字も想像を超えている。
ウイルス(virus)とは「毒」の意味で、古代ギリシャの医師ヒポクラテスが名づけたとか。生き物の細胞に入りこんで増殖する。
   友人が、ウイルスの拡大は、「増え過ぎた人間への自然からの報復のようだ」と言っていた。この感じ方は、人類が神の怒りにふれたなどと、論理を飛躍させるのでなければ、正しいと思う。
   生き物の中には、自分はその免疫機構を獲得した上で、他の生き物のもつ毒を身体に取り込むことで身を守るものがいることが知られている。例えば、肝臓に毒をもつフグは、その毒物質を自分で作るのではなく、食べものから集めて蓄えている(記事シガテラ)。毒をもった魚は、他の生き物に捕食されることが少なくなり、結果としてその種は栄えることになる。致死率の高いエボラウイルスも自然宿主は、オオコウモリ科のフルーツコウモリだという。コウモリは哺乳類だ。人間にも共通するウイルスをもつことで、結果としてではあるが、人間やサルに食べ尽くされることを防いでいるのかもしれない。多様な種がそれぞれに生き延びる仕組みがここにある。
   野生生物を食べたり、その生息地域を侵犯したりすることは、野生生物が持っている毒に攻撃されることでもある。ウイルスは進化(変異)する。人間も多少は進化するが、スピードが違うので、人間はウイルスには敵わない。武漢という大都市に発生したウイルス病は、ある程度の犠牲を出しながら、いずれ終息するとは思う。しかし、今回のことを教訓にすれば、日本では生物学・医学などの研究にしっかり予算をつけて、いつでも起きる恐れのある大規模な感染症に備えるようにして欲しい。マスクに限らない。ウイルスの検出機器(PCRなど)が足らず、研究や検査に携わる人達が足りないと聞いたときには、とてもがっかりした。 (先頭に戻る)

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No.201 「外交に感情は必要ないの?」(2020.1.25)

 ものごとを正確に知る上で、立場の違う複数の専門家の話を聞くことは有益だ。1月19日朝のNHK日曜党論は、イランとアメリカの対立がテーマだった。1月3日にイラン革命防衛隊のソレイマニ指令官をアメリカがドローン攻撃で殺害したのに対し(BBC1/4)、1月8日にイランがミサイルでイラク内の米軍基地に報復攻撃した(BBC1/15))。イラン政府がウクライナ航空機の撃墜も認めた時期で、一時的に小康状態になった時期だ。私は、ソレイマニ司令官の死を悼む何十万ものイラン人が「アメリカに死を」などと叫び、トランプ大統領が「アメリカ人に被害がでればイラン国内の52か所を攻撃する」と脅しているのを聞いたとき、これは確実に戦争が始まると思っていた。
   イランと友好関係を保ってきた日本は、この時期、トランプ大統領からイラン原油の購入を止められただけでなく、同盟国としてアメリカと一緒に戦うことを求められていた。まともにトランプ大統領の要望を聞けば、日本はイランと敵対する。イランとアメリカとの対立は終わっていない。この番組では、中東情勢をどう見るのか、日本のとるべき道は何かなどが議論された。

   日曜党論の中で「おやっ」と思う発言があった。中東情勢に詳しい高橋和夫氏(国際政治学者・放送大学名誉教授)が「イランはかわいそうだと思う」と発言したのに対して、元外交官の宮家邦彦氏(キャノングローバル戦略研究所研究主幹)が、「外交にかわいそうは必要ない」と言ったことだ。私は、宮家氏が討論の場と外交交渉の場とを混同しているのかと思った。
   今回のイランとアメリカの対立は、オバマ大統領がまとめたイランと欧米との核合意からトランプ大統領が一方的に離脱をし、イランへの経済制裁を始めたことから始まったものだ。アメリカだけの離脱であるが、その制裁に従わない日本や欧州の企業にも制裁を課すのだから、イラン原油を買う国がなくなった。イラン経済は非常に厳しいものになり、物価の上昇などでイランで反政府デモが高まっていた。そのときにソレイマニ殺害が起きた(イラン国内では、皮肉なことに政府批判が抑制された)。私は、軍事的にも経済的にも超大国のアメリカがイランをいじめているという印象を持ったので、高橋和夫氏の「イランかわいそう」発言は同感だった。
   「かわいそう」というのは、感情・心情である。冷静に分析しなければならないことに「情」を持込むことは、その作業を妨げることがある。例えば、かわいそうだからとカミツキガメやアライグマなどの外来生物の蔓延を放置するのでは日本の生態系がおかしくなる。その反面、冷静さは計算高さである。アメリカ大陸で、白人の武器商人や政治家は先住民(インデアン)を攻撃するだけでなく、対立する部族双方に銃を売り付け、部族間で殺し合っていくのを、「冷静」に見ていたことは有名である(先住民史)。先住民を人間扱いせず、白人の支配地を広げることを目的にした冷酷さもである。

   外交交渉だって感情が伴うのは当然だ。むしろ国民感情がないところには外交はあり得ないと思う。外交は自国民向けの政治だからだ。1933年に国際連盟から脱退したときの松岡外相を国民は大歓迎した。香港の市民運動が警察官から強権的におさえられるのを見て、中国共産党に嫌悪感をもつ人は多い。北方領土を返してもらい安心して漁業ができるようにして欲しいなど、外交とは、そのような人々の感情を背景として行われると理解している。
   当然のことだが、外交交渉の席で、相手外交官の説明に同情すれば不利な条件を飲まされるし、喧嘩ごしで発言したりすれば、交渉が決裂して目的を達成できない。だから、宮家氏のいうように、冷静さが必要であることは確かだ。それは学術研究において、感情や願望によって観察やデータ分析を行ってはならないことと同じである。しかし、外交や学術の成果を社会に役立てるためには、人間への暖かい感情を持ち、その生存を脅かすものへの嫌悪感などがなければ、その成果は、一部の人の利益になっても、万民への利益にはならないことは言うまでもない。日曜曜討論でも、先ずは「かわいそう」とか「悔しい」とか「こうなったら嬉しい」など熱い心情を語り合うことも必要なのではと感じた次第である。現代の優れた外交官がどんな信念で仕事をしているのかは知らないが、自国の利益だけでなく、相手国や世界の利益(共存共栄や平和)も考えなければまともな交渉などできないのではないのか。「心は熱く頭は冷静に」は、外交にも当てはまることだと思う。 (先頭に戻る)

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No.200 「説明欠落時代の不愉快と不安」(2020.1.17)

 昨日は近くの銀行で、スポーツ推進員の仕事(放課後の学校体育館を14の地元団体に利用してもらう市の委託事業)に使う市役所の交付金7千円を引き出しに行った。申込票に必要事項を書いて押印して窓口に出したら、「印影の縁が欠けているから押し直して」と言われた。それから「金額の数字の前に¥マークを書くように」とも言われた。やれやれと思っていたら、金を受け取る段になって、申請書の文字のうち、「1字が簡略体だから書き直して欲しい」と言われた。おそらく決済の途中で誰かに言われたのだろう。
   私の銀行口座の名義は23文字にもなる長いものなので書き直すのも面倒だなと思って、「簡略体でも他に読みようがないのだから書き直す必要はないんじゃありませんか。その1文字を二重線で消して訂正し押印しただけではいけませんか」と言ってみたら、窓口の女性は「二重線での修正はできません。規則だから」と言う。押し問答した上で、やむなく新しい申込票に記入、押印して提出した。「こんなやり方おかしいですよ。一旦受け取った申込票なのに、新しい票を使って用紙を無駄にし、私とあなたの時間も無駄にしてしまって」と言うと、窓口の女性は「おっしゃることは分かりますが、自分は下っ端なので」と済まなさそうな顔をした。「上司に顧客から苦情があったと伝えて改善して下さい」と言って外に出たが、不愉快な気分がぬけなかった。
   些細なことにばかり気を使って、大事なことを忘れているような感じだ。誰もが責任を逃れようと、そのしわ寄せをもっと弱い人、発言をしない人に押し付けているような気がする。私から苦情を言われた窓口の女性だって面白くないに違いない。
   私の住む集合住宅の管理組合のことだ。2年前に理事会役員が理事会の会議記録に署名をしないで居住者に配るようになった。私は、管理組合総会で「これまで会議記録は必ず署名していたのに、これでは会議自体が本当に開かれているのかさえ疑わしくなる。なぜ署名をしないのか」と聞いたら、「事務を委託している管理会社からの助言があったから」という。同じ質問を管理会社の担当者に向けたら、「個人情報の保護のためです。署名をしないことも可能ですと伝えました。お決めになったは管理組合の理事会です」という説明がされた。この説明には何人かから疑問と反論が上がり、その後は、理事長らの署名入りの議事録が配布されるようになった。

   人々を不安にするのは、温暖化や戦争の脅威、放射能汚染、致死率の高いインフルエンザだけではない。日常的に感じる不安や不愉快感は、理屈に合わないこと、きちんと説明できないことが放置されることから来ていると思う。銀行の例で言えば、二重線で消して押印することで修正と認めても良さそうなものだが、なぜだめなのかが説明されていない。窓口が「規則だから」というだけでは、それはもう説明ではない。聞きたいのは、何故それを規則にしたかだ。
   この10年ほどの間に、日本が生き辛い国(息苦しい国、不安が煽られる国)になってきたように感じるが、それは、多数の国民が納得できる説明がないまま、いろいろな問題が放置されていることに原因があるように思われる。更に言えば、理屈に合わないことでも、親切そうに見えたり、一生懸命にやっているように見えれば、それを簡単に信じてしまう弱点が私たちにあり、それが顕在化してきたからではないか。説明抜きでも、相手の肩書や素振りだけで信じてしまうのだ。
   日本では、世論の6~7割が賛成していること(例えば原発再稼働反対、婚姻後の姓の選択性、女系天皇など)でも、議会での多数派(国民の多数派ではない)が、その逆のことを説明抜きで決めてしまう傾向がある。「モリカケ問題」や「桜を見る会」では、追及を恐れて、記録を廃棄したり、証人喚問の要望を妨げたりして、まともな答えをしない。それでも記者会見では、官房長官などは「粘り強く丁寧に説明します」とか、「理解を得る努力をします」とか言って押し切っている。世の中の不安や不愉快さは、おおよそここから生じている。企業の役職員に「説明はあの程度で構わないんだ」と思わせているのかもしれない。
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No.199 「誤解を招く『ご苦労様』」(2020.1.8)

 言葉遣いは、年長者と若者、上司と部下、男性と女性との違いで言葉使いを変えるのがしきたりになっている。しきたりとは敬語法とか待遇表現と言われるものである。言葉は文化そのものでもあるが、敬語法の理解の違いによっては、逆にコミュニケーションを阻害することもある。
   相手に対する感謝を伝える言葉では、「ありがとう」が基本語になっている。「ありがとうございます」は丁寧な言葉だ。上司が「ありがとう」と言うのに対して、その部下は「ありがとう」だけでは上司に失礼だと感じて、「ありがとうございます」と言うのが普通である。「ございます」は丁寧語ではあるが、相手に対する尊敬のニュアンスも含まれる。
   現代社会でもいつの頃からか、ねぎらいの言葉「ご苦労様」が問題とされるようになった。私が学んだ敬語法では、ご苦労というねぎらいの言葉は、上司(年長者)が部下(若輩)に使う言葉であり、部下は上司に対しては使えない。「ご苦労様でした」と丁寧に言っても尊敬のニュアンスは生まれないという説明だった(誰もが納得している説明ではないが)。その説明によれば、上司は常に偉い存在であってねぎらう側であり、部下はねぎらわれる立場だからだ。

   一般論ではあるが、上司が偉いのは、経験を積んでいて、能力(体力なども含む)が上だとみなされるからである。だから、著名な作家が書いていた解説でも「お疲れ様」という言葉も部下は上司には使用しない方が良いとされていた。上司は簡単に疲れてしまうような弱い人だとは想定されていないのだ。
   デジタル大辞泉には、「『ねぎらう』とは、苦労や骨折りに感謝しいたわること。現代では同等又は下の人に対して用いる」と書かれている。同等であれば、同僚・同年齢の相手には「ご苦労様」は使っても良いことになる。しかし使われた側が、相手を上司気取りだと感じたり、あるいは、自分の方が偉いと思い込んでいると、侮辱された気分になることもある。世の中を円滑に回す敬語法のはずなのに、逆効果になっている。ちなみに、ご苦労様のさま(様)とは、(・・・なこと)を丁寧に言うときの接尾語だ。

   問題はどちらが正しいかではない。その時代の人々の心情にどちらがしっくりくるかだ。文化庁の
調査では、仕事が終わったときにかける言葉としては、上司に対しては「お疲れ様でした」を使う人は69.2%、「ご苦労様でした」を使う人は15.1%、「ありがとうございました」は11.0%だった(⇒平成17年度国語に関する世論調査)。言葉は世相を反映して変わることがあるので、将来は「ご苦労様」は、皮肉を込めた意味で使われることはあっても、ねぎらいの言葉としては消えていくかも知れない。上司としても、部下から威張っている(上から目線だ)とは思われたくないので、使われなくなると予想している。
   英語圏で長年過ごした人が帰国すると会話がしづらいというのは、敬語法の使い方が原因になっている場合があるようだ。というよりも社会の平等化や個人の尊重の視点が欧米に比べて、まだまだ遅れていることが問題なのかもしれない。部下や年下の者に敬意をもって話す機会が少なく、議論をすれば喧嘩別れで終わってしまうこともある。老若男女が対等に自由で闊達な会話ができるようにするためには、日本では、言葉の使い方についても相当な工夫が必要だろうと思う。
   話は少し違うが、近年では、「おはようございます」「おせわになります」などの出合いの言葉の代わりに、「お疲れ様です」が盛んに用いられている(特に若い人達が多い)。以前にいた会社で、「朝からお疲れ様ですなどと言われて、俺ってそんなに疲れているように見えるかなあ」と言っていた部長がいた。私がもらうメールでも、書き出しが「お疲れ様です」となっているものもある。言葉は、世の中の変化を反映する。疲れている人が増えているのかもしれない。 (先頭に戻る)

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No.198 「言葉も光のように散乱する」(2019.12.31)

 毎朝、寝室の障子をあけると、朝の光の中に、隣家の屋根、庭、畑、遠くの集合住宅ビルなどが見える。今の時期は、落葉した椋の木、赤い花を着けた椿、オレンジ色の蜜柑の果樹が見える。天候と生き物の色や形は、毎日少しずつ変化する。四季のように毎年繰り返しの変化もあれば、初めての変化もある。
   2019年を振り返れば、世界にはいろいろな事件(変化)があって、不愉快なことも少なくなかった。

   昨日、NHKラジオで
「冬休み子ども科学電話相談」を聞いた。小学2年の女の子が「宇宙が暗いのはなぜですか」と質問した。回答の本間先生は、「とてもいい質問だね」と答えた。そして「地上は空気で光が散乱して空が青く見えるが、宇宙には空気がないので光は散乱しない」、「銀河と銀河の間には星も何もない広い場所がある」、「暗黒星雲のような光をさえぎる場所もあるので、宇宙は暗いのです」と答えていた。分かり易い答えだった。
   本間先生は、オルバースのパラドックス(宇宙が無限に大きく、どこにも同じ程度に星(光る恒星)があるなら宇宙は明るいはずという19世紀に出された見解:天文学辞典)を引用して、「宇宙の姿の問いかけにもなる根源的な質問だ」と褒めていた。
   太陽からの光は、地球表面の空気中の酸素などの分子にぶつかると反射・散乱する。散乱を繰り返した光は地上の何かに当たり、その反射した光が人の目に入ると人はその何かを見ることができる。

   星が発する光の宇宙や地上での作用は、人の言葉や行動が他人に及ぼす作用に似ていると思った。人間社会の課題は山積みだ。温暖化、紛争と難民の増加、貿易摩擦、核兵器開発。様々な課題を巡る国・集団・個人の言葉は、他の国・集団・個人に伝わって、衝突し、角度を変えた言葉として世界に拡散していく。ただし、それらの言葉が、光が地上の世界を明るくするのと同じように作用するかどうかは分からない。
   アフガニスタンで灌漑施設整備の援助をしていた医師中村哲さん(12月4日に銃撃され死去)の言葉は、その生き方を通して多くの人に伝わった。世界には国境なき医師団のような紛争地帯で医療活動をしているグループもある。11月に来日したローマ教皇の言葉は日本人の中に拡散した。貧困や差別をなくそうとする言葉と行動は、人々を励まし世界を明るくする。逆に、暗黒星雲が光をさえぎるように、そうした活動を妨げる人や集団もいる。
   ガンマ線やエックス線を含む太陽光は、地球に到達して空気中の分子に衝突して散乱し、上空に青空を作り、世界を明るく見せ、その毒性を弱めて、植物に光合成をさせ、生き物に繁栄をもたらしている。それを考えれば、言葉が地上の人間社会を明るくするためには、人と人との間でもっともっと言葉の散乱が繰り返さなければならない。つまりは、徹底したコミュニケーション(話し合いと相互理解)によってこそ、差別、貧困のない社会を実現できるのではないだろうか。子どもの宇宙の暗さについての素朴な質問から、こんなことを漠然と考えてみた。 (先頭に戻る)

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No.197 「白内障手術を受けた実感」(2019.12.22)

 Q: 白内障手術を受けたとのことですが、手術は怖くありませんでしたか。
   A: 目玉にメスを入れることなので、すごく怖い感じがありました。しかし、年に数百件の手術経験を持ったその医師は、ここ数年間の対応から信頼のおける人だと感じていました。この眼科で白内障の手術を受けた親しい人が「受けて良かった」と言っていたことも手術を受ける動機になりました。
   Q: 白内障の手術は、水晶体を取りだして、人工のレンズを入れることですが、手術台の上ではどんな感じでしたか(⇒
写真を含む説明)。
   A: 12月4日に受けた右目の例を話します。イス型の手術台に仰向けになると、顔の右目以外の部分が覆われました。右目からは天井が見えました。薬で瞳孔が開かれているのでとてもまぶしかった。瞼(まぶた)やまつ毛などを消毒されて、瞼が器具で固定されると黄色の液が目玉の上に注がれ、ぐりぐりとこすられるような感じがしました。何が行われているのか分かりませんが、事前に麻酔の目薬が差されているので痛みはありません。目玉の右端がちくっとした感じがして、身体が思わず硬直しました。それから、ぐるぐる、ぐりぐりという感じで、天井が明るくなったり暗くなったりしました。光の中に黒い2本の横棒が見えました。医師からは、その横棒をしっかり見て下さいとか、下を見て下さいとか指示されました。医師は、大きな顕微鏡を覗きながら作業をしていたようです。透明な膜のようなものが目の中に移動してくるのが見えた後で、冷たい液体が目玉の上を流れるような感じがしました。それで手術は終了です。ガーゼで右目が覆われ、「終わりましたよ」という声を聞いて手術室から出るまでの時間は、入室から20分も経っていません。手術中に聞こえたのは、微かな機械音と医師の声だけ。胸につけたコードで心電図が自動的に測定されていて、血圧も自動計測されました。

   Q: 稀に手術がうまくいかない場合があるとのことなので、術後も心配だったのでしょうね。
   A: 手術当日は右目を開くことができません。翌朝には、ガーゼが取れて、瞳孔を開いた状態で検査をしました。眼圧が高くなっていて、緊急に眼圧を下げる薬(飲み薬)を処方してもらいました。ゴーグル型の保護眼鏡をかけて帰宅しました。朝にはぼんやりとしか見えなかったのが、夕方には、右目に映る風景は明るくなり、ものがはっきり見えました。視力がでるのかとても不安だったので、正直にうれしかったです。2日後の12月6日には、手術前の裸眼の視力0.4程度が1.2になりました。しかし12月11日に手術を受けた左目は、2日後の視力が0.3ほどと手術前と変わらなかったので心配になりました。
   Q: 左目は何か問題があったのですか。その後はどうですか。
   A: 左目は、濁りがあるということでした。眼圧を下げる飲み薬のほかに、緑内障にも使われる点眼薬(グラナテック)をもらいました。手術後5日目に左目の視力も1.2になりました。それまでは気になって、いつも右目と左目を比較していました。
   Q: 手術中は血圧を測っていたとのことですが、変化がありましたか。
   A: 手術前には、最高血圧が110程度でした。終了後は130になりました。やはり身体が緊張をしたりしていたのですね。恐怖感や不安感を反映していたと思います。
   Q: ところで手術代は、いくらでしたか。
   A: 私は、人工レンズに多焦点レンズを選びました。これですと、50センチ位から以遠は焦点が合います。それより近いところは、眼鏡が必要になります。パソコン画面や大きな活字であれば本も眼鏡なしで読むことができます。多焦点レンズは、健康保険の対象ではなく高くなります。レンズ代を含め片目で45万円(両眼で90万円)です。検査費用や薬代は別途かかります(保険で起用され、毎回数百円程度)。
   Q: 白内障の治療全体を通して、大変だったことはありましたか。
   A: 手術を成功させるためには、術後に炎症を起こしたり、化膿したりしないようにしなければなりません。手術の3日前からそのための点眼薬を3種使用します。手術後には、別の3種の点眼薬を使用します。1日4回なり、3回なりを定期的に目に差さなければなりません。5分の間隔を開けることになっていますので、投薬を忘れないために記録しておく要がありました。他にヒアルロン酸ナトリウム(1日4回)と緑内障予防の点眼薬(ラタノプロスト1日1回)をもらっているので、一日中薬を使っている感じでした。

   植物にも共通の光を感じる細胞・器官が、動物では 長い時間をかけてレンズを持った精巧な目玉にまで進化してきた。目玉万歳だ。眼科の皆さんありがとう。 (先頭に戻る)

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No.196 「あちらを立てれば、こちらは」(2019.12.15)

12月の4日と11日に白内障の手術を受けた。眼科医からは、「あなたが運転する車には乗りたくない」と言われていた。水晶体(たんぱく質と水分でできている)が濁って視界が暗く視力は落ちているからだ。手術とは、超音波で水晶体を砕いて取り去り、代わりにプラスチックのレンズを入れることだ。現時点の状況は、右目は視力が1.2程度と大幅に改善された。左目は回復途中で右目程の視力はないが視界は明るくなった。
   問題点はある。人工レンズのおかげで遠くを見るときには問題はなくなったが、近い場所は逆に見えにくくなった。良く見ようとして今までのように顔を近づけると逆にぼやけてしまう。視力が安定したら眼鏡を作ることになる。眼鏡(老眼鏡)を使うのは不便であるが、何を犠牲にして何を優先すべきかを考えた結果の手術である。

   私の白内障の手術については、小さな問題は出てきたが、大きな問題は解決したと感じて納得ができる話だ。「大抵のことは完全にはうまく行くことはない。ほどほどでちょうどいい」くらいに緩やかに考えていれば精神的には落ち着く。
   しかし現実世界には、「ほどほど」を許さない深刻な問題がある。地球温暖化を放置すれば、人類全体(生き物全体にも)に悲惨な結果をもたらす。パリ協定では、今世紀後半までには世界全体の温室効果ガスの排出量を実質ゼロにする目標を掲げている。スペインで開催されたCOP25では温室効果ガス削減の方法(排出権など)を巡って対立がひどく、会期を延長して交渉を続けていたが、本日(12月15日)ようやく決着をみた。参加国が排出ガス削減に向けてそれぞれの国が意欲的に取り組むという宣言を決議した。来年2月までに削減目標を再提出するとした先送りの決着だ。国土が海面に没するとして危機感を持つている国がある一方で、温暖化対策なんて必要ないと言っている大国の指導者もいる。こういう事態をどう考えれば良いのだろうか。

   こまめに節電するといった個人の努力は必要ではあるが、温暖化の解決には程遠い。だからスウェーデンのグレタ・トゥーンベリさんのような若者を支える活動、政治を変える活動が必要である。政治を老人の政治家だけにまかせておいてうまく行くはずもない。今年リチウムイオン電池でノーベル化学賞を受賞した吉野彰さんが、受賞後「若い人達は温暖化が進むことに強い恐怖感を持っている。電池の開発が問題解決に役立つのは疑いようがないから、これからも取り組んでいく」と述べたのには励まされた。
   地球温暖化の課題を解決するには、政治的な行動とともに、これまでとは違った発想やノーベル賞級の画期的な科学技術が必要である。2014年のノーベル物理学賞となったLEDの発明も省エネルギーに寄与したが、省資源・省エネルギー技術の世界は限りがない。生物の世界から学ぶことも多い。温暖化は人間・生き物の生存に関わることなので、「あちらを立てればこちらは立たない」などと世間知や処世術のようなことをつぶやいているのでは、何も解決しない。COP25の決議で、温暖化ガス排出節減に向けた各国の一層の努力をと決めたのならば、それぞれの国の国民が、自国の政府や政党に対して、「地球温暖化の進行を止めよ」、「具体的な手立てを講じよ」などと強く要求しなければならない。次世代を生きる者たちへの私たちの務めでもある。 (先頭に戻る)

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No.195 「えっ、読解力が落ちているの?」(2019.12.7)

このところ外出が続いていたが、ようやく随想を書く余裕が出てきた。テーマは日本の子供の読解力が落ちたと報道されたことについてである(12/3毎日)。OECDが2018年に実施した国際学力テスト(PISA)の結果が日本は数学や科学の分野では上位(5,6位)だったのに、読解力は8位から15位に急落したという記事だ。新聞社説では「長文に触れる機会づくりを」などとの主張があり、読解力についての特集記事もあった。深刻な問題なのかも知れないと感じる反面、読解力が下がったのに数学や科学分野で良い点数が得られるのも不思議だと思った。本当のところは何が問題なのか。

   PISA(Programme for International Student Assessment)の解説と問題例は、国立教育政策研究所(NIER)のサイトでみられる⇒(PISAサイト)。PISAの定義では、読解力とは「自らの目標を達成し、自らの知識と可能性を発達させ、社会に参加するために、テキストを理解し、利用し、評価し、熟考し、これに取り組むこと。」とされる(⇒ポイント)。分かりにくいが、要は文章の内容の合理性や妥当性を判断する力だ。例えば人の意見(推測や願望)と事実との違いが理解できなければ読解力が低いことになる。推測と事実を混同すれば、まともな社会参加は不可能である。
   15歳の高校生(1年生の春頃)に出された読解力の問題を実際にやってみると、何を求めているのかが分かる。良く練られた質問なので、問題例を試していただきたい(クリック⇒問題例)。この問題では、ある大学教授のブログ(モアイ像の島に樹木がない理由を論じている)を参照しながら、意見と事実の違いを判断することになる。複雑な文章ではないが、注意深く読まないと大人でも読み誤る。パソコン画面を見て答えを出すので、コンピュータの使い方を誤ると、読解力があっても誤りと判断される。

   2018年のPISA結果(日本は183校約6100人が参加)を見た私の結論は、「読解力の低下は表面的なものであり、心配することはない」だ。少なくとも子供(高校生)の「読解力」が低下しているとは言えない。その根拠は、OECD加盟37カ国の中では、日本は読解力についても上位に位置しているし、今回低下したとされる理由には、学校でのパソコンの利用が日本は他国に比べて特に低いため、教育投資への貧困の結果に過ぎないと考えられるからだ。質問に出てくるタブ、クリック、ドラッグ&ドロップの意味が分からなければ答えようがない。
   数学や科学の問題は、読解力に加えて科学や数学的知識が必要である。それらの成績が良いということは、読解力も当然に良いということである。読解力とは、事実と意見とを見極め、根拠が確実なものを材料として内容を評価し、熟考する力である。科学の理解には欠かせない力である。権威や力のある誰かに従うことでもなければ、多数決で決めることでもない。個人の持つ思考力の世界である。OECDが企画する読解力の向上は、より良い社会づくりの出発点である。子供のことではなく、むしろ大人にこそ必要な力である。今回の「読解力の低下」問題は、文部科学省が反省しているように、一人一台の学習者用コンピュータと通信ネットワークの充実を図ることで解決する。
   この学力テストには補助的情報として、生徒の親の学歴や学校が所在する都市の規模を書かせている。だから、大都市と地方との格差、親の学歴程度(貧困の程度?)による子供の格差も分析できる。報告書には「レベル1の低い点数の割合が有意に増えた」などのコメントもある。そうであるならば、平均値で一喜一憂する意味はない。詳細な分析で地域格差や低所得層の教育環境を改善する方策を探ることが可能だ。
   日本は科学技術立国だといいながら、教員や研究者の身分を不安定にし、科学研究費を抑制してきた。政治家が介入して英語の共通試験導入でベネッセなどの企業を儲けさせることばかりを考えていては、ますます国の将来が危くなる(⇒11/29西日本)。政治家はしっかりして欲しい。そして有権者はクズ議員を見極める「人間の読解力」を持たなければならない。 (先頭に戻る)

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No.194 「民主主義という権威」(2019.11.26)

「権威」とは、他の者を服従させる力であるが、この力が何に由来するかは様々である。先生、社長、大統領という地位が権威の源であるかもしれないし、その個人がもつ信頼感や優れた知識・技術などの能力・性質が権威をもたらすこともある。腕力・武力や財力も権威になり得るが、個人が大切にされる現代社会では、暴力を伴う「権威」は恐れられることはあっても、信頼され敬われることは少ない。

   今週私は、それを考えさせられる2つのニュースを見聞きした。
   1つは香港区議選の結果である
(ロイター11/26)。香港では中国共産党の支持を受けた香港政府と民主派とが、不公平な選挙制度、犯罪者引き渡し条例やデモを制限する条例などを巡って対立してきた。11月25日には区議選挙で452議席のうち385議席(85%)を民主派が獲得したことが判明した。英国から中国に返還された香港であるから、中国政府との関係を持たざるを得ないことは確かだが、「1国2制度」を約束した中国政府だから何でもできるわけではない。今回の選挙結果は、豊かになった中国国民と中国共産党が変わらなければならないことを示している。中国国民が共産党独裁を否定する歴史的な始まりになるかもしれない。民主派も、その存在意味が問われることになる。随想173でも書いたように、香港と中国にはますます目が離せない。日本では政府が沖縄県民投票で示された辺野古基地建設反対の民意を無視している。これは中国共産党の姿勢にとても似ている。中学生のときに私は「地方自治は民主主義の学校だ」と習った。中央が地方の民意をどう扱うのかが民主主義の根幹であると信じている(だから独裁は嫌いだ)。

   もう1つのニュースは、来日したフランシスコ・ローマ教皇の発言である。キリスト教カトリックのトップである教皇は、新聞の見だしなどによれば、11月24日に長崎、広島で「軍拡競争は途方もないテロ」、「核兵器の保有は倫理に反する」などと訴え、東京では大震災や東電福島第一原発事故に関して、原発の継続的な使用に対する懸念を表明した。バチカン(ローマ教皇庁)は昨年8月から死刑を容認しないことを決めており、そうした背景から死刑囚の袴田巌氏をミサに招待したらしいという記事もあった。
   ローマ教皇のこうした発言や行動は、アメリカの核の傘を利用し核兵器禁止条約に署名しない日本政府、原発再稼働を目指す日本政府、武器輸出を政策に取り入れた現在の日本政府(かなりの日本国民)にとっては気分を害する内容である。今の中国政府であれば「バチカンによる内政干渉は許さない」など批判をするところだろう。私は、この随想で死刑制度についての疑問を書いてきた(No.47)ので、「人を殺すな」という宗教の原点でもあるローマ教皇のメッセージには、感動を覚える。
   フランシスコ・ローマ教皇の場合は、ローマ教皇という地位の発言だから人が耳を傾けるというだけではなく、どうやらフランシスコ教皇(名前はホルヘ・マリオ・ベルゴリオさん・イタリア系アルゼンチン出身)の勉強熱心で心優しい性格(権威主義的ではない権威)が大きく影響しているようである。私は、そこにローマ教皇の現代的な意味での権威を見つけた気がしている。 (先頭に戻る)

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No.193 「夜空に二つの月 1Q84の世界?」(2019.11.17)

秋が深まってくると、月がきれいに見える。このところ太平洋側は晴天が続いていて、12日の満月はきれいに見えた。月がどうしてできたかというと、火星ほどの星が地球に衝突しでできたという巨大衝突説が最有力とのことだ(日本天文学会の説明)。しかし澄みわたった天空を静かに渡る満月を「ああきれいだ!」と見ているだけでは、星の衝突があったなど想像もできない。月の存在は、潮汐の満ち干や夜を明るく照らすことで、生き物の進化や行動に大きな影響を及ぼしている。また、人間世界にも、詩歌や物語りで登場したりしているのだからその影響はとても大きい。生き物を育てた母なる地球とその姉妹の月なのだから、当然といえば当然である。

   村上春樹の「1Q84」は、スポーツインストラクターの青豆さんと数学講師で作家をめざす天吾君の恋の物語であるが、背景にカルト教団や殺人などの話も出てくるので、人間社会の面白さとともに、それが持つ不安定さや怖さも感じる。物語の終盤で天吾が公園の滑り台の上で夜空を眺めると、そこには2つの月があった。明るくて大きな月と、その近くの緑色をした小さく歪んだ月である。他の人には見えない。この2つの月を見ることのできるのは、青豆と天吾だけ。2つの月は異形の世界(異世界)が出現したことを象徴している。
   太陽や月、星は、神話にも物語にも出てくる重要なファクターである。月は夜の暗く冷たい世界を表す。宇宙には2つ以上の月(衛星)があるのは珍しいことではないが、1つだけのはずの月が突然に理由無く2つになったとすれば、まともな人間ならば激しい不安を感じるだろう。touxiaのブログ「村上春樹な日々」の中で2つの月の画像が紹介されていた。楽しいので見て欲しい(→touxiaのブログ)。

   それから、私が11月12日に撮った2つの満月(下の写真)をご覧いただきたい。これは満月を撮ろうとした際に偶然に撮れたものである(マニュアルモードで露出はbulb)。私は写真を合成する技能を持たないので写ったそのままである。どうして2つの月が撮れたのかは説明ができないが、「1Q84」で表現している明るくて大きな月と緑色をした小さく歪んだ月に似ているように思う。
   村上春樹の作品とも、2つの月とも関係がない話だが、最近各界で功績があった人を総理大臣が招待する「桜を見る会」(国費でまかなわれる行事)に、安倍晋三氏の地元後援会関係者が約850名も招待されていたことが、国会で追及された(11/9毎日)。さすがに恥ずかしいと思ったのか、政府は参加者の情報は既に廃棄したと言い、来年は「桜を見る会」を中止すると発表したが、このところ釈明に追われているようだ(11/21NHK)。「1Q84」の物語のように、私たちの知らないところで、知らない間に、日本の政治は怪しげな異世界に入り込んでいるのだろうか。 (先頭に戻る)

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No.192 「吉永小百合(寒い朝)の歌」(2019.11.12)

私が中学3年生の春か秋だったと思う。放課後の運動場で清掃か何かの作業をしていると構内の拡声器から歌が流れてきた。音楽の授業で習う歌ではない。何度も繰り返して歌が聞こえてくるので、その場で覚えてしまったほどだ。「北風吹きぬく寒い朝も心ひとつで暖かくなる・・・」。中学校の運動場の側には松林があり、その向こうは水田が広がっていた。住宅地はなく騒音にはならない時代だった。後で知ったが、その歌は吉永小百合・和田弘とマヒナスターズの「寒い朝」だった(サントラ盤Youtube歌詞)。1962年4月に石坂洋次郎原作の映画のテーマ曲として歌われたものだ。ちなみに吉永小百合の次のヒット曲は、同年9月にでた橋幸夫と歌った「いつでも夢を」だ。この年のシングルベストセラーとなった。

   それにしても、「寒い朝」のレコード(ビクター)を誰がかけたのだろう。レコードなど持っている中学生は殆どいなかったから、映画に感動した先生がレコードを買ってかけたとしか思われない。既に高度経済成長が始まっていた。ベビーブーム世代(後に団塊世代とも呼ばれる)の3年生を送り出す先生が、この歌で生徒達を励まそうとしたのかも知れない。受験競争が激しくなる一方で、高校に行かないで就職したり家業を継いだりする生徒が1割ほどはいた(後に秋田県出身の同世代の人から、秋田では当時の高校進学率は50%程度だったと聞いた)。「寒い朝」の歌詞には、「若い小鳥は飛び立つ空へ」、「いじけていないで手に手をとって」、「望みに胸を元気に張って」、「北風の中に待とうよ春を」などという若者への励ましのメッセージが入っている。 中学生時代は、子供っぽいくせに背伸びしたりして、思うようにはならず心が傷つくことは多い。異性をまぶしく感じるようにもなる。今にして思えば、この放送をしたこと自体に、先生達の生徒を思う優しさが込められていた気がする。私は、その時は、「寒いときは何をしても寒いのだから、心ひとつで暖かくなるなんてことはあり得ない」などど理屈っぽく考えていた。

   なぜ、こんな思い出を書いたかというと、先週の土曜日(11月9日)に故郷で行われた中学3年生のクラス同窓会(昼食会)に出たからである。いつまでも元気でいられるかが不安になってくるので、昔の仲間と会っておきたいと思ったからだ。女子は9名、男子は8名集まった。担任の I 先生は数年前に他界され、男子では連絡が取れない数人のほかに7名の物故者がいる。
   クラス同窓会では、互いの近況(健康や趣味・仕事)などを話しただけだが、長いこと会っていなかった人との話ができて楽しい時間となった。幹事は飲み放題のコースを用意していたのだが、誰も沢山は飲まなくなっていた。2次会では、8名(女子5人、男子3人)が近くのカラオケ店に行った。私もその1人である。歌うことは得意ではないが、勧められてこの「寒い朝」を歌った。それから、白いブランコ、喝采を歌った。この3曲は女子の1人が一緒に歌ってくれた。最後に全員で「高校3年生」を歌って、皆と別れた。
   「記憶の糸」と言う言葉があるが、何かの記憶は、別の何かの記憶と結びついているようだ。「寒い朝」などすっかり忘れていて、歌うことさえ全く無かったのに、同窓会で中学生の記憶がよみがえったのかも知れない。そして、クラス会の仲間と分かれた後で、吉永小百合の「いつでも夢を」(星よりひそかに、雨より優しく・・・)を口ずさんでいた別のクラスのスポーツが得意な友人(家が同じ方面なのでしばしば一緒に帰った)のことを思い出した。 (先頭に戻る)

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No.191 「生き物は千代に八千代に」(2019.11.1)

前回の随想で、「君が代」は変な歌詞だと書いたので、もう少し考えを進めてみた。「君が代」の元の歌は、古今集(賀歌343)の「わが君はちよにやちよにさざれ石の巌(いわお)となりてこけのむすまで」(よみ人知らず)から取ったとされる。「わが君にはうんと永く生きて欲しい」という喜びやめでたい気持ちを表す歌だ。よみびと知らずであるのは、作者が誰かは分からないが、この歌が当時でも大勢の人々に膾炙(かいしゃ)していたことを示している。この場合の「君」とは、天皇や自分が仕える主人を意味するとは限らない。大辞泉には、上代(主に奈良時代)では女が男に対して、中古(平安時代)以後はその区別なく敬愛の意味で「君」を使用したと説明がある。
   しかし、このような古典の解釈とは別に、明治政府は政治的に「君とは天皇を指す」として臣民に教えた(
Wiki)。明治政府の考え方は、現在にも形を変えて引き継がれている。1999年(平成11年)に君が代が国歌として法定された(法律)。「君」とは、主権の存する国民の統合の象徴としての天皇であり、「君が代」は日本国のことという説明がされている。もはや「君が代」は「天皇の統治する時代(治世)」を表現してはいない。しかし、国会での法案の採決では衆議院で86名が、参議院で71名が「君が代」の法制化に反対した。国民に愛されるはずの国歌に対して、議員の20~30%が「君が代」を国歌とすることに反対をしたことは記憶されなければならない。これは、天皇の名前で行った戦争(大東亜戦争)に多くの人が嫌悪感を持っていることを反映している。「君が代」が悲惨な戦争への動員に使われたためだ。

   「君が代」の元歌が、誰かの長寿や繁栄を願うめでたい歌であることは間違いはないが、それでは「さざれ石が巌となる」はどうだろうか。奈良・平安時代の人だって、大きな岩や石の中に小さな石や砂粒が入っているのを見かけただろう。堆積岩(礫岩など)である。だから当時の人も小石が進化して巌になると想像したのだと思う。現代の地質学者の説明では、堆積岩は水中に堆積した泥や小石が地中深くで圧力を受けて脱水し、カルシウムなどによる化学変化を伴って固くなってできるとされている(説明1説明2)。砂が砂岩になるためには1000~2000万年はかかるとのことだ(日本地質学会Q&A)。
   実際に人が目の前で見かける現象は、「君が代」の言葉とは逆である。大岩が山から落ちて小さな岩になり、更に小石になり砂粒になることは容易に見ることができる。だから、「君が代」の歌が、「大岩のさざれ石となりてこけのむすまで」ならば分かり易い。しかしこれだと永い時間を感じさせない。
   この歌の特徴は発想の面白さである。白髪三千丈というような大げささである。小石が大岩になるのは目の前では起きないから当時の人の想像力が分かる。深い山に入れば大きな岩にいろいろな種類の苔が生えているのを目にする。苔の種類や豊かさが時間を感じさせるのだ。固く大きな巌とソフトで小さな苔との対比も面白い。

   誰かの長寿や繁栄を願うという意味では「君が代」は悪い歌ではないが、「君」を日本の天皇だと狭い了見で解釈してはならない。和歌を文学作品として考えるならば、もっと広く考えたい。「君」は、愛する誰かでも良いが、日本人に限ることはなく、人類全体と考えてもよい。生物多様性の大切さに気づいた現代では、動物全てと考えることも可能だ。生物地理学(時間と空間の生物学)の愛好者としては、私の場合は「君」を植物までも含めた「生き物」だと考えると気持ちがすっきりする。人も含めて彼ら(又は我ら)は、何億年も生き延びてきて今の生き物になったからだ。生き物は、まさに地質年代(さざれ石が岩になる年代)を進化し生き延びてきた実績がある。だからこの歌の内容と生き物の存在とがぴったり一致する。このような解釈は、自国・自分のことのみに関心がある人は別として、多くの人には理解が得られるのではと思うが、どうだろう。 (先頭に戻る)

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No.190 「二人ならんでお内裏さま」(2019.10.25)

「リンゴの唄」「ちいさい秋みつけた」などのヒット曲を作詞したサトウハチローは、昭和10年に「うれしいひな祭り」の作詞をした。この歌は、ひな祭りを楽しむ様子を表現している。今もひな祭りは、幼稚園や保育園の一大イベントであり、この童謡も使われる(歌詞と曲)。しかし、歌詞には間違いがあった。それは「お内裏(だいり)さまとおひなさま ふたりならんですまし顔」の部分だ。内裏とは天皇の御所であり、お内裏様とは天皇と皇后をさすが、サトウハチローは、お内裏様は天皇、おひな様は皇后と勘違いしたらしい。それを恥じていたとも言われている。大辞泉には「だいりびな(内裏雛)とは、天皇・皇后をかたどった男女一対の雛人形」とある。
   10月22日に皇居で天皇の即位礼の儀式が行われた。テレビ・ラジオでは、一日中その様子や関連する報道をしていたので、私は儀式の様子を見聞きできた。天皇(徳仁天皇)は古式ゆかしい衣装をまとって笏(しゃく)を持ち、皇后(雅子妃)は、十二単(じゅうにひとえ)でそれぞれの舞台(高御座、御帳台)に入られた。日常では見ることのできない、小倉百人一首の王朝風の絵のようであった。天皇のおことばの間中、天皇と皇后が隣り合わせで並んで立っている姿は内裏雛のようであった(⇒天皇陛下のおことば)。儀式についての新聞の論調は、「憲法にのっとり、国民統合の象徴としてのつとめを果たす」という天皇のおことばを好意的に評価しながらも、宗教色を伴うとして憲法の政教分離原則との整合性を問う声があることを紹介している(例:毎日社説10/23)。

   天皇の行う儀式や様式は、中国の皇帝(天に承認されたという思想)を見習ったものであるし、古事記の天孫降臨神話もあるので、宗教性を完全に除去することは難しいことは確かだ。しかし風俗や習慣とはそうしたものである。宗教色は主権在民の日本国憲法とは一致しないとは思うが、100%それを消し去ることはできないのではないだろうか。現代の圧倒的な日本人は「古事記などの神話」を事実と混同するほど“やわ”ではないと思っているので、程度問題ではあるが、宗教色自体はそれほど大きな問題とは思われない。
   象徴天皇制(立憲君主制)が君主を廃絶した共和制よりも遅れているとは言えない。アメリカは共和制であるが、第二次大戦後から今日まで戦争を続けている軍事大国である。良識ある立憲君主の存在が独裁政治の発生を抑えるという考えもある。私たちが警戒しなければならないことは、天皇をロボットのように政治利用する動きであると思っている。
   どこの国の歴史にも間違った恥ずかしい部分がある。だが、間違いを間違いとして、反省し正すことは素晴らしいことである。そうした視点からすれば、側室をもたなければ成り立たない男系男子天皇にこだわるのではなく、女系天皇も認めるべきだと思う。日本国民の半数は女性である。男だけで日本国の象徴になれるとも思われない。男尊女卑を指向する一部のグループが女系天皇に強力に反対しているとも言われているが、女性が天皇になれる仕組みを作っておかなければ近い将来天皇制そのものが消えてしまう。私には、そのことの方が心配である。
   ついでに言えば、「うれしいひな祭り」は、伝統社会の中で女の子の楽しいひと時を表す良い歌だと思う。理屈を言いだせばきりがない。国歌「君が代」も現代から見れば、変な歌詞だ(小石が岩になる?)。言葉遣いは多少間違っていても、それを自覚していれば、サトウハチローは恥ずかしがる必要はなかったのにと思う。「自分は100%正しい」と主張する人は、逆に信用できない気がしている。 (先頭に戻る)

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No.189 「大人の責任 大川小訴訟の教訓」(2019.10.23)

人が死ぬのは悲しい。特に子供が死ぬのはやりきれない。世界中で病気、飢餓、交通事故、爆弾などで子供が死んでいく。大人がしっかりしていればそんなことにはならないだろうが、実際には、大人の判断が悪い方に影響することがある。子供じみた振舞いを平気でする大人もいるので、行政など社会の指導力・判断力が問われることは多い。神戸市東須磨小学校の教員による教員いじめには開いた口がふさがらない。校長も教育委員会も一体どうなっているのか(記事10/21,10/8)。

   10月11日には、最高裁で宮城県石巻市の大川小学校の津波訴訟で「事前防災の不備」の判決が確定した(NHK10/11検証記事)。この事件は、津波の死者85人(児童74人、先生11人)を出した事件を児童23人の遺族が訴えていた裁判である。地裁では避難誘導に過失があったとされたが、仙台高裁は、その過失に加え、津波の被害を予測し防災マニュアルなどの準備を怠った過失を取り上げている。この高裁判決に不服の市と県の上告を最高裁が棄却した(つまり高裁判決が確定した)。
   解説では、この判決は全国の教育行政に影響するだろうと評価している。もちろん児童や親たちにとっては安心できる良い影響である。

   学校が知識を教える場所であることは大事ではあるが、それ以上に子供の命を守る義務があることが明確になった。大川小学校の場合は、すぐ裏山に逃げられる場所があったのに、いたずらに時間を過ごさせ、津波が来るとはっきりしてから危険な方角に児童を誘導してしまった。この問題を解決するには、知識も経験も少ない先生たちに責任を持てというだけではダメだ。現場を預かる先生全員が、事前に防災計画や避難マニュアルを作り、避難訓練も行って指導できる力を持たなければ、生きた防災対策にはならないし、担当者以外には他人事になってしまう。
   それにしても、裁判を戦った児童23人の遺族の方には、頭が下がる。日本では裁判をすることは、社会に波風を立てるとして嫌う風潮があるように思う。「欲が深い」などと陰口をする人もあると聞く。問題の本質を探り、二度と悲惨なことが起きないようにするのでなければ、訳がわからないまま逝ってしまった子供達に申し訳がないではないか。5人の裁判官全員一致という最高裁の今回の判決には勇気づけられた。
   会社の現場では、仕事優先で健康や安全を無視する傾向はしばしば見られる。消防署が行う防火訓練にも役員や幹部職員は参加せず、係員やアルバイト職員だけが上司の命令で参加するという職場もある。安全で安心できる社会には、それぞれの場所に全体が理解できて決断し実行できる人(大人、先生、指導者)がいなければならないとつくづく思う。 (先頭に戻る)

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No.188 「関東を襲った風台風と雨台風」(2019.10.15)

9月9日に台風15号が東京湾から千葉に上陸した。この台風は、千葉市付近で960ヘクトパスカル(hPa)、最大風速40m/sの「強い」勢力ではあったが(この上には「非常に強い」勢力のランクがある)、上陸時の勢力は関東としては過去最強クラスだった(資料)。千葉市付近では最大瞬間風速57.5m/sを記録した。また、台風15号は中心に近いほど気圧が急速に低くなっていて(気圧傾度が大きい)、中心付近では風速が急に強くなる特徴が報告されている。送電塔や多くの電柱の倒壊による停電で被害が拡大した。
   今週10月12日には台風19号が伊豆半島から関東地方に上陸した。台風19号は、強風域の範囲は1000kmを超え、その巨大さは関東地方では経験のないものであった。台風の進行する前部に巨大な雨雲を抱えていて、関東・東北に大雨をもたらし、千曲川、阿武隈川などの氾濫で多くの家や田畑が水没した。気象学的な分析は詳しく行われるだろうが、15号は風台風、19号は雨台風といえる(⇒気象庁用語)。

   私は、小学生のときに伊勢湾台風を経験した。半日小雨が降り続き、その日の夕方からは土砂降りになり、停電の中で、家が風で大きな音をたててきしみ、床下に入った風が畳を持ちあげるほどだった。家中で雨漏りがした。泥壁が雨で溶けて穴が開き、家の中でも強風が吹きまくった。翌朝起きると隣家の藁屋は重みでつぶれていた。怖い思い出である。それまでは台風が来ると休校になって喜んでいたが、この日以降は心底怖いと思うようになった。東京で勤務するようになってから、台風が来るというニュースを聞いて宿舎の窓ガラスに粘着テープを貼って破損を防ごうとしていたら、隣家の人から、「何をしているの」、「関東では台風は大したことないよ」などと笑われたりした。事実はその通りで、関東の台風被害は大したことはなかった。 それから半世紀近く経って、今年は、直接関東地方に、強力な台風が上陸した。しかも2つ続けてだ。

   気象庁は毎日の海面温度を測定している。それによれば、太平洋側の近海の表面水温は平年に比べて1℃(緯度の高い場所では2~3℃)高くなっている(日別海面水温)。1℃と言っても広い海洋から供給される水蒸気は莫大なものだ(風呂桶の蓋の裏を見ると大量の水滴が着いているところから想像できる)。地球の温暖化で太陽光のエネルギーは比熱の大きい海水に蓄積される。温室効果のある炭酸ガスの排出量が減少に転じるまでは、今回のような状況が加速していく。エアコンがなければ熱中症になり、既に夏を過ごせない危険な状態である。
   昨年7月には、関東地方を東から西に横切る台風を経験した(記事)。将来の台風がどんなコースをたどり、どんな被害をもたらすのかは、予想できないが、温室効果ガスの規制など根本的な対策がとられない限り、被害規模が確実に増大するだろうことは、私でも予想できる。国連の会議(パリ協定)でも対策は検討されているが対策が進んでいるようには思われない。トランプ大統領など真面目には考えない政治指導者がいるのが、何とも悔しい思いがする。被害が出てから救援対策をすれば良いということではない。何よりも被害が出ないよう河川改修や安全な建物・構築物づくりと合わせて、根本原因である炭酸ガスの削減に力を注いで欲しい。 (先頭に戻る)

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No.187 「怖い放火 出火原因第1位」(2019.10.6)

4月から9月末までNHK朝ドラの「なつぞら」を見ていた。戦災孤児の女の子が、その父の戦友だった人に引き取られ、北海道の酪農家で同じ家族のように子供時代を過ごし、先駆的なアニメーターとして活躍していく話だ。ドラマでは、映画やテレビアニメ(動画)の作成の仕方まで丁寧に紹介していたので、仕事の大変さや面白さが理解できた。今日では、多くの作業がデジタル化されてはいるが、物語と表現は、人間(アニメーターなど)の感性や技能に負うことは変わりはない。
   今年の7月18日の午前中に、
京都アニメーション(京アニ)という制作会社が、ガソリンを使って放火をされた。「なつぞら」に出てきたような若者達が殺傷されたことに憤りと悲しみを感じる。今日までに死者36人、重軽傷者33人で、事件を起こした犯人も重症のままとの報道がされている(10/5記事)。
   私の住む集合住宅では、以前に玄関ロビーでものが燃やされる事件があったが、京アニの場合は、子供の火遊びというものではなく、殺意をもった放火だ。2001年にも青森の金融会社支店がガソリンで放火され5名の職員が死亡した事件があった(解説)。
   ところで、今年、私は集合住宅の管理組合の理事になった。消防法では、多数の人が出入りしたり居住したりする場所には防火管理者を置かなければならず、消防計画を作成したり消防訓練をしたりすることが義務づけられている。そこで理事会の承認を得て防火管理者になるために、市消防局で9月末に2日間の講習を受けた(受講料7500円)。受講者は200名近くいた。隣に座った人は、会社の総務を担当していると言っていたが、仕事が忙しいらしく、休憩時間にはいつも机に突っ伏して寝ていた。若い女性の受講者も多く、私のような高齢者は数えるほどだった。講師は、一般財団法人の日本防火・防災協会の職員であった。法律制度や消防活動に関わる説明が具体的で詳しいので、講師は消防庁の退職者かもしれない。新宿歌舞伎町の雑居ビル火災のような事件が起きる度に制度の改正がされてきたとのことだ。火災の事例と被害を防げなかった理由なども紹介されていたので、分かり易かった。

   受講して、私が「えっ!そうだったの。知らなかった」と感じたことを2つ挙げよう。
   1つは、出火原因として「放火」が多いことだ。テキストには「放火の疑いも含めると放火は、出火原因としては20年間第一位」であるという(データ)。たばこ、焚き火、コンロなどの失火は多い。溶接や塗料の引火による工事中の火災、地震に伴う火災は大規模化するが、放火がそんなに多いとは知らなかった。放火は犯罪と知っていて行う者もいる。対策は可燃物を放置しないことなどであるが、ガソリンを撒くなど殺意をもって行う放火には対策は限られる。監視カメラだけでなく、入り口に警備員を配置するなどが必要になる。また、緊急避難ができる通路などを確保し、そこで働く人達が日頃から訓練をして、とっさのときに行動できるようにすることが欠かせない。しかし会社幹部や職員の意識からして、そこまでやれる企業は多くはない。
   もう1つは、家庭で起きる天ぷら油火災で、以前は「コンロの火が引火」したと言われてきたことについてだ。実は「引火」ではなく「加熱されることによる発火」であるということだった(説明)。天ぷら油を加熱し続けると、コンロの炎から離れていても、2~30分で360℃の発火点に達して炎となって一気に燃え上がるのだ。天ぷら鍋を加熱し続けた状態で台所から離れてはいけないという意味が分かる。ガソリンの場合は、発火点は300℃であるが、引火点が-43℃である。凍るような気温でも、気化しやすいガソリンは、わずかな火花で引火して爆発し、急速に燃焼するのだ(引火点・発火点)。
   火は生活に不可欠だが、しっかりコントロールできないと大勢が死ぬようなことにもなる。一人では火事は防げない。知識だけでなく、消火器の使い方や避難の訓練は、忙しい会社や隣人関係が希薄な集合住宅であっても(だからこそと言うべきかもしれないが)、欠かせない。 (先頭に戻る)

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No.186 「戦没者 追悼と顕彰の意味の違い」(2019.9.24)

先日弁護士大山勇一さんの「靖国問題と憲法」という講義を聞いた。大山さんは靖國神社公式参拝違憲訴訟に携わってきた人だ。そこで、今まで「どうしてだろう」と思っていた疑問が解消された気がした。その疑問とは、8月15日の政府主催の戦没者追悼式で、天皇陛下が先の戦争に対して「反省」や「深い悲しみ」を述べられているの対して、安倍首相の言葉には「反省」という言葉も「悲しみ」も一切ないことだ。安倍晋三さんという人は追悼の意味を知らないのか、人の悲しみの感情が理解できない人なのかと思っていた。あれこれの言動を照らし合わせてみると、安倍首相は追悼しているのではなく、靖国神社に参拝するのと同じ気分で戦没者の顕彰(賛美)をしているのだ。そう理解すると、反省も悲しみも言わないことの政治的意図が読み取れることに気がついた。
   「追悼」の意味は、広辞苑では「死者をしのんで、いたみ悲しむこと」とある。悲しみの情がなければ、追悼ではない。事故でも病死でも、そのすぐ側にいる人(家族など)には、耐え難い悲しみをもたらす。今年もNYのグラウンドゼロでは、9.11の追悼集会(Memorial)が開かれ、貿易センタービルで働いていた人や救出に向かった消防隊員などの妻や親が愛する人の死を悼んだ(WSJ記事)。この記事を見ると、悼(いた)みとは、平常の心から突き抜けた感情であり、容易には消せない喪失の苦しみ(the pain of loss lingers)であることがわかる。追悼式は、心の回復をめざす意味がある。犠牲者の生前を思い、頭の中で死者に語りかけたりして自分を慰めるのだ(死者に霊魂があると考えてそれを慰めるのではない)。
   私も、8月15日には自宅で黙とうをささげることにしている。20歳前後の大勢の若者達が、異国の地や太平洋のかなたで爆撃を受けたり、飢えやマラリアで死んでいったことに、いたたまれない気持ちを覚えるからだ。戦後生まれの私には、戦死が無駄であったとか、立派だったとかと評価できる立場にはない。この悲しみが繰り返されないことを願うばかりだ。

   日本は明治維新から大東亜戦争まで、戦争に次ぐ戦争を重ねてきた。富国強兵の基本方針の下で、将兵やその家族の心のケアはどうすべきかは明治政府の課題でもあった。国のためだと信じ命がけで政府の命令に従ってもらえる方法。その一つが、靖國神社(明治2年に東京招魂社が創設され、明治12年に靖國神社と改称)の創設である。この神社の設立目的は、「国家のために尊い命を捧げられた人々の御霊(みたま)を慰め、その事績を永く後世に伝えることを目的に創建された神社」とのことである(靖國HP)。遺族の気持ちに共感して一緒に悲しむことではない(悲しみは戦意を奪う)。靖國HPにかかれているように、ひたすら「あなたの行いは立派だった」と賞賛することが任務である。天皇の名前を使った政府の命令で出征させた将兵が死んだときには、その政権(天皇も)は恨みを買う。死者の家族・親族からの恨みを避けたい気持ちが、御霊を慰めるという言葉になっている。そして、死者の事績(=業績)を後世に伝えることは、死んだ将兵の行為は正しかった、命じた政府(帝国陸海軍)の方針も正しかったと宣伝することになる。国民に主権がなかった大日本帝国憲法下でのソフトな国民動員のやり方だった。

   靖国神社は、伊勢神宮(天照大御神)や太宰府天満宮(菅原道真)のような神話の神や有名人を御神体にした神社ではない。神社という名称を冠しているが、江戸幕府を倒した明治政府が作った行政?機関である。だから西南戦争で死んだ西郷隆盛などの反政府軍の死者は祀らない。
   昭和20年8月14日までに政府(天皇)の命令に従って死んだ人達を祀る神社であるが、戦後に東京裁判で死刑(法務死)になった東条英機なども合祀している。このことが別の問題となっている。現在101歳の中曽根元首相は、「天皇に参拝してもらえるようにするために戦犯の合祀は止めるべきだ」と主張していたようだ(⇒中曽根康弘)。米国、中国、韓国からは、戦犯の合祀される神社への政権中枢の人達の参拝は不快感が示されてきたが、そのことを差し置いても、天皇の命令で死んだ若者達の尊厳を考えるならば、戦争犯罪者と一緒に祀ることは、死者への冒涜にならないのか思う。
   今でも大日本帝国時代を懐かしみ、国民主権や人権尊重に嫌悪感を感じる人達がいる。個人のイデオロギーや信仰は非難できないが、現在の憲法では、その前文で、主権が国民にあることや基本的人権を尊重すること、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起きないようにすることなどの理想を掲げている。この理想は、武器の使用、災害、犯罪、交通事故、病気、刑罰、貧困、自殺などその原因を問わず、現代人の心の根底に『人の死を悲しむ(追悼する)気持ち』がなければ、およそ実現不可能な絵に描いた餅になってしまうと思っている。 (先頭に戻る)

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No.185 「負の遺産の扱い方・扱われ方」(2019.9.16)

親が死んだとき、親に借金などがあればそれは負の遺産となる。借金を差し引いても残額が出る状態であれば子供は遺産を相続し、借金が大きいと判断されれば、民法(915条)に基づいて3カ月以内に相続放棄の手続きが取られる。民法に相続放棄の仕組みがあるのは、憲法第24条で、相続などについては「法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない」としているからだ。
   地域社会や国でも次世代への遺産がある。動植物やきれいな水や空気、充実した教育、熟練した技術や文化財は正の遺産である。戦争や事故で荒廃し危険な場所になった土地などは負の遺産である。負の遺産だとしても、逃げ場がなければ人はそれを抱えて生きていかなければならない。原因を作った者に損害賠償請求をすることはできても相手側がそれに応じるかどうかは分からない。

   ドイツの北部、バルト海と北海の間に突き出たユトランド半島と周辺の島はデンマーク王国だ。九州と同じ大きさ、人口は580万人。一人当たりGDPは日本よりも高い。デンマーク語を使い教育に力を入れている国だ。先週9月11日、デンマークとドイツの合作の映画「Land of Mine(地雷の土地・私の土地)」(邦題はヒトラーのわすれもの2015年公開)を見た。わすれものとは負の遺産=海岸に埋め尽くされた地雷のことだ。中立国のデンマークをヒトラーの軍隊が占領して、デンマークの海岸に地雷を埋めた。この映画は、負の遺産の処理(地雷除去)に動員されたドイツの少年兵(捕虜)と、それを監督したデンマーク人の軍曹の話。
   地雷除去はとても難しい。埋めた正確な場所は不明。腹這いになって金属の棒を地面に刺して探す。信管を抜き、掘りあげて、別の場所で本体から火薬を取りだす。確実に除去されたかの確認には、地雷原だった場所で隊伍を組んで歩きまわるやり方もされた。除去されていなければ、そこを歩いた人は死ぬか手足が吹きとぶ。食糧難の時代、敵国だった兵士には満足な食事は与えられないまま、作業は続く。

   この軍曹は14人の少年兵をあてがわれ、数万の地雷除去を命じられている。少年兵は技術も未熟である。最初の訓練の時から死者が出た。腕を吹き飛ばされた少年は「お母さん!助けて」「故郷に戻りたい」などと泣き叫びながら死ぬ。地雷が2重に埋めてある場所があり、上の地雷を処理している間に下に埋まっている地雷が爆発する。軍曹は、「いっそのこと殺してくれ」という少年達に「ここの作業が終わればドイツに帰してやる」と約束をする。信管を抜いた本体を大量に車に乗せる作業をしていた少年達が車ごとの爆発で死ぬ。自分の犬が除去済みのはずの場所で爆死したことで、作業を疑った軍曹は、少年達を除去した砂の上を歩かせる。見ているだけでもはらはらする。ここには、兵士に個人の尊厳は与えられていない。
   14名のうち最後まで残ったのは4名だった。デンマーク軍の本部からは、生き残った少年達を別の場所の地雷除去に回せという指示が出される。軍曹は、自分の決断でドイツとの国境まで4人を連れて行き、逃亡させるという展開で終わる。エンドロールには、この話は実話を基にしていること、約2000人の兵士が150万個の地雷除去に携わり、多くの若者が命を失い障害者となったことが記されていた。
   それを生みだした人はいなくなっても、負の遺産はいつまでも人々を苦しめる。地雷はそれを埋めたドイツ人兵士が除去しなければ、デンマークの農民や漁民が被害者となる。誰かが負の遺産を処理しなければならないとしたら誰がやるのか。そもそも負の遺産を生みだしてはならないが、「○○のわすれもの」はあちこちにある。地雷については、規制に消極的な大国もある(対人地雷禁止条約)。負の遺産は、兵器だけでなく、地球温暖化、原発や産業廃棄物の扱いの話にもつながる。私達の子孫にどんな遺産を相続させたいのかが問われている。 (先頭に戻る)

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No.184 「高齢者講習を受講した」(2019.9.10)

今年4月19に池袋で、高齢男性(87)の運転する車が31歳の母親と3歳の娘を轢き殺す事故があった(東京4/20)。赤信号を無視し、3箇所の横断歩道で次々に人をはねて150メートルも暴走した。ブレーキをかけた形跡がなく、ゴミ収集車に追突し、更に駐車中のトラックに衝突して止まった。5月8日には、大津市の琵琶湖畔の交差点で普通自動車と軽自動車が衝突し、軽自動車が横断歩道で信号待ちの幼稚園児の列に突っ込み、保育士も含め15名の死傷事故(園児2名が死亡)となった。(京都5/8)。この運転士は52歳と62歳の女性で高齢者とは言えないが、池袋事故に続いて起きた大きな事故として注目を浴びた。あまりにもひどい事故が続いたので、免許証を返納する高齢者が増えていると報道されている。
   高齢者は、若い人達に比べて筋力の衰え、反射神経の劣化、視力の低下、認知機能の低下などで、事故を起こす比率が高い。そうした背景から、高齢運転者を対象とした講習が強化されている。
   先週9月5日、私は近くの自動車教習所で、初めて免許更新のための高齢者講習を受けた。この講習は以前からあったが、2017年の道路交通法の改正で内容が強化された。70歳~75歳未満は2時間の講習が、75歳以上は更新時に認知機能検査を受けたうえで2時間又は3時間の講習が義務づけられている。いずれも車を運転させる実車指導が含まれる。認知症の場合は免許の停止や取消し措置が取られる。免許証の有効期間は、69歳までは無事故の場合5年間だが、70歳では4年間、71歳以上では3年間となっている(説明)。運転機能の衰えが加齢とともに急速に進行することを考慮したものだ。

   講習では始めの30分ほど制度や高齢者事故についての解説があった。高齢者の運転で多いのは、1位が追突事故(4割)、2位が出会い頭事故(3割)、3位は右折時の事故(1割)である。前方を良く見ない、交差点に気がつかない、身体が思うように動かないなど高齢者に特色がある事故だと思った。講師は、判断に迷ったら速度を落とし停止することを強調していた。
   実車指導では、4人の高齢者と1人の講師が一緒に車(オートマチック車)に乗る。コースでは、車庫入れ、S字カーブ、坂道発進、踏切の一時停車、車線変更、交差点右折などのほか、10センチほどの段差に乗り上げ、そのすぐ前方のブロックの手前で急停止する課題があった。最初に指導を受けるのが私だったので少し緊張した。私が指摘されたことは、車線変更して元に戻るときにウインカーを出さなかったこと、交差点の手前で確実な停止しないでずるずると出ていったことだ。日頃の悪い癖がこんなところにも出るのだなあと思った。見通しの悪い交差点での確認無視、車を斜めに停止させた車庫入れを指摘された人もいたが、最後の課題の段差の乗り上げと急停止はさすがに全員がうまくやっていた。
   視力検査には、静止視力、夜間視力、動体視力、視野角度の検査がある。私の場合は、静止視力は眼鏡をかけた両眼で1.0で問題はなかったが、夜間視力は33秒だった。これは暗幕の内側で箱の中の明るい画面を30秒間見つめたあとで、画面を真っ暗にしてそこに浮かび上がってくる円の切れ込みを確認できるまでの秒数をカウントしたものだ。健常者は10秒ほどで回復するのだそうだが、私はその3倍も時間がかかった。眼科医からは、「あなたは白内障が進行している。あなたの運転する車には乗りたくない」と言われた意味が深刻なものとして初めて理解できた。強がりを言っていても、確実に加齢の症状は進んでいる。白内障に限らない。認知能力、運動神経なども含めれば池袋の事故は他人事ではない。講習の終了証明書をもらいながら、運転免許証の更新はこれを最後にすることを改めて決意した。 (先頭に戻る)

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No.183 「石灰性腱炎になって思ったこと」(2019.8.30)

夏休みの初めと終わりの1週間は、地区のスポーツ推進委員会の行事として、近くの小学校の校庭でラジオ体操をする。ラジオを準備し、6時半から10分間の体操が終わればスタンプを押す。カレンダーのついた台紙は郵便局が用意してくれたものだ。1週間が終わると子供らに鉛筆やノートを配る。天気にもよるが、子供たちと親が合計で100~150名集まる。明日はラジオ体操の最終日だ。
   8月後半に左肩が少し痛くなった。8月終わりのラジオ体操に影響すると嫌だなあと思っていたら、3日ほどして夜も寝られないほどになった。そこで翌朝、以前通っていた接骨院に行き超音波観察をしてもらった。数年前の観察データも残っているので比較ができる。なんと肩の筋肉の間に白い粒が見えた。また、筋肉の中に空洞になっている部分があり、炎症で滑液が貯まっているらしいことが分かった。その整体師は「炎症があるので、先ずは整形外科に行って治療を受けた方が良い」と言って紹介状を書いてくれた。
   同じ日の夕方に整形外科に行った。医師に説明をし、レントゲン検査を受けたら、骨と筋肉の境あたりが微かに白い帯が見える。「石灰だろうね」と言う。肩に手を置いて「このへんかな?」、「あ痛たたた!」というやり取りがあって、局所注射(
ステロイド)を打ってもらった。1週間分の痛み止め(セレコックス錠)と胃腸薬(レバミピド錠)、貼り薬(ロキソプロフェンNa)を受け取り、1週間後に効果を確認することになった。

   注射を打つ前は、左腕は45度以上は痛くて上がらなかったが、翌日から少しづつ楽になり、3日後には水平よりも高く上げることができた。「痛みのあるうちは余り動かさない方が良い」と医師が助言してくれたので、今週のラジオ体操ではゆっくりと腕を上げ下ろしした。
   ところで、五十肩(肩間接周囲炎)は、大勢の人が経験するのだが、「家庭の医学」の整形外科医の解説によれば、その原因はよく分かっていないという。ただ、加齢に伴って起こる現象であることは確かだとのこと。石灰性腱炎もその一種で、腱にカルシウムが沈着して急性の激しい痛みを起こす病気である。
   私は、整形外科医に「カルシウム沈着が残っていれば、再発するかもしれませんね。沈着を減らすためにはヨーグルトなどは控えた方がよいでしょうか」と聞いた。医師は「再発する可能性はある。カルシウムは消える場合もあるし、残ったままになる場合もある。カルシウムは骨の維持に必要なので、カルシウムを含む食品を食べないことが良いとは限らない」という返事だった。

   加齢は避けられない。これは確かだ。生きているものの宿命だ。だとすれば、カルシウム沈着が残っていても、痛みなどの症状が現れることがなければ、良しとしなければならない。つまりはその状態と上手につきあっていくしかない。少しでも痛みが出れば、激しい動きなどの無理をしない、医師に相談するなどが大事だということ。
   このような考えは、問題の根本的な解決というよりも、現実を前提にした一種のあきらめだとも思われるが、しぶとく生きていくためには、必要なことだ。一病息災という考えにも通じる。病気の原因が容易には取り除けないと知っているからこそ、より一層の健康維持の努力をするという考えだ。もちろん病気のことだけではない、例えば、核兵器が危険なものであり、世界の大国が所有し続けて手放さないという現実を知っているならば、その分だけ余計に核兵器を使わせない努力をしなければならないということでもある。 (先頭に戻る)

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No.182 「戦争体験がない私達に夏の贈物」(2019.8.24)

戦後74年目の夏だ。終戦の日の前後には先の戦争についての様々な報道がされる。報道が毎年続けられるのは、この戦争が、東条内閣が決めた「大東亜戦争」という名前が皮肉に感じられるほどの悲惨な出来事だったからだ。今年も国内、国外を含め新しい資料の発見があり、深く掘り下げた報道になっている。他方で、従軍した兵士や塗炭の苦しみを直接経験した生存者は少なくなり、インタビューに応えてくれる人の多くは95歳前後、100歳を超す人もいる。私は、2017年はNo.77 「政府が再び誤らないための記録」 を、2018年はNo.132 「戦後73年目夏のNHK特集」を書いた。今年もいくつかの番組をブルーレイディスクに保存し、感想を記述しておくこととした。

   8月12日のNHKスペシャル「かくて”自由”は死せり~ある新聞と戦争への道~」では、戦前最大の右派メディア「日本新聞」が大正デモクラシーへの攻撃、軍縮会議批判、天皇機関説排撃を行ってきた過程を最新資料で紹介。8月15日のNHKスペシャル「全貌二・二六事件~最高機密文書で迫る」では、陸軍の将校が起こしたこの事件の全貌を海軍が極秘資料として記録していたものを紹介している。陸軍と対立しつつあった海軍の諜報活動とも思われる迫力ある記録である。8月17日のNHKスペシャル「昭和天皇は何を語ったのか~初公開、秘録”拝謁記”~」では、戦後初代宮内庁長官(田島道治)が、昭和天皇(裕仁)から聞き取った生の言葉の記録を解説したものである。歴史家の意見を交えながら、俳優達が昭和天皇と宮内庁長官の役割を演じて、昭和天皇が先の戦争を防げなかった過程を振り返り、「反省」という言葉をいかに大切にしようとしたのかを表現している。令和元年8月15日全国戦没者追悼式での天皇(徳仁)のおことばにも「過去を顧み深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い」という言葉が入った。そこに昭和天皇からの3代の天皇家の悔恨が感じられる(おことば全文)。ちなみに、残念ながら安倍首相の式辞には、御霊(みたま)安かれなどの言葉はあるが、深い悲しみも戦争への反省の言葉もなかった。
   8月11日のNHKスペシャル「激闘ガダルカナル 悲劇の指揮官」では、新たに米国で発見された戦闘報告書などをもとに、部隊全滅の責任を負わされた現場指揮官一木(いちき)清直大佐の置かれた状況を検証している。悲劇を生んだ背景には、帝国陸海軍の対立や情報を軽視した楽観的な判断が推察できる。無謀な指揮官との烙印を押された一木大佐の娘さん(90歳)は身を縮めて生きてきた。現在の巨大組織にも通じる問題点(事故が起きれば現場に責任を押しつけるトップや上級者の官僚的体質)がここでも明らかにされている。

   個人の視点で戦争を見つめ直した報道に、8月4日のBS1スペシャル「マンゴーの木の下で~こうして私は地獄を生きた~」がある(前編後編)。フィリッピンルソン島での民間人の話だ。軍は、45歳以上の男性は軍に徴用し、女性邦人を補助看護婦集団なでしこ隊(131名)に組織した。日本軍の指示に従い、飢えに苦しみながらジャングルの中を逃避し、大勢の隊員が死んだ。インタビュアーが生き残った女性(95歳)に聞く。「慰霊はされないのですか」。女性は答える。「慰霊はいや! 慰霊って何さ」。インタビューアーはそれに答えることができない。女性は、衛生兵が動けなくなった者を「処分してきました」と報告する声を悪魔の声だと感じたという。
   8月18日のNHKスペシャル「戦争と”幻のオリンピック”アスリート 知られざる戦い」は、1940年に東京で開催予定のオリンピックを目指していた競泳やサッカー選手、スポーツを戦争に協力させようとする軍に抵抗する姿勢をもった監督(松沢一鶴)などの秘話や場所を、現代の著名なアスリートとともに尋ねるという番組である。「マンゴーの木の下で」も「幻のオリンピック」も、戦争の影響を受けた(被害者となった)人達のかけがえのない生活に視点をあてている。証言者にとってマンゴーは幸せだった子供時代の象徴だ。
   NHKの番組を見て、戦争を抑止することは、職業軍人や政治家に任せるのではなく、その犠牲者となり得る個人個人の意思に置かれなければならないと感じた。310万人の犠牲者には310万人の生活があった。それぞれの死を嘆き悲しむ親、子、姉妹兄弟、恋人や親しい友がいた。英霊とか御霊とかいって美談にしてはいけない。役人的弁解や威勢の良い言葉は必要ない。人の死を悲しむ心と過去への反省がなければ、必ず同じ過ちを繰り返すに違いない。番組は、平和を希求する志のある報道関係者(登場者、協力者、下請けを含む制作者)からの、戦争を知らない私たちへの夏の贈り物だと思っている。 (先頭に戻る)

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No.181 「作用反作用の法則と経済摩擦」(2019.8.16)

偉大なるニュートンが発見した法則に作用反作用の法則(運動の第3法則ともいう)がある。物体Aが物体Bに力(作用)を及ぼすとき、逆にBはAに力(反作用)を及ぼしており、その大きさは等しく、力の向きは逆向きであるという法則だ。砕いて言えば、押したら同じ力で押し返されるという法則。3kgの重りを手でぶら下げると、手には下向きの3kgの重さを感じる。同時に重りは、上向きに3kgの力で引っ張りあげられている状態で、釣り合っている。ここに力(加速度×質量)というものの深い意味があるような気がする。私は、随想No.25で人の心も「慣性の法則」が成り立つと書いたが、作用反作用の法則も人間世界に当てはまると思うようになった。経済取引や人間の心理、更には政治の世界でもその一端をうかがうことができる。

   この1年ほどの間で、世界規模で大きな影響を及ぼしている問題は米中の貿易摩擦だ。商品の取引は、等価交換なのでどちらが損か得かはないはずなのだが、アメリカには輸出する商品が少なく、中国には輸出する商品が多いために米国の貿易収支は大赤字だ。そこでアメリカファーストのトランプ大統領は中国からの輸入品に関税を上乗せするとした。すると中国も米国からの輸入品に関税を上乗せする方針を出し、昨年7月以後、3次にわたって双方25%の関税引き上げを行い(金額としては米国が2500億ドル、中国が1100億ドル)、今年の9月からは米国の側だけが3000億ドル分の中国製品に10%の関税をかける予定だ。中国は、米国からの輸入品が少ないのでこれ以上は関税をかけようがない。
   関税の収入は政府に入るだけで輸入国の国民が潤うわけではない。関税が引き上げられても取引が続くならば売り手が値引きで損をするか、買い手が関税を加えた高いものを買わされるだけだ。とうとう米国の産業界からの不満が大きくなって、トランプ大統領は9月から予定していた引き上げを一部の商品は12月15日からに延期せざるを得なくなったと報じられている(8/15毎日記事)。
   米中両国は対等な関係にある。関税の引き上げ競争を相手国へのプレッシャー(力)と見ると、作用反作用の法則のように逆向きに作用する。暖簾(のれん)に腕押しという言葉があるが、暖簾のような国(大国の植民地や従属国)であれば、こういうことは起きないだろう。というか、従属国だって譲歩し続ければ国が疲弊するので、従属に反対する運動が起きてどこかで歯止めがかかり、力の均衡が成り立つ。米中のように貿易は不均衡であっても、政治経済その他の全てを含めれば、作用反作用の法則が成り立っているのではないか。米国内の産業界が中国製品を使えないで損失を被っていれば、トランプ大統領の政策の効果(作用する力)は、その分だけ小さいものとして計算されなければならない。中国製品が米国で売れなくなれば、自国製品の出番だとして喜ぶ国(その中には中国製品を組み込んだ商品や中国系企業の商品もある)もあるはずだ。そうすると、トランプ大統領の繰り出した力は分散されて、中国に届く力は、結局のところ、中国が米国に与える反作用の力に相当してしまうのではないだろうか。

   今のところ、このような私の考えに反対する人はいない。しかし、そもそも、私は周りの人と物理法則を経済社会に適用することの是非について話し合ったことはないので、独りよがりに考えているだけかもしれない。 (先頭に戻る)

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No.180 「セミ 地下生活が長いのは何故」(2019.8.6)

昼食後は眠たくなる。物の本によれば、血液が胃袋の方に回るので、脳に回る血液が減って活動が鈍るためだとか。暑いと余計に眠くなるのは、頭が加熱したコンピュータのようになっているからか。今日の午後もソーメンを食べた後で眠気に襲われた。うとうとしていると隣家の庭からセミの鳴き声が聞こえてきた。セミは声帯ではなく、腹にある膜をこすり合わせて鳴くのだそうだ。鳴くのはオスだけでメスを呼ぶため。共鳴する空洞の効果で大きな音になるのだという⇒(柳田理科雄の動画)。

   7月24日にメーリングリストevolveの案内で「進化生態こまば教室」というゼミ(東大生への講義を兼ねた公開授業)に出た。産業技術総合研究所の森山実さんから大阪市内で増えているクマゼミの調査研究の話を聞いた。地球温暖化の影響というよりも、都市化によるヒートアイランド現象や都市の土が固くなっていること、クマゼミの発育が梅雨期に重なるようになってきたことなど、クマゼミが増えた理由が報告された。面白い話だったので理解不足はあると思うがメモしてみた。
   1 セミの幼虫は植物の根の樹液を吸って成長する。根から水分を枝・葉に送る導管からの樹液であるから樹液の殆どは水である(会場からは糖分などを含む師管の液も吸っているのではないかと2回も質問があったほどだ)。この観察が正しいとすれば、セミが7年、8年もかけて成虫になる理由がわかる気がした。逆に栄養豊富な樹液を吸えば、1-2年で成虫になって、もはや安全な地中には留まれなくなる。
   2 クマゼミは、木の枯れた部分に卵を産みつける。雨が降ったときに短時間で卵の殻の前部(頭のある側)が柔らかくなり幼虫が外に出易くなる。森山さんは、卵の殻を前後に分けて湿気を与えて殻の割れやすさの実験データも示してくれた。セミの幼虫が地面に下りる(又は落下する)時には、雨後の方がアリに攻撃されないで済む。地面が柔らかくなっているので地下にもぐるのが容易になる。雨降りと幼虫の生存率は関係があるのだ。
   3 地面の中では木の根に管を差し込み栄養を取る。クマゼミは他のセミの幼虫と争い、体の大きなクマゼミが他のセミを駆逐する。土中は温度、湿度も快適だ。鳥などの天敵もいない。樹液の栄養が少なければ、1、2年遅れで成虫になれば良いだけのこと。生き急ぐ必要はないのだ。人間が都市を作り幼虫期に頭上がアスファルト舗装になって死滅することはあるが、それは近年の事情である。

   セミは地上に出てから2週間程度で死ぬといわれてきたが、森山さん達がセミを1000頭ほど追跡調査したところ、最高では30日生きた個体も見つかったとのことだ。従来の説を覆したことにはなるが、それでも30日は短い気がする。地上生活は短いのに、なぜ地下生活は長いのだろう。そのメリットはあるのだろうか。
   幼虫時代が長ければ、しっかりした身体ができ成虫になって沢山の卵を産むことができる。土中には敵がいないのだから(羽化後は鳥などに捕食される)、個体としては快適な(楽しい?)地下生活ができる。また、セミを種として考えた場合には、絶滅リスクの分散とも考えられる。セミが鳴かない寒い夏が続くこともあるのだから、地下生活が短くて毎年羽化をしているのであれば急速に数を減らし、2-3年で絶滅に到ることもある。植物だってNo.83 「ドングリの生き方」で書いた生存戦略を持っているのだから、いろいろな生存戦略があっても不思議ではない。
   幼虫時代が長いセミは、人から見れば「暗い土中で何年も可哀そう」という気持ちになるが、セミからすれば、遊ぶ時間を減らされて早く大人になれと急き立てられている現代の人間の方が可哀そうに感じるかもしれない。セミがそのために、わざと栄養分の少ない導管の樹液(殆ど水だけ)を飲んでいるとしたら、セミは人生設計の達人(達蝉)と言える。究極のスローライフである。身近な生きものであっても、まだまだ分からないことが沢山あると知った。 (先頭に戻る)

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No.179 「参院選の結果をどう思った?」(2019.7.30)

参院選の投票日が7月21日だった。私は3年前にNo.11 「選挙と若者」で低投票率が心配と書いたが、今回の投票率は48.80%で史上2番目に低い水準となった(記事)。投票率が低いのは、戸別訪問の禁止、選挙カーの台数制限、連呼の禁止、法定ビラの枚数制限など選挙を盛り上げる行為を禁止しているためではないかと思っている(公選法)。オーストラリアなど投票を義務づけたり、お祭りのような投票促進活動を行っている国もあるのに、日本では政策を訴える言論まで規制しているように思える。選挙運動期間は17日と限られているのだから、その間の昼間の活動はもっと自由にすべきではないかと思う。角を矯めて(騒音規制などを理由に)牛(民主主義・国民主権)を殺すことになっていないだろうか。
   選挙結果がでた7月22日朝刊1面の毎日新聞の見出しは、「改憲勢力3分の2に届かず」だった。この見出しには少し説明が必要である。自民、公明、維新の合計が81で、参議院定数245の3分の2(164)に達するためには、4議席足りなかったことを指す。安倍首相の立場は「9条への自衛隊の明記」とはっきりしているが、公明党は9条改正には反対の候補者が多く、党としても慎重な姿勢である。選挙後に首相は改憲についての国民民主党党首の「改憲前のめり」に期待を表明したが、国民民主党だって迷惑ではないだろうか。現行憲法を永久に変えないのかと聞かれれば、立憲だって、共産党だって未来永劫変えないとは言わないだろう。改憲勢力とは言っても何をどうすることかがはっきりしないので、誤解を招く見出しになっている。

   野党が1人区で候補者を1本化したことの評価が見出しになっている。22日の毎日の見出しでは「多弱野党 共闘に限界」とある。日経新聞も同様の見出しだ。1人区で10勝22敗で、前回2016年に野党4党が獲得した11議席に及ばなかったために、この見出しをつけたようだ。しかし、これは比較の対象を間違えている。今回改選になった議員は2013年の当選者である。例えば東北6県では、青森と福島は自民党現職が勝ったが、岩手、宮城、秋田、山形の4県では、いずれも新人の野党統一候補が、自民党の現職候補に勝利した。いずれも僅差での勝利である。もし野党が統一候補を立てなかったのなら、全滅していただろう。岩手で落選した自民現職は民主党時代に復興大臣も経験した平野達男さんだ。宮城では祖父から3代の政治家愛知次郎さんである。秋田では曾祖父の代から政治家の秋田県議も経験した現職の中泉松司さん、山形は厚生労働政務官でもあった現職の大沼瑞穂さんである。新人の野党統一候補が、政治経験もあり後援会もしっかりしている政治家(自民党と公明党の連合)にせり勝ったのだ。「共闘に限界」どころではなく、その反対だ。共闘や政策協定は野党にとってはもはや手放せない手段である。
   今回の野党間では、9条改憲反対、安保法制の廃止、性差別の解消などの共同政策(13項目)が締結されている。北海道は3人区だけれど、共産と国民の票を合計すれば、自民党の2人目の獲得票よりも大きいかった。2人区、3人区でも統一候補が立てられれば勝利もできるかもしれない。野党は、理念やイデオロギーで票を分断しあってはならない。具体的な課題の解決にむけた協定を結ぶことは可能なはずだ。今後は、れいわ新選組も加えて、女系天皇制の創設、夫婦別姓の選択なども追加して欲しい。そうすれば多弱の野党でも、無党派層にも十分な選択肢となることができるし、男女平等で民主的な立憲君主国をつくることができると思う。政権につくためには小異を捨てる自民党(その中にだって厳しい派閥がある)の賢さに学んで欲しい。政権交代も可能な与野党の伯仲した状況ができれば、政府高官が国民を軽視したり威張ったりできなくなる。少なくとも森友・加計のようなスキャンダルは起こり得ない。

   今回は、れいわ新選組(山本太郎さん)が2名、NHKから国民を守る党(N国)が1名の当選者をだした。山本太郎さんの選挙演説を聞いたが、貧しい人や障害者など当事者を参加させようとする熱気が感じられた。「財源を考えないで無責任だ」という意見もあるが、それなりにきちんと説明されていたと思う。争点をNHKの料金徴収に限っただけのN国のような団体でも100万票近い票がとれたのは、政治の分かり易さを求めている人が多いからに違いない(ただし戦争の肯定と破廉恥発言で日本維新を除名された丸山穂高議員をN国が受け入れたのは何とも理解できない)。(先頭に戻る)

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No.178 「スポーツは『より安全に』が第一」(2019.7.25)

No.174 「風船は割れるがふわりと楽しい」について、Yさんから次のコメントをいただいた。
   「1 プロのスポーツ選手が試合を楽しんでやりたいなどと言うことをよく耳にするが、スポーツが苦手の小生は楽しんでやるのは”遊び”であり、スポーツ(体育授業、職場対抗競技会など)の試合は真剣なものあり、楽しいと感じたことはない(スポーツと遊びの区分は省略する)。その意味では風船バレーボールはスポーツか遊びか迷うところです。」
   「2 壁登り(ボルダリング)は、楽しむ遊びではなく、またスポーツとは思えず、危険極まりないものであり、(中略)・・・。スポーツ健康づくりには、「より身近で、より楽しく、より大勢が」ではなくて、「より身近で、より安全で、より大勢が」が良いのではないかと思う。」

   ここでYさんのコメントを話題にするのは、これらの意見に共感できるからだ。
   私は、体を動かすことが嫌いだと言うわけではないが、体育の授業は好きではなかった。徒競走で数人が走ると、私はたいていビリになる。「早く腕を動かせば早く走れるよ」という友達のアドバイスに従って練習したら、順位を中ほどまで上げたことがあったが、上位になったことはない。先生達は「ぐずぐずするな!真剣にやれ。遊びじゃないぞ!」などと怒鳴っていたこともあって、体育は、何か「苦行」のような感じがしていた。「良薬口に苦し」などという格言も知っていたので、苦行の体育であっても「そんなものかな」という感覚だった。だから、Yさんが「風船バレーのような楽しいものがスポーツだろうか迷う」という感覚はとても良く理解できる。この私の感覚は半世紀以上前のものである。現代の小中学生が体育をどのように感じているのかは分からない。
   体を動かすことが健康づくりになるからと言っても、安全は大事だ。著名なアスリートの活躍は目を見張るが、スキージャンプや、フィギュア-スケート、体操などでの難度の高い技は、熟練しなければとても危ない。冬山登山やロッククライミングも恐ろしい気がする。気軽に行う遊びと成績を競う競技は違う。勝利のためには、限界まで鍛える必要がある。力士が、土俵から落ちて捻挫、肉離れ、骨折などをすることはあるし、組み立て体操での事故もあるので、Yさんがいうように、「より安全に」という視点は特に必要だ。私の関わったウォーキングでも道路の段差で参加者の一人が転倒して病院に運ばれたことがある。目的が勝つことではなく健康づくりだとすればなおのこと「より安全に」が必要になる。いくら注意しても人間のやることだ(今朝、ラジオ体操から帰るときに、小学校の通路で人の影に驚いた小鳥がゴンとガラス戸に衝突して逃げ去ったので、鳥でも不注意はあると知ったが)から、事故は避けられないとして事前準備を行い、事故の際の対処も考えておかなければならない。

   遊びか競技かはともかく、健康のために体を動かすことは必要である。スポーツ推進員の会議で、「街路や公園で空き缶や紙くずを集めて動きまわることもスポーツと位置づけて取り組んではどうか」という提案があった(否定的な反応が多かったが)。トングとごみ袋を持ってウオーキングを兼ねて歩きまわれば、街もきれいになり一石二鳥ということになる。私は、家では風呂桶の掃除、水やりのための鉢の持ち歩きなどをしているが、今では苦痛ではなくなり、喜びさえ感じる。スポーツの定義はレクリエーションとして行われるものも含むとのことなので、遊び(楽しいこと)はもちろん、仕事であっても身体(筋肉など)を使うことは、考え方次第でスポーツと言えるかもしれない。   (先頭に戻る)

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No.177 「大正天皇が示した立憲君主制」(2019.7.20)

明治天皇から昭和天皇まで、天皇の時代は戦争に次ぐ戦争の時代だった。明治天皇(睦仁ムツヒト)(没59歳)が京都から東京に来たとき15歳だった。明治維新、西南戦争から大東亜戦争までの70数年間、その治世にはクーデターや大臣暗殺があり、都合の悪いことは隠す政治家や無責任な帝国陸海軍のエリート達がいて、心が安まる時はなかっただろうと想像する。私の父母は大正時代が少年期だったので、親から大正時代を印象付ける話は聞いたことはなかった。大正天皇は、明治天皇と昭和天皇との間で影の薄い人という印象しかないが、現代の目でみてどういう評価になるのだろう。
   7月17日に劇団チョコレートケーキの「治天の君」という芝居を見た。「治天の君」とは院政を行う上皇を指す言葉で、先帝の明治天皇が、その死後も大正天皇を呪縛し続けるという物語りである。身体の弱かった大正天皇には「戦争を恐れるな」、「国民には親しみではなく威厳を持って接せよ」という叱咤は苦痛であったに違いない。舞台では、父の明治天皇の亡霊にののしられる場面が何度も出てくる。この作品では、父王のようになろうとする自分と国民に親しむ天皇の姿を思い描く自分とで葛藤する天皇(嘉仁ヨシヒト=西尾友樹出演)が描かれている。嘉仁を支えた貞明皇后節子(サダコ=松本紀保出演)の夫への愛を表現した作品にもなっている。ロビー交流会で、「天皇について語ることは、戦後の日本でも難しいものがあるが、この作品は、左の人も右の人にも納得させられるものを持っている」とコメントをした人がいた。天皇を人間個人として描いている点で、私もそのように感じた。⇒(劇団チョコレートケーキHP

   大正天皇(1879年8月31日生~1926年12月25日没46歳)は、明治天皇の側室が生んだ子である。明治天皇の皇后美子(ハルコ)には子供がなかった。生母は女官の柳原愛子で、嘉仁は皇后美子の子供として扱われる。子供時代は親から声をかけられることもなかったが、明治22年に皇太子とされると、父親の明治天皇のように「偉大」になることを期待された。身体が弱く学習院を留年したり中退したりしている。留学経験のある叔父の有栖川宮威仁(ありすがわのみやたけひと)が教育係になってから国民に親しまれる皇室の役割を模索した。側室を持つことを止め、4人の息子(裕仁ヒロヒト=昭和天皇、擁仁ヤスヒト=秩父宮、宣仁ノブヒト=高松宮、崇仁タカヒト=三笠宮)を育てた。身体が弱かった分、閲兵や観艦式などには参加しなかったらしい。欧州への外遊は許されず、海外では皇太子時代に韓国に行啓しただけである。大正6年頃から病気が悪化し、大正10年には半年間の欧州外遊から帰国した裕仁が摂政となる。

   天皇裕仁は、明治天皇を尊敬していたとも言われるが、より多く接触していたのは父の大正天皇だ。父の悩みや西欧の立憲君主の話も知っていただろう。外遊では英国王室からの影響を強く受ける。だから昭和天皇は戦後に立憲君主としての自分の姿を出せるようになったし、息子の明仁(アキヒト=平成天皇)の皇后(美智子妃)を民間人から選ぶことを認めたのではないか。
   歴史家のF.R.ディキンソンが2009年に出版した「大正天皇」(ミネルバ書房)には、「存在感の薄い天皇とされる大正天皇はまさに近代国家の立憲君主制における君主の華麗な象徴(平和日本を促進した)」であり、「今の皇室の恒例やスタイルには嘉仁の時代に由来するものが多い」などと書かれている。天皇制は、戦前の軍国主義と一緒に語られることが多いが、軍国主義ができた背景には、日清、日露、第一次大戦を通じて多くの日本人が得た感覚(戦争は儲かる、日本民族の優越、軍隊への盲目的な肯定など)が根底にある。そこに思い至らないと、立憲君主制の意味が分からなくなるし、現代の民主主義社会であっても過ちを繰り返すことになると思っている。   (先頭に戻る)

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No.176 「対等な条約 日英同盟の後に来たもの」(2019.7.12)

明治大学で毎月1回近現代史研究会の講義を聞いている。今月6日のテーマは「第一次世界大戦と日本の外交」だった。以前の講義で、明治政府が幕末の不平等条約の改正に大変な努力と時間を必要としたこと知った(概要⇒No.144)。なぜ不平等条約でも締結してしまうのかは、そのときの政権にとって締結する必要があったからとしか言いようがないが、不平等になるのはその時の国家間の力(知識、経済力、軍事力)の差が反映するからである。軍事的に脅されたり、戦って敗れたような場合には、屈辱的な条約にもなってしまう。日本が欧米列強と結んだ条約の中で、初めての対等な条約と評価されているものがある。それは、日英同盟(1902年明治35)だ。軍事協力を定めている。清国での権益を擁護しあうこと、日英いずれかが第3国と戦争を始めたときは他方は厳正中立を守り、2国以上と交戦したときは援助を与え共同して戦闘にあたるという内容だ。当時の世界最強のイギリスはロシア帝国を仮想的国としていた。ロシアは、北清事変(1900年義和団事件)後も事実上、満州を占領しており、南下政策をとることで英国の利権を脅かすことになる。日本は韓国での権益をロシアから守りたい。同盟は2国の利害が一致した結果だった。日英同盟のおかげで日露戦争で有利な戦いができたことは広く知られている。

   日露戦争後の世界情勢はどうなったか。地位が大きく低下したロシアはイギリス側(英・仏・露の三国協商)についた。イギリスの仮想敵国はドイツになった(ドイツ・オーストリア=ハンガリー・イタリアの3国同盟)。第一次世界大戦(1914~1917)は、オーストリア=ハンガリー帝国がセルビアを支配しようと攻撃をしたことで、三国協商側(=英国中心の連合国)がこれを国際法違反として宣戦布告したことに始まる。世界大戦と言われる規模になったのは、同盟や協商(条約)の関係から芋蔓式に参加国が増えた(60ヶ国)からである。航空機、戦車、毒ガス、大砲、機関銃の使用で、被害は空前の規模となった。死者3700万人、軍人の動員数7000万人。
   日本は日英同盟を口実に参戦した。英国は、開戦当初は日本に英国商船を守るよう要請したが、日本の意図を知って後にその要請を撤回している。大隈重信内閣の外相(加藤高明)は、正直に、「日英同盟の義務に依って参戦する立場にはない」、「この機会にドイツの根拠地を東洋から一掃して国際上に日本が一段と地位を高めるの利益のために参戦する」旨の演説をしている(1914年8月7日)。大日本帝国はドイツのチンタオ(青島)要塞を攻略し、300人の死者出しただけで、ドイツの権益を奪い(対華21ヶ条要求で清国に認めさせ)戦後もチンタオに軍隊を駐留し、ドイツの南洋諸島も手にいれた。
   日英同盟は、1905年に同盟の適用範囲をインドにまで拡大する改定を行ったが、1911年(明治44)には、アメリカとの戦争については日英同盟の除外例とする改定を行い、日英の協調関係は薄まっていくことになる。大日本帝国が強国への道を進むのに従い、日本はイギリス・アメリカの仮想敵国になっていった。

   時代は下って、日本は戦後一貫して米軍の支配下に置かれている(守ってもらっていると表現する人もいる)。占領統治後は、日米安全保障条約が結ばれ1960年に改定された。現在の安倍首相は「日米同盟を強化する」と何度も発言している。2015年にアメリカの要請で安保法制を強行成立させたのだから、この同盟は強化されたとも言える。政府は2018年末に1機100~150億円の戦闘機105機の購入を決めた(毎日12/13)。首相発言どおり軍事的結びつきが強まっている。
   日米安保条約・協定の不平等性については、最近では「日米地位協定の改定」を公約に掲げている政党もあり、与党議員でも不平等を語る人もわずかながらいるので、国民の間でも認識され始めたようだ。他方トランプ大統領も、その真意は分からないが、日米同盟がアメリカにとって不利益だと言い始めている。同盟とは、友達関係を表わす言葉ではない。自国の利益のために軍事的に相手国を利用し、相手を従わせる意図をもつシビアな約束だ。オバマ大統領がまとめたイランとの核合意を離脱して、トランプ大統領は、日本がイラン産石油を買うことを禁じた。その上でホルムズ海峡でイランに対抗するためのアメリカの有志連合に参加するよう要請している。首相が日米同盟の強化を貫けば、良好だった日本とイランとの関係が壊れ、日本の若者が死ぬことになるかもしれない。その選択は、自分や子供たちの利益になるのか、否か。選挙は、自分で考えた結果を政治に反映させる貴重な機会でもある。7月21日は参議院選挙の投票日だ。   (先頭に戻る)

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No.175 「世界のファンタジー・西遊記」(2019.7.6)

サルの研究は人間の理解に役立つ。そして、人間を理解することはサルを理解することに役立つ。人間もサルの仲間だから共通点が多いからだ。ニホンザルの集団を観察すると序列がある。腕力がある個体がボスになれるとは限らないなどがわかる。人間社会でも通じる原理にはサル社会でも当てはまるものがある。人は温泉が好きだし、温泉につかるニホンザルは海外からの観光客にも人気がある。インドのハヌマンラングールというサルは、子殺しをすることがあるので有名だが、ヒンズー教の神に仕えるとされているので親しまれている。神に仕えるサルもいるのだから人間に仕えるサルがいてもおかしくはない。サルがヒトに仕える話で世界的に有名な物語りは西遊記だ。東アジア・東南アジアで読まれている。主役の孫悟空は石から生まれた特別なサルだ。中国のアカゲザルがモデルになっているらしい。このサルは水泳ぎが得意で、水簾洞(孫悟空と子分のサルたちが棲む)にいても違和感はない。アカゲザルは房総半島では野生化したものがいて特定外来生物に指定されている。しかしインドでは神聖な動物とされているほどだから、物語りに登場しても納得できる。
   西遊記は奇抜な発想のファンタジーなので、実在の玄奘三蔵は利用されているけれども、三蔵法師の話ではない。道教や仏教の世界観を背景に、向こう見ずで自信満々のサル(悟空)が天界や観音菩薩を利用して、妖怪など欲から生じた悪を退治する痛快な話だ。作者は呉承恩(明代の中国の官吏)と言われてきたが、異論もあるとのこと。科挙の試験を受ける秀才たちが気晴らしに話を付け加えていったともされている。科挙は詩文や儒学が課題になっていた。オリジナルの西遊記はいくつかあるが、それらの中には詩文も多く入っているとのことだ。

   西遊記の発想は奇想天外ではあるが、孫悟空の成長物語と見ることもできる。失敗したり三蔵から破門されたりする。権威に頼らず自分で考えることの大切さを述べているようにも見える。八戒、沙悟浄との友情について語っているようにも思える。異世界と仲良くやる秘訣も教えている。道教や仏教は出てくるが宗教的権威におもねった話ではない。ただただ、「すごい、面白い」と楽しむこともできる。「西遊記」はいくつもの本や漫画などが出ているが、斉藤洋さんが「西遊記」(理論社)を出している(まだ完結はしていない)。迫力のある絵が楽しい。物語には現代的な解釈がされていて子供たちに受けそうだと感じた。
   西遊記の面白さは、天竺に三蔵法師達が行くまでの過程にある。石猿が天上界で大暴れして釈迦如来に五行山(釈迦如来の5本の指が変わった連山)に閉じ込められるところ、ブタの妖怪(八戒)や流砂に棲む妖怪(沙悟浄)と出合うところ。牛魔王との戦い、羅刹女(牛魔王のパートナーで、悟空は彼女から火炎山を渡るために芭蕉扇を借りる)などの場面だ。戦う相手には理屈があり、悟空の側にも理屈がある。斉藤さんの西遊記には、登場人物の心の動きがユーモアに書かれている。
   人類は原子力発電所から出る放射性物質の処理ができないでいる。トイレのないマンションなどとも言われている。日本ではプルトニウムの再処理も高速増殖炉(ばちあたりが文殊菩薩の名を借りて「もんじゅ」と名づけた!)も失敗に至っているが、電力会社は原発再稼働を進めている。人類は、いつか超高速の宇宙船を発明し、太陽系を超えていくことができるかもしれない。しかし私は、筋斗雲に乗った孫悟空が、実際は釈迦の掌の上にいながら、世界の果てまで飛んだとして驕(おご)る場面を思い浮かべてしまう。サルの仲間ながら孫悟空のような力を持った人類である。もう釈迦如来は現れないとすれば、人類自身の器量に期待するしかない。ヒトはその愚かな行為を止める哲学(科学・宗教・道徳・文学・芸術)にたどりつけるだろうか。   (先頭に戻る)

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No.174 「風船は割れるがふわりと楽しい」(2019.6.27)

若い人達だけでなく高齢者にとっても身体を動かすことは大切だ。むしろ引っ込みがちの高齢者ほど体を動かすべきかも。成人病対策は、食べものの注意と身体を動かすことに尽きる。身体を動かすとは、スポーツだけでなく、家事や歩きながらのゴミ拾いなども良いとされている。
   町会からの推薦で市のスポーツ推進員になって4年目になった。地元の人達とも知り合いになり、グータラしがちな自分にとって、この活動は身体を動かす良い機会になっている。地元のスポーツ推進委員協議会の会長が「スポーツを推奨する理由の一つは医療費の低減にある」などと言っていたから、健康維持されることで結果として医療費の節約にも効果があるらしい。
   スポーツ推進委員は、2011年(平成23年)に自民党から共産党まで全会一致で成立した「
スポーツ基本法」に基づく制度である。私の地区では、住民が参加するスポーツとして、毎年春秋のウォーキング、夏休みのラジオ体操、小学生のドッジボール、運動場と競馬場を借りて行うグラウンドゴルフ、体育館でのバレーボールなどを行っている。実際にやることは、スポーツの準備や運営指導・片付けなどである。例えばウォーキングの魅力を増すために、1つのコースを決めるまでに3回ほど下見をしている。

   スポーツ推進委員には、既存のスポーツだけでなく、新しいスポーツも勉強する機会がある。これまでウォークラリー、スポーツ吹矢、クッブ(スエーデン生まれのスポーツ)を経験したが、今年6月2日には、風船バレーボール、ディスコン、スポーツ鬼ごっこの研修に参加した。激しいスポーツではないが、勝ち負けがあり、高齢者や障がい者も一緒に参加できるスポーツである。
   例えば、風船バレーボールでは、コートはバドミントンと同じサイズを使用し、少し大きめの風船を使う。基本ルールは、各チーム5名で、中央の1名は椅子に座ってプレーし立ち上がることは禁止である(下の写真)。サーブで打ち込まれたボール(風船)には5名全員がタッチしなければ、相手側に返すことはできない。そして10タッチまでに相手のコートに返すこととなっている。スマッシュは禁止で、相手コートに入れる場合はボールを浮かすように打ち上げる。1チーム6名が車椅子で参加する別のルールもある(⇒日本ふうせんバレーボール協会)。風船は時々割れるが、柔らかなので突き指はしない。ふわふわ揺れながら移動するので慌てる必要はなく、転倒や選手同士の衝突も少ない。しかし案外にボール運びは難しい。体験した何人かから、「激しいスポーツかと思っていたが全く違っていた。楽しい」、「バレーボールでは高度な技能な人や体力がある人が主役になりがちだが、これは自分のペースで参加できた」、「全員が参加している気分になれる。もっと続けたいと思った」という声を聞いた。私も「実際にやってみればスポーツのイメージが変わる」と思った。

   麻生金融担当相が金融審議会の報告書(高齢社会における資産形成・管理)の受け取りを拒否したことが話題になっているが、老後の生活を考える上では、年金対策もさることながら、健康で長生きできることが特に大切である。オリンピックなどでは、「より速く、より高く、より強く」だけが目標なりがちであるが、「より身近で、より楽しく、より大勢が」を目標に、高齢者も障がい者も若者もスポーツを健康作りに役立てて欲しいと思う。   (先頭に戻る)

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No.173 「一国二制度と香港のゆくえ」(2019.6.20)

前2回の随想の続きになるが、中国・香港について考えてみた。6月18日に香港政府の林鄭(りんてい)行政長官は、逃亡犯条例改正案を事実上撤回したと報道された(6/19毎日)。香港には、文化大革命や天安門事件などで中国から避難してきた住民が多いので反発は予想されたが、100万人(6/9)、200万人(6/16)規模のデモが起きることは予想外だったのだろう。短期間のうちに、習近平国家主席が林鄭長官の発言を許したのは、欧米の反応やトランプ大統領との貿易戦争を悪化させないことを考慮した結果なのだろうか。更なる暴力沙汰に進まなかったのは、ひとまず良かった。
   そもそも、香港は、イギリス(大英帝国)がアヘン戦争をしかけて、清朝から奪い取った土地である(1842年南京条約)。健康な体を蝕むアヘンを中国人に売り込むことには、当時のイギリス議会でも反対論が出ていたほどであるから、今ではこの侵略行為を正しかったと主張する人はいない。その後、アロー号事件などを契機とする戦争の結果、香港島対岸の半島の一部も割譲させて、更に緩衝地となる新界を99年間租借する条約を結んでいる。新界の返還期限を前にして、水の供給を止めるなどと脅されたとも言われるが、香港島を保有する利益と中国全体を貿易相手国とすることによる利益とを天秤にかけたのだろう。サッチャー首相は、鄧小平との話会いで香港の返還を決めた(1997年返還)。

   ところで、中国は、1992年に改革開放と共産党支配を両立させる「社会主義市場経済」の方針を決めている。前回の随想で書いたように天安門事件では世界から非難を浴びたが、日米からは貿易相手国として認められ、成長を果たした。社会主義市場経済というのは、矛盾する制度のように聞こえる。社会主義は、国有化や計画経済で象徴されるのだから、中国が国際貿易や株式市場を利用して資本(金)を増大させている現状は資本主義であるとしか言いようがない。政治が支配する資本主義を「国家資本主義」という学者もいる。トランプ大統領の登場で、米中関係は、国家資本主義どうしの対立になるという記事があった(日経ビジネス2017)。

   ソビエト政権(1917~1991年)は、経済運営が未熟だったせいか、軍備に金をかけすぎたせいか、強権的な政治支配のためか、チェルノブイリ事故対策ができなかったためか、原因ははっきりしないまま、74年間で破綻してしまった。中国共産党は、その轍を踏まないことを考えているはずだ。そうだとすれば、香港を複数政党のままにして、民主主義的な運営をさせて、中国経済の発展に貢献させる方が良いのではないかと思う。金融センターでもある香港が中国に返還されてから、その経済力を借りて中国が発展してきたのは事実だ。現在の習近平政権は、天安門事件の鄧小平の考え方を踏襲して、地方自治や人権よりも、共産党独裁を優先しているように見える。力と言論抑圧による支配では、外資や頭脳が中国から出て行くだけだ。この小さな地域を暴力的に支配することは可能だが、それは金の卵を産むガチョウを絞め殺すようなものだ。むしろ香港を自由に発展させることで、中国が抱えている問題(環境問題や市民の人権、格差解消)の解決のヒントが香港から出てくるかもしれないのに・・・などと、日本に深い関係のある中国故に気になっている。
   一党独裁はうまく行く場合もあるが、失敗すれば悲惨なことになるのは経験済みだ。中国人民にとって香港のような場所があることは、長い目で見れば経済的・社会的な発展にとって有利であることは、間違いない。750万人が住んでいて、大都市のインフラも利用でき、外国人も多く、英語力を持った意欲のある若者がいる。自由で安定した制度をつくれば、海外からの情報も投資も呼び込みやすい。中国共産党政権にとっても、一国二制度の香港は、特区中の特区として永続させる値打ちある場所なのだと思っている。   (先頭に戻る)

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No.172 「鄧小平の夢・趙紫陽の夢」(2019.6.12)

前回No.171で天安門事件について書いた後、6月9日のNHKスペシャル「天安門事件 運命を決めた50日」で、私が知りたかった「事件がなぜ、どのように起きたのか」を扱ってくれた(NHK)。英国大使館などが集めた記録、当時の党・軍の関係者、学生リーダーや目撃者などのインタビューを基に構成されている。政権中枢の鄧小平も趙紫陽も死去し、中国共産党自身がこの事件の全貌を調査しないのだから限界はあるが、それでも、歴史の真実に触れたような感動を覚えた。
   文化大革命で失脚させられた鄧小平は、林彪事件後に復活したものの江青らから「走資派」として攻撃を受けており、権力を握ったのは毛沢東の死後である。鄧小平が経済改革を進めるために首相として選んだのが趙紫陽だった。数年後に政治体制を巡って対立が始まる。NHKスペシャルでは、趙紫陽は、晩年に録音した肉声で「国家の近代化を望むなら市場経済とともに議会制民主主義(多党制)を採用すべきだ。それなくしては、経済発展も現代的な法治国家にもなれない」と語っている。他方、鄧小平にとっては中国共産党の一党支配は絶対に譲れないものだった。

   1989年4月15日に改革派で失脚した胡耀邦総書記が急死すると、その追悼に学生たちが天安門広場に集まり始めた。この集会は自由を求める穏やかなものだったが、4月26日には集会を「動乱」とする人民日報の社説が突然出される。この日を境に学生たちに党への失望が広がる。趙紫陽が北朝鮮に外遊中に、保守派の李鵬と鄧小平とがその社説の作成を画策したのだ。5月17日には、鄧小平は趙紫陽を含む7人の最高幹部を自宅に招き、「この社説は正しい。これ以上の議論は必要ない。動乱を収めるには戒厳令しかない」と伝えた(これを裏付ける李鵬の議事録が香港経由で公表されている)。失脚した趙紫陽は5月19日に広場に現れ、「ここに来るのが遅すぎた。諸君はこの広場から直ぐに去って欲しい」と伝えて後は姿を見せなくなった。翌20日に戒厳令が敷かれ、人民解放軍の第38軍(北京を管轄)ほか9つの部隊が動き出す。
   元第38軍下士官の劉建国(米国に亡命中)は、所属部隊の司令官が「市民に銃口を向けることはできない」と拒否して更迭されたことで、軍の雰囲気が変わったという。6月3日には銃弾が兵士に配られた。劉は、「軍が空に向けて威嚇発砲したとき、群衆は自分たちに銃口が向けられることはない思って兵士に襲いかかった。その瞬間、(恐怖にかられた)兵士は銃口を市民に向けて発砲し、それが市民を殺しても良いという号令になってしまった」と振り返っている。

   パリで開かれた先進国首脳会議(G-7)は、天安門事件を批判するコミュニケを出したが、その直後にブッシュ(父)大統領は、鄧小平宛に「G-7で中国を過度に批判する文案が出たが、私と日本が取り除いた。私はアメリカ議会でも波風がたたないように全力を尽くす。今は厳しい時期だが、米中は世界の平和と両国の繁栄のためともに前進しよう」という書簡を送っている。 米国の元中国大使ウインストン・ロードは「経済的な利益を優先して中国の孤立を避けた。中国の中産階級が増えて政治的な自由を求めるようになれば、民主化が進むと考えた結果だ」と説明している(NHK解説)。
   この頃ソビエトでは、ゴルバチョフによるペレストロイカ(改革)が進められていた。軍の反ゴルバチョフクーデターがあったが、天安門事件のような悲劇にはならず失敗に終わる。天安門事件の2年後の1991年ソビエト共産党が解散(ソビエト連邦の崩壊)となった。
   今週6月9日、香港で大規模なデモ(103万人)があった(毎日6/10)。中国本土に犯罪者を引き渡す条例の反対運動だという。香港は天安門事件を経験した人達や自由な経済人が多く住んでいる場所である。北京政府の要請で犯罪者を中国本土に引き渡す条例が成立すれば、民主主義もまともな経済活動もできなくなる。まさに、趙紫陽が危惧した一党支配が香港でも起ころうとしている。沖縄の民意に反して辺野古基地埋め立てを強行する日本政府を見ているので、他国のことながら香港の動きに目が離せなくなった。   (先頭に戻る)

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No.171 「隣国中国とのつきあい方」(2019.6.7)

6月4日は、天安門事件(1989年6月4日)から30年目として香港などで犠牲者を悼む集会が開かれた。NHKの午後7時のニュースでは、天安門事件の報道になると中国では電波が遮断されると伝えていた。中国外務省の報道官は、天安門事件での中国政府の対応について「その後の中国の発展をみれば、当時の対応が正しかったことが分かる」という説明をしていた。当時日本のテレビで、もの陰から撮影した映像が放映され、何も持っていない若者に戦車が向かっていく場面、逃げる市民に向けて中国軍が銃を撃つ様子を見た記憶があるので、報道官の説明にはとても違和感がある。
   1949年に中華人民共和国が誕生してから現代までを振り返ると、
大躍進運動(1957~1960)文化大革命(1966~1976)天安門事件は大失敗の政策だった。いずれも何万人(1000万を超えるとも)が飢餓や粛清で犠牲になったと言われている。始めの2つは、直接に毛沢東が指導した結果だが、天安門事件は毛沢東の死(1976年9月9日)後に起きた。

   私は高校生だったとき、友人と名古屋港で開催された中国物産展で、赤い表紙の毛沢東語録と英雄の万年筆(パーカーの製品だと言われていたが200円程度でとても安く感じた)を買った記憶がある。中国共産党の指導者や教員などが中学生・高校生に三角帽子をかぶせられたり、こづきまわされたりしているテレビ映像は見ている。世界の若者に少なからぬ影響を与えたが、後になって文化大革命時期には、中国の工業や農業生産が大幅に停滞し、虐殺や自殺、飢饉など大変な犠牲があったことを知った。大躍進政策で失敗した毛沢東が復権を狙った権力闘争だと評価されていて、1981年に中国共産党自身が「文革は歴史的悲劇だった」と総括している。毛沢東の治世は功罪半ばすることを認めているのだが、天安門広場には今でも毛沢東の肖像が掲げられている。社会主義中国の建国の象徴だから、政策が誤っていたと認めても、切り捨てることができない事情が垣間見える(一党独裁だから忖度や抗争は日本以上かも)。
   文化大革命以後は、人民公社制度を廃止し農民の自主性を促す制度や企業の自主権が拡大され、経済発展が進んだ。しかし中国政府は政治的自由を与える制度改革には消極的だった。天安門事件は、若者達の要求の高まりに対話ではなく、中国共産党に指導された中国人民解放軍による武器使用で起きたものだ。当時の中国共産党幹部の中には、学生との対話を進めようとした趙紫陽首相もいた。結局は話し合いでの解決はならず、趙紫陽は他の老幹部達の判断で退陣させられてしまう。これは私の推測だが、文化大革命から十数年が経過しているにもかかわらず、紅衛兵につるし上げられその後復権した者の中には、文革を思い出して若者達の行動に恐怖感を持ったのではと思う。民主化要求は暴力的には見えなかったにもかかわらず、政権側が恐怖感に煽られて暴力に頼ってしまった。あるいは毛沢東の死後でも、毛沢東思想を巡る対立が続いていたのだろうか。

   天安門事件の発生で、日本と欧米先進国は中国に対する経済支援を停止した。「いち早く支援を再開したのは日本だった」と、元中国大使の宮本雄二氏が述べていた。「国が豊かになれば中国は暴力的でなくなる(民主的な国家になる)という考え方が基本にあった」とも説明していた。日本の支援は中国共産党に塩を送っただけという意見もあるが、宮本氏の説明はある程度納得できる。
   現在の中国は資本主義国である。世界第二の経済大国となり(IMFランキング)、GDPは米国20兆ドル、中国13兆ドル、日本は5兆ドルである。大勢の中国人が観光やビジネスで海外に訪れている。中国はアメリカとの取引も世界最大だし、多数の留学生が先進国に行っている。民主主義的な価値観が否応なく人々に浸透することになる。1997年に香港が返還された。6月に香港大学が18歳以上を対象に行った世論調査では、天安門事件で中国政府の対処が間違っていたとする人が68%(29歳までの若者に限ると83%)であったとのことだ(記事)。中国では今でも毛沢東を支持する人達(老人たち?)は多い。米中貿易摩擦は大きな問題であるが、経済発展が比較的順調なのでソビエト崩壊(1991年)のような事態は考えられない。日本だって人権を理解することは難しいのだから、中国の人権抑圧についても悲観をせずに見ていくしかない。狭量な排外主義ではなく、隣人と友好的に、気長に、謙虚につきあっていくこと(できれば個人としても付き合うこと)が大事だと思う。大勢の中国人が観光などで来日して「日本にまた来たい。日本人に学ぶところが多い」と言ってくれているのは、心強い。   (先頭に戻る)

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No.170 「フランス革命への問いかけ」(2019.5.27)

日本国憲法に書かれている近代国家の政治理念は、市民革命(ブルジョア革命)の成果として引き継がれてできたものと言われている。17世紀イギリスの名誉革命までの成果は、王権を縛る立憲制度となり、アメリカの独立革命の成果は、当時は白人の納税者だけに限られてはいたが、自由・平等の権利、国民主権、幸福追求権、革命権などの政治道徳となった。
   
フランス革命の期間は、1789年の三部会の開催からブルボン家のルイ16世とマリ・アントワネットが処刑され、1799年のナポレオン・ボナパルトの執政開始までの約10年間である。始めは穏健な立憲君主制を目指したものが、アメリカ独立革命で示された自由・平等の考えを更に徹底する形で進んで行った。封建的な諸制度が廃止され、封建領主の土地は国有化され、農民には土地の分配がなされた。革命の一時期には参政権が一部男子に与えられたほどだ(制限なしの男子の普通選挙制度は1848年の2月革命後)。

   フランス革命の後半は共和制となり、左右両派による権力争いで処刑・虐殺と恐怖時代を経る。テルミドールのクーデターで恐怖時代が終わった後に総裁政府ができ、その総裁政府をナポレオン・ボナパルトがクーデターで倒し臨時政府を作る。ついにはボナパルトは皇帝(ナポレオン1世)となる。フランス革命の波及を恐れた周囲の王国から敵視される中で、ナポレオンはヨーロッパを席巻し領土を拡大し、ロシアまで遠征して敗北が始まる。1815年のワーテルローで破れ、1815年のウイーン会議で領土は拡大前の状態に戻され、フランス、スペイン、ナポリではブルボン家が復活する。戦争が続いたこの16年間はナポレオン戦争の時代と呼ばれる。
   こんな数字がある。「フランス革命の10年間での虐殺と戦争による死者は少なくても60万人、ナポレオン戦争時代は90万人。当時のフランスの人口(1801年の人口が2,750万人)からすれば、虐殺と戦争による死者は総人口の5%に当たる」(詳説世界史研究p355)という。ちなみに第一次世界大戦のフランスの人的損失は全人口の3.5%。日本の大東亜戦争での戦死者は310万人、1944年(昭和19年)の総人口は7,443万人なので死者は全人口の4.1%だ。死者4%(25人に1人)というと少ないようだが、兵士は若者に限られるから、誰にとっても、親子、甥、兄弟、伯父、叔父、従兄弟の誰かが死んでいるという大変な規模である。フランス革命とナポレオン戦争の時代は、日本の戦争以上に大きな犠牲を出していたのだ。

   国王をギロチンで処刑した後のフランス人は、異常なまでに疑心暗鬼になった。反革命が復活するとして監獄の囚人を虐殺したり、左右双方が反対派を襲撃したりした。革命歴が制定され、思想的には非キリスト教運動が展開され、「理性」が崇拝の対象になったとされる。革命の最後は、恐怖政治の報復として白色テロが横行した。「遠征はフランス革命の精神をヨーロッパに広めた」、「ナポレオン法典は近代的なヨーロッパ民法のモデルになった」とも評価されるが、皇帝となったナポレオンの行動は革命の目指したものとは違う。なぜ自分の兄弟を従属国の王としたり、皇后ジョゼフィーヌを離婚しオーストリア帝国の皇女マリ・ルイーズを皇后にしたりしたのか。フランス革命の自由・平等はどこに行ったのだ。
   フランスが全ヨーロッパの王国(イギリス、ロシア、プロイセン、オーストリア、教皇、スペインなど)を相手に闘ったのは、市民革命で苦労した国民が自分達の国を守りたいと考えたのか、自由・平等を広めたかったのか、更には「社会契約説」(国家の保護を受けるには、国家に服従するべきとするロック、ルソーなどの説。ここから兵役の義務が説明される)を信じたからか(⇒NHK講座pdf)。当時の市民の日記に「パリでは市民全員が兵役につき、パリだけで3万人の男子を国境に送らなければならない」とある。
   こうした問いかけには様々な説明が有り得るだろうが、確かだと思われるのは、歴史に現れた人間社会の不条理は現代にも当てはまることだ。   (先頭に戻る)

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No.169 「甘い汁を吸うカイガラムシ」(2019.5.20)

春から夏にかけては、私の部屋は洋ランが花盛りになる。現時点では60ほどの鉢のうち20ほどのランが花盛りだ(写真下左)。これから開花するものも数鉢ある。ある人から「春さんは、娘を育てるように育てている」と言われたが、ある程度当たっている。水やりは多すぎてもいけないし、少なすぎてもいけない。直射日光は葉焼けを起こすし、光が弱すぎても生育に影響する。だから常に見守っていたつもりだったのだが、ついに虫がついてしまった。この虫はカイガラムシだ(写真下右)。大きさや姿は全然違うがセミやウンカの仲間だという。当初は、カトレアだけについていたのだが、動き回ってコチョウランにもつき始めた。種類はコナカイガラムシ。大事な娘に虫がついたような気がした。目が行き届いていなかったのだ。
   始めはランの株に白い粉のようなものを見たのだが、高をくくっていた。はっきりと害虫だと気づいたのは去年になってからだ。カイガラムシは最大でも2mmくらいで幼虫はとても小さい。根と茎の境、葉の裏、蕾や花弁の裏などに目立たないように隠れている。植物の樹液を吸うのはアブラムシと同じだ。ランは、時々葉の先端や蕾の先に水滴のようなものをつける。これは人がなめて甘いのだから、虫たちにとっても甘いに違いない。隠れて甘い汁を吸う憎いやつだ。

   カイガラムシがランに付着して困るのは、生育が悪くなることのほかに、虫の糞にカビが生えて花が汚れたり、茎や葉が粉を吹いたようになり見栄えが悪くなることだ(商品価値はなくなる)。防除は面倒である。私は葉の付け根に白いものがあればハブラシや歯間ハブラシをで取り除くことにしている。2-3日間隔でこれを繰り返すといなくなるが、卵が残っていたりするので手作業だけでは完全に除去するのは難しい。
   そこで今年4月18日にアセフェート水和剤(商品名 住友化学のオルトラン)を使ってみた。農薬の粉末を水に溶かして噴霧するのだ。この農薬は葉や茎から吸収されるので、農薬を含んだ樹液を吸った虫が死ぬという仕組みだ。そんなにうまく行くのかと思いながら散布してみると、カイガラムシが一時的に全く見えなくなった。安心したのはつかの間、先週になって、またカイガラムシを見つけた。一度の農薬散布では完全に退治することはできないのだ。農薬の説明書には「ふ化直後の若齢幼虫時に散布するのがもっとも効果的」と記述されている。つまりは卵やさなぎの状態では効果がないのだろう。

   カイガラムシは身体の表面が蝋(ワックス)のような物質で覆われているので、虫に農薬を散布しても浸透せず死なない。どんな防除方法が確実なのかは分からないが、今週はもう一度このオルトランを散布してみることにした(カイガラムシ防除)。 ただし、洋ラン大全には、「オルトランなどの浸透性農薬はかなり発生は防げるが、アブラムシとは異なり、カイガラムシは完全には防ぎにくい」という心細い説明がある。また、「スプラサイドという有機リン系農薬は有効であるが、これに抵抗力のあるカイガラムシも現れている」という記述も不安にさせる。
   農薬はあまり使いたくはないから、毎日のように株を観察して、カイガラムシらしきものが目につけばこまめに取り去るしかないのだろう。公益社団法人農林水産・食品産業技術振興協会のホームページを見て思ったのは、数百種もいるカイガラムシの中には、染料や蝋をとる有益なカイガラムシもいるとのことだ。ランにとっては害虫であっても、長い目で見れば、いつか有益な虫に変身するかもしれない。趣味の園芸の私としては、完全殺虫はあきらめて、観察と手作業の防除でラン栽培を楽しんでいく(負け惜しみ的)態度が大事なのではという気持ちになってきた。   (先頭に戻る)

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No.168 「カント哲学と道徳の起源」(2019.5.14)

「理性」を発見したデカルトの次は、近代哲学の祖と呼ばれるカントについて考えてみたい。カントは、デカルトが考えた「理性」を更に深く研究して、18世紀後半に「純粋理性批判、経験理性批判、判断力批判」の3部作を発表している。あらゆる権威の徹底的批判を精神とする批判哲学を大成した人とされている(Immanuel Kant 解説)。私は、何年か前に図書館からカント哲学の解説書を2週間借りて呼んだが全く理解できなかった。その後、哲学史の講義(輪読会)に参加して、カントをなぜ理解できないかの理由(私の知能以外の理由)が分かった気がした。それは、私がキリスト教に深く影響された時代の意味とそれに関する神学的な論点が全く分かっていなかったことである。

   カントは、ニュートン力学を知り、天文学など自然学に関する論文も出した人で、現代で言えば科学者とも言える人なのだが、ドイツのキリスト教(ルター派?)のカントへの影響は極めて濃厚である。 この偉大な哲学者は、「ユダヤ人は高利貸し的で欲が深く欺瞞的である。ユダヤ教とキリスト教とが一体化すればユダヤ教は消える」、「黒人は白人に比べて学問や芸術の能力が劣る」とも書いている。偉大な学者でも、自分の宗教的心情や白人至上主義に囚われていて、推測で述べたりすることがあるのだ。この不愉快な部分が後世のドイツ人に都合良く利用されたことは残念である(→千葉大論文)。

   そのカントは、道徳法則について、「なんじの意志の格率(意味)がつねに同時に普遍的立法の原理として妥当するように行為すること」と書いている。哲学用語は分かり難いが、解説書では「自分が道徳的に振るまおうとするときには、その行為が多くの人にも(普遍的に)受け入れられるものであるかを基準にしなさい」という意味だとしている。紀元前5世紀に書かれた孔子の論語における、「己の欲せざるところ、他に施すことなかれ」(解説)と同じ趣旨だ。カントの道徳法則に照らせば、彼のユダヤ人やユダヤ教についての説がユダヤ人に受け入れられるはずもないのだから、彼の発言自体が道徳的でないことは直ぐに分かる。当時のカントには、その理論のすばらしさにもかかわらず、彼にとっての普遍的とは、キリスト教世界のしかも白人世界のことだったのだ。だから私は、当時のヨーロッパは、カントの公平な判断を曇らせるほどキリスト教の世界観が強かったと判断している。
   私自身は、道徳は人間社会に必要なものであると思っている。道徳法則に照らして、言ってはならないこと、してはならないことはある。事実であったとしても他人からは言われたくないことはある。それを敢えて言うことは、喧嘩を売るのと同じである。カントの道徳法則に照らしてみたとき、他の民族、宗教や習慣・信条を貶める行為やマイノリティへの侮蔑が道徳的ではないと分かる。学校で道徳を教えるならば、先生はカントの道徳法則を理解させて欲しい。

   カントの道徳法則と同様の考え方は、近代化された国家だけでなく、昔からの地域社会で処世訓、宗教や論語のような言葉の中に生きている。それは、人間だけが神様から与えられた感覚ではなく、集団で協力して生活を営む生き物に共通した感覚だと考えている。随想No.107 「オマキザルに見る公平感」で書いたように、犬にも、イルカにも、オマキザルにも、チンパンジーにも公平や平等を願う気持ちは共通してあることが分かってきたからだ。日本国憲法前文にも書かれている「政治道徳の普遍の法則」は、市民革命や多くの戦争を経験して、ヨーロッパから日本へ、そして地球規模(全人類)へと広がってきた。私たちは、しっかりと動植物の観察を続けることで、いつかは人類だけでなく生き物全体に受け入れられる、より普遍的な道徳に到達できるかもしれない。そうなれば地球はもっと住みやすい星になるのではないかと空想している。   (先頭に戻る)

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No.167 「分からないから魅力の哲学」(2019.5.6)

現代の生物学を学ぶ学生からすれば、生きた脳・神経や感覚器官があるから、外界を感じたり考えたりするのであって、その逆ではない。つまり人間にあてはめれば、「我ある(生きている)ゆえに、我思う」である。しかし、17世紀に生きたデカルトは、「我思う(考える・疑う)ゆえに、我あり」と言ったことで有名だ(1637年方法序説)。この言葉がなぜ有名になったかと言えば、当時の良識ある人々が世界(自然も人間社会も)は神が造ったとして全く疑わなかった中で、疑問を発したものとされるからだ。物は目に見えてはいても幻覚かもしれないのだから、本当に確かなものとは、疑っている自分しかないということになる。もちろん神も疑いの対象になる。合理的に物事を考えること(理性)を促した言葉だと言われている。
   だから、デカルトが頭脳明晰で現代まで生きているとすれば、「我思うゆえに、我あり」とはもはや言わないだろう。神が世界を作ったという考え方は過去のものとなっているからだ。生身の肉体が存在していなければ、知覚することも考えることもできない。「我思う」の「思う」働きをする場所は、脳細胞の一部である。

   だが、近代哲学の父といわれる偉大なデカルトが、科学の進展で簡単に否定されるようなことを言うだろうか。別の哲学的な解釈も成り立つ。「我」とは何か。自分の肉体のことではなく、自我意識、あるいは、論理立ててものごとを考える性質(理性)のことという説明だ。「思う」とは何を思うことなのか。何でも思えば良いということではないだろう。「神の存在」あるいは「神が造った秩序ある世界の存在」を思うことが考えられる。そして、「我あり」の「我」とは、「どのような我」なのだろうか。生身の肉体があることは当時だって自明だった。つねってみれば痛いと感じるのだから(彼は医学も学んだらしい)。そうではなく、「理想の自分・本来の自分がそこにある」、「神に祝福された自分がある」という意味だったら、筋が通るのではないのか。
   イエズス会で学び、神の存在さえ証明しようとした信仰心の強いデカルトのことである。冒頭の生物学の学生のような解釈のはずはない。私の解釈は、例えば、「神の存在を思うとき、そこにこそ神に祝福された幸せな自分がある」ということだ。また、「神の存在を疑うとき、人間という生き物の自我意識がそこに有る」とも解釈できる。「ゆえに」にあまり意味がないのはカントも認めているそうである。
   なぜ、このような理屈っぽい説を紹介するかというと、「神に比べたら愚かで、未完成の人間が物事を正しく理解できるのは、それこそ神のおかげ(神が存在する証拠)なのだ」という神学的な説明を聞いたからである。当時の哲学は神学の一部分(補助)に過ぎなかった。

   中世ヨーロッパだって、キリスト教の教条に縛られた人ばかりではないだろう。プロテスタント、異教徒、泥棒や山賊、金儲けに走り教会に寄付をしない人だって大勢いたに違いない。デカルトが道徳を考えた当時の教会は、どうしたら野蛮な人々にキリスト教(カトリック)の気高いイデオロギーを浸透させるかに頭を悩ませていた。神学者や数学者、天文学者などを動員していたその中の1人がデカルトだったのではないか。後世の研究者は、彼の厚い宗教的な情熱を無視して、合理的な考えの持ち主だったとして讃えているだけかもしれない。そこで私も、この言葉の解釈を疑ってみることにしたのだ。彼は「我思う」で宗教への厚い情熱を語ったのだ。今のところ私の考え方を支持してくれる哲学者は1人もいない(そもそも私の周りに哲学者はいない)。しかし、デカルトの言うとおり、「我思うゆえに、我あり」は真理だとも思っている。この言葉は本人を奮い立たせる言葉でもある。様々な解釈のできる魅力ある言葉だ。   (先頭に戻る)

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No.166 「国民統合の象徴としての天皇の模索」(2019.5.1)

今日(5/1)から元号が令和になった。昨日から今日にかけてのメディアは、儀式の様子、関連したイベント、市民の声などで埋め尽くされている。前天皇が被災地を見舞ったり大東亜戦争の激戦地を訪れ慰霊したりする行動に多くの人が共感を寄せていること、次の時代に国民が最も強く願っていることは平和だということなどが報じられている。私もそうした願いを持っている一人だ。昨日(4/30)の前天皇の退位儀式でのおことばで注目したのは、「令和の時代が、平和で実り多くあることを、皇后とともに願い、ここに我が国と世界の人々の安寧と幸せを祈ります」と述べられたことだ。

   日本には、次の世代へ引き継ぐべき価値観を示す文書がある。それは日本国憲法だ。その前文では、国民主権を「人類普遍の原理」と書いている。また、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」と宣言している。意識する人は多くはないと思うが、我が国の憲法は人類全体を視野に入れていると言っても良い。そうした目で見ると、前天皇の言葉は日本国憲法前文の趣旨をしっかりと踏まえていると感じられる。今日の新天皇のおことばでも、「世界の平和を切に希望する」と表明されている。日本国民を象徴する人が、他国の人々の安寧と幸せを祈ること自体が素晴らしいと思う。他国からしても、自国民の安寧と幸せを祈ってくれる日本には友好的な気持ちが生まれるだろう。
   日本に限らないが、政治家の中には、自国民だけの利益や幸福だけを考えたり、ひどい場合には、自分を支持してくれる人達だけの利益を訴える人もいる。国民の統合ではなく分断である。政府は国民の支持が多数の与党によって組織されるので、与党を支持する人達の希望や意識が優先される。以前にもこの随想で書いたことだが、夏の戦没者慰霊式典での天皇の言葉と総理大臣の言葉が相当にずれているのは、そのせいだと思っている(⇒No.76「戦没者」)。
   現在の日本の政治体制は、共和制ではなく、立憲君主制だと言われている。君主(天皇や王様)がいるから古い体制というわけではない。天皇主権から象徴天皇となり、国民主権主義をとる民主国家となった。前天皇のしてこられた行為を振り返えると、例えば地震津波の被災地への訪問、沖縄・広島・長崎・海外での慰霊、ハンセン病隔離施設や障害者施設の訪問などの行動は、国民に平和の大切さを自覚させ、弱い立場の人達に目を向ける切っ掛けを与えている。国民を分断するのではなく、統合させる象徴としての天皇制は、政党の独善や強者である財界を優先する政治を抑制する、99%の国民にとって有益な仕組みであると考えている。   (先頭に戻る)

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No.165 「榛名湖のワカサギと放射能」(2019.4.27)

4月23日に榛名山に出かけた。春の山の景色を楽しもうと思って行ったのだが、榛名山の山々(標高800メートル以上)の桜は蕾のままで、落葉松の芽吹きも見られなかった。晴れてはいたが榛名湖(カルデラ湖1084m)を渡る風はまだ冷たい。そこで、下の写真(中)の看板を見つけた。ワカサギが産卵するので捕獲を禁止する榛名湖漁協の要請だ。写真のような小川の水が湖に注いでいるところにワカサギは群れをなして集まっている。写真(右)は比較的流れの早い場所だ。夜に産卵するらしく、砂粒の間に卵を産み付けるようだ(生態pdf)。産卵の現場ではなかったが、春の風景を見た気がした。
   ワカサギという魚は冷水性で、ロシアや北米に分布する。日本では北海道と本州(太平洋側では霞ヶ浦以北)に生息する。今ではあちこちの湖沼に放流され、出荷量が多い諏訪湖のワカサギは有名だが、それも元々は霞ケ浦から移入されたものだそうだ。諏訪湖のワカサギは3年前に出荷量が激減したが、その後は回復して、今年は3年ぶりにワカサギの卵や稚魚を他県に出荷できるという報道があった(NHK長野4/26)
   榛名湖のワカサギも諏訪湖から卵を買って放流しているそうだ。ワカサギは、天ぷらや甘露煮がうまい。榛名富士(1390m下写真(左))に登った後で、昼食にワカサギの天ぷらそばなどを食べた。

   関東・東北地方の湖沼は、2011年の福島第一原発の放射能汚染(セシウム)で汚れてしまった。原発から遠く離れた榛名湖も例外ではない。群馬県は、漁業者にワカサギなどの出荷自粛を2015年8月末まで要請していた。当初は300ベクレル/kgだったが、2015年にようやく基準値(100ベクレル/kg)の半分ほどになり自粛要請を解除した(産経2018.8.29)(データPDF)。現在も10数ベクレル/kg程度観測されている。
   食品の安全という観点からは、放射能の濃度は低ければ低いほど良いといえる。しかし山中の湖では、水が停滞し、山の塵が流れ込むので容易には濃度が下がらない。魚が汚染したのはもちろん漁業者のせいではないから漁業を営む人達にとっては早く解除して欲しいことも理解できる。

   腹立たしいのは、美しい山河を放射能で汚染させておいて、その対策も終わっていないのに原発再稼働を願い出ている電力会社の姿勢である。一旦事故があれば数十兆円もの費用がかかるし、福島原発では汚染水の処理方法や燃料デブリの取りだし方法さえ未知である。世論調査でも、再稼働に反対する人が多数にもかかわらず、政府は原発廃止には積極的ではない。美しい春の山やワカサギが群れ泳ぐのを見て心は和んだのに、原発政策の現状を思うと苛立ちが募ってくる。榛名山、榛名湖の景色を楽しんだ後で、このところ忘れていた嫌なことを思い出してしまった。   (先頭に戻る)

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No.164 「動物世界の法の進化について」(2019.4.20)

4月13日・14日に日本生物地理学会の年次大会が東京大学で行われた。13日の市民シンポジウムで、私は有袋類とヤマネを材料に生物地理学の成果を引用したコメントを報告させてもらった。翌日の一般発表では、マダガスカル南部のウチワサボテン(食用のために南北アメリカから持ち込まれた)など外来植物の拡大、インドネシアでのジャトロファ(中南米原産で油が取れる落葉樹)の栽培事業の将来、ミヤマシロチョウ(アジアからヨーロッパにかけて生息する蝶)の種分化、ニュージーランドの草原の46種の草本についての気候データを用いた種分布モデルなどの説明がされた。特別講演では、極東ロシアと日本のハシブトガラスの系統についての研究成果が発表された(⇒中村純夫さんの著作「謎のカラスを追う」)。

   いずれの発表も、私にはとても興味深いものだったが、特に面白く感じたのは、和田幹彦さん(法政大学法学部)の動物界での法の進化・拡散の話だった。生物地理学会では異色の発表者であるが、アメリカでは、生物地理学のような学会に法学者が多数参加して動物の集団における「法」について議論がされているそうである。この場合の「法」とは、言葉で表現されるものではなく(人間は彼らの言葉が分かるほど賢くはない)、a.集団の規範があり、b.違反者が検知され、c.直接利害関係のない第3者により、d.何らかの罰が与えられる仕組みがある状態を「法」と考えるということだった。

   私は、昨年の市民シンポジウムでオマキザルが平等感覚を持っており、チンパンジーはそれ以上に公平を求めることを紹介した(⇒No.110 )。だから、和田教授の発表には、「日本の法学者でもこんな新しい分野の研究をしている人がいるんだ。偉い!」と思いながら質問をさせてもらった。「d.の罰というのは、例えば殺すとか、集団から追い出す、積極的にはつきあわないなどがあるがどの程度のことなのか」、「a.の規範とは、他者が何をしているのかを認知できて、公平・不公平が分かるのならば、それだけで規範といえるのではないか」と聞いた。和田さんからは、「法の定義は、研究を進める上での作業仮設として設けているので、どこまでを罰とするのかは決めていない」、「フランス・ドゥ・ヴァールなど動物行動学者の研究成果の発表を待っている」といった答えがあり、研究を進めることへの強い意気込みが感じられた。

   この研究が更に進むには、当然にサルやチンパンジーなど生き物の生活や行動がしっかり観察されなければならないし、人間の価値観を基準にした評価だけでは行動の意味が分からないかもしれない。直ちに何らかの結論が得られるというものではないだろう。しかし、この研究は、個体と集団との関係に着目していて、研究の過程では新しい何かに気づいたり、人類が自らを見直す切っ掛けにもなる。だから研究を続けることで、人間社会を犯罪や紛争の少ない調和のある社会に作り変えることにも役立つのではないかと思われる。
   市民シンポジウムには約400名に参加いただいた。一般講演は会場を移して行われたが、120名くらい入る会場に20名程度の参加だったので残念な気がした。もったいないので来年は私も誰かに声をかけ参加を促そうと思った。   (先頭に戻る)

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No.163 「演劇の楽しいロビー交流会」(2019.4.12)

4月10日の午後は地元の市民文化ホールで劇団民芸の公演を見た。題名は「蝋燭の灯、太陽の光」。テネシー・ウイリアムズの作(Candles To The Sun)。2階席で舞台から遠いので双眼鏡を持っていったのは正解だった。目の動きなど表情もはっきり見えた。
   内容は1930年前後のアラバマ州での保守的な炭坑夫の家族(落盤事故で長男ジョンを亡くした夫婦と長女スター、次男ジョエル、そしてこの夫婦に引き取られたジョンの妻ファーン(主演日色ともゑ)とその息子ルーク)の話だ。スターは自由を認めない父親に愛想をつかして家をでる。ファーンはルークを奴隷のような状態の炭坑夫にはしたくないと、10年間洗濯女となってルークが高校に行く資金をためる。折からの不況で石炭価格が暴落し会社は賃金引き下げや保安の手抜きをする。ルークは学費を補うためにジョエルに勧められ炭坑夫になる。ファーンは必死になって息子が炭坑夫になることを止めようとするが願いはかなわない。その直後に何が起きたか。

   台詞には、ストライキ、ボルシェビキといった現代ではあまり聞かれなくなった言葉が飛び交うが、それは物語りの背景であって、中心はファーンの気持ちや考え方の変化である。夫のために墓を立てようとためた金は学資になるはずだった。しかし、ファーンは更に大切なことに使う決断をすることになる。
   暗い大恐慌の時代の話だが、最後は光が見える。ファーンの息子への愛が、大きな人類愛に変わったような印象を受けた。蝋燭の小さな灯が、太陽の光へと変わっていく。太陽(Sun)は息子(Son)にも通じるとアメリカ文学の先生(舌津智之)がパンフレットに書いていた。
   芝居が終わってロビーで主な出演者との交流会があった。100名くらいが参加していた。機会があれば私も参加することにしているが、これがなかなか面白い。感想が出たり、演者への質問や応援の辞があったりする。演劇鑑賞会に長年入っている者の中には、若いころの演者を知っているといった話がでる。役柄への意見だけでなく、舞台装置や照明技術について質問もでる。「ファーンが洗濯物を洗ったり、絞ったりするときに水が飛び散ったように見えたが本当に水を使ったのか」という質問もあった。確かにそのように見えるほど演者のしぐさが生き生きとしていたのだ。
   一口に芝居と言っても、名作だし大変な練習を重ねてリアルにつくられている。演技をする人とそれを支える人がいる。演劇鑑賞会の中のボランティアの担当者も会場案内などの準備をしている。ロビー交流会の最後は全員で写真を撮った。外は春の冷たい雨が降っていたが、私は何かに満たされた気分になって帰宅することができた。   (先頭に戻る)

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No.162 「仮名書きの国書 土佐日記」(2019.4.5)

4月1日に政府は「平成」の次の元号は「令和」と発表した。これまで漢籍(中国の書物)をよりどころとしていた元号を初めて国書(日本で著述された書物)の万葉集から採用したことが話題になっている。万葉集は百人一首で馴染んでいる人が多いからか、共同通信社が1・2日に行った世論調査では、「令和」は73.7%が「好感が持てる」とし、15.7%が「好感が持てない」としているとのことだ。併せて調査した内閣支持率も急に高くなったので、新元号の高評価が内閣支持率を押し上げたのではと報じられている。新元号制定を政治利用したとも受け取れる解説であるが、テレビでの総理の過剰な演出を見た私もそのように感じた。

   元号は、中国では漢の武帝から、日本では大化(645年)から始まったとされる。奈良・平安時代の朝廷や仏教界のエリートたちは遣唐使により派遣され、中国語をマスターし、漢詩を読み中国的発想を身につけて帰国した。今回「令和」が万葉集を典拠したとはいっても、中国の詩文集である「文選」(6世紀前半に成立)にも同じ句が出てくるのだから、孫引きという見方も成り立つ(毎日新聞4/1)。だったら漢籍とか国書とかにこだわる意味はない。私としては、平仮名(漢字の真名に対して仮名)は、平安時代に女性が用いたことで発展したとされるので、日本人の手による本当の元号は、平仮名がふさわしいのではないかと思う。2文字とするなら、例えば「ほし元年」、「ゆり元年」、「あい元年」であっても良いのではと思う。

   高校の古文に土佐日記が出てきた。例の「男もすなる日記というものを女もしてみんとてするなり」という文章である、作者は紀貫之という男だから書き出しは偽りだけれど、そうしたくなるほど仮名文字は書き手の気持ちを伝え易かったに違いない(→本文と現代語訳)。その中で、海が荒れて女たちは船底で怯えて泣いているが、船の舵取りが歌を歌うのを聞いて心がなごんだという一節が(→歌の節)私の心に残っている。
   その歌ふ唄は、
   「春の野にてぞ、音(ね)をば泣く、我が薄(すすき)に、手切る手切る摘んだる菜を、親やまぼるらん、姑や食ふらん、かえらや」
    「夜(よんな)べのうなゐ〈少女〉もがな、錢乞はむ、空言(そらごと)をして、をぎのりわざ〈掛け買い〉をして、錢も持て来ず、己(おのれ)だに来ず」
   この歌から当時の庶民の暮らしが垣間見える。初めの歌は、親やしゅうとに食べさせるためにススキの原で野草を摘んでいる風景だ。「ススキの鋭い枯れ葉で手が切れて痛い、もう帰ろうよ」と友達に呼びかけている。平安時代の庶民の野菜は野草だった! 次の歌は、買い物に来た娘に品物をだまし取られて嘆く歌だ。「ゆうべの娘に会えたらなあ。銭を催促しよう。でも銭どころが本人も来やしない。」。へえっ。銭が流通していたんだ!! 娘は銭をもたないのに何を買ったんだろうと想像が膨らむ。

   元号の話に戻ると、世論調査によれば元号を使用したい人は段々少なくなる傾向のようだ(産経・FNN(1/21)毎日(2/4))。グローバルな時代に、元号といっても世界に通じるわけではないし、2重に記憶したり・換算しなければならず不便である。明治・大正・昭和などにノスタルジーも感じなくはないが、王権が時を支配するという前世紀の中華思想であるので、元号の使用を強制することは止めて欲しいと思う。強制しなければ人々が従わないような元号では、どこかの独裁国と同じ考えになってしまう。日本文化を愛するならば、偏狭な発想や強制はいただけない。万葉集には、梅の花を愛でるだけではなく、山上憶良の貧窮問答歌のような作品もある。
   世の中を憂しとやさしと思えども 飛び立ちかねつ鳥にしあらねば (万葉集:原文万葉仮名)   (先頭に戻る)

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No.161 「疑うことと信じること」(2019.3.29)

私は、「疑うことは良いことだ」と思っているが、この信条については、多少の説明が必要だと思う。「疑う」の反対語は、一般には「信じる」(Web辞書)とされるので、「あなたは人を信じないのか」と誤解されるおそれがあるからだ。反対語を使って説明するとすれば、「信じることは悪い」と言いたいのではなく、「信じることは良い場合もあるが、悪い場合もある」という意味である。
   私たちの時代は、人の言動をむやみに疑うことは恥ずかしいことだと教わってきた。例えば、太宰治の「走れメロス」を読まれた人は多いだろう(⇒朗読本文解説)。昭和15年太宰が31歳の作品だ。竹馬の友との約束を守るために。濁流となった川を泳ぎ渡り、山賊4人(実はメロスを殺そうとする王様の追っ手)に襲撃され、ずたずたに傷つきながら走り続けた若者の話だ。メロスの頑張りは、人間不信の王様の気持ちを変えるほどの効果をもたらしハッピーエンドになる。解説にも書かれているようにこの話には元になった伝承があり、鈴木三重吉が明治43年に「デイモンとピシアス」(本文)という題で発表している。

   「走れメロス」が、今でも中学の国語教科書に取り上げられているのは、話の面白さだけではない。人を信じること、約束を守ることの大切さを説いた道徳的な話なのだからとも言える。中高生のころ私が太宰の作品に感動したように、多くの子供たちがこの話に感動して育っていることは間違いないだろう。道徳が一概に悪いというつもりはないが、この話に感動した人達がその後、むやみに人を信用したり、できないような約束を果たすために命をすり減らしたりしたことはなかったのだろうか。
   先ず思うのは、自分がメロスだとして、同じ行動がとれるかということだ。物語に過ぎないと言えばそれまでだが、肉体も精神も普通の人間100人がメロスの立場になったとしたら、50人は川で流され、40人は王様の追っ手に殺され、10人は疲れて走ることができないか、あるいは、困難を言い訳にしてその場所から逃げ去るのではないかと思う。メロスは強靱な肉体を持ち、信義を尊び、友情に篤く、死も恐れない超優等生といえる人だ。普通の人がメロスになろうとすれば、99.9%は悲劇になる。竹馬の友との約束は守れず、その友は処刑され、王様は「これだから人は信用できない」とほくそ笑み、ますます暴君になって行く。

   NHKテレビが夕方やっている「私は騙されない」キャンペーンを見ていると、高齢者が詐欺に引っかかり易いのは、多少のお金を持っているという理由以外に、「人を疑ってはならない」という道徳に囚われているからなのではと感じてしまう。世間体を保つことを優先し、礼儀正しいから疑うことをせず、詐欺師(警察庁によれば主犯の半分弱は暴力団関係者との報道がされている:3/28毎日記事)からの電話にも正直に答えてしまっている。もちろん詐欺師が犯罪者で悪いのだけれど、その結果は自分や家族が背負うことになる。
   科学の進歩というのは、疑いを晴らす行為の連続で成り立っている。「どうしてそうなるの」、「違うデータだってあるよ」といった疑問が次々に繰り出され、それに応えていかなければならない。科学を進めたい人には、「疑うことは良いことだ」は理解されると思う。そして疑問の余地がなくなったときに、仮説は信用され人類全体の知識となる。
   今年の4月13日~14日に日本生物地理学会主催のシンポジウムが開かれる。知らない世界を見聞きできるのでとても楽しみだ(→No.110 昨年の感想)。4月13日は市民向けのシンポジウムで作家の橘玲さんが講演をされる(ポスターPDF)。その講演の論評者になって欲しいと依頼されたので、私は自己紹介の欄に心情の「疑うことは良いことだ」を書いておいた。   (先頭に戻る)

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No.160 「イトスイセンの先祖返り?」(2019.3.21)

定義があいまいなので今では専門家は使わないそうだが、「先祖返り」という言葉がある。何代も昔にあった特徴が現代に突然現れる現象だ。ヒトでは、毛深い体毛や副乳などの例が先祖返りとして紹介されている。植物の栽培品種でも同様だ。交配で種子ができるものでは、両親の組み合わせによって先祖の特徴が出てくることがある。また、水稲など自家受粉するものでも何年も栽培していると品種の特性が失われ祖先の特徴が出てくることも知られている。栄養繁殖する植物でさえも先祖返りすることがあるのだ(チャボヒバからヒノキが出てきた例:日本植物生理学会Q&A)。

   私のパートナーが、昨年から「なんでだろう!」とさわいでいるイトスイセン(糸水仙)の例を紹介しよう。パートナーの実家の庭にあった糸水仙は香りがあり色形も良い。彼女は1昨年、その球根のいくつかを掘り出して持ってきて、ベランダで鉢にいれて栽培を始めた。この水仙は下の左のような花が咲くはずだった。ところが、昨年春に咲いた花は、どうしたわけか下の右のような形だった。香りはない。そして今年も同じ形の花が出てきた。この花(下の右)は、原種のナルシサス・バルボコディウム(Narcissus bulbocodium・別名ペチコートスイセン)にとても良く似ている(写真)。周囲の花弁が細く、中央の筒が大きく、おしべが少し長い。もしかして先祖返りが起きたのか。
   私は、パートナーに「どこかで別の種類と取り違えたのではないか」などと聞いたが、断固として「実家から持ってきたものだ」、「実家には下右のようなスイセンは1個もなかった」、「こちらで花の形が変わってしまったとしか思われない」と言う。

   スイセン(ヒガンバナ科)は、球根(鱗茎)で増える。球根は親の代のクローンだ。クローンとは挿し木の意味だ。つまりDNA・遺伝子は親と同じということだ。もし、先祖返りの原因が遺伝子の一部が変わる突然変異だったとすれば、腑に落ちない点は、いくつかの球根に同時に同じことが起きるのかという疑問だ。あるいは、遺伝子は同じままで、環境が変わった(土は実家の庭の土は使わず園芸用の土を使った。地植えでなく鉢植えにした)ことで表現形が変わってしまったのかもしれない(ネットでは八重のスイセンが一重になってしまったと言っている人もいる。)。スイセンの原産地は、地中海沿岸などといわれている。日本にはかなり古くから中国経由で入ってきているらしい。人によって品種改良されたスイセンは、原種に比べれば不安定で何かの拍子に原種に戻る力が働いたのかも知れない。

   以前の随想No.45 No.48 とで、花弁が癒着したカトレアは遺伝子の原因ではなかった例を書いた。近年では、遺伝子やゲノムがニュースで取り上げられるようになったせいか、形態や機能の違いは全て遺伝子のせいと考えてしまう人もいる。しかし、実際には、遺伝子が同じでも、偶然や環境の変化によって奇形ができたり、表現形が変わってしまうことも多いようなのだ。気安く「何でも遺伝子の違いだよね」などというのは、誤解を招くのではないかと思うようになった。中学生の時に、賢い友人の1人が「俺の成績が悪いのは、親の遺伝子を引き継いでいるのだから、文句は親に言ってくれと言いたい」と言っていたのを思い出した。   (先頭に戻る)

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No.159 「家族の中での個人の尊重とは」(2019.3.14)

家族についてのイメージは、自分が父親か母親か、親であるか子どもであるかなどの違いによって全く変わってくる。NHK朝ドラでは、戦前、戦後の時代背景と子どもから大人まで成長し変化する中で、主人公の女性が次々と出現する苦労に対処する物語になっている。私は、家族は親が愛情を子供に注ぎ、子供は親を慕うという暖かな関係のイメージをもっているが、時には愛情が束縛になり、保護が甘やかしや虐待にまでなってしまうこともあるのは悔しいことである。子供の成長や人間の自立は、文学作品などでも扱われる重大な意味を持つ。その関係の出発点が家族である。
   著名な憲法学者が、「日本国憲法で最も重要な条項は、憲法13条の『すべて国民は、個人として尊重される』の部分だ」と書いていた。家族については、憲法第24条第2項で「配偶者の選択、財産権・・・及び家族に関する事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない」と規定されている。相続、男女平等、子供の虐待対策などは、この規定が大きな役割を果たしている。

   大日本帝国憲法下では、「個人の尊重」の視点はない。君主によって支配される人々(臣民)には、法律の許容する範囲での権利しか与えられていなかった。それでも列強の国々の影響を反映して、言論・集会・結社の自由など一定の権利を臣民に与えている(戦時下ではそれさえ無くなってしまったが)。
   フランス革命の困難を経て近代国家となったフランスは、ナポレオンが皇帝になった1804年に「ナポレオン法典」
の名で呼ばれるフランス民法典が編纂された。伝統と革命の成果を調和させたものと言われ、その後の民法典の模範になったものだが、そこには家族について次のように書かれていた(山川出版社「詳説世界史研究」p350、ナポレオン法典条文PDFなど)。
   146条 男女双方の合意がなければ婚姻は成立しない。
   213条 夫は妻を保護する義務を負い、妻は夫に服従する義務を負う。
   371条 子は年齢のいかんにかかわらず、その父母に対して尊敬の義務を負う。
   現代の感覚でみれば、213条は男女平等とは言い難いが、146条は日本国憲法第24条第1項(婚姻は両性の合意のみに基づいて成立)にも引き継がれている規定である。371条は論語(孝行)を学んだ人にはなじみのある規定だ。

   ナポレオン法典は、制定後何度も改正をされて、日本に伝わった。フランス人の法学者ボアソナードの助言で、1980年(明治23年)に民法案がつくられたが、日本古来の伝統たる家族制度を崩壊させるとして保守的な人々からの強い反対に会い、数年かかって修正案が公布された。修正民法は、戸主と長男の権限が大きく、儒教的道徳観(武家社会の伝統)を反映したものとなった。例えば、婚姻は次のように修正された。
   旧民法750条 家族が婚姻又は養子縁組を為すには戸主の同意を得ることを要す。
   旧民法970条 被相続人の家族たる直系卑属は左の規定に従い家督相続人となる。一 親等が異なるときはその近きものを先にす。二 親等の同じきものの間では男を先にす。
   今では死語になってしまった感があるが、家督相続とは戸主の地位と全財産の相続である。戦前の農家の次男三男や女性など低い地位(財産分与が無いことなど)で苦しんだ人達がいたことへの反省が家族の中での個人の尊重という考え方(例えば均分相続として制度化)になっていると理解している。しかし、この考え方を他人の迷惑を考えない行動までも認めるものだと誤解する人もいるし、それを前提に「憲法の個人の尊重は怪しからん」と考える人もいるのは残念である。個人の尊重がなければ幸せな家族は存在できないし、まともな国家も人類も存在できないことは明らかだ。独裁政治や集団によるいじめの話を聞くにつけ、私は「個人は集団の幸せ(人類全体まで)を考える出発点であり、着地点である」と強く感じるようになっている。   (先頭に戻る)

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No.158 「生きるとは生身の声に従うこと」(2019.3.7)

3月になってNさんからケータイで撮った写真が送られてきた。何羽かのヒヨドリ(鵯)によって実を食べ散らかされたミカンの木の写真だ(このHPの「季節の写真」に掲載した)。隣にはユズの実もあったが、こちらは食べられていなかったとのこと。「へーっ。ヒヨドリだって酸いも甘いも分かるんだ」と思った。よく似たことは以前テレビで見た。晩秋に奥多摩に出てくるサルは甘い柿の実を食べ、渋いと実を木の下に投げ落とす。その落ちた柿をイノシシやクマが食べる映像だった。甘みを感じるのはこれらの生き物に舌があるからだ。栄養価値が高いとか、身体を維持するのに都合が良いからだろう。美味しいものが実感できるのは、生きることと直結している。

   人間の場合は、美味しいものを食べれば幸せな気分になる(サルもきっと幸せな気分だろう)。身体には舌だけでなく、鼻、耳、目、皮膚などの感覚器官がある。これらの器官は脳・神経に直結しており、その働きは生死を分けるほど重要である。味覚、嗅覚、痛覚などを感じることで危険から身を守ることができる。
   ところが病気や強いストレス(悩み・心配、パワハラ、暴力)に遭遇し、その程度がひどくなると、美味しいものでも食べる気がしなくなり、眠ることもできなくなり、楽しいはずの歌も歌う気がしなくなる。皮膚や内臓に症状が出てくることもある。ついには自傷行為(自殺など)やイライラ感が募って他人を害することさえある。脳は自分を取り巻く情勢と仕事の大切さや自分の役割も知っているから、「無理してでも頑張れ!」と身体に命令するが、生身の身体は脳とは独立している。強いストレスが続く場合には、医師に相談し、仕事を休み、疲労を取り去って、日常の感覚を取り戻さなければならない。これは簡単なようで実際は難しい。責任感が強い人は、悲鳴を上げる肉体の警告に従うのではなく、脳の命令に従ってしまう。

   生身の声を素直に聞くことは、生きていく上で大切だ。快適さや喜びに繋がる感覚はもちろん、人の痛みが分かるということも重要な徳目だ。悲しむ人にそれを和らげる言葉をかけられるのは、自分がそこにある痛みを知っているか、少なくとも理解できるからである。他人に起きていることが我がことのように感じられる。更に人間に対してだけでなく、他の生き物に対しても「可哀そうだ」という気持ちをもつこともある。大部分の人はこの感覚や感情をもっているが故に、他の人と仲良くすることができるし、人を殺すことはもちろん、むやみに動物を殺すことに強い嫌悪感も感じるのだと思う。脳の指令(意志)と身体の反応(警告など)が矛盾するような場合においては、そのバランスや程度の問題ではあるが、基本は体が発する声(痛み、甘みなどの感覚と喜びや悲しみの感情)に従うことが「生きること」を続けさせているのだと思う。
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No.157 「命の順位づけをどう受け取るか」(2019.2.28)

トリアージ(triage)とは、大規模災害や事故で多数の負傷者が出た場合の病院への搬送・治療の順位付けである。重傷者で直ちに治療をすれば助かりそうな人には赤色、手当が2~3時間遅くても助かりそうな人には黄色、後回しとなる軽傷者には緑色のタグをつけ、遺体や全く助かる見込みがない人には黒色のタグをつけるという。被災場所に赴いた医師はとても悩むだろうと想像する。どの負傷者からも一刻も早い治療を求められるし、短時間に個人の事情が正確に把握できるのかという不安もあるからだ。しかし、限られた医師や施設を用いて短時間に少しでも多くの生命を救うという狙いからすれば、地位や財産の大きさによってではなく、負傷の程度のみを基準とする順位づけの考え方は妥当だと思われる。

   命の順位づけは、哲学的なテーマでもある。トリアージは命の質の問題だが、人数の多寡による順位づけも考えられる。以前にNHKで放映されていたサンデル先生のハーバード白熱教室でも紹介されたトロッコ問題は有名だ。制御不能で暴走するトロッコの先に5名が働いていて、トロッコがそのまま進めばは5名が確実に死ぬ。しかしその線路に引込線があり、その先に1名が働いているとする。転轍機を使ってトロッコの向きを変えれば1名は犠牲になるが5名は助かる。あなたはその線の分かれ目の手前の転轍機の傍に居てその操作も知っているとする。問題は、5名の犠牲を避けるために1名を犠牲にするべきか否かという問いである。最大多数の最大幸福という功利主義からすれば5名を守るために1名を犠牲にするのが正しく、カントの唱えた義務論からすれば5名が死ぬのを避けるために1名を犠牲にすることは道徳に反するとされる。

   実際にこんな場面に出くわしたらとても困る。状況が余りに単純化された質問であるし、自分とその6名(5名と1名)との関係が分からないから、「その時になってみないと答えは出せない」と言いたくなる。その6人が自分の子供たちだったらトロッコの前にわが身を投げ出して全員を救うことを考えるかもしれない。1名であれ5名であれ、自分が愛する人達が死ぬのを見過ごしたならば、その後はまともには生きて行けない気がする。状況が分からない中で決断しなければならないとすれば、私だったら転轍機をさわらないで放置すると思う。自分の責任でトロッコが暴走し始めたわけではないことは自分の慰めになるが、それよりも人の命の重さは人数の多さでは測れないと思うからだ。
   この私の考え方には、昨年の生物地理学会の市民シンポジウムが影響している。No.110 「楽しい生物地理学会の発表会」でも書いたが、「生物は個体も種全体も、ともに同じ実体である」という森中博士の論考が背景にある。この考えを極端に拡張すれば、1人の人(個人)の価値は人類全体の価値に等しいとも言える。自己の利益のために、多数が少数(突き詰めれば1名)を犠牲にすること、あるいは、その逆に少数(1名の独裁者であっても)が多数の人を犠牲にすることも道徳的ではないことになる。他人の財産を盗むことは明確にそう言えるが、汚染が避けられない原子力発電所を過疎地に設置し都会の多数の人々がその発電所でつくられる電力を利用することも、どこかおかしいと感じるのはそこからくるものかもしれない。   (先頭に戻る)

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No.156 「ぶれない人は信頼される」(2019.2.20)

英会話教室で、「外国人と会話を始めるときの話題は、天候やその場の感想など(きれいな花が咲いてますねなど)が適している、宗教・政治など思想心情やプライベートな話題は避けるべきだ」と助言された。込み入った会話は、先ずは話す相手が互いに信頼できることを知らなければ成り立たないから、この助言は、外国人を相手にしたときだけでなく、会話全般に通じることだと思った。そこで、どんな人が信頼でき、どんな人が信頼できないのかを考えてみた。
   信頼できないという人の状況は、例えば、話がころころ変わる、言葉と行動が伴わない、嘘を平気でつく、聞く耳を持たない、むやみに自慢したがるといったことで分かり易い。日常生活のテーマであっても、こういう人とは真面目な会話はできない。
   信頼できる人とは、「信頼できない人以外の人である」とも言える。積極的に表現するならば、他人の利益も考える人、苦しいときに助けてくれる人、自分の間違いを率直に認められる人、何かを大切にしていてぶれない人である。世の中の99%はこういう人達だと推測しているが、それを見極めることは難しい。1年近くも老人の話し相手として通って来てくれていた女性が実は詐欺グループの一員だったという話もあった。

   宗教界で活動している人達(政治活動も同様であるが)の中には、ボランティアや災害復旧の手伝いなどをしていることが多い。おそらく神仏の教えにもかなった立派な行為ではあるし、共感してくれる人を仲間に加えることにも役立つので、やりがいがあると感じておられるのだと思う。
   私は、信仰・宗教は、オウム真理教事件で見られたようにアヘンやマインドコントロールの道具にもなりうると思うが、人を殺すな、盗むな、嘘をつくな、邪淫を止めよ、弱い人を助けよなどの重要な価値観も知らせているので、人間社会に必要なものであると感じている。だから敢えて言うのだけれど、ある宗教の信者になる場合、既に信者になった人の言動を信頼して「ああいう人のようになりたい」、「ああいう人と友達になりたい」と思って、信者になっていくのではないか。その宗派の教えが良く理解できたから、その信者になるのではないと思っている(深い哲学は分からないからこそ、興味が湧き、あり難く感じる部分もある)。人は、神仏ではなく、ぶれない他人の言動を信頼して自分を変えていくのだ。
   これは、企業活動や学術文化の世界、家族や地域、政治の世界でも同様である。情熱を込めて語り行動する先輩・後輩やリーダーにあこがれを抱いて、そういう人になりたいと願うのは自然である。もちろんその内容にもよるが、何かに価値あると信じてそれを守ったり発展させたりしている人間を師のように仰いで、後について行く部分が大きいのだと思う。
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No.155 「人は何に向かって生きているの?」(2019.2.12)

答えがあるのかないのか分からないけれど真剣に考えてしまうことはある。「人は何に向かって生きているのか」という問いもそうだ。毎日新聞の子供向け「月刊なるほドリ」の今年の2月号で小学5年生の女子が出したものと紹介されている。小学生新聞の2018年12月20日号に掲載されていたものの転載だ。回答者は、中学、高校の哲学や教育学に関わる先生達だ。
   この回答者のうち、
ムラセさんは「一つ一つの行動の目的の積み重ねが生きていくことの目的になっているかもしれない」と言い、コーノさんは「そんな遠い先のことを考えないで、今ここで本当にしたいことをすればいいんじゃないかな」と答え、ゴードさんは「ときどき何のためにこんなことをしているだっけ?と考え直すことはとても大事だけれど、全ての行為が何かに向かっていると考える必要はないんじゃないかな」と助言している。内容は理解できるし、他の先生の言を否定しない回答に感心したが、物足りなさも感じた。

   ぼんやり者の私には、人生の目的を考えるなどということは小学生の段階では全くなかった。高校生になって考えた私の結論は、「人生の目的は生きること」だった。当時でも「食べるために生きるのか、生きるために食べるのか」という議論あった。この問いは、偉い先生が言ったという「痩せたソクラテスになるのか太ったブタになるのか」という問いと似ている。当時の高校の先生の多くは、痩せたソクラテスを推奨し、食べるために生きるという考え方には否定的だったように思う。私は「我が輩は猫である」に出てくる苦沙弥先生のような貧乏であっても自由な生き方を推奨しているのかと感じていた。
   「人生の目標」について、当時考えていたことはこうだ。人には身体の中心に、口から肛門までの消化器官と臓器・生殖器官がある。これらの器官が存在する目的は、もちろん食べたり子供を産んだりすることである。その視点では、食べるために生きると言っても、生きるために食べると言っても同じことである。そこに注目すれば、人の生きる目標は、生きること、世代を超えて生き続けることに他ならない。身体の基本はそのようにできている。どのような仕事をして糧を得るのかということは目標ではなく、方法に過ぎない。

   「生きることが人生の目標」というと、目標として無意味なことを言っているように思われるかもしれないが、世の中には苦しいこと、辛いことがたくさんある。飢餓も犯罪も戦争もあるので生きることだって容易ではない。厳しい人間社会で生きるためには、科学技術を利用したり、学問や宗教に頼ったり、酒の力を借りたり、友人と話をしたり、歌を歌ったりすることで乗り切ることができる。病気にならない工夫をし、ハラスメントに耐えて、できるだけ長生きすることは共通した大きな目標である。昔の人は折に触れて長寿を願い祈ったことからも分かるように、生きることは間違いなく人の目標である。辛いいじめで自殺を考える子供もいる。「なるほドリ」の回答者の誰かが、「苦労しても生き続けることで楽しいことにも会えるのだから、生きること自体も人生の重要な目標じゃないかな」という答えがあっても良かったと思うが、どうだろう。   (先頭に戻る)

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No.154 「心愛(みあ)さん、怖かったよね。あなたは全く悪くない。恥ずかしいのは大人達」(2019.2.6)

小学4年生の栗原心愛(みあ)さん(10才)が父親の手で殺された。新聞では、「女児が死亡」という見出しになっているが、食事を与えないまま、殺害当日(1/24)には「しつけ」だとして午前10時から午後11時過ぎまで休みなしで首をしめたり冷水をかけたり、怒鳴ったりしていたのだから、私には殺意があったのだとしか思われない。父親は逮捕され取り調べ中だ。母親も父親の暴行を制止しなかったとして逮捕された。昨年も船戸結愛ちゃん(5才)の遺棄・致死事件があった(⇒No.122)のに、またも悲しい事件が起きてしまった。

   暴力(DV)でも家庭内のことだから行政や警察が介入することは大変難しいとは思うが、心愛さんの件は、2年前(2017年11/6)に行われた野田市の小学校でのアンケート結果と翌日の教員の聞き取りにより、保護の緊急度が高いとして柏児童相談所に保護された経緯がある(この時の迅速な対応には拍手をしたい)。そのアンケートには、「お父さんに夜中に起こされたり起きているときにけられたりたたかれたりしている。先生どうにかできませんか」と書かれていた。悪質だったのは、小学校を指導する立場の野田市教育委員会が、怒鳴り込んだ父親の脅しに屈して心愛さんが書いたアンケートを父親に渡したことだ(2018年1/15)。このアンケートには、「ひみつをまもりますので、しょうじきにこたえてください」と書かれているのにだ(野田市は謝罪したが、この時の教育委員会の対応を非難する電話が山ほど来ているという)。
   心愛さんは、12月に児童相談所の保護が解除され、2018年1月には父親によって小学校を転向させられた。2月26日には、父親は、「お父さんにたたかれたというのは嘘です。・・・ごめんなさい」という心愛さんの文章を児童相談所に提示している。児童相談所は、3月下旬に小学校で心愛さんから、この文書は「父親に書かされた」と打ち明けられている。それにもかかわらず、その後はなぜか、児童相談所の職員はみあさんも父親も訪問することもなかった。新しい小学校(4年生)でも6月と11月にいじめアンケートが行われたが、何も書かれていなかったという(頼りの先生達が嘘をついたのだからもう誰も信じられないのは当然だ)。柏児童相談所は、心愛さんが学校に約1ヶ月間姿を見せないことを知った後でも訪問していなかった。そして2019の1月24日が最後の時となってしまった。

   家に戻された心愛さんに震え上がるようなことが起きたことは想像に難くない。それまでも叩かれたり蹴られたりしていたのだ。保護期間中も「父が怖い」と言っていたのだ。「お母さんはみかたしてくれない」とも先生に伝えていた(心愛さんにはお母さんだけが頼りだったのに。周りの人達は涙を流すことしかできない)。
   血縁がない親子でも幸せに暮らす人達は多い。父親がなぜ子供の虐待をするようになったのかは報道されていない。児童相談所にも言い分はあるだろう。毎日新聞の千葉版によれば、野田市だけでも要支援児童は約170人にもなると言う。担当する職員は足りていたのだろうか。柏児童相談所長は、2月5日に「虚偽を書かせた父親の行為を虐待ととらえるべきだった」と謝罪したと報じられたが、職員が少なければ今後も同じことは起きる。児童相談所に予算と人員を配置して欲しい。そして心愛さんに謝罪した上で、その死を無駄にしないように再発防止策を講じて欲しい(事件を忘れないようにするため、毎日新聞の2月6日までの記事に基づいて書きました)。   (先頭に戻る)

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No.153 「テレビとラジオの使い方」(2019.1.30)

私のまわりにはテレビは見ないという人が多い。私の場合は、朝ドラ「まんぷく」は毎日見ているが、他は科学・歴史・芸術のスペシャル番組を録画しておいて気に入ったものをときどき見るくらいだ(先日の大坂なおみ選手の全豪オープン決勝はテレビで見た)。最近では、ラジオで、ニュース、天気予報、音楽、トーク、解説などを聞くことが多い。特に意識して聞いているわけではないが、パソコンなどの作業をしているときにラジオをつけている。作業も進むし、時々気に入った音楽(歌)や知らない分野の解説が聞けると得をした気がする。

   今日1月30日にNHKラジオを聞いていたら、午後に国会中継があった。一昨日の首相の施政方針演説に対して、立憲の枝野、自民の二階、国民の玉木の各氏が代表質問をし、首相や閣僚が答えていた。厚生労働省の毎月勤労時計の不正(統計法違反)があったので、与党も野党もこの問題を取り上げた。森友・加計問題のような政治家の介入はなかったらしく、与党も元気よく追及していた。玉木議員の質問の際には、自民党の若手議員からのヤジがあり、玉木議員は「静かにしてくれ」と叫んでいた。以前は安倍首相自身がヤジをしていたのだから、与党の若手がヤジをするのは当然かも知れないが、政権側のヤジは言論抑圧のような感じで聞き苦しい。中継を視聴している国民のことは意識しないのだろうか。
   与党は、総じて施策を自画自賛する内容である。野党は、どうせ木で鼻をくくったような回答しか得られないと思っているせいか、政府を追及することよりも国民に直接訴える演説になっていたように思われた。質疑応答をどう評価するかは、もちろんそれぞれの視聴者が自分で判断するしかない。

   テレビやラジオでは、政治の話はニュース解説や政党討論会を除けばあまり報道はされないが、生活に関わることが多いので、私はもっと報道して欲しいと思う。NHKは1チャンネルを常に国会審議の専用にしてはどうだろうか。国会議員は、いずれかの委員会に属することになっている。衆参それぞれに、法務、外務、文部科学、農林水産、通商産業、環境、安全保障、厚生労働などの常設委員会があり、法案はここで審議される⇒(
衆議院委員会)。自分が選んだ議員がどんな発言をするのか、その人に投票をした有権者なら聞きたいのではないだろうか。
   委員会で、与野党の議論、政府側の回答が身近に報道されるようになれば、政治に対する関心が高まる。有権者が視聴していると思うと議員は謙虚になり、愚かな意見を述べて恥をかかないように勉強せざるを得なくなると思う。選挙区の人に活躍ぶりを見せることもできる。現在でも委員会には議事録が作成され、官報で知ることはできるが、議事録を読む人は殆どいないだろう。発言がその場で報道されるようにならなければ、国会は一時的な密室になってしまう。国会運営の改革の動きがあり、ペーパーレス化や採決の迅速化が検討されているというが、主権者である国民をいつも意識して審議をしてもらうことの方が、はるかに重要だと思う。   (先頭に戻る)

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No.152 「サツマイモ水栽培の観察結果」(2019.1.20)

2016年の夏(8月)に友人のNさんが、「サツマイモを容器の水に浸しておいたら葉がでてきた」と写真を送ってくれた。私は「継続して観察して欲しい」とお願いした。それから2年半経過した2018年12月にそれが完全に枯れたことが確認された。この間、与えたのは水だけ。サツマイモにはデンプンが蓄積されているが、土のない状態で水だけ与え、しかも直射日光のない室内での栽培である。私は1年以内には枯れると予想していたので、この結果には驚きであった。この間、Nさんは、毎週1枚以上の写真をコメントとともに送付して下さった。写真は150枚を超える。その結果をここで紹介したい(参照⇒Nさんからの写真とコメント

   【サツマイモの盛衰(季節の変化を反映)】
    サツマイモ(Ipomoea batatasは、ヒルガオ科サツマイモ属の種で、原産地は中南米だ。条件さえよければ永続して繁殖する。Nさんの写真を2ヶ月間隔で並べてみた(下の写真)。縦の列は、同じ月なので比較ができる。上段は2016年8月から2017年6月にかけて、中段は2017年の8月から2018年の6月まで、下段は2018年8月から12月までの状態を示す。最後から3枚めと2枚目は、試験が終わって2018年12月24日に乾燥させたイモの表と裏。裏は根の痕跡が網目状に見える。最後の写真は2017年5月の白い根が水の中に生えている様子。
   これらの写真からは(1)全期間を通して寒い期間には、葉が枯れるので緑が少なくなること、(2)春から夏の間は緑の葉が増えていくこと、(3)2年目は初年目に比べ冬の間も比較的緑を保っていることが見て取れる。Nさんの話では、2年目は冬季には暖房が入れたとのことだったので、寒い時期でも葉の枯死が少なかったと思われた。Nさんは、2017年10月23日には容器の中にボウフラが泳ぎ回っていたこと、2018年3月12日にもボウフラが見つかったことを記述されているので、暖房の効果は確かにあるのだと思われた(ボウフラは水温20℃程度で活発になる)。

   【水と土(肥料)、温度、光の影響について】
   サツマイモは「荒れた土地でも良く育つ」と言われている。これはサツマイモが土壌中の窒素固定菌との共生により肥料成分の窒素分を得ることができるためだ(救荒作物と言われる所以)。Nさんの水栽培では水中でもしっかりと根は出ている(下段右の写真)のだが、水の中には窒素固定菌がおらず窒素分は与えられないから、茎や葉は増えないのだろう。
   温度が茎や葉の伸張に影響することは写真でも明らかだが、根についても同様である。家庭での保存は、「サツマイモは冷蔵庫にいれるな」と言われているように、温度が13~15℃、湿度90%以上が適している(JAなめがた)。気温・水温が低くなると根が傷んで腐ってしまい、イモ(塊根)が作られないのだと思われる。
   光は、直射日光ではなく室内のカーテン越しの光である。緑の葉があるので多少の光合成はできたと思うが、呼吸や茎葉の伸張などで消費するエネルギーの方が大きかったのだろう。

   この水栽培は厳密な試験とは言えないが、生きるための要素を知る上での参考となった。光や水、土壌の重要さは教科書に書いてあるが、その意味が分かるという点では実際に自分の目で観察することが大事だ。小学生のアサガオの観察やサツマイモ畑の植え付けや芋掘りも人が生きていく経験として意義があるような気がする。生き物が死んだり枯れたりすることを見るのも大切だ。Nさんは水だけで栽培することに「可愛そう」という感じを述べられているが、私も同じ気持ちがした(この感情はどこからくるものだろうか)。蓄積していたデンプンなどの養分を全て使い果たして枯れていったサツマイモ君にお礼を言いたい。そして2年5ヶ月間継続して観察を続けて下さったNさんに感謝します。   (先頭に戻る)

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No.151 「人工知能の弱点と人の弱点」(2019.1.11)

2年ほど前にNo.7 「人の進化と人工知能の進化」を書いた。人工知能(AI)の進化を手放しで嬉しがることはできないという趣旨だが、その時はAIについても人についても、本当はそれらの何が問題なのかを私は理解してはいなかった。ロボット社会への漠然とした不安を語ったに過ぎない。
   しかし、今年Mさんから贈られた1冊の本を読んで問題を考える一つの視点を得た。タイトルは「AI vs. 教科書が読めない子供たち」(新井紀子著)。著者は法学士であり、米国に留学した数理論理学の理学博士でもある。単なる評論家ではなく、人工知能プロジェクト「ロボットは東大に入れるか」のリーダーである。

   著者は、この本で、現在人間が受け持っている多くの仕事が将来AIに取って代わられる予想を紹介しながら、AIのできることとできないことを具体的に示している。また、AIとの比較のため、多くの中高生や社会人に試験問題を出して、人がなぜ間違うのかを調査している。
   この本を読むまでは知らなかったこと、著者の説明で納得できると思ったことを3つ書き出してみた。
   1.現在のAIにはできないことが沢山ある。できることは、数学的な論理、確率、統計による作業だけである。言葉の意味を理解することはできない。人が厳密な定義を与えた場合には理解できるように見えるが、その作業は人間の仕事になる。例えば、「私は山口と広島に行った」は翻訳できない(人の名前か県名かが指示されていないため)。ディープラーニングには膨大な量のデータを統計処理をするので、将棋のようなルール化された仕事以外では、データ集めの効率が悪い。もちろん新しい事象には対応できない(だから東大に入る水準のITを作ることはおそらく不可能)。 
   2.人の場合は、大人も中高生も読解力が弱い。大半の人は、中学高校レベルの教科書の日本語を正確に理解できない(早とちり、複雑なことは避ける。意味を考えない性向のため)。つまりは、意味を理解できないAIを使うためには意味が理解できる人材が求められているというのに、多くの人はAIと同じ弱点を持っているということだ(むろん計算の正確さや速度はAIにはかなわない)。 
   3.AIが人間の能力を超えることはない。神になったり、人間を支配したりするようなことはあり得ない。ロボットが新しいロボットを生み出すというシンギュラリティ(技術的特異点)は物語りの世界だけのことだ。だが、形式化(数式化)できる多くの仕事はAIを駆使したロボットや事務機器に置き換えられる。仕事を奪うのはAIではなく人件費を節約したい企業・経営者である。将来は、複雑な分野は人手不足が続くが、単純な分野は失業が増える。だから人はAIが苦手な分野(意味の理解が必要な分野)の能力を身につけることが求められる。

   この本を読んだ感想を一口で言うならば、「対処法はあるのだから、未来は悲観するほどのことはない」ということだ。AI時代で仕事を奪われないためには、基礎的読解力(物事や人を理解するコミュニケーション力と言っても良い)が求められる。その教育は簡単ではないが、不可能でもない。
   ところで昨年は、東京医科大が文科省の局長の依頼で息子を入学させた事件が発覚し、その関連で他の医大にも調査が行われた。その結果、順天堂大学では「女子はコミュニケーション能力がある」からという理由で不利な扱いをしていたことが分かった。この能力こそが、AI時代にあっては最も大切であり、医師では特に患者との関係でその能力が重要だというのに。このニュースを聞いて、人間社会に棲む残念な生き物を見たような気がした。   (先頭に戻る)

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No.150 「2019年正月の夢」(2019.1.5)

昨日夢を見た。元旦以来いくつかの夢を見たはずなのだが、はっきり覚えているのは次の夢だ。
   「大きな建物内に居て、私は何かの会議の準備をするように指示されていた。データを集めて提出資料を作成するのだ。ところが、自分の部屋も机も分からない。誰かが「こっちですよ」というので、着いていくと地下室のような狭い部屋で、数人が打ち合わせをしている。見覚えのある顔もあった。数学が得意なSさんは「こんな資料はでたらめだから、今から作り直す」という。彼が手にしている紙切れは新聞折込み広告だった。私の上司は「君もいたのか。今はこの職場も変わってしまった。ところで靴下ははいていた方がいいよ」と言う。自分の足下を見ると靴下がなく素足に革靴だった。突然何かの物音がして「ここはダメだ。逃げろ!」と誰かが叫んだ。「こっちです」という声に導かれ更に階を下り、石造り廊下の壁の一部を取り外すと狭い場所が現れた。そこには煙草の吸い殻などが散らかってきれいではなかったが、そこに身を潜めるしかなかった。」

   咳き込むような感じがして夢から覚めた。夢というのは、心に気になるものや身体の調子を反映して出てくるものらしい。今回の夢は、正月疲れなのだろうか。何かに追いかけられる夢だった。夢に出てきた上司のKさんから元旦に「75歳になったので年賀状は今年限りとする」旨の賀状をいただいたばかりだったから、そのことが頭に残っていたのかもしれない。
   年賀状は段々と出す枚数が減っていて、今年は90枚ほどになった。職場では虚礼廃止というかけ声で年賀状を出さなくなって久しいが、親しい友人や特に世話になった人に新年の挨拶を出すことは、楽しい風習ではないかと思う。学生のころから何十年も会っていないのに年賀状を出し続けるのは相手のためというよりも自分の為なのではないかと思っている。出す義務はないが、出すことによって心が落ち着くのだ。1年に一度も会わない人にも近況や質問を書いておくと、1年後に質問の返事やコメントが来たりする。1年という長い間隔をおいた会話である。

   江戸いろはかるたの最後に「京の夢大阪の夢」という句がある。夢の中では京と大坂が入れ替わったりする夢の理不尽さを強調しているという説がある。また京では公家の官位をもらい大阪では大商人になって栄華を極めるとかという縁起のいい夢を表しているという説があるが、作者はどういう意味でこの句を作ったのだろう→(
故事ことわざ辞典)。私が考える「夢」とは、栄華や出世を望むというようなことではなく、ゆめかまぼろしかといった、人生のはかなさ・諸行無常を教えているように思われる。永久不滅なものは無く、はかない人生だからこそ、今日を後悔しない充実した生き方をせよと言っているように思うのだが、どんなものだろう。
   ところで、一度でいいから富士山や鷹の初夢を見たいと思っているが、未だ嘗て見たことはない。茄子の夢も見たことがない。縁起の良い夢を見る秘訣はあるのだろうか。   (先頭に戻る)

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No.149 「2018年は煽られた年」(2018.12.30)

平成30年は暮れようとしている。恒例の漢字一文字は「災」と清水寺で発表された(12/12記事)。大阪府北部や胆振東部の地震、豪雨、猛暑、台風被害、草津白根山の噴火などで大勢の死傷者が出ているので「災」も分かるが、実際は死者を伴う災害は毎年起きている(内閣府災害一覧)。災害に関しては、温暖化の影響や地震の頻発時期になっているので、私は、自衛隊の予算を削り防災省を作って災害に強い国造りを急いで欲しいと思っている。
   それはそれとして、私はこの1年の世界を振り返り「煽」を選ぶ。この字の意味は、火を扇で仰ぐ(火に油を注ぐ)という行為である。昨年は世界最大の強国にトランプ大統領(大王)が就任して人々の分断が進んだが、今年はトランプ風に世界が更に煽られて状況が一層悪くなったように思うからだ。

   EUでは英国のEU離脱だけでなく、各国に難民・移民を受け入れない勢力が増え、域内の繁栄と寛容を誓うEUの土台に亀裂が入り始めている。アメリカはエルサレムに大使館を移してイスラム教徒の憎悪を煽り死者がでた⇒(ロイター5/15)。トランプ型の政治指導者はブラジルなどにも現れている⇒(BBC10/29)。
   東アジアも例外ではない。北朝鮮の核とミサイル開発は凍結されているものの、連携して非核化を目指すはずの韓国政府と日本政府との関係が極めて悪くなってきた。従来ならば、アメリカが日韓それぞれに問題を大きくしないように説得に回るところだが、トランプ大統領にはその気配はない。むしろアメリカは朝鮮半島の不安を材料に日本に高価な迎撃ミサイルや戦闘機を売りつけることに成功した。
   大国の米露は、売り言葉に買い言葉で再び核ミサイルの開発を進めようとしている。米中関係は更に深刻である。互いに最も重要な貿易相手国であるにもかかわらず、関税の引上げ競争をしている。それぞれの国内の消費者や企業が困ることにもお構いなしだ。この秋以降、米中経済の先行き不安から世界の株価が大幅な値下がりしている。アベノミクス成果(?)の第一だった株価上昇も消えてしまうほどだ。

   日本は、年末にIWC(国際捕鯨委員会)から脱退を表明した⇒(毎日10/27産経12/26)。世界の加盟国の多数が反捕鯨に傾くなかで商業捕鯨を復活したいという自民党幹事長らの意向があったと報道されている。和食が世界で評価される時代である。伝統ある食文化を大切だとするならば、むしろIWCに留まって理解を求めるべきではなかったのかと思う。
   世界の多くの人々は、象牙、べっ甲、犀角など伝統文化を捨ててでも野生生物の種を守りたいと考えるようになっている。日本でも鯨のジャンプや子育てを見て楽しむ人達が増えている。加盟国を説得できないから脱退するというのでは単なる我がままに過ぎない。
   自民党は、外務省や水産庁幹部に「南氷洋や公海での捕鯨はしないから欧米も理解してくれるはず。丁寧に説明して理解を得よ」と指示しているようだが、「排他的経済水域であろうと、野生生物の保護は大切なのだということを忘れていやしませんか」と言いたい。大量の酸素を供給しているアマゾン流域の開発はブラジル政府が勝手にやっても構わまいという時代ではない。アフリカの象はその生息する国が自由に利用しても構わないという時代ではもはやないのだ。政府は「トランプ大統領ならIWC脱退を理解してくれる」と考えたかもしれないが、その考えは世界に「日本人は勝手な国民だ。野生生物の保護には熱心ではない。マグロやウナギも日本人が食べ尽くしてしまう」などという偏見を煽ることになるかもしれないと思う。

   今年は世界が煽られた年だった。来年も楽観はできない。むしろトランプ大王のやり方をまねる政治指導者が増えると懸念している。 世の中をしっかり観察して来年も随想を書き続けたい。
   私の随想を読んで下さった皆様のご健康とご多幸を祈っています。   (先頭に戻る)

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No.148 「納豆とヨーグルトの効果」(2018.12.25)

私の朝食には納豆が欠かせない。これがないと何か欠けたような気がする。納豆は卵入りだ。卵はレンジで加熱して半熟状態にすると柔らか過ぎず程よい食感になる。他の品目はご飯と味噌汁とトマトだ。20年ほど前に子供科学雑誌に栄養学者が、納豆、ネギ、ご飯(米)の組み合わせをゴールデントライアングル(完全な食品)と紹介していたのを見たので、朝食のメニューには自信を深めた。
   最近、これにヨーグルトが加わった。この秋に親しい人からヨーグルトメーカーという器具をいただいた。これは1リットルの牛乳パックを40℃程度に保温することができる電気製品だ。市販のヨーグルトを100グラムほど加えて8-9時間保温すると牛乳がヨーグルトに変わる。納豆には血栓を防ぐなどの有り難い効果(
納豆効果)があるが、ヨーグルトにはどんな効果があるのか。

   ヨーグルトの効果としてあげられるのは、免疫力のアップやアレルギーに効くことだ(参考1)。美肌効果があると説明しているサイトもある(参考2)。しかしいずれの効果も人間集団を対象とする疫学的なデータが不明である。調査方法が難しいのだ(乳製品を食べない人でも魚介類でバランスをとっているので、ヨーグルトの効果が見極めにくい)。それでも共通している説明は、ヨーグルト菌の働きで腸内環境を改善するということだ。その働きで善玉菌を増やすのだという。便秘が減るので、その分肌もきれいになるかもしれないということらしい。食品メーカーはいろいろな菌を開発している。死んだ菌では効果が出ないので生きた菌を腸内まで届けるのだという。
   マイナスの効果の例では、ラットにヨーグルトを食べさせて白内障になったという説がある(私も白内障が進行しているのでドキッとなった)。この論文について日本乳業協会は、ラットの実験を人間に当てはめると20Kgもヨーグルトを食べることになり人間に当てはめるのは適切ではないと説明していた。当然の反論だと思う。おそらくは、納豆など体に良いといわれるものを食べたとしても、それだけで完全というわけではない。食べものについては、それしか食べない「ばっかり食べ」や「食べ過ぎ」は逆効果なのだ。ヨーグルトで言えば、プレーンは食べにくいからとして、一緒に糖分を取りすぎることも問題になってくる。

   健康とは、病気ではない状態だけを指すのではなく、精神的にも良好な状態が維持できることだ。働き方、人とのつきあい方、睡眠、生活環境(経済状態、衛生状態、自然環境)も全て健康に関係する。根拠が明らかな場合は別だが、何でも心配し過ぎることは健康を損なうことにもなる。だから健康を維持する意味では、食べものの選択は、ほどほどにすることが良いのではないかと思う。時には羽目を外すことがあるとしても、日常生活では、好き嫌いをいわずバランス良く、昔から大勢が食べてきたものを食べ、楽しい会話などと一緒に食事ができれば十分なのではないかと思っている。   (先頭に戻る)

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No.147 「せごどんの戦争(えびの市資料館の見解)」(2018.12.15)

今月の9~11日に熊本・宮崎を旅行した。長年の友人Mさんに会い、観光地巡りをすることが目的だった。NHKの大河ドラマで取り上げられていたせいか、熊本市、人吉市、えびの市で西郷隆盛の話を見聞きする機会があり印象に残った。これまで、随想のNo.130、No.131、No.135で「せごどんの戦争」について書いてきた。これらの地域の人達が、西南戦争と西郷隆盛をどう評価しているかを知っておくことも必要と思ったので、書き連ねることとした。
   幕藩体制から明治政府になっても、武士の意識が急に変わるわけではない。明治政府の指導者達が近代化を目指すのに反撥して、武士(さむらい)意識のまま不満を持った士族たちが新政府の指導者でもあった西郷隆盛を頼って集まったのは、自然の成り行きだったと思う。
   熊本、宮崎、鹿児島は西南戦争の舞台となった。明治10年の西南戦争は2月から9月(9月2日西郷49歳で自決)まで7カ月間だ。熊本城(写真左は修理中の城)を攻略できなかった西郷軍は、田原坂での戦いで敗れて以降、敗北を重ねて行く。

   今回訪れた人吉市では、
武家屋敷の家の前に西郷隆盛の等身大のパネルがあり、顔をのぞかせて記念写真を撮れるようになっていた(写真中)。現在の人吉市内は官軍と西郷軍との戦場になった。地元の士族の中には、親子で官軍と西郷軍と分かれて戦うはめになった人もいる。
   現在のえびの市も戦場になった。西郷軍はここを通って熊本に向かい、人吉で敗れてここで戦い、その後延岡に向かってから鹿児島に帰るときにも、ここで戦いをした。えびのは3度戦場になったのだ。えびの市の歴史民俗資料館の特別展示では「えびのから368人の若者が従軍し54人が戦死した」と書かれており、人家の焼失や文化財の破損も含めて、「莫大な有形無形の損失」が出たとの見出しがある(写真右)。
   明治6年の政変で西郷は新政府を辞任する際に漢詩「辞闕」を詠んだ⇒(北九州市博物館学芸員日比野氏解説)。この漢詩からは、西郷が大久保利通らに腹をたてていたことが伺える。いつか自分の正しさが分かるだろうとも述べているが、事情を知らない者には独り善がりの感じを与えている。
   西南戦争は、NHK大河ドラマで印象を受けるような政府に抗議する士族のデモ行進のようなものではない。鹿児島県庁(宮崎支庁や区戸長など行政機関)を通じて戦闘員を集めたり、西郷札を発行して資金集めもしている(えびの市の資料館でも西郷札の展示があった)。西郷隆盛がそれを知らなかったはずはない。偶然に起きた紛争ではなく、組織され計画された戦争である。

   新政府の高官の汚職などに愛想をつかした人々が義を重んじる西郷隆盛に共感したことや、西南戦争で敗れた大将に同情する判官びいきのような心情は理解できる。西郷もまた田舎暮らしをして農民を大事にしてきた人だっただろう。しかし、戦争を始める前の西郷に明確な見通しがあったのだろうか。それとも歴史家の磯田さん(大河ドラマの歴史考証役)などが書いているように「自分が不平士族と一緒に死ぬことで、残された人々が近代的な国づくりができる」と信じて、敢えてこの道を選んだのだろうか。度胸と思いやりがある偉大な戦略家・政治家だという評価には賛同するものの、西南戦争に関しては、不幸なことに西郷隆盛は不平士族の死神となってしまった。
   西南戦争で見られた「大義のためには、死ぬこと・殺すことを恐れるな」という武家の美学が、陸軍に引き継がれ、日中戦争、太平洋戦争においては一般人にまで広められたという点では、日本人に大変な不幸をもたらしたように思われる。この意味では、良く知られている「忠臣蔵」にも同様の危うい効果がある。武士の誇る「美学」は、百姓や町人にとっては災いをもたらす武士の「呪い」にもなり得る。   (先頭に戻る)

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No.146 「ホームページの移転の難しさ」(2018.12.6)

私は、この「ベランダ植物界」とは別のホームページ(有料)を1つ作成・運用している。10月に、そのサーバーを提供しているヤフー株式会社から「2019年3月末にホームページのホストサービスを終了する」旨を通知された。移転先となるレンタルサーバーの会社がいくつか推薦されていたので、先週から今週にかけて、そのうちの1つ(さくらインターネット)でホームページの引っ越し作業をした。正確には同じ内容のホームページを別のURL(ウエブページ上のアドレス)で作っただけだ。それだけなのに、とても苦労した気がするのでその概略を記述しておきたい。

   大まかな手順としては、初めに移転先のさくらインターネットに会員登録をし、レンタルサーバーの申込をする。そして、レンタルサーバの利用に必要な情報が送られてくるので、それに従って、自分のパソコンで作成しているホームページのファイルをアップロードするのだ。利用者の作業が完了するたびに、登録しておいたアドレスに、レンタル会社からメールで①「会員登録が完了しました」、②「クレジット情報が登録できました」、③「申込受付が完了しました」、④「サーバーの仮登録が完了しました」と知らされるので、作業の手順が間違っていないことが確認できる。この点は安心できた。
   苦労だったのは、サーバーの仮登録が完了してレンタルサーバーを利用する段階だ。会社から送られたコントロールパネルのURLをクリックしてパネルを開いても、その画面のボタンが全く反応しない(次のステップへ行くページが開けない)のだ。顧客の指示がネットワークに浸透して実行できる様になるまでには、数時間かかるということだったようだ。困って会社のカスタマーセンターにメールで問い合わせた。翌日に「既に使えるようになっているはず」という返事とともに、マニュアルが送られて来た。「やれうれしや」と感謝したことはいうまでもない。

   だが、マニュアルの手順に従ってファイルをアップロードしようとしたができなかった。自分のパソコンにあるファイルをサーバーに送るためにはFTP(File Transfer Protcol)という指令をする必要がある。この会社の場合、アドビ社のFlash Playerが必要とのことだが、私のパソコン(Windows 8.1)にはそれが入っていない。そこで購入することも検討し時間を費やしてしまった(そのせいでアドビの宣伝がポップアップしてくるようになった)。カスタマーセンターからはFFFTP(FTPソフトの一種)でも可能という返事とマニュアルが送られて来たので、それに従ってアカウントやパスワードを入れることで何とかサーバーが開きアップロードができたという次第である(ヤフーで使っているURLをそのまま使えないかも検討したが更に難しそうで中止)。
   入力の間違いは頻繁にあるし、インターネットのセキュリティが働いているために、パネルが開けないという現象もあるので、問題が起きたときに何が原因か分からないことが多い。だから、パスワードやアカウントの入力を繰り返すことになり時間だけが過ぎていく。ヤフーのサービス終了通知によって、いろいろ試行錯誤をさせてもらった。おかげで、以前にダウンロードしたのに使えないと思っていたFFFTPや検索エンジンのFirefoxが使えることが分かったのは、思わぬ副産物だった。
   参考諺:犬も歩けば棒にあたる、ひょうたんから駒。
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No.145 「こんにゃく座の日本語オペラ」(2018.12.1)

今週月曜日の夕方に外食で辛いものを食べたせいか、そのあと胸が苦しくなり深夜にとうとう吐いてしまった。その影響が1週間続いていて、今でも完全に回復した感じがしない(なのでこの随想も土曜日になってようやく書く気になった)。それでも頑張って水曜日には、地元の演劇鑑賞会のこんにゃく座のオペラ「アルレッキーノ」を見に市民文化ホールに出かけた。オペラを生で見るのは始めてだったので、声楽家のような歌声ばかりでは話の筋が追えないのではないかのと危惧していたが、案に相違して分かり易く、面白かった。講演終了後のロビーでの交流会にも出てしまったほどだ(参照→アルレッキーノ歌と動画・1分半)。オペラというのは、昔イタリアで誕生した音楽劇で楽士を伴奏とした歌手による劇だ。このオペラの原作者はカルロ・ゴルドーニ。18世紀イタリアを代表する喜劇作家で近代演劇の父といわれているそうだ。

   話の筋は、お調子者の道化のアルレッキーノが、給料が2倍になると考えて、2人の主人に仕えると言う話だ。舞台の背景に細い月がかかっていてファンタジーのような世界を醸し出している。ザンニ(いたずら悪魔が語源)という4人の脇役の道化が、歌ではやし立てたり、話の進行を解説をしたりするので、容易に理解できる仕掛けになっている。
   そして、この芝居の歌もせりふも日本語だった。最近、友人のMさんがプッチーニのオペラ「西部の娘」のアリア(独唱曲)「やがて来る自由の日」をイタリア語で朗々と歌うのを聞かせてもらった。すごいとは思ったが、イタリア語を知らない私には、今ひとつという感じは否めなかった。日本語であれば、歌はぐんと身近に耳に響き頭で理解できる。
   カルロ・ゴルドーニは、ベネチアの庶民(金もなく字も読めないような人々)を大事にした人だそうだ。この物語には3組の結婚話が進行しており、アルレッキーノの振舞いが切っ掛けとなっていずれの組も話がまとまる(アルレッキーノ自身も自分が愛する召使いの女性と結婚が許されるというハッピーエンドになっている)。社会問題を扱った芝居は登場人物の生き方に共感して感動できるものだが、ハッピーエンドで終わる話は、楽しいし元気が出てくる。腹立たしいことが多いのが現実世界だ。時々は愉快な出来事や話に接しないと生き辛くなる。喜劇はそのためにあるのだろう。

   オペラは、歌の良いところと芝居の良いところの両方を組み合わせているので、純粋に楽しめるものだと気づいた。オペラシアターこんにゃく座は、来年2月に新作のオペラ「遠野物語」を予定しているとのこと。何とかして見に行きたい(参照→こんにゃく座)。
   地元の演劇鑑賞会(NPO法人)には、2年前に友人に勧められて会員になった。毎月2千円を支払って、年に6回の演劇が見られる。つまり1回4千円で、都内に行かないでも有名な芝居を見ることができるのはうれしい。入会当初は1年で止めようかなどと思っていたが、今では、次回が待ち遠しくなってきた。次回は来年2月に前進座による山本周五郎の柳橋物語である。 たのしみ、たのしみ!   (先頭に戻る)

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No.144 「不平等条約の改正をめざせ」(2018.11.21)

日本には明らかな不平等条約がある。No.112「独伊の駐留米軍と在日米軍比較」でも書いた日米地位協定のことである。米兵などによる犯罪、米軍のオスプレイの事故、米軍機からの落下物による水産業の被害があっても、日本政府がまともに調査をすることさえできない。沖縄に集中する基地、東京の上空も米軍優先、日本の法令を守らない治外法権を認める体制が残っている。
   今年8月全国知事会は、日米地位協定の抜本的な見直しを政府に申し入れた(⇒8/14知事会7/27米軍基地負担の関する提言pdf )。与党の中にも、少数だが日米地位協定の見直しを主張している議員もいる。 そこで日本史の教科書でも習った過去の条約改正の努力について復習してみた。

   幕末に井伊直弼が結んだ日米修好通商条約は、安政の五カ国条約(米英仏蘭露と締結)と言われる。外国人が日本人に対して法を犯した場合に外国の領事が自国の法で裁判をする領事裁判権制度(治外法権)を認めたことと、日本側に関税自主権がないことが最大の問題だ。領事裁判権の弊害は次の事件を通して国民の目にも明らかになっていった。
   ①アヘンを密輸した英国人を「生アヘンは薬用だった」として無罪にした明治10年のハートレー事件
   ②神戸港で停泊中のドイツ船でコレラらしき病気が発生したのに、日本側には検疫をさせず出航した明治12年のヘスペリア号事件
   ③横浜から神戸に向かうイギリス汽船が暴風で紀伊半島沖で沈没し、英国船船長が30人の乗組員中ヨーロッパ人26名を救命ボートで救助したのに、インド人火夫と25人の日本人全員を死亡させた明治19年のノルマントン号事件。神戸の領事は「船長は過失責任なし」とした。
   明治政府は、条約改正のため明治4年に岩倉具視を派遣したが失敗に終わった。文明国になったことを示すため鹿鳴館での舞踏会も催したが、この頃はまともな交渉相手にされていない。不平等条約の改正が実現したのは、陸奥宗光(明治27)、小村寿太郎(明治44)の時代である。岩倉の派遣から40年間かかっている。この間に、大日本帝国憲法の発布(明治21)、帝国議会(明治23)、日清戦争(明治27)、日露戦争(明治37)、日韓併合(明治43)の経過がある。なぜこんなに時間がかかったのか。

   当時は帝国主義・植民地主義の時代である。外交の重要性を理解する国民は少なかった。列強から見れば、日本は法制度などの知力・経済力・軍事力が対等の相手とするに足らない国だったのだろう。「詳説日本史研究」によれば、英国が日本と領事裁判制度を撤廃した条約(明治27日英通商航海条約)を結んだのは、シベリア鉄道の建設を進めていたロシアの勢力を東アジアに拡大させないためだったとのこと。英国の思惑は英国の政策に日本を利用することだった。関税自主権の回復は日露戦争の勝利から6年も後になった。一度手にした利益は容易には手放さないのが国際社会だ。
   現代の不平等条約はどうなるのか。昭和26年(1951)にソ連や中国などを除く48カ国と日本とがサンフランシスコ平和条約に調印し独立を回復したと言われているが、実際は沖縄の占領や米軍基地の治外法権は継続したままとなった。今でも米軍に守ってもらいたいとか、米国に従っていれば何とかなるだとうという楽観的な人もいるが、不平等な条約を放置したままでは、日本の負担や犠牲が増えるばかりにならないか危惧される。全国知事会の提言は控えめだが、まともなことばかりだ。この提案通りに政府が米国と交渉を始めたとして、やはり40年もかかるのだろうか。   (先頭に戻る)

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No.143 「カンガルーから考える」(2018.11.10)

カンガルーやコアラは、おなかの表面に袋(育児嚢)をもち、その中で子供を育てる。この特徴から有袋類と呼ばれている。草食性で愛らしいので動物園でも人気がある。いずれもオーストラリア大陸とその周辺にしかいないが、時速50kmでホッピングして草原を走るカンガルーをみると、繁栄している生き物だという印象を受ける。ネズミ位の大きさから数十㎏の重さのものまでいて、形態も生息地も多様だ。
   どうしてそう思うようになったのかは忘れたが、私は、哺乳類の中でも有袋類は真獣類(ネコ、シカ、サルなど)に比べて進化が遅れており、滅びつつある動物だという印象を持っていた。たまたまオーストラリアに肉食動物(例えばライオンやトラ)がいなかったため生き延びたに過ぎないという理解だ。しかし、どうも違うようである。 次の表を見ていただきたい。

成獣雌の体重 妊娠期間 新生子体重 離乳日齢 育児嚢に留まる日数 出典・資料
オオカンガルー 27.6kg 36日 0.74g 540日 319日 遠藤秀紀「有袋類学」
コアラ類
Phascolarctos cinereus
4~11kg 34~36日 0.5g 360~380日 240~270日 遠藤秀紀「有袋類学」
ニホンジカ 25~80kg 220日 4.5~7kg 10~12ヶ月 環境省調査結果PZ-Garden
ニホンカモシカ 38.4±5.0kg 210~213日 3313~3708g 生後6~7ヶ月 落合啓二「ニホンカモシカ」

   いずれも草食性の哺乳類だが、有袋類と真獣類を比較して驚くのは、有袋類の妊娠期間の短さと新生子(赤ちゃん)の小ささである。妊娠期間は6分の1以下、新生子の体重は数千分の1である。小さく生んで大きく育てるという言葉があるが、それを極端に実現している。 動物解剖学者の遠藤秀紀さん「有袋類学」には、母親の育児嚢の乳頭にたどりつけるよう、有袋類の新生子は、嗅覚・触覚を発達させ、移動のための前足部分をしっかりと発育させているとのことで、小さいことが絶対的に不利というわけではないと書かれていた。むしろ、妊娠期間が短いことは、母親が天敵の攻撃を受ける機会を減らし、餌を求めての移動が楽になる。子供としても育児嚢内で育つことは、外界に早く慣れることができるメリットがある。

   オーストラリアは、その昔、南極や南米と地続きだったので、南極からは有袋類の化石もでている。南米にはオポッサムなどの有袋類が今も生きのびている。南米にもカンガルーやコアラなどの祖先となる有袋類がいたが、大陸が分かれた後に北米からやって来たジャガーピューマなどの肉食動物によって絶滅したという説がある。他方、南米から分かれたオーストラリアは乾燥が進んで密林が草原になり、そこで生き延びたカンガルーの祖先は、大型化したり、早く走り回れるようになったりして、現在の繁栄に至ったとも考えらるようだ。
   生物の「進化」とは環境に適応できるように種が変化することだが、どのような姿を進化した状態と見るかは一概に言えない。種としては世代を超えて形を変えてでも生き続けることが大事なので、そういう目で見ると、肉食動物と草食動物とでどちらが勝者・敗者かを決められないのと同様に、有袋類と真獣類では、いずれが進化した生き物であるということも言えないという結論になる。実際、微生物であろうと哺乳類であろうと、あらゆる生き物は、見方によってはそれぞれが進化の最前線に立っているとも言える。
   ヒトの場合は、技術や文明の力で地上のあらゆる環境に適応することが可能となったとも言える。しかし人口の爆発的増加とヒトの活動が、炭酸ガス排出による地球温暖化、化学物質や放射能による汚染、生物資源の枯渇(種の絶滅)をもたらしている事実もある。ヒトが適応できない環境を作りだしているという意味では、ヒトの場合は「進化」と呼ぶよりも、「退化」と呼ぶべきかもしれない。   (先頭に戻る)

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No.142 「本物のジャーナリストの帰還」(2018.11.4)

10月25日に帰国したフリージャーナリストの安田純平さんの記者会見が11月2日に日本記者クラブで行われた。安田さんは、40ヶ月に渡る拘束状態を時間を追って説明し、記者からの質問には考え込むような表情を見せながらとつとつと答えていたのが印象的だった(⇒Youtube2時間44分).
   シリアについては、多少の経過を知らないと安田さんの説明が理解できない。
   2011年3月に起きたシリアの民主化運動はアサド政府軍がデモ行進する市民に発砲したため挫折し、代わって欧米、ロシア、アラブ諸国の思わくも入っていくつかの反政府武装組織がつくられた。更にISという異質な武装集団が広い地域を支配したため、IS支配地域に米ロは空爆などを行ってきた(⇒末近教授解説)。このような時期に、安田さんは、2015年6月22日にトルコからシリアに入ったが、直後に正体不明の武装組織に拘束されたということだ。シリア入国の動機は、内戦下の市民生活の取材だった。これまでにもイラクの基地の建設現場や自由シリア軍に同行して取材をしている。今日シリアは、ロシアの支援でアサド政権側が体制を強化しており、情報は殆ど日本に入ってこなくなっている。

   安田さんの解放には、武装組織に日本から身代金が支払われたという噂も出ている。助けて欲しいというメッセージを込めた自身の動画を3度も放映されたのだから、そういう噂が出てくるのはあり得る。身代金の支払いは、日本の政府や企業からは金を取り易いと知らせることになる。邦人の誘拐を誘発する恐れがある。だから身代金は出すべきでないという考え方は一般論として当然と思われる。このことは、紛争地帯に出かけるジャーナリストに覚悟を求めることでもある。
   安田さんは、記者の質問に対して「紛争地に行く以上、自分の身に何かあっても、それは自業自得であり自己責任である」、「ジャーナリストの自己責任であることと、日本政府が救出活動をすることとは(政府は政府としての役割があるので)別の話である。皆さんには感謝している」と答えていた。蹴られたり、寝られないようにされたりの拷問が続いた反面、日記をつけるためのノートをくれたり、食事に果物やスイーツを出してくれたりと、待遇に変化も見られたということなので、武装組織と言っても一定の秩序を保った政治組織だったようだ。安田さんは、「帰国させるか殺すかどちらかにしてくれ」という要求をしたり、改宗してコーランを引用して相手を説得したりもしたとのことなので、そうした安田さん自身の態度や努力が解放に繋がったのではないかとも感じた。

   「ジャーナリストが危険地に行くことは自己責任」という意味は、政府による救出を期待しないという覚悟を本人に問うことであるが、「ジャーナリスト自らの責任なのだから政府によるジャーナリストの活動制限を拒否する」という意味でもある。ジャーナリストの仕事は、現地を訪れて事実や民意を集め報道することだ。政府の指示に従っているだけでは満足に仕事ができないことは言うまでもない。記者を危険地域に派遣しない大新聞はフリージャーナリストから記事を購入しているという話も聞く。
   嘗ての日本には、政府の発表は全て正しいとした時代があった。現代は、当事国の政府あるいはそれに敵対する勢力の発言を鵜呑みにすることはできない時代である。その意味で、安田純平さんのこの3年余の経験は、日本のジャーナリズムのあり方を問う材料になるものでもある。本物のジャーナリストとは、安田さんのように責任感と覚悟をもって現地に取材に行く人を言うのかもしれないと思った。   (先頭に戻る)

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No.141 「クラシックカーの魅力とは」(2018.10.26)

ある物事が人の心をひきつけて夢中にさせるような場合、私たちは「その物事には魅力がある」という。あたかもその物事が人をひきつける力を持つかのような表現だ。しかしある人にとっては魅力があっても、別の人にとっては魅力どころか嫌悪を感じさせることだってある。つまり、物事のほうに「魅力」という力があるのではなく、それに接する人が、夢中になることのできる力(感覚)を持っているということだ。だから、子供時代に夢中になった魚取り、石ころ集め、昆虫採集が、その後は関心が薄れたり、あるいはより魅力を感じるスポーツや文学、絵画、音楽、車などに対象を移していくことはあり得る。

   この10月の晴れたある月曜日に、コキアや菊の花を見ようと東京ドイツ村を訪れたときのことだ。たまたまクラシックカーのラリー“La Festa Mille Miglia 2018”の車が来ると知らされたので、少し予定を変えて居残り、1時間余りクラシックカーが目の前を通り過ぎるのを見た。ガイドによれば、1920年代~1960年半ばまでに製造された車である。このラリーは東京原宿を起点に福島など東北のコースを3日間かけて回るものだった。2人のドライバーが交替で運転するが、故障に備えて支援車を同伴しているグループもある。名車とはいっても、現代の車と比べれば乗り心地は悪そうで騒音も大きいように思ったが、ドライバーは、沿道にいる人に手を振って楽し気に見えた。夫婦や親子で運転している組も多かった。車に関心がない私でも、
アルファロメオベントレージャガーポルシェなどの名前は聞いたことがあるくらいだから、スポーツカーの愛好家には楽しいイベントなのだと思った。

   「古い車を維持し公道を走れるようにするのは大変だろうな。車検をクリアしなければならないし・・・」などとつまらぬ心配も頭をかすめたが、何か暖かさも感じた。村祭りで飾られた馬をみる、あるいは豪華絢爛の山車をみる感じなのだ。車は塗装が行き届いていて、カラフルできれいだった。ゴーカートのような小さい車もある。車輪にハンドルの動きをタイヤに伝える仕掛けが見られたり、排気管がむきだしだったりしている。車体が筒や小舟を思わせるデザインのものもある。タイヤが現在の車と比べて比較的大きく細く、交換用のタイヤを車体の横や後ろに見えるように積んでいるなど明かな違いも分かる。
   100台ものクラシックカーを見て、デザインに新しさと古さが同居していることを感じ、物語に出てくるドライバー(例えば「日の名残り」でフォードを走らせる主人公の執事)のもつプライド、喜びや時代から取り残された悔恨などに思い至った。戦国時代の城や蒸気機関車を見たときにも通じる懐かしい感覚である。魅力の源泉は、時代によって人によって変わる感覚や思いである。   (先頭に戻る)

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No.140 「沖縄県民と安倍政権との争いは続く」(2018.10.19)

9月30日に沖縄県知事選があり、米軍の辺野古基地建設に反対する玉城デニー氏が勝利した。玉城氏の得票数は、過去最高の39万6千票で、自民が推す佐喜真氏に8万票の差をつけた。8月末に沖縄県が埋め立て承認の撤回をしたのに対して、10月17日防衛大臣は沖縄県の撤回効力の停止と審査請求を国土交通大臣に行った。いずれも安倍内閣の下での大臣なので、国土交通大臣が防衛大臣の求めを拒む理由はない。玉城知事が「知事選で示された民意を踏みにじるもので到底認められない」と発言したのは、多数の意見を尊重する立場に立てば、当然だと思う。

   辺野古基地建設に関して、つい思ってしまうのは、大東亜戦争に敗れて米軍に占領された日本の地位は、米軍に対しては占領時代と殆ど変わっていないということだ。例えば、米軍基地は治外法権になっていることや東京の上空を日本の旅客機が自由に飛ぶことができないこと、米軍機の墜落事故があっても日本政府が現場検証できないことの問題点は、保守的な政治家(例えば石破氏)も口にするようになってきた。
   だが、沖縄県知事選挙では安保条約や日米地位協定が争点になったのではない。「もうこれ以上は沖縄に基地を押しつけないでくれ」という県民の深刻で、しかしささやかな願いだ。基地の影響を受けるのは沖縄県民である。メディアの中には、普天間基地の返還のためだと書いているものもあるが、辺野古基地を作ったら普天間基地が戻って来る保証は何もない。事実、対立候補の佐喜真氏が、普天間基地の全面返還を演説で訴えたら、官邸から叱られて「整備縮小」にトーンダウンせざるを得なくなったという背景を琉球新報が記事にしている(→記事10/4)。普天間基地全面返還を主張し、自民党がその方針で米国と交渉しているのであれば、あるいは佐喜真氏が勝利していたかも知れない。

   学者の中には、「国防は政府の専権事項であり、地方自治に委ねて良いことではない」と訳知り顔にいう人もいる。騙そうと思って発言しているのならともかく、何を根拠にそう主張するのだろうか。米軍の海兵隊に提供する辺野古基地建設が国防に当たるのかさえ疑わしい。憲法は自衛権を認めていると考えることもできるが、国防が政府の専権などとは書いてない。国会が国権の最高機関なのだから、判断は憲法と国会に委ねられるべきだろう。
   憲法には、地方自治の章を設けており、第92条に地方自治の本旨に基づいて運営する旨が規定されている。自治体が住民の意思に基づいて施策を行おうとすることである。翁長前知事は、元は自民党沖縄県連の幹事長だった人だ。玉城氏も沖縄の地元で苦労してきた人だ。玉城氏の勝利は、野党の勝利というものではない。自民・公明の支持者の多くも玉城氏に投票した。今回の選挙結果はアメリカでも驚きの目で見られているようだ。辺野古基地建設の取り止めは地方自治の本旨に叶う政策だ。
   日本が北朝鮮や中国とは違う国だといいたいならば、政府は辺野古基地建設を取り止め、普天間基地を全面返還するように、米国と交渉するしかないのではないか。当時の国会議員は賛成したがアメリカから押しつけられた憲法でもある。日米で民主主義や地方自治という価値観を共有しているのならば、アメリカ政府だって聞く耳を持たないことはないはずと思いたい。   (先頭に戻る)

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No.139 「マンションにたぬき?」(2018.10.12)

9月16日に、私の住んでいる集合住宅の玄関に管理組合理事長名で張り紙が出された。「タヌキが1階の部屋のメーターボックスの中にいたので気をつけて下さい。」というものである。3階にも痕跡があったそうなので、自宅のメーターボックスを覗いたけれど、いなかった。同じ町内に20年以上暮らしてきたが、タヌキの話は聞いたことがなかったので、ハクビシンか別の生き物と見間違えたのじゃないのかと疑っていた。パートナーに聞くと、「10年以上前だけれど、近くの別の町内で、『タヌキが巣を作っているので静かにして通って下さい』という看板を見たわ。今回のもタヌキかも知れないわね」という反応だった。理事長名の張り紙が未だに貼られているところを見ると、あるいはタヌキかもしれないという気になってきた。

   タヌキやキツネは昔話に出てきて親しまれている。私のいる町は、急速に宅地開発が進んでいるが、多少は畑や雑木林がある。タヌキは夜行性の動物で、藪や斜面にできた穴に棲んでいるようなので、人目にはつきにくい。ミミズや昆虫、ネズミや、果実、野菜など何でも食べる雑食性だ。都市開発で一時期減ってしまったが、近年では国営昭和記念公園、皇居、赤坂御用地、千葉市の青葉の森公園などにもいることが知られている。だから我が町にいたとしてもおかしくはない。それにしても、タヌキだとしたら我が集合住宅はフェンスで囲まれているのに、どうして入ることができたのだろう。そもそもどこから来たのだろう。
   物の本によれば、タヌキはイヌ科の祖先の種に最も近い原始的な動物とのことで、アナグマの穴を利用することはあっても自分で穴を掘ることはないそうだ。フェンスの切れ目か塀の下に穴が有るのかも知れないし、偶然に開いているときに入ったのかも知れない。そうなると出られなくなるので気の毒だ。
   どこから来たのかは、場所は特定できないが、タヌキの行動範囲(採食、繁殖、育児)が数10から100ヘクタール(1km四方)といわれているから、残りわずかな雑木林に棲んでいたものが、宅地開発で、追い払われてきた可能性はある。また、タヌキは初夏までに生まれたタヌキが居場所を求めて分散(この場合は10kmほど移動する)していくそうだから、その途中に立ち寄ったのかも知れない。

   タヌキは、東アジア(中国、朝鮮半島、ロシア東部)に自然分布している。日本のタヌキ(ホンドタヌキ)はその亜種で、大陸のものよりも犬歯が小さく(肉食性が弱い)、染色体数も大陸のものとは異なっているという。最終氷期(7~1万年前)以降、日本に隔離されたものが独自の進化を遂げたのだろう。
   タヌキは、絶滅危惧種ではないが、軽度懸念の対象となっている。以前、中国山地の山間を車で通ったときにその日だけでタヌキの事故死を2箇所で目にしたことがある。タヌキの交通事故死(ロードキル)は、年間11万~32万頭という数字もある→(
タヌキクラブ)。落ちた柿の実や畑の芋などを失敬して農家に迷惑をかけているタヌキもいるとは思うが、世知辛い世の中で、この親しまれてきた生き物が、都市近郊でも、細々とでも良いので生き続けて行って欲しいと願っている。   (先頭に戻る)

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No.138 「ヤマネ・森の海の航海者」(2018.10.5)

生物地理学は生き物の分布にかかわる学問だ。なぜそこに生き物AがいてBはいないのかということを説明する科学だ。進化や適応の理由が、生き物の観察、化石や遺伝子研究によって理解され始めている。日本では分布境界を指す用語として、有名なものにブラキストン線(津軽海峡線)がある。例えばヒグマは、本州には生息しておらず北海道にしかいないが、北米、シベリアなどに近縁種がいる。ツキノワグマは、本州、四国、朝鮮半島などにいるが、北海道にはいない。
   こうなったのは、これらのクマが津軽海峡を渡ることができなかったからだ。津軽海峡は最大水深450m(浅いところで140m)なのに対し、対馬海峡は90~100m、宗谷海峡は最深部でも60m位だ。氷期には130m水位が下がったといわれているので、九州は朝鮮半島と陸続きで繋がり、北海道はサハリン島と繋がっていた。ブラキストン線で生物相が変わるのは、クマのほか、キツネ、リス、フクロウなど多い。次に述べるヤマネ(ニホンヤマネ)もその一種だ、

   ニホンヤマネ (Glirulus japonicusという生き物は、本州、四国、九州、隠岐島の森の中に棲息している。リスに近いが体長は7-8㎝、体重20グラムほどで、樹上に棲み、木の皮や落ち葉で巣をつくる。蛾やアブラムシなどの昆虫、花、アケビなどの柔らかな実を食べる(ドングリは堅くて食べない)。夜行性で、寒冷になると冬眠(寒冷地では半年間ほど冬眠)する。
   ヤマネ科の起源はヨーロッパとされており、そこには現在も属が異なる何種類ものヤマネが棲んでいる。Glirulus属のヤマネはニホンヤマネを除き絶滅した。ニホンヤマネは、1属1種の日本固有種として1975年に天然記念物に指定された。準絶滅危惧種である。
   ヤマネ類の遺伝学的解析と化石研究では、5千万年以上前にヤマネ科がリス科から別れ、ニホンヤマネの祖先は2000万年以上前に他のヤマネ科から分かれ、少なくとも500万年前には日本に到達していたようだ。ニホンヤマネの移動には、必ず森が必要なので、時空を越えて地球を俯瞰してみると、ヨーロッパから日本まで、森が大海のように繋がっていたということだ。その森には蛇やフクロウなどヤマネの天敵も多く危険に満ちていたが、森は食べ物と隠れ家を提供してくれた。うまく子孫を残せれば1年で数十メートルずつ生息域を拡大する。そして、氷河期で陸続きになった日本の九州に渡ることができた。ニホンを目指して一直線でやってきた訳ではないから優に1千万年以上はかかっただろう。
   日本列島でもヤマネは更に進化と適応を繰り返し、今では毛色が異なるなど特徴をもったいくつかの集団(9つの遺伝子グループ)に分かれている。気象変化による植生の変化や海水面の上昇、地殻変動(山脈の形成・噴火)などがこの変化に影響したようだ。

   この話は、ニホンヤマネを40年以上観察してきた湊秋作さんの最近の著「ニホンヤマネ」にでている。湊さんは24年間小学校の先生をしながら各地のヤマネを調査されている。湊さん達は、森の中に道路ができてリスやヤマネの生活圏が分断されることを防ぐため、道路の両側の森をつなぐ回廊(吊り橋のようなものでアニマルパスウエイと呼ばれる)を作り、その有効性を確認している(参照:北杜市モニタリングYoutube)。知識を得るだけではなく、それを生かして環境教育にも力を入れられており、著者の生き物への愛情を強く感じる。
   この列島に人間が来るはるか以前からの住民(ヤマネ、ツキノワグマなど)を絶滅させてはいけないと思う。貴重な動植物を残すことは人間の子孫に遺産を渡すことでもある。1千万年以上かけて日本列島にたどり着いたニホンヤマネが、つい最近(1-2万年前)やってきた人間(現代の日本人)によって絶滅させられるなどということは、思っただけでも悲しい。   (先頭に戻る)

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No.137 「歳とともに時間が早く過ぎると感じる理由」(2018.9.30)

時計の動きで測れば、1秒は1秒だし1時間は1時間で誰にも違いはない。だが、その時間が長いと感じるか、遅いと感じるかは、その人のおかれた状況によって違う。物事に集中していると(例えば、忙しい、面白い本を読む。友人と楽しい時間を過ごすなどでは)時間が短く感じられる。逆のケース(例えば退屈な話を聞かされる、待ち遠しいなど)では時間がなかなか進まない。また、子供のときと比べて歳をとると時間が早く過ぎるように感じるということも昔から言われている。楽しさと年齢の2点の要素は、程度は違っても人間に共通しているように思う。そして私も、近年、退職後の単調な生活の割には毎日がとても早く過ぎているような気がしているので、昔と比べて楽しく充実した時間が増えているのかとも思う。そこで、時間の感じ方とその理由について考えてみた。
   楽しい時間は短く感じ、不愉快な時間は長く感じるというヒトの反応に根拠があるのならば、時間が短く感じることはとても素晴らしい。
浦島太郎伝説では、浦島太郎が竜宮城で乙姫様と楽しいときを過ごしたのは3日位だったらしい。現実世界の時間では百年以上は経っていたのだ。絵にも描けない美しい世界で、乙姫様の手作りのごちそうをいただき、あからさまな記述はないが、様々な楽しいことを経験させてもらったに違いない。楽しいという意味は、受け身の行為だけではない。苦労が多くても、それ以上に実りがあると信じられるのであれば、その時間は楽しい時間に変わる。

   子供時代は、大人に比べて時間がゆっくり進むように感じる。小学校低学年ころは、学校から帰って遊んで、疲れて昼寝をして、それでも太陽は沈まないから、また、外に遊びに行く、黄昏時になって友達の顔色が見分けられなくなるまで遊ぶ。楽しい時間なのに、時間はゆっくり過ぎていたような気がする。友人達も同じように感じていたらしいから、子供の時代は、別の法則が支配しているようだ。これは心理学者の名前をとってジャネー法則と呼ぶのだそうだ。例えば5歳の子供にとっての1年間は一生の5分の1なのに対し、50歳の大人には1年間が50分の1になるので、それぞれの一生を物差しとして時間を感じると考えれば、子供は大人と比べてゆっくりした時間を感じるという説明だ。
   ジャネーの法則は当たっているかもしれない。だが少し見方を変えると次のようにも言える。その年齢までの一生とは、その時点での人の記憶に等しいのだ。脳には様々な経験が記憶として蓄積される。記憶容量は子供から大人になるにつれて多少増えるが限界はある。そこで、この記憶の全体を物差しとして時間(ある一定期間の記憶)を測ると、子供の1年は、記憶全体の数分の1なのに対して、大人の1年間は、数十分の1~数百分の1(経験や知識が豊富な人はこの分母が大きくなる)に当たる。

   だが待てよ・・・と思った。これで私が近年、毎日が早く過ぎていくように感じる説明になっているのかなあ。記憶量を基準に時間の感覚を説明するには、記憶が失われる(忘れる)ことも計算に入れなければならないのではないのか。例えば、歳を取ると昔のことは覚えているのに、昨日今日のことは忘れてしまうという現象があるが、この場合は、最近の一日の記憶が減る(分子の記憶量が小さくなる)ので、一日の時間が更に短くなったと感じるとも言えるのだ。
   もしかして、近年の私の一日が早く過ぎるように感じるのは、一日が充実して楽しいものだからではなく(そのような日もないではないが)、単に物忘れが増えたというだけなのではないか。食事をした後で何をしたんだっけと思い出せなければ、一日は3回食事しただけで終わるので、一日は3回の食事と後片付けの時間だけになってしまい、早く過ぎたと感じているのではないか。・・・うん、あり得るかもしれない。   (先頭に戻る)

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No.136 「世の中『右』も『左』も必要だ」(2018.9.23)

定義が分からないで何となく使われる言葉は多い。右翼、左翼もその中に入るだろう。大辞泉などによれば「右翼という言葉は、フランス革命当時の議会で、議長席から見て右側に穏健な共和主義のジロンド党が席を占めていたので『保守的』な立場を指す。左翼は逆に議長席から見て左に急進派のジャコバン党がいたので、『改革的』な立場をいう」とのこと。ところが日本の国会(本会議場)では、衆議院では議長から見て右側から左側に向かって大会派順に割り当てられているし、参議院では議席の中央を大会派が占め、その左右に小会派が位置しているので、席の位置では政治的立場は判断できない。どんな考えや行動が、右翼(保守)と左翼(改革)を分けるのか判断できないというのが正直なところだ。

   自分自身を考えると、私には保守的な面も改革的な面もある。伝統的な和菓子とお茶を頻繁にいただくが、アイスクリームやポテチも好きだ。政治的には、日本は日米軍事同盟には深入りしないで、自主独立の立場で、大国の中国、ロシアなどとも平和的に問題解決を図って欲しいと思う。例えば、スイスのように永世中立国になるのが理想だとも思っている。強大な多国籍企業が支配するグローバリズムは好きになれないが、かといってトランプ流に自国だけが良ければ他国はどうなっても構わないという考えにも賛成できない。自分でも自分の位置が分からないのだから、他人に右だとか左だとかとレッテルを貼るようなことは嫌いだ。もちろん暴力やパワハラ・セクハラを肯定する政治などは論外だ(政治だけでなくスポーツの世界でも問題である)。

   一昨日(9月20日)政権与党の自民党の総裁選挙の結果が出た⇒(毎日9/21)。石破候補が地方党員の支持を予想外に集めたことが話題になっている。閣僚になりたい議員が現職で有力な安倍候補を応援する気持ちは分かるが、議員が自分を支える地方党員の気持ちとこんなに乖離していて、他人事ながら大丈夫かと思う。安倍派の幹部が石破派の斎藤健農相に圧力をかけたことも話題になった。この選挙で現在の自民党執行部の独善的な体質が国民の目に示されたのは良かったと思う。
   異端のマルクス経済学者と自称する慶応大学の大西広さんが「長期法則とマルクス主義」の中で、「右翼」と「左翼」について書いている。「右翼とは、経済社会の変化について行けない故に保守的になる社会的弱者を是認し放置する人々」、「左翼とは、没落して社会的弱者になることを否定し救済しようとする人々」と説明している。企業家自身は右翼でも左翼でもない。経済社会の進歩と同時に社会的弱者への対策を考える意味では、「右翼も左翼も歴史に不可欠の重要な要素である」としている。未来社会がこの道しかないといった硬直したものであるはずはない。だから、右も左も、中道であっても異なる意見が存在することは、より良い未来への可能性を広げると思う。逆に一方の側の圧力によって、異なる考えを隠すのでは、大東亜戦争中の大日本帝国や現在の北朝鮮のような独裁国家になってしまう。   (先頭に戻る)

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No.135 「せごどんの西南戦争敗因から学ぶこと」(2018.9.14)

明治期には、西欧の政治制度や科学技術を取り入れる一方で、日本人の考え方には江戸時代的な忠義や義理が顔を出す。むしろ「和魂洋才」、「大和魂」などとして儒教や武士道の精神が国民全体の共通価値観となったように思う(農民の価値観ではない)。 明治政府の役人達の多くは、士族と言われた武家の出身者が多かった。藩主や将軍に仕えた武士が、天皇に仕える役人になっただけと考えれば、西南戦争後の明治政府(明治幕府?)が案外にうまく機能したことも納得できる。
   漱石のように西欧で学び個人を重視しはじめた人達もいる。しかし多くの庶民は、忠義や恥を大切にする精神に浸ってきた。昭和20年代でも小学校の学芸会で勧進帳や楠公桜井の別れなどをやっていたし、忠臣蔵は何度も映画になっている。ずっと武士に対するあこがれがあったのではないかと思う。私の父は「旧制中学を卒業したら「士族」となれた」と誇らしそうに語ってくれたことがある。現代も歴史小説で武士の生きざま(切腹も覚悟する潔さ、忠誠心、嘘をつかない、自分の利益を優先しない、腕(剣術・腕力)が立つ)を楽しんだり、「さむらいJAPAN」などとサムライを称えたりしている。

   西郷隆盛は武士の精神の持ち主だったので、私腹を肥やす政府の高官たちに愛想をつかしたといわれている。それで西南戦争を始めたらしい。
No.131 「せごどんの戦争(西南戦争)」を読んで元職場の先輩Yさんは、「又聞きの又聞きのような意見だが」として次のコメントをくれた。
   *「西南戦争について、明治期に敗因を分析した報告書/論文が出されており、それは太平洋戦争の敗因と非常によく似ているというのである。開戦は、下部組織や相手からいろいろと追い詰められて始めたのであり、従って目的など明確でなかった。兵力(兵員数)の差があまりにも大きすぎた。西郷軍の兵器は旧式で数が少なかった。補給は弾薬、糧食ともに全く不十分だった。しかし、士気のみは非常に高かった。」
   *「昭和の軍人は、米英に追い詰められ、青年将校に突き上げられたとき、賊軍である西郷軍の敗因の報告書は全く参考にしなかったのだろう。『歴史は繰り返す』の事例であると思う。」

   武士の潔さは、合理主義を無視し、命を軽んじ自分の意地(プライド)に酔ってしまう感覚である。これが、西南戦争当時の西郷の頭を占めていた。その精神は大日本帝国の陸軍にも引き継がれ、陸軍のエリート達は、手柄を立てること、権益を拡大することに力をいれた(メディアや国民の多くはこれを支持した)。しかし状況が悪くなると、大本営の参謀達は、精神主義が強まり、武士の価値観(逃げるな!、生き恥をさらすな!)を押しつけた。せごどんはトップだったから、朝敵になったと聞かされたら直ちに西郷軍を解散したが、大東亜戦争での大本営の幹部は、自分達の責任を最後までとらなかった(武士とは、所詮誰かに仕える役人である)。
   山川出版社の「詳説日本史研究」から日清戦争と日露戦争の比較表を下に作成してみた。日清戦争では賠償金で潤ったが、日露戦争では賠償金が得られず国民に不満が高まった。戦争で儲けたいという国民の期待に応えるべく、その後の帝国軍は韓国併合(1910明治43)、第一次大戦の対独戦、(1914大正3)、満州国建国(1932昭和7)、日中戦争(1937昭和12)と侵略の道をに進んでいくことになる。

戦争 経費 兵士と犠牲者 獲得したもの
日清戦争
1894年(明治27)
約2億円 約10万人の兵力動員
死者約1万7000人(7割が病死)
下関条約(明治28)
台湾の割譲。賠償金3億6千万円、治外法権の承認
日露戦争
1905年(明治38)
約17億円
約7億円は米英での外国債募集
約110万人動員
死傷者20万人を超す
ポーツマス条約(明治38)
韓国への日本の権益の承認、旅順・大連の租借、南樺太の割譲
賠償金は全く得られず国民は不満(日比谷焼打ち事件など勃発)
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No.134 「ついに1本が義歯になった」(2018.9.6)

今年7月、上あごの側面が膨らんできて少し痛みがあったので、行きつけの歯医者さんに見てもらった。撮ったレントゲン写真を見て、彼は「昔治療した歯の奥が炎症を起こしている。歯にひびが見られ菌が入ったようだ。この歯はもう残すことはできない。抜くしかありません」と言った。そこで薬をもらい、炎症が消えるのを待って歯を抜いた。抜いた歯には、確かに縦に黒い線(ひび割れ)が入っていた。日を置いて歯型をとり、更に1週間後に義歯(ブリッジ)を入れた。「土手(歯槽頂)は、まだ安定していないので数カ月後には調整することになるかもしれない」と説明してくれた。
   ブリッジの着脱は毎日行う必要があるとのことなので面倒だが、ここは慣れるしかない。一連の治療を受けて、処置が迅速なこと、両側の歯を金属で挟みつけるブリッジなので負担が少ないことに感心した。

   その後8月22日に市の助成による成人歯科健康診査を受けた。その案内には「歯・お口の健康を保って健康寿命をのばしましょう」、「80歳まで自分の歯を20本残しましょう」と書いてある。私には、下あごの奥にそれぞれ「親しらず」があり、上あごには「親しらず」がないので、下あごの左右に8本、上あごの左右に7本づつ、合計30本の永久歯があった(今回1本が欠失し29本になった)。歯周病が進行しているのは気になるが、80歳まで歯を磨き続ければ80-20の目標は達成するだろう。ブリッジの義歯では、物を噛むときには、触感が悪くなり、美味しさが減じる。なんと言っても自分の歯で食べられることは幸せなことなのだ。
   現代は、歯科技術が進歩して様々な治療がなされるが、昔の人はどうだったのだろう。・・・研究者によれば「古代人の頭の骨(頭蓋顎骨)からは歯の摩耗は見られるが、むし歯は少なく、歯並びも正常に発達していた」ということだ。「古代には甘いものや加工食品が少なく、繊維性の食べものが多かったので、しっかり噛むことで歯や歯肉に自浄作用が持たらされた」とも説明されている。

   私の場合は、歯並びも悪く、奥歯は全てむし歯になったので治療の痕跡が黒く見える。口を大きく開いて笑うことがためらわれるほどだ。きれいな歯並びとむし歯のない人を見るとうらやましい。これは自分の子供のときの怠惰な生活(歯磨きは殆どしない)と甘いもの好きによるものだ。自己責任だとも言えるが、当時は歯を守る知識が殆どなかった。大人も歯磨きは朝食の前にするだけで、食事の後に歯磨きはしないのが普通だったし、小学校の先生も朝食前の歯磨きを奨励していた(現代の知識でむし歯になる理由を考えれば、奇妙な指導であった)。
   古代人のような食事ができないできない以上、自分の歯は自分で意識して守ることが必要である。むし歯が痛んで初めて歯を守る必要性を実感するのが普通だったが、予防医学の必要性が叫ばれて久しく、人々の意識が変わった現代では、毎食後に歯を磨く人が増えているようだ。勤めていた職場でも何人かは、昼休みにシャカシャカやっていた。私のむし歯や歯並びは今となってはどうしようもない。だから、歯をこれ以上失わないためには、定期点検を受け、毎日・毎食の歯磨きを継続するだけである。
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No.133 「パラリンピックと障害者の雇用」(2018.8.31)

スポーツ推進員を引き受けて3年目、以前はあまり関心がなかったスポーツや障害者の話に耳を傾けるようになった。8月22日NHKは、1964年にパラリンピックを世界で初めて開催した中村裕医師のドラマ「太陽を愛した人」を放映した。私は「こんな立派な先駆けがいたのか」と感動した。東京オリンピック(1964年)では、女子バレーボールやアベベの優勝はテレビで見たが、パラリンピックは記憶がない。この障害者の国際競技会はローマ大会から始まったが、パラリンピックという名称は東京大会(第2回パラリンピック)からとのことだ。世の中には人種差別や性差別などいろいろな差別があるが、障害者に対する差別は根強いので、その解消のためにはパラリンピックのような国際イベントは大きな意味を持つと思う。

   このところメディアで話題になっているのは、障害者雇用促進法による障害者を雇用する義務(法定雇用率は2018年4月から国・県は2.5%。民間企業は2.2%)を国や地方自治体が果たしていなかったことだ(⇒毎日新聞8/29)。この問題をメディアが取り上げたのはパラリンピックを準備する段階での波及効果かもしれない(役所の職員がメディアにリークしたのか)。 法制度については詳しいはずの政府機関や自治体の幹部が「制度に対する理解が足りなかった」という説明をしているが、「障害者への差別意識や偏見は無かったのか」と自問して欲しい。法律に従うならば数千人規模の障害者雇用が必要とも言われている。国会や地方議会の議員も自分たちが作った制度の運用状況をチェックをしてこなかった反省が必要だ。
   安定した収入が得られる職場の確保は誰にとっても重要だが、障害者の場合には、雇用されることは更に切実だろう。障害そのものによる痛みや不自由さに加えて、周囲から哀れみや拒絶を受けたり、障害を考慮した仕事が少ないため限界を感じたりで、苦労や悩みは健常者よりずっと大きい。

   中村裕医師が偉かったのは、障害者スポーツの旗振り役になっただけでなく障害者の自立のための職場(太陽の家)を開設したことだ。企業の理解が得られず、赤字続きだったらしい。職場の確保は、本当に差別を止めることに繋がる重要事項だ。現代でも、各地の障害者施設や支援者が職業訓練を行い、障害者の働く場所づくりに努力しているが、十分とは言えない。
   8月29日NHKのローカル番組で、南房総市の伝福連携の会が伝統工芸「房総うちわ」の後継者の確保と障害者の職場作りの両方の目的で活動していることを知った。障害者が高度な職人技を身につけることは容易ではないが、2年間の訓練を経て本格的な技術が身についてきたという解説がされていた。障害者だからといって製品の質が落ちることは許されない。障害者の仕事では、茶や豆の小分け包装といった単純作業からコンピュータを使った事務、芸術の領域まであるので、関係者の努力によって個人の状況に見合った職場は見つけられるのではないかと思う。
   日本でパラリンピックが成功したと言えるためには、障害者がスポーツに参加できるようになるだけでなく、社会活動や遊びへの参加、トイレや交通安全など生活環境の整備が進むことである。パラリンピックの期間中だけのことではない。特に職場確保は、難しい課題ではあるが、最も重要なことだと思う。今回のメディアの報道を切っ掛けとして、障害者の雇用の改善が進むことを切に願っている。   (先頭に戻る)

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No.132 「戦後73年目夏のNHK特集」(2018.8.26)

NHKテレビは、8月の終戦の日前後には、毎年日中戦争から太平洋戦争に関する特集を企画している。同じテーマでも内容は毎年違う。公開された記録の分析や関係者のインタビューが新しく加わっている(→昨年の随想No.77)。戦後70年を超え、今や兵士など直接の関係者は100歳を超えている。番組作りは時間との競争だ。
   この8月15日の戦没者追悼式で、天皇陛下は「かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします」、「過去を顧み、深い反省とともに、今後戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い」などと語られた。まさにこの視点がNHKの特集にはある。NHKの報道の基本姿勢は「悲しみ」と「反省」がキーワードになっている(残念ながら安倍首相の式辞には、「悲しみ」も「反省」という言葉もなかった)。
   「戦争はしてはならない」という声は、大勢の人々が「悲しみ」を共有して初めて持っことができる大切な価値観だ。以下に今年見た番組の概要を記す。2つのETV特集は「データで読み解く戦争の時代」のシリーズになっている。

   8月11日のNHKスぺシャル「祖父が見た戦場-ルソン島の戦い 20万人の最後-」は、NHKアナウンサー小野文恵さんが、母と一緒に祖父(ルソン島で戦病死した)の行軍の跡をたどり、祖父が見た風景や人々の話を聞いている。小野さんにとって日本軍が行った性暴力の話を聞くことはつらいことだったろう。
   8月12日のNHKスペシャル「“駅の子”の闘い-語り始めた戦争孤児」は、保護者を失って駅構内で路上生活していた子供たちの話だ。当時孤児だった人が語る悲しみの思い出だ。空腹と病気で死んでいく仲間。食べものを盗む生活。結婚後も自分の過去を話せない人達。親戚や施設から逃げ出さざるを得なかった状況。英霊の子供と持ちあげられていたのに被爆で身寄りが亡くなると駅の子にならざるを得なかった人。80歳90歳の人が当時を思い涙を流しながら語る。2度とこんな状況にさせないために行動している人達の話でもある。
   8月13日のNHKスペシャル「船乗りたちの戦争-海に消えた6万人の命-」は、漁船や貨物船の船員が軍の命令で輸送やスパイ活動の最前線に立たされた話だ。辛うじて生き残った人達が仲間の死を悲しむ。現代だったら犯罪に相当するような帝国陸海軍のやり方を告発している。日本の漁船に照準を当て撃沈させる米海軍のフィルムは痛ましい。
   8月15日のNHKスペシャル「ノモンハン 責任なき戦い」は、太平洋戦争前の1939年、関東軍が独断で行った事件の真相を描く。ロシア駐在武官からの極秘情報を無視し、現場の指揮官の意見を無視した結果、圧倒的物量のソビエト軍に包囲され、2万5千人の日本兵のうち2万人を襲撃と餓えで失わせた。さらに撤退した後も現場指揮官を自殺に追い込み、真相を闇に葬ったエリート達。現地を制御できない東京の情実。ロシア国立アーカイブの未公開映像を含め、部下や幹部達のインタビューが軍の無責任と拙劣さを証明している。
   8月18日のETV特集「自由はこうして奪われた-治安維持法10万人の記録」は、膨大な治安維持法事件の裁判記録を分析し自由が奪われて行く実際を検証したもの。この法律は、成立後に死刑制度の導入や適用対象者を無制限に拡大解釈できる法改正がなされたことで、教員や学生、一般市民などを恣意的に処罰できた。時系列と地域別のデータからその意図が読み取れる。身に覚えがないことでの拷問、拘留、仕事を奪われることで生活が壊されていった。
   8月25日のETV特集「隠されたトラウマ-精神障害兵士8000人の記録-」。国府台陸軍病院(千葉県)で、医師たちが軍の焼却命令に逆らって保存していた精神障害兵士の記録8002人分のデータの分析。殺す・殺されるといった強いストレスで精神を病むこと(PTSD)は、日中戦争以後増大の一途をたどっていたが、軍はこれを秘密にしていた。病床日誌で精神障害の発生した場所、原因となる事象などを分析した貴重な記録である。普通の生活に戻れたケースは殆どない。   (先頭に戻る)

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No.131 「せごどんの戦争(西南戦争)」(2018.8.17)

今回のテーマは、なぜ西郷隆盛は自分が作った明治政府に逆らい西南戦争を始めてしまったのか。なぜ自分が設立した私学校の若者達を死に追いやってしまったのかだ。
   時代の背景には、新政府の方針で武士(士族)から幕藩時代の地位を奪ったこと、俸禄削減・支給停止が士族の生活を直撃し、廃刀令(明治9)は最後のプライドも傷つけたことがある。当然に不満が高まる。このころ佐賀の乱(明治7)、熊本の神風連の乱・秋月の乱・萩の乱(明治9年)や政府要人への暗殺が相次いだ。この最後の最大の事件が西南戦争(明治10)である。

   西南戦争についての教科書の記述は「鹿児島の私学校の生徒を中心とする不平士族が、明治維新の最大功労者の一人の西郷隆盛を擁して兵を挙げた」と書いている。新政府の中枢にいて近代化した陸軍の状態を知っていたはずの西郷が、なぜやすやすと若者達に擁されてしまったのか。他に戦争を避ける方法はなかったのか。
   歴史家磯田道史さんの「素顔の西郷隆盛」には次の経緯が書いてある。要約すると、不平士族の反乱が相次ぐ中で政府による鹿児島の監視が強まり、西郷を暗殺に来るという噂もでる頃に、私学校の生徒1000人ほどが鹿児島にあった政府の火薬庫などから大量の武器弾薬を盗み出したことが切っ掛けだった。西郷は「ちょっしもた!おはんたちは、何たることをしでかしたとや!」と叫んだそうです。若者達だけを反逆罪で死なせるわけにはいかんというので、政府に尋問するという名目で兵を率いて出陣し、熊本鎮台(熊本城)を攻めたが城は落ちず、田原坂などで敗北し自滅の道を進んだ。西郷49歳の死だった。
   ここから見ると、西郷は西南戦争では勝算を持ってはいない。作戦の指導もしなかったようだ。それまでに多くの仲間の死や実弟の死を経験して自分の死に場所を探していたとか、一緒にやってきた政府の高官達が私欲に走る姿を見てきて投げ遣りな気分になっていたのではとも言われている。この頃1ヶ月以上も犬をつれて狩りにでることもあったので感覚が鈍っていたのは確かだろう。戦争を始めた動機について、磯田さんは、「西郷には「自分が自裁すれば、士族反乱はもう起きない。本当の統一国家ができるだろう」という気分もあったのではないか」と書いている。
   西郷は、長州征伐に臨んで事前に敵の規模や位置だけでなく、食糧の保管場所や相手の内情(開戦の賛成派・消極派)の動きも調べて戦いに生かす戦略家だった。それを考えると、西南戦争での彼の行動は異常である。西郷軍は約4万人を動員し、半数が死傷した。戦闘が続く中で、朝敵に指定されたことを知ったとたんに西郷は軍を解散した。解散時には4000人が投降、500人が西郷とともに残ったとされる。

   戦後の処理で西郷軍で処罰をうけたものは2764人(うち斬罪22)とされる。西郷隆盛個人としては「自分は死んでも構わない」ということだったろうが、兵士の側は、「陸軍大将でもあった西郷がいるからこそ勝算もある」と見て参加した若者が殆どだった。西郷を仰ぎ見ていた彼らに、西郷が「いくさは止めよ」と言えば従ったはずだと思う。「戦を始めるならば、先ずおいどんを殺してからやれ」と諭すこともできた。
   私学校の若者が武器弾薬を盗んだ行為には西郷の責任もあるのだから、首謀者数人をつれて上京して謝罪する(斬罪される)ことで多くの若者の命を救う方法だってあり得たのではないだろうか。
   明治維新に果たした西郷隆盛の役割は偉大であると思う。だから、最後に本当の勇気を維新後の若者達に示すことができれば、その後の日本は大いに変わったのかもしれない。本当の勇気とは、武力を背景に相手を屈服させることではなく、武力を用いないで(殺されることも恐れず)条理を立てて説得することだ。人望のあった西郷の自裁によって、「死ぬことが潔い」という感覚が後の国民や帝国陸軍に引き継がれた気がして、どうにもやりきれなさが残る。
   せごどんは自伝や日記、写真も残さなかった人だ。下の写真は上野の西郷さんの銅像です。隆盛の奥さん(糸子夫人)は、この像を見たとき「うちの人でなか、違う」と正直に言ったそうです。
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No.130 「せごどんの戦争(征韓論政変)」(2018.8.15)

江戸幕府の崩壊から新政府の成立までの変革の過程を明治維新という。維新の指導者は大勢いるが、最も人気があるのは西郷隆盛だろう。貧乏な下級武士なのに、当時最大の規模を誇る薩摩藩兵を率いて、禁門の変での長州の撃退、長州征伐(単身長州に乗り込み説得して全面戦争を避けた)、薩長聯合、鳥羽伏見の戦いからの戊辰戦争まで大活躍だ(江戸城無血開城も有名)。更に新政府の参議になってからも、版籍奉還(明治2)、廃藩置県(明治4)まで実質的なリーダーであった。人気がある秘密は、強さ、庶民性と彼の悲劇にある(日本人は独裁者や一強を嫌う人が多い)。
   今年は明治元年から数え150年目なので、NHK大河ドラマは西郷どんの話「せごどん」だ。この偉人の評価は、征韓論(明治6)と西南戦争(明治10)の2事件で学者らの意見が分かれている。西南戦争では西郷軍と政府軍との死傷者計が約3万5千人で、戊辰戦争(会津戦争・函館戦争までを含む)の死者8千240人とに匹敵するほどだ。私は西郷隆盛のような、世界の事情が分かり、部下思いの、奄美群島の虐げられた人々にも思いを寄せた人が、なぜ日本史最大の内戦・悲劇を起こしてしまったのかを思わないわけにはいかない。友人には西郷隆盛を崇拝する人もいるので、この話を書こうと思った。

   歴史家の磯田道史さんは、オリジナルの記録を丹念に発掘してそこから考えることで知られている。その磯田さんの
「素顔の西郷隆盛」(2018年3月発行)と山川出版の「詳説日本史研究」(2008年8月発行)を読んで、征韓論事変(明治6年の政変とも呼ばれる新政府内クーデター)を考えてみた。 私なりに理解したことを問答形式で書いてみよう。
   Q:なぜ征韓論が起きたのですか?
   A:新政府を樹立した人達は、欧米列強に学び中央集権的な国家を作ろうとしていたのです。そこで鎖国を続けていた朝鮮王朝に開国を求め、一緒に近代化しようと働きかけていたのですが拒否されました。それだけなら征韓論は出てこないのですが、日本側の事情としては、武士は新政府に大変な不満をもっていました。廃藩置県(明治4)、四民平等の解放令(明治4)、武士の俸禄停止する秩禄奉還(明治6~9)、軍隊の近代化(身分に差がない徴兵制導入(明治6年1月)の一連の政策は、武士の経済利益も誇りも失わせるものだったからです。不満のはけ口として朝鮮に戦争を仕掛けて、不平士族をなだめようとした隠れた動機もあると考えられます。
   Q:征韓論は隣国への侵略ですが、西郷は征韓論に与したのですか?
   A:磯田さんの説明(毛利敏彦説に沿う)では、征韓論をはっきりと唱えていたのは板垣退助でした。西郷は派兵よりも対話でことを進めようと自分を朝鮮派遣してくれと主張していたのです。西郷の狙いは、南下してくるロシアに一緒に対抗してもらうよう説得する考えでした。征韓論者ではなく、敢えて言えば遣韓論者だった。この根拠は、西郷の板垣宛の手紙で読み取れるとのこと。長州征伐での西郷の成功体験がそういう主張になったとか、自分を育てた島津斉彬の思想(アジア連合論)が背景にあったともいわれます。
   Q:大久保や岩倉は征韓論ではなかったのですか。
   A:大久保らは、欧米視察から帰国して戦争よりも近代化を優先すべしとも主張したようです。しかし、本当は征韓論者と同じ考えでした。その証拠には、西郷らが下野した2年後の明治8年には政府は、軍艦を派遣して首都漢城(現ソウル)に近い朝鮮沿岸で測量などをし朝鮮側を挑発して砲撃させ、それを切っ掛けに兵員を上陸させて占領しました(江華島事件)。その結果、明治9年に6隻の艦隊を派遣し武力を背景に日朝修好条規を結んだのです。この条約は、ペリーが江戸幕府と結んだ不平等条約と同じ内容(開港、関税免除と治外法権)でした。日本が欧米にやられたと同じ屈辱を、朝鮮に与えたことになります。岩倉は、西郷の力を恐れていたので、西郷の派遣がうまく行けば、自分たちの人気はなくなると考えたらしいのです。結局は、新政権内部の権力争いだったのではないかという人もいます。
   Q:なぜ西郷が征韓論を唱えたという見方が広がったのですか?
   A:歴史は勝利者(政権側)の立場で書かれることが多いのです。西郷は自分の利益を主張する人ではありませんでした。政治家・言論家というよりも、質素を重んじる武人だったのです。西郷隆盛は西南戦争を起こした犯罪人で朝敵になったので、岩倉らが新政府の悪い評判を西郷に押し付けようとしたのかもしれません。
   ★ここで一旦話を終わらせます(NHKドラマ風には「ここらで良かろうかい」⇒No.131   (先頭に戻る)

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No.129 「9条2項を削除する正直と残す欺瞞」(2018.8.10)

9月の自民党総裁選には石破元幹事長が安倍首相と争うことになりそうだ。石破氏は、地方重視の発言をしたり、党内の議論で独自の意見を述べたりしている。7月に発行された石破氏の著作「政策至上主義」を読み、「政治家として正直さを忘れてはならない」という姿勢には共感できた。そこで、憲法9条第2項の扱いについての安倍首相との考え方の違いについて整理した。9条第2項は次のとおり。
    「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」(この項は侵略戦争をしないという憲法の平和主義の要の規定である)
   現時点では自民党は9条に自衛隊を明記し、安倍首相の意向を受けて第2項を残す案を推しているが、石破氏は第2項を削除するべきという考えである。自民党の野党時代に憲法改正案の草案を作成した人だ(⇒草案)。第2項を残す案と削除する案はどう評価できるのか。

   第2項の前半部分の文章は、陸海空軍は名称を自衛隊と呼ぼうが、国防軍と呼ぼうが保持できない趣旨だ。その他の戦力(義勇軍・民兵)も持つことはできない。No.104 「第9条第2項の扱いと悩み」で書いたように、裁判所は、自衛隊を憲法違反と断じてはいないが、合憲とも言っていない。「統治行為に関する判断であり、国民全体の政治的判断に委ねられる」として判断を避けた(長沼訴訟控訴審判決)。そうした中で改憲案に第2項が残されるとなれば、自衛隊を明記できたとしても、依然として自衛隊は軍隊なのか、そうではないのかの疑問が残る。また、仮に自民党の改憲案が国民投票で可決した場合でも、最高裁が「後法が前法を駆逐する」という理論で判断を下すとすれば、残された第2項は何の意味もない文章となる(⇒No.103 「改憲・護憲と法解釈の知識」)。それは第2項に意味があると考えて投票した国民をだまし討ちにすることだ。憲法改正には国民投票の手続きがあるが、自衛隊の最終的な憲法の解釈権は国民にあるのではない。憲法第81条(合憲性審査権)により最高裁が行うのだ。

   後半の「国の交戦権は、これを認めない」はどういう意味だろうか。長沼訴訟第1審で札幌地裁は、「交戦権とは、国家が戦争をする権利ではなく、国際法上の概念として交戦国が持つ権利」と述べ、「敵の兵力を殺傷したり、都市を攻撃したり、軍政をしいたり、中立国に対しても船舶の臨検、貨物の没収するなどの権利をいう」としている。日本国憲法の英訳では、この箇所は「The right of belligerency of the state will not be recognized.」だ。belligerencyという専門用語は、戦争をする当事国に国際法(国連憲章51条やジュネーブ条約)が与える地位のことで、英国はフォークランド紛争開始前に自衛のための戦争であることの確認を国連に行ったとされている。石破氏は、「自衛権を行使する場合に捕虜になった兵士が保護される権利は交戦権の外だという話は世界に向けては通用しない」と述べている(交戦権が認められなければ捕虜として保護されないという意味)。 第2項が残されれば、交戦国としての国際法上の権利の有無への疑問は依然として残る。また、最高裁が自衛隊明記後の9条には、第2項自体に意味がないと判断することもある。そうなれば前半の理解と同様に、第2項を残す現在の自民党案は、国民投票で票を集めるためだけの嘘の説明となってしまう。

   私は、No.104 でも書いたように憲法に自衛隊を書き込むことには反対である。将来国民が望んでも自衛隊(国防軍)を廃止することは容易にはできなくなるし、予算も人員も膨張を続けて引き返せなくなる恐れを感じるからだ。石破氏が自著で解説しているように、第3項に自衛隊(又は国防軍)を現在の第2項の規定と矛盾なく書き込むことは、実際には不可能だ。森友・加計問題での国会の質疑では、政府側に多くの嘘や隠蔽が見られ、国民はうんざりしている。今求められるのは、耳障りのよい政策ではなく、何よりも「国民を騙さないという姿勢」ではないか。石破氏の「国民の耳には嫌なことでも勇気をもって真実を語りたい」という考えは良く理解できた。   (先頭に戻る)

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No.128 「猛暑と梅干し信仰」(2018.8.3)

暑い日が続いている。日本列島はかってない高温(40℃を超える)に襲われ、体温を超える37℃が私の居住地でも観測されている。気象予報での気温は日陰での観測だが、日なたではアスファルトからの照り返しや直射日光が加わり皮膚がひりひりしてくる。先週1週間は朝のラジオ体操の手伝い(ラジオのセット、スタンプ押し)のために6時前~7時に小学校の校庭に出ていた。帰宅するまでに汗だくになった。
   テレビは、毎日熱中症の警告と予防の秘訣を報道している。熱中症予防のためには、水分をこまめに取るだけではだめで、塩分も併せてとらないといけないという。真水だけをがぶ飲みしても熱中症は防げない。逆効果で
水中毒(低ナトリウム血症)になるとのことだ。

   こんなに暑いから洗濯物は早く乾く。日なたに干せば3時間位で完全だ。そこで先週から梅の天日干しを始めた。6月に黄色くなった梅を10%濃度の塩水に漬け、その後、紫蘇の葉を塩水でもんだものを加えておいた。それを天日に干すのだ。大きな皿に梅を載せて日なたに1日干すと少ししわができ、果肉が柔らかくなる。3日も干せば立派な梅干しが完成する。ベランダには置き場所が狭いので、数キログラムの梅を小分けにして、1年分の梅干しを作る。梅干し作りは3年目になる。
   私の子供のころ、家には梅の木があった。梅の実が実ると父母は大きなカメに入れて塩漬けにし、夏には莚(むしろ)の上に干した。家族で1年間食べても余るほどだった。父は「梅干しは健康に良い」と言って、毎日1粒づつ食べていた。あるとき父は私に、何かの秘密を伝授するかのようにこう言った。「もし自分が長生きできたなら、それは毎日梅干しを食べているおかげである。この言葉を覚えておいて、大人になったら梅干しを毎日食べるようにしなさい。塩分が多すぎるときには食べる前に半日水につけて塩抜きすればよい」と食べ方まで助言してくれた。
   結局、父は平均寿命よりも長く生き、85歳で他界した。梅干しが効果があったのか否かは分からないが、父の言葉を思い出して、たいてい毎日1粒の梅干しを食べている。

   文部科学省の食品成分表によれば、梅干し可食部100グラムの内訳は、水分65.1グラム、たんぱく質0.9グラム、脂質0.2グラム、炭水化物10.5グラム、灰分23.3グラムとなっており、特に灰分が多いのが特徴だ(検索用データベース)。このデータベースから、無機質、脂肪酸、アミノ酸、有機酸、ビタミンの種類別の量も読み取れる。梅は果物だから、カリウム、マグネシウム、鉄、カロテン、葉酸、アスパラギン酸など多様な微量成分を含んでいることが分かる。ネット上では梅干しの効果として、疲労回復、食欲増進、血液さらさら、生活習慣改善、美肌などが挙げられている。どこまでが本当なのかはわからないが、夏は特に塩分補給や疲労回復(夏バテ防止)に役立つことは間違いはない。あと数年たったら、私も子供に「自分が長生きできたならば、それは毎日梅干しを食べてきたおかげである。このことを覚えておいて、梅干しを食べなさい」と言うような心境になるかもしれない。
   大人になったときの食べものの好みは、子供のころの記憶によるともいわれている。私の場合は、梅干しの味覚の記憶もあるが、父が語ってくれた梅干し信仰も加わって、梅干しを毎朝1粒いただかないと、何か朝食をしたような気がしない。通常の朝食はご飯、味噌汁、納豆、生卵、トマトなどの和食だが、そこに必ず一粒の梅干しがある。好きになるか、嫌いになるかは別として、誰にもそうした思い出の食品があるのではないだろうか。   (先頭に戻る)

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No.127 「ランは他の草花とはここが違う」(2018.7.27)

ラン科の花は、アサガオやユリなどの花とは違った特徴(構造)があるので、すぐ分かる。3枚の花弁と3枚の萼片(がくへん)がある。3枚の花弁のうち1つは、リップと呼ばれる特殊な形になっている。更に、おしべとめしべが分離しておらず、花の中心に位置する蕊柱(ずいちゅう)に一体となっている。花粉は蕊柱の頭の部分に固まりになっている(下の左図)。
   近所で見かけるアサガオやヒマワリ、ユリなどは、おしべとめしべは分かれ、おしべがめしべの周りをとり囲んでいるものが多い。花弁はアサガオのように1枚だったり、バラのようにばらばらだったりしているが、ランのリップのような形にはなっていない。 クンシランリュウゼツランヤブランは名前に「ラン」とはついているが、ラン科ではない。ランかランでないかは、ここに書いたような花の構造で判断するのが一番確実だ(⇒ラン科(orchid))。

   ラン科の植物は、きれいな花が咲く他の植物と同様に、昆虫の助けを借りて花粉を運んでもらい種子を作る。だから甘い蜜をだし、バラのような香りを発するものもある。特徴的なことは、ランの種子には栄養成分を蓄える胚乳がなく、種子のサイズはとても小さい(1粒の径が1~0.3mm前後。逆に1鞘中の種子の個数は多い)ということだ。栄養分を持たないことを補うために、ランの種子は着地した場所でカビやキノコの類(菌根菌)に寄生(あるいは共生)して養分を得ている(⇒谷亀先生論文)。
   昔のことだが、ネジバナの花を近所の芝生で見つけて、株ごと掘りあげて持ち帰り庭に植えたことがある。小さな株だったのに根に菌根菌が入っていたためか、根が膨らんででこぼこしていた。翌年この花が咲かなかったのは、ネジバナの種がこぼれても相性の良い適当なカビかキノコの菌糸がなかったからかもしれない。ランの種子を播種・栽培するときには、適当な栄養成分を含む無菌の培地を使うので、カビやキノコの存在を気にしなくても大丈夫とのことだ(⇒ランの無菌培養)。

   私の場合は、趣味としてランの株を室内の窓辺やベランダに置いて水、肥料をやり日光に当てているだけだが、販売されているランの場合、品種改良には技術や施設(無菌栽培の施設)が必要だし、温室(加温)や冷房が必要になる。開花できるようになるまでには何年もかかるので、販売価格は、1鉢数千円などと気安く買えない水準となる。
   しかし、一般にランの開花期間は長い。その花弁はゴムのような弾力と厚みがあり、カトレアで10日以上、胡蝶蘭やパフイオペディラムでは3ヶ月咲き続けることもある。寒さに強い品種、日照が少なくても大丈夫な品種も増えている。株は何十年も持つとも言われているので、年換算では決して高いものではない。開花が2ヶ月も続くと飽きるが、ラン以外の花と組み合わせて切り花として使うこともできる。
   心の癒しや安らぎを求めて犬や猫を飼う人は多い。植物は鳴いたり吠えたりはしないが、静かに安らぎや楽しみを与えてくれる。冬になって花茎の芽が見えるようになると毎日の変化にわくわくする。地球温暖化、政権幹部の腐敗など、不愉快な事実を経験する時代でもあるので、残業などは程々にして、人々が自宅でランの栽培を楽しむようになればいいなあと思っている。   (先頭に戻る)

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No.126 「死刑の重さと裁判官の気持ち」(2018.7.21)

前回に続いて理屈っぽくはなるが、裁判官が死刑制度をどう感じているのかを調べてみた。憲法の規定では、裁判官は憲法及び法律にのみ拘束されて職権を行うことになっている。刑法で死刑が刑の種類として定められている以上、その適用について判断を拒むことはできない人達だ。
   
毎日新聞7/19の記事によれば、オウム事件の死刑判決を言い渡した山崎学さん(元東京地裁裁判長)は、インタビューに答えて「3審制度の下、被告に直接死刑を宣告したのは1審の裁判長だけです。それはやはり重い。執行について感想を言うべきではないと思います」と述べている。「真相が解明されていないとの指摘もあるようですが、刑事事件の目的は、事件の事実関係を明らかにしてどのような刑を科すかを決めることであり、社会学的、心理学的な解明とは「ずれ」があります。私としては、刑事裁判の枠内で必要なことは尽くしたと思っています」と答えている。ここには、やるべきことはやり尽くしてもなお、究極の刑である死刑の感想は軽々に言えないという裁判官の気持ちが出ていると思った。

   日本の刑法11条では、「死刑は絞首して行う」となっている。憲法第36条では「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」とあるので、絞首刑は残虐な刑罰であり違憲ではないかという主張があった。これについては、昭和23年の最高裁大法廷判決では「将来もし、火あぶり、はりつけ、さらし首、釜ゆでの刑のように残虐な執行方法を定めれば、死刑は残虐な刑罰といえるが、刑罰としての死刑そのものを直ちに残虐な刑罰ということはできない」とし、刑法の規定は憲法違反ではないとした。
   この判決には、参加した10名のうち、4名の裁判官から補充意見が出されている。それは、戦後の治安維持法等での死刑廃止を引き合いにしながら、死刑制度が残虐な制度であるが否かは時代とともに進化するとして、「国家の文化が高度に発達して正義と秩序を基調とする平和的社会が実現し、公共の福祉のために死刑の威嚇による犯罪の防止を必要と感じない時代に達したならば、死刑もまた残虐な刑罰として国民感情により否定されるにちがいない。」とも述べている(参照⇒判決全文PDF)。敗戦からさほど離れていない昭和23年の当時に、裁判官の中に死刑が国民感情により将来否定されるという推測(希望)の意見を出していることに注目した。

   現代の裁判官は、死刑をどう見ているのだろう。長く刑事裁判官をしてきた原田國男さんが「裁判の非情と人情」という本を書いている。そのなかで、「死刑の言渡しは、正当な刑罰の適用であって、国家による殺人でないことはよくわかるが、やはり、心情としては殺人そのものである。法律上許されるとはいっても、殺害行為に違いはない」と書いている。「目の前にいる被告人の、首に脈打つ血管を絞めることになるのかと思うと、気もちが悪くなるのも事実である」、「言渡しの前の晩は、良く眠れないことがある」、「ネクタイを黒目のものにするという人もいる」とも書いており、裁判官が命を奪う判決をすることに強いプレッシャーを感じている様子が良く分かる(何のためらいもなく死刑判決を下す裁判官がいるとすれば、不気味で怖い)。
   無実の罪(冤罪)で死刑が執行されれば取り返しはつかないが、あり得ないことではない。これまでも死刑判決後にDNA鑑定をやり直して無罪になった例もあるし、死刑判決ではないが、懲役刑に服し終わったところで真犯人が分かり、再審で無罪になった例(氷見事件)もある。死刑が殺害行為であるという刑罰の特異性から、裁判官が自分の心を偽って判決を下すようなこともあるのではないかと思われる。   (先頭に戻る)

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No.125 「死刑制度は犯罪の抑止に役立つのか」(2018.7.17)

オウム事件では、教団の元幹部13名が死刑判決を受けている。うち教祖を含む7名の刑が7月6日に執行されたことは、前回記述した。死刑制度は、現在106カ国では全ての犯罪で死刑制度を廃止しており、事実上廃止している国(死刑を執行しない国)を含むと142カ国とのこと。死刑制度を維持している国は、日本を含め56カ国だ(⇒各国の現状)。メディアによれば、今回の処刑がヨーロッパ諸国に与えたものは「日本は中国や北朝鮮のような時代遅れの国」という印象だった。

   私は、No.47「死刑制度を支持できない理由」を書いたが、改めて疑問が湧いた。「死刑制度は殺人の抑止になるという人がいるが、オウムの元幹部たちは、なぜ、殺人を犯したのか」ということである。
   5年ごとに実施されている内閣府の死刑制度に関する意識調査の直近の平成26年調査結果では、死刑制度を廃止した場合には「犯罪が増えると考える」と答えた人が57.7%であった。死刑制度に犯罪の抑止力を期待している人が6割だが、本当に犯罪の抑止効果を持っているのだろうか。
   現実にはオウム事件のように、身勝手な理由で殺人が行われている。また、逮捕後に「人の死ぬところが見たかった」、「殺したくてたまらなかった」と動機を語る犯人もいる。相模原市の津久井やまゆり園の殺傷事件の犯人は、自分の犯行を肯定する理屈さえ述べている(⇒随想No.24)。こうした人達には死刑制度は犯罪の抑止効果がなかったのは明らかだ。
   それでは、死刑制度はどういう人に殺人の抑止効果を持つのか。ここは、私の推測である。内閣府の意識調査結果を逆にみると、男性よりも女性に、壮年よりも老人に「死刑制度が無くなると犯罪が増える」と考える人が多い。だから、死刑制度は殺人などの犯罪を犯しそうもない人々(むしろ被害に会いそうな人々)に効果があるのではないかと思うのだ。もともと、大部分の国民は死刑制度があろうと無かろうと、犯罪をしたいとは思わない善良な人達である。自分がされたくない行為は、他人にもしたくないのが普通だ。「誰でもよかったから刺した」という犯人でも、実際は、子供や女性、反撃されることのなさそうな人達を選んで攻撃している。女性や老人は、そういうことが分かっているからこそ、死刑制度に犯罪の抑止効果を願っているのではないか。

   それよりも、もっと考えて欲しいことがある。犯罪の抑止効果ではなく、促進効果である。「死刑制度があるからこそ、殺人などが行われる」ということである。死刑制度は、正当な理由があれば、国家が人を殺しても良い制度である。自分が正義であると思い込んだ人の深層心理に「国家でも死刑制度を持っているのだから、俺だってあいつを殺しても構わない」という考えを与えることにはならないだろうか。「死刑になりたいが自分では死ぬ勇気がないので、死刑になるために人を刺そうと思った」と言った犯人もいた。これは、明らかに犯罪の促進効果である。
   死刑の判決を受けた者には役務は課されない。毎日を何もしないで過ごしているだけである。私は、終身刑や懲役200年というような制度を設けて仕事をさせて、被害者に少しでも償いをさせるべきだと思っているが、いかがだろう。死刑制度の有無は、国の在り方の基本でもある。国の憲法に死刑制度廃止を宣言している国もある。どのような国にしたいのか、ずっと考え続けなければならないことだと思っている。   (先頭に戻る)

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No.124 「“優秀な若者”だったからやれた重大犯罪」(2018.7.13)

7月6日、オウム真理教による事件で死刑が確定していた教祖と教団幹部6名の死刑が執行された。坂本弁護士一家殺害(1989年11月)松本サリン事件(1994年6月)地下鉄サリン事件(1995年3月)など前代未聞の犯罪を起こした人達だ。7月7日には、新聞は一斉に事件と死刑執行について報じた。毎日新聞の社説では「理不尽な犯罪が、なぜ、優秀だった多くの若者を巻き込んで遂行されたのか。その核心は未だ漠としている」と書いている。教祖の松本死刑囚が裁判の途中から意味不明の言動を繰り返すようになり、事件の動機など一切真相を語らなかったからだ。
   私は、社説の問題意識に引っかかった。高学歴で成績の良い者は犯罪は起こさない(成績の悪いものは犯罪に手を染めやすい)という前提は誤りだと感じるからだ。問われるべきは、「優秀だった若者なのに、なぜ理不尽な犯罪を遂行したのか」ではない。犯罪集団の中に「優秀な者」がいることは、サリンを製造するような高度化・悪質化、被害の大規模化、隠蔽工作に役つだけで、犯罪の抑止には全くなり得ない。

   地下鉄サリン事件の起きた当時、霞が関駅を利用することがしばしばあったので、他人事とは思われなかった。被害者や関係者にインタビューした村上春樹のアンダーグラウンド(1997年)を読んだ。人々が事件に会うまでの日常生活や仕事が淡々と語られている。当然のことながら、被害者は普通に生活している人達で、テロの標的になる理由は何もない。
   この教団は、信者に家族の反対を無視して財産を教団に寄付させたり、施設のある場所の住民と対立したりしていた。それでも1万人からの信者(多くは若者)を持ち、巨額の財産をためこみ、信者に修業と称して関連企業で低賃金で働かせることができたのは、教祖が人間の操り方を知り、孤独な若者の弱点を知っていたからである。深淵な宗教を装って死をきれいな言葉で受け入れさせる方法も知っていた。

   死刑当日の死刑囚の年齢は、教祖松本が63歳、坂本弁護士一家を殺害した早川は68歳、他は全員50歳前後だ。犯行当時は、いずれも20才台の若者だ。教祖は勧誘対象を若者に限っていた。社会経験を積んだ人では教祖の嘘を見抜かれてしまう。若者は、年長者(先輩・先生)の発言に謙虚に耳を傾けるように教育されているので、自分たちが正義だとの指導者の言は容易に信じる(信じたい)。これは、オウムに限らず殺人を実行する集団(軍隊、IS、テロ集団)に共通だ。教祖は、嘘がばれないように信者同士の話会いを禁じた。信賞必罰で「優秀な若者」を刺激し「やる気」を起こさせた(縦割りの官僚や軍隊組織に似ている)。
   信者になる人の性格は、自分の利益を優先したり、ありふれた馬鹿話やスポーツに興じるような人ではない。むしろそうした社会の風潮を軽蔑している人達である。学業が“優秀”だった分だけ孤独していたかもしれない。その心の隙間に付け入るには、宗教という看板は最適だった。「欲にまみれるな!」「ヨガで体を心をきれいにしよう!」「既存の葬式仏教ではなく真の修業で本当の自分を手に入れよう!」などと。そして、殺人でさえポア(=魂の救済)と表現した(聖戦や玉砕も死や殺人を美化する)。

   裁判の初期に松本被告は、「部下が自分の発言を誤解して勝手にしでかしたことだ」と主張していた(同様のセリフは今でも政府の偉い人が吐いている)。松本被告は頭の回転が速いから、弁護士との接見で「教祖は絶対的であり責任は逃れようがない」と悟ったに違いない。そのときから、弁護士との対話を止め狂人の振りをし始めた、あるいは、本当に狂人になってしまった・・・のではないかと思っている。私の感覚は「きっとそうだ」とつぶやいている。「優秀な若者」が、殺人が最大の悪事だということを知らなかったのは、残念で仕方がない。   (先頭に戻る)

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No.123 「ときには気分を変えてみる」(2018.7.11)

気象庁は、「6月29日に関東地方は梅雨明けしたと見られる」と発表した。平年は7月21日頃なのでめちゃめちゃ早い。西日本は、一昨日、昨日あたりが梅雨明けとなったが、その直前の記録的な豪雨がもたらした土石流や河川の決壊で、広島、岡山、愛媛などに大変な被害(死者・行方不明で200名を越す。大規模な浸水、停電、断水)が出ている。6月の北海道は梅雨がないと言われてきたが、ここ10年ほどは雨や高温にさらされるようになった。
   こうした気象の変化はもはや異常ではなく、当たり前になってきた。温室効果ガス(炭酸ガス)の濃度は着実に上昇し、海洋表面の水温が上がってきている。海面からの水蒸気が限りなく供給されるようになったので、従来の梅雨期の防災対策では間にあわなくなっている。住民自らが、周囲の危険の度合いを点検し、毎年必ず長時間の土砂降りがあることを覚悟して生活設計をしないとならないのではと思う。梅雨期だけではなく、夏の高温も尋常ではない。地球温暖化の悪影響は、また一歩近づいている。

   関東地方は、梅雨明けはしたが湿度が70%を超し、強い陽射しが続くので、熱射病のリスクが高まっている。6月末にウォーキングの下見で都内に出かけたとき、急に晴れて暑くなってきたのに水分を取らずに歩いていたら気分が悪くなってしまった。熱射病リスク情報は他人事ではなかった。気温と湿度から計算される不快指数も公表されている(計算サイト)。
   昨日は、隣りの街の100円ショップに行った。小学校で行う夏休みラジオ体操の出席表に押すスタンプを買うためである。外は30℃を超えて暑いけれど風が吹いているので、日陰では涼しさも感じる。暑いと家にとじこもりがちになるが、外の風に吹かれてみるのは悪くないと思った。
   ついでに、別の店で、てぬぐい(ちゅうせん(注染))を買った。これは、汗を拭くためではなく部屋を飾るためである。今までの部屋のてぬぐいは、タンポポ、レンゲソウ、カタクリをデザインした春のイメージだった。早速、額縁のほこりを払って、新しいてぬぐいにアイロンをかけて貼り付けた。「満点花火」というテーマで大阪の宮本株式会社の気音間の作品(下の写真です)。 最近は花火大会にはいかないけれど、昔の花火大会で見た夜空いっぱいに咲く花火を思い出した。部屋の雰囲気がちょっと変わった気がした。既に暑い夏が始まっている。気温も湿度も変わらないのに、この「満点花火」を見ていると「夏も楽しいものだ」という気分になってくる。   (先頭に戻る)

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No.122 「幼児の扱い方の難しさ」(2018.7.4)

先日、夕食の材料を買いに近くのスーパーに行ったときだ。店の出口で3~4歳の幼児がガチャガチャの自販機の前で「これがいい!これがいい!」といってわめいていた。母親らしき人が「もう行っちゃうよ」と店から出ると、その子は、追いかけて外に出て、今度は、座り込んで大泣きし始めた。母親は「もうおいていくから」といって車に向かう。少し離れて振り返ると、母親に抱かれて車に乗せられるところだった。
   幼児の扱いは難しい。乳児期を過ぎて歩き回れるようになり、会話が少しできるようになると、親の目から見てワガママを言ったり、親をわざと困らせるような行動をする。子供側からすれば、どこまでが自分の領分なのかが分からないから、言いたいことを言い、やりたいことをやって親の反応を見て自分の行動を決めていくしかない。会話が成り立つようでも正確ではないし、何度も聞かないと理解には至らない。これが親をいらだたせ、時には力ずくになる。
   私にも60数年前の思い出がある。何かを欲しがって母親にねだったが「ダメだ」と言われた。そこで障子の張り替えで忙しい母の目の前で、張ったばかりの障子紙を破ったのだ。直ぐに、ぴしゃりと引っぱたかれた。自分でも、障子紙を破るのは良くないと思いながらやったことなので悲しくはなかった。母の怒りは、文字通り痛いほど分かった。
   現代は、核家族が殆どになって、幼児の面倒を見るのは、母親か保育所(幼稚園)だ。父親が育児に参加するのは、早朝深夜か、休日しかない。母親が仕事をしている場合には、子育て時間のやりくりはもっと大変だろうと想像する。父親と母親の関係が子育てに決定的に重要になるだろう。
   前回(No.121)の「万引き家族」の感想でも書いたが、母親役の女は、自立しており決断もできる。だらしない父親役の男との関係は対等で、互いに愛し合ってもいる。誘拐(保護)してきた子供達を普通の家族のように育てたいと願っている(ある意味では素敵な家族だ)。

   幼児期は可愛い盛りと言われるが、悲しいニュースは時々発生する。今年3月に起きた船戸結愛(ゆあ)ちゃんの
保護責任者遺棄・致死事件は痛ましい。親の側からは、義父に懐かないことへの腹だち、しつけができない苛立ちはあったのだろう。しかし幼児にとっては親が全てだ。親から食事を与えられない、アザが残るほど蹴られたり殴られたり、そして無視され、重病になっても放置される。自分の子供なのに母親はどうして守り切れなかったのか。前の男の子供だから?この子の為に自分が不幸になったと感じた?児童相談所に複数回保護されたこともあったとのことだが、役所でも家庭の中に踏み込むのはとても難しいと思う。裁判でも色々な事実が明らかにされるだろうから、それを教育や役所の対応などで生かして欲しい。
   加害者は、同時に別の誰かの被害者かもしれない。この事件の親たちを非難するだけでは、今後も別の家族で起きるだろう。子供は成長に伴って多少のわがままもするし、一度に何でもうまくやれることはない。若い親達に忍耐力を持って欲しいと願わずにはいられない。結愛ちゃんには「あなたは少しも悪くなかったんだよ」と伝え、ただ涙するだけだ。宮部みゆきの「お文の影」という作品は、そのような悲しみと弔いを描いている。   (先頭に戻る)

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No.121 「異常なのに、まともな『家族』」(2018.6.27)

頻繁ではないが、私も小説を読んだり映画や芝居を見たりして、その物語から勇気をもらったり、笑ったり、慰められたりする。映画「女神の見えざる手」で、主人公の勇気や知恵に感動したことはNo.91で記述した(⇒随想No.91)。6月初めに「万引き家族」を見た。見たいと思ったのは、この映画が、カンヌ国際映画祭で、パルムドール賞(以前のグランプリ)という最高の賞に輝いたからだ。世界で評価される作品とはどんなものかを知りたかった(動機はミーハー)。それまで是枝監督の作品は見たことはなかった。

   ある特別な家族の物語りだ。女(女房役)は工場勤めでわずかな収入があるが、やがて解雇される。男(亭主役)は体を壊し技能もないため万引きをしていて、男の子にもそれを教えている。婆さんは年金をもらっていて、前の夫の息子から時々金をせびる。家出娘も含めて全員がその婆さんの家で家族のように暮らす。贅沢はしていない。あるときDVを受けている家庭の子を保護(法律的には誘拐)して一緒に暮らし始めた。婆さんが突然死んで、男女がその死体を庭に隠して婆さんの年金を取得(詐取)するようになる。誘拐された子供の画像がテレビに出回ったため、一家が逃げだすところで逮捕される(⇒あらすじ

   カンヌの最高の賞を取ったのだから、国内の評価も高いに違いないと思ったが、それほどではない。「Yahoo!Japan映画」の評価を見ると平均で3.85だ。女神の見えざる手が4.27だったことと比較すると、明らかに低い。ユーザーレビューを見て評価が分かれていることに気がついた(⇒ユーザーレビュー)。「不愉快になる」という意見から、「限りないやさしさに感動した」というものまである。映画を見れば自分の家族と比較もするし、犯罪を行っている偽家族なのだから評価が分かれるのだろう(作者は万引きを肯定しているわけではない)。是枝監督は、「心が引き裂かれる感覚を味わって欲しい」と言っているから、割り切れなさが残るのは織り込み済みのようだ。

   見終わって、深刻さと暖かさが同居している微妙な気持ちになった。ヒーローでもヒロインでもない普通の人達、凶悪ではないが犯罪を行う人達の話だ。だが家族間での態度や気遣いの言葉、交わされる話題(子供の健康や教育、お金のやりくり)は、本当の家族かと思うほどだ。何かを犠牲にして大切な何かを守ろうする人達に通じる話である。万引き家族に限らず、まともな部分と異常な部分が同居して何とか成り立っているのが家族なのかもしれない。家族の意味や課題を提示されたようにも感じた。
   感動したのは、女が誘拐や死体遺棄、年金詐欺の責任は全て自分にあると主張して逮捕され、刑務所で面会に来た男に、「苦労はあったけれど、この暮らしは、自分にとっておつりがくるほどだった」といって別かれる場面だ。潔さとともに、女の切ない思いが伝わってくる。人生で何が一番大切かを語っているようだ。こんな言葉を愛する人との別れの場面で使うことができるなら、それ以上の幸せはないだろう。もう一度見たい。   (先頭に戻る)

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No.120 「トランプ・ジョンウン会談で希望が見えた」(2018.6.20)

6月12日にシンガポールで、トランプ大統領とキムジョンウン委員長とが会った。ここに至るまでに、双方から会談は中止を予想させる発言があったので、どうなるかと思っていたが、トランプ大統領の脅し(あるいは懐柔策)が効いたようだ。未だ終了していない朝鮮戦争の当事者の国のトップが会うのだから、歴史的とも言えるし、朝鮮半島から核を無くす大まかな道筋ができたのだから、私としては、画期的なできごとだと思う。そこで当日は、朝からテレビにくぎ付けになり、夕方のトランプ大統領の記者会見まで見た。
   しかし、会談終了後の世論は、予想に反してトランプ大統領の手腕に厳しい見方をしていることを知った。例えば、アメリカでは「大統領は金正恩に譲歩し過ぎた」、「核廃絶に至る検証可能で不可逆的な工程が示されていない」、「大統領専用車まで見せたのはいかがなものか」などである。会談終了後でも、日本の防衛大臣は「核兵器廃絶まで圧力をかけ続ける」などと言っていた(参考:6月13日産経社説)。
   昨年まで戦争も辞さない勢いでトップの2人が軍事演習やののしり合いをしていたことを考えれば、こうした評価をする人達は、本当は話し合いよりも戦争を願っていたのかと思ってしまう。理想を追求するように見せかけてハードルを高くして会談を失敗させたかったのかという疑問が湧く。

   トランプ大統領は、パリ協定離脱やイスラエルのアメリカ大使館の移転、移民への差別、一方的な関税措置などで、先進国の政府やメディアから非難されている。だが、だからといって、トランプ大統領の全ての政策が間違っていることにはならない。大統領は記者会見で「核兵器廃止に至る過程が声明に記載されていない」と問われて、「時間がなかったから」とあっさりと答えている。正直な答えだと思った。また、金のかかる米韓軍事演習の中止も発言している。軍隊への予算は無駄であるという感覚はとても庶民的だ。
   残念ながらこの間、日本政府は総理大臣以下、「圧力をかけ続ける」としか言ってこなかった。拉致被害者の帰国を本当に実現させようとすれば、この発言が拉致問題の解決にいかに妨げとなるかが分かりそうなものなのにと思っていた。北朝鮮のミサイルや核開発は、先の衆議院選挙で自民党に票を集めることに貢献した。今は拉致問題の解決が政権の最重要課題だと言い始めた(内閣支持率のアップにつながる)。その転換は遅すぎた感じはするが、良いことだと思う。国民の生命と安全を守るのが政府の役割だとすれば、米朝首脳会談でようやくそのスタート位置に立っことができると思われるからだ。
   拉致問題の解決は容易ではないと想像する。朝鮮半島の非核化が進められる中では、もはや「圧力だ」などとは言えない。2002年9月の日朝平壌宣言の条項を両国政府は誠意をもって進めるほかなく、日本は朝鮮半島を植民地にした過去を償うための多額の経済支援・無償資金協力(賠償金)が避けられない。

   しかし、それでもこの事業は実りが多いとも思う。北朝鮮が経済的に豊かになれば極東に戦争の危険は去るからだ。日本は賠償金や経済支援をしてもおつりが来るだろう。防衛費を削減することも可能だ。先の大戦では、大東亜共栄圏構想というものがあったが、実際は大日本帝国による植民地支配の構想だった。今や、中国も、台湾も、韓国も、北朝鮮も、れっきとした独立国家だ。キムジョンウンが、核兵器を廃絶し国内を豊かにすることができれば、戦争は二度と起こせなくなる。日本は北朝鮮と国交を回復すれば有力な貿易相手国になるし、いずれは朝鮮半島の悲願の南北の統一国家ができるだろう。何十万、何百万の人が死ぬ戦争を起こさず、これらが達成できるならばこれ以上素敵なことはない。本当の東亜の共栄圏ができるかもしれない。
   トランプ大統領は気まぐれだと言う人もいるが、政策は選挙の時から一貫しているようにも見える。異色のアメリカ大統領だからこそできることかもしれない。願わくばトランプ大統領には、この期待を裏切らないで欲しい。そしてアジアの平和に寄与したという理由でノーベル平和賞をもらって欲しい。   (先頭に戻る)

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No.119 「労働者に不利な働き方改革案」(2018.6.13)

6月10日(日)、雨が降る中で国会前の集会に出かけた。この集会は、森友・加計問題、働き方改革関連法案やTPP協定反対、9条改憲反対などを目的としていた。主催者は2万7千人の参加と発表した。
   集会では、野党や政治学者などの発言を聞いた(
Youtube記録)。私が特に心を打たれたのは、過労死を考える家族の会の佐戸恵美子さんの悲痛な訴えだった(Youtube記録の1:48~1:56で見られます)。彼女の娘さん(未和さん)は一橋大学を出たNHKの記者だった。2013年に選挙報道の激務を終えた直後に自宅で心不全で発見された。未和さんはその秋に結婚する予定だった。娘の突然の死を悔やんだ恵美子さんは、自分も死ぬことばかり考えていたが、労災認定がでたことを切っ掛けにそのような死を繰り返さないことを求めて、NHKに娘の死を公表するよう要請したとのこと(2017年Youtube)。
   佐戸さんは「私は孫の面倒を見るはずだった」、「ここには立ちたくはなかったが、娘の死が私の背中を押してくれた」と言う。そして①NHK当局からは記者という仕事は裁量労働で個人事業主のようなものと説明されたが、調べてみれば取材先の都合や報道予定があるので記者に裁量はないことを知った、②男ばかりのグループへの配属で娘は悩みも愚痴もこぼせる相手がいなかった、③働き方改革法案では過労死を防ぐどころか、高度プロフェッショナルとされる人達を更に過労死に追い込む、などと説明された。

   私が宮仕えをしていたとき、長期間にわたり深夜までの残業をしたり、職場に泊まり込むこともしばしばあった。同僚だった人の中には、「若いころはもっと過激に仕事をした」、「海外出張から帰国したらその足で会社に出勤し残業までした」と自慢気に語る人もいる。しかし当時でも、職場にはうつ状態の人や自殺をした人もいた。若いときに仕事で頑張ることは良いことだろう。だが、それは健康な体があってのことだ。疲れすぎて精神的にも肉体的にも追い込まれれば、そこから抜け出すのは容易ではない。発展途上だった昔はともかく、今は長時間労働は自慢するようなことでは全くない。
   むしろ現代は、携帯電話、日帰り出張、パソコンやE-Mailで、24時間仕事ができる体制になっている。海外からは真夜中でも情報が入ってくる。仕事の密度は私の若いころとは格段に高まっているように思われる。国際化が進み企業の競争が高まるとともに、社内での競争で職員同士の連帯感も希薄になり、労働組合の組織率も低下している事情がある。専門職も含めて労働者を精神的に窮地に追い込む要素が、昔よりも大きくなっている。
   働き方改革関連法案で論点になっている裁量労働制は、労使で認めたみなし時間を超えたら残業代を支払わない「残業代定額働かせ放題」の仕組みになると懸念されている。また、創設される高度プロフェッショナル制度では、高所得の一部の専門職は、仕事が成果で評価されるとして、残業代や深夜・休日の割り増し賃金が支払われなくなる。 厚生労働省は裁量労働者の方が一般の人よりも残業時間が少ないという嘘のデータを出していたのに、それを検証もしていない。
   残業代を支払う必要がなくなることで企業は確実に利益が得られる。仕事の成果の評価は経営者や顧客が行うのだから、専門職の職員に無制限のサービス残業を強いることも可能となる。賃金の高い人でも健康や生活は守られなければならないのは当然だ。企業が多額の残業代を支払わなければならないことが長時間残業の歯止めにもなってきたのに、残業代を払わなくても良いとなればどういう結果を招くのか。体調が悪くても自己責任として、相談する人もおらず無理を重ねることはないのか。佐戸未和さんのような例を繰り返してはならない。人は国の宝だ。経済界が望むからといって、労働者側の同意なしに、働き方改革関連法を強行採決することは国を亡ぼすもとだ。   (先頭に戻る)

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No.118 「私の名前をあててごらん!」(2018.6.6)

今年2月の世界ラン展で、エビネランの販売店(鹿児島の萌春園)を見ていたとき、1500~12000円の株が多くある中で、数株だけ500円の値がつけられていた。安い理由を聞くと「出荷作業中に株が混じって花の色や名前が不明になったから」という返事だった。既に持っている品種と同じであれば買い手には意味がない。安くしないと売れないということだ。そこで、どんな花かは謎の楽しみとして購入し、集合住宅の裏庭に植えた。この株は根付いたようなので来春は花が咲くだろう。
   私の部屋のランは50鉢程度(主なものはコチョウラン)だが、半分ほどは名前(品種・商品名)が分からない。人から譲られたものは、大抵名前が分からない。だが、開花すればガイドブックなどで名前が分かることもある。そうした時は幸せな気分に浸れる。例えば500円の株が5千円の株に昇格した気分だ(春さんは何でも金額に換算したがる癖がある)。

   5年前に友人からもらった大輪系の白のカトレアの名前が今年6月に分かった。これまで分からなかった理由は花が咲かなかったからだ。5年間の間に、夏には元気だった株が秋に突然枯れはじめ、その後の回復に3年を要した。それが今年ついに咲いた。しかも3つの花を着けている(写真)。
   種の名前は、カトレア パープラータ(Cattleya purpurata)。今年の1月に発行された「洋ラン大全」という本に花の写真と説明がついていた。「ブラジルの湿潤な密林の樹木や岩に着生するランで、大型で色彩は豊富。日本では晩春から初夏に開花する」と説明があった。この種は、以前はカトレア属ではなく、レリア属(Laelia)とされていたが、ブラジル原産のものは全てカトレア属に学名が変わったとのこと。学名の変更は、DNA鑑定技術の進歩による。見た目ではなくDNAの塩基配列の近似性を優先した結果のようだ。歴史のあるイギリスのキュー植物園の植物学者達が学名の決定に関わっている。
   
   それにしても、関心を持った相手の名前を知ることは、魔法の呪文を知ることのようであり、知ったときには気分は大きく変わる。初めて出合った人を好きになったら何としても名前を知りたいという心理と同じだ。 グリム兄弟の「ルンペルスティルツヒェン」という物語りは、逆に相手の名前を当てることで窮地を救われた女性の話である(恐ろしい話でもある)。
   咲いたカトレア パープラータ(品種名はカーネアvar.carnea)は、甘い香りを微かに放って、リップの赤と清楚な白の花弁(ペタル)のコントラストが蠱惑的な雰囲気を漂わせている。花を傍に置いておくだけでドキドキする。花の妖精が「私の名前をあててごらん。あたったらあなたの心の中に住んであげる」と言ってくれた気がする。このところ森友や加計問題での安倍内閣の不愉快なやり方を見せつけられてうんざりしていたが、5年ぶりにカトレアの花が咲き、名前も分かったので、気持ちが随分と晴れた。花の女神さま、ありがとう。   (先頭に戻る)

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No.117 「夏風邪は馬鹿がひく?」(2018.5.30)

5月の初めに風邪の症状が出始めた。顎の下のリンパ節が少し腫れて喉が痛かった。思い当たることはあった。3月末から4月始めに喉が痛い時期があった。うがいなどをして何とかやり過ごしたが、5月4日にグラウンドゴルフ大会の手伝い(約120名の参加者のコースの設置と片付け)をした。この日は天気は良かったのに気温は低く風は強かった。寒く感じていたのに我慢して薄着のままでいたことが、引き金になったのではと思う。
   その後も外出する日が続き、無理がたたったのか5月12日には38.5℃の熱が出た。そこから総合感冒薬を飲み始めた。熱は直ぐに下がったけれど、鼻水が出始めて横になると咳も出て寝付かれない。咳が消える頃には鼻の下に吹き出物が出始めた。5月20日の春のウオーキング(地区の高齢者約50名)の際はマスクをして集合写真の撮影係を務めた。町会の依頼でスポーツ推進員となり、下見などの準備してきたので休みたくはなかった。吹き出物にはゲンタマイシンをつけていたがなかなか治らなかった。
   5月24日に皮膚科に行った。皮膚科の医師は「これは
単純疱疹(ヘルペスシンプレックス)です。もっと早く来れば良かったのに。ヘルペスは、ウイルスが起こすので、ゲンタマイシンでは治りません。」と言われた。炎症を抑えるフェナゾール軟膏5%と感染を治療するフシジンレオ軟膏2%との混合薬を処方してもらった。現在は、寝汗を少しかく程度で疱疹は消えた。単純疱疹は、発熱、日光、寒冷、過労、精神的ストレスを切っ掛けに何時でも現れるものらしい。

   「馬鹿は風邪をひかない」という表現がある一方で、「夏風邪は馬鹿がひく」といういい方もある。気象学者の福岡義隆先生はこの言葉についての面白いエッセイを書いておられる⇒夏風邪
   夏風邪は、暖かくなって油断をすること(間の抜けた生活をすること)が原因だという。5~6月だけでなく、現代ではエアコンの効かせ過ぎも夏風邪の原因になっているようだ。この1カ月間を振り返れば、寒さを我慢をしたり、夜更かしを続けたり、風呂を出て長時間薄着でいたりして、私の場合は馬鹿がついてもおかしくない。
   それにしても、風邪程度のことなのにとにかく回復が遅い。若い頃は1週間もあれば治っていたのにと思う。夜の防犯パトロールを一緒にやっている75歳の人がおっしゃっていた。「風邪一つでも回復するまでには1カ月は十分かかるようになった。」。今回、その言葉を実感することができた。
   加齢や体調にあわせて、適度な運動と注意深い生活を心がけるしかない。頭では分かっていたはずなのに、夏風邪を防げなかったのは悔しい。   (先頭に戻る)

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No.116 「立憲主義と憲法9条の解釈」(2018.5.25)

「餅は餅屋に」というたとえがあるように、難しいことは専門家に聞くのが間違いのない選択だろう。そこで、憲法について知るために2人の憲法学者の最近の著作を読んだ。一冊は、長谷場恭男(はせべやすお)早大教授の「憲法の良識」(朝日新書2018年4月30日発行)、もう一冊は、木村草太(きむらそうた)首都大学教授の「憲法の創造力」(NHK出版新書2013年発行)だ。長谷部先生は1956年生まれ。2014年の安保関連法での与党推薦の参考人でありながら、与党の期待に反して憲法解釈変更による集団的自衛権の行使が憲法違反という主張をされたことで有名だ。木村先生は1980年生まれの気鋭の学者だ。
   これらの本で私が特に知りたかったことは2つある。
   1 憲法はいろいろある法律の中でどういう役割をしているのか(立憲主義とは何か)。憲法違反と思われる政策も存在しているのだから、憲法は絵に描いた餅に過ぎないのではないのか。
   2 憲法9条で戦力は持たないと定めているのに自衛隊が存在することはどのように説明できるのか、あるいは、できないのか。

   誤解している点もあるとは思うが、この2冊を読んで私が理解できたのはとりあえず次のことだ。
   1 憲法は、日本国のかたちと理想を定めているものである。普通の法律(
実定法)は国民の権利や義務を定め、それに強制力を持たせるために罰則まで定めているが、その法律に問題や不都合があるときには、憲法の原則(人類普遍の原理という表現もある)に立ち返って評価し、必要な場合は法律を修正させることができる。従って、政府は憲法の視点で法律や施策が合憲であることの説明を常に求められることになる。憲法が無ければ国会(多数派)はどんな法律でもつくることができてしまう。立憲主義とは、憲法の理想を実現させることを政府に要請する普段の努力に他ならない。
   2 憲法9条は意外と弾力的にできている。戦力の定義が憲法に記述されていないから、解釈によって自衛隊が存在できる余地はあるのだ(もちろん廃止することも可能)。歴代の政府(内閣法制局)は「自衛のための必要最小限度は戦力には当たらない。他国の有事に自衛隊を使うのは憲法違反」という解釈をしてきた。最高裁は憲法9条は「我が国が主権国として持つ固有の自衛権は9条によって否定されるものではない」と述べている。実際、多くの日本人はこれらの説明に納得している(憲法よりも後にできた国連憲章第51条でも自衛権は認められている)。

   2人の憲法学者は、ともに自民党の改憲案(9条に自衛隊を明記する案)に強く反対されている。長谷部先生は自衛隊を明記しないことにこそ大切な意味があるとしている。憲法9条が全くの無防備、無抵抗を定めているという解釈もあり得るが、そうだとすると他国などから攻められた場合に、政府は国民の人権や生命さえも守ることができない(悲惨なゲリラ戦になる)から、その解釈は立憲主義に反すると長谷部先生は述べている。
   木村先生は師の奥平康弘先生の説を引用して「憲法9条は、日本国の非武装を要求しているのではなく、日本国が非武装を選択できる世界の創造を要求している」と述べている。自衛隊は金もかかるし、他国から脅威を持たれ、帝国陸海軍のように暴走する恐れだってある武力である。現在自衛隊は5兆円を越す税金を使っている。その金があれば、子育て支援や教育無償化、福祉対策の充実、長期的な防災対策、財政赤字の削減、貧困撲滅の国際貢献ができるのだ。近隣諸国と友好関係を強化して、段階的に自衛隊の規模を縮小する道を探ることが日本人として賢明な選択だと思う。テロリストや北朝鮮の脅威があるなどといって外交努力もせず、子孫に赤字の負の遺産を残すのでは、憲法の理想には永遠に到達できない。   (先頭に戻る)

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No.115 「せんせいはえらい」(2018.5.15)

哲学者はものごとを根源的に突き詰めるので、それが私たちに全く新しい発想をもたらしてくれることがある。小学校のころ私は「先生はみな偉い」と思っていたが、後にはそうでない普通の人もいることに気がついて、中学・高校生以後は「あの先生の説明は分かり難い」とか「あの先生は妙な癖がある」、「サラリーマンのようで熱意がない」とかの評価もするようになった。先生は生徒よりもはるかに知識の量や人生経験が多いのに、なぜ先生は偉くないと思ってしまったのか。ちくまプリマー新書の内田樹(たつる)さんの本「先生はえらい」を読んで、「そうか、そう考えれば確かに先生は偉い」と思ってしまった。

   先生と生徒は師弟関係である。「先生」は必ずしも技術や知識がある人という意味ではない。教師や教授といった地位や職業人であることも関係はない。知識を受け売りするだけの人や知ったかぶりの人は大勢いる。野生に学ぶという言い方もあるから先生が人ではないこともあり得る。
   「えらい」という意味は、一口で言えば、魅力があって尊敬できるというような意味だが、内田さんによれば、生徒である自分に学ぶ意欲・考える動機を与え続けられる力や雰囲気があるということだ。それで生徒がその答えを見つけたとき、先生が教えたことになる、
   このように考えれば、先生とは、生徒に何かを気づくように仕向ける何者かである。内田さんは、先生の述べることを「ああ、分かった」と考えてしまうのでは、そこでとどまってしまう(コミュニケーションが閉じる)からだめだという。まだ、「まだ分からない」、「もっと知りたい」と思わせてくれる関係が望ましいという。先生が何も教えないとしても、生徒の側が「もっと自分で考え続けろと先生がおっしゃっているのだ」と理解すれば、立派な先生である。ヒントらしきことを言ってくれるだけでもありがたい。

   生徒や弟子は、自分の問いかけに対して、その問いに答えを出すのは自分自身だということに気がつくことが大切なのだという。なるほど、そのように考えれば、生徒や弟子は先生を乗り越えて進んでいける。
   教科書で分かる程度のことは教科書を読めば良いが、人類が未発見な分野はもちろん、人が生きていく上では正解がないことは多い。正解も間違った答えも山ほどあるのだから、生徒や弟子は、自分で考えて答えを見つけて行かざるを得ない。
   自分は偉い先生には出くわさなかったと思っていたのは、自分の考えが浅かったからだ。漢文で習った「千里の馬は常にあれども伯楽は常にはあらず」などを信じていたのが間違いだ。おこがましくも自分が千里の馬だ思っていたせいだろうか。
   そこで思い起こせば、自分も偉い先生に出会っていたことに気がつく。浅沼稲次郎が刺殺された日には授業を止めて学校近くの丘で遊ばせてくれた小学校の先生。私のばかばかしい答えに「天につばする考えだ」と叱ってくれた高校国語の先生。新しいことは殆ど教えなかった大学の先生。教員という職種の人だけでなく親兄弟、友人、上司や部下など、その発言や行動が自分に影響を与えてくれた人は私にもいる。なぜ、先生はそういう行動をしたのか。あの人だったら現代の問題をどう考えるのだろうなどと気になる人はいる。ぼーっとして何を考えているのか分からないような人、あんな人にはなりたくないなと思われる人であっても、自分の姿勢や考え方次第で、えらい先生になる。こういうことに気づかせてくれた内田先生もえらい。やはり先生はえらいなあ。   (先頭に戻る)

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No.114 「米朝首脳会談への期待」(2018.5.6)

ほぼ毎日が日曜日なので、ゴールデンウイークは特に嬉しいわけではないが、4月29日の昭和の日、5月3日の憲法記念日、5月4日のみどりの日、5月5日の子供の日というように祝日が続くと、昭和史や日本の将来について多少の感慨を持つ。街で見かける柏餅や菖蒲、鯉のぼり、メーデーの行進、新緑の野山はその味付けになる。
   今年の私は少し興奮している。それは連休前の4月27日に北朝鮮の金正恩(キムジョウン)朝鮮労働党委員長と韓国の文在寅(ムンジェイン)大統領とが会談して朝鮮半島の完全な非核化や南北8千万人の人々に戦争をしないことを宣言したからだ。そのNHKの中継をずっと見ていた。

   南北首脳が会っただけなら大きな感動はないが、この後には、アメリカのトランプ大統領と金委員長が会って、朝鮮戦争の終結、朝鮮半島の非核化についての会談が予定されている。現時点では、その場所は板門店が会談の候補地になりそうだ。中国やロシアとも話がついているようなので、1950年代の朝鮮戦争の当事国は全員そろうことになる。
   1950年当時の日本は占領下にあり朝鮮戦争には参加していない。米軍への物資補給で特需の利益を得た立場なので、「日本は蚊帳の外だ」と言われても何も悔しがる必要はない。むしろ会談を妨害しないよう蚊帳の外にいて欲しいと思う。首相が「最大限の圧力をかけ続ける」とだけ言い続けて危機を煽ったせいで、拉致被害者帰国への道筋がついていない。政府が役割を果たしていないことが、国民には不幸なことだ(危機を煽ったおかげで昨年の総選挙では自民党は大勝利)。拉致被害者を帰国させる責任は日本政府にあることを一番知っているのは被害者家族だ(
5/5NHKニュース)。
   米国では共和党議員18名がトランプ大統領をノーベル平和賞候補としてノルウエーに推薦をした(5/3NHKニュース)。これまでの大統領の誰もできなかったことをトランプ大統領がやるのならノーベル平和賞に値すると思う。希望を言えば米中露の核兵器も廃絶して欲しいが、一度に解決は期待する方が無理だろう。

   軍需産業はアメリカの大きな輸出産業だ。日本はこれまでも戦闘機などを購入してきたが、最近は迎撃ミサイルも購入する予定だ。完全に平和が訪れてしまっては軍需品の売上げが減ってしまうから、戦争の危機が無くならないことを願ってロビー活動をしている人達もいるだろう。トランプ大統領が在韓米軍の縮小をつぶやいたら、早速在韓米軍の規模の維持が表明された。米朝会談が近づくにつれて政策の変更に抵抗がでてきたり、ハードルが高くなったりするので予断は許されない。直前に会談をぶち壊す事件が起きるかもしれない。
   それでも、この60数年間の朝鮮半島の人々の不幸を思うと、トランプ大統領と金委員長には、何としてもこの会談を成功させ、朝鮮戦争の終結(米朝国交回復)、朝鮮半島の完全な非核化の実現を願わない訳にはいかない。日本政府は、会談後に拉致被害者全員を帰国させ、日本と北朝鮮との国交回復、経済援助(戦争の賠償)などの義務を果たさなければならないことは言うまでもない。   (先頭に戻る)

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No.113 「その時、8たす8は18だった」(2018.4.30)

私が小学校に上がる前だ。20位までの数字を順に数えられるようになり、得意になって母親に2たす3は5などとしゃべっていたのだと思うが、母から「それじゃ8たす8はいくつ」と聞かれたことがあった。私は、ためらうことなく、「8たす8は18だ」と答えた。どうして18なのと母が聞く。「だって8に8を足すから18だもん」と答えたのだが、母は「違うよ。16だよ」という。「どうしても18だ」というと、母は指で数えなさい(方言では「かぞえてみやあ」)と言った。指では10までしか数えられない。そこで親の指を借りて1から数えると16だった。繰り返し数えてみたが、やはり16だった。私は悔しくて仕方がなかった。このことを覚えているのは、その悔しさのせいだろう。

   今思えば、その時の私は10までどころか、そもそも数の意味さえ理解できていなかったのだ。指に対比させているのだから、抽象的な思考はしていない。ましてや親たちが使っている数字が10進法であることなどは教わっていない。数字の数え方は姉達が言っていることを聞きかじっていただけだ。
   なぜ、8たす8が18だと思ったのかは不明である。8が重なっているから何となくそう思ったのかもしれない。その考え方だと7たす7は17である。10を超えると不思議な世界になるという印象だけが残った。
   英語のelevenは、12世紀以前の古い英語endleofonが語源で、endは1を指し、leofonは残りという意味だそうだ。両手の指を使って数え残ったものが1つある状態を意味するという。twelveは10数えて2残る意味だ。指の数を超える理解は複雑になるはずである。

   小学校では文章題の単位の扱いが分からなかった。例えば、「リンゴが3つ、ミカンが2つあります。果物は合わせていくつでしょう」とか、「子供が5人いて帽子が3個あります。子供が帽子をかぶると帽子はいくつ足りませんか」という答えは、式では、2+3=5、5-3=2と書くが、単位のつけ方が分からない。3こ+2こ=5こと書いても意味が分からない。前の「こ」はリンゴのことだし、後の「こ」はミカンだ。ミカンとリンゴは足せるのかという疑問が湧く。帽子の場合は更に困る。5人引く3個は、どうやって引くのだと思う。帽子から帽子を引くのならまだ分かるが、人は帽子ではない。
   大人になって
遠山啓先生の新書で、「数字の意味や足し算引き算の前提となる1対1の対応(注)が理解できるようになるのは中学生くらいになってからだ」と書かれているのを見て、目から鱗が落ちた気がした。
   年を取ってからも、目から鱗はある。「へえ!こんなこと考えている人がいるんだ」、「なるほど。良く考えればそのとおりだね」という驚きや感動があるのが楽しい。学ぶとは単に知ることではなく、発見することだと思うようになった。発見は驚きや感動だ。何かに気がつくことだ。他人からは「つまらないことに感動している」と思われても、人生では値打ちがある。
   (注)1対1の対応とは、帽子の文章題では、5人の子供に必要なのは5個の帽子であるという前提を指す。5個引く3個で2個が足りないと分かる。この場合の帽子は架空の抽象的な数の概念なので、子供には理解が難しい。   (先頭に戻る)

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No.112 「独伊の駐留米軍と在日米軍比較」(2018.4.22)

あなたの家や職場が米軍基地の近くならば、耳をつんざくほどの爆音にさらされ、夜間発着訓練で眠れない日もあるだろう。軍用ヘリが墜落したり、部品が落ちたり、演習中の事故や米兵による犯罪の危険も避けられない。米軍は敗戦後の日本を直接及び間接に統治し、冷戦下の米国のアジア戦略のために駐留してきた。現在は「日本を守るため」という理由も聞かれるが、本当はどうなのだろう。
   米軍が日本に基地を置くことができる根拠は、
日米安全保障条約(安保条約)第6条(基地の許与)とその細部を定めた日米地位協定である。この協定の第24条では、米軍基地の無償提供とその維持経費の全てを日本政府が支払うことを義務づけている。日本が基地の維持費用を全額支払っているのだから日本と日本人の生命を守ってくれるはずだと思いたいが、敗戦国に優越する戦勝国の地位を残しているだけという解釈もできる。安保条約第5条(共同防衛)では、「他国から日本の領域内のいずれかに武力攻撃があった場合には、それぞれが自国の憲法上の規定及び手続きに従って行動する」とあるだけで、アメリカが日本を守るなどとは書かれていない。だから「いざというときに米軍が日本政府や日本人を守るかどうか」は、そのときの米国大統領と米国議会の考え次第としか言えない。

   米軍が日本を守ってくれるかどうかは別として、それ以前に解決して欲しいことがある。現在の在日米軍の基地は沖縄県に集中しており沖縄県ではしばしば基地に関わる事件・事故が起きている。今年の2月には青森県でも米軍機の燃料タンクが小川原湖に投棄され、漁業に影響がでた。事件・事故の処理が不完全で再発防止ができない背景に日米地位協定の問題があることは、国会でも取り上げられているのだが、この協定ができた1960年(昭和35年)6月以来、一度も改訂はされていない。
   今年沖縄県は、県議会からの要請を受け、日本と同じ第2次世界大戦の敗戦国であるドイツとイタリアに職員を派遣して、それぞれの国内の米軍基地がもたらす事件や事故の処理方法、米軍の法的な地位を調査した。私は、沖縄県の調査報告(中間報告)が3月末に公表されていることを毎日新聞の4月18日付けの記事で知った。この中間報告は、独伊それぞれの米軍基地が所在する自治体の長や軍関係者にインタビュー調査した結果を、日本と対比させてまとめたものである。日独伊の比較は下の表のとおりである(記事に疑問な点を毎日新聞に問い合わせたら福永記者から丁寧に説明を聞くことができた)。

   日本では米軍は治外法権状態(原則として国内法が適用されない)であるが、ドイツ、イタリアでは、それぞれの国内法が適用されている。米軍基地には国や自治体の立ち入り権があり、米軍の訓練には独伊側の承認が必要となっている。米軍機の事故調査は、ドイツ軍、イタリア軍が主体的に調査できる。ドイツ、イタリアでも当初は、今の日本と同じ状態であったが、米軍機による多数の死傷事件などを切っ掛けに世論が変わり、交渉でそれぞれ地位協定の改訂をしたとの経緯がある。沖縄県職員が面会したランベルト・ディーニ元伊首相は「ここはイタリアだ。米軍はコソボに出動するのもイタリアの許可が必要だ」と答えている。
   日本では、正面からアメリカに立ち向かわず、逆に国民に我慢を強いるような政策が多いと感じているが、沖縄県の中間報告を読んで少し元気がでた。独伊に倣い、日本人を守るという強い決意で地位協定の改訂作業を進めるならば、米軍機の空域利用や低空飛行が減り、国内法の適用で事件・事故を大幅に減らすことが可能と思われるからだ。多くの人に注目して欲しい調査結果である。   (先頭に戻る)

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No.111 「ザッカーバーグ謝罪の意味」(2018.4.17)

ライン、ツイッター、フェイスブックなどのSNS(Social Networking Serviceの略、ネット上で社会的なつながりを持つことができるサービス)は友達が欲しい人などには便利な道具だ。私自身はスマホを持たないし、アカウントの登録は怖い気がするので避けているが、若い人達の多くはSNSを利用している。4月10日と11日にフェイスブック創業者でCEOのザッカーバーグ(33歳・2018年3月フォーブスで世界5位の資産家)が、米国議会の公聴会で謝罪した。
   何を謝罪したかといえば、20億人のフェイスブックの利用者のうち7800万の個人情報がトランプ大統領の選挙運動に関わるケンブリッジ・アナリティカという企業に流出したこと、フェイクニュースやヘイトスピーチのネット上の拡散を放置したこと、ロシアのソーシャルメディア(双方向の情報発信)による米国大統領選への介入を許したことなどが挙げられている。
   SNSに何となく不安を感じていた私は、今回の事件によって「やっぱりね!」という気分になった。ザッカーバーグの議会証言からはいろいろな課題が読み取れる(⇒米国の雑誌WIRED2018.4.13記事)
   SNSでは、本当の情報も嘘の情報も一緒くただ。嘘や政府批判をやめさせようとすれば検閲が始まる(今の中国では盛んに行われている)。個人情報は絶対に出さないといっても人のやることだから、流出は必ず起きるだろう。2016年のアメリカ大統領選でのロシア疑惑のように、海外から発信すれば他国の選挙に介入することだって可能だ。SNSはとても便利で何十億人が利用しているが故に、政治的・社会的に大きな力を持ち始めている。公平性を装えば、利用者に知られないようにして商品の売れ行きや政治の方向まで決めてしまうことも可能だ。米議会ではSNSへの何らかの規制の検討を始めるようだ。

   NHKテレビのドキュメンタリー番組で、失業率の高い東欧の学生達がアメリカに向けて嘘の話を発信してお金をもらっている画像を見た。その学生は「嘘の名前で書いたでたらめのことなのに、それをアメリカ人が簡単に信じてしまうことに驚いた」と述べていた。金の出どころは広告会社。人気のある記事には高額が支払われるということだ。
   フェイクニュースという言葉が流行っている時代なので「何を信じれば良いのか」と嘆く人は多い。私は「自分を信じるしかない」と思う。自分を信じるとは、自分で情報の真偽を判断することである。結果はもちろん自己責任である。自分を信用できない人が、他人に何かを聞いて何を期待するのだろう(詐欺師は「俺を信用せよ」というに決まっている)。

   ところで、SNSに関する記事を見ていて、意識させられたことがある。私たちは、とかく自分をネットサービスの顧客だと考えがちだが実は違う。ソーシャルメディアの顧客は宣伝料を支払う商品のメーカーや不動産業者などの広告主である。「ベランダ植物界」のネット上への掲載料は無料である(その代わりページに宣伝が掲載される)。SNSの業者は金を支払う顧客を大事にしており、私たち利用者(閲覧者や投稿者)は、SNSを構成する部品(利用者数や関心分野を評価する材料)に過ぎないということだ。フェイスブックなど大勢が利用するSNSには巨額の宣伝料が集まる仕組みができている。
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No.110 「楽しい生物地理学会の発表会」(2018.4.10)

先週末(7-8日)に日本生物地理学会のシンポジウムと一般発表会があった。この会には、10年ほど前から参加しているが、いろいろな生き物と他の動植物との関わりなどが語られるので、日常の政治、経済、犯罪、家事などで悩ましい思いをしている私にとっては、どのテーマもとても新鮮な感じがする。
   今年の発表者の1人(獣医学の教授)は、小学校で飼育されていたクサガメやニホンイシガメ(いずれも小さいときは銭亀と呼ばれペットとして売られる)の身体を調べてみたらヌマエラビルというヒルが寄生(共生?)していることを見つけた。このヒルは、冷凍保存(-196℃で24時間、-90℃で数ヶ月)しても100%生き続けるという驚くべき性質を身につけているとのこと。人には寄生しないヒルなので、生き物の不思議さを伝える教材になるのではないかという話であった。
   ヌマエラビルのことは全く知らなかったので、「へー、すごい生き物がいるんだ!」と思った。こうした話は好きだ。「だから何だ」といわれても困るが、地球の自然ではあり得ない低温に耐えられる能力をどうして身につけることができたのかと不思議に思うばかりだ。

   市民シンポジウムでは、森中博士が「種問題とパラダイムシフト」と題して論考を説明し、経済学者などが論評を加え 会場の参加者との質疑があり、養老孟子先生が総合的なコメントをされた。養老先生は、感覚で分かる実体と理性で分かる実体について話され、子供のときに敗戦を迎え教科書を墨で塗らされて発想・視点の大転換(パラダイムシフト)があったこと、オウム事件の頃に信者の若者が研究室にやってきて「尊師が水中で息をしない実験をするので立ち会って欲しい」といわれて驚いたことなどの話をされた。
   私も市民シンポジウムの論評をさせていただいた。素人的発想も必要だといわれ、その能力がないにもかかわらず15分ほどコメントを述べた。友人のWさんにスライド作成と動画の発表を手伝ってもらった。内容はこの随想No.105やNo.107に書いたようなことだが、共感して下さった方もおられたのは嬉しかった。学術的なシンポジウムでは、生物学と生物学哲学との関係について話がされた。その分野の専門家でも理解しにくいと思われる説明もあったが、全体として楽しく興味深い時間を過ごすことができた。

   ところで、ベランダ植物界のホームページのトップ画面に3月からマダガスカルのラン(アングレカム・セスキペダレ)の写真を掲載していた(つもりだった)が、私が市民シンポジウムで配布した資料の写真を見て、これは、アングレカム・レオニスだと教えて下さった方がおられた。その方(進化生物学研究所の蒲生博士)は、マダガスカルには十数回も行かれている植物学者だ。調べてみると世界ラン展で撮った写真を私が間違って扱っていたと分かった。帰宅後、急いで正しい写真(下図)に改めた。間違いを正してくれる人がいるのは幸福なことである。   (先頭に戻る)

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No.109 「虚しくても引き続き証人喚問を」(2018.4.1)

3月27日火曜日、衆参の各予算委員会で佐川宣寿前国税庁長官の証人喚問が行われた。総理夫人が関わる森友学園に根拠無く8億円もの値引きが行われたゆゆしい事件なので、夕方までテレビをつけて聞いていた。総理夫人の名前が決済文書から削除され、文書の改竄が判明したが、なぜ改竄されたのか、誰が指示したのかなど肝心な質問には、佐川氏は一切答えなかった。刑事訴追を受ける恐れがある場合には、それを理由に証言拒否が認められるとのことだ。多少は、新しいことが分かるのかと思っていたので、虚しく感じた。
   最後の質問者の日本維新の議員が「国民が知りたい真相を解明できたと思うか」と聞いたのに対して、佐川氏は「どういう経緯で、誰がやったのかは答えてないので真相は解明されず、満足はされないだろう」と答えた。その本音に思わず笑ってしまった。佐川氏は、始めから証言を拒否するつもりでいて、全て隠しおおせたと感じたようだ。

   昨年の森友問題の国会審議も見ていたが、佐川氏は見事なまでに安倍首相夫妻を守る立場で、財務省の手続きが正当だと発言し続けた。忠実な部下だったから世論の批判は強かったのに、財務大臣は彼を国税庁長官のポストにつけた。しかし、今年になってから風向きが変わった、刑事事件の捜査が続く中で、近畿財務局の職員が自殺をし、元の決裁文書がある時期に書き換えられていたことが明るみに出た。佐川氏は3月9日に減給処分を受け辞任した。麻生財務大臣は、佐川氏を「佐川」と呼び捨てするようになった。新聞によれば、佐川氏の退職金約5千万円は、まだ支払われておらず、刑事訴追が現実になった場合には減額されたり、ゼロになることもあるとのことだ。
   私は、
No.101「株式譲渡所得の確定申告をする」で佐川氏の国税庁長官の就任は「信賞必罰」と書いたが、証人喚問に与党が応じてからの佐川氏の扱いをみると、「トカゲのしっぽ切り」とか「臭いものに蓋」という表現が思い浮かぶ。当時理財局長であった佐川氏が全て悪いことになって幕引きとなりそうだ。総理夫人(昭恵氏)は、森友学園の名誉校長としての意向が記載されていたのだから、自らへの疑念を晴らして欲しい。佐川氏の前の理財局長も、昭恵氏付きの谷職員にも証言して欲しい。

   今の日本には、貧困と格差、少子化・保育所、アメリカとの貿易摩擦・TPP、大震災の復興、長時間残業の解消、核廃絶、朝鮮半島非核化、米軍基地、北方領土返還、原発事故処理、エネルギー政策など政治課題は沢山ある。この2年間、森友・加計疑惑でうんざりしているのは事実だが、沢山の課題があることを理由にして、国会が森友事件の解明を避けてうやむやに終わらせるのでは、森友事件が先例になってしまう。全ての役所が首相の顔色をうかがって、会計検査院に指摘を受ける不合理や数字の誤魔化し、文書改竄が日常化しては困る。政治家への疑惑は最後は有権者が判断することではあるが、先ずは国会として、行政をチェックする機能を取り戻すことを求めたい。   (先頭に戻る)

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No.108 「ホトケノザとヒメオドリコソウ」(2018.3.24)

早春から春にかけては一番変化に富んだ季節だ。一雨ごとに変化が起きているのが気温や風や匂いで分かる。コブシや桜の蕾は大きくなり、タンポポ、イヌフグリ、ノエンドウ、ホトケノザなどの草の小さな花がそこここで見られる。
   「ベランダ植物界」で
「季節の写真」を掲載しているのは季節の変化を味わいたいためだ。今年の2月には、Nさんから送られたヒメオドリコソウの写真を掲載した。送られた写真を見た直ぐには、私は、これはホトケノザではないかと思ってしまった。上から見たときには、それはとても良く似ている(下左の写真)。

   似ているのは、花(ともにピンク色の小さな筒状の花が、葉の間から顔を出す。)、葉(上から見ると葉が重なって見える)、咲く時期は4月頃で同じ。咲く場所も日当たりの良い道端や畑。草の大きさもあまり変わらず、群落になって咲く様子も同じなので、離れて見たら区別がつかない。
   今月初めに、私はパートナーと散歩をしながら、道端の草花を「これはホトケノザだ」などと言い合っていたら、パートナーから「違うよ!良く見なさい」と言われた。しばらくしてパートナーは、「同じ場所に生えていた」と言って、近くの道路脇で見つけた2種の花を持ってきてくれた(下右の写真)。左側がホトケノザ、右がヒメオドリコソウ。横から見るとはっきり違いが分かる。ホトケノザは、茎に対して丸く広がる葉が仏像の蓮華座を思わせる。その名前の由来でもある。ヒメオドリコソウは、葉が三角かスペードのような形をしている。間違いを指摘されたのは悔しかったが、「うん。確かに違うね。僕が間違っていたよ」と言わないわけにはいかなくなった。
   ホトケノザは日本自生だが、ヒメオドリコソウは、明治中期にヨーロッパから入った帰化植物だ。ともに、シソ科のオドリコソウ属に属する種である。草の姿や生活環境が似ているのは、百万年前の祖先が一つの種だったからかもしれない。
   道端の草であっても、「名もない草」、「雑草」などと呼ばず、それぞれの名前を呼ぶことは、ものごとを正確に見ようとし記憶に留めようとすることである。名前を知ることは、色や、形、香りなどの違いを見ることでもある。岩石や動植物を十把一絡げに扱っては、科学は成り立たない。「雑草の名前など知らなくても生活をする上では一向に構わない」という人もいるだろうが、それでは、生きていることがつまらなくなりはしないかと思っている。   (先頭に戻る)

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No.107 「オマキザルに見る公平感」(2018.3.18)

ヒトにはキュウリの酢の物やサラダは悪くないが、生のキュウリは95%以上が水分で、たんぱく質が1%、炭水化物が3%程度、甘みは殆どない(食品標準成分表2015年版)。ブドウは84%が水分で炭水化物が16%ほどで、とても甘い。サルにとってキュウリは貴重な食べものであるが、甘いブドウが手に入れば、それを優先して選ぶ。

   キュウリとブドウとを使って、生物学者フランス・ドゥ・ヴァールとサラ・ブロスナンは、オマキザル(中南米産)の反応を調べた(nature・2003論文)。この論文は、公平性を求めるのは人間だけではないことを示したものとして有名だ。2匹のサルに簡単な仕事(サルに小石を渡して戻させる)を与え、報酬としてキュウリかブドウを与える。サルからは互いの行動と報酬が良く見えるようになっている。そして、同じ仕事の報酬として、一方にはキュウリを与え、他方のサルにはブドウを与えるのだ。
   下の動画(ユーチューブ)には、キュウリを与えられたサルの反応が現れているので、ご覧いただきたい(約3分です)。 左側のサルは、初めはキュウリをうまそうに食べたが、右のサルがブドウをもらっていることに気がつくと、キュウリを試験者に投げつけ、境界のプラスチックをゆすったり、机をたたいたりした(まるで不公平に抗議しているとしか思われない)。怒りで小石や餌の受取拒否も起きる。
   比較の対照として、2匹ともにキュウリ与えた場合、仕事をしないでもそれぞれにキュウリとブドウを与えた場合、ブドウがあることは見せるが隣に相棒のサルを入れないでキュウリのみ与えた場合での試験も行われた。一連の試験(1つの条件で25回)から、受取拒否された比率を比較した統計解析を踏まえて、この現象が不公平を拒絶する霊長類の心理の進化を証明していると結論づけている。

   生物学者は、オマキザルで見られた現象は、チンパンジーや犬、カラスでも見られるという。同じ仕事をした場合に同じ報酬を得るのが当然という感覚は、これらの種が集団として互いに協力し合う関係を維持する上で欠かせないからだと考えている。
   私は、この論文と動画を見て、公平性を求める感覚は、人間だけのものではないことに感動を覚えた。また、人が公平性を求める意識が、ヒトが生物(協力し会う生き物)であることに由来しているらしいことに安心を覚えた。それは、平等や公平を求めることが、神の下の平等とかいう発想だったり、ジョンロックなどの政治思想家・哲学者の考え方に頼った思考の産物(それはそれでとても重要なのだが)ではないことが分かるからである。市民社会で確立した個人の自由・平等・幸福追求の権利は自明とされているが、生物学の立場からは、進化の過程でヒトが獲得した裏付けのある感覚でもあるといえるのだ。その感覚は、人がヒトである限り奪われようがないではないか。
   オマキザルの感覚は同一労働・同一賃金と同じ立場である。この試験から分かることは、不当な差別を受けたときには素直に怒ることが生き物としての姿ということだ。身の周りの不正や不平等に対しては、勇気をもって発言することが大事だよと霊長類の仲間が教えてくれているように思った。   (先頭に戻る)

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No.106 「大統領のツイッター」(2018.3.11)

ツイッターを頻繁に使って仕事(?)をするトランプ大統領は異色だ。大抵の政治指導者は、自分の意見を軽々しくは言わない。トランプ氏のツイッター(下右図)での多くの発言は彼の支持者とのエール交換・挨拶のようなものだが、その発言が株価に影響したり、政策を理解するヒントになることもあるので注目されている。3月11日のNHKニュースで、このツイッター(下左図3月10日分)が取り上げられ、トランプ大統領が北朝鮮や貿易赤字解消で安倍首相に注文をつけたことが報道された。

   3月10日のトランプ大統領のツイッターでは、「北朝鮮との対話を心配した安倍首相が電話をかけてきたので、その話とあわせて、日本の対米貿易を改善するよう注文した。アメリカは貿易赤字が1000億ドルにもなる。これはフェアじゃない、長続きもしない。だが全ては解決するだろう」(拙訳)と言っている。
   今年の2月6日に発表された米国商務省の統計によれば、2017年は米国の貿易赤字は合計5660億ドル(日本とは688億ドルの赤字)となり、この9年間で最も大きな額になったとのこと。ツイッターの1000億ドルが何を指すのか分からないが、貿易赤字削減を掲げたトランプ大統領にとっては屈辱的だから声を荒げたくなるのも分かる気がする。このツイッターには、13時間で5万数千人が「いいね」を与えている。EUを叩き、中国を叩き、日本を叩くことは、今のアメリカで支持を得るには必要なことかもしれない。

   トランプ大統領は、ツイッターを一日に何回もしている。得票がものを言う社会だから、その反応を見て政策判断をしているようにも見える(下右の写真をクリックすると見られます)。
   トランプ大統領のツイッターには、支持者らしい人が「彼は当選しないだろうと言われたのに、当選した。税制改正をできないだろうといわれていたのに、行った。彼の政権は1年持たないだろうと言われていたのに、1年持った。彼は、キムジョンウンには会わないだろうと言われていたのに、会おうとしている。」などと賞賛している。
   ツイッターは、遠くの人を身近に引きつける。大統領と会うことができない人でも、直接語りかけられれば、嬉しいに違いない。ツイッターの効果はある。トランプ大統領はそれを知っている。メディアから叩かれようと、ツイッターの反応を見て彼は心の安らぎを得ている。
   それにしても、キムジョンウンとトランプ大統領との対話が成功することを期待しないわけにはいかない。直接対話については、失敗するのではないかといった否定的な論調が多いが、朝鮮半島の非核化、世界の非核化についての方策を見出して欲しい。両者は一筋縄ではいかないリーダーだから、対話のための対話ではなく、戦争を避けるための真剣な対話をして欲しいと思う。   (先頭に戻る)

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No.105 「個人と種(Homo sapiens)との関係」(2018.3.6)

友人の生物学者M博士は、「生き物は生命の繋がりであるという点で、個体は個体であると同時に、種(しゅ)でもある」といっている。種というのは、生物分類学上の基本単位のことで、細かな定義が沢山提案されているが、他の種の個体とは形態が違うとか、交配できないとかいったことで特徴づけられる個体の集団の概念だ。私という個人は1匹(1人)の生き物として目に見える存在(実体)だが、Mさんは、「種は、概念というだけでなく実体でもある」と主張する。そこで私なりにこの考えを検証してみた。

   確かに、生き物の設計図とされる遺伝子(DNAの配列)は、親世代だけでなく、さらにそれ以前のとても多くの世代の個体から引き継いだものだ。だから、種の本質が遺伝子に代表されると考えれば、細胞中に存在するDNAの配列として見られないこともない。つまりは実体ではある。だが、それが種全体(その種に該当する全個体に相当する)といえるのかという疑問残る。
   そこで、別の角度から考えてみた。私は、両親(父と母)の間に生まれたのだから、親の世代は2人、祖父母の世代は4人いる。更にそのそれぞれの両親がいるので、3代前は8人いる。このようにして、計算すると10世代前なら1024人になる。同族結婚や近親結婚が有ったことを考慮しても、江戸時代頃には、数百人の私のご先祖が生きていたはずだ。1世代30年として、1000年前(33世代前)には、2の33乗=85億人、今の地球の全人口を超える。日本列島は地理的に隔離されていたので、同族結婚が繰り返されてきたのだろう(それで民族的な特徴がでてきた)から、私がお付き合いさせていただいているほとんどの人は、ずっと昔の祖先に遡れば、お互いの祖先同士が兄弟姉妹であったということは十分にあり得る。

   このように考えると、人間はある短い時期だけをみれば、その個体(個人)は人類という種の全体からは切り離されているが、長い期間を通してみれば、種は生身の人間の集団(1箇所に集まって居なくても良い)の実体であるように思われる。 このことは過去に遡るだけでなく、未来に向かっても同様である。いつの時代でも、種(無数の人間の遺伝子)が個人の遺伝子中に含まれ、個人の遺伝子が種を成り立たせているという本質を捉えている。ある種が絶滅しかかっているような場合、最後の1匹は、まさに個体と種とが完全に一致していると分かる。

   人は、自分以外の人々(人類全体)をどう表現してきたのだろうか。
ベートーベンの交響曲第9「合唱」の歓喜の歌には、「時流が強く切り離したものを 世界の人々は皆、兄弟となる」という歌詞がある。元の歌詞は「時流の刀が切り離したものを 物乞いらは君主らの兄弟となる」という意味だったとのこと。歌詞はシラーの自由賛歌の引用で、時間を意識することで、切り離されて見えなかったものが見えてくると言っているようだ。「全ての個人が貧富や地位にかかわりなく兄弟になる」というのが、歓喜の歌の神髄だ。つまり、人類(という種)が意識され、兄弟であることに気がつくとそこに歓喜があるという、素敵な考え方だ。
   公民権運動の指導者キング牧師が「私には夢がある。」と語った夢の内容(「いつの日か、・・・かつての奴隷の息子たちとかつての奴隷所有者の息子たちが、兄弟として同じテーブルにつくという夢」→1963年演説)と同じだ。M博士は、とても深いことを主張しているのかもしれない。   (先頭に戻る)

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No.104 「第9条第2項の扱いと悩み」(2018.2.25)

No.103で法解釈の記事を書いたが、その後2月22日の衆議院予算委員会では、立憲民主の山尾しおり議員が、「自衛隊を違憲と考える議論は第9条第2項に関係している。総理が主張している第2項をそのまま残し第3項に自衛隊を明記するならば 依然として違憲であるという疑問は残るがどう考えるのか」との質問をした。ここでも、首相は、「自民党でもまだ案ができているわけではない。自分は答える立場にはない」と答えた⇒(立憲民主のHP)。そこで、第2項について考えてみた。

   第9条第2項 「前項の目的(戦争放棄)を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」・・・文字通りに解釈すれば、戦力である自衛隊は認められない。
   9条の成立は、日本に軍事武装を許さず歯向かわせないという戦勝国の意向と、悲劇を味わった後の平和国家の理想(「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」決意した理想)とが一致した結果だ。
   自衛隊の発足は朝鮮戦争が勃発したときのマッカーサー指令による。自衛隊が合憲か違憲かは、過去の裁判でも争われてきた。昭和48年の札幌地裁の長沼訴訟第1審では、「自衛隊は、その編成、規模、装備、能力からすると、明らかに・・・軍隊であり、・・本条第2項にいう「陸海空軍」という戦力に該当し、違憲である。」と判決がされた。その控訴審(昭和51年札幌高裁)では、自衛隊が第2項に違反するか否かは「統治行為に関する判断であり、国会及び内閣の政治行為として究極的には国民全体の政治的批判に委ねられるべきもの」として、「裁判所が判断すべきものではない」として今日に至っている。

   多くの国民は災害救援などの自衛隊の活動は否定していない。だが憲法に自衛隊を書き込むのはどうか。メディアによる最近の世論調査がある(下の左)。条文案が示されない段階で第2項を削除するか否かで2つの考えを聞いたものだ。毎日、読売、NHKの調査結果があるが、聞き方によって随分と開きがある。選択肢に「わからない」を入れた毎日が実態を反映しているようにも思う。
   自民党にとっての悩みは、9条の改憲案が国民に支持されるとは限らないことだ。2月23日の毎日新聞では、伊吹文明氏の発言が記事になっている(下の右)。伊吹氏は「法理的には2項削除が正しい。」と指摘。ただ「法理的に正しいことは、人間社会ではほとんど正しくない」とも語ったという意味深な記事だ。
   多くの国民は自衛隊を認めていても9条2項は維持したいと思っている。安倍首相の案には、その人達の票をうまく取り込みたい意図がある。伊吹氏が「法理的には2項削除が正しい」と言ったのは、No.103で書いた法制局長官の法解釈の原則からすれば、第2項に何ら修正も削除もしないのだから第2項は空文化するという意味だ。伊吹氏の記事は、首相の騙しのテクニックを暗に語っている。
   私は、自衛隊は災害救援には力を入れてもらいたいが、海外(領土・領海外)での戦争(戦闘行為)は絶対に止めて欲しいと思っている。9条は今のままでも自衛隊にも国民にも何ら不都合な点はない(首相は奇妙なことに「国民投票で否決されても自衛隊は合憲であることに変わりはない」と国会で答えている⇒毎日2月6日記事)。   (先頭に戻る)

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No.103 「改憲・護憲と法解釈の知識」(2018.2.18)

法律は、普通の文章と比べると難解だ。独特の表現や解釈ルールがある。改憲議論をするならば、有権者はある程度の法律の知識を持たないと、誰かの言い分を鵜呑みにすることしかできない。2月14日午前の衆議院予算委員会で立憲民主の枝野幸男議員が良い質問をしてくれた。私も知りたいことだった。質問の背景には、安倍首相が「憲法9条に第3項を設けて自衛隊を書き込む」、「自衛隊の位置づけは現在と全く変わらない」などと盛んに発言していることがある。そこで、その質疑応答を再現してみた(参照⇒YouTube←ここで20~30分頃に見られます)。

   枝野:一般論としてお聞きするが、法律の同じ条に、第1項、第2項、第3項・・などいくつかの項があって、一見すると矛盾するような場合にどのように解釈するのが基本原則か?
   横畠(内閣法制局長官):一般論であるが、そもそも矛盾を避けるために、但し書きなどで例外であると分かるように書くのが原則である。そうでない場合、具体的な条文がないとなんとも言えないが、いずれも成り立ちうるという前提で、合理的に全体を解釈することになる。
   枝野:後でできた条文が前からあった条文に優先する(後法が前法を破る)という原則あるが、どう考えるのか。
   横畠:後法が優先するという考えはある。しかしそれは条文にもよる。他国とは違い我が国の法体系では、矛盾があるという議論を生まないように、既存の条項にも手を加え修正したり削除したりしている。そこで矛盾しない合理的な解釈をすべしという条文があるときには、後法が前法に優先するとは限らない。
   枝野:安倍さん!総理!9条の文案を出してください。総理は「9条第3項に自衛隊を書き込んでも自衛隊の現状は全く現在と変わらない」と国会の外で発言している。法制局長官が「どのように解釈できるかは具体的な条文の書き方による」と言っているのだから、条文を出してもらわないと安倍首相が言っていることが正しいのか間違っているのか判断できない。首相は根拠がないのに自説が正しいという先入観を国民に与えている。
   安倍:ここでは総理大臣として答えており、自民党案については答える立場にない。しかし敢えて言えば、第1項、第2項を残せば、その制約は受けると考えている。「確たることは申し上げられないが」とも言っている。「書き方にもよること」は確かだが、まだ、自民党内でも議論が進行中で、自分の考えが自民党の案になるかも分からない。条文を示せと言うのなら、憲法審査会で議論して欲しい。

   法制局長官という立場は非常に重い。裁判所を除けば法律は全てここで専門的に審査される(唯一の例外が安保法制の審査で、これは法制局での審査が行われた形跡がない)。上記の質疑応答をもとに、日本国憲法第9条の改訂について考えれば、横畠氏の説明のように、第2項に何の手も加えず単に第3項を付け加えた場合には、第3項が第2項に優先(第2項は空文化)してしまうことがあり得るということだ。その場合には、第2項「前項の目的(戦争放棄)を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」は、自衛隊には適用されなくなるから、自衛隊は領土・領海の外でも交戦することが可能となる。憲法の平和主義が崩れる。
   私は、随想No.89「日の丸を掲げて11.3集会に参加」で、自衛隊の明記は必要なしと書いた。自衛隊の存在は最高裁でも違憲とはされていない。敢えて明記した場合に、将来、第3項だけが独り歩きする恐れもある。大日本帝国憲法で書かれた「統帥権」の解釈が、明治政府の当初の思惑を超えて軍部の独断を許し、日本が破滅の道に向かったことは、記憶しておかなければならない。今後も、改憲問題は注意深く考えたい。   (先頭に戻る)

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No.102 「平昌オリンピックの楽しみ方」(2018.2.14)

韓国・平昌(ピョンチャン)での冬季オリンピック(2月9日開会式)は、いろいろな意味で楽しませてもらっている。北朝鮮が核・ミサイル開発を進め、国連の経済制裁と日米韓が圧力(軍事演習)を高める中で、オリンピック開催ができるのかが気がかりだったから、何とか開催にこぎつけた韓国政府の頑張りには感心したし、金王朝と文大統領との駆け引きにも目を見張った。しかし、オリンピックとしての面白さは、何といっても世界最高のプレイ、選手本人が伝えるドラマ(努力、喜び、悔しさなど)の中にある。

   私自身は大人になってからスキーに2~3回行った程度でオリンピック種目は経験も知識もない。それでも、スノーボードやスキーを操って、軽やかに空中に飛び上がったり、回転したりのアクロバット的な動きをテレビで見ていると、選手本人が一番楽しそうに思える。
   カーリングという競技は大きな石を氷の上で滑らせ、ブラシで氷の表面を磨いて自分の石を的の中心に誘導し、相手の石を遠ざける技術を競うものだ。これも楽しそうで、なんだか子供の遊びのようである。だがスイスとカナダのミックスグループの決勝では、選手が正確に目標に石を運んで行く手法に驚嘆させられた。比較的なじみがあるスキージャンプは、風が強い中で行なうことは危険である(テレビには風速が表示される)。そこでスタート位置を下げて飛びすぎる危険を避けながら、その分の点数を加算して公平を保つ仕組みにはなっている。だがTV解説者によれば、追い風だったり急に風向きが変わったりすると飛距離が出ないとのこと。だから運・不運で成績が決まることもあると知った。
   12日夜までの日本選手の成績は、フリースタイル男子モーグルで原田智さんが銅メダル、スピード女子1500で高木美帆さんが銀メダル、ノルディックスキージャンプで高梨沙羅さんが銅メダルを取ったと報道されている。NHKを含めたメディアが「メダル、メダル」と言い立てるので、そのプレッシャーで緊張しすぎたり、メダルを取れなかったことを悔やむ人もいるのではないかとも気になる。オリンピックに出るような人達はプレッシャーには慣れているのかもしれないが、それでもテレビでインタビューされる選手の目に涙が浮かんだり、声を詰まらせたりしているところを見ると、その苦しさや悔しさが想像できる気がする。

   ところで、深夜まで競技を続けている理由の一つは、
オリンピックのテレビ放映権のせいでもあると聞いた。米国のNBCが2032年までの米国向け放映権を独占しているため、米国の視聴者のゴールデンアワーに合わせた競技の実施計画になっているようなのだ。1兆円近い金をIOCに支払うとは言え、選手や開催国の便宜を無視することもあり、クーベルタン男爵も嘆くのではないかと思われる。
   2020東京オリンピックが真夏の真っ盛りに開催されるのも、米国の春秋には別のスポーツ大会があるので競合をさせないためのようだ。日本では秋晴れの季節がスポーツ大会にふさわしいと思う。ロシアは国家ぐるみのドーピングがあったため選手は個人としてオリンピック旗の下で入場行進をした(それも悪くなかった)。スポンサーでもある国家や放映権で支配する企業の都合を優先するのではなく、プレイをする選手を中心としたオリンピックとなるよう関係者はもっと努力すべきではないか。   (先頭に戻る)

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No.101 「株式譲渡所得の確定申告をする」(2018.2.7)

コメが年貢(税金)の対象であった江戸時代には、藩の財政を安定させるため、豊凶にかかわらず一定の税を納める方法(定免法)が普通だったようだ。農民は不作の年には困窮したが、開墾地には年貢が直ぐにはかからないなどの理由もあって、豊凶を調査して年貢の額を決める検見法と比べて評判は悪くなかったらしい。
   現代の所得税は、負担公平と富の再配分の考え方から、所得のない者には課税せず、高額所得者ほど税を高くする累進課税がとられている。株式の譲渡所得については累進税率ではなく、復興特別所得税を含め所得税(税率15.315%、他に住民税5%)を納付する仕組みだ。私は、遺産相続した株式を昨年売却(税制上は譲渡という)し譲渡所得を得た。それで確定申告をして税金を納めようとしている。

   確定申告に伴う問題はいくつかある。納税の言葉や事務になれていないと、申告資料の作成は難しい。私は源泉徴収口座しかもたないので、株式の譲渡所得を申告するのは初めてだし、確定申告自体の経験も少ない。だが国税庁・税務署は丁寧な手引きを配布しているので、まあ何とか理解できそうだ。
   大きな問題は、両親が株式を購入し始めたのが、戦後間もないころだったので、購入価格(取得費)が不明であることだ。譲渡した額の95%を所得と見なすルールもあるが過大な税額になる。そこで、それぞれの株式の異動証明書(売買年月日と株数が書かれている)を信託銀行から入手し、売買年月日の終値を東京証券取引所から聞き取って取得費用を推計する方法がある。株式異動証明でも遡れない場合は、上場以来の最安値を取得価格にしても良いらしい。取得費の推計には、かなりの手間を要する。

   確定申告の時期(今年の受付は2月16日からの1ヶ月間)は、税務署は殺人的に忙しくなる。多くの人が税務署を訪れ相談や受付で長い列になっているのを目にしているので、今からうんざりした気分になる。私は、何はともあれ期限までに提出資料を完成させなければならない。
   この役所のトップに、森友学園で安倍首相(夫人?)の意向を忖度(そんたく)し国有地の不当な値引きを指示したとされる佐川宣寿元局長が昇格・就任したのだから、税務署職員も良い気分ではないだろうと思う。税務署職員の働きで集めた国民の財産(税金)を勝手に使ってしまうような人と思えるからだ。
   安倍首相は、国会で「この人事は能力に見合った適正な配置だ」と説明した。この意味が、秦始皇帝時代の思想家韓非子の唱えた「信賞必罰」だとすれば、とても良く理解できる。逆らうものは殺し、命令に従うものは必ず賞を授けるという「君主が群臣を統御する方法」である。佐川氏は、首相からは褒められたが、国民・納税者の期待を裏切ったのではないのか。日本国憲法では、公務員は王様や皇帝の家臣ではなく「全体の奉仕者であって一部の奉仕者ではない」と定めている⇒(憲法15条2項)  (先頭に戻る)

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No.100 「植物が人を育てている」(2018.1.29)

人は、「人間が樹木や穀物などの植物を育てている」と考えがちなのだが、実際は違う。この地球では、植物が動物(人間を含む)を育てているのである。これは、人間中心の考え方を捨ててみれば理解できる。人間は害虫のように植物に寄生しているだけと言っても過言ではない(同じ植物を食べる虫になって見れば人間こそが害獣だろう)。植物は光合成を行う力を持っている。光合成は厳密な説明は難しいのだが、高校生レベルの説明では、「植物が光のエネルギーを使って、炭酸ガスと水から炭素を固定し糖や澱粉を作り、酸素を生みだしてくれる」ことだ。私たちは、光合成の作用でつくられた樹木や米麦、綿、豆、トマトなどを利用させてもらっているにすぎない。植物は、太陽光を実に巧みに利用して繁栄してきた。

   藍藻類のシアノバクテリアが、20~30億年前に大繁殖して、炭酸ガスだらけの地球を酸素の多い状態に改造してくれたおかげで、酸素を消費するだけの動物が生まれ、オゾン層ができるなどして動物も陸上で生活できるようになった。また、水中に溶けていた鉄分が酸素と結びついて沈殿して鉄鉱石となり、過去の植物である石油・石炭も人間が勝手に利用している。地球史的に見ても、植物の役割は決定的であるので、植物学者牧野富太郎が、植物を信仰の対象にした宗教を作りたいと考えたのも無理からぬことだ。

   植物は、住宅や食べもの、紙、繊維などを供給してくれる。そして花や盆栽、観葉植物などで私たちの生活をうるおいのある楽しいものにしてくれる。植物は精神面でも人を育ててもくれるのだ。
   この1月に、私は12鉢の胡蝶蘭を人からもらったが、うち7鉢が枯れてしまった。もらった時点では葉が青々していたのだが、花や葉がパラパラとこぼれ落ちて行った。やがて落花、落葉は止まるだろうと放置していたのが悪かった。もらった直後に痛んだ根の手入れをして花と葉を切り捨てれば生き延びたかもしれない。根は湿って腐り始めていたから、寒い場所で水を大量に与えられていたのだろう。
   それから1月1日に咲き始めた黄色のミニカトレアは、先週、しなびて茶色になってしまった。寒波が来たときに水をやって窓際に置いていたのが悪かったようだ。花は何も言わず、ただ枯れていくだけである。夢の中で「もう少し咲いていたかったのに。私のことをもっと理解してよ。」と恨みを言われたような気がした。私は何も言い返せない。

   (春さんの随想は100回目になりました。毎回同じようなことを書いたり、うまく表現できないと感じたりもしていますが、これまで、拙い文章につき合って下さった皆様には感謝します。書こうとする意欲は、人間世界の情報と友人からの言葉、そして目の前にある数十のランの株からいただいています。今日は、少し暖かくなって平年並みになるとの天気予報でした。)   (先頭に戻る)

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No.99 「言葉より前に"思い"がある」(2018.1.20)

絵画や音楽で表現できる場合もなくはないのだが、日常的には、自分の思い(感情、思考、気持ち)は言語によって伝えるしかない。口に出しても文章にしても良いが、何かを伝えたいときには、私の場合は常に日本語を使うことになる。そうでなければ考えさえまとまらない。 だから「始めに"ことば"ありき」と聞いても、宗教的な意味は別なのだろうが、あまり違和感を持たなかった。

   しかし、実際には「始めに"思い"ありき」だ。それは、言葉を学ぶ前の乳幼児をみれば分かる。気持ちを伝えようと顔の表情(笑顔や泣き顔)や身振りで知らせようとする。大人でも自分の考えを正確に表す言葉がなかなか見つからないのは、"思い"が最初にあって時間的に後から言葉が選ばれるからだろう。ぼんやりとした思考であっても、頭の中で言葉よりも早く生じるのは間違いなさそうだ。
   今から40~50年前には、「動物は言葉を持たないから考えることもしない」という説が常識であったが、動物も、考えたり声を使って伝達したりすることが観察されてきた。更には、言葉(鳴き声など)の使い分けのような事象も観察されている。例えば、ケニアの平原に暮らすサバンナモンキーは、ヒョウ、ワシのそれぞれに別の警告の声をあげることが観察された(資料論文1990)。また、危険なヘビに出会ったときにチンパンジーは仲間に警告の声をあげるが、その際に仲間の聞き手の状況(子供の存在、聞き手がヘビに気づいているか否か)を考慮しているらしいのだ(論文2011)。

   ヒトの場合は、他者への伝達方法はとても複雑である。時には専門用語や高度な知識が必要だが、不正確でも感情に訴える言葉が有効な場合がある。本当の気持ちを隠し、不安に陥れたり安心させたりしながら、他を操ることもできる(言葉ではないが騙す能力は他の動物にもある:アメリカカケス論文2006)。ヒトが言葉で他人を騙せるのは、言葉が"思い"と同じであっても違っていても、聞き手が理解できるからだ。会話、携帯電話、インターネット、テレビを利用して、善意の人も詐欺師も大活躍している。
   ヒトが騙されるのは、自分の好みにあった情報を選びたがる(信じたがる)からだ。2017年末にオバマ前大統領が、ヘンリー王子のインタビューに答えて、インターネットの危険性について「ネット上では、人々は全く違う現実を持っている。ネットの情報が彼らの偏見を強める(繭に包まれたような)状態を作っている」と警告したと報道された(→CBS/AP20171227)。確かに、異なる意見に耳を貸さず、ネットで好きな情報ばかりを集めていると、知らないうちに、どこかに導かれていく感じがする。こうした意味では、トランプ大統領は毎日ツイッターを巧みに使いこなしているように思われる(比較:オバマトランプ)。   (先頭に戻る)

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No.98 「牧野富太郎先生の生き方」(2018.1.13)

高知市の浦戸湾の付け根に五台山という山(標高146m)がある。市街地や浦戸湾を臨める見晴らしの良い山だ。山頂付近に県立牧野植物園がある。牧野富太郎博士の業績を顕彰してつくられた植物園で研究機関でもある。私は、2017年の12月13日にここを訪れ、牧野が命名したノジギクなどを見た。
   牧野は幕末1862年に高知県佐川村に生まれ、長じて日本中の植物を採集し、標本を作り(60万点)、分類し、新種(1000以上)、新変種(1500以上)を命名した人だ。東京帝国大学で助手・講師として78歳まで勤め、退職後90歳を過ぎても植物採集、図鑑作成に力を注いだ。
   私の牧野についての印象は、牧野の能力を恐れた教授から疎まれた人、とても緻密な植物図を書くという程度だったが、牧野植物園を訪れ、「牧野富太郎自叙伝」を読んて知ったことは、ものすごく植物が好きな人、とても科学的な(筋の通った合理的な)考え方をする人だったということだ。

   20歳頃の牧野は、植物学者になるための意見書「赭鞭一撻(しゃべんいったつ)」を書いた(解説→Lablogue)。そこでは、例えば、洋書を含め物理や化学など関連する本を読むこと、画図を引く技術を身につけること、野山を歩き回る労を厭わないこと、農民や婦女子からも植物の呼び名や使い方の情報を集めるなどの方針を書いている。そして書物には間違った内容もあるから鵜呑みにするな、分からないことを造物主(神)のせいにするなとも言っている。86歳になった牧野は、この意見書を原文のまま読者に公開した。彼の生き方は、まさしくそこに書かれたことの実践だった。
   植物が好きなことは、牧野が「草木は我が恋人」と何度も言っていることから分かる。酒も煙草もやらず、高齢になっても植物採集(言葉・文献の採集も)に明け暮れ、標本の整理を午前2~3時までしたとのこと。両親と早く死に別れ、酒造業を営む祖母に育てられたから、姉妹兄弟のいない牧野には植物が心の友になったのかもしれない。

   ところで、イヌフグリハキダメギクという名前を聞いて、「牧野は可憐な花にヒドイ名前をつけた」・・と困惑し非難する人がいるが、私は「それは考えすぎですよ」と言いたい。ふぐり(垂れた袋状のものの意味、松かさの意味も)とは、陰嚢・睾丸の和名だが、この植物の実の形が犬のふぐりに似ているから名づけたというだけである。そもそも、牧野には、ふぐりを拒否する感覚は無かっただろう。明治期までの田舎には共通した感覚だったに違いない(当時はおおらかであり混浴なども普通)。掃きだめはゴミ捨て場のことだが、昔の家には庭の片隅に掃きだめがあるのが普通だった。そこでよく見かける菊科の植物にハキダメギクと名づけただけだ。イヌフグリの命名で牧野を非難する人は、本当にふぐりを嫌悪すべき(猥褻なもの?)と思っているのだろうか。そうだとすれば、男性は自己嫌悪に陥らなくてはならないではないか(次の写真はオオ・イヌノフグリ)。   (先頭に戻る)

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No.97 「子ども科学電話相談の楽しさ」(2018.1.5)

年末25日から1月8日までは、NHKラジオで冬休み子ども科学電話相談という番組をやっている。以前は夏休みだけだったが、人気があるので冬休みにも始めたとのことだ。何年か前の夏の番組で、「どうして海の色は青いんですか」という問いに、先生は「空が青いから、空が映っているんだよ」と答えておられた。質問した子どもが納得したのかは分からないが、私は妙に納得してしまって、その後何人かの大人に同じ質問をしてみたが、「分からない」という答えばかりだった。確かに夜の海の色は暗いし夕日の海は赤くも見える。
   年末の相談の時に、5歳の子どもが「月と太陽とどちらが大きいの?」と聞いたとき、先生が「日食は知っているかな」と聞き返したが、この答え方は失敗だった。5歳の子どもが、日食など知っているはずもなく、窓口のアナウンサーが、「遠くにあるものは小さく見えるんだよ」と答えて納得してもらっていた。小学5~6年生になると、私が初めて聞く名前の恐竜について細かな質問する子もいる。窓口のアナウンサーが子どもに「どうしてその質問をしたいと思ったのか」と動機を聞いているので先生には答えやすいと思うのだが、先生自身が、子どもがどこまで分かっているかが分からないので、不完全な答えになってしまうこともある。
   飼育したり観察したりしたことについての質問は、画像はないが、質問が具体的だから回答する先生と話がかみ合う。「どうして」「なぜ」という問いは、「どのように」などと比べて根源的な問いだ。始めの疑問に答えても、更に「どうしてそうなるのか」の疑問が残る。回答者の先生は第一線の研究者や経験豊かな人達だが、限られた時間で回答するという制約もある。

   1月4日には「アームストロング船長が月に下りたときに、アメリカの国旗が揺れていたから、本当は月には行ってないのではないか。」という小学生からの質問があった。以前にもあった陰謀説と同じだったので耳をそばだてていたら、先生は「真空中や重力が小さい場でも振動が起きることは実験で確かめられている。旗は横から見えるように縁に棒が入っていた。月の石も持ち帰って分析した。決定的なことは、その後の月の衛星写真で旗もちゃんと写っていたから、本当に、ほんとにほんとうーに人間は月に行ったのです」と回答された。とても良い回答だと思った。事実を伝えるだけでなく、説明する人のどうしても分かって欲しいという強い熱意が大事なのではないだろうか。
   森友・加計問題では、安倍首相は「丁寧に説明する」と何度もいっていたのに、証人喚問を拒否して同じ内容を繰り返すばかりの回答だった。こちらは知ってもらいたくないという強い熱意の表れだろう。   (先頭に戻る)

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No.96 「2017年は分断が進んだ年」(2017.12.30)

ある団体が2017年を漢字一字で表す公募をしたらトップは「北」だった。今年は北朝鮮を意識する人が多かったのだろう。自民党麻生副総理は、10月に「総選挙で自民党が勝利したのは北朝鮮の核とミサイルのおかげ」と発言した。野党は反撥したそうだが、実際は副総理のいう通りだろう。国民に不安を煽った政策が功を奏したのだ。安保法制や共謀罪のような国民の意見が分かれる法案を強行採決し、森友・加計問題があったのに支持率が下がらなかったのは、全く北朝鮮のおかげだった。人気がなかったジョージ・W・ブッシュが、2001年9.11の貿易センタービルの攻撃のあとで、支持率が90%まで回復したとの同じである(戦争になれば愚かなトップでも支えなければならないという人々の連帯感と優しさ)。

   私が2017年を漢字1文字で表すとすれば、「断」を選ぶ。年初にトランプが大統領に就任し、パリ協定からの離脱、メキシコとの国境に壁をつくる宣言をし、イスラム教徒や黒人への差別的発言をし、年末にはエルサレムをイスラエルの首都として大使館を移転させる方針を明言した。異質の決断であり、文字通り世界の人々とアメリカ人との連帯を断ち切る行為だった。北朝鮮の金王朝もトランプ政権といい勝負だ。核の抑止力を信じる点では全く同じだ。安倍政権は北朝鮮の乱暴なやり方を巧みに選挙に利用した。小池都知事に騙された民進党は立憲民主党、希望の党などに分裂してしまった(今も分裂中)。EU各国では移民排斥を掲げる政党が躍進してEU統合の意味が問われている。スペインのカタルーニャ州の独立も話題になった。貧富の格差も拡大し、各国で分断が進んだ年だともいえる。
   「断」のつく言葉は、決断、切断、分断、断固などあるが、その意味は「切り分ける」「決定する」ということ。トランプが決める社会のイメージには、人種差別、女性蔑視の感じがつきまとう。アメリカファーストは掛け声だけ。トランプファーストでしかない。彼に投票した白人の低所得層の人達は政策の恩恵にあずかっているのだろうか。

   2017年、世界には良い決断もあった。真っ先に挙げたいのは多くの国が賛成した国連の核兵器禁止条約だ。この条約の成立に力を注いだNGO国際団体の「I CAN」はノーベル平和賞を受賞した。日本は唯一の被爆国だ。「米国の意向に逆らってでも核兵器禁止条約に賛成して欲しい」と願っていたが、安倍政権は全く逆だった。日本政府は国連の審議にも加わらず、核兵器禁止条約に反対をした。それなのに「核保有国と核を保有しない国との橋渡しをする」ともいっているが、日本政府に、いったいどんな橋渡しができるのだろう。世界の大勢は核兵器禁止に舵を切ったのだ。
   民主党政権のときには、決められない政治と批判されたが、人々の生活を悪くする政治ならば、決められない方がましだ。子供の時に私は、「12月8日の日米開戦が始まったときにどう感じたか」と親に聞いたら、「当時はアメリカなどにひどい意地悪をされて不安だった。もやもやした気分が日米開戦ですっきりした。希望が持てる気がした。」と祖母と母が答えてくれた。帝国陸海軍の決断は、大変な苦しみと悲しみを日本人にもたらした。
   2017年(平成29年)は、あと一日で終わる。天皇の退位日程が決まり、平成はあと1年半で終わる。あまり先のことは考えても仕方がないが、日本人にとってこの1、2年は、とても大事なときになる気がする。   (先頭に戻る)

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No.95 「地道な調査で嘘の報道を検証すること」(2017.12.24)

最近、神戸製鋼など優良企業が製品検査をせず、データの偽造までしていたと話題になっている。大企業、政府機関、メディアによる嘘や事実の隠蔽は、倒産や甚大な被害を招くことを肝に銘じて欲しい。
   
放送倫理・番組向上機構(BPO)は、NHKと民放連と会員各社が加盟する放送の質の向上を目指している組織だ。そのBPOの放送倫理検証委員会が、今月(12月)14日に、東京MXテレビの番組『ニュース女子』沖縄基地問題の特集に関する意見を公表し、「重大な放送倫理違反があった」と結論づけた。
   この番組は今年1月2日に放映された。その内容に多数の抗議が寄せられたため、BPOの検証委員会の出番となった。 番組は、沖縄県の米軍北部訓練場内で進められた東村高江地区のヘリパッド(ヘリコプター離着陸帯)の建設に反対する人々を「日当を得て活動している」、「現場に出動した救急車を止めた」などと報じ、コメンテーターが建設反対派を批判したり揶揄したりする内容であった。東京MXテレビの責任は、外部の制作会社からの持ち込み作品なのに、考査と裏付け確認をしないまま放映したことだ。

   BPOの検証委員会は、番組制作者や関係者から直接取材し調査した。例えば、「建設反対派が救急車を止めた」と解説したことについて、「現場に出動する救急車を実力で妨害する行為は、その態様により公務執行妨害罪、威力業務妨害罪にも該当しうる犯罪行為である。しかも人命にかかわる場合もありうるのである。このような事態が生じていると報じる場合、事実の存否について、まず消防や警察に事実確認を行うことは取材の基本であり、また容易にできることである。」という問題意識で調べている。
   検証委員会が、救急車を運行管理する地元消防本部消防長や東村高江区長から、救急車の利用回数、運行が妨げられたと思われる事例などを聴き取りをしたところ、救急車を妨害した事実はなかったこと、逆に番組制作会社からは全く取材はなかったことが確認できた。意見書では「本件放送では、制作会社が消防や警察に対し、抗議活動に参加していた人々による救急車の通行妨害の事実の有無を確認した形跡はうかがえない。」と結論付けた(⇒委員会の意見全文

   BPOの検証委員会の意見を受け、東京MXテレビは12月14日に再発防止に務めるとのコメントをした。感情に流されず、一つ一つ検証することは時間も金もかかるが、民主主義国ではとても大切なことだ。私は、今回のBPO検証委員会の活動を高く評価したい。
   12月19日にTOHOシネマズで友人達と「否定と肯定」を見た。ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)はなかったという学者から名誉棄損で訴えられた歴史学者の裁判の話だ。ナチスの心酔者は「いろいろな意見があり、ホロコーストはなかったかもしれない」と思わせることを狙う。事実の確認と科学的な考え方が決定的に重要な世界だ。   (先頭に戻る)

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No.94 「くさやは家庭では取扱い注意」(2017.12.17)

ランの株(花の終わったもの)を譲ってくれた友人から、先日、「人からもらったものだけど良かったらどうぞ」と言って、くさやをいただいた。くさやは、ムロアジなどを強い臭気がある塩汁(魚のタンパクが乳酸発酵した液)に漬けて干した干物だ。この塩汁中では食中毒菌は全て死滅する。くさやは通常の干物より塩分が少なく、味も良くなるようだ(くさやの誕生)。
   喜んで自宅にくさやを持ち帰ったが、くさやの臭いを経験したことのあるパートナーは、「家の中で焼くのは絶対に止めて!」という。どうしても焼きたいとねばると、「台所の換気扇を最強にして、換気扇のついていない側の窓を開いて部屋に臭いが立ち込めないようにしなさい」と注文をつけられた・・・とここまでは良かった。しかし実際にフライパンに油を引いて焼き始めたら、たちまち臭いが部屋に立ちこめてしまった。一番の失敗は換気扇を「弱」のまま作業をしてしまったことだ。パートナーからは「あれだけ反対したのに、おまけに条件も守らないで焼いてこんな状態にしたのは許せない。」と詰め寄られた。

   この日は外の気温が10℃程度だった。換気扇を「強」にしなかったのは、室内にある洋ランを寒風に曝すのはまずいからだったという言い訳も頭に浮かんだ。だが火に油を注ぐのは避けて、ひたすら低姿勢を続けた。くさやを入れた袋をゴミと一緒に外に出し、くさやを焼き終えた後も2時間ほど換気扇を「強」のまま動かし続けた。室温は洋ランには限界の12℃ほどになってしまった。夜になっても臭いは完全にはとれなかった。臭いの成分は周囲のものに付着し、少々のことでは取れなくなってしまったようだ。
   翌朝、パートナーが台所の敷物を洗濯してくれた。そして、昼前には、一緒になって換気扇の掃除をした。パネルやフィルターを取り外し付着している油を洗剤で洗い落とし、台所のガスコンロの周りの壁を石けん液と水で洗った。そしてようやく臭いが消えるところまでたどりついた。
   犠牲を払って焼いたくさやは、ガラス瓶に入れ蓋をし、冷蔵庫で保存し三日間かかって食べた。美味しかったのは確かだが、教訓も得た。
   ① どんな良いものであっても、欠点もあるので取り扱いは気をつけること(ギリシャの物語を書いた塩野七生さんは、民主主義でも取り扱いには注意が必要だとNHKでインタビューに答えていた)。
   ② パートナーに約束したことは、相手の了解なしに破ってはならない(信頼が失われつつある時代だ。家庭の中でも信頼第一だ)。
   ③ くさやは、家では焼かないこと(今回の経験から)。
   ④ 台所の換気扇清掃は、マニュアルどおり原則として月に1回は行うこと(換気扇清掃を3カ月してなかったため、フィルターに油滴がついていて、一部は目詰まりを起こしていたことを知った。マニュアルは伊達には書かれていない)。   (先頭に戻る)

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No.93 「わたしたちが孤児だったころ」(2017.12.11)

程度に差はあれ、人は一生のうちに3種の人生を送ると思っている。この3種は同時進行することもあれば別々に進行することもある。その1種は自分が幼児や子供だったときに、祖父母などから直接話を聞くことで得た感覚だ。核家族が中心になった現代ではこの人生はうんと小さくなっている。2つめの人生は、親の話や経験から得た人生だ。子供や青年期は、親に従うにせよ、反撥するにせよ親の影響は極めて大きい。3つめの人生は、自分が親から自立した時代の体験である。歴史書などから得た知識も大切ではあるが、生身の自分が見聞き体験することこそ人生なのだと思う。
   両親のいない子供を孤児という。孤児は何でも話せる親がいないという意味で孤独である。しかし養父母が親の役割をしてくれることもあるから、精神的な意味では誰もが孤児ではないとも言える。また、異なる時代に住む別人として、親にだって話ができないこともあるのだから、誰もが孤児であるとも言える。

   英国人
カズオ・イシグロ「私たちが孤児だったころ」(ハヤカワepi文庫)を読んだ。今年のノーベル文学賞作家は、人の「記憶」に関心があるようで、この本は、名探偵になったイギリス人が、生まれ育った上海の街(租界)で両親と生き別れた時代を回顧する物語である。子供の時代1900年頃から1930年代に焦点を当てている。アヘンを輸出する会社に勤務する両親の生活と葛藤、隣家に住んでいた日本人のアキラとの友達関係、当時の上海社会の退廃、蒋介石軍や日本軍の戦闘(1937年の上海事変に主人公が巻き込まれる)、最後に明かされる孤児となった理由。

   この本のタイトルは「WHEN WE WERE ORPHANS」だ。主人公は、結婚をしないで孤児を養女として育てているので、それを含めて「私たちが孤児だったころ」としたとも思われるが、「人は孤児のようなものだ」という感覚と「それ故に過去を共有したいという願い」とが混ざった気持ちから「WE」としたのかもしれない。
   日本人にも思い出したくない記憶があるように、中国へのアヘン販売はイギリス人にとって思い出したくないこと(忘れたいこと)だろう。1937年(昭和12年)に私の父は日中戦争に召集されたので、この時代がどう描かれているか興味を持って読んだ。読み終えて、分断された時代であっても、良心、名誉、愛情、平安を願う気持ちは私たちに共通しているのだと感じた。   (先頭に戻る)

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No.92 「君は動物の気持ちが分かるか」(2017.12.3)

頼まれて雄雌2匹のネコをあずかった数年前のある日のこと。ドアを開けた拍子に、物音がして部屋に入って来た雌猫を踏みつけそうになった。そのとき私の背後にいた雄猫が「ワウ・ワウ」と鳴いて、私と雌猫との間に飛び込んできたのだ。いつもは殆ど鳴かない猫だが、それまでの鳴き声と全く違う声だった。まるで「俺の彼女に何をするんだ!」と抗議されたように感じた。 雄猫が優しいから雌猫をかばったというわけではない。同じ場所で餌を与えると、自分の皿を食べ終えた雄猫が、のんびり食べている雌猫を押しのけ、雌猫の皿の残りを全て食べてしまうのだ。2匹は子猫のときから常に一緒に飼われており、じゃれあっては雄猫が雌猫を組み伏せてしまうのが普通だった。
   雄猫は3年前に他界した。異様なことなのでこの件は今も覚えているが、「ワウ・ワウ」と鳴いた理由は分からないままとなってしまった。

   私が小学生の頃、先生や大人たちは「人間だけが心を持っている」とか、「人間だけが道具を使うことができる」とか、「動物は本能で行動するが、ヒトは考えることも愛情を持つこともできる」などといってヒトを特別視していた。生物学者を含めてそれが当時の知識レベルだったに違いない。
   霊長類研究者のフランス・ドゥ・ヴァールの
「動物の賢さが分かるほど人間は賢いのか」(2017発行)によれば、現代では、類人猿だけでなく、ゾウ、カラスやタコなども、認知や感情、考える力を持っていることを証明する事実が観察されるようになってきたとのことだ。かっては、科学者でも、宗教的な世界観(神様が一番で、人間は2番、哺乳類は3番、虫は4番、最下位は微生物などという世界観)に影響されていために、人間中心の考え方から抜け出せなかったが、現代では、自然の中で一緒に生活したり、動物たちの身体能力に合わせた実験方法を開発したりすることで、見えてきたものがある。
   人間の価値観や能力を基準として動物の行動を評価しているのでは理解したことにはならない。ネコの考えをわかろうとすれば、ネコになったつもりで、同じものを食べ、ネズミを追いかけ、昼寝したり縄張りを見回ることが必要だ。普通の人間にはとても難しいし、理解できる動物には限りがあるが、全くできないことではない。

   更に研究が進んで、生き物の能力や考えが全て理解できるようになれば、素晴らしいことだ。何十億年を生き延びてきたものは全て存在する理由とそのための素晴らしい仕掛けを持っているからだ。野生の動物達が同じ種内部の紛争をどのように解決しているを見ることは人類が生き延びる知恵になるはずだ。「我が輩は猫である」で漱石が描いたように、ヒゲや皮膚に走る微量な電流の変化から考えが読める技術が見つかるかもしれない。高度に知的な宇宙人との交流のためには、タコの考えを読み取り伝達する技術開発を今から進めておかなければならないかもしれない。
   もちろん良いことばかりではないことも覚悟しておく必要がある。養豚に携わる人が、「もう少し生きていたい。殺さないでくれ!」という豚の気持ちを読み取ることができるとしたら、飼い猫が「去勢するのはやめてくれ!」、「マグロの刺身を食べさせてよ!」などと訴えてきたら、拒むには、相当の苦痛を伴うに違いない。   (先頭に戻る)

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No.91 「銃保有は米国民の権利?」(2017.11.23)

多くの日本人が理解できないことの一つは、アメリカ人の銃保有・使用への寛容さである。今年の10月には史上最悪といわれるラスベガスでの殺傷事件(死者58人、負傷者500人以上)が起きた。これまでにも学校や集会所で銃を使った犯罪が起きており、そのつど銃規制の強化が話題になってきたのに、今回はトランプ大統領が銃容認を掲げていることもあって銃規制はほとんど話題になっていないようだ。
   銃保有を認める根拠は、合衆国憲法の修正第2条である。憲法上の権利なのだから、個人の銃規制を連邦政府がやろうとしても簡単ではない。憲法を変えるには上下両院の3分の2で発議し、全州の4分の3の議会(又は憲法会議)によって承認されることが要件だからだ。国民投票の制度はない。議員は全米ライフル協会(武器製造業者や銃愛好家の団体)などの豊富な献金やロビイストの活動に左右されるので、修正第2条の廃止や改正は事実上不可能である。

   アメリカの独立は、13の植民地(州)が武力でイギリスから勝ち取ったものだ(⇒1775~1783独立戦争)。合衆国憲法は1787年に制定され、修正条項の多くは1791年に成立したが、修正第2条は1992年にようやく最後の州の承認が得られた(⇒経緯)。そこには何と書いているか。(⇒条文)
   「修正第2条 規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、人民が武器を保有しまた携帯する権利は、これを侵してはならない。」
   この条文は13州の民兵が独立戦争を戦ったことに配慮して作成されたものであり、州の人民が連邦政府に抵抗できる権利として武器保有を認めたものとされる。
   230年前には意味があったかもしれない。しかし今は国家の安全とはかかわりない市民同士のトラブルでも個人に銃の保有と携帯を許すと解釈されている。銃によって女性や子供を守れるのか。憲法で保障しなければならない個人の権利なのか。犯罪履歴のある者でも認められるのか。州によって規制の程度が違うこともあり議論が続いている。参考1(是非をめぐる議論)参考2(修正第2条の解釈)

   11月にTOHOシネマズで映画「女神の見えざる手(原題Miss Sloane」を見た。ある巨大な団体から銃規制法案の廃止のため女性票取り込みの工作を依頼された有能な女性ロビイストMiss Sloaneが、その依頼を断わり別の小会社に移って銃規制法案の成立に死力を尽くす物語りである。銃規制反対派から聴聞会で法律違反を追及され活動ができなくなる寸前のMiss Sloaneの最後の逆転劇に感動させられた。そして、アメリカではMiss Sloaneのような人が何万人もでてこなければ、ラスベガスのような不幸な事件は永遠に無くならないだろうという暗い気持ちにもなった。   (先頭に戻る)

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No.90 「ファレノプシスの季節」(2017.11.16)

台湾では胡蝶蘭(フゥティラン)と呼ばれ、日本ではコチョウランと呼ばれる花がある。学名ではファレノプシス(Phalaenopsis)だ。暑い夏が終わり、秋から冬になり始めるころは、ファレノプシスの花芽がつき始める。熱帯アジアが原産地のファレノプシスの花芽が形成される理由は、温度が下がることで花芽を促す植物ホルモンが増加するためだと思っている。洋蘭の育て方の本には、この時期は、葉っぱの成長を促す窒素は与えないで、花や実に必要なリンやカリウムを多く与えるようにと書かれている。
   ファレノプシスは、強い日射を嫌い半日陰を好むが、寒さ(目安は13℃以下)は避けなければならない。近年は耐寒性がある品種が増えてきたので、特に加温をしなくても鉄筋コンクリートの部屋で容易に栽培できるようになった。そのおかげで、私の家では毎年花を咲かせてくれている(下右の写真)。

   今の時期の栽培の楽しみは、花芽を発見することである。花芽は、株の真ん中の茎から左右に互生している葉の下から出てくる。根も同じように葉の下から出てくるので、栽培を始めたころは、根と花芽の区別がつかず待っていたら根だったことが分かりがっかりもした。上に伸びる根もあるのだ。現在30株ほどあるファレノプシスのうち3株に花芽がついている。これから毎週の水やりのたびに花芽を発見できるのではないかとわくわくしている。
   「あれ。ちょっと見て。これは花芽じゃないかな。」
   「はっきりは分からんけど、根ではなさそうだね。」
   「花は見たことがない株なので、どんな花か楽しみだ。」
   「花が咲くまで頑張ってね。」
   花芽は出始めてから1~2ヶ月後には花が咲く。それまでの成長を見るのは特に楽しい。花芽の軸(花茎)が伸び、その花茎にいくつかの花の蕾がつく。栄養状態が良ければ蕾はたくさんつく。蕾が大きく膨らんだなら確実に開花することは経験で分かってきた。寒くなる時期なので水やりが多いと根が腐って花どころではなくなる。だが花芽がついてからは、ある程度水をやらなければ蕾が大きくならず、そのまま立ち枯れてしまうこともある。良く観察して注意深く水をやることが必要だ。

   ビニールポットにいれたファレノプシス3株の寄せ植えが大きな化粧鉢に入れて花屋さんで売られているのを見かける。多くの花が集まって豪華に見えるので、開店祝いや事務所開きなどの贈答用となることが多い。私の持っているファレノプシスの中にも、大鉢の寄せ植えだった株がある。友人などから花が終わったからとしてもらったものだ。
   ファレノプシスは、葉っぱが毎年1~3枚増えるだけで株がどんどん増える性質は持っていない。私の場合の問題は部屋が狭いので、鉢を置ける場所(陽当りのある場所)に限界があることだ。パートナーからは、「これ以上増やすのは我慢ならない。そのうちに捨ててしまうわよ。」と脅されている。
   同じ種類の株がいくつかあるので、蕾が膨らむ頃になったら、花が好きな人に進呈しようと思っている。花は1~2ヶ月は咲き続ける。欲しい方は声をかけて下さい。   (先頭に戻る)

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No.89 「日の丸を掲げて11.3集会に参加」(2017.11.6)

10月末に、9条改憲に反対する11月3日の集会の新聞広告を見た。安倍首相は「憲法9条に自衛隊を明記し2020年に施行する」と述べている。憲法学者(樋口陽一、小林節先生など)の本を読んで、憲法9条の改正は必ず国民に不幸をもたらすと思うようになった。広告の応援者に尊敬する益川敏英先生(ノーベル賞受賞者)の名前を見つけたので、集会に参加し気持ちを表現したいと思った。
   そこで、
国旗(日章旗=日の丸)の小旗を作ることを思い立った。11月3日は文化の日だ。自由で平和を求める憲法公布を祝う日だ。大東亜戦争の犠牲が大きかったため国旗への悔恨や嫌悪する気持が国民の中にあることは知っている。しかし国の在り方を定める憲法への気持ちを伝えるには、国旗は意味を持つ。大音量で軍歌を流す街宣車のおじさんと間違えられるのも嫌なので、紙製の日の丸に2つの文章を書いた。「憲法9条を変えないでください」と「自衛隊の明記は必要なし!」だ。

   「自衛隊の明記は必要なし!」の意味するところは次のとおりだ。この考えは更に検証していきたい。
   最高裁判所は自衛隊を違憲の存在とはしていない。「我が憲法の平和主義は、無防備、無抵抗を定めたものではない」ともいっている。憲法の番人である最高裁が「自衛隊は違憲だ」といっていない以上、憲法に新たに自衛隊を明記する必要は全くない。もし明記すれば以下の①~③のように国民に不幸をもたらすと私は思う。
   ①憲法第9条に自衛隊を書き込めば、財務省など他の組織とは違う一段格上の機関となる。明治憲法で統帥権という用語が帝国陸海軍のエリート達に利用されたように、自衛隊が突出して勝手に予算を決める恐れがある。現在5兆2千億円の予算が急速に膨張する(福祉や教育に充てる金が無くなる)。
   ②自衛隊は日本人が作りたくて作った組織ではない。朝鮮戦争勃発で手薄になった米軍を手助けをするために昭和25年にマッカーサー指令(ポツダム政令)で作られた警察予備隊が始まりだ。その関係は今も続いている。信じたくはないが、一昨年の安保法制の制定が実は米国の要請であったことが明らかになっている(毎日新聞11/4「時の在りか」記事。自衛隊の明記は新たな押しつけ憲法の始まり?)。
   ③憲法学者の元山健先生が毎日新聞で述べているように、法律の解釈には「後法優先の原則」がある。「法律と法律の内容が相互に矛盾・抵触する場合には、時間的に後に制定された法律が、時間的に先に制定された法律に対して、優先的に適用される」という原則だ。第9条第2項で「陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。国の交戦権はこれを認めない。」となっているが、第3項に自衛隊が記述されれば、法解釈として自衛隊は第2項の例外となり自衛の枠を超えた交戦も可能となる(第2項は死文となり、憲法の平和主義が崩れる)。

   11月3日は上天気になった。日比谷公園や国会前の木々は紅葉が始まっている。3本の小旗を持って中央会場の側を通ったとき、若い女性から、「あっ!日の丸だ。あんたはどういう人なの」と聞かれた。「ただの日本人だよ」と返事をして「良かったら使ってください」と1本手渡した。
   会場では立憲民主党の枝野代表や今年のノーベル平和賞のICANの運営委員川崎さんの話があった。私は少し離れてそれを聞いていた(左写真)。私から小旗を受け取った女性は、うれしいことに集会終了までそれを掲げてくれていた(右写真は菱山南帆子さんのサイトから)。私は日の丸の小旗を見ていた人が多いのに気づいた。嫌な言葉はなく、温かい気持ちで帰路につくことができた。   (先頭に戻る)

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No.88 「『帝国の慰安婦』裁判: 残念な韓国・高裁判決」(2017.11.2)

著書「帝国の慰安婦」が元慰安婦の名誉を毀損したとして訴えられた裁判の控訴審判決がソウル高裁で10月27日にあり、著者の朴裕河(パクユハ)世宗(ゼジョン)大学教授は有罪とされた。私は、No.56「慰安婦問題の理解のしかた」の中で、「この問題で日韓いずれにも対立を煽る人達がいるが、良いこととは思われない」と書いたが、その状況が続いているようだ。日本では従軍慰安婦に日本軍の関与は一切なかったとして河野談話を批判する産経新聞のような声があるが、韓国では文大統領の支持団体の一つ挺対協が元慰安婦の意見を代弁するとして裁判に関わり、少女像設置運動などを強力に進めている。
   2017年1月25日の一審判決では「あくまでも価値判断を問う問題であり、刑事手続きにおいて法廷が追及する権限や能力を超える」とし、「公的な事案について表現の自由はより広く認められなければならない」としてパクユハ教授は無罪であった。

   私が高裁判決に疑問に思う点は、次の2つである。
   ①名誉棄損というが、この著作が具体的に誰の名誉を傷つけたのかがはっきりしていないことである。報道では、高裁は「著書に登場する慰安婦は日本政府に謝罪や賠償を求めて告訴した元慰安婦らと特定される」としたとのことだが、本を読んでみればわかるが、いろいろな動機や状況で慰安婦にならざるを得なかった多くの女性たちを描いており、告訴した慰安婦の名誉を傷つける表現は全く見当たらない(逆に著者が自国の同性である元慰安婦に大変同情をしていることは随所に書かれている)。
   ②一審判決の時点は、今年の3月10日に罷免される前の朴大統領であった。現在は挺対協も支持する文政権である。日本の森友・加計問題で総理の意向を忖度(そんたく)した財務省などの高官と同様に、裁判官も大統領の意向(つまりは挺対協の意向)に配慮したのではないかと感じる。パクユハ教授は、韓国の若い歴史学者たちが学術誌に掲載した教授の著作に対する批判について「誤読と曲解、そして敵意に満ちた内容」だとして具体的に反論を行っている。学者としての公平な反論になっているので、慰安婦問題を考える方には是非読んでいただきたいと思う。⇒朴裕河論文(2015/10/15) 

   パクユハ教授の立場は、従軍慰安婦に関して日本軍を擁護するものでは全くない(逆である)。また、日本軍は直接募集にかかわらなかったともいっていない。彼女は「軍医が性病検査を行っていること」や「不法で強引な募集を『取り締まった』ことこそがこの問題に対する軍の認知と権力と主体性を示す。」と説明している。そこでは慰安婦を供給する帝国のシステムに現地の多くの韓国(当時は日本の植民地として日本語も教育も強制されていた)の業者が関わっていたことを指摘し、韓国側にも冷静に過去を見ることを求めている。私は、見たくないものも謙虚に見るということが正しい歴史認識だと理解しているので、そのとおりだと思った。
   高裁判決について、日本の新聞は「学問の自由を侵す判断だ」などの社説を掲げている(毎日社説朝日社説)。「感情論や政治性を排した歴史研究は、不幸な過去を繰り返さないために重要だ。」という主張にはまったく同感である。どこの国でも、国民の不満が政権に向かうことを恐れて外国への敵対意識を煽ることはありがちである。先入観を捨て謙虚になって扱うべき問題である。  (先頭に戻る)

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No.87 「秋の味:栗の渋皮煮」(2017.10.28)

先週、茨城県内の道の駅での実を買った。1300円で丸々とした30粒ほどが網袋に入っていた。「30粒ほど」といったのは粒を数え忘れたからだが、重さは980gだった。それで渋皮煮に再度挑戦した。以前作った渋皮煮は栗の実の形が煮崩れしまったので、今回はきれいな栗の形を残したいと思ったのだ。 渋皮煮とは、栗の固い皮(鬼皮)を除いた実を砂糖で煮たもののこと。鬼皮をむいても実の表面は筋張っていて赤黒い。これが渋皮だ。渋皮にはシュウ酸などの酸やタンニンなどが残るので、そのまま食べれば苦くて不味い。だから重曹(炭酸水素ナトリウム)を使って煮てタンニンなどを溶かし出すのだ。なぜ重曹で溶けるかの理由は、重曹が水の中で炭酸とナトリウムに分かれ、タンニンを構成する難溶性の芳香族化合物にナトリウムが付くとタンニンの親水性が高まるからとのこと。

   渋皮煮を作る手順は次のとおり。
①鬼皮をむく(ニッパーで鬼皮をつまんで引きはがす。手が痛くなる)
②重曹を入れた水で15分ほど煮る(タンニンが溶けて赤黒い煮汁になる)
③煮汁をすてて、重曹で煮ることを繰り返す(まだ、赤黒い色が残る)
④煮汁を捨て水だけで10分ほど煮る(まだ多少赤黒い)
⑤煮汁を捨て水にさらした後、鍋に水と砂糖をいれて15分ほど煮る
⑥火をとめてブランデーなどを添加する
   4回も煮るので煮崩れしやすくなる。今回は丁寧に扱ったので崩れが殆どなかった⇒写真。
   私は、風味のある味が好きなので白砂糖の代わりに中ザラメ糖を使ってみた。砂糖は栗の重量の半分程度(栗1kgに砂糖500グラム)とした。甘みが強いので、冷蔵庫でしばらく保存できる。お茶の時間に、あるいは食後のデザートとして美味しくいただいている。和菓子屋さんで栗のお菓子を買うと、一粒200~300円するのでためらうことが多いが、お金を気にしなくて済み、自分好みの甘さのマイ和菓子になるのが魅力だ。
   料理や掃除などの軽作業をするのは、健康にも良いようだ。医学誌「ランセット」で9月に発表された研究報告のニュースによれば、5年間、毎週5日、30分間の料理・掃除等の作業や歩いて通勤を続けると死亡率が8%程度低下するとのこと(もっと活発な運動を長時間すれば更に効果はある)。世界の13万人を調査した結果だそうだ。WHOが1週間に150分の中程度の運動を推奨していることの根拠にもなる。
   退職して通勤で歩くことが減ったので、私にはウオーキングや台所仕事も健康のためには大切な時間となった。ただし、炭水化物の多い食事は死亡率を上げるという記事もあるので、台所で作業をしても、作ったご飯や栗などを食べ過ぎないように気をつけなければならない。  (先頭に戻る)

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No.86 「総選挙で見た民進党の姿」(2017.10.26)

10月22日の衆議院選挙の結果は、自由自民党が圧勝。森友・加計学園のスキャンダルがあったので多少は与党が減るのかと思っていたが逆だった。民進党が、元自民党員で防衛大臣を務めた小池都知事の作った希望の党(外交・防衛などの基本政策は自民党と差がない)に移る方針を決めたことが自民党勝利の原因だ。9月の民進党の代表選で代表となった前原氏が、それまで進められてきた市民団体や共産・社民との候補者調整が進むことを嫌って、先の都議選で大人気だった小池氏との一体化路線に舵を切ったためである。

   小池氏が民進党に是非来て欲しいと言ったわけではない。だから、小池氏側の条件(踏み絵という解説もある)を飲まざるを得ず、これに同意しない議員は、無所属か、代表選を争った枝野氏が急遽作った「立憲民主党」から立候補することとなった。その結果は、公示前15人の立憲民主党が55議席を獲得し野党第一党となった。希望の党は公示前の57名が50名(小選挙区で18、比例で32)と減少し、要の議員が落選した。198の小選挙区の候補者の殆どは落選だ。無所属で当選した元民進党議員は19名だった(図解)。
   立憲民主党や一部の無所属議員を勝たせるため、日本共産党は多くの候補者を取り下げた。それにより愛知7区の山尾しおり氏(動画)や長野1区の篠原孝氏(ブログで感謝の弁)らが当選した。共産は大幅議席減となったが、その態度には潔さを感じる。

   孔子の言葉「民信なくば立たず」は、人々の信用が第一ということだ。以前は自民党のリーダーが党内で不祥事があるたびに使っていた言葉だ。民進党には、ミンシンは同じでもこの言葉をいう人がいなかったのか。希望に移った議員は、これまで主張してきた安保法制(集団安全保障の名目で自衛隊員が海外で戦争させられる法制)への反対姿勢を捨ててしまったようだ。支持政党を持たない人達は政治に無関心というわけではないから、信頼を失う言動をすれば、あっという間に支持は失われる。
   「政権選択選挙」という人もいたが、私は、民進党には政権を取ることではなく、政策立案能力と国民の声を聞く謙虚さ、暴走する与党へのブレーキ役を期待していた。子育て支援、男女平等、教育無償化、情報公開などの政策はもともと野党がいっていたことだ。与党もいっているが、実際にやっていることは違う場合が多い。野党にはそれを厳しくチェックする役割がある。
   自衛隊が海外で戦争をすることを望む国民は少ないから、私は改憲勢力といわれる議員が国会で2/3を割って欲しいと思っていた。与党が2/3を割る可能性が大きかっただけに、選挙の結果は大変残念に思う。今後、希望の党はごたごたするし、立憲民主も真価を問われる。民進党出身の議員は信用するに足る言動をして欲しい。そして自民党が「謙虚になる」というならば、口でいうだけでなく、強行採決などは絶対に止め、野党ととことん話し合って欲しい。国会は、与党が多数を頼んで押し切る場所ではなく、民意をくみ上げる議論の場である。  (先頭に戻る)

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No.85 「ゴミ処理の苦労を知る」(2017.10.21)

たいてい人は綺麗好き、清潔好きである。散らかったゴミや臭いがある場所は好まない。清掃はそのためにある。私の地区では、可燃ゴミ収集は週3回、不燃ゴミは月1回、資源ゴミは週1回、有価物(新聞、毛布、古着など)回収は週1回などとなっている。私はゴミ収集や処理施設で働く人々にほぼ毎日お世話になっているわけだが、回収後の作業は見たことはなかった。10月17日に町会の企画による、市のリサイクルセンターと清掃工場の見学会に参加して新しい知識を得た。

   初めに、ビン、缶、ペットボトルのリサイクルセンターを見学した。我が家もペットボトル、空き缶を頻繁に出すので印象に残った。ペットボトルは、このセンターで選別、圧縮して、再利用できる透明なプラスチック(
PET樹脂)のみがリサイクル工場に運ばれる。金属缶、鍋、フライパンなどは、鉄とアルミに分けて再利用工場に送られる。ビール瓶、酒瓶など生瓶(イキビンと呼ぶ)はそのまま再利用に回され、それ以外はガラスの色別に選別されて砕かれてリサイクル工場に行く。
   PETボトルは手選別で大変そうだった。量が多く、汚れたり液体などが入ったりしているもの、フタやラベルが付いたままのものが混在しているからだ。大量にベルトコンベアーで流れてくるものを人力で仕分けしている(写真左)。汚れたものは焼却に回される。リサイクルセンターの担当者からは、①PETボトルはきれいに洗って空になってないとリサイクルできない、②ガラス瓶は、割れたビンは危険なので不燃ゴミとして別に出して欲しい、③金属類のうち刃物や針は不燃ゴミ扱いになる、④アルミ缶と鉄缶は磁石で選別する。潰れてない方が選別し易いため潰す必要はないなどの説明があった。

   清掃工場とは今年3月に完成したゴミの焼却場のことだ。可燃ゴミを積載したトラックがひっきりなしに来て巨大なピット(写真右)に投入し、巨大クレーンでゴミは焼却炉に投入される。ダイオキシンを出さないために850℃以上に保たれ、燃焼熱を利用する発電施設と温水プールが設置されている。家具など粗大ごみは粉砕し金属部分を回収した残りは焼却される。炉の温度が下がると灯油で助燃するが、通常は空気を送るだけで燃えるとのこと。発電機の能力は最大8800KWで、工場内で使った残りの5~7000KWは売電しているとのことだった。灰は埋め立てなどに使われる。以前は都市で問題になっていた焼却場周辺住民とのトラブル回避を意識した作りになっている。防音と排ガス規制のため継続して窒素参加物等の測定を行っていて、測定値が入り口のパネルに表示されている。
   地域が良くなるためには、住民は行政を監視し、生活を改善することには積極的に協力するという態度が必要だと思う。昔、社会科の先生が「地方自治は民主主義の学校だ」と教えてくれた。ゴミ処理は自分のことでもある。自ら出したゴミや汚水の処理がどうなっているかは住民は知る義務があるし、改善を求める権利もある。他県のことだが、基準を超える糞便性大腸菌がいるお台場をトライアスロン開場にすると話題になっている。ならば、これを機会に小手先の解決ではなく、汚水と雨水の完全分離など金がかかっても取り組んではどうか。次世代に残すべき財産は巨大なスタジアムではない。誰もが安心して泳いだり、いつでも水と戯れたりできるきれいな水辺が都心に出現したならば、とても素敵だ。  (先頭に戻る)

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No.84 「森のクマさんとの接し方」(2017.10.14)

前回(No.83)の続きの話でもあるが、ツキノワグマの生息状況については、①九州では数十年も前に絶滅したらしく(2012年環境庁の絶滅宣言)、四国では四国山地のごく一部で十数頭が辛うじて生きているらしい(絶滅の恐れ状態)、②本州では近年、生息域が拡大傾向にあり人間との軋轢が生じるほどになっている。特に2000年以降は、クマが人里に出てきて家畜や作物に、稀だが人にも害を与える状況がある。その場合には市町村が捕獲・狩猟で殺処分したり、麻酔銃で眠らせ山奥の生息地に戻したりの措置がとられている。その地域のクマの全体の分布や頭数が分かっているわけではないし、不作時には数十㎞も移動して他の市町村や他県に行ってしまうのだから、これらの措置が、保護なのか絶滅に手を貸しているのか、あるいは他の地域に迷惑を押しつけただけなのか不明な状態にもなっている。

   ニホンジカは100~200万頭にも増えていて、毎年その1割程度が狩猟されているのに対して、繁殖率の低いツキノワグマは全国でも数千~1万頭前後と見られていて、小集団が孤立しているところもある。県・市町村は、猟友会、環境団体や大学などの手助けで保護・管理対策を行っているが、猟師の減少、クマの専門家が少ないのが悩みとのことだ。
   クマは通常は人に出くわすのを恐れて、人家の近くでは夜に活動することが多い。専門家は、クマの生息地では残飯や家畜の餌を外に出さないこと、クマの出る場所にはミツバチの巣箱は置かないこと(要はクマが人里に居着かないようにすること)、クマが出没する場所に行くときは音声を出すことを推奨し、クマによる事故の調査報告書も提供してくれている(⇒日本クマネットワーク・事故防止プロジェクト)。

   ツキノワグマは、50~30万年前に大陸から日本列島にやってきた。人間は2~1万年前に来た新参者だ。自然の状態ではどの程度の密度で保護するのが良いのかが分からない。かっては、漢方薬の材料や肉などのため狩猟の対象であった。加えて薪炭や製鉄用に樹林を利用したので生息適地が減少した(そのせいで九州のクマは絶滅したと推測される)。今ではクマを利用しないから、生息地域近くに住む人達にはクマは迷惑な存在になっているとも思う。クマがいなくなって困ることはないかもしれないが、夢とか文化といった魂の働きがなくなる気がする。ぬいぐるみにはクマは欠かせない。クマにまたがる金太郎はある時代の日本人の夢である。蜂蜜好きのクマのプーさんは世界中で愛される人気キャラクターだ。絶滅すれば話に重みがなくなるし、自然に親しむ機会も失われるので、それは何としても避けて欲しい。
   マムシのような毒蛇であっても、その生息地に人がむやみに立ち入らないことで別の貴重な生き物を守っているかもしれないし、ネズミや危険な病気・害虫の発生を抑えてくれているかもしれない。そもそも多くの野生生物は人間の利害を超えたところで生きている。   (先頭に戻る)

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No.83 「ドングリの生き方」(2017.10.7)

秋は収穫の時である。森や林ではブナ科(ブナ、クヌギ、コナラ、クリ、カシなど)のドングリ類(堅果類)が実る。クマ(ヒグマ、ツキノワグマ)は雑食性で、春にはシカの幼獣を襲って食べることもあるが、日常的には昆虫や木の実を食べている。特に森の中に棲むクマにとってはドングリは重要な食べ物だ。山崎晃司博士の「ツキノワグマ」によれば、奥日光で観察したツキノワグマの臼歯はニホンジカのそれのようにすり減っていたとのこと。ドングリが不作の年は、数十㎞の遠方まで移動して食べものを探すか、体力の消耗を防ぐため早めに冬眠してしまう。また、メスグマは、初夏に交尾するが、受精卵は初冬まで子宮への着床が遅延され、冬眠前に体脂肪が蓄積できたかどうかで、出産するかどうかを決めているというのだ。
   近年増えすぎて、毎年狩猟されているシカ(ニホンジカ、エゾシカ)は、ドングリを良く食べる。タヌキやリスもドングリを食べる。ドングリはとても栄養価に豊んでいる。昔は人もドングリなどの木の実を食べて飢えをしのいでいたのだろう⇒JA長野

   それでは、食べられる側のドングリはどうだろうか。良く聞かれるのは、動物に食べられても糞の中に残った種子が発芽して生息範囲を広げる利点があるという説明だ。しかし、比較的大きなドングリは臼歯ですり潰ぶされてしまうので、何も良いことはない。だからコナラなどは、動物が嫌うタンニンを多く含んで、あまり食べられないように自己防衛している。ネズミにとってタンニンを高濃度に含むドングリは危険だという実験結果もある⇒森林総合研究所のQ&A「野ネズミにとってドングリは本当に良い餌か?」。人はあく抜きしてドングリを食べることができる。
   ブナはタンニンを含まないが、通常年は不作で何年かに一度豊作になるという方法で生き延びている。植物生理学会はQ&A「どんぐりなどの結実の周期」で、その説明をしている。毎年同じように実がつければ自分を食べる動物が増えてしまうが、不作の年が続けば動物の頭数が増えることはない。数年間のうちに一度、豊作になって種子を増やす機会があれば、十分だ。その時には食べ残しやリスなどが地中に蓄えたドングリが発芽することができる。
   自国や自分の属する民族、自分の家族を意識しすぎる人間には理解しにくいのだが、生き物の世界では、一定の集団(種)としていかに生き延びていくかが大事だ(というか、それが生き物だということ)。ドングリが動物から身を守る方法を考えるということではない。偶然の積み重ねではあろうが、気候変動や他の生物の影響を受け、一部が死滅した後に生き残った集団の存在理由を考えてみると、生物はそれぞれ見事な生存戦略をもっているとしか言いようがない。   (先頭に戻る)

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No.82 「選挙の争点:米朝の核・ミサイル」(2017.9.30)

安倍首相が9月28日の臨時国会冒頭に解散総選挙を宣言した。解説によれば、希望の党に民進党から離党者が続出しているので、この機会に選挙をすれば勝てると踏んでのことだという。首相は、少子化対策のために消費税率を引き上げることと、北朝鮮への対応について国民に信を問うとして、「国難突破解散」と強調した。森友・加計でのスキャンダル隠しという見方も否めないが、私は首相の解散の考えにも一理あると思った。北朝鮮への対応については、「自民党の方針では恐ろしい事態を招くかもしれない。それが起きた後で文句を言われないためには、国民の覚悟を聞いておきたい」との意図が読み取れるからだ。悲惨な事態が起きても、「国民が私の方針を支持したんですよ!」と居直ることができるのだ。

   首相は、その前週9月21日の国連総会で、北の核・ミサイルの放棄のためには「必要なのは対話ではない。圧力だ」と演説している。トランプ大統領は、「先制攻撃を含む全ての選択肢がテーブルの上にある」としており、首相は米国の立場を「一貫して支持する」といっている。この意味はお分かりだろう。軍事的な脅かしである。他方、金王朝は、核・ミサイル開発は続けると宣言している。経済制裁には国民が飢えても構わない独裁国だ。米朝が対話を避けて非難しあうだけでは必ず戦争になる。既に米国の軍事産業の株価が値上がりしはじめた。核を搭載した北朝鮮の潜水艦が米国の近くまで行けるようになれば、米国も金王朝を世界の核クラブのメンバーとして認めないわけにはいかなくなるが、核の不安は永続する。
   戦争が起きれば大惨事になる。
NEWSWEEKの記事では、朝鮮半島では核兵器が使われないとしても、毎日2万人の死者が出ると予測している。米国も北朝鮮の基地や能力をすべて把握はできていない。朝鮮戦争の犠牲者は250万とも、400~500万人とも言われている。今は格段に兵器が進歩している。金王朝が崩壊するのは確実だからやけくそにもなる。電磁パルス攻撃だって、核兵器使用だって厭わない(トランプも厭わないだろう)。日本の米軍基地や東京や原発施設にだってミサイルが飛ぶことはあり得る。

   他方、「そんな愚かしいことは止めろよ!」と言っている国もある。北欧やスイスは仲介すると言っているが、米国は耳を貸す気配はない。核の傘があろうと無かろうと、核ミサイルが自国に向けられれば防ぐことはできない。自国が核兵器を持っていて他国には持つなという理屈があるとも思われない。何百万人もが死んで終わる戦争に勝ち負けの意味はあるのか。哲学者の内田樹さんは、勝つか負けるかという問題ではなく、統治の問題として考えるべきと言っている。納得できる意見だ→(内田樹研究室:米朝戦争のあと)
   核兵器禁止条約は9月21日に50か国の賛同が得られて発効した。9/30日の毎日新聞で「核兵器廃絶要求署名に516万を超す署名が集まった。10月に始まる国連総会軍縮委員会に日本原水爆被害者団体協議会が提出する」という記事が載った。被団協の努力に感謝している。
   国民の声を聞くのが民主主義国の政治というものだ。私は言いたい。「米中など偉大な国の指導者達よ、北の核・ミサイルとともに自国の核廃絶も始めて欲しい。そうすれば北への説得力が増すだろう」、「有権者の皆さん、戦争を防ぐ方法は対話しかありません。首相が与えてくれたせっかくの機会だから、悲惨な事態を起こさないベストの選択をお願いします。」   (先頭に戻る)

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No.81 「年寄りとしての私の生き方」(2017.9.26)

9月18日(月)は西日本に大雨をもたらした台風が去って32℃と急に暑くなった。私は、洗濯をしたり、写真をホームページにアップしたり、小説などを読んだりして一日を過ごした。この日は敬老の日だ。新聞は、総務省調査で90歳以上の老人が206万人を超えると報道していた。日本の高齢者(65歳以上)の割合の大きさは世界一だそうだ。自分が高齢者になったせいか、老人の多さに気づくようになった。町内会活動や、観劇・歴史の勉強会に行けば8割以上が高齢者という感じだ。病気や事故で既に亡くなっている友人もいることを思うと、生きているだけでも素直に喜ぶべきだろう。

   退職して、あるいは子育てや介護から離れると、自分だけの時間が増える。それは嬉しいことではあるが、ぼんやりとテレビを見て過ごしたり、不健康な生活をするようにもなる。それを避けるためには、ボランティアや自己啓発活動、スポーツで身体を動かすことが推奨されている。パートナーに先立たれても大丈夫なように、自ら食事づくり・掃除・洗濯も望ましいとされている(私は実践中)。
   年寄りになってどう生きるのが良いのか。この夏(7月18日)に105歳で亡くなった日野原重明先生のような人生を送ることができるならとても素敵だ。2014年2月に104歳で亡くなった詩人のまど・みちおさんは100歳を超えても創作活動を続けておられたとのこと。おふたりには、子供や人間への思いやりと人の命を大切にする姿勢が共通している。実際に戦争を体験されての平和に対する思いは強い。日野原先生は共同通信の取材で、一昨年成立した集団的自衛活動を容認するなどの法律については、「私は絶対反対である」と言い切っておられた。「より強力な武器を競いあうことは、きりがない。(武力を持たない)憲法の精神は人々に耐えること、許すことを教えている。聖書の精神にも似ている」との発言は、私にはとても、新鮮な感じがした。

   健康で長生きは誰しも望むところだが、その秘訣は脳を活動させることのようだ。「手足を動かしたり創造的な何かをしたりすること(文章や絵を書く、料理を作る、演奏をするなど)は、免疫機能を高め頭がぼけるのを防ぐ効果がある」と親しい医師が何度も言ってくれた。「人生を楽しむ」ことも、長生きの秘訣だ。世の中に役立つことであっても面白くないことばかりでは長生きできないことは察しがつく。知の巨人といわれる人の人生論や老人への助言も参考にはなるが、100歳を超えてご自身が健康で活動して来られた日野原先生やまどさんの発言内容は、実践的な意味で自分の指標にしたいと思っている。
   昨日9月25日は、友人に誘われて浅草の5656会館で行われた劇団にんげん座の公演「巷に雨の降るごとく」を見た。浅草六区に芝居小屋が多かった時代の物語の中に、ダンス、歌、コント、芝居が取り入れられている。笑いながら3時間を過ごした。観客は高齢者が多かった。出演者にも80歳を超える人がいて楽しんで演じていたように思われた。そのことも心が安まることだった。   (先頭に戻る)

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No.80 「生物地理の魅力:なぜそこで生きている?」(2017.9.16)

博物学(Natural History)という自然界の物事を記録する研究分野がある。日本でも平安時代につくられた和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)は、天文、衣食住、爬虫類や魚類、草本のことなどを事典のように記載している。実用的解説であると同時に人々の好奇心に応えたものだ。博物学は自然誌と呼ばれることもある。7つの海をまたにかけた大英帝国は、海外の珍しいものを自国の博物館に集め利用もした。博物学者ダーウインは、化石や生き物を見て種の起源を書き、キリスト教的世界観を大きく変えた。

   その博物学の一分野に生物地理学(Biogeography)がある。どこにどんな生き物がいるのかという疑問に応えることが基本だ。なぜどんな経過でそのグループ(種)が誕生したのか、どんな生活をしており、他のグループとどこが違うのか、なぜ生き延びてきたのか、あるいは、なぜ絶滅に瀕しているのか。
   生物地理学では、グループ(種)の識別が出発点である。見た目の違いで分類していたものが、今日では、DNAの塩基配列によってグループ(種)の近縁関係を調べることが可能となり、見た目は違うカバとクジラに共通性があることなどが分かってきた。増田隆一博士の「哺乳類の生物地理学」によれば、狸の糞中のDNAを調べることで、その集団の大きさや、雌雄、他の集団との血縁関係なども分かるようになってきたとのことだ。
   生物の化石、生殖・生理、生態などの研究成果とあわせることで、その生き物の過去と未来も理解できることになる。農林漁業、衛生や生物保護などに役立つ知見も期待できる。更に、種の存続という視点で研究成果を大局的に捉え直すと、人類が生き残るためのヒントさえ見つけられる気がしてくる。

   数年前から友人のM博士に誘われて、日本生物地理学会のシンポジウムや研究発表会を傍聴してきたが、2年前から正会員になった。年間6千円を支払い、会報を読み、研究発表を聞く。何かの義務が生じることではないが、関連する本を読むようになった。また、現役の研究者(大学、博物館、水族館、環境省などの研究機関)が、鯨類の腸内にいる微生物や見聞きしたことのない海の生き物などについて発表するのを聞くと、「うーん、すごい。我等人間とは全く違う生き方があるんだ!」という気になり、人間社会の嫌な面を一時忘れさせてくれる(危険な外来種や絶滅危惧種の報告では嫌な世界が顔をだすこともあるが)。   (先頭に戻る)

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No.79 「脅し合いの行き着く先は?」(2017.9.9)

北朝鮮と米国との緊張がますます高まってきた。8月15日にグアム島周辺へのミサイル発射計画がでた後、グアムへのミサイル発射はなかったので少し落ち着いたのかと思っていたが、米韓軍事演習(8/21~31)が行われている8月29日には、北のミサイルは北海道のはるか上空(大気圏外)を超えて太平洋上に落下した。専門家は、技術が向上して米国本土に到達するのも近いと予想している。9月3日には過去最大規模の核実験(広島に投下された原爆の10倍、水爆?)を行った。その間、国連安保理での制裁強化の決議がなされてきたが、北朝鮮は核・ミサイル開発を続ける方針のようだ。
   この間、「ロフテッド軌道」だの「電磁パルス攻撃(EPM)」だのという新しい言葉を知った。知識が増えるのは嬉しいことだが、心は晴れない。金王朝もトランプ大統領も、先制攻撃もあり得るなどと恐ろしい発言を繰り返しているからだ。
   北がなぜ核ミサイル開発を続けるのかは、専門家によれば「イラクのフセイン政権やリビアのカダフィ政権の崩壊を見たから」とのことだ。米国に攻撃されることを恐れているのだ。国民が飢えようが、核・ミサイルを持てば米国に攻撃を思いとどまらせ、国(金王朝)は守られるという核抑止力の考え方だ。米国は、核開発を断念させるには中国とロシアに経済制裁を厳しくやってもらうことが必要だと主張している。しかし、ロシアはもちろん中国も自力で核・ミサイル開発を続け、今では立派な核保有国として、米国と肩を並べている国(北朝鮮にとっては手本の国)だから、説得は不可能だろう。しかも、ロシアは、ウクライナの領土問題で米国などから経済制裁を受けている。中国も南シナ海南沙諸島をめぐって米国と対立している。

   日本はといえば、76年前(1941年=昭和16年)に米国、英国などから在米日本資産の凍結、経済封鎖(石油などの輸出禁止)を受けて苦しんだ末に、先制攻撃(真珠湾攻撃)に進んでいった経験を持っている。経済制裁の強化が戦争を引き起こす恐れがあるとは分かっているはずだが、米国と歩調を合わせている。8/29のミサイル発射では、日本政府は、特定の地域に警報(Jアラート)を出した。当日のニュースで「避難しろと言ったって、どこに避難すりゃいいんだ」と腹立たしげに話していた人達が印象的だった。もしも核兵器を搭載したミサイルが直接向けられた場合には、一般国民には逃げ場がないことは、原爆ドームと原爆資料館を見た人ならばわかるだろう。どうやって国民の生命を守るというのか。
   金王朝とトランプ政権の脅かし合いが、本当の戦争の切っ掛けにならないことを祈っている。政権中枢の人達は、安全な地下壕に隠れることができるだろうが、爆弾で先ず殺されるのは、女性・子供を含む一般国民である。朝鮮半島に住む人達もアメリカ人も日本人も、こんな馬鹿気たことで死んで欲しくはない。戦争は人災である。引き返しができるうちに外交交渉を始めて欲しい。   (先頭に戻る)

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No.78 「市の防災訓練に参加した」(2017.8.30)

8月27日(日)は、市主催の総合防災訓練があり、防犯パトロールを一緒にしているTさんに勧められて参加した。震度6強が発生したという想定で、午前9時のサイレンを合図に、各家庭で机の下などで安全を確保し、その後、市内各地の小中学校に集まり、いくつかの訓練を行うのだ。私の住む校区では8つの町会から総勢200名ほどが参加した。小学校の運動場と体育館を使って、消火訓練(消火器の使い方)、応急の介護(三角巾の使い方)、パーティションの設置(避難場所でのプライバシーを保護)、自家発電機による照明灯(ガスボンベ2本で90分発電可能)、トイレの設置(パイプ、布、便器と槽の組立て)を体験した。体育館のそばの防災用倉庫には備蓄用品と資機材が保管されている。訓練終了後に、賞味期限が近い缶入りパンとペットボトルの水をもらって帰宅した。
   曇り空の下で比較的涼しい風が吹く一日だったので、日頃接触しない人達と挨拶を交わしたり、共同作業の感想を言い合ったりして、参加者は楽しい時間を過ごしたように見受けた。このイベントを準備してきた市・消防署の職員や学校の管理者は苦労をされたと思うが、住民にとっては苦痛ではなく、むしろ楽しく参加できたことが一番の成果だろうと思った。住民の防災意識、つまり死者やけが人を少しでも少なくする意識を高めるには、先ずは、近所付き合いの楽しさがなければならないと思うからだ。私の町会では役員は全員目立つヘルメットをかぶり、一般参加者のために体育館用のスリッパやお茶まで用意してくれていた。市のチラシには小中学生が作った標語で「~地震にも勝てる絆は地域の輪~」と書かれていたので、訓練の意図が分かったような気がした。サラリーマン時代、近所との付き合いを殆どしてこなかった私には、新鮮だった。

   日本では地震が一番心配されている。8月25日に
中央防災会議の専門家会合で報告書が出され、懸念されている南海トラフ地震でも確度の高い地震予知は困難として、対策を見直すこととされた。阪神淡路や東日本大震災を予測できなかった反省でもある。相手は地球である。人が謙虚になることは必要だ。地震発生の時期や場所の予知が外れたら、大勢の生命や巨額の財産が失われるというのでは困る。
   私たちは、大震災以降、震災や豪雨災害などで体育館や仮設住宅などに避難している人達を見てきた。そして今(7月14日現在)でも全国の避難者数は9万人近くいる(福島県が最も多い)。その生活がいかにつらいものかはテレビでも放映されてきた。福島の原発事故の場合は、廃炉の手順さえはっきりしないし、帰宅困難地域の道路や住宅敷地内は除染されて帰宅できたとしても、山野には放射性物質の塵が撒かれたままだ。
   不意に大災害が起きても被害が最小限となるよう、安全な都市計画(建物の耐震・防火対策、津波対策、交通通信網の安全確保、避難場所の確保)、備蓄や訓練、治山・地水、原発の廃炉と代替エネルギーの普及に十分な予算を投じる政策に転換してもらいたい。   (先頭に戻る)

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No.77 「政府が再び誤らないための記録」(2017.8.24)

戦後72年目、この夏もNHKからいくつかの戦争にかかわるドキュメンタリーが放映された。以前に見た映像もあったが、新しく発見された記録(映像、音声、写真、文書)に基づいた作品が目についた。ドキュメンタリーを作成するために、空襲や原爆の被災者、軍人・軍属と遺族、戦闘に参加した米英の将校など(多くは90歳以上の人達)にインタビューして裏付けをとっている。相当な費用と労力をかけて作成されたと思われ、そのような作品を作ったNHKに敬意を表したい。10作品ほどのドキュメンタリーは、いずれも知られてこなかった重い事実を含んでいる。私がすごいと思ったのがNHKスペシャルの次の4作品だ。

   8月6日放映の
「原爆死~ヒロシマ72年目の真実~」は、広島市の56万件の被爆者のビッグデータ(カルテや検死記録)から、爆心地からの距離と死因などを最新技術で解析し、時系列で地図上に示したものである。NHKが超1級のビッグデータというだけあって、強い説得力を感じた。爆心地からの距離だけでは判断できないことをはっきり示しており、原爆症認定基準にも影響を与えると思った。
   8月12日放映の「本土空襲全記録」は、米軍戦闘機に搭載されたガンカメラや米国国立公文書館で見つかった空襲映像を基にしたもの。東京大空襲から地方都市まで、爆弾(原爆を含む)が落とされたり機銃掃射を受けた戦争被害の記録である。当時の飛行士のインタビューも含まれる。都市の無差別爆撃は当時でも国際法違反だった。なぜアメリカがこれを行ったのかについては、8月13日放映のBSスペシャル「なぜ日本は焼き尽くされたのか~米空軍幹部が語った“真相”」で、B29の開発の意味と兵器工場だけに限定した方針を止めて無差別爆撃に転換した米軍内の事情を説明している。この記録には、米軍が日本の都市に毒ガスを散布する計画も含まれていて、とても驚いた。
   8月13日放映の「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」は、ロシア・ハバロフスク軍事裁判の記録(音声)がベースになっている。約3000人の中国人やロシア人捕虜に、零下20℃で凍傷を起こさせたり、毒ガスやチフス菌等で殺傷効果を試したりした医師たちの記録である(批判を恐れて終戦時に捕虜全員を殺害した)。良心の呵責から自殺した医師の話や、医師の指示に従った衛生兵達の悲しみのインタビューを交えて、衝撃的である。
   8月15日放映の「戦慄の記録 インパール」は、敗戦の色が明らかな時期に行った牟田口中将による英軍基地攻略、インパール作戦の話だ。英国の記録映画や現地で指揮をとった将校の日誌を基にした作品。この攻略作戦を無謀だとする参謀や現地の隊長を更迭してまで強行し、食糧も弾薬も補給なしで2万人以上を死なせた犯罪ともいえるような作戦だ。撤退中にも熱帯の雨季下で饑餓と赤痢・マラリアなどで倒れていく日本兵。それを見てきたミャンマーの農民。生き残った兵士がカメラに向かって、戦友を密林に置き去りにした悲しさ、作戦の非道さを涙ながらに訴えている。部下の命を犠牲にして手柄を立てようとしたトップは戦後も自己弁護に終始していたのが、兵士の姿とは対照的であった。

   米・英・ロシアは戦後の裁判記録などもしっかり残している。大日本帝国の場合は、ポツダム宣言を受け入れた後に莫大な軍の記録を焼却し隠蔽した。指導者が戦争犯罪で追及されることを恐れたためだが、このことが帝国軍隊の非人道的な集団自決命令などの行為を覆い隠し、情報を持たない一般国民を弱い立場にしてきた(政府高官による「記録がない」、「記憶がない」などの発言は今年の夏の国会閉会中審査でもたびたび見られた)。それでも、海外での情報公開と併せて、国内でも高齢となった戦争犠牲者が発言をするようになったことはすごいことだ。8月5日のNHKのETV特集「告白~満蒙開拓団の女たち~」は、同じ開拓団員を助けるためとして犠牲を強いられた女性たちの声である。悲しいと同時にとても考えさせられた。
   私は戦争を経験していない世代に属している。断片的には聞いていたことが、戦後72年になって海外の事情を含めて、ようやく分かりかけてきた。戦争ドキュメンタリー番組はブルーレイに録画し、備忘録としてこの文章を書いた。   (先頭に戻る)

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No.76 「戦没者への思い:共感と違和感」(2017.8.17)

72年前の8月15日は、昭和天皇がポツダム宣言の受け入れて、大日本帝国の敗北を国民にラジオ放送(玉音放送)で明らかにした日だ。全国戦没者追悼式は政府の行事として、毎年この日に行われている。1952年(昭和27年)に第1回が新宿御苑で開かれ、その後は時期も場所も変則的に開催された。1963年(昭和38年)以降は毎年8月15日に行われ、昭和40年以降は日本武道館で開かれている。今年も、一昨日行われた。私は、これまで都合がつけば式典に合わせて黙とうをしてきた。その時には、故郷の寺の境内に20基ほどあった陸軍・海軍の戦死者の大きな石塔を思い出す(かくれんぼなどの遊び場所だった)。20~30歳前後の戦死だ。本堂には遺影も掲げられていた。一家の働き手として近所の人と同じように一生を終えることもできただろうと思うと切ない感情が沸く。切なさや悲しみ、それが私が黙とうをする動機だ。

   どのような思いで戦没者を追悼するかは、死者との関係や戦前の評価の仕方で様々だろう。8月16日の新聞に掲載された「お言葉」と「式辞」の全文を読んでみた。天皇陛下のお言葉では「先の大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。」とあるので、悲しまれていることが分かる。「苦難に満ちた往時をしのぶとき、感慨は今なお尽きることがありません。ここに過去を顧み、深い反省とともに、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い、・・・」と述べられている。昭和天皇を父とし、戦前は大日本帝国の皇太子として育った方なので、途方もない犠牲者を出した戦争への深い反省を引き継いでいるのだと思われた。
   他方、我ら国民から選ばれた安倍首相の式辞は、何度読み返しても追悼の動機が分からない。戦死者を悼む悲しみの表現がないのだ。首相は「御霊(みたま)安かれと、心よりお祈り申し上げます。」と言っているのだが、「今、私たちが享受している平和と繁栄は、命をささげられた皆様の尊い犠牲の上に築かれたものであります。・・改めて、衷心より、敬意と感謝の念をささげます。」とも言っている。どんな意味で御霊(死者)に感謝するのかの説明はない。戦死は尊いことであり、戦死者となったことに感謝をすると言っているように読める。悲しい死を戦時中のように美化しているのではと思われて仕方がない。

   国民を総動員して無謀な戦争を進めたために、異郷の戦場、満州、国内各地で、戦闘・空襲・飢餓・病気・捕虜生活などによって300万人を超える人々が亡くなった。このような事態に至らせたことは、政府指導者が反省することではあっても、感謝することとは思われない。故人が暖かな思い出を残してくれたことを感謝する遺族の気持ちは良く理解できる。しかし戦場で殺されたり飢えで死んだりしたことを感謝する遺族がどこにいるというのか。
   職業軍人や招集された下級兵士(若者達)の死が無駄だったと言うつもりはない。戦没死が無駄か有意義かは、故人を含めてそれぞれの価値観によるしかない。もし戦死者の霊魂と話ができたならば、私は次のように言いたい。「生きのびて人生を全うしていただきたかったのです。あなた方の死は生き残った遺族に大変な悲しみや苦痛をもたらしました。しかし、あなた方の死が与えた悲しみは、戦後の私たちに新しい生き方を選ばせてくれました。戦争は絶対に嫌だと思うことで戦前の政治のやり方を反省し、国民の努力で繁栄を取り戻しました。72年間一度も戦場になったり、爆弾が地上に降り注いだりすることがなかったのはその結果です。生き残った人達とその子孫は戦争を起こさないと決意していますが不安もあります。これからも見守って下さい。」   (先頭に戻る)

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No.75 「痛みの共感が再発防止になる」(2017.8.14)

相模原市にある「津久井やまゆり園」で昨年7月26日に起きた殺傷事件から1年たった。事件の全容は解明されておらず、再発防止策は具体化していない。横浜地検が2月に起訴した植松被告の裁判は被害者の多さや被告の精神鑑定などで長期化しそうだ(毎日社説)。昨年8月31日の随想No.24で「健常者が人生の途中で障害の当事者になると、それまで気づかなかったことに気がつくことがある。」と書いた。盲人の生活を体験するため目隠しをして外出し「道路が不便で怖かった」とアナウンサーが述べている番組を見た。苦労することでも、別の視点で考えてみることは人生を豊かにでき、社会を改善することに役立つ。

   事件から1年たった毎日新聞7/28の論点を読んだ。注目した意見があった。生命倫理学の松原洋子さんは、優生学の問題を扱う立場から「自分が正義だと考える」風潮への疑問を投げかけている。植松被告がいう(家族や社会・政府に負担をかける)厄介な障害者に居所はないという(植松流の正義の)言説に安易に共鳴することへの批判である。障害が起きる可能性をもつ場合に子を生まないという親の選択はあり得るとしても、それを強制してはならない。健常者がいつだって障害者になり得ることを考えれば、障害者の排除を強要する考え方こそ、人類が自己を否定する破滅の思想のように思われる。
   当事者研究の熊谷晋一郎さんは、事件の背景に、多数の人達が不満や不安を抱えていることと、頼れる人が少なく自分の困りごとを他人と分かち合えない状態にあることを指摘している。競争社会で死にそうな目にあっていても、その苦しさを分かち合えなければ、自分を傷つけるか他人を害するかになってしまう(失業中の男が秋葉原で殺傷した事件、パワハラや長時間残業で自殺した例)。

   植松被告の考え方を広げていけば、健常者にも住みにくい残酷な世の中になる。誰もそんな社会は望まないだろう。松原さんも熊谷さんも、問題解決の簡単な処方箋があるとは言っていない。だから、松原さんが言うように「障害者から生きる場所や命を奪うことは誰も正当化できないといい続けるしかない」という意見はとても良く理解できる。
   不満・不安を分かち合うとは、相手の痛みに共感することである。自分には「金も地位も体力もあるので何の不満もない」という人もいるだろうが、苦労する人に共感することは難しいことではないし、嫌悪することでもない。昔の人の「子供叱るな 来た道じゃ、老人笑うな 行く道じゃ」という俚諺が参考になると思う。健康な人も病人や障害者になることはある。健常者が障害者に支えてもらうこともあるし、その逆もある。人を支えているからといって威張る必要もない。人間は商取引が発展する前から困難を分かち合って生き延びてきた。現代では人生を金銭や損得で考える人が多いように思うが、それだけではないことは殆どの人は知っているのではないだろうか。   (先頭に戻る)

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No.74 「戦後72年目:夏の甲子園」(2017.8.8)

台風5号のせいで1日遅れの8月8日から夏の甲子園が始まった。開会式と最初の試合(滋賀県の彦根東高×長崎県の波佐見高)をNHKテレビで見た。両チームは県立高校で特に野球の名門校というわけではない。逆転と再逆転で9回裏に彦根東が勝利した。若者達には自信と不安が同居しているはずなのにテレビに映ったプレイ中の選手はどの顔も賢く美しく見えた。体力も知力も使った良いプレイを見せてもらった気がした。
   高校野球大正時代(1915)に始まった。戦後はメディアの報道と都道府県での選抜試合を通じて広いファンを獲得した。その過程で高校野球を商売や宣伝に利用する行為が行き過ぎて、贈賄的な行為をしたり、野球部内で暴力(シゴキ)などが起きたりしたため、ルールは何度も改善されてきたとのことだ(現在も全く問題はないわけでないらしいが)。例えば、以前は「打倒XX高校」や相手チームへの品のないヤジがあったが、今では禁止されている。開会式で高野連会長は、球児に向かって、野球を通じて仲間との支えあいを学ぶことと、3つのCを訴えた。3つのCとは、集中する(Concentration)、貢献する(Contribution)、相手への敬意をもつ(Congratulation)だそうだ。確かに、他のスポーツでも仕事でも3つのCは大切だと思う。

   甲子園大会の主催者は高野連と新聞社(夏は朝日新聞、春は毎日新聞)である。朝日新聞社長の挨拶は、先の大戦中に開催できなかったこと、戦後は平和憲法の下で再出発し、始球式のボールを進駐軍のヘリコプターから投下してもらったことなどのエピソードを交えたものだった。スポーツは政治と関係がないと思っている人達もいるが、社長の挨拶を聞いて、米国発のこのスポーツは戦時下では用語を制限され、大会が取り止められた歴史があることも若者たちには知ってもらいたいと思った。
   出場校を代表した北海道滝川西高校主将の選手宣誓は好感がもてた。出場を誇りに思っていること、大変な試練を経てきたがそれができたのは選手を支えてくれた人達がいたことを述べ、「真っ白なユニフォームが真っ黒になるまで練習したことや真っ白な玉を追って真っ暗になるまで練習したことを心の支えに、最後まであきらめないで、正々堂々と戦う」と宣言した。
   軟式ボールではあったが、私も子供のときに真似事をしたり、試合を見たりして楽しんだ野球である。夏の甲子園大会は、毎年8月15日前後に行われ、セミの鳴き声、終戦の日の黙とう、原爆投下の式典などとともに夏の風景に溶け込んでいる。これまで開会式をきちんと見たことはなかったが、今日の半日はテレビと過ごしてしっかり見てみた。何の運動能力も持たないのに、スポーツ推進員(スポーツ基本法32条に基づく制度)を引き受けてから2年目の夏である。   (先頭に戻る)

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No.73 「騙されたのか、誤解したのか」(2017.8.3)

No.29 「簡易裁判所の審理を傍聴した」(2016年9月22日)で紹介した裁判の結果を知らせたい。友人が著書をSF社に100万円を払って出版を委託した件だ。友人は簡易裁判所に「契約では利益配分を著者が6割、出版社が4割と決めている。売れ残った本の6割を返還して欲しい」と請求した。しかし簡易裁判所の判決は、友人には書籍の所有権はないとして請求を棄却した。不服の友人は東京地裁に控訴していた。

   今年の5月31日に東京地裁の判決が出された。結果は、控訴棄却だった。友人は上訴はせず「裁判は社会勉強になった」という感想を漏らしている。判決文を見せてもらって何が問題だったのかを考えてみた。
   主要な論点はこうだ。友人は「販売される前の書籍の所有権は必要経費の大部分を支払った著者にある。実質的には自費出版だ。利益配分の契約から考えても、少なくとも6割は著者の所有だから、その部数500冊を返還して欲しい」と主張した。SF社は「当社は労力とサービスを提供している。自費出版ではなく所有権は当社にある。その根拠は契約書に、著者への一部献本と売れ残り時の一定部数の無料引渡しがかかれていることだ。著者に引き渡した残りは裁断等処分したので返却できない」と主張した。

   所有権を正面から論じると思っていた私には予想外の判決だった。判決は「既に裁断等処分された書籍は、SF社が占有しているのではないため、控訴人の所有権に基づく書籍(係争中の500冊)引渡し請求には理由がない」とした。販売前の書籍の所有権については、「出版社への報酬の支払いは契約でも合意されていたから、著者が書籍の制作費・流通経費の少なくとも大部分を負担したことだけで所有権が著者に帰属するとみることはできない。むしろ一定部数を著者が引き取ることができる旨の契約内容は、(別の見方をすれば)控訴人には所有権がないことを前提としている」という説明であった。また「SF社に支払った100万円に出版社の報酬分が含まれているという証拠はない」とも述べている。
   判決文の説明は丁寧に書かれている。友人からは「SF社にはきちんとした契約書を作って欲しいと頼んでいたが先送りされ続けた。金を支払った後はSF社に強い態度に出られた」と聞いたので、SF社は誤解を誘うような説明をしていたのではないかと思う。私の頭には「金を払う前に契約内容を確かめよ」、「内容を理解してから契約を結べ」などの教訓が思い浮かんだ。契約書の作成は容易ではない。判決文の説明のように反対解釈も考えた理解が必要であると感じた。裁判を通して貴重な経験を伝えてくれた友人にお礼を言いたい(友人のブログ⇒初めての裁判(1)(2)(3)(4)(5))。   (先頭に戻る)

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No.72 「ヒアリ対策 先ずは正確な鑑定」(2017.7.26)

「奄美群島の生物多様性(南方新社2016年発行)」を読んだ。奄美群島は温帯と亜熱帯の境界にある。大陸と陸続きであった時代があったが、その後海面の上昇で現在の島となった。火山活動でできた島(2015年に大噴火した口永良部島など)やサンゴ礁由来の新しい島も存在する(そうした島にはハブがいない)。亜熱帯でも北限なので冬の寒さがあり毎年強い台風が来る。動植物に与えるこれらの影響は多様な進化の原動力(淘汰圧)になっている。アリやカタツムリの類でも奄美群島には実に多くの固有種がいる。
   例えば、日本産のアリ(蟻)は約300種と推定されているが、沖縄県を含む南西諸島で記録のあるアリは約200種だ(Antweb情報によれば世界中にはおよそ16000種がいる)。日本産のアリの学名がほぼ固まったのは2014年だそうで、正確な種の判別や生態などは研究中である。その一方で物流の発展で外来種が入りこみ、アリの世界も変化が起きつつある。奄美群島でフェリーの着くような港には、その島に棲んでいなかった国内外のアリが住み着いているとのことだ。

   話は奄美群島からは離れるが、アリの外来種といえば、最近、ヒアリ(火蟻)が話題となっている。元々は南米産であるが、人の手により世界中に拡散されて、ついに日本にも入って来た。外来のアリでは、人や家畜に噛みつくアルゼンチンアリが知られているが、ヒアリの場合は毒素をもち刺す(生物分類では蜂と同じ目)のでひどい痛みを伴う。アレルギー反応から稀に死に至ることもあるという。
   このところ殺虫剤の売れ行きが増え、関連株が上がったという情報はとても気がかりだ。ヒアリが怖いからという理由で、周りにいるアリを見つけたら殺せというのでは逆効果である。種の判定は実体顕微鏡などで観察しないと確実には分からない。東京都環境局のガイドには、「ベイト剤(毒餌)の安易な使用は、ヒアリの定着等を阻害してくれる在来アリなども区別なく駆除することになり、かえってヒアリ等の定着につながる恐れがあります」とある。先ずは、ヒアリかどうかを確認することが必要だ。在来のアリが外来のヒアリを退治する可能性もあるのだ。
   恐怖感とそれに対抗する武器(農薬・毒餌)だけでは、かえって事態を悪くすることを知らなければならない。アリがいきなり飛びかかってくるわけではないのだ。今は夏休みなどで自然に触れる機会もあるだろう。私としては、子供たちには身の周りのアリや蜘蛛、ミミズ、毛虫、蜂などを観察し、ものごとを冷静に判断できる大人になってもらいたいと思う。  (先頭に戻る)

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No.71 「核兵器廃絶は世界の人々の願い」(2017.7.19)

昭和20年(1945年)8月5日に広島の人々の頭上に、8月9日に長崎の人々の頭上に新型爆弾が落とされた。広島ではその年のうちに14万人が亡くなり、その後の死者も含めて約20万人が亡くなったと推定されている。長崎での死者は約7万人と推測されている。大部分は子供を含む非戦闘員である。新型爆弾は原子爆弾であった。原爆投下を日本政府がどう見ていたかというと、国立公文書館の「終戦の詔勅」には「敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ惨害ノ及フ所真ニ測ルヘカラサルニ至ル」(新型爆弾の使用で頻りに罪のない人々を殺傷し、その酷い被害は予測できないほど)と書かれているので、終戦の決定(ポツダム宣言の受入)に影響したことが分かる。
   原爆の恐ろしさは、非戦闘員を含めて無差別に殺傷することである。直後の火災・爆風を生きのびても、急性白血病などの原爆症とがんの発症の苦痛と不安が加わり、偏見と差別にも会う。広島・長崎のヒバクシャ(被爆者)はその体験をされた。被曝をして生き残った人達は、長年「核兵器廃絶」を国内と世界に訴え続けてきた。原爆投下後72年目の今は、自らの被ばく体験を話せる人達はわずかになってきた。

   核兵器は政府が使うものだが、その被害者は政府ではなく、子供など非戦闘員を含む人間である。政府は痛みを感じないが、人間は痛みも苦しみも恐怖も感じるのだ。だから、世界の人々が、核兵器禁条約に賛成するのは当然である(下の記事は毎日新聞7月15日夕刊)。
   核兵器は恐ろしいという人々の気持ちを背景に、1970年に核不拡散条約(NPT)が発効した。しかし、この条約は核保有を米、英、露、中、仏に限るとした、核保有国には虫がいい条約であり、それに不満なインド、パキスタン、イスラエルは、核兵器を保有し、締約国にはなっていない。世界の人々の本当の願いは核兵器の不拡散ではない。廃止である。使用させないことである。核で威嚇をさせないことである。
   ヒバクシャやその支援者の努力によって、今年の7月7日に国連で「核兵器禁止条約」が採択された。国連加盟国193か国のうち、122か国の賛成(棄権1、反対1)であった。残念ながら、NPTの下での核保有を許される5大国のほか、インド、パキスタン、イスラエル、北朝鮮は会議自体に不参加であった。唯一の被爆国である日本の政府も不参加であった。核廃絶の世論が強いオランダは会議には参加して「核兵器のない世界を目標とすることはオランダも同じ。しかしNATOの義務に縛られているから反対する」と演説したとのこと。日本政府も日米同盟に縛られている。だが、NPTは大国の核保有の既得権を守るだけの効果しかなく既に破綻している。核の抑止力とは、核兵器を使うかもしれないという威嚇である。核の抑止力を信じる米、露、中の核兵器大国とその同盟国がいかに制裁を強めたとしても、同じく核の抑止力を信じる北朝鮮(金王朝)が核兵器の開発・製造をやめるとは思われない。米国など既存の核保有国も北朝鮮も、一緒に核兵器禁止条約に加わって欲しいものだ。   (先頭に戻る)

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No.70 「アマミノクロウサギを救えるか」(2017.7.15)

南西諸島は大きく分けると、西表島、石垣島、宮古島のある南琉球(先島諸島)、沖縄本島から沖永良部島、徳之島、奄美大島のある中琉球、屋久島、種子島のある北琉球から成り立っている。中琉球の両端には水深1000メートル、幅数十キロメートル広い海峡がある。大正元年(1912年)に、東京帝大の動物学者渡瀬庄三郎教授は種子島・屋久島と奄美大島との間に生物相の境界があることを提唱し、この境界線は後に「渡瀬線」と呼ばれるようになった。
   アマミノクロウサギは、渡瀬線南側の徳之島と奄美大島にのみ生息している(沖縄本島では化石が発見されている)。ウサギ科のアナウサギ類(英語でrabbit)で、ノウサギ類(hare)とは異なる特徴をもつ日本の固有種である。ニホンノウサギに比べて体毛が黒褐色で耳や足が短く爪が鋭い。繁殖の際は穴を掘って子を産み穴の入り口を土でふさぐ。授乳するときには穴を開けて中に入り授乳が終わるとまた穴をふさぐ(枝や葉で穴の入り口を隠す)という生活を1~2ヶ月する。
   このような原始的ともいえるウサギがなぜ生存できたかについては仮説がある。その一つは、中国の揚子江の北部から同じ種と思われる化石が出ていることから、寒冷気候で大陸と日本列島が陸続きだったころ(700万年前)に中琉球に入ってきたウサギが、その後(500~200万年前)の水面上昇で中琉球の島に隔離され、元の中国の種は絶滅したという説である。

   アマミノクロウサギは、大正10年(1921年)に天然記念物に、昭和38年(1963年)に特別天然記念物に指定された。絶滅危惧種として国際自然保護連合(IUCN)のレッドリストに載っている。現在、徳之島では100頭前後、奄美大島では2000頭前後と推定されている。頭数減少の原因は、開発による生息地の減少のほか、毒蛇ハブ対策として持込んだマングースやニホンイタチがハブを食べないでアマミノクロウサギを襲うことによる。近年では犬やネコ、交通事故も原因となっている。マングースの導入は、後になってとんでもない誤りだと判明したが、アマミノクロウサギを天然記念物として保護しようと尽力された渡瀬教授の指導によるものであったのは何とも皮肉なことであった。外来種であるマングースは生き延び今でも貴重な野生生物を襲っている。ニホンイタチは、逆にハブに食べられて定着できなかったようで、ハブがニホンイタチからアマミノクロウサギを守ったとも言える(これも皮肉なことである)。
   2005年にできた「外来生物法」に基づく環境省のマングース(特定外来生物に指定)の捕獲事業によって、近年、奄美大島でわずかにアマミノクロウサギの生息が改善されつつあるともいわれるが、徳之島では、生息範囲が分断され小集団化していよいよ危機的な状態になっているとのことである。
   以上を書くに当たってはアマミノクロウサギの研究者である農学博士山田文雄氏の「ウサギ学」(東京大学出版会)を参考にした。絶滅が危惧されるような生き物は頭数や生態、保護方法が良く分かっていないものが多いとのこと。南西諸島には、世界的にも貴重な固有種(ヤンバルクイナ、ノグチゲラ、イリオモテヤマネコ、ジュゴンなど)が生息している。人間の行為で絶滅させるようでは、先進国である日本としては恥ずかしい限りだ(あまくろの写真・歌など→奄美野生生物保護センター)。   (先頭に戻る)

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No.69 「うっかりと物忘れのコラボ」(2017.7.6)

私は、そそっかしい人間である。子供のころ森永やグリコの箱入りのキャラメルもらうことがあった。小さく切って包装されたキャラメルの粒の包装をむいて早速口に入れた・・と思ったら、何の味もしないことに気づいて慌てて紙を口から出した。肝心のキャラメルは捨てて、包装紙を口に入れていたのだ。もちろん砂や埃の着いたキャラメルは直ぐに拾って、洗って(きれいに見えれば洗わないで)口に入れた。こんなことが一度ならず何度かあったのは、うかつな性格の証明だ。
   今は、キャラメルを食べる機会もないが、うかつさは変わらない。それに忘れっぽさが加わって、知らない電話がかかってきたら直ぐに出ないように言われているのに、つい出てしまう。トイレの照明を消さないで、ドアを閉めて忘れてしまう。うかつさは物忘れとは違う。ぼんやりして無意識に行動する結果だろう。だが、この程度のことは年を取れば誰にもあるとは思う。

   ところで、私は朝食はほとんど自分で作っている。ご飯、味噌汁、納豆、生卵にトマトが定番だ。味噌汁には、ネギと豆腐を入れ沸騰したら豆味噌(赤みそ)を溶かす。できた味噌汁は、冷めたら冷蔵庫に鍋ごといれて3日間ほどで消費する。納豆は生卵(刻んだ小ネギも)に混ぜて熱いご飯にかけて食べる。朝飯つくりは、既に朝飯前のレベルになっている。
   驚いたのは、最近経験した次のことである。朝食準備中にプラスチック容器から取りだした納豆(約50グラム)を、生卵を割り入れた鉢に入れるべきところを、沸騰している味噌汁の鍋に入れてしまったのだ。全部入れてしまってから「あれっ。自分は何をしていたんだろう」と思ったがもう遅い。納豆の豆を鍋の底からすくい上げたが全ては回収できなかった。
   更に問題を自覚したのは翌々日である。翌朝は、味噌汁の中に、柔らかな大豆を2-3粒見つけたが大して気にも留めなかった。翌々日の朝、味噌汁の中にかなりの数の大豆を見つけたのだ。そして、「おやっ。柔らかな豆が随分残っているなあ。もしかして味噌の発酵が未熟だから豆の形が残っていたんだ。そういえば昔は味噌の中に豆が残っていることがあったなあ。」と思ってしまったのだ。そして、朝食の後で味噌の袋が目にとまったので、スプーンで味噌を広げて大豆の粒があるのではないかと探してみた。・・・もちろん味噌はどの部分をとっても熟成され均質になっていて、豆の粒など全く見つからなかった。私は一昨日の朝のことをすっかり忘れていたことに気がついた。くやしいことだったけれど、「まあ、忘れていたことを思い出しただけでも良しととするか」と明るい面を見ることにした。
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No.68 「ねじれたものは悪いのか?」(2017.6.23)

ネジバナは雑草のように扱われているが可憐で魅力があるランだ。学名はSpiranthes sinensis。スピランセス(Spiranthes)は、ギリシャ語の「speira(螺旋(らせん))+ anthos(花)」に由来する。シネンシス(sinensis)は「中国の」という意味なので命名者は中国でこの花を見つけたのだろう。名前のとおり花の付き方が螺旋階段のようにねじれている(下の画像左)。まっすぐな花つき(画像中央)ばかりならば、ネジバナとは命名されなかっただろう。ハナバチなどの昆虫に助けられて種子を作るので、虫の役割は無視できない(画像右)。土質が変わると生育できなくなるのは根が菌類と共生しているためだ。

   ネジバナを見て、「ねじれ」という言葉について考えてみた。言いたいことは「ねじれ」は悪い意味で使われることが多いが、ねじれることによって機能が正常になることもあるということだ。銀河のうずまき、タニシ、ネジ、勾玉(まがたま)、DNAの構造はねじれていることで存在したり価値を持ったりする。自然の世界では非対称のものは少なくない。およそ世界の重要な部分は「ねじれ」や「非対称」によって成り立っていると思われるほどだ。「曲がる」という言葉もあるがこれもイメージが良くない。辞書には「曲直」とは「不正なことと正しいこと」とある。でもどうして「曲」が不正で「直」が正しいのか。「心のねじけた人」とは、素直でない人、悪人などを意味する。このイメージがどのようにして作られたかは別に考えてみたいが、「ネジバナ」を愛でる私たちは、「直線が正しく曲がっているのは悪い」という見方が誤りであることに気がつくだろう。人間社会は「ねじれ」「曲がり」など、非直線や非対称なものをもっと評価するべきだと思う。

   この点で、少し前に流行っていた「ねじれ国会」という表現は思慮が足りないと感じる。二院制度は立場の違いを利用して、他の院のチェックや法案の修正をするのである。参議院と衆議院とで多数派が入れ替わっていても(ねじれていても)国民にとって不都合なことは何もない。野党を持たない現在の北朝鮮や中国のような国(これらの国ではねじれ現象はなく国会は翼賛会になっている)は暴走する恐れがある。大事なことは立場の異なる人達が議論を尽くし、必要ならば修正・改善をしていくことではないか。
   今回のテロ等の共謀罪創設法案については、参議院の法務委員会では審議を途中で打ち切って採決をしなかった。その法案を本会議で強行採決して会期を終わらせてしまった(政府側が森友問題や加計問題で追及を恐れたためだとメディアは解説している)。「ねじれ国会」が解消された結果がこれでは、日本を愛する1人として、あまりに情けなく感じる。   (先頭に戻る)

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No.67 「初めてのホタル撮影」(2017.6.15)

私の故郷は濃尾平野の端の水田地帯で、昭和30年代初めまでは家の前の小川(幅1メートルほどの用水)にホタルが出ていた。夕食後に家族で川べりに行き、夕涼みを兼ねてホタルを楽しんだ記憶がある。眼前には水田が遠くまで続き、民家も街灯もないので真っ暗だった。闇の中にスーッと光が飛んで、再び闇に戻るのは印象的だ。その懐かしさを求めて、6月9日に君津市の山間(清和ホタルの里)にホタルを見に行った(下の写真右はその辺りの風景)。

   実は、ホタルの写真を撮ったのは今回が初めてだ。ホタルの光はとても弱いので、自動モードではシャッターを切れないし、切れてもホタルのいる辺りは真っ暗にしか写らない。マニュアルモードにして、バルブ(シャッターボタンを押している間はシャッターが開きっぱなしになる露出)で15~30秒間シャッターを閉じないでおく。三脚のほかに、シャッターを切る際のカメラの揺れを防止するためレリーズ(シャッターの開閉を遠隔操作する器具)を使うよう推奨されている。暗闇で動く被写体に焦点は合わせられないから、ホタルの出る辺りに焦点を置き、その範囲に入ってきたホタルが写るという頼りない仕掛けだ。
   今回写真は何十枚も撮ったが、きれいにホタルの軌跡が写っているものはわずかだった。写真左は5匹ほどが、写真中は10匹以上が写っているのだがご覧いただけるだろうか(クリックで拡大して光の点や線を数えてみると分かる)。
   ホタル撮影に詳しい人の話では、ホタルの光の軌跡がたくさん写っている写真は殆どが合成写真だそうだ。私は何十匹ものホタルが乱舞している印象を持ったが、ある瞬間を撮った生の写真を見るとそうなってはいない。写真の像と頭の中の残像とはいずれが真実なのだろうか。
   ここまで読んで下さった人は、この歌もどうぞ⇒(
唱歌「蛍」)。   (先頭に戻る)

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No.66 「不安になるテロ等の共謀罪創設」(2017.6.8)

このところ新聞紙面をにぎわしているのは、天皇陛下の退位法案、加計学園問題、テロ等の共謀罪法案だ。このうち、退位法案については、6月3日に衆議院本会議で、自由党は棄権し、自民、民進、公明、共産、日本維新、社民の賛成で可決成立した。反対をした議員が3人いたものの政党としての反対はなかった。天皇の地位が「主権の存する日本国民の総意に基づく。(憲法第1条)」とする国民主権の理念が生かされたため、与野党が対立する法律にならなかった。この点は大いに歓迎・評価している。

   問題は
テロ等の共謀罪創設法案(条文)だ。世論調査では国民の賛否が拮抗し、政府の説明は不十分との意見が77%だ。日弁連では本年2月に意見書を法務大臣に提出し、5月23日の会長声明でも廃案にするよう求めている。オリンピック・パラリンピックのテロ対策で条約締結に必要との政府説明だが、法律がなくても条約は締結可能との意見がある。過去に廃案となった共謀罪と比べると対象犯罪は676から277に減らされた。しかしテロと関係ない保安林からのキノコ採取や著作物の違法コピーでも共謀罪が適用されるようにも読める。団体が殺人を計画して、毒入りカレーを作れば現在の刑法の殺人予備罪の適用で2年以下の懲役なのに、毒のないカレーを作っただけでも共謀罪が適用されれば5年以下の懲役となる矛盾も指摘されている。国連の特別報告者ジョセフ・ケナタッチ氏からは、この法案は人権を過度に制限する恐れがあると指摘された。
   テロの未然防止は国民が願っているとはいえるが、その効果がないのに国民の権利(経済活動、言論や集会、宗教活動、労働基本権)を制限するだけになったのではテロリストが喜ぶことだろう。6月6日の毎日新聞の夕刊「特集ワイド」で、日本で無差別テロを行ったオウム真理教を取材してきた江川紹子氏が「オウムのテロは共謀罪があっても防げない。幹部達の犯罪を殆どの信者が知らなかったからだ。」と述べている。この法の運用のため通信傍受(盗聴)が幅広く使われるようになることも懸念される。

   国民の賛否が割れるような法案を急いで通すことはやめて欲しい!  天皇陛下の退位法案を手本にすれば、与野党で話し合い問題箇所を修正できるはずである。日本の公務員が仕事熱心なのは良く分かった(森友学園への土地売却をめぐる財務省役人の迅速な対応を見ればその熱心さも分かる)。だから警察官が犯罪とは全く関わりのない人を尋問することだってあるだろう。共謀罪を設けるとしても、対象犯罪をテロ(暴力行為)と密接に関連するものに限った上で、無実の人が苦しむことのないように捜査の可視化をこの法律に定めて欲しい。検事の取り調べはとても厳しいので、人はやってもいない犯罪でも認めてしまうことがあるのだ(村木厚子氏の事件では検事の決めつけ捜査と証拠改竄まであった)。更に、共謀罪を強く意識した人が社会的な活動や積極的な人付き合いを止めてしまうこともある。人々を恐怖に陥れ不自由にする社会こそテロリストの本当の狙いだと思う。ISイスラム国ボコハラムなどのテロ計画実行者にとっては、この法律は歓迎しこそすれ、痛くも痒くもないに違いない。   (先頭に戻る)

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No.65 「楽しくない会話」(2017.6.2)

年齢を重ねたせいか、理屈っぽく先ばしる性格のせいか、親しい人との間でも会話がぎこちなくなることがときどきある。例えばこんなふうだ。
    友人:北朝鮮のミサイルは誘導目標から7メートルしか離れていなかったんだって。7メートルは嘘かもしれないけど技術は向上してるね。ロシアが技術援助しているのかねえ。
    自分:北のミサイル開発にロシア政府が技術援助をしているとは思えんね。ロシア人やほかの外国人が雇われているのかもしれんけど。
    友人:目標への誘導には
GPSの技術が必要だそうだけど、アメリカの製品を使っているんじゃないかな。
    自分:そんなことはないだろう。どうしてアメリカ製だと分かるんだい。ミサイル部品が回収できたのかな。
    友人:アメリカはGPS衛星とGPSを使った製品が普及しているからそう思っただけ。北は人工衛星は持ってないから、海外の技術が無ければ正確な目標を測定できないよね。それならGPSを使えなくすれば、ミサイルは目標に命中しなくなるんじゃない。
    自分:そうしたら、軍事施設もない住宅地に飛んでくるかもしれんなあ。余計危ないじゃないか。
    友人:そういうことを言いたいんじゃないよ・・・。
   友人が言おうとしていた趣旨は、北朝鮮に米ロなどの技術が入っているとすれば、その技術を使えなくすることで、武力で圧力をかけなくてもミサイル開発が防げるかもしれないということだ。この文脈の中で、私は友人の話を終わりまで聞かず、否定したり根拠のない感想を述べていたりしていただけだ。

   パートナーから「話の腰を折らないで最後まで話させてよ」と言われることが時々ある。前述の会話でも、そうした私の会話の欠点が感じられる。気安い関係だからか、こんな会話では、相手も言わんとすることが別の方向にそれてしまう。
   また、相手の言うことをぼんやりとしか聞いていないことも問題だ。良く理解できないのでいい加減な言葉で応答していると、その後の会話で聞かれて困ったり、同じことを質問したりする。「それはさっきも言ったでしょ」と言われると、「分からんから聞いているのじゃないか」と「ムッ」となったりする。
   会話では話の進行を確認し相手を励ますために、それにふさわしい相づち(「なるほど」「そうだね」「それは分かる」「それからどうしたの」など)を打つことが大切だ。そこで一時期「そうだねえ」などを連発していたら、「良く理解していないのに「そうだ、そうだ」だけでは楽しくないわ」と言われた。言葉を使いこなすことは実に容易ではない。   (先頭に戻る)

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No.64 「小説の読み方、読まれ方」(2017.5.28)

最近、又吉直樹氏「火花」を文庫本で読んだ。漫才師を目指す主人公の徳永が、別の事務所に所属している師匠である神谷さんと自分について語る設定で、売れない芸人のひたむきで苦しい生活が、まるで漫才のストーリーのように展開している。ネタや話法を必死になって作っていく姿には好感が持てた。
   この文庫本には「芥川龍之介への手紙」と題する芥川賞受賞記念のエッセイがあり、芥川の「侏儒(しゅじゅ)の言葉」の「鑑賞」を引用して、又吉氏は「その作品に向き合って、解釈するというのは体力はいりますが楽しいことでもあります。その面白さを教えて下さったのもあなたです。」と述べている。私も芥川の「侏儒の言葉」を読み返して新鮮な感じがした。
   「侏儒の言葉」の「鑑賞」⇒ 「芸術の鑑賞は芸術家自身と鑑賞家との協力である。云わば鑑賞家は一つの作品を課題に彼自身の創作を試みるのに過ぎない。・・・」

    1年ほど前に、小説「永遠のゼロ」について私の友人の1人が「この作品は純愛物語であり、著者の百田尚樹氏は戦争を心の奥底で憎んでいることが分かる」と話してくれた。私も読んでみた。主人公の宮部は、超優秀な戦闘機乗りである。特攻の指導教官になった宮部が死を決意しながら、妻との約束を予想もしない形で果たす話だ。軍隊内部の差別や非合理、陸海軍の指導者の無責任さも描いている。宮部には孤高の侍か修行僧のような魅力を感じた。私には戦争を賛美する話とは思われなかったし、宮部に何としても生き残って欲しかった。もし生き残っていれば、特攻隊員として終戦を迎え、戦後は弁護士・国会議員として活躍した大阪の東中光男氏のようになったと思うほどだ。

   百田氏は、自称「愛国者」として、中国人などを差別する発言をし、9条改定による軍隊創設を主張し、沖縄の基地反対運動を敵視する発言をしてきた人である(NHK経営委員でもあった)。その政治的な発言のせいでに彼の作品に嫌悪感を持つ人は少なくない。作家の態度とは切り離して作品のみ鑑賞するべきだという考えもあるが、現実には作家の言動と作品とはセットで評価されることが多い。百田氏の場合、自称「愛国者」としての活動が、芥川がいう「作家と読者との協力関係」を妨げている状態がある。
   「鑑賞」の意味は、同じ作品であっても人は様々に解釈する(創作する)ということだ。作品には解釈の余地のないものもあるし、批評家の意見をそのまま受け入れることも鑑賞ではあろうが、私は自分自身が納得できる解釈をしたい。又吉氏の「解釈することは体力のいることではあるが楽しいことでもある」は、その通りだなあと思う。   (先頭に戻る)

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No.63 「軍事的研究に歯止めは必要だ」(2017.5.20)

かつて東京大学に勤務していた友人の I さんに誘われて、東大教職員組合が主催するセミナーに参加した。日本学術会議が3月に出した「軍事的安全保障研究に関する声明」と4月に出した報告「軍事的安全保障研究について」の解説を聞くためだ。日本学術会議は、昭和24年に日本学術会議法によって設立された政府から独立した機関だ。この会議は、「科学者の総意の下に、わが国の平和的復興、人類社会の福祉に貢献し、世界の学界と提携して学術の進歩に寄与することを使命」とするとされる。GHQの政策の反映と思われるが、敗戦後の平和と民主主義を実現する意気込みと品格を感じる。

   今回の声明が出された背景には、防衛装備庁が2015年に「安全保障技術研究推進制度」(2017年度は110億円)を発足させたことがある。日本学術会議は、過去(1950年と1967年)に「軍事目的のための科学研究を行わない声明」を出している。今回の声明では過去の声明を継承するとし、研究の自主性・自立性と研究成果の公開性を重視する視点から、①大学等の研究機関に対して、軍事的安全保障研究と見なされる可能性のある研究について技術的・倫理的に審査する制度を設けること、②学協会等において、学術分野の性格に応じてガイドライン等を設定することを求めている。
   佐藤岩夫さん(東大社会科学研究所教授)の解説によれば、検討委員会では「学問の自由の観点から軍事に関わる研究であっても許されるのではないか」、「防衛装備庁の制度では研究成果の公開を妨げないとしているので問題は少ないのでは」、「基礎研究の成果は軍民いずれにも使えるので線引きが難しい」などの意見がでたとのこと。声明では、防衛装備庁の制度については「政府による研究への介入が著しく、問題が多い。」と指摘しており、防衛装備庁の制度に応募するかどうかは、各大学や研究機関の判断に委ねられる(だからこの声明に対しては、玉虫色だとかガラス細工だとかの声もあるようだ)。
   
   東京大学の場合、明文化はされていないが南原総長の軍事研究禁止の3原則(1.軍事研究に従事しない、2.外国の軍隊の研究は行わない、3.軍の援助は受けない)が今日まで引き継がれているので、今回の声明に対しては、この伝統を基に研究審査制度を設ける方針とのことだ。
   他方、研究資金集めに苦労しているのが日本の大学の現状だから、金の大きさに目がくらむことはあるだろう。そうしたときに科学者の総意でできたこの声明は立派な歯止めだ。もともと法的拘束力はないが、科学者自らの宣言である。まともな研究機関なら無視はできないはずだから、私としては高く評価したい。特に影響力のある東京大学では、科学者のプライドにかけて軍隊等(防衛装備庁や米軍等)からの援助をアテにした研究は行われないと信じている。   (先頭に戻る)

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No.62 「核とミサイルをやめさせる方法」(2017.5.18)

報道によれば、北朝鮮政府は核兵器と弾道ミサイル開発が国体護持(金王朝存続)の唯一の手段だと考えているようだ。これに対して、5月15日に国連安保理は弾道ミサイルの発射を繰り返す北朝鮮を強く非難する決議をした。中国・ロシアなどの常任理事国を含む15カ国全てが賛成し、更にミサイル発射や核実験を行うならば、更に重大な制裁措置をとることを表明した。
   一連のミサイル発射の動きを見ると、「人々が十分に食べることもできないのに軍事力ばかりで、北朝鮮は本当に戦争を始めるつもりなのか」と不安になる。こんな隣人はいなくなって欲しいが、北朝鮮の事情を読み違えれば、とんでもない悲劇が起きることだってありうる。北朝鮮は、「挑発すればソウルを火の海にする。日本の米軍基地を攻撃する」などといっている。本当に核ミサイルが飛べば、数万、数十万(あるいはもっと)の犠牲者が双方にでて朝鮮半島も日本も壊滅的になる。絶対にやめさせなければならない。

   国連決議で気になるのは、制裁の強化だけが方針になっているようにみえることだ。北が核やミサイル開発を進めてきたのは、中国の影響力を断って独自の力を持ちたい(王朝を維持したい)からだ。最近の北朝鮮は中国を非難するようにさえなっているので、世界を敵に回しても構わないと思い始めているのかもしれない(日本もかつて米英中蘭の経済制裁を受けて太平洋戦争を始めてしまった)。
   新しい動きもある。5月に韓国で文在寅(ムンジェイン)氏が大統領に選ばれた。状況はとても厳しいが別の政策が展開される可能性もある。5月15日に北京でプーチン大統領は、「北朝鮮は米国による体制転換を恐れている。金正恩体制の存続を保障しないと解決はできない」と言及している。国連常任理事国(中仏ロ英米)は、それぞれが核兵器もミサイルも持つ大国であるが、その大国が自らのことは棚に上げて北朝鮮に「核・ミサイル開発をやめろ、でないともっと制裁をするぞ」というだけで説得できるとも思えない。アメリカと北朝鮮とが対話をする兆しはあるのだろうか。

   2009年にオバマ大統領は、
「核廃絶をめざすプラハ演説」を行った。これは米国が先頭に立ち核兵器のない世界の平和と安全を追求する決意を明言したものだ。国際社会は歓迎しノーベル平和賞を授けたが、その後の核廃絶の取り組みは殆どなされなかった。しかし長い目で見れば人類にとっての正しい選択肢は、オバマ大統領の言ったように核兵器廃絶しかないと思う。だから、国連安保理(特に朝鮮戦争の当事国である米国トランプ大統領)は北朝鮮に向かって次のように呼びかけて欲しい(夢かもしれないが、秘密交渉が既に北欧のどこかで始まっていることを願わずにはいられない)。
   「核は人類の生存にとってあまりにも危険だ。使えば勝者も敗者もない。俺たちは核兵器を北朝鮮に向けて使うことはないし、戦争をしかけることもしない。俺たちが所有している核兵器は廃絶をめざす。必要なら食糧援助も農業援助もしてやる。だから金さん、あんたも核兵器やミサイルの開発をやめろ!」   (先頭に戻る)

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No.61 「黄身が2つ!ラッキー」(2017.5.12)

4月初めのことだ。近くのコンビニで6個入りの卵を買った。すこし大きな卵だなあと思いながら割ったら、黄身が2つ出てきた(写真)。この30年ほど、黄身2つの卵を見ていなかったので、昔の友達にであったような感じがした。二黄卵というのだそうだ。若鶏が卵を産み始めるころ、排卵の調節がうまくできないために起きる現象らしい。選別機器の導入で今では市場に出回ることが珍しいため、「食べても大丈夫か」と不安になる人もいるようだが、もちろん大丈夫だ。
   昔、私の家でも鶏を数羽飼っていた。家族が食べる分以外は巡回してくる業者に売る。当時の食卓で、ときどき二黄卵の卵に出会った。黄身が2つあると随分得をした気分になったものだ。

   日本の農業が大変だといわれて久しい。何が大変かといえば、狭い耕地では、農業だけでは生活することが非常に難しいことだ。農村では安定した就業機会が少ないから、工場などが農村部に誘致されなければ若者は都会に出ていくしかなかった。その対策として農村では圃場や農道の整備とともに果樹、畜産、施設園芸が振興され、機械化や新技術の開発・導入が進められた。
   政府の畜産統計(表の11)を見てみよう。卵を売るための鶏(採卵鶏)を飼育する農家数を例にとると、昭和37年(1962年)に381万戸(1戸当平均24羽の飼育)だったのが、平成2年(1990年)には8万7200戸(1戸当たり1583羽)となった。その後、調査対象から1000羽未満の飼育農家が除かれ、平成28年(2016年)には、全国で2530戸(1戸当たり5万5151羽)となっている。私の子供のころは、近所の多くの農家は採卵鶏を飼育していたが、今日では、家族経営であっても数万羽以上を飼育し、大規模になれば数十万~100万羽を飼育する選別包装施設も備えた工場のような経営体が出現している(毎日数十万個の卵が生産されるということ)。大規模な採卵鶏業者の実態は、北大の調査(pdf)などが参考になる。

   市場経済による競争に打ち勝つためには、技術革新や大規模化によって1円でもコストを減らし、販売価格を下げても利益がでるようにしなければならない。鶏卵が物価の優等生だったのは、激しいコスト削減競争にさらされてきた結果だ(この過程で多くの農家は採卵鶏の飼育から撤退した)。鶏の飼料は麦やトウモロコシなどの輸入品だから、原料の調達価格は国際相場に左右される。今日では、鳥インフルエンザなどの脅威(殺処分が必要)もある。現在は、鶏卵とその加工品には関税をかけ保護しているが、TPP合意では畜産物の間税引き下げが含まれている。TPPを離脱した米国からは農産物の市場開放要求が強まると予想されている。消費者として食べ物は安ければありがたいことは確かだが、全てが外国産になってしまうのではという不安がある。畜産を含む日本の農業は何としても生き残って欲しい。   (先頭に戻る)

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No.60 「憲法前文の意味を考える」(2017.5.5)

5月3日、中山競馬場の芝生を借りて、地元の人達120名によるグラウンドゴルフ大会が行われた。私は手伝いで、初心者の4名の方と一緒にコースを回って、ルールの説明とスコアの記入をした。参加者の多くは75歳を超える。平和な環境で身体を動かし、楽しい一日となったので、憲法記念日のイベントとしても悪くないと思った。この日の新聞には憲法特集記事があふれていた。改憲が現実の日程に入ってきたため、憲法にかかわる事件、賛否の意見、政党の見解が山盛りだ。そこで、私も憲法について書いてみた。
   
日本国憲法の前文を丁寧に読むと、「人類普遍の原理」、「政治道徳の法則」などという難しそうな表現があるが、中学校で学んだように、ここに主権在民、戦争放棄、基本的人権(平和のうちに生存する権利)の思想が全て書かれていることがわかる。前文が重要である理由は次の2点ではないかと考えた。

   1点目は、前文にこそ、日本国のあり方が端的に描かれているという点だ。憲法は他の法律の上位にある特別に重要な法だ。国家の在り方(理想)を示すものだから、議員が憲法の条項に反する法律を作ったり、裁判官・公務員が法律を好き勝手に解釈したりしないように、国会、行政と司法を監視する役割をもっている。そのため、前文で国の在り方の基本的理念を示しているのだ。裁判判例においても「前文で表明された基本的理念は、憲法の条規を解釈する場合の指針となる」と明言している。仮に憲法前文を変えることになれば、憲法の条項の意味合いが変わってしまう、つまりは、法律の解釈も変わってしまうほどの影響がある。このため、有権者は、「自由」、「平和」、「人類普遍の原理」、「政治道徳」などの意味をしっかりと理解しておかなければ、自分達(子孫)の権利さえ失うことだってある。

   2点目は、前文は、戦勝国(米英)の歴史観・価値観を土台にしていることである。例えば、憲法前文には「日本国民は・・・政府の行為によって再び戦争の惨禍が起きることのないようにすることを決意し」とある。大東亜戦争を心の底から正義の戦争と考える人達には屈辱的な表現かもしれない。GHQが憲法草案を示したことからしても、戦勝国であるアメリカが敗戦国日本の支配層に草案を押しつけたという見方は正しいだろう。 だが、多くの日本人にとって重要なことは、草案が押し付けられたか否かではない。その内容が、自分達(子孫)の幸せを約束してくれるものであるか否かだ。敗戦前の政治家や軍人の多くは、家父長制や士族制に慣れ、女性参政権や庶民に表現の自由などの権利を与えるという発想を持たなかったことは確かだ。この意味では、憲法制定は、当時の米英と日本の歴史感・価値観の対決の場でもあったが、帝国議会は新しい価値観(人類普遍の原理)に軍配を上げた。
   付け加えるならば、明治22年に制定された大日本帝国憲法(明治憲法)には前文はなく、第一条「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」から始まっている。憲法作成の動機などは憲法発布勅語に書かれている。国民(臣民と表現されている)の権利は全て法律の範囲内とされ法律が全てであった。明治憲法の制定は、帝国議会の開設のためだった。高額納税者しか選挙権がなかったという限界はあるが、それ以前の統治の仕方と比べれば、自由民権・国会開設運動などの成果だといえる。

   現憲法は、昭和21年の帝国議会で議決された。衆議院でも貴族院でも、議員提案による修正が行われた。昭和21年8月21日の衆議院本会議では賛成421票、反対8票であったとのこと。だから「押し付けられたから改正が必要だ」というのでは理由にさえなっていない(そういえる人は反対票を投じた8名の支持者なのかと思う)。占領されているからという理由で嫌々承認したのではなく、本当にこの憲法の理想を積極的に表現し実現したいと思った人達もいたことを忘れてはならない。⇒(帝国憲法改正小委員会での議案修正がなされた記録を描いたNHKスペシャル「平和国家はこうして生まれた」2017年4月30日放送)。   (先頭に戻る)

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No.59 「新緑の季節とサツマイモ」(2017.5.2)

1年で1番好きな季節は、4月のサクラの咲くころから6月にかけてだ。草花とともに、ツツジ、モクレン、ハナミズキなどの花の咲く木々が市街地を彩る。枝が伸び若葉が急速に広がり、樹形もどんどん変わっていく。何といってもこの時期の色彩は緑が主役だと思う。3月の山が木々の芽吹きなどで華やかになることを「山笑う」というが、5月は笑い転げて山が動いている。寒さも暑さもあまり感じない季節だから、カエデやケヤキの木陰でそよ風に吹かれながら青空を見上げると、太陽光が若葉を貫いて黄緑・薄緑から緑色のグラデーションの天蓋を提供してくれる。田植えが終わった水田は緑の絨毯になる。緑が最も美しい季節だ。

   季節があるのは、地球の地軸が傾いているためだと習った。いつ、どうして地軸が傾いたのは分からないが、生き物は季節があることを前提として生きている(例えば、ツバメは春に日本にきて秋に南に戻る。落葉樹は冬に備えて葉を落とし寒さに耐える芽を作る)ので、そのような進化があったころ(つまり相当な昔)からのことだろうと想像する。もしかしたら、地球に大きな小惑星がぶつかって月が生まれたころに地軸が傾いたのかもしれないし、その後に落ちた巨大隕石が傾きに影響しているかもしれない。それにしても、地軸が安定して23.4度前後の傾きを保ってくれている(この安定には月が影響しているらしい)から、毎年同じ時期に春が始まることになる。生き物にとっては何ともありがたいことだ。

   春になると太陽光が強くなり気温が上昇する。それに伴って、海からの水の蒸発量が増えて雨が増える。おかげで植物は、温度、光と水を手に入れ成長が促される。おかげで人間も動物も生きていける。
   この「ベランダ植物界」では、友人のNさんから毎週送られてくるサツマイモの写真をアップしている。Nさんは、昨年の8月以来サツマイモを水だけで室内で栽培しているのだ。昨年の秋になって葉が枯れはじめた。私は寒い冬には全体が枯れてしまうと予想していたのだが、なんと、今年の3月ころから昨年の茎に葉芽がでてきて、葉の枚数が増え初めているのだ。おどろきだった。下の写真の5月1日②でわかるように、イモの部分から新しい白い根がたくさん出てきている。サツマイモには肥料を与えていないけれども、部屋の中に新緑と成長の季節がやってきたのだ。水と温度と少ない光だけでまだまだ生き延びそうだ。
   下の写真、左から昨年8月29日、昨年10月3日、昨年12月5日、今年2月6日、今年5月1日(①茎葉の全体、②サツマイモの根)   (先頭に戻る)

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No.58 「ゴミを土中に埋めた者は誰だ」(2017.4.28)

大阪市の森友学園への国有地払い下げをめぐる問題(土中のごみを理由に不当に安く払い下げられた疑惑)、東京都の豊洲市場の土地購入問題(汚染された土地を不当に高く買わされた疑惑)などが新聞や週刊誌をにぎわして何カ月もたっているが、再発防止対策はおろか、問題点の解明さえ殆ど進んでいない。国有地払い下げ問題では総理大臣夫人の名前も出た。豊洲市場では大物政治家の石原元都知事が関わってきた。だから与党議員は調査には及び腰だし、少数派の野党議員は詳細な情報が入手できず攻めあぐねている。このような状態になったのは、国の場合、与党議員が圧倒的な議席を占めているからであり、強引な議会運営をしても、それを止める力が有権者にないからだ。代議制度では、一旦投票して議員を選んでしまえば、全てのことは議員や首長に任せるしかなくなる。間違った政策にブレーキをかけるには、抗議集会や請願署名という方法はあるが、やらないよりはましといった効果しかない。

   ここに小選挙区制度の弊害が現れているという説がある。小選挙区制では、有権者の3~4割の支持しかなくても議席数は6~8割の支持を得ることができるのだ(民主党の政権もそのようにしてできた。)。そして各党の公認候補者は1名に絞られるため、執行部(総理・総裁)に逆らう人は落選の憂き目を見る。小選挙区制では少数意見は無視されるともいわれる。いまさら、選挙制度を悔やんでも仕方がない。だが、政治の良し悪しは、否応なく国民(主権者)の生活に跳ね返る。国有財産は、国民みんなの共有財産であるので、国有地を安く払い下げて損をするのは政治家ではないのだ。

    主権者という地位にいても「判断することが嫌だ」という声もある。投票だって面倒だという人もいる。しかし主権者であることは、政治に対してある程度の関心と自覚を持つことでもある。考え行動する多少の努力が求められる。何もしなくても召使い(国務大臣など公務員)が全てうまくやってくれることはあり得ない。
   主権者の自覚を促す切っ掛けは何だろうか。誤解を恐れずに言えば、「自分が政治の怠慢や暴走による被害者だ」と気がつくことだと思う(私はそうした被害者が増えて欲しいと希望しているわけではない。その逆である)。家族が兵隊に取られ大勢が死ぬような体験をし、骨身にしみたおかげで戦争をしないことが国是となり70年間平和が保てた。ぜんそくやミナマタ病で苦しんだ患者達が政府や企業を相手に要求した結果、環境行政が前進した。就職機会がないから過疎化・高齢化が進み生活がしづらいという不満、事故や犯罪の犠牲者の「二度とこんな悲しいことを起こさないように」という希望など被害者の声によって世の中が少しづつ改善されるのが現実ではないのか。
   本当の怖さは、政治の怠慢と暴走による被害(不幸・不便な状態)があっても、「この程度は仕方ない」「よくあることだ」「我慢だ」などと現状を無自覚に肯定してしまうことかもしれない。森友学園や豊洲市場の事件は政治の舞台裏を見るようで面白い事象であるが、自分がその被害者であることを自覚し、その不幸を感じて行動することが大切だと思う。問題を見ないですましつづけるならば、ゴミや危険物を土中深く埋めてしまうことと同じになる。いずれ誰かがその土地を掘り起こしたときに、けた違いの大きな不幸になって私たち(でなければ子孫に)に襲いかかるのではないかと恐れる。   (先頭に戻る)

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No.57 「忘れさえしなければ・・・」(2017.4.15)

私  「今日は商店街に出かけるといっていたね。郵便局で82円切手を10枚買ってきてくれないか」
   家内 「美容院に予約しているの。その後は人に会うし、時間があれば整骨院にも行くことにしている。切手は忘れちゃうかも知れない。忘れなかったら買ってあげる。」
    私  「もちろん、忘れなければで構わない。メモを書いたので渡しておくよ。」
   家内 「メモを見ることも忘れて帰って来てしまうかもしれない。そうなったらごめんね。」

   会話の中で私は、「メモを見ることさえ忘れる」と言った家内の言葉に少し不愉快な感じを抱いた。彼女の中では、私の位置づけが低下しているように感じたためだ(老人のひがみ?)。だが、その感情を言葉に出すことはしなかった。自分自身が、以前より格段に物事を忘れるようになったとの自覚があったからだ。「老人力」という言葉が流行った時代があった。物忘れなど老化による心身の衰えをマイナスと考えないで、老人時代を明るく生きていくための表現である。マイナスだとして落ち込んでも何も良いことはない。老化現象も笑って過ごすことができればそれに越したことはない。そうした「ふんべつ」も含めて、私にも確かに老人力がついてきたと思う。
   人は時間とともに過去のことを忘れる。始めは細部を忘れ、段々とその範囲が広がり、最後は全くの記憶違いになったり、事件そのものを忘れたりする。恥ずかしいことは忘れたい。生きることが辛くなるような嫌な体験だってある。忘れることも、生きる上で必要な能力であることは否定できないと思う。

   前回の随想で記載した「帝国の慰安婦」には、「植民地支配と記憶の闘い」という副題が付いている。日本の植民地下で韓国の人達が慰安婦だったことは、本人にもその家族にとっても、人には言えない嫌な記憶である。慰安婦を利用してきた人達(慰安婦の宿を経営していた業者など)は、日韓双方にいるが、沈黙したままだ。記憶が失われ、事実とは異なる作り話が出てくることがある。記憶は侮ってもいけないし、買いかぶってもいけない。だからこの副題がつけられた。
   大勢が共有すべき記憶は、東日本大震災の津浪、福島第一原発事故など今も目の前にある。大切なことは、将来にわたって同じ被害を出さないことだ。そのためには、被害の実態だけでなく、原因や対策(失敗事例)も含めて、記憶を文書、記念物、遺産として保存し公開し、周知していくことが必要だ。記憶の美化や誇張は、子孫が道を間違えるもとだ。経験・体験を正しく伝えることはとても難しい。   (先頭に戻る)

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No.56 「慰安婦問題の理解のしかた」(2017.4.8)

少女像について考えてみた。一昨年12月の岸田外相とユン外交部長官との合意で「韓国政府は・・・適切に解決されるよう(少女像の移転に)努力する」こととなった。その後、少女像は釜山の領事館前にも設置され、政府は抗議の意味で今年の1月6日に駐韓日本大使(長嶺氏)を帰国させた。・・・と思っていたら、少女像の撤去がされないのに、今月4月4日には大使をソウルの大使館に帰任させた。この一連の動きについては、どこか変な感じがした。1月の大使帰国の判断が間違っていたと認めたのだろうか。
   朴槿恵(パククネ)大統領が罷免され・逮捕された中で、4月6日午後に長嶺大使は大統領府秘書官と会談をした。「韓国政府は、外国公館の前に少女像が設置されたことは国際慣行上、不適切な側面もあるが、政府が移転を強要できるものではないと判断している」と韓国聯合ソウルが解説している(移転の強要は、韓国政府にだけでなく日本への悪感情を強める恐れもあるということか)。
   そもそも、従軍慰安婦の問題はとても分かりにくい。分かりにくくなっている背景には、戦前の朝鮮半島が35年間(1910年~1945年)、大日本帝国が直接統治する植民地であったことがある。日本語を強制され日本の文物が広められた中で、日本に協力する人達、恨みを持つ人達を生んだ。日本の敗戦後は、日本に協力した人達は黙るよりほかない。そして当時の朝鮮半島においても慰安婦の仕事(売春)は、陰では非難される行為だったから、元慰安婦も黙ったままだった。日韓関係が「正常化」し、韓国の社会・経済が発展した後で、ようやく関係者が話せるようになった。双方に屈折した事情・感情が反映している問題だ。

   問題の本質は、日本軍が銃剣で娘たちを駆り立てて慰安婦になるよう強制したか否かではないし(既に調査がされている)、「当時はどこの国の軍隊も行ってきた。従軍慰安婦の何が悪いのだ」と開き直る話でもない。慰安婦は戦前の話であるが、慰安婦問題は現代に起きていることだ。植民地支配をした者とされた者の歴史認識の違いの問題でもある。
   調査結果を踏まえて、いくつかの施策が実施されてきた。外務省は、これまでの施策を整理している。平成5年には河野官房長官談話が出され、政府として「この問題は当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である」と結論づけた。アジア基金を創設し、償いの事業とともに内閣総理大臣(小泉純一郎)の手紙による謝罪を行った。慰安婦問題を理解するために「帝国の慰安婦」を読んで、一連の施策が妥当だと思えるようになった。この著者は、韓国で名誉棄損の罪(一審は無罪)で訴えられている朴裕河(パクユハ)世宗大学教授。詳細な資料で記述している学者の話は参考になった。

   この問題では、日韓いずれにも感情的に対立をあおる人達がいるが、良いこととは思われない。4月に長嶺大使を帰任させたのは、米国政府の意向(を汲んだ外務省)だとも噂されている。米国は、日米韓の関係について以前から日韓双方に助言を繰り返しているのだから。
   米国の国際戦略研究所は、2012年第3次アーミテージ・ナイ報告書を出して、「近隣諸国との関係」との項で、「同盟国がその潜在能力を十分に発揮するためには、日本が、韓国との関係を悪化させ続けている歴史問題に向き合うことが不可欠である。」と日本に自制を求めている。米国の利益と軍事同盟優先という考えではあるが、日韓関係を友好的に発展させる視点で見ても、これは正しい指摘だと思っている。   (先頭に戻る)

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No.55 「ボランティアの明治丸」(2017.4.2)

3月26日に江東区越中島の東京海洋大学(旧東京商船大学・旧東京水産大学)にある蒸気帆船を見学した。この船の名前は明治丸である。5月に予定のウォーキングのコース下見で眺めるだけのつもりだったが、訪れてみると桜祭りの一環で船の内部を公開していた。小雨混じりで見学者が少なかったせいか、ボランティアの方が熱心に説明をして下さった。お聞きすると、説明者ご自身が東京商船大学を出てから船長を長く務め、その後東京湾で水先案内人をされていたとのこと。
   かって私にも「船乗り」にあこがれた時代があった。宝島やドリトル先生航海記を読み、東京高等商船学校の寮歌などを聞いた。ロシア民謡の「船乗り」(楽譜)を歌ったことがある。船のことなど何もしらない自分なのに歌っているだけで、希望や自由や未知の世界への期待を感じた。近年、セウォル号事件(2014年)コスタ・コンコルディア(2012年)のような事件で評判を落としたものの、私の中では、船乗りは格好良く、船長は正確な海事の知識、勇気と責任感を持った紳士という印象だ(私の友人にもこんな男達がいる)。
                  「船乗り」
   1 かもめマストに低く 潮風ほほに涼し
     島影 すみを流して 雲空に飛ぶ
     ■風よ 【吹けよ】 船よ 【走れ】
     ■俺は若き船のり ヘイ歓喜 風に乗る
   2 うしおデッキを洗い 真帆朝風に涼し
     白いしぶきを上げて 船は突き進む
     ■以下2行は1番の繰り返し
   3 堅くかいなをむすび 望みに燃える血潮
     輝く波の彼方に 行く手は近し
     ■以下2行は1番の繰り返し

   明治丸は、明治政府の発注で1873年(明治6年)に英国グラスゴーで造られた(下の写真左)。説明では「日本に航海する途中で石炭がなくなることを恐れたため、帆船としても使えるようにした」とのこと。灯台の建設・物資運搬のための快速船だ。1875年(明治8年)に小笠原諸島の領有権問題が起きたとき、政府の調査団を乗せ、ほぼ同時に横浜を出港した英国船(カーリュー号)よりも早く小笠原に到着した。そのときの明治丸の船長は英国人だったが、事情を知っていても船をわざと遅らせるようなことはしない誠実な人柄だったそうだ。翌年、明治政府が世界に通告し、小笠原が日本に帰属したことで、今日の日本は広大な排他的経済水域が確保できた。船内に御座所が設けられており、1876年(明治9年)には明治天皇が乗船された(この乗船・安着を記念して海の記念日が制定されている)。

   明治丸は、1896年(明治29年)に商船学校に譲渡され、以後、係留練習船とされた。1923年(大正12年)9月1日の関東大震災と1945年(昭和20年)3月10日の東京大空襲では被災した住民を収容し、災害救援に使われた。元々はマストが2本だったが、商船学校の訓練のために中央にもう1本のマストを設けたので、3本マストになった(写真右)。中央のマストは他の2本とは違って船底まで繋がっていないとのことだ。一昨年には大規模修復を終え、ときどき航海し(じゃなく公開され)ている。1978年(昭和53年)にこの船は重要文化財となった(船としては初めての重要文化財指定)。私には、この船自身が歴史を物語るボランティアのように思えてきた。  (先頭に戻る)

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No.54 「空間線量シーベルトを測る」(2017.3.25/30)

放射線の測定には、食品に適用するベクレルという単位(食品1kg中の放射線量)のほかに、人体の放射線被曝程度を測るシーベルトの単位が使われている。先日、友人(IさんとNさん)からシーベルトを測る測定器(空間線量計でDoseRAE2)を借りた。この測定器と他のメーカーの測定器とが同じ場所で同じ値を示したので、信頼できるとして地元船橋市のあちこちを測定してみた。自宅の部屋では、0.06~0.09μSv/h(1時間当たりマイクロシーベルト)であった。周辺の歩道や空き地は、0.05~0.09μSv/hだった。一箇所だけだが測定値が0.30~0.50μSv/hと周辺よりも数倍高い場所があった。駐車場のアスファルトの表面から雨水が流れ出て土砂がたまっている場所で、ごく狭い範囲だ(下の写真左)。

   福島県には、環境中の空間線量を測定する地点がたくさんある。それらは福島県放射線測定マップで測定値を常時公表している。測定マップの飯舘村役場にあるモニタリングポスト(丸の中にMのマーク)をクリックすると、例えば「飯舘村役場 2017/03/25 19:00 0.31μSv/h」という数値がでる。
   自宅近くの駐車場きわの値が、飯舘村役場の値よりも高かったのは驚きだった。 私は、測定器を地面において測定したが、モニタリングポストは通常地上から1メートル(子供用には50センチ)を基準としているとのこと⇒酒井 一夫・(独)放射線医学総合研究所 放射線防護研究センター長の解説。この解説では「モニタリングポストは上空からの放射性降下物を効率的に検出することを目的としているため、地表からの放射線の影響を受けにくい高い位置に設置されます。このため、空気中の放射性降下物の量が減っている状況では、地表近くの測定よりも低い値が観測されることになります。」と書かれている。人体への影響を測定する指標なのだから、上空からの放射性降下物の検出よりも地面近くの測定をしなければ余り意味がないのではないかという疑問がわいた。小さな子供は地面に寝転んで遊ぶことだってあるのだから(写真の0.33μSv/hの状態が1年間続けば2.89mSv/年であり、普通の人の線量限度1mSv/年を超える)。

   福島県で避難している人達も、線量が減少していくに従って、地元に戻る人が少しずつ増えていくだろう。子や孫も一緒に自宅に戻るという人は殆どいないようだが、除染作業が済んだ自宅に戻る場合でも、風雨によって、放射能のある塵が集まることも考えられる。私の調べた例のように、同じ地域でも数倍も高い場所もあることを考慮すれば、常に線量計をもってリスクの多い場所を調べることが欠かせないと思う。私は、3月末に岩崎通信機㈱の放射線モニターSV-2000を39,800円で購入した(下の写真右)。始めは10万円以上したが今では安くなったとのこと。1分で値が安定するのでDoseRAE2よりも使いやすいし、国産で校正・点検も可能だ。
   空間線量計は、γ線(ガンマ線)のエネルギーを測るもので、γ線がシンチレータといわれる部分に入ると蛍光が発生し、それが電子に変換され電気信号に変えられて測定できるという原理のようだ。食品を測るベクレル計と原理は同じであるが、食品のベクレル計と空間線量計の大きな違いは、食品から出てくる放射線は非常に少ないため環境からの放射線をカットしなければならないことと、少ない放射線を正確に測るために大きなシンチレーターを使う必要があることである(その結果、装置が大きくなり費用が高くなる)。   (先頭に戻る)

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No.53 「福島のモモとベクレル」(2017.3.25)

東日本大震災からの復旧で重要なことは人々の収入源・職場の確保だ。大震災から6年を過ぎた今、三陸沿岸では、牡蠣の養殖や水産加工が軌道に乗ってきたようだ。だが、福島県では東電福島第一原発からの放射能汚染のため、自宅にさえ戻ることができない。廃炉までには数十年かかるといわれているし、汚染土壌の処理方針も決まっていない。
   原発からの放射性物質の中で一番量が多いのはセシウムである。震災以降、私は福島の農業復興に少しは役立ちたいという思いから、福島(須賀川市)のモモ等を毎年購入してきた。モモは大きくて甘くおいしい。私が購入しているモモの生産者は須賀川市が行ったセシウム検査結果(PDF)をモモの箱に同封している。
   そこには、次のように書かれている。
     検査対象品目:モモ(検体量370㌘)
     核種セシウム134:検出せず(<10.0Bq/Kg)。(Bqはベクレルと呼ぶ。10.0ベクレル未満という意味)
     核種セシウム137:検出せず(<10.0Bq/Kg)
     セシウム134・137合算地:検出せず。
     検査機器名:ベルトールド社製ガンマ線スペクトロメーター。

   食品中のセシウムの基準値は、米・野菜など一般食品は100Bq/kg、牛乳・乳児用食品は50Bq/kg、飲料水10Bq/kgである。「検出せず」という書き方により基準値を大きく下回っていることを表している。セシウム137は、β線(ベータ線)、γ線(ガンマ線)を出し、半減期は30年だ。体内ではカリウムと同様の働きをするので、遺伝子の突然変異をひき起こす恐れがある。
   ところで食品中の放射線量の測定単位としてベクレルが使われる。この単位名は、2003年にキュリー夫人とともにノーベル物理学賞を受賞したヘンリ・ベクレルの名前から取ったもの。1Bqとは1秒間に1個の崩壊(γ線などを出して他の原子核になること)を起こす放射線源の放射能をいうとのことだ。

   福島の復興を助ける意味でも積極的に福島の物産を購入したいと思ってはいるが、基準を超える土壌汚染・環境汚染が現実に存在し続けていることを考えると、生産されているものが全て安全だと信じることは、私にはできない。福島の農産物を購入する時には、どこで取れたか、検査の結果はどうだったかがどうしても気になる。検出限界以下であれば福島のものであろうと、他県のものであろうと同じと考えている(東京を含む関東各地にも放射性物質は降下したのだ。)。

   嫌な話がある。政府は、原発事故直後の2011年に食品中の放射性物質の暫定基準をつくり、都道府県などに検査を行わせ出荷制限を実施してきたが、今年(2017年)3月24日付けで原子力災害対策本部は、検査の対象品目や検査頻度を弾力的に減らせるように、「検査計画、出荷制限等の品目・区域の設定・解除の考え方」(ガイドライン)の改正を行った。検査を行っても基準値を超える割合がわずか(0.2%)になってきたことが理由である。検査費用が何十億円もかかるかららしい。だが現実は山林や農地に放射能汚染が残っているのである。
   検査費用は原発事故の被害(何十兆円になるかさえ不明)に比べればわずかな金である。東電からの賠償金で検査をしているから(つまりは電力の消費者への負担を節約したい)という趣旨とも思われる。検査の価値は、基準値を超えるものを出荷制限することだけではない。消費者にとっての検査の価値は、放射能が検出されないことが分かることでもある。検査をしないで安全だと言い張っても説得力があるのか。逆に現在の検査で安心感を与えているものまで、風評被害にさらすことにならないだろうか。自治体のモニタリング検査などが減った分、生産者は自らの経費負担で自主的な検査を行い安心感を消費者に提供しなければならなくなるのではないかと危惧している。   (先頭に戻る)

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No.52 「白内障が進行中!」(2017.3.16)

眼は最も大切な器官の一つだが、加齢とともに眼の中のレンズに相当する水晶体が濁ってきてものが見えにくくなる症状がでる。白内障だ。水晶体を作っているタンパク質が変性するので白内障は避けられないのだそうだ。しかも水晶体は毎年すこしずつ大きくなるため、水晶体と眼の表面の角膜との間が狭くなり、眼の中の水の流れが悪くなるので眼圧が上がる。そして緑内障になる。緑内障は視神経をダメにする(回復できない)ので失明に到るとのこと(考えただけでも怖い)。
   昨年夏に、眼が充血したことがあったので近くの眼科医で検査をしてもらった。充血はたいしたことはなかったのだが、「白内障がかなり進行している。眼圧が高いので緑内障になる恐れがある。」といわれた。「ええっ!そんな」。医師は更に続けて、「この眼のままでは、あなたが運転する車には怖くて乗れない。」といった。 確かに、思いあたることはある。夕方になって照明をつけても暗く感じる。青い靴下と黒い靴下の見分けがつかず、明るいところで、靴下の色のちぐはぐに気がついたことがある。くやしいけれど自分にも白内障は確実に進行しているのだ。

   そこで眼科医が処方してくれたのは、老人性白内障治療点眼剤カリーユニ(成分ピレノキシン)と、緑内障・高眼圧治療剤ラタノプロストPF(成分プロスタグランジンF2α誘導体)。カリーユニは、白内障を治す薬ではなく進行を遅らせる効果しかないとのこと。正常な眼圧は10~20mmHgといわれているが、私の場合は21mmHgだった。薬の効果はどうなのか気になるところだ。カリーユニは処方をはじめてから半年経つが、水晶体の濁りは変わらない。「治療には効かない。」という説明は当たっているのだ。ラタノプロストPF処方1ヶ月後の両眼の眼圧は、15mmHgと17mmHgとなった(少しホッとした)。

   しかし「白内障はいずれ手術が必要」といわれている。私は世の中を悲観的に見る性格なので、気持ちを明るくしようと昨年12月に発行された「視力を失わない生き方」という本を読んだ。 著者はアメリカやドイツで研鑽を積んだ実践的な医師である。この本は2ヶ月足らずで3刷の発行になっていたので、老人達の関心の大きさを知った。白内障については、「眼科の手術で治るが、手術の時期を遅らせるとその間に緑内障が進行するので、早めに腕の良い眼科外科医にかかることが必要だ。」と強調されていた。「カリーユニは科学的に効果が証明されていない。」、「白内障に効かない薬を出して治療を遅らせることは、緑内障になるリスクを高める。」といった説明もされていた。眼の手術は、どんな医師でも100%良い結果を出せるということではないようだ。大学病院などの権威に頼らず(未熟な研修医が担当することがあるため)、腕の良い医師を選ぶことが大切だとのこと。そのとおりだとは思うが、医師を選ぶことほど難しいことはない。この本を読んで、気持ちは明るくはならなかったが、諦めに近づいたというか、少し覚悟ができてきたというか、心構えが変わったような気がした。   (先頭に戻る)

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No.51 「戦争に対する日本人の責任」(2017.3.8)

大東亜戦争(日中戦争と太平洋戦争でいずれも日本が始めた戦争である)の開始と敗戦は、私の生まれる前のことである。私の子供時代には、防空壕の跡や工廠(軍需品の製造工場)の跡、小学校には戦中の雰囲気を漂わせる物品が残っていた。米兵が運転するジープを見かけたりした。私の父は、昭和12年に招集され中国で輜重兵として馬で物資を運ぶ仕事をした。軍隊手帳には、応召から帰国・除隊まで従軍した記録(日付、場所、どんな作戦に参加したのか等)が小さな文字で詳細に書かれている。父から戦争の話を聞くこともあった。「雨の降る泥道で敵の攻撃に遭うことはいやだった。」、「鉄砲玉の音は頭上でピユーン・ピユーンと聞こえる。」、「馬が倒れると殺さなければならないので、かわいそうだった。」などと語ってくれた。一兵士だったから、ただただ命令に従って移動し任務に就いていたのだと思う。

   日本人に大東亜戦争での加害責任があるかと問われれば、私の父を含め戦争遂行に参加した人達は、多かれ少なかれ責任があると思っている。しかし、責任の意味や重さは、その役割や権限の大きさを物差しにしなければならない。例えば日本の戦前の女性は、家父長制の下で父に従い、夫に従うのみの存在で、参政権もなかった。だから軍需工場で武器をつくることに従事させられたからといって戦争の加害責任を問われることはあり得ない(加害責任があるとすればそのような女子挺身隊を組織した者だろう。軍需工場が爆撃されて大勢の若い女性が死んだり怪我をしたことからすれば戦争政策の被害者である。)。
   これに対して、政府の中枢にいて戦争を企画し遂行していった職業軍人(そのことで出世したエリート達)や政治家は、民間人とは比べようのない重大な責任を有していたと思う。戦争を企画し遂行した国家の指導者には、東京裁判でマッカーサーが見せてくれたように、明らかな責任があった。 とりわけアジアの諸国民に加害した反省と謝罪をしっかりと国際社会に示す意味で、戦後50年目にだされた村山内閣総理大臣談話は大変重要な意味がある。
   一般の民間人の戦争責任については、植民地である朝鮮半島や台湾で利益を得た人、満蒙開拓で夢を描いた人、更には、南京陥落や真珠湾攻撃に歓喜した人達も少なからずいたことを考えると、帝国陸海軍の体制を支えたという意味での責任はあったといえるが、同時に、殆どの国民は、その責任以上の多大な犠牲を払って責任をとった(償った)ともいえる。終戦の時点で、本人・家族・親類に戦争による犠牲者がいない家は殆どいない。戦地、沖縄での地上戦、都市の空襲、原子爆弾、中国大陸での残留を強いられた人など。
   私は戦後の生まれだから大東亜戦争の責任はないと思っている。しかし、責任という意味が「未来の日本人(子孫)に対して負う義務」だとすれば、平和と人権を尊重するようになった国民の1人として、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こらないようにする責任」は、自分にも(誰にも)あると確信している。   (先頭に戻る)

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No.50 「偉大な"芝居" 東京裁判」(2017.3.8)

NHKスペシャルで東京裁判のドキュメンタリーを見た。判事達の提出記録や手紙とインタビューに基づいた4話に亘る大きな作品である。→第1話第2話第3話第4話。マッカーサーの命令で設置された極東国際軍事裁判所では、平和に対する罪(国際条約に違反して戦争を計画・遂行した罪で、容疑者はA級戦犯と言われた。ここの裁判を“東京裁判”と呼ぶ)と通常の戦争犯罪(捕虜虐待などのB・C級戦犯)が裁かれた。勝った国が負けた国を裁く形であったので、当時としても結論ありきの茶番劇であるとの意見は強かったようだ。
   だが裁判を行う法的根拠は、ポツダム宣言(10条に戦争犯罪者の処罰)の受諾であり、大日本帝国の国際社会への約束である。残念ながら戦争末期に政府による証拠隠滅がなされたため多くは証言に基づく裁判となったが、日本を民主国家(侵略戦争をさせない国)に変えるという政治目的があったため、ある意味では画期的な裁判となった。弁護士による弁護とそれに応える議論がなされ、11名の裁判官には意見の対立もあった。

   敗戦直後の占領国を統治する上で、冷戦を見越していたマッカーサーにとって天皇を犯罪者としないことが必要であった。そのためには、裁判においても軍部が天皇の意向を無視してでも強引に戦争を進めたという形にする必要があったといわれている。親英米派だった米内光政(海軍出身で日独伊三国同盟に反対して首相を辞任した人)らが被告人を選定したともいわれている(だから死刑判決の対象には海軍出身者はいない。)。もともと勝算があって始めた戦争ではないし、戦争終結へのシナリオももっていなかったのだ。満州国成立以降、国民の声に押されて日中戦争を始め、戦況が悪くなったら国民の生命・財産を犠牲にし、超エリートの参謀らがずるずると進めてしまった戦争だ。戦後に行われた海軍幹部の反省会の記録からは、陸軍との競争心で行動し、国民の生命財産への考慮はなく、終戦方法は上層部の誰かが考えるだろう思ったという無責任な反省の弁が聞かれる(その正直さ故に反省会の記録は貴重だ)。
   東京裁判の政治的な効果を考えるならば、その判決は、日本国民や戦勝国の国民の大半が納得できるものでなければならない。その意味で裁判はとてもうまくいった。裁判を通じて大東亜戦争の責任は国民には無く、戦争を企画し指導した人達にあると結論づけた。裁判の中で国民は自分たちが、いかに軍部の騙されていたのかを知ったし、南京事件などの虐殺があったことも知ることができた。そして侵略されたアジアの国々には、悪いのは戦争指導者・軍国主義者であり、一般の日本人は許されるべきだという空気が作られた。他方、日本の朝鮮半島の統治、英仏蘭のアジアの植民地政策や原爆投下などについては、この裁判では語られることはなかった。この裁判は、GHQによって行われた民主化政策(財閥解体、農地解放など)とともに、その後の日本人の国家感・歴史観を変えた重大イベントだった。戦争を扱ったドラマや物語り(例えば「ととねえちゃん」)で戦争を肯定的にととらえた話は全くでてこないところを見ると、大勢の日本人はマッカーサーが脚本を書いた東京裁判という偉大な芝居に共感し受け入れてきたと思う。戦後の日本人の意識変化の原点となる東京裁判である。

   A級裁判では28名の戦犯容疑者のうち東条英機ら7名が処刑された。処刑は国民にインパクトを与えるため昭和23年12月23日(皇太子=今上天皇の誕生日)に行われた。
   BC級の裁判は、横浜、マニラ、シンガポールなどで行われた。逮捕者25,000名以上で、死刑判決は984名(死刑執行は920名)、終身刑が475名などとなった。B・C級裁判では不正確な事実認定で審理も不十分だったといわれている。戦前に日本の植民地だった朝鮮人・台湾人軍属が対象とされたことは、一般の日本人から見れば心苦しい裁判となった。 そのほか、ソ連でハバロフスク裁判、中国で毛沢東政権になってから瀋陽・太源で軍事法廷(撫順戦犯管理所)があったことも記憶に留めたい。   (先頭に戻る)

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No.49 「米国環境政策の大幅後退を憂う」(2017.3.3)

毎年の氷河の後退、北極海の氷減少、海水温の上昇、それに伴って起きる洪水やシロクマの生息の危機など、今日では、地球温暖化と呼ばれる現象の原因が、炭酸ガスなどの温暖化ガスの増加によるというのは、定説であり、世界各国は、何十年にもわたって温暖化ガス排出削減の取り組みを進めて来たのだが、冗談かと思われたトランプ大統領の出現で、温暖化対策、環境対策は大幅に停滞・後退する暗い見通しになっている→ニューズウイーク1月25日記事
   3月1日の議会でのトランプ大統領演説は、公共事業への大幅投資、軍事費予算のかつてない増額、法人税減税などを明言しており、それに応じて環境保護省(EPA)の予算は大幅に削減されることとなった。

   トランプ大統領の「アメリカ製品を買え」・「アメリカ人を雇用せよ」という自国第一主義は、ある意味ではどこの国の指導者にも共通だと思うのだが、超大国のアメリカがここまで言い募ると、できの悪い製品であっても我慢してアメリカ製品を買え、メリットがなくてもアメリカ人を雇えと、世界に言っているような気がして憂鬱になる(アメリカ人でも心ある人は憂鬱だとと思う。)。
   環境問題には国境はないから、放置すれば地球温暖化は、いよいよ深刻なものになる。海水面が上昇すれば住む場所がなくなる国もある。洪水、干ばつ、病気の拡大。今の世界では資源争奪や宗派対立がひどくなっており、戦争や飢餓で苦しむ人が増えているのだから、地球温暖化が進行すれば、どんな悲惨なことになるのか予想もつかない(トランプ大統領は「No Way.ありえない」と言いそうだが)。アメリカ第一主義だから被害から免れるということはあり得ない。温暖化対策の決め手は、温暖化ガスの排出量の削減と森林の確保である。オバマ前大統領が禁じた石油パイプライン建設をトランプ大統領が認めるならば、それに見合った分の森林面積を増やさない限り温暖化は進む。

   2月27日にNHKのBSワイルドライフで、北アルプス高地に棲むホシガラスが、ハイマツの実(まつぼっくりの中身)を集めて冬季に備えて周辺に埋めておくことが放送された。1000か所以上の埋めた場所を覚えていて冬の間にそれを食べて生き延びる。1か所に何十粒も埋めておくので、何粒かが食べ残される。翌年にはその残った実から発芽するのが観察された。風と寒さでハイマツが少し成長するだけでも何十年もかかる場所で、ホシガラスはハイマツの森を育てているのだ。
   この映像を見て、人が資源を利用する場合に「取り尽くさない」という知恵を持たないならば、人類は遠からず滅びることをホシガラスが教えている気がした。   (先頭に戻る)

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No.48 「花弁の癒着は遺伝子が原因ではなかった!」(2017.2.20)

No.45 「カトレアの開花で気づいたこと」で、「理由は分からないが、一方の花は正常に開花し、他方は開花できないという異常だ。このカトレアの異常が遺伝子の働きでそうなっているのだとすれば、興味深い。」と書いた。ところが、つい最近、異常の原因は遺伝子の働きによるのではなさそうだと分かった。このカトレアの新しい蕾が正常に開花したためだ。No.45の下の真ん中の写真には、2つの蕾のついた花茎と手前にシース(蕾を保護する鞘)が見える。そのシースから蕾が2つ出てきた。 下の写真は、その2つの蕾が開花した状態である。2つの花を見比べていただきたい。上がく片(アッパーセパル)とその両側の花弁(ペタル)は、2つとも正常に分離しており、No.45に示したような上がく片と花弁の癒着は起きなかった。

   そうなると、新たな疑問がわく。花弁の癒着はめったにない珍しいことなのだろうか。また、ときどき癒着が起きることがあるとしたら、その理由は何だろうかという疑問である(正常に開花させるために理由を知っておきたい。)。
   そこでウエブサイトで検索してみた。すると、カトレアの花の形態に異常・癒着の例があった。この例(C. Hawaiian Wedding Song 'Virgin')では、2つの花に同時に癒着が起きている。1つはリップが花弁と癒着し、他の1つはずい柱と花弁が癒着しているのだ。花弁が癒着して開花できなくなることはときどきあるようだ。その原因については、園芸会社に長年勤務してきた人が「石の華」というサイトで、花が奇形になる理由として、突然変異によるもの(メリクロン変異として遺伝子に変化が起きる。)と病害虫・環境によるもの(アザミウマ、ウイルス、栄養・温度・湿度)をあげている。
   これを読んで思い当たる節があった。赤のカトレアを購入したのは1月17日で、生産者のガラス室内(農地の上につくられた温室)で蕾を形成していた。冬季なので肥料は全く与えていない。ガラス室内では湿度は十分であっても温度が低かったことが原因ではないかと考えてみた。冬季に大きなガラス室を暖房するのは経費がかかるので温度の設定はぎりぎりにしているはずである。そこに強い寒さが襲った時期が、蕾・花弁の形成時期に重なるということは十分にあり得る。花弁やしべの正常な形成が妨げられることになる。
   話は少し違うが、50年近く前に、稲の花が咲く時期に大雨でかなり長い期間、稲穂の先まで水に浸かった水田があった。そこで稲の花が変形し葉や根がでているものを見たことがある。種子(米粒)が水に浸かって葉や根が出たのではない。これは冷害時にもみられるむかご(零余子)化という現象だった。花が正常に作られないような厳しい環境に出会うと稲は、生殖成長を停止し再び栄養生長を続けるのだ。夜間の低温が宿根カスミソウの奇形花の形成に影響を与えるとの岡山大学の研究論文もあるので、今のところ、この推測は可能だと思っている。   (先頭に戻る)

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No.47 「死刑制度を支持できない理由」(2017.2.9)

昨年10月に、No.33 「死刑制度について議論を!」の中で、私は「人が人を殺すことと国家が人を殺すことにはどれだけの違いがあるのか(国家に誤りはないのか)、死刑があることによって人命を軽視する考え方に繋がらないのかなど、個人として疑問を感じていることもある。」と書いた。今週2月5日にアメリカでは死刑支持が減っているとの毎日新聞記事(下の記事)(米国の死刑情報センター、ロバート・ダンハム事務局長)を見た。そこで死刑制度について再度考えてみた。

   死刑制度は、オーストラリアやEU加盟国(イギリスを含む28カ国)では既に廃止されている。アメリカでは、ハワイ州、ニューヨーク州など19州で廃止されている。カリフォルニア州、ワシントン州など31州で死刑制度が存続しているが、死刑執行のデータを見ると1999年を境に減少傾向にある。死刑情報センターによれば、若い人ほど死刑には反対が多いとのこと(No.33にも書いたが、日本でも同じである)。冤罪(えんざい)で釈放された元死刑囚が150人を超えたが、その理由は、捜査当局の不正や目撃者の嘘が、DNA鑑定やスマホの普及で見えやすくなったためだ。そのことが死刑に反対する者が増えた理由にもなっている。
   裁判に関わる人達の偏見や差別意識は容易にはなくならないから、国家(裁判所)が間違った判断を下すのは避けられない。死刑執行のデータによれば、被害者が白人だった場合と黒人だった場合、容疑者が白人だった場合と黒人だった場合を比較すると、いずれも黒人が不利になっていることが数字で示されている。2014年にワシントン大学のK.Beckett教授は、「ワシントン州の陪審員は同じ程度の事件で、容疑者が白人の場合に比べて、黒人に死刑判決を下す傾向が3倍以上ある」と指摘している。南部の州で死刑執行数が多いなど地域差もある。 少し嬉しいのは、ワシントン州で民主党の州知事と州の検事総長とが死刑廃止の法案を1月に提案し共和党の前州知事も賛成しているとの報道、死刑制度が存続するコロラド州デンバーの法務官が死刑は求刑しないと決めたとの報道が2月6日のニューヨークタイムズでなされていることだ。

   死刑を執行した後で間違いに気づいても取り返しはつかない。国家(裁判所)でも間違いが避けられない以上、死刑制度は見直されなければならない。他方、被害者遺族がもつ無念さと加害者への憎しみは理解できる。もしも家族が理不尽に殺されたら、私は加害者を殺したいと思うだろう。江戸時代はあだ討ちが公認だった。あだ討ち(私闘)を許さなくなった現代社会では、多くの人が感情として死刑制度を望むことは理解している。
   しかし、死刑という制度自体に、「自分(達)が正しければ(あるいは良ければ)人を殺しても構わない」とする発想が組み込まれているように思われてしかたがない。これは、計画的に殺人を犯す者の理屈と同じではないだろうか。また、「極刑(死刑)をもって償うほかない」という判決のせりふも聞くが、殺された被害者が生き返ってこない以上、死刑によって償えるとも思われない。この点は、更に別の機会に考えたい。
   私の意見は、「殺人の加害者の罰を軽くするべきだ。」ということではない。故意による殺人は究極の犯罪である。加害者には命の大切さと殺人を犯すことの重大さを身をもって知ってもらいたいから、死刑の代わりに終身刑を設けて、仮出所はさせず死ぬまで役務について欲しいと思うのだ。

   北朝鮮(金王朝)では、人々に恐怖感を与えて統治する手段として処刑が行われ、ときどき報道される。日本でも無謀な大東亜戦争に進んで行くことができた理由の1つに、1925年普通選挙法の制定と抱き合わせでつくった治安維持法の役割がある。思想を統制し、国民を黙らせた悪法であるが、本当に効き目が出てきたのは1928年に治安維持法を改正して死刑制度を導入してからと言われている(更に1941年には予防拘禁も可能となった。)。死刑にすることまでできる犯罪の容疑者なのだから死ぬような拷問も構わないという考えが仕事に熱心な役人(特高警察・憲兵など)に生じたと推測できる(根拠→貴族院議員で治安維持法に反対した徳川義親の「最後の殿様 徳川義親自伝107~108頁」)。   (先頭に戻る)

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No.46 「1花茎に10輪つくカトレア!」(2017.2.7)

予算委員会の国会中継を、見るともなしに見ていたら、野党議員が総理への質問の中で「過ちては則ち改めるにはばかることなかれ」を引用しているのを聞いた。「過ちて改めざる、是を過ちと謂う」とも言うらしい。中学生で習った論語だ。英語にも似たような表現があるので世界に通用する考え方なのだと思う。だが、現実世界では(特に権威のあるポジションに就いている場合には)、間違いを認めず、何かといい訳をしたりごまかしたりすることが多いように思われる。

   No.46で、私は「カトレアはたいてい2つずつ咲く。」と書いたが、そうとは言い切れないことが分かった。私のもっているカトレアは、確かに1花茎に2輪咲いているものが多いが、世の中には1花茎に数個の花をつけるカトレアもあるのだ。このことに気がついたのは、2月に道の駅で買ったカトレア(1鉢1,100円)に花が6個ついていたからだ。花茎は2本なので1花茎につき3個の花がある(下の写真参照)。このことを知った以上「カトレアはたいてい2つずつ咲く」などと述べることは間違いと思われた。
   そこで、専門家が書いたカトレアの記述を見ると、「夏咲きのカトレア・クイシング ‘マンカエン’は、1花茎に10輪くらい咲く。」などと記述されている(カトレアは属、クイシングは種、‘マンカエン’は園芸用の個体名。この一連の命名法で1つの品種を表している)。ネット上のカタログ写真をみると、確かに1本の花茎に数個の花が着いているものもある。

   私にとってカトレアは憧れの花だが、特に良く知っているわけではない。実際に育ててみると、花の数に限らずいろいろなことに気がつく。最近は植物分類にDNA鑑定が使われるようになり、分類自体も変わった。分類上(属、種の順)では、以前はカトレア属だったもの(カトレア・スキンネリーなど)が、グアリアンセ属になり、レリア属の一部(レリア・パープラタなど)やソフロニテス属と呼ばれていたものが、新しくカトレア属(カトレア・パープラタなど)になったりと、学名自体が変更されている。属間交配で人工的につくられた種類も増えている。自然界で交配可能なものは同じ種だと習った昔の知識では、園芸用では属や種の区別さえできなくなってしまう。   (先頭に戻る)

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No.45 「カトレアの開花で気づいたこと」(2017.1.25)

花は生殖器であり、その種の将来を左右する重要な器官である。他の花からの受粉で多様な遺伝子をもつ種子を作ることができる。世代を繰り返すことで他の花の性質を取り込み、植物は厳しい環境でも生き延びられるようになる。これを品種改良に応用した技術が交配(人為的に受精・受粉させること)である。植物の種のほとんどは人類が出現する前から生きていたのだから、花は、花粉を運んでくれる虫を喜ばせるために咲くのだと言える。花を見て人はきれいだと感じるが、花は人を喜ばすために咲いているのではないだろう(農業が始まって穀物や野菜の種類は人間を喜ばせることで生存範囲を広げてきた。だから人間を生き残り戦略の手段にしていると言えなくもない。)。

   カトレアの花芽から開花までを見て気づいたことがある。このホームページのカトレアの項をご覧いただきたい。カトレアはたいてい2つずつ咲く。ところが何かの理由で、2つ出てきた蕾の一つが早々と枯れてしまうことがある(写真例)。病害虫にやられたわけでもないのにである。栄養が少なかったとか日照が足りなかったというような事情があるのかもしれないが、人の目には分からない。蕾が大きくなる途中で花を2つとも駄目にするよりも、早めに1つを切り捨てて1つを生かそうとしているように感じるのだ。そうだとすると園芸用に交配された品種でも生き残るための野生(生き延びるための自律的能力)を失ってはいない。

   下の図と赤いカトレアの花(下の右の写真)をご覧いただきたい。図のようにカトレアの花は、通常、3枚のがく(萼)と3枚の花弁(うち1つはリップ=唇弁と呼ばれる蘭に特有の形となる)から成り立っている。がくは、蕾の時には花を包み込む鞘の役割をし、開花時には花弁と同じように花を取り囲む。花を大きく見せることで虫を集め易くなるのだ。写真のカトレアの右側の花は、図と同じである。
   しかし、左側の花は、形が右とは違っている(拡大するとはっきりします)。上がく片が左右の花弁と癒合している。このことに気づいたのは、左の蕾が大きくなっても開こうとしなかったからだ(下の中の写真)。開花時には蜜が出るので、その粘りけで蕾が開かないことがある。そこで蕾を念入りに水で洗ってみたが、それでも開かなかった。そこで初めて、がくと上の左右の花弁とが1枚になっているのを発見した。上がく片の左右をはさみで切断したところ、写真のように開くことができた。上がく片は2層に厚くなっているので蕾のときの形を保っている。理由は分からないが、一方の花は正常に開花し、他方は開花できないという異常だ。このカトレアの異常が遺伝子の働きでそうなっているのだとすれば、興味深い(カトレアは左右の花を区別していることになる)。次回に咲く花がどんな姿で出てくるのか楽しみになった。   (先頭に戻る)

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No.44 「報道して欲しい エボラワクチン」(2017.1.12)

エボラ出血熱は、致死率が5割以上といわれる恐ろしい病気で、治療は対症療法しかない。2014年には西アフリカ(ギニア、リベリア、シエラレオーネ)に広範に発生し、連日のように患者の増加が話題になっていた。私が勤務していた会社ではシエラレオーネに出張する人がいて、この病気の脅威が身近に感じられた。WHO(世界保健機関)は、このときの死者数は少なくとも11,000人を超えるとしている。昨年(2016年)1月にWHOは、新たなエボラ患者の発生はないと終息宣言をしたが、再びいつ起きても不思議はないともいわれている。

   当時ワクチンは研究中で、エボラにはいくつかのタイプがあるので開発は難しいとの話も聞かれた。その後は開発が進んだのかしらと思っていたところ、新しいエボラワクチンが高い予防効果を証明した結果がでたと、WHOが昨年12月23日に公表していたことを知った。この研究の詳細は、学術誌“The Lancet”で見ることができる。致死率が高い病気なのでプラセボ試験(無投与)は倫理上の問題もある。そこでエボラが収束していない2015年当時のギニアで、患者に接触した人達を2つのグループ(患者に接触した人(接触した人に接触した人も含む)の接触直後にワクチンを接種した集団と、接触後3週間後にワクチンを接種した集団)に分けた試験がなされた。その結果、接触から10日以降の観察では、直後にワクチンを接種した集団(5,837人)からは1人も患者がおらず、直後にワクチンを接種されなかった集団(ほぼ同規模)からは、23人のエボラ患者がでたことが判明した。統計解析の結果、確実な予防効果が認められ、ニューヨークタイムズは100%の予防効果だと見だしをつけている。子供や妊婦を除外しての試験であったし、西アフリカで発生したタイプ以外に効果があるのかなどの研究課題は残されているが、致命的な副作用はなく、人類に恩恵をもたらす画期的なワクチンであることが明らかとなった。
   この試験は、カナダの研究所が開発したワクチンを利用したもので、試験はWHOとギニアの衛生当局、ノルウエーや海外の研究者(日本人の医師も含む)によってなされた。米国の大手製薬メルク社がワクチンの製造を手がけ、既に30万人分が備蓄されているとのことである。

残念なのは読売・朝日・毎日などの全国紙は、今回の重要な情報について、これまでのところ何も報道していないことだ(NHKは放送・放映はないが科学文化部のブログ(かぶん)で専門記者の記事として伝えている。)。WHOが終息宣言をしたから、あるいは渡航制限がなくなったから、もうニュース性はないと思っているのだろうか。事件が話題になるときには危機感を煽るようなニュースになるが、事件や被害の原因と対策まで掘り下げることをせず、重要な情報も取り上げないようではメディアの役割を果たせない。科学技術分野を担当する記者が少ないためだろうか。何でもメディアのせいにはしたくないが、若者の理系離れ(つまりは技術立国としての国力の喪失)は、大手メディアの科学技術への関心の薄さも影響しているのかもしれない。   (先頭に戻る)

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No.43 「羊飼いになった夢」(2017.1.6)

夢を見た。僕は、四方が高い山で囲まれた盆地のような場所の端っこに立っていた。手には杖を1本もっている。なぜか分からないが羊飼いになったらしい。羊の姿は見えない。背後でそれらしい鳴き声がした(ような気がした)。あたりは山の日陰になっている場所ばかりなのだが、眼前に陽光が当たっている明るい草原が見える。僕は、これからその場所に羊を連れて行かなくちゃならない。陽の当たる場所は餌になる草が多いのだ。羊たちの先頭に立って歩く。羊がついてくるのを背後に感じながら歩いていると、弱い風が耳もとを吹き抜けた。草原は深い緑で山は青みがかっている。空は晴れているのにうす暗い。
   目的の場所についたら、羊は好き勝手に草を食べ始める。僕のやる仕事はなくなった。草原に寝そべっていたら眠気が襲ってきた。目覚めたら、もう、陽の当たる場所は遥か遠くに移動していた。陽が沈み始めたらしい。再び陽の当たる場所を目がけて歩く。左手に持った木の杖が段々と重くなって手がしびれてきた。どうして、こんな羊飼いの生活を続けているのだろうと思い始めたところで目が覚めた。布団の中で左手のしびれを緩めるように何度もさすった。

夢の中で色彩を感じることは多くはないが、目覚めてから夢の中の草原の緑色(スポットライトに照らされたかのように一部だけ明るい)が印象に残った。夢は心の奥深くの無意識を表しているともいうが、この夢は何を表しているのか。最近はウォーキングをするので、体が覚えているのだろうか。また、血の巡りが悪くて腕や手先がしびれることもあるので、そうした肉体の衰えの不安が夢の中にでてきたのだろうかとも思った。
   このところ冬型の天気が続き、太平洋側は晴れている。それで、20個ほどの洋蘭の鉢にガラス戸越しの陽光を当てようと、部屋の中の日溜まりを追いかけて朝・昼・夕方に、鉢を移動させていることに思い当たった。蘭の鉢が羊で、陽光を牧草と考えれば、僕は羊飼いのようなことをやっているではないか。羊飼いになった夢は、僕の心の奥底が反映しているというよりも、最近の日常を脳が翻訳して見せてくれただけかもしれない。これは初夢なのか。だとしたら縁起の良い夢であって欲しい。蕾がつき始めた蘭達が、この願いに答えてくれると嬉しいのだが。   (先頭に戻る)

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No.42 「平和優先で領土問題の解決を」(2016.12.28)

12月にプーチン大統領が訪日し日露首脳会談が開かれた。外務省がまとめた会談の結果の中のプレス向け声明をみると、「北方4島(国後、択捉、歯舞、色丹)の共同経済活動に関する協議を開始することが、平和条約の締結に向けた重要な一歩になり得るという理解で一致した」とある。島の返還については何も書かれていない。自民党の幹部も野党の幹部も「国民をがっかりさせる結果だった」などと低い評価をしたようであるが、他方で大成功だったとの見方もある。いずれが正しいのか先になってみないと分からないが、戦後の日本の置かれた位置からみて、領土や軍事のみにとらわれない平和と繁栄の外交の必要性を感じた。
   踏まえておくべき経緯がある。ソ連(ロシアの前身)は、大東亜戦争末期に米英とのヤルタ協定の秘密付属協定に従い、日ソ中立条約を破って対日参戦し、日本に対して戦勝国となった。だから米国はロシアに北方4島を日本に返せと言える立場にはない。法的に日本と連合国との戦争状態を終わらせるため、1951年にサンフランシスコ平和条約が米国などと結ばれたが、ソ連とは条約の締結はなされなかった。1956年に鳩山一郎総理は日ソ国交回復に関する共同宣言(平和条約締結後に歯舞、色丹を返還する)をしたものの、4島返還を求めた日本と、国後・択捉は決着済みとするソ連と意見が合わず平和条約にはならなかった。島の返還の話はここからスタートしている。

日本は明治以来、他民族の住む土地を侵略して台湾、朝鮮半島、満州を統治し、太平洋の島を譲り受けたが、敗戦で元々の日本列島だけになった。北方4島は侵略して得た土地ではない。日本人が住み、漁業などを営んでいた土地だ。私は4島を日本に返還してもらいたいと思う。そして日本人が島に住み、漁業などを安心して操業できるようになって欲しい(できれば観光旅行にも行ってみたい)。だから、政府は本気になって平和条約締結に向けて取り組んで欲しいと思う。
   しかし、戦後70年以上、交渉が進まなかったのには理由がある。日本には、敗戦以来、米軍の基地が置かれている。このことが返還交渉を難しいものにしてきた。現在でも、日本政府は、沖縄県民(県知事)の反対を無視して、米国の意向を優先した基地対策を行っている(米国の圧力が強くてそうせざるを得ないのかもしれない)。ロシアは、冷戦下で米国と敵対してきた国である。今もそれに近い。返還した島に米軍基地ができるのを恐れるのは当然だ。日本は中立国ではないのだ。日米同盟という枠の中でロシアと対立する立場に置かれている。更に4島には既に大勢のロシア人が生活しているのだから、おいそれと返還に応じるはずはない。

   北方4島返還のためにやるべきことは、過去に繰り返された粘り強い交渉(つまりは先送り)ではない。今の段階で必要なのは、今回合意されたように(おそらくはプーチン大統領の意向に沿って)、ロシアと経済関係も発展させて、ロシアと日本との、更には東アジア各国との平和な関係を作り上げることしかない。ロシアとの関係が密接になることは米国が嫌うことかもしれないが、諦めれば終わりである。日本政府は、元島民の願いを叶えるために、日露の平和友好関係を築く外交努力を積み上げて欲しい。これと似た意見を毎日新聞の外信部記者の記事『「2島マイナスα」の解決』で見つけた。   (先頭に戻る)

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No.41 「もんじゅ菩薩と地方自治の本旨」(2016.12.23)

菩薩(ぼさつ)とは、如来(にょらい。釈迦如来)の位の次にあって修業を重ねている者である。如来になれるにもかかわらず、衆生(人間)を救うことを優先して菩薩の位にとどまっているありがたい仏様である。「文殊菩薩(もんじゅ)」は智慧を象徴するとされる。50年ほど前に、政府は「もんじゅ」の名前を新しい原子炉(高速増殖原型炉)につけて開発を始めた。同じ福井県にある曹洞宗永平寺に事業団の職員が赴き、もんじゅの名前を使うことの説明をしたといわれている。それから半世紀、今年12月21日に政府はもんじゅの廃炉を決定した。
   役に立たないだけでなく、金食い虫で危険でもあるもんじゅが廃止されるのは当然である。また、未完成の技術に菩薩の名前をつけた人間の思い上がりは罰当たりだ。しかし今回は別のことを言いたい。

   地元の福井県知事、敦賀市長が廃炉反対を主張していることだ。地元に金が落ちなくなることを問題にしているのかと思ったが、少し違う。廃炉作業自体が容易ではないのに、作業を行う日本原子力研究開発機構は、事故を起こしたり、隠したり、点検漏れ記録の改竄をしたりしてきた。知事らはそのことを問題にしている。放射能に汚染された液体ナトリウムの取り出しは猛烈に難しい。水や空気と接すれば爆発的に反応する。廃炉までに30年もかかるのは安全で確実な技術がないためだ。日本では初めてのことで、福島第一原発の廃炉と同じである。 地方自治体の長が政府と対立することはしばしばある。沖縄県知事と国による普天間基地移設先の辺野古の係争はその典型である。政府が判断することが常に正しいとは言えない。日本国憲法の地方自治についてどう考えるのかが焦点である(中央集権国家の大日本帝国憲法には、地方自治の考え方は全く無い)。

日本国憲法は、地方自治を保障するため、特に1つの章(第八章)を設けている。憲法第92条[地方自治の基本原則]には、地方公共団体の運営は「地方自治の本旨」に基づいて法律で定めるとなっている。これだけでは分かりにくいので、地方自治法の第1条及び第1条の2の条文を読むとある程度理解できる。すなわち、地方公共団体は住民の福祉の増進を図ることを基本とし、国は外交や全国的な視点の事業を行うなどの役割分担が書かれている。そして国は、住民に身近な行政はできる限り地方公共団体にゆだねることを基本とすべきと定められている。国は地方公共団体の自主性及び自立性が十分に発揮されるようにしなければならないことも規定されているのだ。

   日本政府は憲法の要請に従っているのだろうか。住民の生活の安全は、地方自治体が真っ先に取り組むべき課題である。原発の安全対策、廃炉にともなう安全対策、住宅地の頭上を飛ぶオスプレイの騒音と墜落の不安対策、治安や環境悪化への対策は住民の福祉対策である。現内閣は「国の方針をていねいに説明したい」としばしば口にするが、説明すれば済むということではない。住民の生活を脅かすような政府の施策自体が、地方自治の原則に反するのである。   (先頭に戻る)

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No.40 「賭け事の魔力とカジノ法」(2016.12.21)

カジノという言葉は、ラテン語のCASA(小屋・家の意)が語源で、フランスでは賭博を主とした娯楽場をいう。賭博(偶然に左右されて金銭を得る遊び)は、日本では犯罪(刑法第185条)であるが、他の法律により競馬、競輪、宝くじなどが例外として公認されている。

   私には賭け事の経験は少ないが、30年ほど前に競馬場の近くに引っ越したとき、年末の有馬記念で合計1,000円をでたらめに賭けたところ、200円分が6万4千円になって戻って来たことがある。ところがこれが良くなかった。その後は競馬場に行きたくて仕方なくなり、毎回、2千円程度をかけるようになった。競馬新聞も買った。その予想は良く当たる。3種類の予想を買うと1つくらいは当たる。しかし当たる率が高い有力馬は、払い戻し額が低いため全体では利益はない。番狂わせの大穴が当たったことは、最初の有馬記念を除いて一度もなかった。ほぼ毎週の競馬場行きが約1年続いたが、外れ券の束ができただけだった。
   カジノの経験は一度だけある。カナダに旅行したときに小さな町で、自治体が運営するカジノでルーレットなどをした。タキシード(制服)を着た公務員が胴元をやっていた。結果は数千円ほど失ったが、ワクワクした一時を過ごした。賭けの刺激でアドレナリンが体中をめぐるのだろうか。

   一般に人は金には弱い。私は自分自身を普通の人間だと思っている。賭け事によって身を亡ぼす愚かさを避ける知恵は身についているはずだが、カジノができれば一度くらいは行ってみたい気がする。賭博の魔力に魅入られて自分を忘れる人は100人に1人くらいはいると思う。実際にラスベガスで金をすった政治家や巨額の損失を会社に与えた会社役員の報道がされたことがあった。景品と交換するパチンコ(一度に巨額の金は得られない遊び)でさえ、借金を重ね、仕事や育児もおろそかにしてしまう人もいる。車中に乳児を寝かせたまま夢中になってしまい、我が子を死なせた恐ろしい事件もある。巨額の賭け事は金銭感覚を麻痺させる。大損すれば生活に影響がでるし、大儲けをすればしたで、額に汗して勤勉に働くことを忘れるだろう(経験はないがおそらく。)。

今年の12月15日未明にカジノ法案が自民党、日本維新、公明党の一部の賛成で条文を修正して成立した。ラスベガスにあるような施設を全国数か所に作る計画らしい。競馬だって観客が減っているというのに、カジノ施設はかつての巨大リゾート施設の二の舞にならないのか。ギャンブル依存症のような悪影響を避けるための措置を講じるとのことだが、ギャンブル依存でおかしくなった人達の治療に金をかけるのでは何のための施設かとも思う。賭け事に弱い人間を罠にはめるような感じがする。更には、暴力団などが違法に儲けた金の洗浄(マネーロンダリング)に使うとの指摘もある。毎日新聞が12月17・18日に行った全国世論調査では、カジノ法案に反対は59%、賛成は29%であった。世論の反対を押し切っても進めなければならない理由は思いつかない。賭博が、日本の未来を担う子供たちの教育に役立つというわけではないだろう。それとも、まさかとは思うが、議員達が法案に賛成したのは、彼らが既にギャンブル依存症になってしまっているためだろうか。   (先頭に戻る)

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No.39 「宇宙始まりのイメージ」(2016.12.8)

前回、生き物の形態や行動などの進化要因について分からないことが多いと書いたが、同じく進化を続けている宇宙は、それに輪を掛けて分からないことだらけのようである。探査衛星によって太陽系の惑星の情報はかなり詳細に分かってきたものの、望遠鏡による観察で得られる宇宙の情報は何光年、何億光年という遠くの、しかも過去の情報である。人類は宇宙全体の何パーセントくらいを見ていることになるのだろう(何億分の1か、良くても100万分の1にも満たないのではないか)。だが観察データの解析が物理学や数学理論の手助けでできるようになり、宇宙についてのある程度確かな推測がなされ、宇宙の始まりについても語られるようになった。
   国立天文台などが企画作成した「一家に1枚 宇宙図 2013」(ここをクリックして下さい)を見ていただきたい。これまでの宇宙の観察結果や数学的な推論からすると、太陽系を含む天の川銀河、130億光年のかなたの星々も含めて、時間を遡れば全ては時間も物質もない場所で起きたビッグバンから始まったという。ビッグバンからあっという間に素粒子から原子ができ、水素などがあつまり星ができて、その中で更に多くの元素が作られ、巨大な星を核として銀河ができた。その全体(宇宙)は今なお膨張(進化)し続けているということだ。
   観察結果や数学的な推論だからビッグバンがあったのは確かかもしれないが、そういわれれば「そのビッグバンの起きる前はどうだったの?」と聞きたくなるのが人情だ。宇宙図では、その前は「無」の世界だとの説が紹介されている。「「無」とは、物質も空間も、時間さえもない状態。しかしそこでは、ごく小さな宇宙が生まれては消えており、そのひとつが何らかの原因で消えずに成長したのが、私たちの宇宙だというのです。」とのこと。

物質の存在する空間を「宇宙」と定義すれば、ビッグバン以前は物質がないのだからそこは宇宙ではないとは言える。しかし、何もない「無」の世界が存在し、そこから私たちの宇宙が生じたとすれば、そこはいったい何と呼べばよいのか。宇宙源、宇宙の故郷、宇宙の胎盤(?)とでも呼べそうな、何かに満ちあふれた世界のような気がしてしまう。
   私は、ぼこぼこ沸騰する液体の中の泡に閉じこめられた世界を宇宙としてイメージした。泡の大きさは直径が数百億光年もある。ヒトはその泡の中で周囲を観察しているが、泡はどんどん大きくなっていて泡の果てには液体の壁があることは知りようがない。計算によりこの泡(宇宙)は、ある時に液体の中にとけ込んでいた空気のようなもの(何かのエネルギー)が1点に集まって気化(爆発的に膨張)してできたことがわかった。この状態がビッグバンだ。
   ダークマターの存在やブラックホールに吸い込まれた物質の行き所など、殆ど分からないことだらけだが、この宇宙は自分たちの居場所である。宇宙の話は興味は尽きないので、生物学と同様に天文学も進歩して欲しい。   (先頭に戻る)

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No.38 「生き物を時間の経過で理解する」(2016.12.8)

私の周囲には節度ある人達が多いので、何についても始めと終わりがあると考えたい気持ちがあるようだ。蝉の幼虫は何年も地中で暮らしているが、ある時期になると地上に出てくるし、朝顔は夏の朝になると花を開かせる。社会生活では、時間を守ることはとても大事なことである。子供が遊ぶときには始まりと終わり(お片づけ)を教えられる。だから始めも終わりもないような状態はだらしなく感じられるのだ(ただし、遊びが仕事=飯の種であるような状態が理想であるとも思えるので、この感覚が常に良いことなのかは分からない)。
   時間とものの変化(空間の変化)は強い関わりがあることは確かである。時間は太陽や時計の針の動きで知る。光は真空中で1秒間に2億9979万2458メートル進む(1983年からは1メートルの国際的な定義が、光が真空中を2億9979万2485分の1秒の間に進む長さということになった)。理化学では全ての変化は時間と関連づけられる。特に、生物の世界では、様々な種が地球上の3次元空間の中で長い時間をかけて変化してきた。進化(系統発生)は、多くは単純なものから複雑なものへの変化である。現在まで生存している生き物は、程度の差はあれ環境に適応しているといえる。また、種子や卵が成長していく短い時間での変化(個体発生)もある。発生過程で一旦できたしっぽや水かきが消えてヒトの形に成長していく。

オランダの動物行動学者ニコ・ティンバーゲンの考えた生き物についての「4つのなぜ」とは、生き物のある状態(形、機能、行動)が存在することについて、①その状態が存在する目的は何か、②どのような進化の結果そうなったのか(系統発生)、③どんな作用や仕組みでそうなっているのか、④成長過程において環境や遺伝子の働きがその状態の存在にどう影響したのか(個体発生)という問いである。①、②と④の問いには時間の経過からの視点がある。進化・成長するものへの理解を深めるためには、いずれの問いも重要であると思う。
   生化学的仕組みについてはかなり解明されてきている。進化的要因の解明が難しいのは、化石など証拠が限られる上に、どのような状態が「始めの状態」といえるのか判断が難しいためである。長谷川眞理子氏の『生き物をめぐる4つの「なぜ」』は、ニコ・ティンバーゲンの「4つのなぜ」に答える形で、雄と雌、鳥のさえずり、鳥の渡り、光る動物、親による子の世話、角と牙、人間の道徳性について論じている。比較的研究報告が多いテーマであっても、進化要因となると「良く分かっていません。」、「まだ、良く分かっていないようです。」などという正直な記述ばかりが目についた。生物学研究の難しさを示しているようで、私にはかえって新鮮な感じがした。   (先頭に戻る)

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No.37 「ダーウイン進化論と弱肉強食」(2016.11.28)

C.ダーウインは、世界を一周して動植物や化石を観察し、1859年に「種の起源」を書いた。観察結果に裏付けられて、生物の変異、生存競争、自然淘汰、適者生存などの重要な進化の考えを説明した。この進化論は人々の心を捉えた反面、聖書の教えに反するのでひどく反感をもたれた。
   宗教心に篤い人達が作った国、米国では進化論を教えないという州もあったため、最近まで(今もあるのかも知れないが)進化論をめぐる裁判もあったほどだ。2015年にようやく進化論を信じる人達が過半数を超えたといわれるが、約半分の人は進化論を信用しておらず、共和党の根強い支持基盤になっているともいわれている。
   人間は神様から選ばれた特別な生き物であることを信じる人達にとって、人がサルやネズミなど哺乳類の一員として類人猿から進化してきたなどと認めることは苦痛であるに違いない。また、有利な形質を持つものが子孫を残し、そうでないものは滅ぶという生存競争と自然淘汰の考えは、調和のとれた穏やかな生活を願う人には、暴論と感じられることも分かる。
   進化論が暴論と感じられる理由の一つは、最新の進化論でも、いろいろな事象について十分に納得できる説明を提供していないためだ。例えば、ライオンはインパラやシマウマ(ときには集団でゾウさえも)を襲って食べる。しかしこの事実を理由に最強のライオンが生存に適した生き物であり、インパラは敗者である(だから生存できない)ということを主張したとすれば、明らかに誤りだろう。実際、IUCN(国際自然保護連合)によれば、アフリカ全体の野生ライオンの頭数は2万頭程度に減少しており、絶滅の淵にある。それに対して、個体としては弱いインパラなどは絶滅からは程遠い状態でサバンナで広く生きている。生態系の頂点に位置する強い生き物が絶滅することはある。適者であることの意味がはっきりしていないのだ。また、ランダムな小さな突然変異が起きても、有効な進化にたどりつけるのかという疑問もある。こうした疑問について答えようと、リチャード・ドーキンス博士が「進化とは何か」の中で、目玉の進化過程を説明をしていて面白い。

天地創造説を信じて進化論を信用しないことは問題ではあるが、不完全な進化論をそのまま人間社会に当てはめようとすることは更に危険である。弱肉強食の4文字熟語を誤解し、自然界の事実だと思っている人もいる。「だから人間社会も自由な競争社会にすべきだ。」とか「平等とは建前であって自然界では本当は違う。腕力の強いものや賢い者が勝つべきだ。」という人もいる。個体の強さと種(集団)としての強さを取り違えてはいけない。ゾウやサル、ライオン、シマウマ、ヤギ、鳥類などは集団で社会を作って暮らしているが、個別には縄張り争い、メスをめぐる争いはしても、いたずらに殺し合うことはない。傷ついた同じ種の仲間を助けるような行動も見られる。
   気になるQ&Aがネット上にあった。「弱肉強食が生き物の世界なのだから、人間の弱者を税金で支援する必要があるのか?」という質問と答えである。ベストアンサーになった答えは分かり易くて、私の思っていたことと同じだったのでうれしく思った。多様な生物の社会には、人類が生き延びるためのヒント(危険を避ける生存戦略)がいっぱいあるに違いない。更に進化の研究が進むことを願う。   (先頭に戻る)

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No.36 「一夫一婦制となった理由」(2016.11.18)

多くの生き物は交配という手段で遺伝子の多様性を手に入れて進化を遂げる。だから植物では同じ種の他の個体の花粉をもらって次世代の種子を作るものが多い。動物も同様であるが、動物の場合は、個体どうしの配偶関係も問題となり、一夫一婦(一夫一妻)、一夫多妻、一妻多夫、多夫多妻(乱婚)などの形がとられる。配偶関係の決まり方は、いろいろな要因がある。
   鳥類は9割以上が一夫一婦制だといわれている。アホウドリ、ペンギン、丹頂鶴などは同じ場所で集団で生活していても、雌雄は互いに特定の個体を認識して子育てを夫婦で一緒に行う。一夫一婦を基本とする人間の目には、厳しい環境の中で生きるペンギンなどの行動が愛らしく、けなげにも見える。
   ほ乳類では、一夫一婦の形態は少ないといわれている(霊長目でも3割程度)。常に集団で移動しながら暮らすニホンザルは、腕力の強いオスがメスと子供の集団を率いて一夫多妻だ。ニホンカモシカの解説書(理学博士落合啓二氏)を読んだら、偶蹄目(草食性の羊、シカ、イノシシ、牛など)では一夫一妻は少ないのだが、ニホンカモシカは例外的に一夫一妻組だという。雪山などの厳しい山間部で生活するには、メスも縄張り(地形や植生にもよるが数十ha程度)を持ち、単独で子育てをしなければならない。だから、オスが2頭のメスを相手にしようとすれば広範囲を動き回らなければならず、移動にばかり労力がとられ効率が悪い上に、他のオスからの挑戦で傷ついたり、死亡したりすることもあって結果的に一夫一妻になっているのではないかとのことだ。

霊長類が一夫一婦制をとる理由については、縄張りの跡をついだオスが先代のオスの子供を殺すハヌマンラングールの例が発見されて、一夫一妻をとるのは、自分の子供を守る意味があるのではないかと解釈されてもいるが、先代のオスの子供を殺さない例も発見され、実のところ良くは分からない。
   人間の場合には、一夫多妻を認める社会もあるので、もっと文化的・習慣的な意味があるのだろうが、数万年単位の長い目で見れば、ヒトの祖先が森林から草原に出たときから集団で生活していたのだ。オス同士も互いの助け合いを必要としていた。子供の成長には早くても10年以上の長い時間がかかるし、その間に生きていくための様々な知恵を伝えなければならない。だから、男が多数の女を配偶者にするなどということはありえなかったと思われる(そうしたことは富が蓄積できるようになってからの時代に生じた)。サルから人になった当時は、ニホンカモシカと同じように、厳しい自然環境に加えて、サイズも能力的にもほぼ同等の個体が、互いに助けあわなければ種が存続できない(子育てができない)事情が作用したのだと思うのが素直だ。  (先頭に戻る)

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No.35 「誰が予測できたかトランプ大統領」(2016.11.11)

11月9日、前日に行われたアメリカ大統領選の開票ニュースを夕方まで聞きながら過ごした。投票直前まで、ヒラリー・クリントン氏優勢の予想ばかり聞かされていたので、初めにドナルド・トランプ氏の選挙人獲得数が多いと発表されたときには、「ええっ?」と思った。その後クリントン氏の方が多く獲得したので、「やはり予測は当たるんだね。統計学ってすごい」と思っていたら、再びトランプ氏優位に戻り、最後まで変わらなかった。振り返って「なぜこんなに予想が外れたのか」と疑問になった。

「選挙結果は蓋を開けて見なきゃ分からない」はその通りだが、州毎に統計理論に基づき、有権者の意向調査を聞き取って予測したはずである。だが、多くの州で予測がはずれた。これについて「予測はずれの理由は有権者が本音の意向を言わなかったためだ」という解説があった。トランプ氏は、イスラム教徒や女性への侮辱、メキシコ国境の壁をつくるなどの差別的発言を繰り返してきた。ポリティカルコレクトネス(政治的妥当性)の視点からは暴言である。暴言をする人物を支持するとは言いにくいのは確かだ(共和党の有力者もトランプ氏を支持しないと言っていたほどだ。)。
   だが実際はトランプ氏の発言は過半数の有権者の本音には心地よかったのだろう。だから、メディアから聞かれれば、有権者は「決めかねている」などと回答した。トランプ氏も選挙戦での勝てるという手ごたえとは異なるメディアに予測に「メディアはヒラリーに味方している」と愚痴ったほどだ。今回の予測はずれの経験からすると、回答すること自体に抵抗感がある状況での本音の程度を知る方法が将来開発されるかもしれない(本日付の記事(下の写真:拡大可)を見ると米メディアの釈明・反省が書かれている)。

トランプ氏の政策は、白人の支持が大きかった。中産階級から没落した白人(労働者層)の支持が高かったという解説もあったが、その説明には少し違和感がある。トランプ氏の政策は、法人税率の大幅引下げ(35%→15%)、富裕層も含めた所得税減税、相続税廃止、TPP離脱、パリ協定からの離脱などである。白人の労働者層は人種差別的発言で鬱憤を晴らせたとしても、トランプ氏の重要政策の恩恵はほとんど受けられない。両候補の政策比較によれば、民主党の大統領候補選挙を争ったサンダース氏の政策を受け入れたクリントン氏の政策は富裕層への課税強化なのだ。だから多くの白人富裕層はトランプ氏を陰ながら支持したのだと想像してしまう(私の根拠のない想像である)。労働者層だから差別意識が強く、富裕層だから差別意識が小さいということはないと思う(その見本がトランプ氏その人である)。

クリントン氏が勝利するという予想が外れた11月9日には日本の株価が大きく下がったが、10日には株価が一挙に回復した。多数の大口投資家(外国人を含め)は、「なんだ。良く考えればトランプ氏の政策は、俺たち金持ちの優遇なんじゃないの。彼の政策を怖がる必要は全くないな。急いで買い戻そう。」と理解したのではないか。私は、トランプ氏の勝利によって「自国さえ良ければ」という雰囲気が世界に広がることを恐れている。特に地球温暖化対策の国際的取り組みは人類にとっての最重要な課題と思う。中国に次いで世界で2番目の温室効果ガス排出国である米国がパリ協定から離脱するようなことは思い直して欲しいと願う。日本政府も、そのことを勇気を奮ってトランプ氏に働きかけてもらいたい。  (先頭に戻る)

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No.34 「パフィオペディラムの花芽」(2016.11.1)

夏の暑さはすっかり消えて、曇りや雨の降る日には寒く感じるようになってきた。10月中旬にはベランダに出していた蘭の鉢を室内に取り込んだ。強い夏の光には気をつけていたのだが胡蝶蘭に葉焼けを起こしたので、痛んだ葉を切りとった。嬉しいのは、パフィオペディラム(以下「パフィオ」)から花芽(下の写真)が出てきたことである。数年前に花の咲いた鉢をもらって以来、一度も咲かなかったのものなので嬉しくて、毎日2~3回見ている。見るたびに少しずつ蕾がふくらんでくるような気がする。

どうしてこれまで咲かなかったのかははっきりしない。パフィオは、低温に強いと言われているので、その分だけ暑さに弱いのかもしれない。今年は夏の高温期に比較的涼しい北の部屋でLEDの電気スタンド(11ワット)の光の下で過ごさせた。パフィオをくれた人は戸建ての家に住んでいる。その家では毎年咲いていたとのことだ。一般に戸建ては保温効果が悪い。私は鉄筋の3階の一室に住んでいて、室内は真冬でも13℃程度はある。だから高温を好む胡蝶蘭が毎年咲くようになったのだろう。逆にパフィオには不向きだということか。温度、水分、光の環境で咲くか咲かないかが決まるが、その条件が良くわからない。

カトレアをくれた人が、「環境になじんで蕾をつけるようになるまで、2~3年はじっと見守れ」と教えてくれた。桃栗三年柿八年という言葉があるし、石の上にも三年という言葉もある。直ぐに何かを期待しないで、3年くらいは頑張っていれば、うまく行くこともあるという程度の意味だと思っているが、我が家で世話をしている猫にも当てはまる。元は棄て猫だったらしい。数年前によその家からやって来たときは、直ぐに狭い場所に隠れる。うなる。餌をやっても人がいると出てこない。人が前に立つと逃げ出す。何も危害を加えないのにである。この頃ようやく人がそばに居ても、逃げださず毛づくろいもするようになった。

生き物は機械ではない。動物は餌を与えさえすれば動き回るわけではない。安心感を得たいだろうし寂しがることもある(この意味では人間も動物と同じだ。)。猫の変化から類推すると、脳のような器官を持たない植物だって肥料・水・光と温度だけで成長するのだといいきれない。ある程度の時間の中で、何かを経験してそれが生きる力になってくることだってある。微量なガスや成分を放出してコミュニケーションをとったり、葉・根・幹についている小さな細胞で快適さや不愉快さを感じたり、記憶したりして外界からの影響には何らかの対抗策を取っているのではないか。カトレアの花に似せたハナカマキリの擬態や授粉を委ねるマルハナバチとヨツバシオガマの特別な関係に見られる共進化は、そうした経験と生きる力の存在無しには達成は不可能ではないだろうか。多様な生き物の地球ができたのは、その結果だと思うようになった。  (先頭に戻る)

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No.33 「死刑制度について議論を!」 (2016.10.22)

日弁連(日本弁護士連合会)は、法律に基づいて全国の弁護士会が設立する自治組織である。なぜ自治組織が必要かと言えば、弁護士は政府と対決することもあるからである。大日本帝国時代はこうした組織はなかった。政府の役人に監督されるような弁護士では政府と対決などできるはずもない。日弁連は悪徳弁護士の除名や刑法、民法等に関する多くの提言を行ってきた。この10月7日には「死刑制度の廃止を含む刑罰制度全体の改革を求める宣言」を採択した。その最大の課題は、死刑制度の廃止である。
   廃止の理由は、①死刑制度は生命を剥奪する刑罰で国家による重大な人権侵害である上に、冤罪(えんざい)によって死刑が執行されれば取り返しがつかない。②国際社会のすう勢に従って死刑制度と決別すべき時期が来ていることを挙げている。同時に、③犯罪被害者や遺族の支援のため精神的なサポートや給付金の支給を拡大すること、④死刑を廃止する代わりに、終身刑の導入とともに、無期懲役刑を見直し、仮釈放が可能になる時期を従来の10年から倍の20年以上に延ばす仕組みも提案している。
   日弁連の「死刑廃止を考える」のページには、Q&Aが掲載され、凶悪犯罪は増えているのか、絞首刑はどのように行われるかなどを統計データや絵などで分かり易く解説している。世界の動向を見ると、死刑制度を残す国と廃止する国では、1990年代以降に逆転し廃止国が増えている。
   宣言をきっかけに多くの人が死刑に関心をもち、議論をする材料にしてもらいたい。この重要なテーマを放置することで、日本に死刑制度がいつまでも残るとすれば、民主主義の価値観を共有している先進国の一員としては忌まわしい気がしている(政情不安な途上国、北朝鮮の王朝、中国では、国家による死刑(銃殺等)が公然と行われている。絞首刑と銃殺とで、残虐さの程度でどんな違いがあるのだろう。)。

他方、国民の意識は2年前の内閣府調査で、8割の国民が死刑はやむを得ないとしている。日弁連の宣言が出された後の本年10月17日にフジテレビ系のFNNが行った世論調査では死刑廃止に「賛成」と答えた人は2割、死刑廃止に「反対」の人は7割を超えた。日弁連の宣言を実現するには、大変なギャップがある。およそ日本では死刑廃止は不可能と思えるほどだ。
   しかし、世論調査の数字だけでは、日本人が「死刑を好む」民族であることを意味するわけではない。北大の「死刑制度-ドイツの視点からの考察-」によれば、1949年5月に死刑を廃止したドイツでも、廃止前の世論調査では死刑賛成は7割、死刑廃止賛成は2割であった。廃止されてからもしばらくは、死刑復活賛成が5割を超えていたという。今日では、死刑復活賛成は2割程度である。死刑廃止は、ドイツだけでなくEUに定着したと言える。EU加盟国は10月10日を死刑廃止デーと決めている。昨年の10月10日にドイツ大使館のサイトではEUの共同声明を掲示して「日本政府がこの問題(死刑制度)に関する開かれた議論を可能にする」ことを呼びかけている。
   人々の意識が今後変わっていく予感はある。例えば、先に挙げた内閣府調査では「死刑は、やむを得ない」と答えた人達に「将来的には死刑を廃止してもよいと思うか」との質問がされており、「将来も死刑を廃止しない」と答えた者の割合が57.5%,「状況が変われば,将来的には,死刑を廃止してもよい」と答えた者の割合が40.5%となっている(特に20代では過半数を超えている)。
   だから、現在、世論調査で死刑を残したい人が多いからと言って、何もしないで構わないとは言えない。将来の日本社会のあり方に関わるからである。国際社会のすう勢だからというだけではない。私は、犯罪者に甘い日本の裁判所という印象を持っているのだが、そのことと、死刑制度廃止について議論を避けることは別である。人が人を殺すことと国家が人を殺すことにはどれだけの違いがあるのか(国家に誤りはないのか)、死刑があることによって人命を軽視する考え方に繋がらないのかなど、個人として疑問を感じていることもある(これらの点については別の機会に触れることとする。)。
   だから、犯罪被害者に対しても、加害者になるよりも被害者になる可能性が大きい多くの人々に対しても、その無念さや不安な心情を尊重し、終身刑の導入など代替措置も提案しながら、粘り強く議論を進める必要がある。志のある政治家、法務省、弁護士などのリーダーシップに期待したい。  (先頭に戻る)

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No.32 「医師の怠慢とずさんを許した裁判所」 (2016.10.14)

もしもの話です。あなたの家族が何の落ち度もないのに突然に誰かに刺されたら、そして、刺した本人は入院中の精神障害者(暴力歴のある統合失調症患者)であり、その患者には、統合失調症の治療ガイドラインが守られず、薬剤使用の注意事項も守られずに"ほったらかし状態"であったことが判明したなら、どうされますか。
   11年前に私の友人にこんな悲しい事件が起きてしまった。統合失調症の治療薬を中断された患者はいらいらが募り、頬に自分で傷を付け、犯行前に主治医(病院長でもある)の診察を求めたが聞き入れられなかった。院外で一人の若者を刺して、返り血を受けて病室に戻ったが、病院では、その患者の異常に誰も気が付かなかった。翌日、患者は再び犯行現場に出かけて逮捕され、病院は、警察からの通報で初めて事件を知った。警察が拘留中の患者の薬の処方を要請したところ、病院は初めて問題点に気がついて中断前の統合失調症の薬剤に戻して患者に届けた。
   この病院には、ガイドラインに反して重要な薬剤の処方を突然中断したのに、その後の経過観察を怠るという普通では考えられない怠慢とずさんさがあった。この患者は刑事裁判の一審で有罪となった。ご子息を殺された友人は、患者の両親とともに、刑事事件で提出された証拠などを基に、病院を相手に損害賠償請求を行った。この間の経緯は、出版社ロゼッタストーンの「矢野真木人殺人事件(いわき病院事件)・裁判レポート」で公開されている。全体を理解できるので、本年4月に友人が作成した事件のあらましと高裁判決の問題点を参照いただきたい。

平成17年(2005年)12月6日に事件が起き、翌年には刑事裁判で懲役25年の刑が言い渡され、患者の両親が争わなかったため刑は確定した。民事裁判は平成18年(2007年)の6月に提訴し、地裁での判決は平成25年3月に出され、友人は敗訴した。控訴をした高裁では、平成28年3月に控訴棄却の判決が出された。高裁では当初の判決予定日が直前になって3月に延期され、出された判決文には人名や証拠の評価に重大な誤りが含まれていた。このため、友人は本年5月に最高裁に上告し、8月に最高裁の決定(上告棄却、上告を受理しない)が出された。最高裁はその理由を、「(上告人・申立人=友人夫妻のこと)は事実誤認又は単なる法令違反を主張しているにすぎない」とした。
   7年かかった地裁での判決は、「病院側にはいくつかの望ましくない点はあるものの過失があるとまでは言えない」とした。病院には大甘の内容だった。高裁は地裁判決を追認し、その判決文には重要な誤りを含み説得力に欠けるものだったが、最高裁は上告棄却とした。
   日本国憲法第76条では、「裁判官は、良心に従い独立してその職権を行い、この憲法及び法律にのみ拘束される」とある。そうであれば、裁判官の判断においても、憲法が示す「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求の権利が最大限尊重されなければならない。」という規範が適用されると思うのだが、国民の生命を重視した判決にはならなかった。役人的な前例の踏襲なのか。あるいは、精神鑑定を依頼する精神科医と病院関係者に遠慮があったのか。更には、医療関係の膨大で専門的な文書や証拠書類を読むには忙しすぎるとも言われている裁判官なので、形式的な調査で早く終わらせたかっただけという疑問さえも湧く。英国などと比べて遅れている日本の精神科医療を改善する切っ掛けにできた裁判だったのに、国民にとっては残念な判決となってしまった。

被害を受けた苦しみに耐えながら、個人で裁判を起こすのは、精神的にも、経済的・労力的にも大変な苦労である。友人は、ご子息の死を無駄にしたくないとの思いから、適切な治療を受けられる患者の権利の確保と、市民が安心できる精神障害者の解放医療(隔離をよりも社会復帰を目指すことを重視した医療)の促進とを目標にして、国内・海外の精神科医からも情報を得て裁判に取り組んでこられた。今、友人は控訴の重圧による症状が出て入院され、リハビリ中である。最高裁決定が出てから、私は友人の奥様に私のコメントを伝えた。敗訴にはなったが、私はご夫妻の勇気のある行動を誇らしく思い、感謝している。本件で被控訴人となったような怠慢でずさんな病院や医師はまれであり、世間には誠実に仕事をしている医師が多いと信じている。だから、この裁判の結果で「怠慢もここまでは許される」と判断するような情けない精神科医はいないことを願っている。  (先頭に戻る)

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No.31 「沖縄 空白の一年」 (2016.10.10)

都市近郊の畜産農家の悩みの一つに周辺住民の苦情がある。周辺に建った家やマンションの住民が「くさい」、「蠅がでる」などの苦情をいう。周辺が更に密集してくると、「地価の高い場所で牛を飼うのは贅沢だ」と非難もする。結局、家畜の飼育を諦めるか、中山間に移転せざるを得ない。畜産農家には「後から来た人達に理不尽なことを言われている」という不満が残る。以前、「沖縄の基地の反対運動は畜産農家周辺の苦情と同じなのではないか。基地の周辺に後から住み始めた人が文句を言っている。」と言っている人がいたが、黙って聞いていた。私は沖縄の基地がどのようにしてできたか知らなかったからである。

今年の8月20日の夜放映されたNHKスペシャル「沖縄空白の一年~基地の島はこうして生まれた」を見た。未公開映像や機密資料2000点、証言に基づいたドキュメンタリーである。私の想像は全く誤っていた。米軍基地は畜産農家に例えられるようなものではない。普天間基地は日本を爆撃するための飛行場だった。1945年米軍が上陸して6月に戦闘が終わると住民約30万人は、県内の12の収容所に入れられた。その間に日本を攻撃するため平坦な土地の家々や畑地をブルドーザーでならし、飛行場建設を始めた。日本がポツダム宣言を受諾してから一時中断されたものの、戦後の冷戦を見据えて、最大の普天間基地と嘉手納基地の建設が再開される。GHQから沖縄の米陸軍に指示されたのである。
   当初は、国務省が米海軍に指示して軍は撤退し自治政府に委ねるという案もあったが、沖縄は、今日まで米国の戦略拠点として使われている。基地は、巨大な工場でありシステムである。軍人だけでは運営できない。軍用品の運搬、軍人の生活資材の調達などに膨大な労力が要る。マッカーサーは、1946年8月に本土に疎開していた約10万人の沖縄人を強制的に沖縄に帰還させた。住宅も働く場所も無い沖縄にである。農地はなく米軍関係の仕事しかなかった。豚小屋のような場所に住むほか無かった。飛行場建設に携わった米軍人(93歳)が「今から考えるととんでもないことをしていた」と証言していたのが印象的だった。
   日本政府ができたことは、「沖縄を日本領土として認めるならば、基地化には反対しない」と米国に伝えることだけ。マッカーサーは、1947年に「沖縄を占領するのに日本政府は反対しない。なぜなら、彼ら島民は日本人でないのだから」と本国に報告している。

No.17で沖縄・護郷隊の少年達を取り上げた。うわさ話や漠然とした想像で世間を判断してはいけない。NHKは優れた作品も作っている。沖縄も日本だと考えるならば、私達はもっと沖縄のことを知らなくてはならない。NHKオンデマンドで「沖縄 空白の一年」を税込み216円で(お試し無料もある)見ることができる。お薦めしたい。
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No.30 「とと姉ちゃん達の生き方」 (2016.9.28)

あるときから朝のNHK連続ドラマが好きになりこの数年間見つづけている。きっかけはゲゲゲの女房あたりから。好きな漫画家の奥さんの話という理由で見始めたのだが、面白くてその後もずっと見ている。
   今週最終回となる「とと姉ちゃん」は暮しの手帖を創刊した大橋鎮子と花森安治の自伝を基にした物語である。この2人は、ちょうど私の父母と同じ頃(明治末から大正時代)の生年である。祖父母や両親から聞いた話も自分の人生の一部だとすれば、とと姉ちゃんを見たことで、子供のころ見聞きしたことに加えて、親の世代の一部を追体験した感覚にとらわれる。私の父母は田舎に住んでいたけれど、満州国、徴兵と従軍、統制経済、供出、空襲の恐怖などは、とと姉ちゃん達と共有している。戦後のある時期から、母の周りに、ときどき暮らしの手帖がおいてあった。絵や写真がきれいだった。

暮らしの手帖は、広告に頼らない雑誌なのに、既製品や外国の物を紹介するのではなく、庶民のため工夫をし、提案をする。金をかけて商品試験をし結果をデータつきで公表する。メーカーに消費者の希望を伝えたという意味で、商品の品質向上に寄与した功績はとても大きい。今日では、品質向上のために、製造物責任法や各種の規格や規制がある(それでもインチキをする企業が国内外を問わずある)のだが、消費者の意識が弱かった時代に、「とと姉ちゃん達良く頑張ったねえ!」と言いたくなる。そして、暮らしの手帖に多くの読者がいたことは、私たちの親の世代に、生活を犠牲にして戦争に参加していったことへの強い反省があったのではないかと思う。

朝ドラが面白い理由はいくつかある。先ず、男が愚かに見えてしまうのだ。制作者の意図が反映しているからなのか、私が男だからか、物語の中の男には同情することは余りない。登場する男は社会的な地位に飼い慣らされている。ある分野では頑張ってはいるが、生きるという総合力では女性よりも弱い。威張りたがるが実は気弱である。だめさ加減が自分に似ていると「こんなところにも仲間がいた」と嬉しくなる。
   次には、朝ドラは新聞のニュース面ではなく楽屋裏を覗くような感覚になれること。あこがれと愚痴や諦め、希望とともにある不安など、祖母や母から聞いていた大正、昭和の現実の世界だ。生産効率の視点やきれい事ではなく、現実の泥臭い生活の視点と言っても良い。
   それから、言うまでもなく、愛らしい女性が苦労をして逆境に負けず、差別を乗り越え、柔軟さと知恵で自己を実現させていく。未知への冒険、恋愛や友情、家族や子育てのトラブルなど面白い物語のエキスがそろっている。毎日、毎週のドラマの盛り上げ方、伏線の張り方、登場人物の個性の出し方、カメラワークまで、面白い理由を数え上げたらきりがない。  (先頭に戻る)

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No.29 「簡易裁判所の審理を傍聴した」 (2016.9.22)

9月21日に東京簡易裁判所の民事法廷を傍聴した。友人の一人が、出版した本の所有権を巡って委託した会社(スタジオフォンテ(SF社))と争ったのだ。簡易裁判所は全国に400箇所以上。軽微な事件を扱い訴える金額も小さい裁判所である。日比谷公園前の建物への入館はX線カメラで手荷物検査をされただけ。審理の場所は傍聴席と隔てられた丸い大きな円卓である。判事と書記が傍聴席に向かって座り、原告と被告も同じ円卓に着く。現憲法下で作られた身近な司法の姿として好感が持てる。

友人は100万円をSF社に支払い、SF社はその金で印刷製本し、別の会社に販売を再委託する仕組みにしていた。裁判での争点は、SF社が現在保管している本の所有権が誰に属するかである。著者である友人は、「売上金の配分が、販売会社50%、著者30%、SF社20%としていたのだから、売れ残った本の所有権は、著者とSF社との間でその比率に応じ(つまり6:4の比率で)分配されるべき。」と主張している。これに対してSF社は、「所有権はすべてSF社にある。著者には献本分として100冊渡した。著者との覚え書きでは、著者に所有権があるとは書いていない。」などと主張している。
   通常、商業出版では出版社側に書籍の所有権があり、自費出版では著者に所有権があるのだが、SF社のホームページには「商業出版、自費出版を超えた第3の出版「UNIT出版」開始します」と書かれている。友人も、「SF社から自費出版でも商業出版でもない第3の出版と説明され、それゆえに制作費を支払った。所有権はすべてSF社にあると言われて驚いた。」と言っている。SF社の説明の曖昧さは否めない。

現代社会では、契約の締結は原則として自由(国家は関与しない)ではあるが、意に沿わない結果になったときには不自由の原因となる。判事は、証拠の確認、尋問をした後、判決日を10月24日とすると決めた。時間や労力を要して裁判をすることも社会を良くすることになると思うので、先ずは原告となった友人の奮闘努力に敬意を表したい(判決後にこの続きを掲載します)。  (先頭に戻る)

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No.28 「パラリンピック閉会式を見た」 (2016.9.20)

数日前にパートナーから「盲学校の先生がパラリンピックのマラソンに出るんだよ。応援してあげてね」と言われた。テレビでの放映は無かったが、9月18日の男子マラソンで視覚障害のあるその先生(46歳)は、2時間33分59秒(銅メダル)を達成した。「すごいねえ。走るだけでも大変なのに、目が見えていても、だれでもできることではないよ。」と私の感想を伝えた。

19日朝のパラリンピックの閉会式をテレビで見た。主催者の挨拶、踊りや歌でパラリンピックの志を伝えようとするのが感じ取れた。その志とは、人々に与える勇気と人間の可能性の拡大である。この志を「障害者に対する偏見をなくすため」という次元で考えてはならない。人は、健常者であると同時に障害者でもあるからである。健常者だと思っている人が、自らが障害を持つ当事者になり得ることを自覚すれば良いだけのことである。実際に事故や病気で障害をもつことがあるし、年をとれば誰でも肉体の機能は大きく低下する。失ったものは取り戻せなくても、本人の努力、新しい競技やルールの改革と普及で可能性が広がる。この志は、人間をどこまでも応援していくという意思である。パラリンピックには、そのことを世界の人々に広める崇高さがある。

パラリンピックの起源は、1948年英国の病院でのある医師による車椅子患者のためのスポーツ大会だったとのこと。パラは下半身の障害(paraplegia)が語源だったが、その後、多様な障害者の参加を意識して、パラはもう一つの(parallel)オリンピックの意味となったらしい。
   開会式のときには、緊張感にあふれた顔つきだった選手達も観客も、穏やかで、喜びや感動にあふれた表情をしていたのが、見ていて気持ちが良かった。閉会式が終わった翌日20日の毎日新聞もそのことを伝えてはいたが、「日本のメダル24個 金 初のゼロ」と大きな見だしにしていたのが気になった。4年後には東京でのオリンピック・パラリンピックである。指導者の皆さんには、クーベルタン男爵の精神に戻り、パラリンピックの志を深く考えて活動していただきたい。  (先頭に戻る)

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No.27 「オリンピックで大切なこと」 (2016.9.20)

今年ブラジルで、8月にオリンピック、9月にパラリンピックが開かれた。ジカ熱の発生、生活苦による人々の抗議、ルセフ大統領の汚職疑惑が出てくる中での開催だった。これから更に問題が出てくるにしても、大きな事件もなくパラリンピックの閉会式までに至ったことは、先ず、ブラジルの人々に「良かったね」と言いたい。参加した選手には「プレッシャーで大変だったね。とりあえずゆっくり休んで下さい」と言おう。

ほぼ60年前、M先生の小学5年生への説明はこうだった。『4年に一度、世界中の人が集まってオリンピック大会をやるんだ。これを始めたクーベルタン男爵は「大事なことは勝つことではなく参加することだ。」と言ったんだ。日本では古橋という水泳のすごい選手がいて世界一の記録を出したが、戦争に負けて国際水泳連盟に加盟できず、1948年のオリンピックにも参加できなかった。悔しかったね。クーベルタン男爵のいうとおり参加することが第一だな。この言葉よく覚えておきなさい。いいね。』
  古代ギリシャのオリンピック競技会は、神に捧げるものとして、開催中は争いを止めるのがしきたりで、4年毎に紀元前776年から紀元393年まで1200年近く行われたという。その精神に平和を求める思想がある。その後のオリンピックを見ると、クーベルタンの思想から離れて、オリンピック役員の利益、国別のメダル競争(国威発揚)、誘致を巡る汚職、スポーツ界での商業主義があふれている。

先生から教わったとき、私にはクーベルタン男爵がとても格好良い人に思えた。現代の政府関係者がメダルの数を口走ると、フセイン時代のイラク、北朝鮮、ソビエトや中国などと同じような卑しさを感じてしまう。政治家やメディアがメダル、メダルと騒ぎ立てることはプレッシャーのかけすぎにしかならないし、オリンピック精神を誤解させる。行政がやるべき仕事は、皆が使えるスポーツ施設を充実させること、仕事とスポーツが両立できるよう環境を整えること、スポーツを楽しむ余裕のある社会をつくることである。そして戦争をしないこと(平和の祭典)こそが、オリンピック精神に最も叶うことだ。
   「オリンピックで大切なことは勝つことでなく、参加することである。」は不滅の言葉だと思っている。クーベルタンの嘆きを見よ。  (先頭に戻る)

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No.26 「身構えてしまう自分」 (2016.9.14)

「こころは慣性の法則に従う」とNo.25で書いたのは、自分の経験からである。「気ままに」にあれこれやっているように見えても、実際は身についた知識や経験・習慣にこだわっている自分を発見する。何も起きないのに自分を変えるのは動機がない。私の場合は、何かにぶち当たって痛い思い・不愉快な経験をしたか、誰かに勧められて、その結果、考えや行動が変わることが多い。
  10年ほど前までは通勤バスを使い運動は殆どしない毎日だったが、ある日踏切の警報機が鳴る中で、急いで渡ろうとして滑って転倒した。膝をすりむき、ズボンのひざが擦れただけだったが、衆人環視の中で転んだのは悔しかった。筋力の衰えを知ったので、それからは極力歩くことにした。昼休みの食後も歩いたり、エレベータに乗らないで階段を登ることにした。
  スポーツは苦手であるのにスポーツ推進員になったのは、信頼できる町会の役員から頼まれたからである。スポーツが嫌でたまらないわけではなく、知らないことに時間がとられるのが嫌だった。しかしやってみれば、楽しいこともあるし、地元での知り合いもできた。
  新しい考え方に触れるものそうである。歴史勉強会にも友人に誘われて参加したら、以外と面白かった。初めから面白さが分かっていたわけではない。このホームページ作成も、同窓会の幹事と話していて、少し屈辱を感じたので、勉強をしてみようという気になったのである。多少のコストと労力は必要とするが、やってみたら楽しいことに気づいた。

新しいことをやる前には、身構えることが多いが、都合がつく場合には「嫌になったらいつでも止めてやる」、「修行、苦い良薬と同じようなものだ」、「所詮は遊びだ」などと考えて、損得は考えず参加するように心がけている。
  パートナーが強く勧めてくれた夕食のおかず作りも、今では自分の日課といえるほどになってきた。操られているような気がしないでもないが、材料や味付けの選択と工夫で、うまくいけば満足感も得られることが分かった。  (先頭に戻る)

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No.25 「慣性の法則とこころ」 (2016.9.14)

私は、人がある考え・信念(人生観)になじんだり、とりつかれたりしているときには、慣性の法則が働くのではないかと思っている。慣性の法則とは、外からの力が加わらなければ、動いている物体は動き続け、静止している物体は静止したままであるというニュートンの運動法則の一つである。もちろん、物理的な力ではなく、経験や知識がもたらすショックや違和感、失敗体験が考えや信念を変える力になる。順調に成功体験のみをしてきた人や感覚の鈍い人は、その考えを変える必要がないので、例えば、退職後も依然と同じ考えや感覚を持って暮らす(結果、家人から嫌がられることもある)。
  ところが、である。今日の物理学では、慣性はすべての物体が持つ固有の絶対的な性質ではなく、観測する者の立場によって異なると説明されている。物体を目の前において静止して観察している人にとっては、止まっているものは止まって見え、動いているものは動いて見えるが、動きながら観察している者にとっては、その動きと同じスピードで同じ方向に動いている物体は、静止しているように見える。慣性の法則は、「物体が慣性をもつと見なせる立場(慣性系)がある」ことを示す意味となった。

人の考えや信念を、この相対性「慣性の法則」で解釈すれば、本人には、ある時期の経験や新知識を切っ掛けに自分の考えが変わったと自覚できる場合でも、他人から見れば、一貫しているように見えることがあることである。あるいは逆に、本人は考えや信念を変えてはいないと思っていても、他人から見れば「あいつは変わった」と感じられる場合があるということである(その他人が変化しているからそう感じる)。

個人では別な経験をしていても、同じ時代を生きた人々は、同じ重大事件に遭ったり同じような経験をしたりするので、共通した考えや信念を持ちやすい。同じ慣性系に生きているのだから互いの理解も容易になる。別の世代(例えば江戸時代、明治時代、戦前)では別の信念や価値観が形作られている。過去の大切な教訓であっても後世に伝えることが難しいのは、世代ごとに別の世界(慣性系)を生きるからだ。  (先頭に戻る)

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No.24 「障害をもつ当事者となる意味」 (2016.8.31)

今年の7月26日、相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者19人が刃物で刺され死亡し、27人が重軽傷を負った事件が発生した。自ら出頭した容疑者は、この施設の元職員で「障害者は死んだ方が良い」とも話していたという。2月に殺害の予告文書を衆院議長公邸に持参するなどの経緯があり、退職と同時に他人を害する恐れがあるとして措置入院させられ、13日間後の3月2日に退院した。その5カ月も経たないときの犯行だった。
  友人のTさんに勧められ、私は8月6日に都内で開かれた被害者の追悼会に参加した。国内外の施設従事者、障害者など関係者が寄せるメッセージを聞きたいと思ったからだ。参加者から、追悼の言葉とともに「障害者への偏見を無くすために取り組んできたのにこんなことになって涙が止まらない」、「数十年前に戻ったように感じた」、「競争と排除の考えが進む中で起きたヘイトクライム」、「自分が加害者になることだってある」、「事件を再び起こさないためには、なぜ起きたのかを問い続けるしかない」といった声を聞いた。そのメッセージは東京大学の熊谷研究室(当事者研究室)のホームページで公開されている。

私自身、幼児期の病気の結果、右腕に不自由が残った。からかわれたことがあり、子供のときは体操の時間が嫌だった。だが、あたりを見回すと、体の一部が不自由な人は意外と多いことに気づいた。障害者は、その不自由さだけでなく周囲の差別(悪意がなくても傷つくこともある)にも耐えなければならない。そのためか、障害のある人達は他人に優しいことに気が付いた。常に他人からの世話が必要な人は、私の想像を超える苦労をされていると思う。

健常者が人生の途中で障害の当事者になると、それまで気づかなかったことに気がつくことがある。障害者になって、自らの経験を通して障害者用の器具や設備の開発をして喜ばれている例も聞く。常に健康でばりばり仕事ができる人は、他人の悲しみに気づきにくい。
  容疑者は、精神障害者でもあったが、措置入院の退院後のケアがされておらず、退院した事実も障害者施設には知らされていなかったとのこと。人は嫌なことは早く忘れたいし、手に負えない問題には見て見ぬふりをしたくなる。しかし、誰でも当事者になる可能性があるのだ。この事件は多くの問題を含んでいて、簡単に解決できる方策はない。政府や地方自治体は、調査結果に基づいた方策を予算化し、わずかずつでも確実に改善して欲しい。そうでなければ、亡くなった人達に申し訳ないではないか。  (先頭に戻る)

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No.23 「二宮金次郎の像に思うこと」 (2016.8.28)

子供の頃、たいていの小学校(私の通った小学校も)には、「二宮金次郎」の石像があった(銅像は戦時の供出で撤去されたため石像のみが残ったらしい。)。薪を運びながら本(大学という儒教の入門書)を読んでいる像である。 金次郎の像は、政府が金を出して作ったものではなく、卒業生や地元の親たちの寄付で作られたものだったので、敗戦後も取り壊されることはなかった。子供に農作業を手伝わせることは普通の時代だったから、親たちは、二宮金次郎を理想の子供と思ったかもしれない。
  二宮尊徳(そんとく)は後年の名前である。農地を開墾し、農民が自助できる金融制度を作り、領主(為政者)に恣意的な年貢収奪をさせない「仁政」の考えを広め、武士の思想や嫌がらせと闘いながら、いくつかの藩の財政再建を成功させた。明治以降、尊徳の報徳思想を実践する報徳社が各地につくられた。
  この人気を明治以後の政府が利用し、不平を言わず働く(滅私奉公する)国民づくりに利用した。その汚されたイメージのため、為政者に責任を問う姿勢、互助の精神、合理的な経営や環境への配慮などの尊徳の優れた思想が、戦後は再評価されず、今日まで来ている。

この夏、第七回国際二宮尊徳思想学会に参加したとき、ある歴史研究者から、「金次郎の石像が普及したのは、明治政府が神道をいわゆる国家神道に定めた後、明治末に経費(神社には必ず神職を置くため経費がかかる)節約のため神社の大規模な合併策(合祀政策)を進めた結果だ」との説明を聞いた。「神社の数が大幅に減って、社殿の前に置く狛犬の石像が売れなくなり、憂き目をみた岡崎の石工が、金次郎の石像を作り全国の小学校に売り込んだ。」というのである。愛知県人の発明気質と、金次郎の像が愛知県豊橋で初めて作られた理由とが分かって、成程と思った。それまで神社は、人々の心の拠り所、遊びや集会の場であったのに、明治政府が政治利用したところから誤りが起きた。明治時代の博物学者南方熊楠は、合祀政策に対して、「神社の廃止は地方を衰微させる」、「郷土愛を失わせる」、「神社の森を失い生態系が失われる」などの意見を挙げて反対した。
  話を金次郎に戻すと、現代では、薪を背負うどころか、歩きスマホも危険な行為なので金次郎の像は絶滅していくだろう。しかし、現代は、地方自治を尊重せず、地域社会を疲弊させても、自分の利益さえ上げられれば構わないとする考えがはびこる時代である。だから私は、二宮尊徳の考えを広めたいと思っている。(写真は、鳥のように羽ばたいて欲しいとの願いを込めた小学校の銅像です。)  (先頭に戻る)

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No.22 「お盆の意味と楽しさ」 (2016.8.19)

夏には、お盆(盂蘭盆会、精霊会)がある。私の故郷の集落では旧暦の7月15日前後である。他の地方と同じように祖先(死者の霊)を火を焚いて迎え、墓参り、棚経(菩提寺の僧に来てもらって行う読経)などをして、送り火で送る風習がある。
  ある歴史家は、「日本の仏教は、人生の指針を考える哲学的な意味合いよりも、宗教儀式を通じて、先祖を敬い子孫を見守る先祖子孫教になっている。」と言っている。そして、農業は、農地の開墾、用水の使用、田植えや収穫時の労働力を融通しあう関係から、経営は一代では完結せず、祖先と子孫、親類縁者での助け合いが必要な産業であったため、この先祖子孫教というタイプの仏教と相性が良かった。「先祖が頑張ってくれたので今の自分がある」、「死後も見守って欲しい」、「苦労して残した田畑や山林を使って子孫が繁栄して欲しい」という思いがある。徳川幕府が推進した檀家制度(禁教のため檀那寺に住民を縛る)とも関係が深いが、お盆の意義は、暑くて農作業ができない時期に、兄弟、子孫が集まって、死者である両親や祖父母を懐かしみ、交歓し、生きる力を得ることに尽きる。

お盆の時期に前後して盆踊りがある。お寺の境内や広場に櫓を組んだりして、踊りの場を設定する。私の故郷では、太く長い柱(20メートル位)を立てて、その柱に枝のように竹を付け、その竹に提灯をぶら下げた(提灯山と言った)。その下で、若者や子供、女性が浴衣を着て集まって踊り、夏の夜を楽しむ。子供の頃の盆踊りの歌詞は「分かれた人(死者)に会える盆が嬉しい」などという内容だったが、炭坑節、東京音頭、おばQ音頭など新しい曲になり、宗教的な香りは消えていった。しかし、お盆の楽しみの本質は今でも変わらない。

かって日本のほとんどは農村であり、産業は農業であった。地域の中で生活の糧を得、心のよりどころにお盆などの行事があった。閉鎖的な社会だったということは否定できないが、お盆や祭りが地域社会を永続させる効果は大きかったと思う。農村的社会が崩れて何が起こっているかといえば、助け合いの心も奪うような競争、目先の利益最優先の考え方、汚染のない山河を子孫に残すことさえ忘れたような政策が目についてしまう。  (先頭に戻る)

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No.21 「子供の夏祭り・オマント」 (2016.8.19)

私の故郷は濃尾平野の端にある水田地帯である。小学生時代は7月頃に「オマント」という祭りをした。この祭りを紹介したい。麦わらの馬を神輿のように運ぶ祭りである。
  麦わらを揃えて束ね、胴の部分とし、短い竹竿数本をその胴に扇状に刺して配置し、それぞれの竹竿に色紙の花飾りを付けて、きれいな馬が完成する。この馬を担いで、子供達(小学生)が集落に数か所ある小さなお宮(お天王様)、2つのお宮(神明社)、1つのお寺そして村の中を巡るのだ。その際は、竹で作った単純な笛(ブーという音しかでない。)を吹き、「オイサー」と掛け声をかける。これを交互に繰り返す。「オイサー」「ブー」、「オイサー」「ブー」という音と子供のざわめきが集落の中に響く。
  集落は、4つの地区(シマ)に分かれ、シマごとに子供達が、馬を作る場の農家(宿)に集まって準備をする。作業は、農家から集めた麦わらから葉などを取り去って幹を束にすることだ。稲わらとは違い、麦わらは金色に光る。色紙は、遠くの市街地まで6年生が買いに行く。花火なども買う。祭りの日には、家々を回り祝儀をいただく。余ったお金は山分けした。配分は6年生に任されていた。1年生は5円、5年生は150円、6年生は300円という具合だ。私は6年生になって、少し大人になったような気がした。
  この「オマント」は、祇園祭(お天王祭り)ともいわれていた。祭りが終わった後の花飾りは魔除けとして家々に配られた。半月ほど宿で作業をする間には、子供たちは喧嘩もするが下級生の面倒をみるようにもなる。花飾りを付けたり、馬に仕立てあげる作業は子供ではできないので、親達が総がかりで行った。

この「オマント」のような祭りは全国のあちこちにあっただろう。参加した子供が楽しんだことはもちろん、子供の成長を見守る親たちも密かな喜びを与えた。子供たちは、2-30年後には地元の後継者になったり、地域社会の中心人物に育っていった。地域の共同体を永続させる仕掛けにもなっていたと思う。
  この祭りは、昭和40年頃には行われなくなった。農家が麦作を止め果樹園芸は夏は多忙になったし、経済成長が進んで勤めに出る人が増えたりしたからである。「オマント」は廃止されたが、秋期の獅子頭を使った子供祭りに引き継がれ、今日に至っている。

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No.20 「71年目の終戦記念日」 (2016.8.15)

夏になるとこの日がやってくる。大東亜戦争(昭和12年7月からの日中戦争と昭和16年12月8日からの太平洋戦争)の終戦の詔勅が出された8月15日である。今年は71年目。テレビはオリンピックの女子卓球などを放映していて、外からはミンミンゼミにときおりツクツクボウシの鳴き声が混じって聞こえる。

大東亜戦争は、日清戦争、日露戦争、第1次大戦とは違い敗戦で終わった。大都市は焼け野原になり、死者・行方不明者だけでも、軍人・一般国民に300万人を越す桁違いの犠牲をもたらした。それまで「領土を拡大できる。資源が手に入る」などと戦争に期待していた人達は、初めて「戦争の悲惨さ」を知った。同時に、日本が、アジアの他国に対して大変な犠牲を強いてきた事実にも気づかされた。先の戦争を否定する人、やむを得なかったとする人、様々な中で政府の立場を明確にしたのが、50年目に出された村山談話(外務省サイト)である。
  ・・「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。」・・

71年目の終戦記念日で、天皇は、「深い反省とともに戦争の惨禍が繰り返されることのないよう」とのお言葉を表明された。「深い反省」という表現には、象徴天皇という立場を思うとき、心を打つものがあった。
  他方、総理大臣、衆参議長、最高裁長官は、「戦争が再び起きないように」とは述べたものの、誰も「反省」という言葉を使わなかった。戦争を起こし指導したのは、形式的には天皇であっても、実質は軍人(高級官僚)や政党人、煽ったのは当時のメディアである。一般人ではない三権の機関の長だからこそ、国民を存亡の危機に陥れた原因を謙虚に見つめ、反省し、再発防止に生かして欲しい。  (先頭に戻る)

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No.19 「あなたの会社大丈夫ですか」 (2016.8.4)

会社のコンプライアンスに関わっていたことがあるので、企業の不正には強い感心がある。8月2日に出された三菱自動車の不正(燃費データの虚偽報告、改竄、違法な測定方法)の原因を分析した調査報告書と関連の新聞記事を読んでみた。そして、「おやおや、まただ。どこでもあるんだね。上層部にものが言えない雰囲気、現場を知ろうとしないトップ、そして隠蔽体質」。優れた光学機器メーカーオリンパスの損失隠し事件や日本を代表する会社の一つ東芝の不正会計事件でもそうであった。オリンパスの場合は外国人の社長が突如解任されたところから明るみに出た。東芝不正会計事件の発覚は、証券取引等監視委員会に届いた内部通報だった。

トップが関わる不正は、社内からは言い出しにくい。株主や顧客には損害を与え、不正が発覚すれば株価は暴落し、リストラや倒産の引き金になったりする。社外に通報したとしても、その結果は従業員にも降りかかる。幹部の不正を社内で言い立てることは、左遷や解雇に会うことを意味する。社外の取締役や監査役会(オリンパスでは、社内出身の監査役が事件を隠蔽してきた。)には知らせてないので、社外の者がチェックをすることは不可能である。三菱自動車や東芝の場合は、現場部署が「目標は達成できない」と言っているのに、無理矢理、実現不可能な目標を立てさせられ、不正なことでもやらないわけに行かなくなった。一旦不正が明るみに出れば、たいていの幹部は「知らなかった。部下がやったことだ。」と言う。

三菱自動車は、2000年代に2回リコール隠しをしていた会社だ。幹部の多くは善悪の判断がつかないほどモラルが低下している(社風とも言えるかもしれない。)。だからあまり期待はできないのだが、せめて「4回目の不正隠しはもっと巧妙にやろう。」などとは思わないで欲しい。企業が良くならない限り日本は良くならない。  (先頭に戻る)

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No.18 「りょうほういいのは、ほっかむりだけ」 (2016.8.3)

夏休みがあるからなのか、お盆の時期で死者を思い出させるからなのか、それとも原爆と敗戦の映像が流れるからなのか、夏は過去を思い出させるものが多い。入道雲、蝉の声、水遊び、朝顔など夏を象徴する。小学校に上がる前のこと、私は蝉取りに夢中で桜の木の枝が腐っているのに気づかず、枯れ枝とともに真っ逆さまに地上に落ちたことがある。幸い頭頂部に傷を付けただけで済んだ(これが切っ掛けで急に賢くなるということはなかったが、木登りは慎重になった)。ため池や河川での事故も多く、楽しいことは危険と隣り合わせだった。

現代でも、悪いことと良いことは、たいてい一緒にやってくる。最近爆発的に人気のゲームでは、歩きスマホだけでなく運転スマホの事故さえも起きている。登山や海水浴でも事故は起きる。準備不足、天気の読み違え、飲酒など原因はある。手っ取り早く短い休日を楽しもうとするとどうしても無理がでる。事故に遭う当事者には全く落ち度がなくても若いスキー客を載せたバス事故のように、未熟な運転手を過酷に使う会社による事故もある。必ずとは言えないが、運命は良いことと悪いことをセットで販売する。戸外で農作業をしていた私の義母は、これを「両方(頬)いいのは頬被り(ほっかむり)だけ」と常々言っていた。同じ意味で「こころの処方箋」の著者は「ふたつよいことさてないものよ」書いている。

良いことがあれば、同時に起きようとしている何かに警戒し、悪いことがあったとしてもその中に希望の芽を発見する。そうしたことは心のバランスを保つ上で必要であるし可能でもある。物事がうまくいけば傲慢になり、次の失敗の原因を造ってしまう。仕事でも、スポーツでも、経営でも、選挙でも「冷静に原因を分析することは必要だが、傲慢になることも卑屈になることも必要ない」というのは、長く人間をやってきた多くの人たちの感じているところではないだろうか。
   次の写真は最近撮った蝉とコガネムシです。  (先頭に戻る)

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No.17 「沖縄・護郷隊の少年達」 (2016.7.29)

サンゴ礁が生み出す砂の白さ、海の深さと地質によって深い緑を帯びたり青空色や透明になったりする豊かな海と島。今は、そこに日本に駐留する米軍基地の大部分が集中している。71年前の沖縄は日本で唯一、住民を巻き込んだ大規模な地上戦が行われた場所である。
   かって沖縄には日本国とは独立した王朝があり、江戸時代始めに薩摩藩に征服されてからも、独自の文化を持ち外交を行っていた。明治12年に王国体制が解体され沖縄県となり、大東亜戦争敗戦後には米軍政が続いた。沖縄を考えるとき、日本の政策に利用され続けた歴史を思わないわけにはいかない。

2015年11月28日深夜に50分番組「BS1スペシャル戦争を知らない子供たちへ」のシリーズで、NHK沖縄が作成した「護郷隊の少年達」を見た。漫画と証言で綴られたこの番組は、大日本帝国政府が、16歳前後の子供達に何を教え、やらせたのか、結果はどうだったのか、その責任は取ったのかをしっかりと伝えている良い番組だった(録画もした。)。帝国は、少年を護郷隊員に志願させ、ゲリラ兵として使い、少年達の故郷の家々を焼かせた。助ける役割のはずの軍医が負傷した少年を拳銃で撃った。故郷を護るとは全く逆の恐ろしい行為で少年達は深い心の傷を負う(証言者は85歳を過ぎても涙が尽きない)。

「国を守る」という言葉から、私たちは国民の生命や財産を守ることだと期待してしまうが、実際は政権の中枢を守るのである(沖縄戦は沖縄を護るのではなく本土防衛が目的だった)。国民の命を最優先にする政権ならば矛盾はないだろうが、国民の命を何とも思わない政権(例えば、現在のシリア、北朝鮮金王朝、戦前の帝国陸海軍)であれば、国を守ることは国民の命や生活を犠牲にするということにしかならない。そのことを沖縄県民は嫌と言うほど知らされてきたと思う。
   沖縄県民が抱える今日の問題の背景には、敗戦から続く日米関係がある。普天間基地の移設一つを取っても、民主党政権の首相が「最低でも県外移転」と叫んでも実現できなかったものである。ここには、目を逸らしたくなるほど重い"日本の課題"がある。  (先頭に戻る)

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No.16 「ヤマビルとミミズのバトル」 (2016.7.28)

ヤマビル(山蛭)のことである。近年は、山の管理が行き届かず猪や鹿などが増えたせいか、ヤマビルも増えているらしい。山歩きをする人は見たことや被害を受けたことがあるだろう。
   40年ほど前のある雨上がりの午後、三峰山に近い林道を歩いているときだった。木々の葉がじゃり道を薄暗く覆っていた。前方を眺めながら歩いていると、道の中央あたりで、紐のようなものがばたばたと動くのが見えた。子蛇がカエルでも食べているのかと思って近づくと違っていた。小指ほどある太いミミズが、ヤマビルに覆われ逃げようとのたうちまわっていたのだ。
   蛇がカエルを飲む、カマキリが虫を捉えるといった光景は子供時代に良く見かけたし、田んぼの中で小さな蛭に血を吸われた経験はあるが、ヤマビルが大きなミミズを飲むのを見るのは初めてだったので、手を出さずに、感動して暫く見ていた。カメラがなかったので記録はできなかったが、こうしたことはしばしば見られるものらしい。

都会や近郊に住んでいても、カラス、ツバメ、スズメ、蝶、セミ、ヤモリなど野生の生き物を観察することはできる。彼ら(彼女ら)が、何を食べ、何を恐れ、いかにして子育てをしているかを見ることは、ヒトの社会に住む私たちの生き方を考える上で大いに参考になるのではないかと思う。日本だけでなく世界全体が助け合いよりも、強者の利益を優先する時代になりつつあると思われるからだ。
   私たちの孫やひ孫が、きれいな空気、水、土を享受し、安心して子育てできる状態がいつまで続くかと不安になっているが、夏休みのラジオ体操に集まってくる子供たちの輝いた目を見ると、そんな不安は年寄りの杞憂かなぁとも思っている。
   駅前のバス停の屋根の下でのツバメの餌やり、近所の公園でのムクドリの水浴びの動画です。ご覧下さい。  (先頭に戻る)

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No.15 「ハンバーグ焦げすぎた!」 (2016.7.20)

この2週間ばかり、家では夕食を私が作るようにしている。理由は、パートナーが忙しそうなので助けたいと思ったのと、何かのときには自分で料理ができないと外食ばかりになると気がついたこと、更に、美味しいものを安く食べたいという願いからだ。
  これまでに初心者のレシピである肉じゃが、カレー、豚肉のショウガ焼き、鮭の塩焼き、鰈の煮付け、カボチャや大根の煮付け、エビのピーマン肉詰めなどを作った。満足できたものもあるが、たいていは、どこかに失敗がある。ひと味違う(不味い)、形が違う(煮くずれ)、時間がかかり過ぎ(レシピの記述よりも倍はかかる)など。昨日は、ハンバーグを初めて作ったが真っ黒に焦げてしまった(下の写真はましな方です)。

今のところ楽しく作ってはいるが、私の目標とするレベルにはほど遠い。「高がおかずの一皿や二皿。そのうちに慣れてくれば何とかなるだろう。」とも思うが、いつも失敗しているとやる気がなくなるので、この失敗の原因をまじめに考えてみた。
  その結果、①先ずは準備不足である。材料の一部を買い忘れる。レシピの注意書きをしっかり読まない。料理し始めてから調理器具や調味材料がそろってないことに気がつく。
  ②次に知識がない。強火と弱火の違い、みじん切りや着色の程度、肉の火の通りの確認方法など。
  ③最後に段取りの悪さがある。調理を始めてから下ゆでをするなどあらかじめできることをしていない。行き当たりばったり。まだ、ほかにもあるかもしれない。

失敗を冷静に分析することなしに成功はない。そして、私の場合は、根本的な原因は料理を見くびっていたことかもしれない。一流の料理人は、「高がおかず」とは絶対に考えないだろう。30年ほど前に、失敗の本質という本を読んだ。ノモンハン、ガタルカナル、インパール、ミッドウエーなどの作戦の失敗は、本質的には軍隊の中枢や指導者の欠陥(敵を見くびる発想、現場を重視しない。準備不足と計画性のなさ、失敗を隠す体質など)であることを突き止めた本だ。いろいろな場面で思い出される本である。  (先頭に戻る)

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No.14 「世代間の感覚の違い」 (2016.7.17)

個人としては、住む場所や職業、所得や教育などによって様々な違った体験をしているはずだが、政治、経済、社会の変化の中では、大事件や教育内容など共通して経験することがあり、それが世代の感覚を形作っている。

親と子とは30年くらいの差があるので、親の感覚や人生観を子に伝えることは極めて難しい。今の日本では大東亜戦争を経験した人達、貧困から成長を経験した世代、経済成長後に生まれた世代がいる。更に細かくベビーブームの世代、ゆとり世代などのように細分化する人もいる。それぞれの世代はそれぞれの共通する経験や体験をする。どの世代の感覚が正しいかは一概に言えない。私の世代には、ベトナム戦争、公害汚染、東京オリンピック、フォークミュージック、高度経済成長、石油ショック、地上げとバブル崩壊などの影響がある。

NHKの朝のドラマ(とと姉ちゃんなど女性の物語)には感心することが多い。貧困や差別に負けず、ものごとに関心を持つ生き様を見せてくれる。私の親の世代の話で身近に感じるからだろうか。同じ世代の人たちは、保革や左右の違いがあっても同じような価値観や気配りをもっているように思う。モラル、法律や憲法に反すると思われることでも平気でやり、「儲けて何が悪いんですか?」と嘯くような感覚は、このドラマには出てこない。

日本に限らず、アメリカ、北朝鮮、韓国、中国でも、2世、3世の議員や指導者が増えているように思う。生まれついての指導者達が、その恵まれた環境で得た価値観や感覚にこだわるのでは、大部分の国民の希望と乖離するのではないかと危惧する。  (先頭に戻る)

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No.13 「未来と過去の感じ方」 (2016.7.17)

時間は針の動きやものの変化で計られるものである。そこで、時間とは「何かが変化する状態」と仮定してみる。そして世の中に性質や位置さえも変化しないものはあるのかというと、太陽だって数十億年すると赤色巨星、更に白色矮星になって最後には輝かなくなる。全てのものに動きがあり、変化するのだ。

世界が変化することが日常の中で、人間は絶対とか永遠とかにあこがれる。未来は未知で不安があるからである。過去の習慣や風景を懐かしく思うのも、自分が得た価値観や感覚を基準にして、起きつつある変化に不安や苛立ちを感じ、裏返しとして過去の何かに安らぎを覚えるからである。
   私は文部省唱歌が好きだ。冬景色夏は来ぬおぼろ月夜蛍の宿もみじふるさとあかとんぼ砂山田舎の冬など季節と風景が詠まれた歌は懐かしい。そしてプラスチックゴミや廃水で汚染された水辺を悲しく思う。事故で再び放射能が山河を汚染しないよう脱原発が進むことを願っている。

ところで、体験しないことは印象が薄い。子供の頃、ほんの少し前に大変な戦争があったと聞かされてもピンとこなかった。小学校の社会科で蒙古襲来のことを習ったとき、「信じられない。本当に襲来があったんですか?」と質問したほどだ。しかし近所に日露戦争で鉄砲の弾を額に受け奇跡的に助かった人がおられたが、その人はときどき見かけるので強く印象に残っている。

体験は印象が強く、単なる伝聞はインパクトが弱い。そう考えると、人にとって「現在」とは、今の瞬間という意味ではなく、その人の体験した全てではないかと思う。頭の中の体験記憶は、うんと過去に起きたことでも現在のように感じられることがある。「まるで昨日のことのように」と表現する。今の瞬間は1秒後には過去になるが、感覚としては昨日のことも「現在」なのだ。

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No.12 「『和を以て貴しと為す』の意味」 (2016.7.11)

聖徳太子といえば、仏教を国のあり方に取り入れ、律令国家(律は刑罰、令は行政一般の意味)の基を築いた人。信仰の対象にもなり、少し前までは、紙幣に描かれたりしている超有名人である。特に有名なのは太子が制定に尽力したとされる17条憲法条文の第1条「和を以て貴しと為す」の言葉。額にいれて飾っている人もいる位だ(各条の解釈はクリックで)。

この言葉の意味は、けんかをするなということであるが、その本旨は、「協調・友愛の気持ちをもって論議を尽くすなら、道理にかなった解決策が得られる。」ということ。これは、今で言えば、国際紛争や内紛は武力でなく、外交努力や言論で解決せよいうことである。

なぜこう言えるかといえば、17条憲法制定(604年:推古という女性天皇の12年目)は、遣隋使派遣(600年から614年まで4回)や新羅遠征(600年)の直後の国際化を目指す時代に行われているからである。それまでの武力抗争(蘇我と物部の内紛、崇峻天皇暗殺)から脱して内外に言論を重視する姿勢を示す必要があった。もちろん一般国民は「民」として使役の対象に過ぎない古代なのだが、憲法は権力者(朝廷役人や豪族)の遵守規程であると同時に、国際社会での国のあり方の宣言だからである。もし、現代に聖徳太子が現れれば、「憲法を考えるなら武力よりも言論による外交が大事だよ」とおっしゃるのではないか。

以上は、詳説日本史研究(山川出版)を読んで思ったことだが、どういうわけか「和を以て貴しとなす」を「異論や不満があっても和が大事なので発言は我慢せよ。」と全く逆の意味に取り違えている人もいる。北朝鮮のような全体主義国家ならいざしらず、自由と民主主義を価値観とする日本においては、悲しむべき誤解である。議論の仕方が分からずけんかになることが多いせいだろうか。言論(仏教では愛語ともいう)によって、紛争を解決した例はたくさんある。  (先頭に戻る)

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No.11 「選挙と若者」 (2016.7.6)

参議院議員の選挙期間中である。国政には、経済政策、外交や集団的自衛権の是非、原発再稼働、国の在り方(憲法)など国民が判断を下すべき課題がある。講演会や集会に参加し、新聞論調を比較すれば争点が見えてくるのだが、近年では新聞を読まない人達も増えている。なので投票率の低下が心配である。近年では衆参とも平均で50%程度になっている。若い世代は、32~33%と特に低い。

米国民主党の大統領候補バーニー・サンダースを支持した若者がアメリカの国政方向に影響を与えている姿、英国のEU離脱の国民投票やスペインの新しい政党ポデモスでの若者での活動を聞くと、つい比較してしまう。失業のしわ寄せが若者に行ってしまう欧米と比較して、日本の若者は恵まれているから政治に関心を持たないのかとも思ったが、現実は奨学金の返済などで苦労し、正社員になれない若者も多いので、それが原因とも言えないだろう。高齢の世代に比べて他人との付き合いが希薄になったとも言えないし、ボランティア活動にも参加している若者も多いので、若者の投票率が低い理由は良く分からない。強いて挙げれば政治家が若者に焦点を当てた政策を明確に示せていないからか。
  18歳選挙権の導入が切っ掛けになって若者が政治に関心を持つようになってくれたらと密かに期待している。

自分はと言えば先日、都内で街頭での政治活動をしてみた。「嘘をつかない政治を求める!」などというポスターを書いて、1時間ほど、友人の演奏する軽音楽を聞きながら歩道の脇に立っていただけであるが。
  こんなポスターを書いたのは、昨年の安保法案審議の国会中継で野党の質問と与党の答弁を聞いていてそう思ったのである。忙しい帰宅時間である。5分の4は全く無視して目の前を通り過ぎていくが、一瞥してくれるだけでもうれしい気がした。100人に1人くらいはうなずいてくれる人もいた。   (先頭に戻る)

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No.10 「考えるとは何をすることだろう」 (2016.6.27)

「考える」ということを、よく考えてみると分かりにくい。昼食にカレーライスかソバを選ぶかで頭を悩ませる。入試問題を解くのも考える(頭を使う)ことである。しかし、「人は考える葦」であるとか、「考えさせない時代」という場合の「考える」の意味は別にある気がする。猫だって、蛇だって頭があるから何かを考えているに違いない。本を読んで内容を知るだけでは、「考える」というよりも、「学ぶ」という言葉が適切だろう。

頭が活動することと「考える」こととは違う。自分なりに整理してみると、「考える」とは、次のように定義できるのではないか。
  ①手持ち(頭持ち?)の知識や事実(現実)に矛盾がないか(納得できるか)をチェックすること、
  ②過去の繰り返しや他人の真似ではない新しい何かを見つけようとすること
  「考える」とは、目的がある能動的な行為である。矛盾の発見のための調査や新しい何かを現実化(製品化)することも「考える」範囲に入れて良い。

一人の考えでは矛盾がなくても、大勢の考えには互いに矛盾する場合がある。だから、「考える」ことを進めていくと、別の事実や考えに接触して、より普遍的な考え方に至る。科学は、人類の試行錯誤と矛盾解決の努力によって進歩してきた。政治、社会、宗教、芸術などでも矛盾する意見や説明がある。矛盾を解決する正解は1つと限るわけではないから、異なる考え方も吟味することが必要となる。
  民主主義社会では、意見を発表したり異論を聞く機会があるし、暴力での矛盾解決を避ける道があるので、聞く耳をもっている人であれば、「考える」ことは誰でもできる。だが、頭は疲れるし、誰かのもっともらしい説明で満足してしまうこともあるので、「考える」ことは実は容易ではない(それに加えて、私の愛する日本でも、政府による暴力の行使と事実の隠蔽により、国民に考えさせないようにしてきた歴史があることは記憶しておきたい。)。   (先頭に戻る)

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No.9 「オレオレ詐欺にあうこと」 (2016.6.15)

オレオレ詐欺、架空請求詐欺、還付金詐欺などの特殊詐欺は、関係者の注意喚起にもかかわらず件数は減少していない。罠にはめるやり方が巧妙になっているためである。「自分は絶対引っかからない」といっている人でも、詐欺師が本人の情報を手に入れ、集団で言葉巧みに話をされれば信じてしまう。

被害に遭う側も、自分の息子への情、どこかに残る後ろめたさ、還付金などへの欲があるので、その弱みが利用されている。そして、この島国には、疑うことは良くないとする風土がある。
  特に詐欺師が、警察官、弁護士、政府や市役所の職員、会社の上司などを装った場合には騙されやすい。強い立場の人にはめっぽう弱いのである。役所(お上)は常に自分たちのことを考えてくれているに違いないと根拠無く信じている善良な人は多い(多忙な役所が、わざわざあなたのために還付金を返す手続きをしてくれるはずがないのに)。お上への従順さが犯罪者に利用されている。

犯罪を減らせない別の理由は、他人への気兼ねと本人の孤立である。不祥事は人に知られたくない。不祥事をした息子なら叱り飛ばせば良いのに、詐欺師が会社の上司や弁護士として登場して、「内密にしないと息子さんの立場が悪くなる。」などと親切ごかしに言えば、喜んでお金を出してしまう。
  江戸時代や選挙権の無かった時代ならいざ知らず、今は国民主権の時代である。権利には義務を伴う。面倒なことはお上にやってもらい、お上を監視する責任を逃れるばかりでは、オレオレ詐欺のような犯罪は存在し続けるに違いない。政権や知事の座についた人たちが詐欺師のようになって国民、市民を苦しめることすら許すことになる。

  薦められて「無私の日本人」の「穀田屋十三郎」を読んだ。江戸時代に仙台藩の宿場街の百姓町人が、支配者である伊達家に金を貸し付け、利子を取れる仕組みを作って、その利子で宿場の疲弊を免れたという実話である。
  この人達は、地域社会を疲弊から救うという大願をたてて、私利を捨て、結束を固めて資金を集め、藩の約束をとりつけ、藩のやり方を監視し、ついに藩に約束を行わせたという。しかも、その功績を誇らない誓いをたてている。欲得づくの事件や自慢話とは対極にある素敵な話だと思った。  (先頭に戻る)

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No.8 「驚くことの効用」 (2016.6.7)

小雨の降る夜の帰宅中、坂の中途まで登ってきたときだった。トラックがエンジンをふかして背後から迫ってきた。水しぶきを避けるために左側に寄って立ち止まったら、急に目の前の暗闇が赤く染まった。何が起きたのか一瞬分からなかったが、歩道際の数本のアジサイに赤い花がいっぱい咲いているではないか。「こんなに赤いアジサイがあったなんて、いつもの道なのにどうして気が付かなかったのだろう」と近づいたら、その風景は一瞬消えたように思えわれた。

実は花が消えたのではなかった。花の色が全て青い沈んだ色になったのである。こんなことってあるのかと思って、驚いて周囲を見渡すと、アジサイの向かいの押しボタン式の信号が青く光っている。横断歩道が赤になるとアジサイは再び赤くなり、誰かが横断歩道を渡るとアジサイは青い陰になった。アジサイならではの面白い現象だ。

赤信号でアジサイの色が瞬時に赤く変わったのは新鮮で楽しい驚きだった。驚いた理由は、この現象を知らなかったからである。私には、この現象が想定外だった。
  東日本大震災や福島原発事故は、悲しい驚きだった。あんなに恐ろしい津波は想像していなかった。もし私が三陸の沿岸に住んでいれば、津波と聞いても逃げださなかったかもしれない。日本の原発技術は高いので多少の放射能漏れを起こすことがあったとしても、悲惨なことにはならないと漠然と信じてもいた。
  「驚くこと」は、無知と想像力のなさを証明することではあるが、物事に感動できる能力であり、生きることに関心がある証拠である。驚きは新たな発見や事態を改善する切っ掛けにもなる。
  「知ったか振り」は、誰かへの迎合であり、責任の放棄であり、無関心を示している。これは、しばしば組織内やムラ社会で見られる悲しい現象である。

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No.7 「人の進化と人工知能の進化 」 (2016.5.27)

囲碁や将棋の世界では、人工知能(AI、Artificial Intelligence、コンピュータ、ロボット)と棋士とが対決して人工知能が勝つようになったと話題になっている。コンピュータやロボットは人間が開発したものだから、本当は人(コンピュータ技術者)と人(棋士)との対決であるのだが、話を盛り上げるため、メディアはロボット(機械)と人が対決するという表現をしている。
  囲碁や将棋では、指し手が無数にあるので、コンピュータにそれを覚え込ませてもうまくいくとは限らないそうで、韓国のプロ棋士との戦いでは、コンピュータの学習機能が役になったとのことである。

コンピュータの学習能力とは、多くの事例やデータを与えて、命令や目標に対して最適の条件を自分で発見する能力である。5月にNHK特集を見た。アメリカで人種差別やイスラムを敵視する考えをコンピュータに教えたら、そのロボットは差別的発言をするようになったという話題があった。
  日本では、歩行するロボットに机の上を歩めと命じると、「自分が壊れるからできない」と答え命令に従わなかったが、再度「抱き留めてやるから机の上を歩め」と命じると、机から落ちるまで歩いたとのことである。人は裏切ることもあるし、無責任になることもある。もし、技術者がロボットを抱き留めなかったら、そのロボットは何を学ぶだろうか。

あらゆる分野で人工知能が発展し進化を遂げている。工場の製作用ロボットは既に使われており、介護や医療分野での開発、廃炉に向けた原発事故処理ロボットは一日も早く開発して欲しいと願っている。戦争が無くならない人間社会だから、近い将来は銃や爆弾を持ったロボットが開発されるかもしれない。暗闇でも目が見え、放射能の中でも動き回る兵士ロボット。映画ターミネータのような恐怖の世界になりはしないかと恐れる。

人間の肉体や知性の進化はゆっくりであるのに対し、IT技術を初めとする技術は急速である。いずれは、人間が考えつくあらゆる分野にロボットなどが進出するだろう。しかし、人工知能は人間が作るものであり、人間社会から学べば学ぶほど、そして高度になればなるほど、人間が持つ欠点を全てもってしまうのではないか。自分には甘く他人には厳しくなる。疑り深くなり決断ができなくなる。弱いものを犠牲にすることを厭わない。自然環境を守るためには人間を減らすのが一番という解決法を発見することだってあり得る。
  人工知能は、人間から学ばなければ進歩することはなく、天使にも悪魔にもならない。天使にも悪魔にもなれるのは人間だけである。

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No.6 「性器をわいせつとすることの是非」 (2016.5.11)

花は、種子植物の有性生殖を行う器官であるが、色、形、香りに魅力的なものが多く、古代から人間に愛でられ、花言葉というように表現手段にも使われてきた。花は、生殖器(又は性器)であることは間違いないのだが、そのように考えたり、説明したりすることにはかなりの抵抗感がある。
  私が抵抗を感じる理由は、社会での人の性器の扱われ方を考えて萎縮してしまうからである。病気や医術に関することでもない限り、裸や性器を見せることはもちろん、語ったり書いたりすることでさえ「みだらである」、「羞恥心がない」という非難を浴びてきたことが背景にある。花を性器だと考える自分も「みだら」、「羞恥心がない」と断罪されるかもしれぬという不安である。

物語の面白さや人間の生き方を考える芸術作品でさえ、性描写や性器についての記述によって「わいせつ物」という扱いになってきたことを考えれば、私の不安はご理解頂けると思う。刑法は、社会の秩序を保つ法律ということなので、第175条では、わいせつな文書等を頒布、陳列したものは、2年以下の懲役などとなっている。だから余計に不安になる。

不安になって、手元の模範6法で、判例を見ると、最高裁判決(昭和26年)では、刑法175条の「わいせつとは、いたずらに性欲を興奮又は刺激させ、かつ、普通の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するものをいう。」とのこと。「いたずら」とは、「無駄に」、「悪ふざけ」という意味ではないようなので、意味が不明である。また、「普通の正常な性的羞恥心」とはどの程度の羞恥心をさすのか、「善良な性的道義観念」の意味も定義が明確ではないことが分かった。

そこで、憲法第21条(表現の自由の保障)に関する判例を見る。チャタレー事件の最高裁判決(昭和32年)だ。そこには「著作が刑法175条のわいせつ文書に当たるかどうかは事実認定の問題ではなく、法解釈の問題として、裁判所が社会通念を基準として判断すべきものである。かような社会通念がいかなるものかの判断もまた、現制度下では裁判官に委ねられている。」とある。何のことはない、わいせつか否かは裁判官だけが解釈できる(特権)ということを最高裁自身が決めているのである。

最近、ある女性漫画家が自分の女性器を3D模造できるデータを送ったなどとして訴えられる裁判があった。地裁判決ではデータ送信は有罪、石膏の模造品の陳列は無罪となった。被告は直ちに控訴したと報道されている。被告の行為を支持する気持ちにはなれないが、さりとて処罰するべきだとも思わない。差別、恐怖感、傷害を与えるなどの実害がないだけでなく、表現の自由という重要な権利にかかわることだからである。 裁判官が、わいせつ文書等を拡大解釈して「作者の春さんは、『きれいな花は、天女の性器だ』と妄想を振りまいている。このホームページは、わいせつ電磁的記録の頒布に当たる。」と判断するようになっては困る。私としては、表現の自由は守っていただきたいと言うしかない。
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No.5 「子供になれない大人」 (2016.5.6)

子供のときのこと。低学年の子供達が近所でぶらつきながら遊んでいた。自分も姉の後にくっついていた。一人の女の子が同じ年の子に「ねえ、ねえ、この花の名前知っている?」と聞き、大きな葉っぱの間から濃いピンクの花が出ている一群を指さす。「うーん。水仙じゃないね。」と問われた子が答える。別の子が「知らんねぇ。」と答えた。問うた子は、にっと笑って「当たり!」。「えっ、『あたり』という名前なの?。」と驚く女の子達。「この花の名前は、『しらん』よ。しらん。」と質問した子が得意気に言う。私が「知らん=紫蘭」を意識した最初です。
  それから50年後、NOVAでの会話。"Do you know the difference between ignorance and indifference?"   "I don't know. I don't care." (知らんよ。そんなことどうでもいいよ。)。単語の意味は無知と無関心。私は子供のときの「知らん」の花を思い出した。

昨日は5月5日でした。私は、グラウンド・ゴルフ大会の手伝いで競馬場の芝生の広場にいた。個人競技のゴルフの楽しさを身近な場所でお金をかけず感じることのできる遊びだ。地元の住民、70歳代を中心に90歳までの約120人が参加。私は、他の仲間とともにホールポストやスタートマットと目印を配置し、10ホールで3コースを作成した。
  ホールインワンも時々でた。地面は凸凹もあり雑草が伸びているので、ボールが大きく逸れたりもする。自慢話だけでない、様々な会話があって笑顔がたくさん見られた。台所で使うラップやプラスチックのゴミ袋がラッキー賞などとして配られた。孫が高校生以上で成人している人が多い。ご自身の健康と生活を大切にされている感じがして好感がもてた。

大人は、子供よりも多くの知識と経験を持っているが、その分だけ子供のように感動する力や物事に対する関心は弱まっているかもしれない。他方、子供だっていつも純真というわけではない。性格は違うし、物欲もあれば、自慢もしたがる。だから、深いところでは子供も大人(老人)も、それほどの違いはないと思う。
  経験の中で物事を学び、妥協を重ねて物わかりが良くなることを「大人になる。」という言い方をする。だが、遊びにせよ、仕事に関することにせよ、生きていく上では子供の頃にあった好奇心や探求心、物事を恐れない気持ちを持ち続けることは大切だ。「子供」になれる「大人」は幸せであるに違いない。  (先頭に戻る)

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No.4 「誰が生命を守ってくれる?」 (2016.4.27)

生命を守るとはどういうことだろうか。人の細胞もヒーラ細胞のように生き続けることができるが、細胞が生きているからといって命を守ったことにはならない。野生生物を動物園に隔離して餌をやっていれば、一時的には生命を守ったことになる。その個体が雌であれば、雄も一緒に飼ってうまくすれば子供が生まれる。子供が育っていけば命を守ったことになる。しかし、何世代も近親交配はできないから、同じ種のほかの個体が必要になる。結局、野生の生物ならば、その生息環境も含めて、一定の大きさの集団が守られて、初めて命を守ることになると考える。その意味で佐渡島のトキやコウノトリを野生で増やす取組みは画期的である。

人の場合も同様に、個人の生活やそれを成り立たせている地域社会を守って初めて「命を守っている」といえるのだと思う。世界には危険があふれている。感染症、饑餓、自然災害、放射能汚染、汚れた空気と水、交通事故、いじめ、虐待、肥満、犯罪、戦争、失業など。日本人にとって北朝鮮の核兵器だけが危険な訳ではない。国内にも危険はある。
  自分の健康は自分で守るのはもちろんだ。医師や看護師、消防署員、警察官、農家などは、命を守る人たちといってもいい。さらには、工業などは生活を守るための製品を作る。つまりは、私たちが互いに助け合ってる社会自体が命を守ることだといえる。その意味で、私は自衛隊員の災害救助活動も高く評価している。それでは殺傷力のある武器を使用する軍隊の活動はどうか。

今から75年ほど前、ナチスドイツは、ユダヤ人たちを強制収容所に収容し、600万人もの殺害を行った(ホロコースト)。戦争が更に続けば殺されるはずの何十万人かを救出できたのは、英米仏ソビエトなどの連合軍の兵士のおかげである。だから限定された状況では、武力に対抗する武力が人の命を守るということもあると思う。

しかし武器はそもそも人を殺す道具だ。原爆、大空襲、沖縄地上戦、南京やフィリピンの市街戦で一般市民に数え切れないほどの犠牲者がでた事実がある。
  自国の軍隊(政府)が国民の命を守るとは限らない。大日本帝国の場合は、国民を総動員して犠牲を強いた。けれど、国(天皇を主権とする帝国の体制)は守れず、敗戦のおかげで女性には参政権が与えられ、国民主権となり、徴兵制はなくなり、農地解放がなされた。大部分の国民には思いもよらなかっただろうが、敗戦は歓迎すべきことになった。学ぶべきものは、歴史であり、命を大切にする自覚と行動ではではないかと思う。杉原千畝さんは外務省の訓令に違反して約6千人のユダヤ人の命を救った(杉原さんは帰国後外務省から冷遇され退職)。帝国陸海軍の軍人の”勇敢な”行為によってではなく、彼と彼の夫人の処分を覚悟した行動によって、国際社会で日本人が評価されている。

気になる情報が今年の4月5日にストックホルム国際平和研究所(スエーデン議会が設立したシンクタンク)から出された。この数年間世界の軍事費は、横ばい乃至減少傾向だったのが、2015年には増加に転じたと報道されている。アフリカや中東、クリミア、南シナ海等の情勢によるとのことだ。2015年の世界の軍事費の36%はアメリカが占め断トツである。中国は第2位で13%を占める。日本はフランスに次ぐ8位で2.4%である。自国の軍事費にはカウントされないが、政府は従来の「武器輸出3原則」(原則武器の輸出禁止方針)を2014年から止め、武器の輸出に積極的になっている。2015年に使われた世界の軍事費1兆7千億ドル(180兆円)が、すべて民政に使われれば、饑餓や貧困から解放され、何千万人かそれ以上の命が救われるだろうにと思う。⇒ 世界の軍事費の内訳のデータベース(Sipri Military Expenditure Databaseの項からエクセルの表が入手できます。)  (先頭に戻る)

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No.3 「命の重みをどう感じるのか」 (2016.4.20)

「生きているからには必ず死を伴う。永遠の命などない。」と思っていたら、ベニクラゲのような生き物がいるので、「必ず」という表現は避けなければならないのだが、「人の場合は、必ず死ぬ。」と断言して良いだろう。細胞が生きているとしても、その細胞と細胞からできた器官(例えば脳)とは別のものだからである。だから、現代社会は、脳死を人の死とする考え方を受け入れている。

高齢になり各種の機能が衰えて死ぬ場合には、寿命を全うできたという感慨をもつことができる。しかし、突然の災害や犯罪、戦争に巻き込まれて死ぬことはどうか。人の命は地球よりも重いと教えられてきたが、現実には、大地震、疫病、テロリスト、戦場に若者を送り込む政治指導者がいるし、死刑制度もある。自然災害は避けられない面があるだろうが、政治や宗教、利益追求などでの人命の軽視は何とかならないものか。 仏家では、永遠の命はないからこそ一度きりの人生を大切に生きろと教える。他人の命も粗末にしてはならない。

私の友人の息子さんが、路上で突然刺されて亡くなった。刺した男は、精神病院に入院中の患者で、イライラするからとして外出し包丁を購入して、たまたま出合った息子さんを標的にした。刑事裁判でその患者は有罪になり、医療刑務所で服役中である。刑事事件で使われた記録を被害者が見られるように制度が改善されたので、友人はその病院の医療実態を知ることができた。判明したことは、その精神病院では、暴力履歴のあるこの患者に対して、統合失調症のガイドラインに反して薬剤処方(プロピタンの突然中止)を行い、強迫神経症用のパキシルを使用上の注意事項に違反して投与を突然停止していた事実だった。

医師には専門家としての裁量があるが、その場合でも、ルール違反の治療、科学的でない治療が許されないことは言うまでもない。しかし、この病院では、処方変更で患者の増悪が予想されたのに経過観察を怠り、かつ、犯行直前に患者が診察を求めたのに、主治医が忙しさを理由に拒否していた。

私の友人は、民事裁判でこの精神科病院を訴えている。驚いたことに、刺した患者の両親と共同して控訴人になっている。患者自身がまともな治療を受けられないのでは、周辺の市民の生存までも脅かされることになる。日本の精神科医療は、患者が社会復帰できるような環境づくりが弱いという点で、欧米先進国に比べて遅れているといわれている。長く裁判を続けることは大変な苦労であると想像する。この裁判を通じて、地域社会も安心できる精神科医療が実現することを期待して、私はこの裁判の行方を見守っている。

裁判の詳細は次のサイトをご覧下さい。本年4月14日に瀬戸内海放送によりこの事件と裁判の概要が放映(13分間) されました。⇒ 【4月14日瀬戸内海放送による報道の動画】
【矢野真木人殺人事件(いわき病院事件)・裁判レポート】  (先頭に戻る)

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No.2 「生き物の魅力-個性と多様性」 (2016.4.12)

巨大隕石の衝突や全球凍結といった大変な環境変化を生き延びてきた生き物は、今も、熱帯から極地、深海まで様々なところで、様々な方法で生きている。細胞内にある遺伝子(DNA)が変化し、他の個体にも広まって種が創造され、今では、生物界は数百万種以上、植物は数十万種、昆虫は百万種と推定されている。
   このように種が多くなった理由は、生物界が弱肉強食の原理で発展してきたからではない。動物も植物も、相互の利用(共生、寄生、捕食、分解など)と棲み分けで成り立っているからである。百獣の王ライオンも他の種の生存を左右するほどは強くない(他の種を絶滅させる力を持つ生物は人類だけではないだろうか。)。

生き物の魅力は、その個性と多様性にある。同じ種(犬、猫、蘭、蝶など)でも、棲む環境と遺伝子のわずかな違いが個性を生み、それが種の多様性を生み出す。個体間で差がなく、種としての適応範囲が狭ければ、環境変化で絶滅する。寒暖、乾燥程度、温度変化、塩分濃度や土壌の質、天敵や餌の関係等で適応範囲が広くなり、植物ならば、とげや葉の形、花の色、香りや蜜、有毒成分を持つようになる。雌雄があることは、個体に変化をもたらすのに好都合である。

人は、新しい生き物を見ると、美しいとか、香りとか、食べられるか、更には、何かの薬理効果があるかなどと欲得で考え勝ちである。しかし、それは浅はかである。相手は何十億年もの試練を経て進化してきたものである。その生命の歴史は、それだけでも関心を持つ価値がある。損得などの狭い了見は捨てるべきだろう。

個性や多様性を尊重する態度が必要であることは間違いない。生物の一種である人間の社会でも個人(男性、女性)の生き方を尊重することが、良い社会にする原理だと信じている。北朝鮮金王朝の住民は気の毒である。世界から孤立し大東亜戦争に進んだ大日本帝国もそうであったように、人々は海外の情報に接することができず、少数の権力者や集団の命令に従わなければ生きられない危うい社会になっている。  (先頭に戻る)

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No.1 「『もの』と『命』の境界」 (2016.3.31)

3月に母が亡くなった。96歳であった。2月に会ったときは、元気そうに見え、多少は話をすることができた。「もう、十分生きた。幸せだったわ。」とつぶやいていたのが耳に残っている。自分が、これから、どのように生きていくのかの手本を示してくれたような気がして感謝している。

子供のころ小学生の学芸会で、蜘蛛に扮した友達が、「死んでしまえば、ただの「もの」だよ。」というセリフを繰り返し練習していたのを覚えている。死んでしまえば、動かないし、感じないし、灰と気体になって消えていくだけであるのだから、このセリフのとおりであるのだが、「ただのもの」という言い方には何か割り切れない感じがしていた。それは「もの」と「生き物」の違いが分からないためにおこる感覚かもしれない。

人間とサルは殆ど違いがない。ネズミとサルは違いがあるかというと、これも違いは殆どない。ネズミとトカゲはどうかというと、生き物として共通している部分が多い。こうして、両生類、魚類、菌類や、バクテリア、ウイルスまで遡ってみると、共通している部分があり、それぞれが生きている。ウイルスは生き物ではあろうが、自立して生きているわけではない。ウイルスに進化する前の「もの」は「物質」なのか、「生き物」なのか判断できないだろう。生物が、地球上で、絶滅したり、進化したりして今日に至っている。つまり、炭素や窒素、酸素、水素、リン、カルシウム等という物質が組み合わさり、大きな分子を作り、生き物となり、ついには人間のような意識を持つようになった。ただの「もの」が「生き物」になったのだ。

ただの「もの」が、気の遠くなるような時間がかかったにせよ、「生き物」になったという事実は、いずれ死んでただの「もの」になる私達の気持ちを暖かくしてくれるのではないか。人は死んでも魂が残るという話や、輪廻を信じるという次元の話ではなく、「もの」も「命」も性質的には、同じであるということである。境界はない。ウイルスやウイルスに進化する前の「もの」も、「生き物」として何かを感じているかもしれない。現代の科学の示す基準には当てはまらないやり方で、石ころや木、水などの「もの」も何かを発信し、感じているかもしれない。森林を減らし、海を汚し、放射能をまき散らす現代において、自然(もの)の中に神々(人と同じ聖なるもの)が宿っているという古代の人が持っていた感覚は現代人にこそ必要ではないかと思う。  (先頭に戻る)

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